月別アーカイブ: 2006年5月

2005-01

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January 30, 2005
心躍るモルモット
昔ソニーがモルモットと馬鹿にされた。その切りかえしが井深さんのすごいところである。

「ソニーは、東芝のためにモルモット(医学などの実験用動物として使われる)的役割を果たしたことになる 中略 確かに『モルモット』かもしれないが、日進月歩の電子工業の世界にあって新しい製品を産み出していけるのは、ソニー自身がすぐれた技術力と社長以下全社一丸となったチームワーク、そして実行力を持っていたからだ。それを抜きにして、大会社と比較されたのではかなわない。 中略 私どもの電子工業では常に新しいことを、どのように製品に結び付けていくかということが、一つの大きな仕事であり、常に変化していくものを追いかけていくというのは、当たり前である。決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業と成りうるものが、いくらでも転がっているのだ。これはつまり商品化に対するモルモット精神を上手に生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ」

体が浮かび上がるような気持ち。
心躍る。

僕が望む、自分の姿は心躍るモルモットなのかなとも思う。
僕が思うかっこいい人は、近くにいたら困る人。結構原理主義的な人が多いと思う。自分を信じて、可能性を信じている人が多い。でもこういった人は、離れてみると夢を持ちやりたいことをとことんやり本当に楽しそうな人。実際にこういった人しか世界を変え、面白くしていく流れを作れない。で、その本人(かっこいい人)も楽しいかと言うと、本当に没頭しているときは楽しいかどうかすら分からなくなる。んだとおもう。

まあ、僕が望むのは心躍るモルモットと表現することも出来る、と思っただけ。
最強なものは、やはり最強だ。
何も知らないものが、何かを追い求めるとき、何の恐れもないものだ。

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オーダーメイド野菜
情熱大陸 浅野悦男 人の作らない西洋野菜しか作らない。それも料理人のためのオーダーメイド

17歳で親から譲り受けた農場。

愛情を注げば注ぐほど、野菜はうまくなる。

野菜自体が挑戦的

プロの料理人のために作られるオーダーメイド野菜

脇役にとどまらない

シェフの感性を刺激し、その一皿を作らせる。

ただうまいだけでは納得できない。

ごちそうを耕そう

手間隙を惜しまない。だからうまい。

周りには当たり前のことを、許せなかった。

次から次へ新しいことを、次は料理をやるという。
やっている本人は楽しい、遠くから見る人もかっこいいと思うけど、奥さんは大変みたいだ。

人がやっていないこと、それが気持ちよかった。

何も知らないものが、何かを追い求めるとき、何の恐れもないものだ。

ああ、だめかで終わっちゃだめ、それだただのおじさん。
夜寝ても眠れないぐらいのことがあったほうがいいの。
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体操服袋を道に落とした事件
体操服袋を道に落とした事件って小学生のときに体操服をいれる袋を持ち歩くじゃないですか。体育で使って、汚れた体操服を家に持って帰って洗ってもらう。

しかし、そんなことが出来ない小学生でした。体操福袋を道の途中で落とすのです。持っていたのに歩いている途中、それも信号とかじゃないところで落とす。もちろん気がつかず、家に帰って親に言われて気づく。

そんな頭の悪い小学生でした。

で、海外に一人で行くようになって自分の持ち物をチェックするようになった。今日は手に3個荷物を持っている。と確認して、いすから立つときなどはこまめにチェックするようになった。

しかし、人間そううまくはいかない。日ごろ持っているものなら習慣として、持ち帰る。が、いつも持ち歩かないものは忘れてしまう。去年もそれで迷惑をおかけしたことが会った。そのときは、徹夜明けだった。

今日も忘れた。飲み会の感じなる物をしたのだが、その飲み会であまった酒を袋に入れて持ち帰ったのだが、忘れた。完全に忘れた。徹夜明けだったり、酒が入ると普段持たないものを忘れる。。。

やはり、普通の意識のときはチェックするのだが、徹夜や酒などで頭が100%じゃないときは、子供のころの習慣がよみがえる。というか、本質的に小学校のときと何も変わってないんだな。

ただ、習慣と言うもので、上塗りしているだけ。例えば車の塗装で言えば、ベースとしてあったさび止めが小学校や生まれたときからある個人の特性など、その上に塗るカラフルな車体の色は大人になるにつれ社会適合性を高めるために身に着けたものなんだろう。

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January 29, 2005
ビルの隙間から見えた月の位置
ビルの隙間から見えた月の位置からいろいろ考えた。考えたと言うよりも、なんか違和感を覚えて考え始めたら、頭がぐるぐる。いろいろやることがあるのに、楽しくて考えてしまう。

とりあえず、メモがき。

ビルの隙間から見えた月の位置、違和感、意識外でも脳は動いている。

ぱっと月が見えた。そしてそんなことはたいして気にもならず歩いていた。そしてまた空を見上げると月の位置に違和感を覚えた。で、なぜか考えた。たぶん、人間の意識外でも人間は情報処理を行っている。それで、気にかけなかった月の位置をここにあると無意識のうちに記憶していた。さらに歩いているから、歩いた場所における月の位置を無意識のうちに推測していた。しかし、なにげなく空を見ると月の位置がその推測と外れていた。そのために月の位置に違和感を覚えた。

意識外でも脳はかなりの情報処理を行っているんだなー。

1,2日では変わらないもの、習慣化による。

習慣化の2面性問題。

頭のいい奴=偏見のある奴

フィーリングが合う人間は、この自分が考えていないところにおけるものがあうかどうか

感覚の鋭さや、頭が切れるなどは、この裏の脳の動き

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January 28, 2005
電話が苦手な理由
僕は電話が苦手だ。

なぜか考えると、意思疎通が正確に出来ないかもしれないという恐れがあるのが嫌だから。電話では普段のコミュニケーションにあるものがかけていて、意思疎通がしっかりと出来ないのではないかと言う不安がある。そのため、電話で話すのが好きではないのだろう。

ということは、僕は普段のコミュニケーションにおいて声や言葉よりも表情だとか、その文脈から多くの物事を理解しているのではないか。だから、声(言葉)だけの電話では絶対的な情報量が足りず、相手の真意をつかめないと感覚的に感じて、電話が嫌いなのであろう。

まあ、慣れってのもあると思うけど、それ以上にそれぞれの人が対話コミュニケーションにおいて何を重要視しているかが大きくかかわってきているのだと思う。

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脳の常駐ソフト理論
自分では意識していなくても、脳では常駐ソフトが起動していて、その人の思考パターンを規定している。

意味不明だと思うけど、時間がないので自分への目メモ

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January 25, 2005
風よ水よ人よ
「風よ水よ人よ」これは、日本酒の名前。
某先生の家で飲ませてもらった。

さすが、先生というほどの味。安くてうまいらしい。

やっぱり、「うまいもん」は先生に聞くのが一番だ。
「うまいもん」ってのはちょうしこいたフランス料理とか気取ったものや名前だけのものや値段もむっちゃ高いものじゃなく、「うん、うめー」っていえる、人間が一番うれしい瞬間を味わえる食べ物ね。

だって、肩肘張って高級なもの食ってもうまくない。やっぱ、なりふりかまわず食らいつくのがうまいよ。

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1月24日 晴れ
1月24日 晴れ

そこまで寒くなかった。普通の日だった。って、なんか小学生の夏の友みたいでいいね。
なんとなく。

某友達がこう書いていた。
Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn’t mttaer
in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht
the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a total mses
and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid
deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.

非常に面白い。たしかに、その通りです。もうすこし、読むという行為と脳が理解するという行為を詳しく知りたい。

あと、昨日の夜、音楽を聞いて寝た。音楽って、ボーカルの声と、ギター、ドラム、ベース、その他いろいろな楽器の音色が重なっているじゃないですか。

で、特定の音のみに着目してその音のみを集中して聞く。そうすると、そのリズムが分かるわけですが、ほかの音はほとんど聞こえていない。耳にはいろいろな楽器の音が入ってきているはずだが、ベースならベースの音しか聞こえていない。これは周波数かなんかを人間が勝手に理解して、その音を追っかけている。それで、聞こえる。これを本当に聞こえるとする。音を脳が意識的に理解しているというのが正しいのか?

で、これ2つの音を追おうとすると厳しい。少なくとも今の僕には厳しかった。二つの音を同時に聞くことが出来なかった。これを、どんどん繰り返すと本当に聞くってことなんだろうかな。

で、普通に聞いてみる。歌が入っているものだと、どうしても人間の声をきいてしまう。歌が入っていると歌を聴いていてバンドの演奏はほとんど聴いていないな。で、歌がなかったら、ほとんど聞こえていない。それがBGMなのだな。

本当に聞くと、絶対音感の人はどうやって聞こえるのかね。

BGM タイムマシーン CHARA
     空の下で  MY LITTLE LOVER
JOY YUKI
星のかけらを探しにいこう 福耳
    BLUE HEAVEN サザン

BGMというより最近聞いている曲

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January 24, 2005
旅の話が出てくるということは
旅に行く人がいる。
一人で旅に行く人がいる。
目的もなく行く人がいる。

そんな人もいつか帰ってくる。
旅人は一瞬の身分である。

日常の会話、日記に旅の話が出てくると言うことは、現状に物足りなさを感じていたり、切羽詰って現実逃避したいときなんでしょう。

そう思います。
純粋に、旅は楽しいです。

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January 23, 2005
指導者として、勝負師として
今日も情熱大陸を見た。

何とかしなければならないという信念があった

国見高校サッカー部監督&校長 小嶺 忠敏

奇をてらうことのない正攻法

楽をしてうまくなろうはありえない。失敗をして残念だ、悔しがる気持ち。与えられた条件で最大限の努力。

1年間200試合以上。
試合前にゲームプランを指示。試合が始まれば、指示はほとんどしない。しきりにメモを取る。いいプレーをしたらほめてあげよう。叱ると伸びる奴だからしかってやろうなど。

試合後は反省点をノートにつけることが義務づけられている。
経験は言葉に残すことで始めて自分のものになる。

物事をやる前に、それをやるのはなぜかを考える。どんなことを身に着けたいかを考えてから行動。

部員13人の弱小チーム、それでも優勝を誓った。20年が過ぎて初優勝。

自分の元を巣立ってから、子供の本当の人生が変わる。教え子であれ、元教え子であれ見つめるまなざしは変わらない。

宿舎には先輩が続々と、洗濯と買出し。たぶん、OBが自然と集まってこれるような組織ってのがいいね。それは一人の求心力がある人がいるってこともいいけど、文化としてそんな雰囲気があるといいなー。

毎試合が山。そして山の険しさが増す。
無慈悲な風をののしっていた。

この敗北を選手たちの糧にしなければならない。3時間選手たちにかける言葉が見つからなかった。

言葉の一つが子供たちの心を傷つけるかもしれない。全国大会で負けた夜は眠れない。畜生。そんな試合の夜も選手たちはすぐに眠っている。子供たちは幸せだな。

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January 22, 2005
無意識を意識でコントロールする
無意識は意識をコントロールする
無意識を意識でコントロールする
正確に言うと、無意識の状態を意識を用いて無意識的にコントロールできる。

また、何を言っているのか伝わらなさそうなエントリーです。

意識を及ぼすことができないと思っていることに実は意識を及ぼすことができる。
無意識の状態は自分の意思によって行動できないことだと思うんです。
しかし、無意識の状態をコントロールできる。さっきも書いたけど、正確に言うと、無意識の状態を意識を用いて無意識的にコントロールできる。

たぶん、金縛りとかこの状態なんじゃないかな。(これで、さらに分からなくなったはず。。。)金縛りも、自分が無意識かにあると思っていつが、実は意識がコントロールしている。で、その意識をコントロールすることが可能であると。

なんで、こんな意味不明なことを思ったかと言うと、昨日寝ようとした。今日の朝早く起きる必要があったので、明日は朝7時30分に起きないといけないと言い聞かせた。なぜなら、経験則的に寝る前に自分に言い聞かせると起きれるから。これはみんなやっていることだろう。そんな、いいきかせをしていたら気になり始めた。こうなる眠れなくなってしまうのである。

寝ているときは自分のコントロールできる状況にない。無意識な状況であるが、寝る前に意識的に言い聞かせることにより、起きれる。すなわち無意識状態を意識でコントロールできているのだ。

意識的に人生や先のことをプラスにイメージすることは、明確に記憶しなくても無意識下のときにも大きな影響を与える。こういうことなんだろうな。

未来の無意識の状態は、過去の意識的状況によって決定ずけられる。

夢もコントロールできる気がするな。僕がいつも言う、昼間に何気なく考えたことが、夢になる確立が高いのも、そんな感じ。

なんか、言いたいことが伝わっていないな。自分でこの文章読んでも伝わってないと思った。

なんだろうね、無意識課の行動を意識化によって確実に決定付けることが出来る。これって、抽象的なことが言いたいんだよね。

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遅回し
ちょいと遅くまわしてみようと思う。

僕は何かをするとき一気にやってしまったり、倍速でやったりする。

話すのも早口、半ばあせるように。
書くのも、一気に書く。

でさ、何かをするとき遅回し、スローモーションでやってみようかなと思う。

やっぱり、時間をかけて考えたものは何か違うと思う。
目に見えるものの裏に何かが潜んでいる機がするのです。

確かに、一見効率が悪いかもしれないが、どうせ学生のときしか出来ないので、そうやって行動するのも面白いだろう。

じっくりやる、なんか大切にやるみたいな感じかな。
そうやって、物事をしたことがないから。

一本の線を描くのに5時間でもかけてみようと思う。
別に、考えるのでなくても、時間をかけてみたい。
ホカゴトするのではなく、一本の線と5時間ぐらい向き合ってみたい。
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January 21, 2005
大統領就任式
まず、はじめに書くがアメリカを批判したいわけではない。基本的に十人十色とすべてに対して思っているので。

ただ、アメリカと言う国の、国民の根底を流れる思想というものを理解しておく必要があるのではないかと再認識しただけ。

昨日の夜BBCで大統領就任式を放送していたので、それを見ていた。たぶん、大統領就任式なるものは初めて見たとおもう。まあ、ニュースで以前にチラッと見たことがあるかもしれないが、気に留めていなかったのだと思う。

その、大統領就任式は、オペラ歌手がアメリカと連呼し、神よといい、アーメンといい、ブッシュは最高ですといい世界もブッシュがよくするといい、憎しみとかは自由の敵、アメリカにはすばらしい歴史がある、常識にもとづくと自由を広めないといけない、アメリカは神のイメージのもと作られている、我々が建国したときの理想を世界に広めないといけない、

