日別アーカイブ: 2010/4/3 土曜日

沖縄本島を南下してアメリカの跡と辺野古(キャンプシュワブ)の今を見た。

前回までの旅日記はコチラ「夏の沖縄は底抜けに楽しいけれど、冬の沖縄はどうだろうか。」

目を覚ますと爽やかな空気が流れていた。この時期でも沖縄と言うだけあって寒いことはなく、爽やかな朝を迎えた。沖縄最北端 奥集落の宿「海山木」でゆっくりして、周りを散歩しながらもう一泊ぐらいしたい気持であったが、今日は那覇に戻る予定だ。これは、また来る楽しみが増えたということだ。

送信者 沖縄最北端と久高島

昨夜ゆんたくを楽しんだ同宿の旅人に別れを告げ、茅打ちバンタへ。最北端にある断崖絶壁だ。歩いて行くと低木が生い茂っており絶壁とは感じなかった。けれど、御嶽が奥にありそうな木々の中を進むと、絶壁を眺めることができる場所に出た。ここから見てはじめて、先ほど自分が立っていた場所が切り立った場所であったことに初めて気がついた。

送信者 沖縄最北端と久高島

そして、昨日の辺戸岬からも確認できたヤンバルクイナ展望台へ。僕以外はヤンバルクイナ展望台へ行ったことがあるみたいで、その大きさには驚くと話していた。どれほどかと楽しみにしていたら、やはり大きかった。3階建てほどのヤンバルクイナは異様なデカさで、なぜ?と思うぐらい。ただ、そこからの眺めは良く与論島がハッキリと見えた。海の中にうっすらと浮かぶ島を見ると、いつも旅情を感じる。わずかに見える島の生活を夢想し、どこか遠くに来たんだなとしみじみとしてくる。

送信者 沖縄最北端と久高島
送信者 沖縄最北端と久高島

那覇からの道のりが遠かったように、那覇への道のりも遠い。東海岸をずっと南下する。車窓から眺めていると、ふと不思議なものが目に飛び込んでくる。何もない海岸に映画の看板が立っていた。何かと思って、立ち寄ってみるとただ看板があるだけと言う、不思議な場所。そんな風に寄り道をしながら海岸沿いをひた走る。ちょっと疲れたということで、のどかな集落に立ち寄る。何がある訳でもない、共同売店が1店だけあって、民家が30戸ぐらいの集落だ。そんな集落をぶらぶらと散歩し、海岸を歩いた。砂浜には石が積み上げられており、何かの祈り事に使ったのだろうか。

送信者 沖縄最北端と久高島

お昼時になったので、「山甌(やまがめ)」というカフェに。このカフェがスゴイ場所にある。アスファルトの道を外れ、森の中を通る細い砂利道をひたすら進む。こんな先にカフェなんて本当にあるのか?と疑いたくなるような場所。しばらく行くと行き止まりに一軒の建物があった。それがカフェだった。それにしても、すんごいところにあるカフェだ。森の中にポツンとある。シダ植物なんだろうか、熱帯地域風の植物に囲まれて、小川のせせらぎが聞こえてくる。湿度もとても高く、ひんやりとしている。そんなカフェでカレーを頂いた。

送信者 沖縄最北端と久高島
送信者 沖縄最北端と久高島

カフェを後にして、辺野古へ向かう。まずは「ホテル・ハイビスカス」という映画のロケ地であった場所へ。そこは時間が止まったような場所だった。まるで外国にある古ぼけた日本人街のような雰囲気が漂うような場所。はげ落ちたペンキを見ると英語の店名が描かれていた。米軍兵が多くいた頃は、彼らでにぎわっていたのだろう。そんなタイムスリップしたかのような場所だった。

送信者 沖縄最北端と久高島

それから辺野古の海岸へ。ここは沖縄の綺麗な海だ。白い砂浜と青い海が輝いている。今にも飛び込みたくなるような海が広がっていた。ただ、普通の海と違うのは有刺鉄線が張ってある事。有刺鉄線を境に「こちら」と「あちら」に別れていた。「こちら」は誰もが楽しめる美しい海、「あちら」は米軍の領域だ。「あちら」側に我々は入る事ができない。有刺鉄線で区切られ、さらに監視カメラが設置されている。今まさにここが話題になっている、キャンプシュワブだ。

送信者 沖縄最北端と久高島

こういった現実を目の当たりにすると、純粋におかしいなと感じる。一方で、基地があるから観光開発されなくて、ジュゴンがこの地域にいるという話しも聞いた。僕はこの問題に対して詳しく調べた事はなく、不用意に自分の意見を宣言するのは難しい。ただ、現実を目の当たりにして違和感を感じた事だけは事実だ。背景にある過去の歴史、政治上の問題、世界の安全保障、基地移設問題などを考慮しはじめたら、今の僕は答えを出せない。

送信者 沖縄最北端と久高島

しかし、こんな風にバランスが崩れた感じはおかしいんじゃないかという事だけは言える。この問題に限らず、ひとつバランスが崩れると、それを補うために別のもののバランスを崩して調整をとる。すると、さらに別のところでバランスが崩れていく。この沖縄に基地ができ、ひとつのバランスが崩れる。するとそれをカバーするために、移設先がどこだと言う話しで次のところのバランスが崩れる。こうして全体のバランスが崩れていく。東京の社会も、東京に人が集中しすぎる、忙しくなりすぎる、疲れる、へんてこな癒しを求める。こうしてバランスが崩れている。もちろん生態系においても同じで、木村さんのリンゴに通じる。話しが長くなってしまったが、ひとつのバランスが崩れると連鎖的に全てのバランスが崩れていく。やはり、自然の流れに沿ったことをしていくのが一番だなと思う。何かを判断するときは、ここに立ち戻るのが最も自然なんだと思う。

送信者 沖縄最北端と久高島

そんなことを考えながら、辺野古の海岸を歩いた。その後、キャンプハンセンのゲート近くにある金武町でタコライスを食べる。米軍がよく食べにくるからか、とんでもなく大盛り。さらに、みんなが唐揚げやポテトも頼む暴挙に出る。限界を感じながら、なんとか腹に押し込んで店を後にする。これから那覇を目指さなければならない。北部を走り抜け、読谷へ。沖縄本島は南北にとっても長い島だということを今回の旅で実感した。

送信者 沖縄最北端と久高島

西の海に夕日が沈んでいく。そんな西日を浴びながら、ただひたすら那覇を目指した。レンタカーを返し、4人はばらばらの宿へと戻っていった。僕はどこも予約していなかったが、CamCamという宿は雑魚寝で800円と聞いて行ってみることにした。あまり快適とは言えないが800円ならしかたない。海外の安い日本人宿のような場所だった。みんなで飲もうと、再び集まって串六九という居酒屋へ。みんなお腹いっぱいで、串を食べないと言う暴挙に。(笑) でも、一番奥の席は個室みたいな感じで、テレビもあって心地よい空間だった。まるで東京の誰かの家のようにくつろいで、みんなで旅の話しをしたり、次はグアムに行きたいだたら、またこの店に飲みにこようなどと話して、夜は更けていった。


2009年11月20日に旅をした、しばらく前の旅をアップしました。

奇跡のリンゴ―生産性のアップとは偏りである。