月別アーカイブ: 2009年10月

食べ物の趣向と人の性格は似ているのか

食べ物の趣向と人の性格は似ているのだろうか。

油っぽいくどい食べ物が好きな人は、性格もギラギラしたキャラ。
あっさりとした食べ物が好きな人は、性格も落ち着いている。

年取るとあっさりしたものが好きになり、性格もあっさり淡白になる。さらに、辛いものを食べると元気が出るということもあるし、食べ物の趣向と人の性格は似ているというのは、何となく正しそう。食べると言う行為は動物にとっての最も重要で基本的なことであり、しっかり食べることは元気の源だし、まあ、当たり前か。

ただ、油ギッシュな者が好きな人や大食いな人はちょっと暑苦しいぐらい(笑)パワフルだなー、と思ったので。
もちろん、俺も大食いであることは言うまでもないです。(笑)

そういえば、人間(動物)って凄いなーと思うのは、体内で足りない栄養素があると、自然とその栄養素を含む食べ物を食べたくなる。それで、バランスが自動的にとれるようになっている。うん、スゴイ。

山野井さんの情熱

「死への恐怖」が「山への情熱」を上回るのは非常に珍しい気がする。
山野井泰史さんの山野井通信という10月16日の日記を読んでそう思った。山野井さんと親しい訳でもなく、本や雑誌で読んだり、テレビで見たり、ウェブの日記を読んだり、一度講演会でお話しを聞いたぐらいなので、あくまで俺の中での印象だ。

山野井さんと言えば小さい頃から飽くなき山への情熱をもちつづけて、今まで山に挑みつづけてきた方だ。ギャチュン・カン北壁の登攀で指を失っても、この登攀が良い登攀だったと冷静に発言し、その後も色々な壁に挑戦している。全く山への情熱が冷めることはないようだった。

ところが、今回のヒマラヤでは敗退したのにも関わらず悔しさがない、以前にも増して死ぬのが怖い、無事に家に帰りたがってたと日記に記している。これは非常に珍しいと思う。まあ、人間の心理の変化は起こることだし、あくまで俺ではなく山野井さんの人生であるので、俺がどうこう言う必要はない。ただ、山野井さんの情熱は何があろうと色褪せることのない情熱だと思い込んでいたので、あの山野井さんでもこんな風に思うことがあるのかと驚いただけだ。

そして、年齢が気になった。山野井さんはwikipediaを見ると今年で44歳である。植村直己さんも星野道夫さんも43歳ぐらいで亡くなっている。この年齢は男の厄年である42歳に近い。厄年だから何だとおも思わないが、やはり肉体的な変化、精神的な変化、社会的な変化などが重なり変化がある時期なのだろうか。この年齢付近というのが非常に気になる。なぜこの年齢付近なんだろうか?

送信者 いろいろ

色褪せないもの

過去に書いた山野井さん関連のエントリー
http://teratown.com/blog/2006/06/13/dhcaci-oaoaayoythyeyaeeeeaanaiyyeyythiiaeaue/
http://teratown.com/blog/2007/11/16/iiaeuo/
http://teratown.com/blog/2008/12/09/aaaoiuiaaiaee/

(09/10/16 e-mail)

ヒマラヤから1ヶ月半の旅を終え帰りました。結果は敗退です。
2年以上前から考えていたクーラカンリ北壁は雪崩の危険性が高いので、隣に鋭く聳えるカルジャン峰(7200m)に単独でアタックしましたが6300mを最高地点に下降してしまいました。
現在は奇妙な感覚です。今まで何度となく目標のヒマラヤの高峰に登れず悲しい思いをしてきたのに、今回は力を出し切ったわけでもないのに悔しさがほとんど無いのです。26歳からヒマラヤに通い、そして情熱を注ぎこんでいた思いがぷつりと切れてしまったのでしょうか。
山の状態も体調も悪かったので登れなかったのは仕方ないのですが、いつにもなく行動中に自分の能力に疑問を感じていました。また以前にも増して山で死ぬのが怖くて、無事に家に帰りたがっている自分は昔とは少し違っていました。ヒマラヤンクライマーとして終わってしまったのでしょうか。燃え尽きてしまったのでしょうか。確かに今でも登ってみたいフリールートやアフリカや南極の岩峰や山に興味がありますがヒマラヤはと言うと・・・
それでも荒々しい氷河、真っ青な空、巨大な山脈、それらから別れを告げることは出来るだろうか、はたして残りの人生をほとんどリスクを感じないクライミングだけで過ごせるだろうか、少し疑問が残ります。