こんな感じのことを言っていた。さらに舞踏会もやって30億円かけたらしい。
なんかこうやって書くと批判的に見えるんですけど、違いますから。ただ、驚いただけです。
別にこれがいい悪いではない、日本の考えと違いすぎるから、アメリカ人の考えのベースを知る必要があるなぁと思っただけ。

こういうイメージの国であると言うのはなんとなく思っていたが、なんか改めて日本と違うなと感じた。

今後、まだある程度の期間はアメリカが事実上の世界のリーダー的な役割を果たすと考えられる。となると、やはりアメリカを無視することは出来ない。となるとアメリカ人の考えのベースを知っていると相手のことも理解しやすい。扱いやすい。そう思うのです。で、理解するためには1,2年アメリカに住んでアメリカ人と話してみないと分からないんだろうなと思った。

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January 20, 2005
ついでに、こっちも誉めておこう
アップルをさっきほめたけど、やっぱソニーもすごい。
短期的に業績下方修正のニュースなんて糞食らえ。

先日、採用方法を変えたと言うニュースがヤフーにのっていた。採用試験に受かってから2年間ならいつでも入社可能という制度だ。ようは2006年入社に受かったら2008年までの間ならいつ入社してもいいってこと。その間、好きなように人生送っていいぞと。

まあ、これに対する意見はいろいろあろうが、私は支持するね。まあ、ワークスがやっていたのですが、ワークスがやるのとソニーがやるのでは意味が違うのは自明です。影響力が違います。たぶん、来年以降この傾向が出てくるかも。

で、そんなことを一番最初に出来てしまうソニーはすごいです。

まあ、その話は横においといて、会社がこうしないといけないのは大学の制度がだめだからですよ。4年間のうち1年間は好きなように使っていい年を作るべきです。大学の単位なんて3年で十分取れます。集中してやって、1年間人それぞれの使い方をして経験値をアップしたほうがいい。旅をするにしても資格の勉強するにしても、バイトにしてもなんでも言いわけです。その点、私の大学は毎年単位の規則があるので、制約が多い。その点W大って、4年まで自動で進級できるなら、学生はもっと頭を使って4年間を過ごすべきだと思うのですが。単位の年間上限があるから無理なのか?今度Wの人に聞こう。
やはり、大学生と言う時間は貴重だ。無駄に人に会わず、本をひたすら読んだり、半年ぐらい旅に出るという経験をするべきなんだろう。そう、蓄積する、ひたすら考える時なんて今ぐらいしかないんだから。来年から、セメスター制に変わるらしいので少し考えるとしよう。
かなり無理な付け加えだが、電子マネーが暴れてるね。確実に5年後には現金使う人が減るな。
スイカにPiTaPaですか。まあ、思うのが関西と関東で電子マネーが違うね。なんか、ここまで分かれるのって、50,60ヘルツみたいな感じ。まあ、どうせいずれ統一されるんですが。

Posted by takeshi at 11:16 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
この時期に、あまり肯定したくないのだが、
アップルの製品が話題をさらい、売れまくっているときにあまり肯定はしたくないのだが、いいね。認めます。正直シャッフルはほしくないけど、あの会社はかっこいいね。
クレージーな人々へ。
 クレージーな人たちがいる。
 反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
 四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
 物事をまるで違う目で見る人たち。

 彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。

 彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
 反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
 しかし、彼らを無視することは誰にもできない。

 なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
 彼らは発明した。創造した。
 人の心をいやし、奮い立たせてくれた。
 彼らは人間を前進させた。

 彼らは人と違った発想をする。
 そうでなければ、何もないキャンバスの上に
 芸術作品は見えてくるだろうか?
 静寂の中に、今までにはない音楽が聞こえてくるだろうか?

 私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
 クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。

 自分が世界を変えられると
 本気で信じる人たちこそが、
 本当に世界を変えているのだから。
アップルコンピューター社

Posted by takeshi at 11:00 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
日本 歴史占い
日本 歴史占いなるものをやってみた。

非常に受けた。結果が笑えた。そのままだ。
あなたは「石川五右衛門」

何をするのも独創的で個性的

変わっているうえにマイペース。世の中の尺度なんて眼中になく、自分にとっての善し悪し、好き嫌いで生き抜くはぐれ者。五右衛門も並のワルじゃぁありません。強盗、殺人、おいはぎ等悪逆無道の果てに、時の権力者秀吉の命を狙って伏見城に忍び込み、あと一歩で御用に。しかも、「お前こそ天下を盗った大泥棒だ」と、啖呵を切りました。頑固で融通がききませんが、あなたの個性を磨くことでオンリーワンの存在になれます。

「頭脳・知性」
コピー不能な芸術的思考の持ち主。全部がオリジナリティーに溢れている。他の人が真似できない独創的な分野を切り開き、後にも先にも、その世界でオンリー1の存在となる。

「センス」
何が嫌って、他人の物差しで計られたり、一般的な常識に合わせて生きること。はなから合わせる気もない。一途で一本木なところがある。「孤高の人」でも、それはそれで男の美学を感じている。

「感情」
他人に影響されず、頑固なまでに自分の中のルールとテンポを崩さない。ふだんは物事を冷静に観察してクールだが、いざという時、内なる闘志をメラメラと燃やす。

「外見・言葉」
あまりにも個性的なので、「変わっている」と思われがち。無口だし表現力も乏しいし、初対面の人は取っつきにくいかもしれないが、気持ちは真っ直ぐで純情で、裏表がない。

「行動」
群れるのが嫌いな一匹狼。たいていは一人、あるいは気心が知れた身内と一緒に過ごすことが多い。一旦、「コレだ!」と決めたら、回りの視線や評価など気にせず、トコトン突き詰めていく。

http://uranai.artisthouse.co.jp/cgi-bin/uranai/apps/pc.cgi?act=result&mode=1&sex=1&year=1983&month=4&day=24

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January 17, 2005
知らないとなんとなく思っていることの意味
人間、言葉の意味を知っていると思っているから、物事を理解していると思っているわけです。で、意味を知っていると思っているから、他人との話が成り立つ、社会が成り立つ。

でも、知っていると思っていると言うことは、新たに知る必要性がない。そう脳が判断し、新たなことを学ぼうと言う姿勢でなくなり、脳が受け入れを閉じてしまう。

知らないとなんとなく思っていることの意味=脳をオープンにしておくと言うことです。
知らないとなると、生活に不便になる。すべての言葉でつまずくから。しかし、「ああ、そんなこと知っている」と思うと、脳がクローズしてしまう。

何に関しても知らないとなんとなく思っている、知らないことあるかもみたいな感じに脳の状態をしておくと言いのかなと。

 
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地位は人を育てる
一昨日テレビでユニクロの玉塚さんがテレビのインタビューに答えていたのを見た。

そして、昨日2000年にとった番組を見た。
テレビ東京の番組で、OH!NEWのことや、ユニクロのことなどをやっていた番組だ。

昨日そのビデオを見たわけだが、偶然これにもユニクロの玉塚さんが出ていた。当時38歳 フリース担当常務。2年前に入社した時だった。として働いていた。

その後、ユニクロのイギリス進出は玉塚さんが指揮を執ったが失敗、そしてユニクロ社長となっている。

見た目、話し方、話の中身も違っていた。社長として働いている今のほうが、どれも洗練されていた。風格があった。成功、失敗、挑戦。その連続なんだろう。何でもやってみなけりゃわからないし、だれでもはじめはやったことないに決まっている。今までやったことないことにチャレンジする、それだからこそ新たなことを知ったり、能力がつくのだ。

地位だってそうだ。社長になる前から風格があることは少ない。やったことないんだから、どうやるかは頭では分かっていても、それ以上でもそれ以下でもない。

地位と言うものが人を育てる。やったことがなければ心配だろうが、その地位についてやっていれば、周りの目も変わる、態度も変わる、仕事も変わる。まあ、立場上何とかしなければいけないことばかりで、それを何とかしていくそうしていくうちに、風格なり能力ナリつくんだろうね。自然と地位およびそれに付随するものによって育てられる。

まあ、板につくということなのかもしれないが、ちょいとニュアンスが違うかな。
それ以上に地位(社会的なポジション)が人を育てるのも事実だ。
Posted by takeshi at 05:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ペールとエクアドル
ああ、友達からメールが来た。

今月末からペルーとエクアドルに行くんだって。いいなー。

ガラパゴス上陸の予定らしい。

やっぱ、いい線ついてくるね。僕と嗜好が似ているのだろうか。

まあ、気をつけて行ってきてもらいたい。僕が行くときは情報を聞くのでよろしくね。

楽しそうだなー。

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January 16, 2005
岩と向き会う漢
情熱大陸で小山田 大さんについてやっていた。プロのクライマー。

あの平山ユージさんもほめてたよ。

このお方、本物ですは。すごい。楽しそう。やっぱ、極める人は、自分の軸があるなぁ。それにしたがっている。ただただ、そのものに向かっている。邪念なんてものは無いんだろう。

すごい日本人はたくさんいるな。このお方も28歳。いやーすごい。
以下メモ

強いほうが自由な気がする、
上に誰書いたり、ごちゃごちゃした中にいるといやなのだ。
宇宙一になりたい。

ボルダリング(自然の岩を道具(命綱)なしで登る。上る前に、ルート設計も自分で行う)
岩から両手両足を離して、飛ぶ。
5mmのところに手をかけて上る。まじ最強。

テレビもたんすもない部屋。ホールドと言う、クライミングの練習のでこぼこしかない。食べる、上る、寝る。筋トレはしない。汗とか根性とか好きじゃない。部活動とか苦手。スポーツマンじゃなくてクライマー。

難易度V16を去年上った。V14で世界トップクラスらしい。

かつては、賞金が出るワールドカップや世界主権に出ていた。しかし3年前に離れた。クライマーとしてより確かな存在になりたかった。コンペは、その場その場で決まりはするが、みんな上るもの。

岩は絶対一回登ったら、永久に残る。そこに誰も上らなかったら永久なんだ。ここで、名前を残したい。
コンペは水物。

楽しそうに上るから、本人が一番幸せなのがいいですから(実家の天井や壁にもホールドがある) by母親

20歳で日本一、でも喜ばなかった。かっこ悪いですよ、日本一なんて。チョロイですよ。国境なんてないのに、日本と言う枠を持ってくるのは卑怯。
7人のチームスタッフと、一軒家を借り切ってフランスで2ヶ月の合宿。

トポという岩場のガイドブックに心が踊る。登れるものはとにかく登る。宿の壁にも天井にも。フォンテーヌブロー@フランス

面白い岩があったが、湿気っていた。いくら上りたくても、危険だ。ここはやめる。プロだな。ちゃんと見極めて決断するのがすごい。

失敗には必ず理由がある。失敗した岩を見続ける。上るまでやらないといけない。何ヶ月も同じ岩で失敗し続けたこともあるらしい。右手中指第一間接だけで体を上げる。47回目にして成功。感想は立った一言、面白かったですよ。

クライミングなんてたいしたことじゃない、誰のためになるわけでもない、自分が楽しけりゃいい。子供の木登りと同じ。ただプロとしての意識はある、すごくて新しいことをやらないといけない。

140度、世界で9人しか成功していない岩に挑戦@スイス。世界最短記録での成功を狙っている。今のところ2002年にアメリカ人のシャーマが出した6日間。

指先からにじむ少しのあせも挑戦を妨げる。って、本当にすごい世界だな。

運命の振り子が不可能と可能の間を行き来している。時が来た。

うぉー、うぉーって登るときの体のそこから出てくる声がすごい。マジすげー。
登った、ドリームタイム敢闘。初日の練習を含め。2日で世界最速記録。

今日も名も無き岩を登っている。
まだ誰も上ったことのない岩。拍手も歓声も何もない。
己がただ懸命に生きた証が残ればいいのだ。

そして、名も泣き岩に名前がついた。

Posted by takeshi at 11:32 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
マルエツにおどろき
いやいや、マルエツで驚いた。

スーパーのレジで並んでいたんです。結構並んでいたので、店員さんのいないレジに店員さん来ないかなと思っていたら、「ご来店ありがとうございます。業務連絡・・・・」とアナウンスがあった。よくスーパーで聞こえてくる、あの声で。

で、ぱっと横を向くと、レジにいる店員さんが携帯に向かってしゃべっているではないか!もしかして、と思ったら、もしかした。レジの店員さんが放送していたのだ。事務室か、インフォメーションみたいなところで放送していると思ったのに。。。。

いや、コスト削減だし、レジの状況にすぐ対応できる。おお、すごい。マルエツやルナ。

まあ、PHSで社内通話は無料のやつなんだろうな。いやーでも、スーパーの放送システムも変わっていたのですね。気がつかなかった。

いやはや、世の中変化が早いな。

Posted by takeshi at 08:04 PM | コメント (5) | トラックバック (0)|
タイムカプセル ブログ版~10年後の自分~
先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。

また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。

トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。

あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。

・プライベートで3つ
 10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。

・社会人・ビジネスマンとして3つ
 こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、

・10年後の未来社会予想で3つ
 現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか

・最後に、10年後の自分へ一言
 そのままです。

まあ、僕の場合

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?

