月別アーカイブ: 2009年11月

辛くもあり幸せな表現の旅を終えて

正直なところ、終わってホッとした。何とかここまでたどり着いた、そう思った。

クリエイティブライティングの講座が始まって半年間はなかなか大変だった。書くことがこんなにもしんどい行為だと初めて知った。今まで文章を書くときは自分の思いついたことを、好きなように書いているだけであった。しかし、今回はテーマを与えられ、期日までに提出する必要がある。さらに、その書いた文章を受講生の前で朗読し、coyote編集長の新井さんからアドバイスを受ける。自分の書いた文章をその場で発表し、講評を受けるというのは最も刺激的な場であった。もちろん、テーマも一筋縄ではいかないような課題が出されつづけた。

思うように書けない。書くテーマをいろいろと考えてもこれだというものがなく、ああでもない、こうでもないと考え続ける。するとすぐに締め切りはやってきてしまう。電車の中でも走りながらも何を書くかを考えていた。締め切りがやってくると、どうしても書かなければいけないので、候補の中から最も良いと思われるもので書き始めた。2回ほど締め切りを守れなかったこともある。自分の書いた文章を朗読するので、書き終えてから声を出して読み返すことをした。しかし、本番となると上手く朗読できない。

こんな感じで、納得のいく文章は書けなかった。特に今回のクリエイティブライティングで、自分の中で納得がいっていないコトが5点ほどある。

文章表現、構成、展開、場面設定などのテクニックがないのは周知の事実だが、ないなりに推敲が足りないと毎回感じた。時間にゆとりを持てずに、中途半端なまま提出することばかりだった。もっと、もっと何度も推敲した上で、考えて練った上で文章を公にできればと思う。そして、読み返すだけではなく、口に出して何度も読み上げるといいと思った。

自分の内面を逃げずに何処まで掘り下げれるのか。その掘り下げ度合いが浅くて、内容的に深みのない文章になることがあった。自分にもっと批判的なもうひとりの自分を設定して、徹底的に中に入り込んで行きたい。

書き方のパターンがいつも似た感じになってしまう。始まり方、終わり方がいつも同じで、メインの展開も似ている。様々な本を読んで、今までに書いたことがないパターンにも挑戦していきたい。

文章が全体的に硬い。文章が硬くて肩が凝りそうになる。もっと柔らかく、しかし崩れていないような文章を書きたい。そうすると読み手や聴き手にすんなりと入ってくると思う。

最後に、自分が思っていることを、うまく伝えることが出来ていないと感じた。自分が伝えたいことを出来るだけ読み手や聴き手に的確に伝える。どうしても伝えたいことを明確にして、それを伝えるにはどうするのが一番良い方法なのかを考えつづけて表現したい。

ということで、いつも不完全燃焼だった。自分というものが何も伝わっていないなと感じていた。それは、僕が自分自身を文章で表現出来ていないのが理由だった。

最終講義では自画像をテーマにした文章で、走ることを書いた。最後も自分の言いたいことは表現できなかった。ただ、自分の書いた原稿を朗読し終えてから、新井さんにいくつか質問された。「なぜ、走るのか?」そんな質問に答えている時に、自分の思っていることを少しばかり話せた気がした。

僕が答え終わると、新井さんは「書くという表現じゃなくて、走ると言う行為がお前の表現なんだな」と言われて、自分の一方的な思い込みではなくて良かったと感じた。自分が考えていること、自分でも自分を最も表現できていると思っていることで、新井さんは僕を理解してくれた気がした。そしたら、もやもやしたものがスッと晴れ渡った。納得のいっていない文章を読まなければならないので、最後の講義も行くのが嫌だなーと思ったけど、最後までこの旅をつづけて、半年間自分を見つめつづけて良かったなと思える日だった。やっぱり逃げちゃならない。

クリエイティブライティングはとても暖かい場所だった。そんな場所で様々なアドバイスをいただいたので、そのアドバイスを宝物として、今後の表現に活かして行きたい。ただ、12月19日にまだ「For get me not」という持ち時間5分で自由に発表する場があるのと、池澤夏樹さんの会が補講である。まだ、この表現の旅は続いて行く。