それは夏のはじめのお話し。

今日は夏の初めの話し。
7月19、20日に岐阜県の石徹白にある白山中居神社の創業祭とキハダ取りに行った。岐阜に戻るタイミングで偶然にも友達が石徹白に行くという。それも白山中居神社の創業祭とキハダ取りとセット。これは楽しそうだと思い一緒に行くことにした。

岐阜から車で石徹白へ向かい、まずは白山中居神社の創業祭。白山信仰で有名な白山中居神社のはじまりを祝うお祭りだ。石徹白に住む少女が舞姫となり、「浦安の舞い」という舞いを神前で奉納する。続いて神社の神主さんも神様にお供え物を捧げ、祝詞を読み上げる。とても厳かな雰囲気の中で創業祭は執り行われた。こういった昔から続く文化をもたずに育った身としては、全ての動作に興味があって、食い入るように見ていた。

それからキハダ取りへ。キハダって何だろう?と思っていたが、友達が「水になった村」に出てきた、皮が黄色い木のことだよと教えてくれて、ああ、あれか!と分かった。キハダの木は皮を簡単に剥くことが出来てその皮の色が鮮やかな黄色なのだ。この皮は薬として使われたり、染色の原料として使われる。山の中に入って、地元の人がチェーンソーでキハダの木を切り倒し、僕らは木の皮をむく。手で比較的簡単にズルッズルッと皮をむくことができた。キレイにむけた時は気持がよかった。その後、上村彦左エ門というお宿に。宿へ戻っておいしい食事をいただく。やはり山の幸はうまい。石徹白の静かな夜道をふらりと散歩したり、友達と語らいながら夜は更けていった。

翌朝、目を覚ますと空気の澄んだ一日が始まっていた。空気が気持よく、さらに天気もよく、なんと清々しいのだろうかと思った。何度も石徹白には行ったことがあるが、こんなにもこの集落がいいなと思ったのは初めてだった。朝、一人で道を歩いていると、なんだかそれだけで幸せになってきた。青い空、周囲の山、田畑、水路を流れる水、そして適度な空間をおいて家々が並ぶ。なんともいい所だ。今まで行った日本の田舎の中でもベストだと確信した。

それから、昔からあるお家の中を拝見させてもらう。今もその家に住んでいるおばあさんにお話を伺いながら。2階に上がると、神様の部屋が2部屋あった。先祖様の神棚がある部屋と白山の神がまつられている神棚の部屋があった。非常に興味深い文化だなと実感した。節分の儀式の時は神様の部屋から福は内をして、ふすまを閉めて行く。全ての部屋を終えると鬼は外をするらしい。こういった部屋の作りには背景があって、季節ごとの行事とも密接に関係していることに、文化の奥深さを実感した。白山信仰を広めるために日本中を回って「オシ」と呼ばれる木のハンコを押して回った話しを聞いたり、そのオシを見せていただいた。お日待ちとお月待ちの儀式についても。

おばあさんは自分はできるだけ先祖から聴いた行事を続けるけれど、息子には押し付けることはしないだろうと話した。ただ、続けてくれたらうれしいなとも付け加えていた。これが現実であり、今までずっと続いてきた文化が途切れるから何とか続けてほしいとは言えない。若者が石徹白に住みつづけて年間の行事を続けることはそう簡単なことではない。もちろん無責任に僕が何かを言えることではない。

その後、古い物資料館を見せてもらい、川で水遊びをして滝を見て帰路に。帰る途中にある阿弥陀ヶ滝へより昼食を食べて岐阜に戻った。

※実は5月に行ったトカラ列島の旅日記は書きかけで止まっている。旅をしている間もノートに日記を書いていたので、デジタルで再度書かなくてもいいかなと思っているから、筆が進まない。さらに9月に行った鹿児島の話しも何も書いていない。。。書きたいけど溜まる一方。日記を書くスピードと旅をする頻度のバランスがとれていない。今年中には書き終えよう。

