月別アーカイブ: 2009年6月

わらじ少年、川海苔取りに行く。

わらじ少年が現在の家に住み始める前に、この家に住んでいた友達が今はシンガポールにいる。その友達が今週末に帰国するというので、わらじ少年は一緒に川苔山へ川海苔取りに向かった。

川苔山(川乗山)はわらじ少年が2年ほど前に行ったことがある山だ。川苔山という名の由来にもなっているように、この山では川海苔が取れる。川海苔とはそのまんま川にある海苔(ノリ)だ。海にある海苔の川バージョン。

友達が9時ぐらいに車で迎えにきてくれ、奥多摩へ向かう。途中、「へそまん」というまんじゅうを食べたり、梅みそラーメンを探してみたり、鳩ノ巣のギャラリーぽっぽで昼飯を食べるなど寄り道をして”いざ”川海苔取り。川苔山へ向かう登山道を歩き、川海苔がありそうな所を探す。

友達が川海苔取りをしたことがあるので、教えてもらう。川海苔先生だ。川の水が流れていて、日当りが良い石に着いているとのこと。川海苔先生とわらじ少年は登山道を降りて川へ。ツルツル滑る。


わらじをはく少年

ということで、わらじ少年が本当の草鞋(わらじ)少年になる時が来た。靴を脱いで、草鞋(わらじ)に履き替える。しかし、この辺りには川海苔がなさそうということで、山を降りる。

道路にいた交通整理のおっちゃんに聞くと、目の前の日原川で川海苔が取れるという。さらに、特定の石にしか川海苔は着かないらしい。赤茶色の石だけに。さらに、たくさん取るためには麻袋を広げて、石をたわしでこすって川海苔を取るらしい。よしよし、これはいい情報を聞いた。今回は麻袋もたわしもないので、とりあえず取れる場所と石の色を参考にしよう。


わらじ少年は川に入る

ボロボロの木でできたはしごをつたって河原へ。水が冷たい。まだまだ冷える時期だ。しかし、そんなことを忘れさせてくれるほど面白い。川の中をじゃぶじゃぶ歩き、石についている川海苔を探す。発見すると、川海苔先生がそのまま食べられるというので口に運ぶ。うん確かに海苔だ。水の冷たさにも慣れ、わらじのおかげであまり滑らない。


川海苔先生が川海苔発見!

川海苔先生とわらじ少年はさらに楽しくなり、上流へ下流へと川海苔を求めた。流れの強いところでは肩を組む。しかし、それでも無理そうであれば素直に諦める。石をよじ上り、小さな滝壺で水と戯れる。何とも楽しい。しかし、お目当ての川海苔は大量ということはなかった。残念。みそ汁にしたら1杯分といったところか。今度はもっと大量にとって、コッヘルなんかも持ち込んでみそ汁を作りたいと次回に向けての豊富を語り合った。


今日の収穫高はこれだけ

車で移動して良い場所を探していたら雨も降り出したので、今日の漁は諦め鳩ノ巣駅近くの一心亭という温泉?銭湯?へいく。冷えた体には気持ちがいい。足を伸ばして入ると最高だ。帰りは阿佐ヶ谷でホルモン焼き肉を食べ、川海苔先生とわらじ少年は役を全うし終えた。

Creative Writing ~80冊世界一周 幸福な読書への誘い~

走ったり、旅に出かけたり。
空を飛びたいと言ったり。
そんなことばかり書いているから、それらにしか興味がないと思われがちである。

もちろん、それだけではない。
これから半年かけて「書く」という行為と向き合っていくことにした。

幼少の頃を思い返せば「本」にも「書く」と言うことにもあまり深く接していない。しかし、大学入学と同時に一人で暮らすようになり、そして一人で旅をするようになった。その旅を通して「本」とも「書く」という行為とも親しくなった。旅に出て一人で居ると、やることがないからなのか本を読んだ。海外へ旅に出ると日本語が恋しくなるのか日記をつけた。それがきっかけで今ではほぼ毎日なんらかの本を読んでいるし、かなりたくさんのブログを書き続けている。本を読み始めたころは、有名な本にチャレンジしてみたり、ブログを書き始めた頃は思いつきだけで書き散らしたりもした。それは「本」や「書く」行為との付き合いが若かったからかもしれない。それから7年以上が過ぎて、「本」とも「書く」という行為とのつき合い方も熟成されていった。

