日別アーカイブ: 2010/2/14 日曜日

「たったひとつの思い出を語る」「1冊の本を語る」

自分自身の体験から生まれた感情と一冊の本に書かれた感情が重なり合う時、強い共感をいだく。経験の内容は異なっていても、その経験を通して味わった感情が共通していることの方が大きな意味を持つ。

数年前に南米を旅した。小さい頃から地球の裏側という刷り込みがなされ、とってもとっても遠くにあると思っていた。もちろん地理的にはるか遠くに位置していることはまぎれもない事実である。ただ、飛行機に乗ってしまえば何もせずとも1日で着く。そんなこと頭では知っていた。しかしこの事実を自ら体験することによって、距離と言うものを錯覚しているということに気がついた。

文明の利器を使えば便利である。しかし、飛行機や自動車のスピードで動いているときに、人間の五感や脳は物事を細密に理解できない。だから距離の感覚を失ってしまう。もう一度距離を取り戻そう。そう思い日本に帰国後、東京の一人暮らしの家から岐阜の実家を目指して歩いた。地図も持たず西へ西へと。
日常の歩くという行為でも、ただ距離が長くなるだけで肉体的にも精神的にも全く意味の異なったものになる。

そんな後、植村直己さんの「北極圏一万二千キロ」を読んだ。犬ぞりで北極圏を1万2千キロ踏破した日々の出来事が細かく書かれている。距離も期間も環境も違う。ただ、一人で前に進み続けるという1点のみ共通していた。それは限りある永遠の中を目の前の一歩一歩を歩む行為。その行為から生まれてくる感情が共通しており、強く共感した。東京から毎日歩いた日々をなぞるかのように、そして自分が植村さんになりきって北極圏を犬ぞりで走っているような気持ちになっていた。

この文章はクリエイティブライティング課題として提出したものです。2月13日が植村直己さんの命日であることをしった。それは偶然手にとった母なる自然のおっぱい(池澤夏樹著)を読んでいたら、その日だった。

送信者 ALASKA 2009

年末に行ったアラスカ北極圏

送信者 ALASKA 2009

植村さんが姿を消した冬のデナリ

東京から歩いた道
北極圏1万2千キロ