紅葉の安達太良山を歩く

紅葉を見に行こうと、安達太良山(福島)へ。今年の夏に鳳凰山へ行ったり冬には雲取山に登った友達と一緒だ。先週はハセツネで山を走ったが、今週はゆっくりと紅葉を楽しみに。山に紅葉を見に行くのは2年前の赤岳以来だから、かなり久しぶりで楽しみにしていた。ちょうど紅葉の盛りだといいなと願いながら福島へと向かった。


登山口


輝く葉

今回はいつもと異なり車で向かう。いつもは電車とバスを乗り継いで行くことが多いが、高速道路が1,000円ということもあり、友達が車で行こうと誘ってくれた。土曜から日曜に日付が変わるころ、友達が家まで車で迎えにきてくれた。阿佐ヶ谷から向かうのは福島。仕事の話し、ハセツネの話し、シルバーウィークに友達が9日間の北アルプス縦走をした話しなどなど近況を話しながら、福島を目指した。ETCだと高速道路は1,000円とニュースでは知っていたが、実際に「料金は1,000円です」というETCのデジタル音声を聞くと、おお、本当だと改めてその安さに驚いた。


地面に落ちた葉

コンビニで朝食と昼食用としてお茶とおにぎり、弁当を購入。車に乗っているときは雨がパラパラ降ってきたが、到着してみると満点の星空で明日の天気にも期待がもてた。そして、4時30分頃、安達太良山奥岳登山口駐車場に到着し、睡眠。夜はちょっと寒かったが車の中で熟睡できた。一度6時に目を覚まし、再び寝た。そして7時に起き、朝食。それから登山開始。


大きな一枚岩?


鮮やかな木の実

登り始めると落ち葉が地面に積もっていたので、すでに上は紅葉が終わってしまっているだろうと話していた。しかし、上に行くと低いところよりも紅葉の色合いが鮮やかだった。普通は上の方が寒いので紅葉が早く終わっているはずなのに、逆転現象が起きていた。なぜだかは分からなかったが、結果的に紅葉を存分に味わうことが出来た。

登山道は馬車道という名前だけあって、馬車が通った道のようで非常に歩きやすくハイキング気分で登ることが出来たし、霧が出たかと思ったが、上に登って行くと雲ひとつない青空になりラッキー。色とりどりの紅葉が青い空に非常に映えて美しかった。ちょうど良い時期に安達太良山に来ることが出来て、とてもルンルン気分に。目の前の紅葉は鮮やかで、遠くに見える山肌の紅葉は絵の具を落としたように色とりどりで、様々なタイプの紅葉を楽しむことができた。頂上付近にはすすきもはえていて、紅葉の中ですすきがキラキラと光っていた。


青空と岩


噴火口

頂上に着くと火山で出来た大きな噴火口があった。この噴火口には圧倒された。山が大きくえぐり取られていた。そして、その周辺は硫黄の匂いが漂っていた。いったん鉄山へ行き、頂上から噴火口や紅葉の風景を眺めながら軽く食事をしていると、安達太良山に人影が増えている。いつの間にこんなに人が!と驚くほど人で溢れていた。ロープウェイもあるので、それに乗ってきている人が大量にいるようだった。鉄山から安達太良山へ歩を進め、安達太良山の頂上を制覇すると、あまりにも人が多すぎたので下山することにした。


1年中で一番 鮮やかな山

それにしてもコンビニに行くような服装で来ている人がいたり、「頂上に自販機ないの?」と言っている若い女の子がいて驚いた。都会で生活していると、自然を人間が支配しコントロールしていると勘違いして育ってしまうのだろうと、それが当たり前で疑問にも思わずに日々の生活を営んでいるのだろう。そんな人々を生み出す都市社会のあり方に疑問と憤りのような感情を覚えた。それにしても、そういう人がたくさん育つ日本の教育というか社会は非常におかしな状態だなとつくづく問題に感じた。