今一度「本」や「書く」ことを見つめ直したいと考えていた。自分一人で完結していては独りよがりの自己満足な文章になりがちである。自分の書いた文章を責任を持って対外的に出して、外部の批評性にさらしてみたかった。そんなときに、クリエイティブ・ライティング講座を知ったのだ。coyote編集長であり、スイッチ・パブリッシングの社長である新井敏記さんが講師をする講座だ。こういった場に赴くことによって、書くということに真剣に取り組みたかった。

新井敏記さんは素敵な生き方をされているなと思う。自分が文章を書いて発表したいからという理由で出版社を作り、自分の好きな書き手や写真家の作品を掲載し、彼らと交流する。そして自身の会社の地下には本に囲まれた落ち着くカフェがある。そんな新井さんが作るcoyoteは好きな雑誌のひとつである。一冊の雑誌が持つメッセージに共感するし、一冊の雑誌が持つオーラのようなものが心地よい。もちろん、星野道夫さんであったり、植村直己さん池澤夏樹さん、柴田元幸さんといった、自分の好きな人々が特集される雑誌でもある。

もうひとつ受講した理由がそこにある。毎回特別講師がいらっしゃるのだ。今回はどなたが特別講師をしていただくのか分からなかったが、coyoteの方向性や第1回のクリエイティブライティング講座の特別講師(沢木耕太郎さん柴田元幸さんなど)をふまえると、今回も期待できそうであったので、申し込みをした。自分の好きな作家がどのような創作活動をしているのかを身近に聞くことによって、考えるきっかけや、文章を今までとは違った角度から見つめ直すことができる。大好きな文章を書く方に文章の書くコツを伺えると思うと楽しみだ。もちろん表面的なコツに止まらず、なぜ書くのか。自身にとって書くという行為は何なのか、何を伝えたいのかなどもお話できればと考えている。

現実的な話しをすれば5万円と言う安くはない受講料だ。ただ、誤解を恐れずに言えば「遊び」の感覚だ。プロだろうがなんだろうがどうでもいい。素敵な文書を書きたい。素敵な文書を書く人が好きだから。自分もそうなりたい。ただそれだけ。

文章は人を幸せな世界へ連れて行ってくれるのだから。

まずはやってみないと始まらない。
30人弱の講座は始まったばかりだ。

、、、それっほい理由を書いたが、そんなかっこいい理由なんて実はなくて、面白そうと直感で感じたから。
いつも何かするきっかけはこれだけ。
でもこの感覚けだけは信じて生きてゆきたい。
最終的に俺の全ての軸なんだから。

続報は後々書きます。

<クリエイティブ・ライティング>
第2回 クリエイティブ・ライティング
Creative Writing ~80冊世界一周 幸福な読書への誘い~
講師:新井敏記(「Coyote」「SWITCH」発行人)

表現とは何か、文章を書く、文章を読む、感動を伝える。読書は旅をする幸福に似ている。
第1回は、小説を読むことを通して表現の楽しみを味わうとともに、片岡義男、沢木耕太郎、 柴田元幸、下田昌克などの作家を招きながら、創作の現場を具体的にしていくことでも学んでいきました。
そして第2回では、実践的な授業を約半年間<全6回>行います。今回も第一線で活躍する作家陣を特別講師に迎え、「表現とは何か」について、より深化した考える授業を通して創作に触れたいと思っています。

■クリエイティブ・ライティング

 オリエン 6月6日(土)  新井敏記 オリエンテーション

 第1回  6月27日(土)  特別講師:是枝裕和(映画監督)「思い出の表現」

 第2回  7月25日(土)  特別講師:柴田元幸(翻訳家)「相手を理解すること、翻訳とエッセイ」

 第3回  9月26日(土)  特別講師:藤原新也(作家・写真家)「写真と文章、旅の表現」

 第4回 10月31日(土)  特別講師:池澤夏樹(作家)「創作の秘密」

 第5回 11月28日(土)  新井敏記「表現のまとめ」

*各回共に13:00~18:00予定
*講義終了後に懇親会(別途参加費)<19:00 ~ 21:00 予定>

■課題文

選考課題             「自分への弔辞」

オリエンテーション  6月6日(土)  「たったひとつの思い出を語る」「1冊の本を語る」

 第1回       6月27日(土)  『日々を見つめる。6月6日から15日まで、受講以後のあなたの新世界の十日間』

空を飛びたい。鳥人間コンテストに出るぞっ。

第33回鳥人間コンテストが2010年7月24日(土)、25日(日)に開催予定だ。

今年はTV番組制作費の削減から中止になったが、来年は開催予定。

一度でいいから鳥人間コンテストに出てみたかった。
小さいころから番組を見ていて、空を飛びたいな、と思っていた。
気持ち良いんだろうな。
自分の作った機体で空を飛ぶ。
夢です。

