日別アーカイブ: 2010/11/28 日曜日

使いみちのない風景

タイトルがいいじゃないか。

「使いみちのない風景」村上春樹著

文字通りタイトルを理解することも出来るのだけれど、この言葉はどこか逆説性を持っている。
そんな風に感じた。
もしかしたら、そう思いたかっただけかもしれない。

僕は、言葉、絵、写真、カタチある作品にも力を感じるけれど、そこにある風景と言うものに最も強く魅了される。
だから僕は何であろうと現地へと足へ運ぶのだ。

そんな考えを、こういうことでしょって、言い表してくれているのが星野道夫さんの言葉だ。

「子供のころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、様々な人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。」(星野道夫)

先日、夜中にこのタイトルに惹かれて、ついついamazonでポチット購入した。
写真が多く文章も少なく20分ぐらいで読み終えることの出来る本だった。
気楽に読むにはもってこいの本で楽しめた。

そんな本なんだけれど、読んでいると止まる場所がある。

 「移動するスピードに現実を追いつかせるな」、それが旅行者のモットーである。P36 

 これらの風景のひとつは、この場所にいたかつての僕自身と密接に結びついていることだろう。その場所にはある時代の僕の影が確実に落ちているし、僕の中にはその風景が確実にしみ込んでいるのだ。僕はそういう風景を記憶の引き出しの中にいくつもしまいこんでいる。
 僕は必要に応じて、そういう過去の風景をいくつもありありと思い出すことが出来る。それらの風景は僕の中に、いわばクロノロジカルに収められていると言ってもいい。
 僕は僕と言う人間が移動してきた軌跡の一部として、それらの風景を捉える。P50 

 それじたいには使いみちはないかもしれない。でもその風景は別の何かの風景にーおそらく我々の精神の奥底にじっと潜んでいる原初的な風景にー結びついているのだ。
 そしてその結果、それらの風景は僕らの意識を押し広げ、拡大する。僕らの意識の深層にあるものを覚醒させ、揺り動かそうとする。
 だからこそある種の風景は、たとえ現実的な有用性を欠いていたとしても、我々の意識にしっかりとしがみついては慣れないのだ。P96

 たぶん僕らはそこに自分のための風景を見つけようとしているのだ。少なくとも僕はそう思う。
 そしてそれはそこでしか見ることの出来ない風景なのだ。P104

 写真はそこにあったそのままのものを写し取っているはずなのに、そこからは何か大事なものが決定的に失われている。
 でも、それもまた悪くはない。
 僕は思うのだけれど、人生に置いてもっとも素晴らしいものは、過ぎ去って、もう二度と戻ってくることのないものなのだから。P108

目が止まる言葉には含みがある。
読んでいると、僕の目の前には思い出の風景が浮かび上がっている。
たうぶん、浮かび上がった風景も使いみちのない風景だろう。

送信者 ドロップ ボックス

# 使いみちのない風景
# 村上春樹
# 文庫: 145ページ
# 出版社: 中央公論社 (1998/08)

内容(「BOOK」データベースより)
僕らの中に残っているいくつかの鮮烈な風景、でもそれらの風景の使いみちを僕らは知らない―無数の旅を重ねてきた作家と写真家が紡ぐ、失われた風景の束の間の記憶。文庫版新収録の2エッセイを付す。カラー写真58点。
内容(「MARC」データベースより)
それ自体には使い道はないかも知れない。でもその風景は別の何かの風景に、おそらく我々の精神の奥底にじっと潜んでいる原初的な風景に結びついているのだ。エッセイと写真の美しいハーモニー。