最後に、卒業にあたり新井さんからメッセージを頂いた。

「旅を遊びととらえる君の位相が
 とても魅力的に映る。
 さらなる自由を。

      クリエイティブライティング2009 卒業 
                    新井敏記」

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課題
 選考課題       自分への弔辞」

 オリエン 6月6日(土) 「たったひとつの思い出を語る」「1冊の本を語る」

 第1回  6月27日(土) 「 日々を見つめる。6月6日から15日まで、受講以後のあなたの新世界の十日間」

 第2回  7月25日(土)  「インタビューの実践―相手の心を開いて言葉を聴く」

 第3回  9月26日(土)  『紀行文』

 第4回 10月31日(土)  『紀行文』

 第5回 11月28日(土)  「自画像」

講師
 オリエン 6月6日(土)  新井敏記 オリエンテーション

 第1回  6月27日(土)  特別講師:是枝裕和(映画監督)「思い出の表現」

 第2回  7月25日(土)  特別講師:柴田元幸(翻訳家)「相手を理解すること、翻訳とエッセイ」

 第3回  9月26日(土)  特別講師:若木信吾(写真家・映画監督)/スミン

 第4回 10月31日(土)  特別講師:藤原新也(作家・写真家)「写真と文章、旅の表現」

 第5回 11月28日(土)  新井敏記「表現のまとめ」

トビウオが空を斬る理由

トビウオが空を飛ぶ。

体がうずうずした
海にいるのに飽きた
ちょっと空気に触れたかった
空を飛ぶのが好きだ
空の世界を感じたかった

多様な理由や、理由なき理由がある。
ただ何となく、人が寝返りを打つように。
それが生き物が生きているということなんだと思う。

今もどこかでトビウオは空を飛ぶし、
友達はどこかで小説を書くし、
まだ見ぬ人はどこかでお酒を飲むし、
俺はどこかで写真を撮る。

たぶん。そう。
どこかで何かをしながら、一本の糸をつたっていく。

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中学からの友達と久しぶりに飯を食った。
二人でじっくり話すのは何年ぶりだろうか。
10年前にオーブントースターでフライドポテトを焼いて食べたことが懐かしかった。

下甑島探検隊。出動!

前回までの旅日記はコチラ「こうやって行き先は変わってゆく。」

下甑島探検隊。出動!

昨日会ったバスの運転手さんが今日は仕事がないというので、朝から下甑島をぐるぐると車で案内してくれた。こういった島はタクシーもないし、バスの本数は少ないので、車じゃないと難しい。しかし、レンタカーもないから地元の人に連れて行ってもらうのが一番良い。偶然にもこんな方に出会えてよかった。それにしても下甑島の手打集落に住む人々は本当に親切だ。

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下甑島の集落周辺はすでに回っていたので、もう少しマニアックな場所と中甑島を巡ることになった。バスの運転手さんも一人では行かないけれど、興味がある場所がたくさんあるらしく二人で下甑島探検隊のように巡った。

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まずは経塚。次は薩摩半島眺望の丘。瀬尾滝。この滝は3段になっており、上から下から場所を移動して見学した。バスの運転手さんが小学校の遠足で来たときは、滝までの道がまだ舗装されていなかったと、懐かしい話しを聞きながら。それから牧場があり、いくつかの牧場を巡っていると、牧場の入り口に迷い込んでしまった。するとそこに酪農家兼甑島の良いところを発信するNPOのおじちゃんに遭遇。おじちゃんは甑島にやってくる鳥を撮影していた。珍しい鳥なんだと言う。そんな鳥の話しや、島の話しを聞いたりした。

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まだまだ続く。隠れ念仏の跡。ここは道もない山の中にあったので、雑草やクモの巣をかき分けながら山を登って到達した。こんな山の中の行きづらい場所で隠れ念仏を唱えていたと思うと、非常に信仰心が強かったことに驚かされた。そして、それだけ弾圧が強かったことにも。

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下甑島と中甑島のつなぎ部分を眺められる丘から中甑島を眺め、貸間断崖という断崖絶壁と青く輝く海を眼下に見た。そして隠れ念仏発祥の地へ。この場所は非常に眺めが良い場所にあった。ここは夕日が非常に美しく見える場所のようで、念仏には太陽への感謝の意味も含まれていたことだろう。最後に鳥ノ巣山展望台へ。ここからの眺めも抜群であった。

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それから鹿島港まで送って頂いた。バスの運転手さんは用事があるようで、お礼を言って別れた。フェリーニューこしきに乗船し、上甑島の里港へ。甑島の中で一番大きな町だ。フェリーを降りてから民宿を探す。「かねきや」という民宿でお世話になることに。民宿のすぐ裏に静かで綺麗な浜があった。そこで寝転がりながら、本を読んだり考え事をしたり。今回の旅でも良く夕日を見ている。この浜は宿からも近いし、静かだし、綺麗だし、夕日が綺麗だ。こんなにも条件が揃った浜も珍しい。