茂木さんが今日の日記にこんなことを書いていた。
「課題も夢も、20歳の頃から 何も変わっていやしない。」

まさに、そんな感じ。

説明会は2009年7月18日(土) 14:00~ 琵琶湖ビューホテルであるようです。
コチラもできたら参加したい。
まあ、説明会に参加できなくてもルールブックは取り寄せようと思います。
実際に審査をクリアして出場し、墜落せず飛ぶためにはとんでもなく大変そうだけど、まずできるところまでやってみようと思う。

鳥人間に興味がある人はぜひぜひご連絡ください!!
コメントでもメールでも電話でも直接でも。

http://www.ytv.co.jp/birdman/info2010.html

送信者 いろいろ

空を夢見る少年

過去の鳥人間コンテスト関連エントリー
あの青い空を飛ぶ日まで
感性フィルターの種類と順序
I believe I can fly
飛行気乗りになろうかな

ブルルン 奄美大島。最後は耐久戦。

前回の旅日記はコチラ「ひょいっと奄美大島」

昨夜 宿に何時頃戻ったかは分からない。
別に酔っていた訳ではなく、日常の生活から旅の中に入ったにすぎない。

起きたのは9時前だったと思う。シャワーを浴びて、宿のおっちゃんに1日1,500円でスクーターを借りる。できることならば、動力に頼らず歩きか自転車で廻りたい。しかし、島のサイズと滞在時間を考えると動力に頼るのがベストだと判断してのことだ。


奄美大島の海

昨日空港でもらった地図と居酒屋のおばちゃんにもらった地図を眺める。さて、どこへ行こう。宿の近くに大浜海浜公園という砂浜があるらしいので向かってみる。原付に乗るのも久しぶりなので、近い場所をターゲットにした。こういったところは慎重派だ。最初は少しばかり緊張したがすぐになれた。名瀬市内をすぎると車がまばらになるので、気楽に運転できた。


大浜海浜公園

しばらく走ると右手に海が見えたので立ち寄る。小さな漁港だった。船が数隻だけある静かな港。こういったところを見ると、奄美大島ってのどかだなぁと思う。奄美大島ってもっと大きくて都市化されているかと思ったら、そうではなかった。また原付を走らせると大浜海浜公園に到着。小さな山を越えると砂浜がある。中腹から海を眺めると絶景だ。青い海と青い空。この砂浜は西にメンしている、ということは夕日のスポットだ。今日の夕日を眺める場所の候補に入れておこう。それから砂浜に降りる。鹿児島からフェリーで来ていたライダーの兄ちゃんと話しをする。ライダーは奄美にけっこう来ているようだ。鹿児島から夜行フェリーで寝てれば朝には奄美に着くから。


熱帯っぽい

サトウキビをそのまま絞ったサトウキビジュース200円を飲む。植物の香りと土っぽい香りが強くかなり甘いのだが、後味は意外とさっぱりしていた。砂浜でのんびりした後は、金作原原生林へと向かう。原付で走る。途中から林道になる。山道を登る。最後は砂利道。ガタガタしながらやっと到着。雨がパラパラしたが、それだけだった。奄美大島の天気は乾きやすいのだろうか。雨よけ兼風よけのために雨具を着てきてよかった。スクーターで風を切って走ると寒いのだ。金作原原生林は確かに熱帯の植生だった。誰もいない原生林を歩いていると、道が分からなくなる。どっちの道だったっけ?ってな感じ。まあ、そんなことも楽しみつつ。


大きな葉っぱ

スクーターの場所まで戻り、山を下りる。しばらく進むと川があった。地元の人が川の中に入り何かを探している。魚かなーと思って聞いてみると、小さな貝を探していた。なかなか美味の貝らしい。おれも一緒に探していくつか見つけたが、川の水が結構冷たくてギブアップした。昼も過ぎ腹が減っていた。しかし、近くの集落に行っても飲食店はない。全くない。うーん。名瀬の中心地に行くか、大浜海浜公園に行くかしかない。腹がかなり減っていたので近くの大浜海浜公園へ。俺には似合わないおしゃれなレストランへ。テラスで海を見ながら食事をできる。こんなしゃれたところで食う必要はないが、ここしかない。こういった店は量が少ないことがネックだなー。


川で貝を探す


ランチ

ゆっくり海を眺めながら食事をして、お茶を飲みながら日記を書く。その後、砂浜へ。海水浴場の監視やぐらでボーッと海を眺めていたら、地元の小学生たちが遊んでいた。一緒に仲間に加わってはしゃぐ。やぐらによじ上ったり、少年を砂浜に埋めたりと童心に帰って遊ぶ。彼らは親しく話しかけてきて、純粋な笑顔で遊んでいる。人間の手本の様な存在だ。


