幽霊たち ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

「ムーン・パレス」ポール・オースターをしばらく前に読み、他のポール・オースター作品も読んでみたいと思っていた。そして、オースター2作目は「幽霊たち」だ。
本屋に行き、オースター作品が数冊あって、「l孤独の発明」か「幽霊たち」でどちらにしようか迷った。惹かれた度合いでいえば、「孤独の発明」だった。しかし、最後の最後で「幽霊たち」を買った。何の気の迷いかは知らないが、本が薄かったからかついつい選んだというのが大きい要素である気もする。

最近は小説も読むようになったが、もともと小説が苦手、さらに外国人作家といったら登場人物がこんがらかってしまう。いくら、先日読んだの「ムーン・パレス」が好きでも、他の作品は読み切れないかもしれない。。。と思い薄い本にしたんだと思う。

幽霊たちのあらすじはこんな感じ。「ブルーという探偵にホワイトという依頼人が、ブラックという男を見張ってくれと来た。ホワイトはブラックの部屋の向いのビルをブルーにあたえ、見張らせレポートさせた。ブラックは文章を書いたりちょっと町に出るだけで、特に何もしないし、事件なんて起きない。ブルーは1年以上たち、ついにブラックの部屋に乗り込む。すると、ホワイト宛のレポートが山のようにあった。ブラックとホワイトは同一人物だった。」という話。

それにしても、この本のあとがきが良い。うまいこと言うなーと感心しっぱなし。

訳者あとがきに出てくる「どこでもない場所」「誰でもない人間」という言葉は、実にこの本を的確に表現しているなと思う。まさに、「どこでもない場所」「誰でもない人間」について書かれている本だと思う。本の中では場所も明確に設定されているし、登場人物の設定もしっかりしている。だけど、ストーリとして「どこでもない場所」「誰でもない人間」が表現されていて、その何者でもない場所・人間の存在の「当たり前の不確かさ」に心地よさを感じる。

「書くことの不安という」あとがきも、おおっと思った。よくこんなこと考えてるなーと。

不意に奇妙な疑問に捉えられるのである。この文章を書いたのは、ほんとうに私だろうか。確かにひとつの想念に捉えられていたのは私だ。その想念がひとつの文章になったのだ。だが、想念と文章とは正確に一致しているのだろうか。いや、そもそもかつて捉えられていた想念というものは、つまりいまでは文章から逆に遡って思い描かれるほかない想念でしかないのだが、それははたしてかつて私が捉えられていたというあの想念なのだろうか。そもそもその想念を私のものという根拠はどこにあるのか。いや、この作品を私のものという根拠はどこにあるのか。P142

自分でない人を見て、自分を見つめるという感覚。
何とも不思議な感覚になる。ごにょごにょと色々考え始める。

やっぱり、オースターが好きだ。
また、ポール・オースターの別の作品を読んでみたいと思う。

気になった言葉メモ

現在は過去に劣らず暗く、その神秘は未来にひそむ何ものにも匹敵する。世の中とはそういうものだ。一度に一歩ずつしか進まない。一つの言葉、そして次の言葉、というふうに。P7-8

p20-22 ブルーが今まで表面的な行動ばかりを行ってきて、内面を見つめることがなかった。何もすることがなくなり、初めて自分を見つめた。自分が見ているブラックが自分に見えた。という部分。意訳

機会を逃すことも、機会をつかむことと同様、人生の一部である。起こりえたかもしれないことをめぐって、物語はいつまでも立ちどまってはならない。P58

その男には私が必要なんだ、と目をそらしたままブラックは言う。彼を見ている私の目が必要なんです。自分が生きているあかしとして、私を必要としているんです。P94

あらゆるものに色があることの不思議さにブルーは心を打たれる。我々が見るものすべて、触るものすべて、世界中のすべてのものには色があるのだ。P96

「何のために俺が必要だったんだ?」というブルーの問いに、ブラックは、「自分が何をしていることになっているか、私が忘れないために」と答える。「君は私にとって全世界だった。そして私は君を、私の死に仕立て上げた。君だけが、唯一変わらないものなんだ。すべてを裏返してしまうただ一つのものなんだ」と。あとがきP141


[湖面に山が映る@ボリビアとチリの国境]


[西表島付近の海@迷宮に吸い込まれる海面](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/30 sec 絞り: f/6.3 焦点距離: 45mm)

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