紅葉全景


山肌の紅葉

そんなことを感じ、友達と話しながら下山した。帰りは温泉に入りさっぱりした後、うどんを食べて帰路についた。3時15分頃に安達太良山の麓にある岳温泉街を出発した。帰りは渋滞に巻き込まれながらもミスチルのCDを聞き、懐かしいねと昔のことなんかを話しながら、とんでもない大声で合唱しながら東京に戻った。想像以上に紅葉を楽しんだ安達太良山の山歩きになった。季節を感じて、その時にしか味わえない山に出会えるのはとても楽しいことだ。

2009/10/18


帰りに食べたうどん

紅葉の安達太良山登山概要
2009/10/17-18
安達太良山(福島)

アクセス:レンタカー
持ち物:バックパック
    雨具
    登山靴
    水
    おにぎり
    行動食
    ヘッドライト
    カメラ
    交換レンズ
    地図
    
※車で行くときは
    ガム
    CD

※帰りに温泉
    タオル
    石けん
    着替えの服
    着替えの下着
    歯ブラシ

この一週間思っていたこと「走りたい」

ハセツネで72キロほど走り終えたばかりだというのに「走りたい」。
長距離を走った後は体が走る体質になっていて、うずうずして走りたくなることが多い。道路を走るよりもせっかくなら、走りやすい山を走りたい。

アミノ酸系のドリンクなどをうまく摂取して筋肉疲労が残っていないのと、サポートタイツやサポーター、テーピングの効果もあるのだろう。
足など体への負担が少なかったというのも、走りたくさせる理由なんだろう。

次ハセツネに出る場合は15時間以内、その次は13時間台を目指したい。13時間台までなったら、ほぼ時間の短縮は不可能になるだろう。

それにしてもなぜ走るのだろうか。なぜ走りたくなるのだろうか。
普段の生活ではあまり体を動かすことがないので、走ると少しの疲労で清々しくなるから。道具とかを使うスポーツよりも、体ひとつで出来るスポーツの方が自然と一体化できて心地よいから。

そして、何よりも「解き放たれた時間」を持てることが大きい。普段の東京での生活は雑事が多い。部屋で一人でいても本があり、ネットがあり、携帯電話という誘惑がある。色々なところで色々なことが起こり、自分にも影響する。色々な人がいて、その関係の中で生きている。走っている時間はそういったモノから「解き放たれた時間」になる。誰からも話しかけられることもなければ、何か出来事が影響することもほとんどない。フルマラソンであれば4時間は何にも邪魔されることもなく自分一人の時間を使える、ハセツネであれば16時間という長い時間を邪魔されることなく自分で好きなことを考えていられる。これはなんと幸せなことだろう。

それに走っている間は普段考えることがないようなことを考える。普段の生活で直面しているようなこととは切り離されたことを考える。ずっと先の将来のことであったり、抽象的なことだったり。こういうことを考える時間はそんなにないから、非常に大切な時間となる。自然と紙もペンも、ましてやレコーダーやノートパソコンもないから書き留めておくことも出来ない。書きためることができないからこそ、気楽に脳の中であれやこれやと考える。

一人で辺境の地へ旅するのも、山へ登るのも少なからずこの理由が影響している。

話しを戻して、今僕は走りたいのだ。それで1月の宮古島ウルトラマラソン(100k)に出ようと思いたち申し込みのためにサイトへいったら、既に定員に達して申し込みが締め切られていた。だから、5、6月にあるウルトラマラソンに出ようと思う。そのためにも、エイドなどがしっかりしていて好きな大会である3月の荒川市民マラソンで体を慣らそうとおもって、今調べたら今日ちょうど定員で締め切り。。。ついてないな。最近のマラソンブームが早く終わらないかなー。そうしたら、申し込み開始日を調べてスタンバイして申し込むなんてこともしなくて良くなるのに。

締め切りが終わったのは諦めて次へ思いを馳せる。

来年の6月あたりに100キロのウルトラマラソンに出たいな。
トライアスロンもやってみたいな。
ハセツネよりも長距離のトレイルランニングも出たいな。
いつかはスパルタスロンとかサハラマラソン、ゴビ砂漠マラソンも出てみたいな。
サハラマラソンはお金がかかりすぎるので、近いゴビ砂漠マラソンかな。

高橋尚子さんが駆けっこが好きと言っていたけど、まさにそんな感じで走りたいと体が訴えかけてくる。

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