砂に埋もれる子供


砂浜ではしゃぐ少年

彼らと遊び終わると、夕日のスポットを探して歩く。夕日の沈む位置を予測して、よさそうな場所を物色。いくつか場所を見つけて、移動しながら見て撮影しようと決める。サンゴの浜で寝転がって海を眺め夕日を待つ。徐々に太陽は低くなり、いい色に空が染まっていく。太陽はどんどんオレンジ色になり、肉眼でも見えるようになる。この旅の最初からこんな夕日が見れるとは幸せ者だ。太陽の上半分と下半分では色が違う。そんな違いも分かる太陽からは溢れ出すようなみなぎる力を感じて、ワクワクしてきた。そんな夕日を楽しみ、宿へ戻る。スクーターを返して、30分ぐらい歩いて市内へ。


夕日

昨日と同じ島唄居酒屋「かずみ」へ行こうと思ったが、近くまで行ったところでおばちゃんに声をかけられる。近所のスナックのママさんで、「何探してるの?」と聞かれたので、「飯食うところを探してるんですよ~」と答えると、「そこにある”いりふね”が安くておいしいよ」と。旅ではこういった流れに乗るのが楽しむ秘訣。ということで、いりふねへ行くことに。カウンターで一人ビールを飲み魚をたらふく食べる。上手い。それと、大将と話しを楽しみながら。

後から知ったのだが、俺がいりふねで飯を食っているときに友達がかずみで飲んでいたらしい。超ニアミスだ。驚き。偶然店を変更していなければ、ばったり会っていたのだ。なんとも偶然とはあるものだ。

ひとしきり飲み、食べ、フェリー乗り場へ向かう。まだまだ早い。出港は朝の4時だ。これから5時間ほど耐久戦だ。フェリーの真横の港で寝ようと思ったが、あまりにも時間がありすぎる。そこで近くのファミレスに行き、朝まで待つことにした。3時に乗船開始するため、少し前にフェリーとしまへ向かう。人はまばらだ。そんなことよりも眠たい。2等寝台で雑魚寝。しばらく寝たら朝にはトカラ列島だ。


フェリーとしま

旅日記の続きはこちら「目が覚めて、海の上にいる、そして島が見える。それは宝島。」

関連エントリー

トカラ列島の旅ルートに関してはコチラ。
トカラの旅 概要
トカラの温泉
トカラの朝日と夕日
トカラの神々

生き物として抵抗しはじめたんだ

しばらく前のこと、日曜の夕暮れの空を見上げながら、走っていた。

「何で走っているのだろう?」

今、走っている自分に対して、そんなことを思った。
昔は走ることなんてなかった。少なくとも物心ついた時から高校までは運動をしなかった。しいて言えば週に1回だけ幼稚園から小学校までの間通っていたスイミングスクールぐらいだろう。そんな少年だったので、運動神経が良い訳もなく、運動会も嫌いだったし、体力測定も嫌いだった。運動を好き好んですることは100%なかった。昔の友だちが、今の俺のマラソンの話などを聞いたら確実に驚くだろうし、人が変わったのではないかと思うだろう。

そもそも小さい頃の運動は集団競技が多いし、授業時間の関係上短距離や短時間の競技が多い。これが俺には向いていなかったとも言える。個人種目が好きだし、長距離が得意なのだから。ただ、小さい頃スポーツを特にしていない俺が自分で気づくこともなかった。

そんな俺が走りはじめた理由は、大学に入り旅を始めその延長でいろいろな経験をしたことだ。旅先では一人で何でも経験した。時間もあったし、自由もあった、ある程度のお金もあった。これは恵まれていて、感謝するほかないのだが、そんな環境があった。そんな大学の時代に、様々な体を動かす経験をしてその楽しさを知った。それがきっかけで、幅が広がって現在に至るんだと思う。マラソンもすれば、山も走るし、素潜りも、ひたすら歩いたことだってある。他にもスキューバ、スカイダイビング、シーカヤックなども。

ただ、それだけが理由ではないと思う。最近はマラソン大会がなくてもちょこちょこ走っている。これは、生き物として身体の衰えに抵抗しているんじゃないかと思う。無意識ながら抵抗している。その抵抗の仕方が、走るという行為である。そして、身体の能力を保っている気がする。振り返ってみると、体を動かしはじめたのは何もしないでいると身体能力が落ちる、この2、3年だ。生命として強く生き延びるために、必死で抵抗しはじめたのだろう。

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