BGM 空の下で MY LITTLE LOVER

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January 15, 2005
別になんてことはないのだが
別に、特に気にもならないのだが、いろいろな人がセンター試験について書いていた。

そう、今日と明日はセンター試験らしい。

当時のことはあまり覚えていない。確かなのは岐高で試験を受けたことぐらいだ。テストの後にみんなわいわいがやがや言っていた気がするが、あまり記憶が定かではない。

もちろん、今年のように寒いとか雪だとか、天気の記憶もない。僕にとってはあまり興味のないことだったようだ。

今日や昨日は、すごい緊張をしている受験生もいるだろう、泣いている受験生もいるだろう、体調を崩した受験生もいるだろう、笑っている受験生もいるだろう、いろいろな気持ちを持った受験生がいるはずだ。

どんな気持ちだからって受かるわけでも、落ちるわけでもない。どんな状況にあろうとこなしていかなければならないことはあるのだ。うだうだいっているならやってしまったほうがいい。そう、自分に言い聞かせる。今できることは今やる。先においておいたらできないのだ。今やろうと思ったことは将来はできないのだ。そう、自分に言い聞かせる。

ただいえることは、少なからず社会的認知において自分がメインとして所属する組織が、どうなるか分からなくなると不安なものなのだろう。それを失ったときはさらにすさまじい感情に駆られるのであろう。自分ではそこまで感じたことはないのだが。

組織は人間の精神を守っている。まあ、自分が納得していれば、自信を持っていれば組織に所属してなくてもあまり精神的に不安定にならないのだろう。まあ、そのような段階になるには、そのような心境に達するには、自分が納得し、社会的にも認められる組織に一度は所属して、その組織に属していたと言う看板をもらわないとなれない場合が多いのであろう。

何にしても、振り子の理論プラスは成り立つ。
振り子の理論はビートたけしという天才が言っている。ものすごい静かなやつは、ものすごいうるさくはじける可能性がある。ものすごいつまらないやつは、ものすごく面白い可能性を持っている。僕もそう思う。いわゆる、極端なやつなのだと思う。1か0しかない。振り子の理論プラスっていうのは、極端な両極を体験した人でなければ中庸にはならない。その両極な人は中庸も分かる人であると言うのが僕が思う振り子の理論プラスだ。

そういえば、ジミー大西先生も好きだ。何も関係ないが。小学校の音楽の先生の感じがして非常によい。みんな、ジミーちゃん芸能人だから、自分の近くにいないから、彼のことを賞賛すると思う。しかし、実際、自分の近くにいたら嫌う人が多いと思う。まあ、当たり前なのだが。近くにいるといい人、遠くにいるからこそいい人ってものはある。でも、僕はジミーちゃんキャラが好きだ。多少ドンくさくて、常識がない、でも心はとてつもなく純粋だ。僕がそういう人間(心が純粋じゃないと言うこと)じゃないからかもしれないが、そういう人といると心が洗われるし、肩肘張らなくてよくって心が安らぐ。

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January 14, 2005
重なりある思い出
歌番組で、翼をくださいを歌っていた。

そして、中学や小学校のときを思い出した。小学校のとき音楽の時間は遊んでたなー。替え歌を即興で作ってでかい声で歌ったり、小学校の音楽の先生は教師としては相当問題ありだったけど、いい先生だったな。あの人の純粋さは大好きだ。

中学は合唱なるものをよくやらされたな。中学最後の音楽の授業で泣いていた人がいた。それは何だろうね。数学では泣かなくても、最後の音楽の授業は泣く。歌が持つパワーなのか。確かに、あの時が最後の合唱だったな。一生みんなと歌うことはないのだ。

で、中学の最後に合唱のCDを作った。サラマンカホールというところまで録音しに行った。そもそも、こんなCDなんていらない、と言って無駄だからやめろと職員室で大嫌いだった音楽教師と戦った記憶すらある。さらに録音の時は隣のやつが半端なく音痴で、隣の友達と大笑いした記憶しかない。小学校の時も文集でクラスのページをメモ帳にしようといったり。

小・中学時代は、その瞬間を生きていたのだろう。
将来も過去もなんて、その時の僕には考えられもしなかったのだろう。
ただその瞬間しか存在しなかった。
しかし、今となってみれば年を重ねることに少しばかりおびえ、過去の思い出に浸ることもある。
これが年をとったと言うことなのだろう。
そういえばかっこいいが、ただの天邪鬼か。

で、ふと思う。僕は昔は徹底的に写真を排除した。というのも、野外学習や修学旅行には卒業アルバムのカメラマンがついて来て、写真を撮り、戻ってきたら学校の壁とかに写真が張り出されてほしいものを購入するシステムだった。しかし、僕は小学校から高校まで一枚たりとも写真を買っていない。そうとう寂しいやつだ。思い出が何もない。まあ、その何もないのが大切な思い出なんだよな。

その反動で、今写真が大好きなのかな 笑

中学の教室で、あの時の友達と小さな机といすに座り、いろいろ語りたいものだ。

参考エントリー
タイムマシーンはもうこない

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目が見えなくなったかもしれない
目が見えなくなったかもしれない。

相変わらず、真っ暗にして風呂に入った。これは岐阜にいたときからよくやっていた。あれは、心が落ち着くのである。見えないものが見えてくる。おいら流の座禅だななあ。

で、真っ暗な風呂でふと思う、目を開けても何も見えないのである。電気を消して暗いから当たり前といえばそうだ。しかしだ、実は電気を消した瞬間に失明して目が見えなくなったから、真っ暗闇なのかもしれない。その可能性があるのだけれど、自分が電気を消したという理由から、暗くて見えないだけと自分が勝手に思っているだけなのである。本当に失明してしまっているかもしれないのである。

で、自分は暗くて見えないから何も不安にならないが、真っ暗で何も見えないというのは失明した状況と同じなのである。もしこれで失明していたと自分が本当に思ったら不安で思い悩むだろう。何も見えないという同じ状況にあっても、自分が電気を消して暗くて見えないだけと思っているか、失明して見えなくなったと思っているかでまったく違ってくる。

人間とはそんな、曖昧で、実体のない自分の意識や考えによって成り立っているのである。

自分が変われば世界は変わる。
自分の気持ちが変われば、世界の見え方はかわる。
Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
四字熟語を三つ思い浮かべてください
四字熟語を三つ思い浮かべてください

一つ目は何ですか?
二つ目は?
三つ目は?

僕は
・十人十色
・弱肉強食
・才色兼備

一つ目は、人生観
二つ目は、恋愛観
三つ目は、仕事観らしいです。

考え方や好みなどが各人それぞれに違っていること
強い者が弱い者を餌食(えじき)にして栄えること
すぐれた才能をもち、顔かたちも美しいこと
Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 13, 2005
タイムマシーンはもうこない
相変わらず、レポートを書きながらテレビがついていた。

昔の音楽が流れていた。
96年とか良く知っている。
もう10年。

時間は逆戻りしないんだなと、しみじみ感じた。
あの過ぎ去りし日々の気持ちは、もう味わうことはない。
時間とは一回性の文脈なんだよな。

前から、某氏がCDを買うのが億劫だといっていた。それは、お金がもったいないとか、ダウンロードすればいいからではない。CDを買うとそのときの思い出がその曲に移るからだとという。CDを買えばそのときは良く聞く、もちろん同時に日々の生活を送っているわけだから、いろいろなことは起こるわけだ。その起こったことが曲にうつり、時がたってからその曲を聴くと昔の出来事や気持ちを思い出してつらくなったりするからといっていた。確かに、そういうことはあると思っていたが、そこまで実感としてはなかった。

でも、今日、歌を聞いていて昔のことを思い出した。ああ、あんなこともあったなと。

同時に思った。
たった10年で、ネットでほしい音楽をゲットして、あんな小さなMP3プレイヤーで簡単に持ち歩くなんて、あのとき思いもしなかった。
たった10年で。

もう10年、
たった10年、

そして、阪神大震災のテレビもやっていた。
小学校5年だった。岐阜は震度4。揺れで目が覚めた記憶が鮮明に残っている。
10年。

震災を機に人生が変わった人も多いようだ。商社から自衛官のパイロットになった人。楽天のみ木谷さんも、あの時に何が起こるかわからないんだから今を後悔しない人生を送ろうと決めたらしい。

そんな、激しいまでの決意、気持ち。
これは、すさまじいものだと思う。
ある意味、戦後復興の日本にも似た気持ちなのかもしれない。東京通信工業の設立趣意書に通じるような。

自分のやっていることに納得がいって、誇りを持って、自身を持っている。
そんな芯がある夢を夢を追いかける、
そんな人生が一番輝いている。
もう10年、
たった10年、
10年の重み。

BGM CHARA タイムマシーン

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寒いからこそ出会える、暖かな冬
レポートを書いていたら、「寒いからこそ出会える、暖かな冬」と耳に入ってきた。

なんでもないことなのに、「はっ」とした。
冬の暖かさを味わえる、あの喜びを感じられるのは、寒さゆえなのだなぁ。寒いのはあまり良いイメージでとらえられないが、それがあるからこそ温もりを感じられる。

当たり前だけど、なんか、こう感じるのもいいもんですね。

 
なんか、JR東にほんの北東北CMだった。

このCMいいです。

 

「澄色の冬へ」

どこまでも透き通って見えそうな、
そんな透明感

寒いからこそ出会える、暖かな冬
北東北、ここにはそれがあります。

冬へ。

 
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January 12, 2005
モンゴルたまらんだろう!
パリダカ、いやー、毎年これに関して書いている気がする。

何度見てもいいねー。かっこいい。あの、無謀さがたまらない。本当に死ぬ気で勝負しているのにあこがれます。

前、パリダカに金をためて出た人にお話を聞いたんだけど、本当に楽しそうだった。本当に大変そうだった。砂埃、テント生活、などなど。でも、楽しいんだろうな。あの無謀な馬鹿さが男のロマンなんだろう。

優勝を重ねてきた日本勢も今年は苦労しているようである。一度、パリダカに出てみたいな。相当な体力と気力が要りそうだし、金も必要だろう。

で、パリダカの写真を探していたら、モンゴルの写真が偶然ヒット

http://www.sser.org/wallpaper/wallpaper_index.htm

このサイト、いいね。最高。モンゴルの写真最高。

前々からモンゴルは注目していた(過去のエントリー参考)わけですが、今回改めてモンゴルのすばらしさを知った。

ああ、やっぱモンゴルで寝転がりたい。
ただ、それだけでいいや。ボリビアも捨てがたいが、モンゴルは近いので何とかなりそうである。

こんなレースもあるそうだ。北京からウランバートル

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January 11, 2005
他人鑑定-レポートつくよ-
他人鑑定なるサービスを友達のブログで発見。

みなさんが、僕にたいするイメージとかそんなのを選択式のアンケートで答えてもらいます。
他個紹介のようなものです~。

簡単にできるのでやってみてください。

http://tanin.hanihoh.com/index.cgi?id=20050111-0009b7de329e29300a138ed67f0916e3c74

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January 10, 2005
雪を乗せた貨物列車
家の近くに貨物の終点(倉庫)がある。駅へ行く途中に貨物倉庫の踏み切りで止まると、崩れかけた雪が積もっていた貨物列車が発車していった。この列車はどこからきてどこへ行くのだろう。

コンテナは色々なところでつまれ、そして下ろされる。運転手も変わっていく。列車は動き続け、線路は延々と続く。この雪とはどこで出会ったのだろう。

変わっていくもの変わらないもの
動くもの動かないもの
無くなるものなくならないもの
   雪をみてインドであった友達のメールを思い出した
彼は見た瞬間に、真のある男と感じた。インドも、南米へ行ったときも本当に小さなカバンだけ。飄々とした雰囲気で、メリハリのある、わきまえた男だった。インドからネパールへ行くジープで1日中、共に揺られ続けた仲だ。夜、僕と彼はいろいろ話した。彼ともっといろいろ話したいと思ったが、二人とも旅人だ。日本に帰ったら旅人ではない身分が待っている。

旅人通しの同じ立場、それだからこそ仲良くなれる。僕は、旅先であった人とは特に連絡を取ることはない。だいたい、人と細かい関係が好きじゃない人が一人で旅に来ているし、旅でしか味わえないから旅がすきなのだから。

しかし、僕は彼ともう少し話してみたいと思った。そして、一応連絡先と名前だけ聞いた。聞いたものの、やはり連絡を取ることはなかった。そして年が明けた。なんと、あけましておめでとう、とメールが来たのだ。あってから半年たっていた。彼が覚えていてくれたことがうれしかった。また、彼と会っていろいろ話してみたいものだ。

かれは正月、北海道にいたらしい。また、小さなカバンひとつ、18きっぷで回ったらしい。終着駅で野宿というなんとも、彼らしい。雪を乗せた貨物列車を見て北海道にいた彼からのメールを思い出した。

南米でも、インドでも、冬の北海道でも、フランスでも、彼の旅のスタンス、生きるスタンスは変わらないようだ。かっこいい生き方だと思う。彼はきっといい医者になるだろう。

彼はルンビニーへ行き、ぼくはポカラへ行った。

「月日は百代の過客にして 行き交う人もまた旅人なり」

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January 06, 2005
コメントスパムすべて消した
コメントスパムが収まってきたので、一気に消す方法はないかと探していた。

MT2.6には禁止IPを指定することはできるが、それ以外の対策はない。デフォルトでついてくる対策なのでコメントスパム屋さんはそれの対策をしてコメントスパムを打ってくるから意味がなかった。

そこで、コメントスパムが収まったので、対策をぐぐった。

僕の基本方針はコメントを書く人を制限したくない。僕はある情報はすべてゲットするというスタイルだ。どんな情報でも来るもの拒まずだ。その後、自分で情報の取捨選択をしたいと思っていた。だから、コメントを制限するものはいやだった。

そこで見つけたのが、「編集画面に削除機能をつけるもの」表示数も変更できて、僕にとっては最高なものでした。Memo Leavesさまに感謝です。

ネットてこれだから、強いんだよな。うんうん。ネットのすごさをまた実感。

いやー、かなり効率的に削除できました。めでたしめでたし。
2355のコメントスパムを消したのだが、これはありえない量だな。
Posted by takeshi at 12:32 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
寝ると記憶が吹っ飛ぶ?
寝ると記憶が整理されるという。寝ているときに記憶するから睡眠をとれと言われるものである。

しかし、ちょいと待て。今朝起きて気がついた。起きて洗面台に行って顔を洗おうとすると何か変だ。髪の毛がない。もちろん、昨日きったから当たり前なわけだが。しかし、昨日、髪の毛を切ってから手を洗ったりするときに自分の顔を見ても違和感はなかった。しかしだ、朝起きて見ると違和感があった。

髪を切った、そして髪の毛が短くなっているという事実を無意識の記憶として定着していなかった。切った後、起きているときは記憶にあったからあれっという違和感はなかったが、寝ている間にその記憶は薄れていき、なくなったのだろう。

日々自分の髪の毛を見ていて、見慣れてしまい、髪の毛の長さが記憶として頭に染み付いているのだろう。その長い間かけて作られた無意識のうちの記憶は、髪の毛を切ったという記憶よりも強いものなのだろうか。

果たして、記憶が消滅したという言い方が正しいかはわからない。

Posted by takeshi at 12:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
日本語の新しい概念
別に何だってことなんだけど、なんとなく書く。