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ゆっくりと夕日を眺めた後、宿に戻って食事。チャリダーのおっちゃんが一人出来ていたので、一人旅同士で一緒に飯を食い飲むことに。宿の料理は魚もうまく、ボリューム満点だった。チャリダーさんは熊本から自転車に乗り、鹿児島経由でフェリーで甑島に来たようだ。その後、また鹿児島に戻り、四国へ渡るとか。会社の同僚が甑島出身で良い場所だと聞いたので、訪れてみたらしい。凄い移動距離だなーと思いながら、チャリの旅も楽しそうだなーとも思って、チャリ旅について伺いながら夜はふけていった。

旅日記の続きはコチラ「流れ着いた島にさいなら」

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それでもJALに乗る日本国民の意識と俺

JALの経営危機が話題になっている今日この頃。資金がショートして燃料費や給料も支払えなくなるかもしれないとも報道されていた。普通の会社ならつぶれていてもおかしくない状況なんだろう。

しかし、JALのテレビコマーシャルは有名芸能人を使い放映されている。航空会社なんて日本には実質的に2社しかない。だから、そんなにも広告が必要とは思わないし、いわんやこんな状況なのに。さらに安全に関係ない部分でのコスト削減も最大限の努力がされているとも感じづらい。機内のドリンクだったり、機内誌だったり。削減コストは微々たるものだろうけど、その積み重ねがされているとは考えづらい。

ただ、一方で思うこともある。いつ飛行機が飛ばなくなってもおかしくないはずなのに、国民はJALに乗り続けている。飛行機が飛ぶものと思い、航空券を予約し、飛行場へ向かう。そして飛行機に乗れると思っている。国民も国がなんとかしてくれると安心しきっているからこそ、このような行動をとるのだろう。国民はいくら危機だと報道を聞いても、最後はJALをお国がすくってくれると信じきっている。

JALや国民の行動の背景には、政治家や役所が地方各地に100あまりの空港を作り、その路線を就航させていたというコトがある。それだけ癒着していれば、JALは国に助けてもらえると思うのは当たり前だし、国民もそのように暗黙のうちに判断するのも当然だろう。国民、JAL、国はそんな関係なんだなと、そんな風に日本という国は今まで成り立ってきたんだろう。この問題に限らず3者が変わらなければならない時期だし、変わる時期なんだろう。

こんな事を言いつつ、そんな満席のJAL機で俺も沖縄に行ってきた。だからこそ、機内でこんなコトを考えたのだろうけど。

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水への恐れ

1万回は水で顔が濡れただろう。

朝起きて顔を洗い、夜にお風呂で顔を洗う。1日2回。356日、25年。夏は何度も顔を洗うから、今までに1万回ぐらいは顔を洗っているだろう。

1万回もしたことがある行為というのも珍しい。これだけの回数を重ねれば習慣となり、特に意識する事もなく、朝起きて服を着替えるように自然に行っているはずである。

ただ、どうしても慣れない事がある。それが顔を水で濡らす瞬間である。朝、顔を洗う前に少し躊躇する。夜お風呂で顔を洗う時に躊躇する。

水に濡れる恐れがある。足や手などが水に濡れても恐れる事はなく、気になる事があるとすれば乾かすのが面倒だということぐらい。ただ顔に関してだけ、1万回も洗っているにも関わらず恐れのような感情がなくならない。なぜだろう。顔を洗っているときは周囲が見えない、その時に何かあったらという恐怖なのだろうか。視覚は生きる上で非常に大切な感覚である。その目に何かが入るということ自体に失明のリスクを感じているからなのだろうか。

ほとんど無意識のうちに目に水が入ることを恐れる。とは言っても、海も川も大好きだ。潜るのも大好きだ。水への恐怖は幼少時代に克服しているはずなんだけど、本能が躊躇する。

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そんなことを最近よくプールに行くようになって思った。プールに行くようになった理由といえば阿佐ヶ谷な友達Goさんがプールに通っていて、それに連れて行ってもらったのがきっかけ。東京体育館のプールって聞くと、早い人だけが泳いでそうなイメージがあって、一人では行こうと考えたことがなかったが、一度連れて行ってもらうと雰囲気が掴めて行きやすくなる。実は昨日も今日も泳いできた。久しぶりに泳ぐと、泳ぐのがしんどかったが、このところちょくちょく泳いでいると体が慣れてきて、泳ぐのが楽しくなってきた。トライアスロンに出る日も近いか?!現実的なことを言えば最難関のチャリがあるから、もう少しかかるかな。

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