何事にも「旬」がある。
これって、難しい。そしてすごい重要。
旬ってやつだ。嗅覚で旬を感じ取る。
旬、旬。何が旬かいねー。
何事にも「旬」がある。
これって、難しい。そしてすごい重要。
旬ってやつだ。嗅覚で旬を感じ取る。
旬、旬。何が旬かいねー。
ということで、写真を展示しています。23日から6月4日まで中野で。
土日はいる可能性が高いです。電話かメールか何かくれればいるのでヨロシク。
ついでに、中野で岐阜出身の店主がやっている居酒屋があるので、夕方ぐらいだったら、それからのみのでも行きましょう。
旅先のいろいろな話つきです。話が長くていらない場合は対応可能です 笑
「旅の写真展」
日時:5月23日から6月4日
12時~20時30分(金曜のみ22時まで)
場所:una camera livera
中野区中野2-12-5 メゾンリラ101
アクセス:中野駅徒歩五分
定休日:月曜
地図:http://www.unacame.com/access.html
自分は自分に興味がある
なぜか?
自分で書いた文章や日記はなんの迷いもなく読む
他人が全く同じものを書いていても読まない可能性もあるし、同じでないときはいか
なるものか確かめてから
当たり前すぎるけどおも白くあり不思議なこと
いま生きているという冒険 http://teratown.com/blog/2006/05/07/thaaeeeea/ という石川直樹さんの本。その関連の話を聞いて書いたブログがこれだった。
このとき、彼はひたすら「人間と動物が何も介さずに入れ替われるという」「一つのものから全体が見える」といっていた。
今日、星野さんの文章を読んだら、同じだった。
「木も、岩も、風さえも、魂をもって、じっと人間を見据えている。ぼくは、まるでひとつの生命体のような森の中で、いつか聞いた、インディアンの神話の一節を、ふと思い出していた。」(星野道夫ノーザンライツ)
「われわれは、みな、大地の一部。おまえがいのちのために祈ったとき、おまえはナヌーク(シロクマ)になり、ナヌークは人間になる。いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。そのとき、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもよいのだ。」(星野道夫ナヌークの贈りもの)
これは、ある一つの答えなのかもしれない。
この答えが完全に正解だとか、そういった次元のことを言っているのではない。
ついでに、星野さんの言葉ピックアップ多くの選択があったはずなのに、どうして自分は今ここにいるのか。なぜAではなく、Bの道を歩いているのか、わかりやすく説明しようとするほど、人はしばし考え込んでしまうのかもしれない。誰の人生にもさまざまな岐路があるように、そのひとつひとつを遡ってゆくしか答えようがないからだろう。
(『星野道夫著作集3』、一四〇頁、「旅をする木」より)町から離れた場末の港には人影もまばらで、夕暮れが迫っていた。知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定をたてなかったぼくは、これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない……それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。
(『星野道夫著作集3』、一四二頁、「旅をする木」より)
さあ、もうひとりぼっちだと思うと、自分で自分を元気づけたくなる。とともに、それとは裏腹の、叫びだしたいような解放感があった。
(『星野道夫著作集1』、五一頁、「アラスカ 光と風」より)ぼくは、“人間が究極的に知りたいこと”を考えた。一万光年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ、人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来へ向かい、何の目的を背負わされているのかという人間存在の意味……そのひとつひとつがどこかでつながっているような気がした。
けれども、人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るのだろうか、それとも失ってゆくのだろうか。そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それを知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか。
(『星野道夫著作集4』、八四頁、「森と氷河と鯨」より)ボブは、現実の世界では見えにくい、不可解な世界の扉を少しずつぼくに開いていた。それは“ビジョン”と呼ばれる体験、すなわち霊的世界の存在だった。(中略)偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか、それは人間存在の持つ大切な何かに関わっていた。その大切な何かが、たましいというものだった。
(『星野道夫著作集4』、五〇頁、「森と氷河と鯨」より)「その土地に深く関わった霊的なものを、彼らは無意味な場所に持ち去ってまでしてなぜ保存しようとするのか。私たちは、いつの日かトーテムポールが朽ち果て、そこに森が押し寄せてきて、すべてのものが自然の中に消えてしまっていいと思っているのだ。そしてそこはいつまでも聖なる場所になるのだ。なぜそのことがわからないのか」
その話を聞きながら、目に見えるものに価値を置く社会と、目に見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは思った。そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。夜の闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、より根源的であるように。
(『星野道夫著作集4』、二六頁、「森と氷河と鯨」より)
が、私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、なかなか見ることの出来ない、きっと一生行くことの出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。そこにまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。
(『星野道夫著作集5』、一二九頁、「ノーザンライツ」より)
物語の風に吹かれながら、ある想いが心の中にふくらんでいた。ワタリガラスの伝説を捜しに、シベリアへ渡ろうと思った。
(『星野道夫著作集4』、一一八頁、「森と氷河と鯨」より)
(『星野道夫著作集4』、一一八頁、「森と氷河と鯨」より)
写真を少し展示するだけなのに。悩む。
好きな写真をタダ選ぶだけなら簡単。でも、それじゃ何の面白みもない気がする。どうせなら、何かテーマと言うかコンセプトが欲しい。ついでに、全体としても個としても美しさを保ちたい。
数ある中から選んだ写真だからどれも好き。どれも展示して見て欲しい。でも、そんなのばかり集めたら全体としてのバランスが崩れる。ごちゃごちゃだ。そこで、コレはと言うものがあっても、全体に反するような奴だったら排除しないといけない。そうしないと展示全体としての価値と言うのが相当落ちる。表現されたものだけが、その人の実力のすべてではない。だいたい3割ぐらいしか、表すことができない。とはいいつつ、他者にとってはそれがすべてなんだよな。
そういったときに、どんなテーマにするか、どんな軸か、どんな切り口か、まあ、そういったものが重要だ。この、テーマをどうやって選ぶか。そこが最大のポイントだ。たぶん、自分が旅をする理由だったり、旅で一番ワクワクすること、旅で一番好きな地域、そんな感じが言いと思う。そこで選ばれた写真は配置、展示の仕方によってイメージがまた違ってくる。そこも重要。そして、その展示をどんな人にどうやって知らせるか。
なんだろう、何にでも共通することなんだろう、それにこういった思考パターンはよく考えることなんだけど、今回は何か違う気がした。これを突き詰めることこそ表現行為なんだろうかな。
「旅の写真展」
日時:5月23日から6月4日
12時~20時30分(金曜のみ22時まで)
場所:una camera livera
中野区中野2-12-5 メゾンリラ101
アクセス:中野駅徒歩五分
定休日:月曜
地図:http://www.unacame.com/access.html