たまに、自分が知らない概念や、聞いたことはあるが良くわかっていない概念について知ることがある。それらの概念を表す言葉は英語がほとんどだ。それは、分野を問わずだ。

アメリカやイギリス発の新しい概念が多いことはわかる。新しい技術があったり、新しいサービス、新しい社会構造と共に新しい概念が生まれてくることが多いからだ。その技術やサービス、社会構造はアメリカを中心とする国々が先をいっているから。さらに、北欧なども先端を行っている分野が多いと思うのだがやはり、英語が世界語となっているから、世界ですぐ認められるために英語で新しい概念の言葉を作るのだろう。日本人でも英語で新しい概念を表す言葉を作るかもしれない。

新しい概念の言葉は日本語に翻訳される前に広まってしまう時代だし、そんでもって訳したら元々の感じが失われることも多い。だから、新しい概念を表す英語はそのまま使われる。

別にそれ自体はいいのだが、なんか日本語で新しい概念があると面白いなと。日本発で面白くって、今後の流れを作るような概念が生み出されないかな。日本発だったら日本語じゃなくてもいいかなと思ってきた。

僕が知らないだけで、日本発だったり、日本語の新しい概念はあるのだろう。それらを知ってみたいものだ。

Posted by takeshi at 01:40 AM | コメント (0) | トラックバック (1)|
January 05, 2005
マックホルツ彗星
マックホルツ彗星という聞きなれない彗星が地球に接近しているらしい。現在の明るさは3.7等級で肉眼でも観測可能らしいので見てみようと思う。

地球に接近中のマックホルツすい星が淡い尾をたなびかせた優美な姿を見せている。現在の明るさは3.7等級で、夜空の美しい場所なら肉眼でも観測可能だ。午後8時ごろには天頂のすぐ南側に上っている。10日ごろまでは、おうし座のすばる(プレアデス星団)のそばで輝く姿が楽しめる。 国立天文台によると、すい星は地球に6日最接近し、3.6等級まで明るくなる。その後は徐々に暗くなり、観測には双眼鏡が必要になるが、2月に入ると北の空で一晩中見えるようになる。
毎日新聞1月5日
国立科学博物館で夜間天体観測があるのを思い出した。誰か行く人いないかなー。
夜間天体観望は第1・3土曜日晴天の日暮れから約2時間
210円と格安。
マックホルツ見えるかな?キャンペーン
http://www.nao.ac.jp/pio/20050107machholz/index.html

毎日新聞
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人が成長する大きな意識変化-リミッターを切る経験-
正月のミーティングで、人が育つポイントと求める人物像とその人の見極め方のようなことについて話した。そして、今日髪を切られながらちょいと考えた。人間が成長するかどうかは、生まれ持ったスペックを別にしたらその人の考えや曖昧な感情だと思うのです。心の中で大きな変化、今まで「なし」だと思っていたものが、「あり」になったとたんに変化、成長すると思うのです。で、考えた。

「リミッターを切る経験」 
これは完全に自由に権限と責任を渡すのではなく、精神的にブレイクスルーしていない人と共に精神的にブレイクスルーをした人がプロジェクトを行い何でもありで、何をやっても良いことを知ってもらい、それから一人でプロジェクトを回して成長してもらう。

何でもあり、何をやっても良いということを経験を通して知ってもらうことが成長の第一歩だと考えたのです。人間は、これはやっていいのだろうか、これは絶対やってはいけないと考えているものがあります。さらに言えば、無意識のうちにこれはありえないと思い選択肢から排除している場合があります。これは可能性を捨て、成長を阻むという大きな損失です。

そこで、何らかのプロジェクトを丸投げ刷るのではなく、プロジェクトを通してこれから成長していこうと思っている人と共にリーダー(育て役)はプロジェクトを行うのです。で、リーダーは丸投げではなく、仕事を振るのです。それは、ちょいと無理っぽい仕事を。その仕事を達成しようとするときに、こんなことしてもいいのかよってことを解決方法に含んでおく。仕事ができなかったときにその解決方法を示す。すると何をしてもいいんだなという心境の変化が起こる可能性がある。

一回、なんでもありっていう感覚が心に宿ると、それ以降何かをするときに可能性を広げることができる。選択肢が広がり、チャレンジして成功していくのではと。それから仕事は丸投げするべきではないのかと考えるわけです。

世の中なんでもありってのを知るためには、一人で発展途上国に少ない金で行くとか、死にそうな経験、自分とはまったく異なるものが常識である世界を経験するのも効果的かとおもいます。
正月2日の朝から岐阜でミーティング。このミーティングが面白かったのです。その後のランチも面白い方が参戦して最高に楽しかった。

正月ミーティングのラフなメモ

人が育つポイント

イベントはいろいろなレベルの人が同時にかかわるため、自分の先を見ることができる
自分の仕事への当事者意識
組織に対する当事者意識
組織を自分のように感じること
自発的に質問をする(現場での問題意識)
なんかできそうな感じ
自分がいないと事業が回らなく感じる(全体の事業の中で自分の仕事の役割を明確に理解する)
仕事のきっかけとゴールをはっきりする。
一番中心になる人にアドバイスをうけたりほめられる
まずはゆるい役職をあたえる(入りやすい、やろうと思ったときにできる)
定期的に連絡を取る
信頼関係(自らの大切なことを話し、相手のことも聞く)
徐々にステップアップできるように、レベルごとの課題(ステージ)を提供する
責任感が生まれ仕事をすることにより、良いアウトプットを生み出そうと頭を使う→成長
求める人物像

やっている活動を理解し、質問者のストライクゾーンを見つけそこにボールを投げる能力
自責性 失敗の原因をどこに見つけるか、自らの問題点を見つけることができる→改善につながる
当事者意識を持っている人
常に学び成長する姿勢
可能性を信じるこころ
何事も楽しむ
マインド、アビリティ、スキル

やりたいこと面白いことを見つける「アンテナ」
何かを始める、一歩踏み出す「勇気」
何があってもへこたれずやると決めたことは続ける「根性」
希望格差の話とかもした。
そういえば、正月に絶望を希望に変えるということを聞いたなとも思い出した。

Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
意味飽和=ゲシュタルト崩壊
トリビアを一瞬見た。

そうしたら、意味飽和=ゲシュタルト崩壊についてやっていた。ゲシュタルトとはドイツ語で「まとまった全体としての形」という意味らしいです。これはある特定の文字を長時間見ていると、なんだかその字が変に見えてきたり、初めて見た感覚になったりすること。

これは、良く起こる。「あ」とかも僕は良くこの状態になる。

意味飽和は第一段階「意味のない記号のような感じがする」、第二段階「こんな字でよかったかな」、第三段階「はじめて見る字のような新鮮な感じがする」というの3つの順序で起こるらしい。

そんでもって、人間は動いているものを見ることは得意とするが、とまっているものを見るのは苦手らしい。
人間が生活するうえで、見るものといえばたいてい動いているものが多い。そのために人間の目と脳は動くものを見るのが得意になったのだろうか。

じゃあ人間を、とまったものしかない世界に閉じ込めると人間はどうなるのだろうかと思った。静止しているものを見るほうが得意になるのだろうか。それにしても人間の脳ってすごいな。限界がない。

脳の中には際限のない世界が広がっていることが面白くてたまらない。

それと、養老さんの情報(論文)はとまったものという話を思い出した。

Posted by takeshi at 09:56 PM | コメント (0) | トラックバック (3)|
新年の抱負か?
新しい年が始まったわけである。

空っぽ になる。
あいまい を受け入れる。
メリハリ をつける。
爆発 する。

大きなあいまいなゴールを見つける。そのために階段を一歩一歩上り始める。

思いっきり馬鹿で無駄なことをする。

思いっきり感じ取り、常に頭を使って考え抜く。

謙虚に生きる。

心躍る、わくわくする日々を送る。

すべてをかける、すべてを捨ててでも何かを達成してみる。

戦略的なコミュニケーションをとる

いまいちだ、思いついたら書き残そう

Posted by takeshi at 09:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
神経のないものに対する感覚
今日、髪の毛を切ってきたわけです。

正直、髪切屋は嫌いです。なぜかわからないけど大嫌いです。店に入るのに躊躇します。
まあ、そんなことはどうでもいいわけです。

僕の行くところは安いので、短時間できってくれるのですが、それでも髪を切っている最中やることがない。退屈。

そんな時、ふと思おう。髪の毛を大体どれくらい切られているかわかるのである。それは目を閉じていてもである。髪の毛には神経がないからわからないはずである。じゃあ、なぜどれくらいきられているか感じることができるのか。

毎回同じ人が切っていれば感覚的にわかるかもしれないが、僕はそれには当てはまらない。

じゃあ、何かといえば髪を切るときの音がどれくらいの距離かわかっている。自分が注文したものを推測している、髪をつまんだときの皮膚の感覚、何なのだろう。

ああ、そういえば、毛皮は冬に逆立つ、犬の毛もそうだと岐阜で聞いた。なぜだろう。

Posted by takeshi at 09:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
最近のCM変わったよなー
最近のCM変わったなーとふと思った。

はっきり言って何の広告なのかわからないCMが増えてきた。最後にちょっとだけ製品の名前が出てきたり、会社名が出るようなものが多くなった気がする。

そういったものは、かっこよく会社や製品のブランドイメージアップは達成されるだろう。

なんか前、こういうCMがなぜ今はやっているのかを読んだ気がするが忘れた。

まあ、個人的にはそういうCMが好きで、見ていて心地よいのでいいがCM効果の方はいかほどか気になるところだ。

Posted by takeshi at 07:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
新しい年が来た、
年末は非常に充実していました。

塩原温泉、モノポリー、京都(六波羅蜜寺、清水)、岐阜(カウントダウン、初詣、ミーティング、トークに岐阜観光)

あっというまだった、それにしても面白い年末年始でした。

学ぶことが非常に多かったし、おもしろいキーワードも頭の中にインプットされました。
天才というか、すさまじい人はいるものですね。
さっさと片付けて、修行しよう。

Posted by takeshi at 04:39 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 01, 2005
新たな時を迎え、過ぎ去りし時を想う
新たな時を迎え、過ぎ去りし時を想う

みなさま、今年もよろしくお願いします。
今年という年は、また何が起こるかわかりませんが、楽しんで生きていこうと想います。

 
Posted by takeshi at 12:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2004-12

http://www.teratown.com/blog/archives/2004_12.html

December 31, 2004
足の向くまま、気の向くまま、六波羅蜜寺
そうだ、京都へ行ってきた。

塩原温泉に行き一泊して、東京へ戻りモノポリーをして、家へ。そして荷物をまとめて岐阜へ。しかし、18切符も指定席も持っていない。小田原攻めでもいいかと思っていたが、指定席が取れたのだ。やはりキャンセルが出た。そして、ムーンライト91号に乗るために品川へ。品川の緑の窓口で18切符を買えばいいと思っていた。東京駅の緑の窓口が23時30分までやっているので、品川もその時間までやっていると思ったら、違った。23時10分ぐらいに東京駅へ東海道線で戻る。そして18きっぷを買い、また品川へ戻るという時間ぎりぎりな行動。そして、ムーンライトで岐阜へ。朝5時過ぎの岐阜は寒かった。指すような寒さというやつだろう。

そして、家に戻ってしばし休み、電車でどこかへいこうと思う。駅について一番早く出発する電車に乗ってどこへ行くか決めることにした。相変わらずな行動である。駅に着くと、大垣行きが一番早く来たのでそれに乗った。大垣で降りると、米原行きが一番最初に出発だった。ああ、京都だ。京都へ行こう。ということでターゲットは京都に。

そんなこんなで京都に着く。ああ、もう15時だ。どうしよっかな。ということで、インフォへ行く。そしていろいろ物色。あんまり行きたいところが見つからなかった。が、安っぽくパソコンで作った一枚の張り紙に目が留まった。(デザインがかっこいいことも重要だが、デザインが悪くてもひきつけるものはひきつけるのだな。何か伝わってくるのだ。それは何がそうさせるのかはわからないが)六波羅蜜寺という寺で「空也踊躍念仏」がやっている。12月13日から30日までらしい。そう、今日は30日だし見に行ってみようと思う。バスで15分か20分。ついた。

空也踊躍念仏 – くうやゆやくねんぶつ
天暦5年(951)、疫病救済のため空也上人が始めた踊り念仏で「かくれ念仏」ともいわれ、夕方薄暗くなった頃から行なわれる。 一年間、私たちが人として世に生かされている中で知らず知らずに犯した罪業の消滅と、新しい年がよき年であることを祈る念仏である。

空也踊躍念仏は一年の罪を消滅と新年が良い年であるように祈るというなんともぴったりな念仏だ。さらに、宝物館では小学校の教科書に載っていた「空也上人立像」「平清盛坐像」があった。これらも良かったのだが、その横にあった、運慶・湛慶坐像の表情も良かった。

念仏は過去に弾圧を受けて格子扉を二重にして外から見えないようにして、さらに南無阿弥陀仏もわからないように言い換えて、さらに念仏はいつとまっても良いように作りかえられたらしい。そして、ずーっと続いてきたみたいだ。宗教ってどんなものでも排除されるのかなと思ってみた。時間がたつにつれて受け入れられていく。念仏を見て、お焼香をして厄払いのお守りをいただいて帰る。

すぐ帰っても良かったが近くに清水寺があったので行ってみる。てくてく歩いて清水へ。おお、小学校6年生の修学旅行以来だから、10年ぶりぐらい。駐車場を見た瞬間に思い出した。この駐車場だ!と。記憶が復活した。この駐車場を見なければ決して復活しなかった過去の記憶。駐車場を見て10年前のことを少し思い出して、おみやげ物やを通り抜ける。すると、この土産物屋が新しい。ナウでヤングでポップなかんじですよ。レンタルサーバー、ペーパーボーイな感じですよ。いや、本当に店が最近の若者がすきそうなつくりになっていた。実際着ていた人も若い人が多かった。へー、そうなんだ。と納得して、清水寺へ。清水の舞台だ。飛び降りよう。と思ったがネタになって死ぬだけだ(笑)

10年ぶりのとこを訪れるのもいいものだ。記憶がよみがえる。清水の駐車場を見なかったら、小学生のときに見た駐車場の記憶は決してよみがえらなかったと思う。自分の脳の中には小学校のときに見た清水の駐車場のデータが何かしらあるわけだが、自分の意思ではそれを引き出せない。しかし、清水の駐車場を見ることによってその記憶は復活する。なんで自分の中にあるのに自分の意思で復活させれないのか不思議だ。画像は画像として記憶していて、引っ張り出してくるから、実際の清水の駐車場を見ないと過去の記憶は引っ張り出されないのかな。ということは、もし、僕が何らかの理由で清水の駐車場をイメージしていたら、復活していたのかもな。

そう考えていると、寝ているとは何なのかがいきなり気になった。寝ているとは、自分の意識(意思)で多くのことをコントロールできないことなのかな。寝ているときとおきているときの脳の差は何なのだろう。どこの部分の機能がストップしているのか、逆にどこかの部分が機能しすぎて意識が吹っ飛ぶのか。寝ているとは何なのだろうか。起きながらにして寝た状態の脳を感じることはできないのだろうか?寝ているとはどんなことなんだろう。気になる。

ああ、清水から京都駅まで歩いて帰りました。

 
Posted by takeshi at 12:47 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
シリコンバレーってのは
いつかねー、シリコンバレーという場所をしったのは定かではない。

だが、知ったときから憧れのようなものがあったと思う。
現実とはそう甘いものではないと思うが、新しい技術やサービスを提供しようとする起業家、大学、VCやエンジェル、弁護士、会計士などのいろいろな人が助け合い、近くには海岸、テニスコートなどの施設もあるみたいなイメージ。インフラが整い、新しいことを有能な仲間と協力してがむしゃらにやる。妄想かもしれないがあこがれる。

でも、バブルとかで物価が高くなりすぎて仕事をしていても持ち家に住めなかったり子供を育てる環境としては悪くなるという話も聞く。

まあ、それは置いておくとして、やっぱりシリコンバレーは気になる。ということで、JTPAというシリコンバレーで働く日本人をサポートするNPOが開いた東京セミナーに行ってきた。

JTPA第2回東京セミナー
テーマ 「シリコンバレー・ベンチャーを通じたキャリアディベロップメント」
- シリコンバレー・ベンチャーから学んだこと -
2004年12月27日(月)

3名の方は三菱商事でシリコンバレーに駐在し、その人脈でベンチャーキャピタルを設立した方、銀行からスタンフォードのMBAに行きシリコンバレーに残りコンサルやビジネスディベロップメントをしている方、東北大学の助手で文部省からスタンフォードに派遣され、そのつながりでシリコンバレーのベンチャーに参加して、現在はNTTの研究者の方とそれぞれ異なるキャリアを積んだ方の話が聞けてとても面白かった。
メモ

・日本人であることがまったく意味を持たなくなる価値を生み出せるキャリアパンターン
・日本人であることを強みにするキャリアパターン

シリコンバレーで仕事をする、創業する人の目標のボトムラインは同じ、会社の株式公開やイグジット

日本の大企業だと、自分の将来が見えてくる。この大学、この部署出身で最高でこの人の役職、普通でこの人のような役職、最低だとこの人みたいなロールも出るがいる。それはつまらない。

ベンチャー創業時は資金集めで断られることも多く感情の起伏が激しい。それをどのようにとロースするかが重要。

もし、これができたらどのようになるのかを、価値・人脈などを具体的にイメージする。

「反省はしても、後悔ぁはしない人生」

成功するまであきらめなければ、進歩する。
細かい仕事を成功させて這い上がって行く

小さくてもユニークさを出していく。そうしないとビザが下りないという現実問題がある。
自分の価値を伝えて、わかってもらう

転職前に、ヒアリングに行く。自分が転職する業種や業界で成功している人、自分と似たキャリアを先に経験した人に自分でも成功できるか、やっていけるかを聞きにいく。

必要なスキルと足りないスキルを理解して、足りないものはうめる。

自分の価値を回りにいかに伝えるか。しゃべらないとわかってないと思われる。事実(実績)を積み重ねて見せる。肝になるところで、ツボを押さえてみんなをひきつける。勝負どころでキメ言葉を言う。聞く力をつけて、話を踏まえた説明。

自分の行っていることの説得力を増すためにMBAで習ったアカウンティングやロジカルシンキングなどを使う。実際は前線で学ぶしかない。

良いビジネススクールは多様な人が着ている。学部卒、コンサル、投資銀行出身、NPOにビジネスを持ち込みたい人、起業家、とりあえず行く人、キャリアを転換するため、黒人、アジア人、白人、年齢も幅があるなど。

Posted by takeshi at 12:13 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 27, 2004
年末
昨日大掃除しました。

年末ですから、大掃除は基本です。
昔から年末になると大掃除。習慣化しています。

すっきりした気持ちで新年を迎えるのもいいものです。
掃除をすると、気分がすっきり爽快、気持ちいいのは何でだろうか?

掃除をするとほこりが立たなくなり、空気がきれいで気持ちいいのか?あと、視覚的にゴミがあると気分が良くない、汚いと感じる。汚いというのは雑菌などがたくさんあり、病気になる可能性があるから本能的に人間は好まないのであろうか。

まあ、よくわからないが掃除をしたということです。

今年もあと数日で終わり、新たな良い年を迎えましょう。

ああ、30から4日まで岐阜に帰ろうと思うのですが、岐阜に帰る夜行の指定席が買えてない。売り切れだからだ。

まあ、結局まだやったことのない小田原攻めというものを経験してみようか。

Posted by takeshi at 11:07 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 26, 2004
「長い」という感覚
年末である。年の瀬である。

子供のころよりは季節感がなくなったのが自分でもわかる。昔は、年末とかだとソワソワしていた、というか年末という雰囲気の変化をもっと敏感に感じていた。年を重ね、何度も経験すればあまりなんにも感じなくなってきた。寂しいことでもあるが、自然なことでもある。

まあ、そんれとは別にして、昔よりも季節感がない気がする。店のセールとかも含め社会の年末シフトが少なくなってきた気がする。

まあ、年末ということで音楽番組を良くやっている。ベスト100みたいな感じで。そいでもって、いろいろな歌手の昔の歌も紹介していることがある。それをみてふと思う。いや、感じる。

この歌手はけっこう長い間続いているな。この歌手って最近デビューしたばかりだよなって。感覚的に感じる。

しかし、そのアーティストのデビューした年を見ると1,2年しか変わらなかったりする。僕の中では5年ぐらい違うイメージがあったのに。

下積み時代が長かったとか、さまざまな要因があるだろうけど、それを抜きにしても感覚的なずれがある。

はて、これはなぜかと考えたら、こうではないかという自分なりの答えは浮かび上がった。

僕が音楽に興味を持つ前に、たとえ1ヶ月前でも、すでに売れっ子になっていた歌手は長く売れていると感じ、僕が歌に興味を持ってから売れた歌手は短く感じる。こうだと思うのです。

自分が興味を持つ前に売れていた歌手は、その前どれくらい歌手の活動をしていたかは知らない。僕が興味を持ったときにすでに売れていたことは、その前から売れていることである。その前からというものを、感覚的に1ヶ月とか1年とかいう単位ではとららえず、3~5年ぐらい前から売れていたと自然に思ってしまうのだ。歌手への敬意ととらえるか、自分の知らないものへの評価ミスの根本的な問題か、、歌手のブレイクまでの期間の推測によるのか、自分が生きて感じてこなかった過ぎさりし時間的感覚の鈍さか、何かはわからないが。

人間が意識するという事と感覚はそんな関係だ。
BGM 森山直太郎 – 生きとし生けるすべてのものへ

Posted by takeshi at 02:14 PM | コメント (214) | トラックバック (0)|
昔書いたねたブログ 記録用
2004年12月26日
星の王子様
星の王子様を年末年始に読もうと思う。

なんか読みたい。読むぞ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783400008/250-3040118-7421009

この本いいよ。さすが、ゆたぽん。

おいらが求めているものをわかってる。最高。

アツイ、ヤバイ、マチガイナイ。

 

 

Posted by secondlove1 at 03:04 │Comments(0) │TrackBack(0) 青い
俺は青い、中学生が考えることを、今考えている。そのレベル。

遅れすぎだ、

でも、一生こんなことを考えていそうだ。

一生子供で痛いと真剣に思っている。精神的な面で。

子供のころに味わった、あのわくわく感は失いたくない。

青くても、子供でもどんとこい、
哲学っぽいことを考えることは子供の証というが、僕はまさにそれに当てはまる。

子供だー、
やったー、子供だ

子供尊敬しています。
Posted by secondlove1 at 02:59 │Comments(0) │TrackBack(0) 芸術
原理主義のにも通じるが、いい歌があるとその歌ばかり50回は聞くな。

それはいかがなものなんでしょう?

歌とも関連するが、僕は芸術というものに対して憧れがあるんだと思う、
僕は、昔からピアノとかやってきていない。女のやるものだとか、そういう差別的考えを幼稚園のころ持っていた。

それで、絵とかにも音楽にも昔は興味がなかった。

しかし、大学に入ってから芸術に興味がありすぎだ。
でも、体系的に学ぶとかではないのだが、いきあたりばっかりで、芸術を体で感じる。そればっかりだ。

でも、純粋に感動して、その世界に入ることがある。

芸術家の友達は何人もいる。正直若い人の中ではトップクラスも何人も知っている。その人たちと、いろいろな物を作るのは面白い。

でも、僕は芸術というものを自分に書けたものとして捕らえ、それをあこがれている傾向があると思う。

本当に、好きだと思う。純粋に究極の心地よさがあるから。でも、この憧れという気持ちが邪魔をしているのも事実だと思う。それを排除したところに芸術はあるのか?

ああ、だから写真を撮りたかったり、ケーナを買ってみたりするのだ。
そういえば、2,3日前僕が尊敬する芸大生の人と夜中、話していた。すると、彼は僕に絵を描いてみればと進めてきた。

僕も、いいかもと思った。いろいろ書いて、彼に見てもらおうか。

肩肘張らずに、楽しもうじゃないか。

プロじゃないんだし、失うものはない。

失うものはないと追った人間は怖い。火事場の場家事からではないが、そのようなありえないパワーを出す。

がーーーー。
Posted by secondlove1 at 02:47 │Comments(0) │TrackBack(0) 原理主義
僕は、どうも原理主義らしいです。

これだ、と思ったらそれしかなくなります。

どうしてもそれだけしか見えなくなります。

正しいも間違いもないのに、それだけを正しいように見てしまう。

ほかを排除してしまう傾向にあります。

これはだめな部分が多いかもしれない。

でも、そうなってしまう僕がいるのもこれまた事実。
そうなんです。

どうしようもない部分があるのです。

原理主義って、どうですかね?
まあ、中庸というものがいいことは振り子の端っこに一回行かないとわからないのでしょうか。

釈迦が、贅沢のきわみを味わい、断食で限界を感じいい加減を見つけたように。

まあ、僕はそんなレベルには達しえることはないのかもしれませんが。
Posted by secondlove1 at 02:44 │Comments(0) │TrackBack(0) だいぶましに
自分でも思う、だいぶましになった。

幼稚園のころは給食を一番にくい、何でも一番で、鼓笛隊の指揮の子が好きでスカートめくったり、キスしてました。それに、隊長と呼ばれて幼稚園児を使ってました。ひらがなとか覚えませんでした。

小学校のころはいじめばかりしてました。先生をおちょくっていました。すいません。

中学は3年が伝説で。今までの人生で一番やばかったです。みなさま迷惑をかけました。完全にいかれたことをしていました。

高校は男子クラスで、みんな馬鹿でした。適当に生きていました。ディベートしていました。そればっかりで、勉強していなくて赤点。勉強していなくて、AOで受かればいいと思っていたら、罰が当たって12月の中旬から受験勉強というひどさです。

大学に入り、一人暮らしをして、しりました、世間知らずで人に助けられて生きていることを。周りのみんながいて僕は生きています。感謝の念でいっぱいです。

でも、自分の生きる規範というものだけはあってそれだけは守って生きてきました。

そんな人生です。

 

Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0) 押し競饅頭
押し競饅頭っておしくらまんじゅうって打ったら出てきた、

押し競饅頭って本当の漢字なのかな?

そうならはじめて知った。
がっはっは、知識ないのばればれ。

漢字も知らない、ゲームも知らない、トランプとかもしらない、漫画も読まない、アミューズメント施設も行かない。小説も読まない。ドラマも見ない。歴史を信じない。ひらがなもかけない、かなり重症だったとみんな言う。

だから、小学校の友達は今となっては一人もいません。

ひねくれた少年でした。

ぐへー。

 

Posted by secondlove1 at 02:36 │Comments(0) │TrackBack(0) 金沢ショボンヌ
金沢ショボンヌ
金沢ショボンヌ

ゆたぽんはこういった。

しかし、たけぼーも金沢ショボンヌと中学から言っていた。
ほかにも、まじでじまも中学から。
がーーー。

 

 
Posted by secondlove1 at 02:35 │Comments(0) │TrackBack(0) そうだ、彼女だ
忘れていた、彼女だ彼女、

彼女を作るブログだった、ちっかり忘れていた。

さっきのエントリーは暴走しすぎた。暴走天子だ。

ああ、ぽくちゃん、、わかった
このエントリーが彼女をできないことを物語っているのだ。

すぐ、忘れちゃう。面白いと思ったら、なりふりかまわずそれをやっちゃう。

だめなのかな、この性質が。

うっしっし。

がっはっは。

じゃあ、直そうか?って気持ちにならないのがだめなのか?

どうにかなるさって、どうにもならないことなんだなーこれが。

コレガって会社があったな。
Posted by secondlove1 at 02:32 │Comments(0) │TrackBack(0) 社会不適合
みんな、俺のことを社会不適合っていうけど、それなんだ?

不器用だー。

それが売りだ、

バナナの叩き売りだー。

俺は、古風だ。古風なところがあるけれど、新しいものが好きだ。

人と同じことが嫌いで、変な言葉かなことが好きだ。

天邪鬼だーーーー。
Posted by secondlove1 at 02:29 │Comments(0) │TrackBack(0) がーーがー
ピエロ。

ピエロ。

ピエロって何だ?

なんで、ピエロって生まれたんだ?

気にならないか?

ピエロが人に抱かせる印象って何だ?

ピエロは人間である是か非か?
これで、100時間は語れるな。
Posted by secondlove1 at 02:28 │Comments(1) │TrackBack(0) すべての人類に捧ぐ
実は、地球ってものはなかった。

あなたは僕です。

僕はあなたです。

そう、実体のないことが実態であり、

実態を失った社会こそが、今ある世界なのです。

あなたは、生きていないのです。

生きていると思っても、それはあなたではないのです。
こころってものはないのです。

心はないとおもったらあるのです。
心があると思ったらないのです。

そう、あなたは人間じゃないのです。

今のあなたと明日の朝起きたあなたは別人です。
それだけは確実です。

なにもあなたではないのです。

空虚な気持ちにならないでください。
それが真実でない真実です。
Posted by secondlove1 at 02:25 │Comments(0) │TrackBack(0) 祭り
祭りだ。

人生は祭りだ。
自由ってんんだよ。、楽しみって何だよ。

わかんねーよ、
ただ、ただ、おれは書いているよ。

タイピングが早いよ。
世の中わからないけれど、楽しいって思うことがあるってことだけはあるよ。

人生って何ぢょ。

おれは、生きているのか死んでいるのか?
定義だ、理論的だ、ロジックだ、数字で示せ、なんだそれ、

やってられるか、何が資本主義だ、何が社会主義だ、何が共産主義だ。

ばーかー

くそー。

何が、景気だ、
そんなもの知るか、
人間の原点って何ぢょ
そんなものあるのかよ

ねーよ。

進化論って何だよ。

ドリブンしてるよ。

脳内暴走だよ。

酒も、タバコも、「薬もなしで脳内暴走キター
Posted by secondlove1 at 02:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル拘束された自由を持つサル

拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル

これ、いいな。

たかが言葉だよ。
されど言葉だよ。

言葉のあやです、

なんだそれ。

 
Posted by secondlove1 at 02:21 │Comments(0) │TrackBack(0) 運と勢いと乗り
運と勢いと乗り

運と勢いと乗り運と勢いと乗り

そうだ、人生運と勢いと乗りだ。
僕は、自由だ、
拘束された自由を持ったサルだ。
わかったかー

まじ、勢いだ。

勢いから生まれるものもある。
たまに、原石もあるのだ。

怒涛のえんとりーいけー
Posted by secondlove1 at 02:19 │Comments(0) │TrackBack(0) なんぼのもんよ
なんぼのもんよ、

人生何ぼのもんよ

生きるということはすべて仮想なんです。
現実なんてひとつもないのだ。そうだ、すべては脳の中にしかない。

愛だって、美だって、喜びだって。
そう、仮想の世界で生きているのだ。

現実なんて、ないのだ。現実と思っているだけなのだ。
なんぼのもんよ。
Posted by secondlove1 at 02:18 │Comments(0) │TrackBack(0) そもそも、なぜかって言うと
そもそも論キター
エントリーしたいということは、話したい、たまっているものを吐き出したいということだ。

芸術はからだから吐き出すことだ。

そうだ、エントリーも話すことも芸術だ。

そうだ、爆発させるぞ。がーーーー。

しゃかりきに、全身全霊で表そう。
Posted by secondlove1 at 02:12 │Comments(0) │TrackBack(0) いくらでもできるが、
いくらでも、エントリーできるが、

今日は眠たいから無理だな
だって、だって、だって、えんとりーだから、意味不明。

ぽっけぺけー
しんめりとしたシンメトリー
しんめりとシンメトリー
しんめりシンメトリー
しめっぽいシンメトリー

靴下は確かに違うね。

人間、いきているんだよ。

 

Posted by secondlove1 at 02:08 │Comments(0) │TrackBack(0) ぬるい
ぬるい、ぬるい、なまぬるい。

ぬるすぎる。
ああ、おれってそんな社会不適合者かー?

どこを直したら、もてるんだ?
全部はなしね。

もてるとこってないのかー?

ねえ、教えてくれよ。

このブログを呼んでいる、5000万人ぐらいの人々よ。
Posted by secondlove1 at 01:52 │Comments(1) │TrackBack(0)
2004年12月10日
わかったど、わかったど
なんかわからんけど、わかったど。

 

 

どっちだ?お前。

 

 

 
やっぱ、究極的には同じようなところにたどり着くんだなあ。

 

 

そういうことが分かったど。

 

 

でも、これは同時に結局は分からないということも示しているのだな。
Posted by secondlove1 at 22:02 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月09日
おれは猛烈にうれしいんだよ
ほかっといてくれ、おれはもーれつにうれしいんだよ。

 

 

 
寺町っておとなしいだけかと思っていたら、面白いんだよなっていわれてうれしいんだよ。

 

 

もーれつにうれしいんだよ。

 

 

それが、その人の心のそこから出ている言葉だったからおれはもーれつにうれしいんだよ、

 

 

 
本当にうれしいんだよ。

 

 

先週も、握手して、ああ、握手がしぜんにでるなんて本当に認めてくれたんだとおもったよ。

 

 

モーレツにうれしいんだよ。

 

 

俺は単純さ。

 

 

他の人から言われるのとは、訳が違うんだよ。

 

 

おれは、本当に尊敬しているんだよ。そんな人なんだよ。

 

 

Posted by secondlove1 at 22:38 │Comments(1) │TrackBack(0) なんかよく分からないけれど
なんかよく分からないけれど、俺って、人間が好きだわ。

 

 

難しいこと分からないし、哲学とか、医学とか分からないけど。

 

 

人間ってなんかいいね。

 

 

 
ああ、自分がいかに安っぽいかを知るよ。

 

 

ああ、自分って結局流されているだけって知るよ。

 

 

ああ、自分って何だろうね。

 

 

 
でも、みんなの笑顔を見ているだけで、僕は幸せなのかもね。
Posted by secondlove1 at 22:12 │Comments(0) │TrackBack(0) アニキ
アニキ
aniki

こんな感じかな。

カマキリ

リュウジ

ソラ

ワタシ

キョウ

アナタ

スキ
Posted by secondlove1 at 02:04 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月08日
買ったど、買ったど
ああ、ボイスレコーダー兼MP3プレイヤー兼FMラジオ兼USBメモリを買ったど。

遂に買ったど。
これで、久しぶりに○○○ができるど。

がー、512Mだど。

安かったど。

わーいわーい。

Posted by secondlove1 at 18:41 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月07日
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ

何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。
PSPはやり方によってはライフスタイル変えるね。
ああ、でもどうだろうな。携帯とPSP今後どうなるかだな。
PDAも潜在能力はあったんだけど、インパクトに欠けていたよなぁ。

Posted by secondlove1 at 23:16 │Comments(0) │TrackBack(0) おお、
おなじ記事読んだな。

ああ、テンプレ変えよ。

あそこのテンプレが代わったから。
Posted by secondlove1 at 02:34 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年12月06日
単純
おいどん、単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。

単純すぎるバカです。

特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。

Posted by secondlove1 at 22:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月05日
ひさしぶりに、、、
いいもんだね。

良い響きだ。

ということで、来週までに準備いたします。

例の場所を、今日見たんだけど、良い感じでしたよ。

ベストポジションです。

Posted by secondlove1 at 23:06 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月04日
悪がきが
悪あがき、じゃなくて、悪がきが近くにいる。

本物の悪がきだぜ。

どうするよ。

ゆたぽんって言うらしいよ。

本当かどーかは知らないけれど。

Posted by secondlove1 at 22:29 │Comments(0) │TrackBack(0) そっかぁ
ユタポンが言っていた、

R4Lは1.1でした。
オイラは古くさくて、
しみったれているから低いのかな。

ということで、恋愛強制ギブスを発注しました。
これでハッピーになれること間違いなし。

 
Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月03日
にゅるぽ
なんか、ゆたぽんが、いってるぞー。

オラのことを三日坊主っていってるぞー。

今日だって、男を磨いてきたぞ。

すごい勢いで。

剃った頭をヤスリでゴシゴシと。磨いたぞ。

Posted by secondlove1 at 01:41 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年11月29日
あのさ、
ひきこもりーた、せにょりーた。

今日は本棚を整理したよ。
ついでに9冊も買っちゃったよ。
あらら。

なんか、セニョリータだなぁ。
歩きながら思ったんだけど、
普通に予定が入っている日にこんなことしたらどうだろう。
財布も携帯も家において出かける。
もちろん、定期もだめだよ。自転車も車も。

OKなのは家の鍵と服だけ。
あとはすべて家において出かける。

そんなことしたら、どうなるんだろう。

どうもこうも、ただ不便で人に迷惑かけるだけだな。
でも、そんなことに面白みがあるんだよな。

Posted by secondlove1 at 22:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 4様
なんか、ヨン様とかいう本名ペーって人が日本に来てたみたい。

バカみたいにテレビで騒ぎすぎ。

おばちゃん群がりすぎ。

でもね、あのおばちゃん連中って全員さくらみたいだよ。

さくら水産の派遣みたい。

そんなことをきいたよ。

Posted by secondlove1 at 14:05 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月28日
へー
ゆたぽんって人、昔はこんな顔してたんだ。

今は、黄色だったりピンキーだったりするんだ。

うらやましいな。
ゆたぽんって、カメレオンさんみたいぽ。

ってことは、人間じゃないんだー。へー。

Posted by secondlove1 at 00:31 │Comments(0) │TrackBack(0) あ、ネムタイ
ネムタイってムエータイに似てるな。

そう感じた、たけぼーです。

なんか、国際結婚って新しいらしいですよ。
どっかの、ブログで見ました。

どこかは、詳しく覚えていないですけど、「♪さきっちょ&はあちゅう♪の悪あが記」って名前が脳裏にあります。どうか、しらないですよ。

すいません、今日は酔ってて、意味不明です。
そいえば、ゆたぽんって誰なんだろう。
気になるなー。
ゆたぽんって湯たんぽに似てるね。

おーい、湯たんぽ。
湯を担保にするから金かしてけれ。

Posted by secondlove1 at 00:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月27日
たぶん、そう思う
絶対に、二番煎じだと思う。
ただのマネだと思う。

書いているやつら、かっこ悪いな。

うん

Posted by secondlove1 at 01:26 │Comments(4) │TrackBack(0) ☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み はじまりはじまり
ついつい、はじめてしまった。

☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み

完全なのりです。

まさに、悪巧み。

彼女が出来るように頑張ろう。
Posted by secondlove1 at 01:12 │Comments(0) │TrackBack(0)

Posted by takeshi at 02:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
本当かよー!?
最近、よくCMでオキシライド電池なる商品の宣伝をしている。

アルカリよりもパワーがあるという宣伝をしてみたり、がんばっているようである。

その宣伝のひとつに、こんなものがあった。

オキシライド電池を使ったポータブルプレイヤーで音楽を聴くと音が良いと。アルカリ電池との比較広告なんですけど、チェコ交響楽団の人にアルカリ電池とオキシライド電池で音楽を聞かせどっちが良いかを質問しています。

すると、オキシライドのほうが音質がいいと答えるのです。

これを見たとき本当かよとお思いましたよ。本当に。ソニーとかもウォークマン用の電池を出していたけど、それは長時間持つという意味でウォークマン用だったと思う。そうじゃなくて、音がいいってどういうことだよ。

ヘッドフォンとか元の音質が音のクオリティの決定要因じゃないのか?電池で何で音が変わるのだ?
わからん、ということで検索。

すると、こんなの(エントリーの最後にある)ありました。

詳しくはわからないが、アンケートの聞き方がどうであったかが気になる。こっちがアルカリ電池です、こっちがオキシライドですと質問する前に言ったとしたらお話にならない。

さらに、電圧が長時間使っても安定しているのが、オキシライドの売りらしい。というと、アルカリは長時間使うと電圧が安定しなくなると。するとだ、どちらも新品だったら両方とも電圧は安定しているわけだ。となると、使い始めは音質は変わらないが、長時間立つと音質の違いを感じるんだな。そこで、アンケートを考える。アンケートをするときは新品の乾電池使うだろう。すると、あんまり音質は変わらないんじゃないのか?まあ、2000人のアンケートだから使い終わるときに、聞いて判定した人もいるかもしれない。となると、そこの人たちはオキシライドに投票したかもしれないけれど、はじめの人たちは半分半分に投票してもおかしくないな。

まあ、パナソニックのサイトだけでは、いまいち信じれないわけです。自分で試してみたいな。でも、高いしなー。まあ、区別できるほど音にうるさいわけでもないし、まあいっか。どうせ、100円ショップの電池で聞いているわけだし。
オキシライドで聞く
オキシライドで聞くと音が違うのはなぜ?

音楽業界では電源が変わると音質が変わることが常識となっています。(多くのレコーディングスタジオでは電源にこだわり、いい音を追求しています)

例えば、一般家庭にある通常の100Vコンセントではクーラーや他の電気製品の影響を受け、電源が安定しません。そこで100Vの電圧が変動しないようにする安定化電源、さらには電圧を少しでも昇圧して使用する117V電源を設置するなど、電源に工夫を凝らしています。

赤:117V電源
黒:安定化電源100V
白:通常電源(電圧は変動し、不安定)

乾電池も同様の原理です。
オキシライド乾電池はアルカリ乾電池に比べ、初期電圧(1.7V)が高く、しかも長時間使ってもこの電圧が下がりにくいという特性があります。このアルカリを超えたパワーが再生時の音質に影響を与えるのです。

使用機種や条件によって音の差は異なりますが、実際にオキシライド乾電池とアルカリ乾電池を使って再生した音楽(※調査は、充電式電池をはずした状態で、乾電池の単独使用。また本体付属のインサイドホンではなく、別売りのステレオオーバーヘッドホンを使用しました。)を聞き比べてもらう実験を約2000名に対して行ったところ、約75%の人が音の違いを実感することができました。「音がクリアに聴こえる」「バックの音が出てくることで臨場感が高まる」「音のレンジが広がり、まるでエコーがかかったように聴こえる」というコメントが主流を占めました。(※国内外の音楽のプロ120名、音楽専門学校生82名、ノンプロ1765名に対して聴き比べ調査を実施)

http://national.jp/product/conveni/battery/oxyride/lab/music/kiku.html
Posted by takeshi at 01:14 AM | コメント (215) | トラックバック (0)|
December 25, 2004
過去を今生きる
世の中には過去を今生きる人々がいるのだ。

誰にもそのような面があるだろうが、すべてが過去を今生きている人もいるようだ。

今を今生きる人も、未来を今生きる人もいるように、過去を今生きている人々もいるのだろう。

Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
過去を今生きる人々
過去を今生きる人々

世の中にはいろいろな社会がある。僕の知っているのがすべての社会ではない。それは、当たり前だが、日本にもたくさんある。そんな社会が。

別にそれを知るべきだとも思わないし、知らないなら知らないでもいい。でも、そんな社会に生きる人たちは、人間の原点となる問題を示してくれるのかもしれない。

今がない人、今が空っぽになっている人は過去を生きているのだろう。今生きているのだが過去を生きている。

Posted by takeshi at 12:41 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
天才の顔
なんか知らんが、賞をロナウジーニョという人がもらったらしい。

けっこう前見たときから、この人は天才だなと感じた。もちろん、練習とかも相当しているからこそ、認められるプレイヤーなんだろうということは承知しております。

テレビでちょっと見たことしかないけど、なんか天才かなと感じた。特に理由はないが、サッカーをしている映像とか、練習で戯れていたり、得点した後の行動を見てそう感じたんだと思う。
で、実際にあって、特に話さなくてもこの人は、とてつもない才能を持っていると感じることもある。それは何なんだろうね。何がそう感じさせるのだろうか。

たぶん、常識とはずれた(常軌を逸した)言動をするんだけど、そこに何かしら鋭さがあるのかなと思うが、これは何も言っていないに等しい。なんで、そう感じてしまうのか気になるところです。
Posted by takeshi at 12:40 AM | コメント (199) | トラックバック (0)|
December 24, 2004
コメントスパムは馬鹿がやることだ
コメントスパムは限りなくむかつくわけです。

MT3からはタイプキーとかで対策されている。あと、禁止IPとか海外からの書込み禁止などで対策している人もいるようだ。

まあ、それはいいのだが、最近のコメントスパムはひどすぎる。むかつくを通り越して、あきれた。

こんなにもコメントスパムを打つと、ブログを書いている人の気分を害してブログのエントリーをしなくなるぞ。そうしたら、彼らはコメントスパムもできなくなってしまう。コメントスパムを大量にやることによって、自らの首を絞めている。さらに、あまりにも同じコメントが多かったら、ブログについて詳しく知らない人でも怪しくてクリックしないし。

それに、ブロガーがコメント禁止にしてしまったら、コメントスパムできなくなる。限度を超えてコメントスパムを打つべきじゃないと、コメントスパムを打つ組織か個人に言ってあげたい。

適度に打つなら、知らない人が間違ってクリックするかもしれないけど、これだけ多く打つとまったくコメントスパムを打った意味がないと想う。悪いこと(?)も限度を超えると良くないよなぁ。悪いことはあまり派手にやらないことが鉄則です。派手にやった時点で、みんなが知ってしまうから対策が採られる。そうならないためにも節度を守って悪いこと≒コメントスパムを打ってくれ。

むやみやたらにやらないようにといってやりたい。

Posted by takeshi at 11:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人間って、
何でもありっちゃ、なんでもありなんだよな。

どこまでいってもプライドはあるし、人よりも勝っていることを主張したがる。

現在が最低だったら、過去の栄光を語り、見栄を張る。

結局、人間ってなんなのだろう。

Posted by takeshi at 09:03 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
1386件
コメントスパム、昨夜は1386件。
ありえない、この数は。。。。

読まないといけないメールも、埋もれてしまってみる気をなくした。。。
こんな勢いで毎日来るのかなーー。

ああ、やってらんねー。

Posted by takeshi at 09:16 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 23, 2004
コメントスパム 635件
朝起きて、メールを見たら受信メール700件以上。

おかしいぞ。昨夜もメールチェックしたのでこんなにくるはずがない。それに、祝日だからメールの数は少ないはず。なぜだ、とおもったら、ブログへコメントが来たという確認メールが大量に着ていた。

まあ、僕のブログにはそんなにもコメントがくるはずがない。そうなんです、コメントスパムです。

20,30ぐらいのコメントスパムはよく来ていたけど、635件はないだろう。それも、一気に。勘弁してくれ。

いまだ、増え続けているのでいったい何件繰るのだろう。

もう、やめてけれ~。

それにしても、コメントスパム打っても何の意味もないだろう。誰もクリックしないよ。(まあ、コストがかからず、クリックするやつがいるから成り立ってしまっているんだろうけど。。。)

Posted by takeshi at 01:11 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
December 22, 2004
学校という場は逆戻りできないがゆえ、はかない
今日は、今年最後の学校だった。
それ自体はたいしたことではないのだが、授業後図書館に行った。
階段を上り、2階の踊り場のようなところに行く。そこには新聞がおいてあるから。しかし、いつもほかの人が読んでいる場合が多い。それで、いつものように3階へ。3階にはソファーがあり、世界中の新聞と雑誌がおいてあるから。

そして、日経とHBRをさくっと読んでいた。
ふと、外を見る。と、何やら、この時間はもう二度と味わえないんだと思った。当たり前なんだけど、それで僕はこの今という時間を必死で忘れないでおこうと思った。そして、図書館から見える旧図書館や葉が黄色に色づいた木々を目に焼き付けようと努力した。努力したというか、なんかこの光景を覚えていたいと思い、そのようなことをしていた。

まったく同じではないが、明日もあさっても、半年後もこの感覚に似たものは味わえる。なぜなら学生だから。しかし、2年後にはこの感覚は味わえなくなっている。もっと言えば、卒業してしまえば一生味わえない。だからこそ、こんな日常もはかなく感じたのだと思います。

たぶん、なんでもない日常です。図書館で新聞を読み窓から外を見る。でも、この感覚をいつまでも味わいと思った。それは今の大学生という身分、今きている服、今の脳みそ、今読んでいる本、なにもかもを含めて、将来も感じたいと思った。

学校というものは、はかないものであると思ったのです。小学校にしろ、中学校にしろ、高校にしろ、大学にしろ。なぜなら基本的に逆戻りがないから。人間というものは小さい子供のころから学校というものに通い始める、そしてどんどん成長していくのです。学校という場を通して。そして、学び、学校から吸収できるものを吸収して巣立っていく。だから、高校から中学にいくということはないのです。たぶん、学校というのはそういうものです。だから、学校は逆戻りできなくて、はかないのです。だから、学校というのは寂しさが漂っているのです。

会社だったら、一回辞めてまた再入社という事はある、地元だって戻りたければ戻れる、NPOだってそうなんです。でも学校と名のつくところだけは違うみたいです。

学校だって戻りたければ戻れるが、学校は基本的に直線的に成長していく場であって、普通は再び戻るということはないのです。社会人大学院だって、卒業したら舞い戻ることなんてないんです。

別に、何が言いたいってわけではないけど、学校というものは卒業してしまえば逆戻りできないから、もうこの身分(学生)でここにたつことはないからこそ、はかないのだ。と、窓の外の旧図書館をみて思っただけです。

BGM the song of life ギターバージョン
    Instrumental – Kenny G – Amazing Grace
Posted by takeshi at 07:05 PM | コメント (6) | トラックバック (0)|
まともな人
養老さんの「まともな人」という本を読み始めた。

けっこう、ふむふむそうだなと言うところがある。細部では、なんか違うというところがあるが、まあ、なんと言うか、現代の社会一般の方向性に対してカウンターパートから書いてるから、あえて書いている部分があるからなんだろうけど。

まだ、読み終わっていないんですけど、おもしろいです。

不安と恐怖ってのが面白かった。
恐怖ってのは、何か恐怖の対象がある。
不安は、不安の対象がない。

その違いという書き方をしていた。
おお、今まであまり不安と恐怖を考えて使い分けてこなかったので納得。

不安は対象がないので、不安が不安を呼ぶ。不安のスパイラルが起こると書いてあった。これも面白かった。

欲望も一緒で、食欲は食べれば満たされる。再現がある。恐怖も恐怖の対象がなくなれば恐怖はなくなる。ある意味で有限なのである。しかし、金欲は欲望の欲望である。なんか、パソコンがほしいという欲望なら、パソコンを手に入れれば満たされる。これは有限。しかし、金欲は何かをほしいという、欲望である。欲望の欲望なのである。だから、際限がない。

うん、そういわれればそうかも。おもしろい、自分でもなんとなくこう思っていた感じはあるのだけれど、文字にしていなかった。さらっと文字でまとめられていると、おおっ、と思う。

Posted by takeshi at 01:18 AM | コメント (207) | トラックバック (0)|
December 21, 2004
二酸化炭素売買
ガイアの夜明け
「タダの空気が金になる」地球温暖化に商機あり▽カンボジア…南米チリ秘境の商人

丸紅 池島さん カンボジアで植林プロジェクトを手探りではじめる。
カンボジア 環境省に1万ヘクタール植林の許可を得る。 四国ほどの広さ。
クリーン開発メカニズム=途上国で持続可能な植林をすると、排出権獲得できる

46人の小さな村。モンドルキア。村長に挨拶。
村人には植林で働いてもらい、貨幣を稼いでもらう。
農民は一年で30,40ドルの収入。
3000人の雇用予定。=家族を含めると1万人。
ゴムの木、試験植林。中国で自動車の需要アップ=タイヤのゴム必要→ゴムの木。
300万トンの排出権取引の額に相当する予定。

@大阪 テイカへ営業
製造段階でどうしても二酸化炭素を排出してしまう会社。
炭素税は毎年かかり、商品の価格アップにつながるため、

@丸紅本社 未来の顧客へプレゼン
20社(2年で集めた。)

コスト
植林事業20億円
社会貢献15億円

排出権価格
1トン6.4ドル(市場価格6ドル)

市場価格より高いところに、ものいがついた。

ゴムの生育状況を確認に再びカンボジアへ。すると、日本企業が来るという話しがうわさで周り、地価が高騰すると予測して、土地の囲い込み。この状況ではプロジェクトを進められない。

囲い込みのくいを抜くように、州の副知事のもとに直談判。→くいは全部抜くと、取り付けた。

帰国→会議に呼ばれる。ビジネスとして成り立つか。
環境ビジネス委員会。プラント、エネルギーのエキスパートらがメンバー。→プロジェクトGOサイン。

苗付けから5ヶ月、ゴムの木は育っていた。

カンボジアの村の奥地に風力発電。投資回収を早めるために。さらに、村でも伝記が必要になるから。風力発電をおこない排出権を獲得。8万トン排出権獲得可能。
風力発電を学校につけて、電気がついた。

ビジネスにしないと環境を維持できない。これが現実。二酸化炭素は目に見えない。明日何かが起こるなら、対策するけど、100ね先だと対策しない。これは、仕方がない。でもビジネスにすると人はやる。これは、いいことだ。

商社マンって、まじで一人で奥地まで乗り込んで交渉して商売を作るのだな。なんか、バックパッカーじゃん。何でも食うし。商社も、儲からないビジネスやめて、彼らしかできないことをしたらもっと稼げるんじゃないかな。それに、ビジネスのプレゼンもして、営業もして、大変そうだな。
@南米チリ 三井物産、両祖さん
東京電力が排出権購入にうごきだす。アグロスーパー社と提携。200万トン、12億円相当を契約。
契約をまとめたのは三井物産。地理に駐在歴があり、スペイン語ぺらぺら、1年がかりにプロジェクト。
二酸化炭素を削減するのに、日本なら1トン2万円、チリなら500円。
アグロスーパー社は5つの養豚場をもっており、そのし尿からでるメタンがでる 
メタン 126ドル/トン CO2の21倍の価格

日本企業がこのメタンを獲得し、このメタンを削減することで日本企業の削減の代わりにする。大きな、ビニルバックのようなものにメタンをためる。
@フィリピン 200万人分のごみため場 
スカベンジャー=ごみから鉄などを探し、売って生計を立てる人
ごみため場からすカベンジャーが鉄を取っていくので、生ごみだけ残り、メタンがたくさん出る。
三菱証券 吉高さん
ごみのメタンを利用した発電所を作る。

年間8万トン、4800万円。村に、電気が通うようになる。
排出権=環境コスト
きれいな空気を吸うにはお金がかかる。
Posted by takeshi at 10:11 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
仕事
クローズアップ現代
変化する職場、変化する意識
会議が変われば会社が変わる

監視される社員たち ~進む情報流出対策~

派遣社員は製造業を変えるか

働く意味は何ですか

成果主義はどうであったか?
人間不信、信頼されていないかも。

あなたの”強み”はなんですか ~中高年・再就職セミナー~

マツダ復活~技術者たちの挑戦~

働く意味は何ですか

働くって何ですか~広がる中高生の仕事体験~

”働けない”若者たち
効率化+スピード→プレッシャー
部品のように使われている。

weak tiesらしい。前、おいらが言っていた、社外取締役ってのは weak ties(弱いつながりの仲間)と言うらしい。玄田東大助教授いわく。確かこの人は「働くということ」にも文章を書いていた気がする。

つぶしがきく会社、プロとしての能力を身につけられる、頭の切れが良い仲間、英語が身につけられる環境、責任と権限が与えられる会社

今年のキーワードは「仕事」「アメリカ」らしい。ってことで、明日は「アメリカ」みたい。

Posted by takeshi at 07:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
なんか良くわからないけれど。
なんか良くわからないけれど。

しゃべっている時は、頭が働いているように感じない。
しかし、自分が今まで考えていなかったような新しいアイデアが出ることがある。
頭が働いているように感じないが、しゃべることによって脳が一番活性化されるとも聞く。
不思議なもんだ。
なんか良くわからないけれど。
何かを見たり、うれしい気持ちや悲しい気持ちになると、それにあった歌詞の歌が自然と出てきて口ずさんでいる。頭で考えて引き出してきたわけではないけれど、自然とその時にあった歌が口から出てくる。
自分では意識していないけれども、脳の中ではつながっているのだろうか。

なんか良くわからないけれど、前から「星の王子様」を読みたい。
この冬に読もうと思う。

Posted by takeshi at 01:36 AM | コメント (203) | トラックバック (0)|
旅にでたら、そこには空っぽだった
ああ、もうすぐ冬休み。空っぽな旅に出ようかな
どッかに行ってこようと思う。
久しぶりに18切符でぶらっとしてこようと思う。

冬の東北なぞに行ってみるのもいい。白神山地とか、田沢湖とか。でも人が多そうなので、特に行き場所を決めずに行くのもいいかな。田んぼの田舎道をぶらぶら歩いてみたい。

18切符のフレーズでいいものをピックアップ。
「通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。」
2000年春
 
「『早く着くこと』よりも、大切にしたいことのある人に。」
2000年夏

「たまには道草ばっかりしてみる。」
2001年春

「なんでだろう、涙が出た。」
2001年冬

「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」
2002年夏

「この旅が いまの僕である」
2003年春

Posted by takeshi at 12:44 AM | コメント (222) | トラックバック (0)|
2004年という年は何であったか。
出来事で振り返る。

1月、成人式があった。ああ、成人式は防衛大の友達と意気投合したな。他の誰とも話した記憶がない。2月引越しをした。東京都民とやらになった。ここに引っ越したことがこの年の後半に大きな意味を持つとは考えもしなかった。ドメインをとったりなんかもした。4月、東京にいる岐阜の人たち(G-net)と関わり始める。そんでもって、この頃はソーシャルネットワークなどが盛り上がり始めIT屋さんの集まりに顔を出していた。

5月、初めて山登りをした。三頭山という山だった。実に新緑が綺麗だった記憶がある。ありとあらゆるところに顔を出していた気がする。良く動いていたな。

6月はソフトバンクの株主総会に行ってみたりした。さらに、今年は岐阜へも良く帰った。なんだかんだで10回ぐらい帰った気がする。

7月は「たびそら」「飛ぶ夢を見た」という写真に感動した。そして、7月25日には時間は取り戻せないことを知った。

8月の頭は毎年のようにディベート甲子園で時が過ぎ、岐阜の花火を偶然にも土手から見れた。かなり感動した。そして、グロービスの堀さんにお会いし、鼓舞された。そして、会津にも行った。そして岐阜でのイベントをやった。教育と地域に関しての。そして時は一瞬のうちに過ぎ去っていった。インドのビザを取り、いつの間にかインドにいた。そしてネパールへと行き、またインドに戻ってきた。案の定帰国して体調を崩した。その間に友達がフランスへ行った。そして、

10月。上野の芸大に通い始めた。とてつもなく面白かった。ワクワクした。後半はこの授業のおかげで日々楽しかった。11月には三田祭があった。そして、12月黒服行事が多い。そんな感じだった。
感じたことで振り返る。
今年の目標で振り返る。

Posted by takeshi at 12:24 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 20, 2004
情熱とプロ
このブログを読みに来ている変な人たちに、僕が情熱大陸を愛してやまないことは説明するまでもないだろう。

で、今日も見てさっきエントリーを書いたのだが、ウェブを見に行ってまたなんかメモりたくなった。ウェブサイトには「読む情熱大陸」というコンテンツがある。これは重松清という作家さんが月に一回書いている。いつもなかなか面白く読んでいる。

少し話がずれるが、この重松清と言う人の文章は僕にはさらっと入ってくる。僕になじむ文章を書く人だ。簡単に言えば、この人の文章は好きだ。僕は小説とかを全くといっていいほど読まない人間である。でも、ブックオフで1年以上前に買った「ビタミンF」という重松さんの本を秋ぐらいに読んだ。すると、なんか良かった。短編だったり、言葉遣いが現代語だから読みやすかったからなのか、文章のつくりが僕の脳が言葉を作るつくりと同じだったかはさだかではないが。まあ、内容もなんかほのぼのというか、現代の社会問題を書きながらも、えも言えぬ気持ちにさせてくれる本だった。

僕は情熱大陸が好きである、でもって重松さんの文章も好きである。重松さんは情熱大陸のウェブで連載を持っている。この連載は情熱大陸の製作側から依頼が重松さんにいったから書いているのであろう。なぜ重松さんに依頼にいったか考えると、情熱大陸を作っている人が重松さんの文章のことを好きだからか、情熱大陸を見ている人が重松さんを好きな傾向にあるか、重松さんが人間に迫った文章を得意とするからか、そのへんだろう。そう考えると、情熱大陸好き≒重松さん好きとなる構図が見えてくる。なにやら、両社を好きになる理由があるのか?両社には何か共通点があるのかなと考えてみたりする。

で、まあ、重松さんが書いている読む情熱大陸も好きということです。

そこに、あったプロという言葉が気になった。プロって言うとそのことを仕事にして、飯を食っている人というのが僕の中でプロだった。曖昧な定義ではプロかどうかの判別が不可能になるが、この定義なら比較的わかりやすいと思っていた。でも、しっくりきていなかった。なんか、そっけなくって。下の文章を読んで、いいなぁとおもった。「自分の足で世界に立ち、勝敗に関わらず戦いの場から去らないこと」これが、重松さんの定義なのだろう。なかなかかっちょいい定義だな。

自分でもプロとは何たるかを考えると、それでメシを食っているかってことと、責任をもてるかどうかかなと思った。表面的な責任じゃなくって、本当に責任をもつということは、自分が納得してやり、最大限のことをしなければ責任を持ったことにならない。とすると、責任を持つことはプロの証なのかなと。

まあ、どれも月並みッチャ月並みだな。そんなの知るかー。

 
 単身ヨーロッパに渡り、フランスの一部リーグで活躍する田場さんは、敗戦後のロッカールームで泣いた。負けた悔しさを噛みしめ、思い通りにプレイできなかった自分を責めながら、人目もはばからず涙を流した。
 恥ずかしくはない、と田場さんは言い切った。いままで自分は何度も負けてきて、何度も悔し涙を流してきて、だからこそいまの自分がここにいるのだから――と。
 一方、日本とマウイ島の往復をつづける佐藤さんは、物心両面での夫のサポートについて語るときに、泣いた。そして、番組のエンディングでも泣いた。歴史ある大会アロハ・クラシックで優勝したときの挨拶で、その喜び以上にウインドサーフィンの聖地ホキイパへの愛を語ったときに、また、笑い顔で声を詰まらせたのだった。

中略

やっぱり、涙、なのだ。そして、その涙をカラッと乾かしてくれる笑顔、なのだ。

中略

いわば、二人とも、なにかに頼ったりもたれかかったりすることなく、自分の足で世界に立っている――それこそが〃プロ〃の定義なのだとぼくは思っているし、そのバックボーンがあるからこそ、二人は素直に笑い、また素直に泣くことができるのだ。

中略

アマチュアなら一度の栄冠の記憶をいつまでも抱いていられる。敗北とともに戦場を去ることもできる。だが、〃プロ〃は違う。勝ちと負けを繰り返しながら戦いつづけること――戦いの場から去らないことが、〃プロ〃の証なのだから。

http://mbs.jp/jyonetsu/yomu/index.html
BGM Desperado Eagles
Posted by takeshi at 01:04 AM | コメント (230) | トラックバック (0)|
December 19, 2004
-情熱大陸-師匠とは
心の底から自分の師匠といえる人に出会ってみたい。

今日、情熱大陸を見た。荒木水都弘というすし職人の方を取り上げていた。身を粉にして極めるタイプで、まじめで、不器用そうな人っぽかった。でも、僕はこういう人が好きだ。

この人は4年前に独立したらしいが、それまでの師匠が店に久しぶりに来るシーンをやっていた。師匠は小林秀雄さんや現在の天皇陛下にもすしを握ったことがある人らしい。彼はその店で修行して、師匠が病気を期に職人を辞めるときに玉子焼きの鍋をもらったそうだ。コレをもらったという事は、師匠はこの弟子に期待をしていたということであろう。そして、今は常に予約でいっぱいの人気すし屋になっている。

そんなところに、師匠はすしを食いにきた。師匠はすしを見た瞬間に語り始めた。お金をとらないならばこのすしでもいいが、取っこのすしではだめだ。きり方がなってないというようなことを言っていた。寿司のネタにとって切り方は命なのであろう。

絵を書く人にとっては、一本の線がそこにある、そこでしかダメな場所があるみたいだ。腑に落ちるというか、まさにそこに一本の線がある、あるべくしてある。そんな感じみたいだ。僕にはまだわからないが、いろいろ見ていくうちにわかるのだろうか。これは、文章を書く人にとっては、単語一つ一つ。文章の繋がりがまさに、絵で言う一本の線であろう。音楽家であれば、その音が、その長さで、その時に流れるからこそ、しっくりくるのであろう。これらのことは、ビジネスとかにも通じる部分があるのかなとも思った。
話を戻す。その番組を見て師匠って人に出会ったことがないと思った。師匠というものがすべてではないと思う。すべて正しいわけではないと思う。しかし、師匠という人と出会いたいなと思う。なぜかはわからないが、現代人的言葉で言えばロールモデルになるというのか、メンターもかねているというのか。でも、カタカナを使うとバカっぽいのでやめよう。安っぽすぎる。多分、師匠ってそう簡単には出会えない人だと思う。心の底から師匠って思える人には、全員が全員出会えるものではないと思う。

単なる尊敬する人とは違う、もっと身近なんだけど本当に尊敬できて、自分がその人に意思を伝えて、弟子のことを愛し、本当に弟子のことを思い育ててくれる。そんな感じだと思うのだが、僕は師匠といえる人とはまだであったことがなく、どんなものなのかはわからない。

たぶん、一つのことに没頭して極める段階において師匠に出会うのだろうと思う。自分の生きる道がある程度決まり、吾人の任務的なものが書け、それでその道を極める過程において出会えたら最高だと思う。

そういえば、昔こんなことを書いたことを思い出した。

何事も奥深く。はじめはミーハーなやつも多いが最後には本物を理解できるやつしかいなくなる。2002/11/20
(本質を理解している人たち同士だったら面白いなということを書きたかった。)

僕は、いろいろなことに興味があり、さまざまなことをしてきたと思う。それ自体は自分の考えの下であり正しいと思っている。しかし、もう少し社会を見て、自分が進む道を見つけたら、(その道はある特定のことでもいいし、いろいろなことに興味がある今の状態の延長上のことかもしれない)、師匠という人に会いたい。自分に素直に、情熱を持って取り組めば自然と師匠に出会えるのかもしれない。それは、実際にいる人ではなくても、本かもしれないし、何かもっと他のものであるのかもしれない。

 

また、使えないログ

荒木水都弘-情熱大陸-

気の短い江戸っ子のファーストフード(すし)は文化になった。
荒木水都弘–あら輝–

こうでなければ気がすまない。そのようなものあある。
とにかく考えている。選び抜かれたネタ。さりげないが
今が旬って言われるのは最悪、今が最高ってことだから。

話がすしになったら負けず嫌い。

不器用なほどまじめ。

すべてを自分でやらないと気がすまない。

すしを握るということは自分を握るということ。

一律1万五千円

全身全霊必死に自分を追い込んできた、今時分のすしはどうなのか?

師匠は物静かだが、まなざしは鋭かった。

一流を追うものだけに見える、地獄が有る。

やると思いますよ、やるんですよ、ずうっと。
Posted by takeshi at 11:19 PM | コメント (3) | トラックバック (0)|
イチロー
何ヶ月か前にイチローが大リーグ記録を更新した。

あの時は、テレビを食い入るように見ていた。
とてもエキサイティングで、心の底から、体の底からワクワクした。感動していた。サブいぼが出来た。

で、最近年末で一年を振り返る映像が流れる。すると、当たり前だがイチローのあの記録達成のシーンが流れる。

すると、あの感覚が少しよみがえる。ゾクっとする。たまんないねー。
Posted by takeshi at 01:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夢とイメージと体で覚える
昨日も夢を見ました。

なんか、すごい高いところにある、すごい長いつり橋を渡っていました。アルミのような金属で作られていました。風で橋が揺れたり、僕以外にも数人渡っていました。が、その人の中の数人はバンジージャンプをするのか自殺をするのか知りませんが、飛び降りるようなしぐさでした。その人たちが邪魔で、通り過ぎる時に怖かった印象があります。手に汗をかいて、そんでもって欄干を手でつかみながら歩いていたので、滑ってこわかった。そうするうちに、陸というか、山に付いた。そうしたら、そこで僕の知り合いが宴会をしていた。なんだ?と思った所で起きた。

たぶん、フランスで世界で一番高いところにごっつい長い橋が出来たというニュースがもとでこの夢を見たんだと思う。

また、夢の話なんですが、夢ってカラフルで立体的である。でも、自分の意思で夢レベルのイメージをしようと思ったら無理である。少なくとも僕は無理である。ということは、自分の意思では動かせない、脳の作用があるのだ。そりゃたくさんありそうだ。それが顕著に現れるのが、夢レベルのイメージなんだろう。自分の意思では動かせない細胞か仕組みか組織があって、そいつは何らかの影響を受けて動くわけだ。ということは、その何らかの影響をどのように引き起こすかがわかれば、自分の意思で夢レベルのイメージや何なりを再現できると。

ふむふむ、そうすると、夢レベルのイメージを創造できる人がいてもおかしくないわけだ。何かしらの方法で、夢レベルのイメージを想像する方法を取得した人なら。

ちょっと、まてよ。実は俺だけが、夢レベルのイメージを自分の意思で作り上げれないだけで、他のほとんどの人が、カラフルで現実そっくりなイメージを作り上げているのかもしれない。とすると、俺が感覚的に使っている想像という言葉とはまったく違った質感を想像という言葉にたいして抱いているわけだなぁ。

って、そんな人いるのか?

過去の関連エントリー「見る」
関連エントリー「夢」

で、話は変わる。
また、真っ暗にして風呂に入った。いつものようにだいたい感覚的にはシャワーの蛇口がどこにあるかとか、シャンプーがどこにあるかはわかる。それはいつも使っていて、配置が脳の中に作られているからだろう。で、ふと思う。自分の体なら毎日一緒だし(当たり前)、毎日自分の意思で使っている。真っ暗でも、自分の目や足の指なら正確に探せる(触れる)のではないか?と。で、やってみる。すると、ピンポイントで触れる。目だろうと、足の親指の爪だろうと。

感覚的に覚えているのだろう。体で覚えるとか、そんな感じ。視覚的に覚えているのではない。多分脳で高度な処理をせずに、慣れによってわかるようになっている。

この前思ったのだが、脳は楽をしたがるというか習慣化をしたがる。というのも、脳は高度なことや新しく臨機応変に対応しなければならないことにしか使われない。というか、使わない。簡単なことも脳で処理していたら、やることが多すぎて脳がパンクしそう。で、習慣化するなどして、日常的なことは脳を使わなくよくして、どんなことにも考えて対応できる脳は、新しく高度なことだけするのだろう。

って、コレ当たり前だよな。というか、思っていたことがうまく文章になっていないから、何も伝わらないだろう。まあ、いいや。本を読んで知るよりも自分の経験からこうだと思ったほうが現実味があるし、自分の中によく残るから。

ふと思い出す。コレはボディイメージの一種じゃないか?と。違うか?

Posted by takeshi at 01:37 AM | コメント (234) | トラックバック (0)|
December 18, 2004
トルコ
世界不思議発見はトルコだー 有線大賞ではハナミズキだ、明日の夜の用事がなくなったのでまったり見よう

 

 
Posted by takeshi at 02:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
一年たって、また一年
今年も終わるみたいだ。

早いのか遅いのか。
今年もいろいろあったなぁ。
いろいろあるのが人生で、とらえ方によっては奇跡の連続なんだよなー。

今年を振り返るのに、ブログと手帳はありがたい。手帳は具体的に何があったのかが書かれている。ああ、こんなところに行ったなとか。ブログ(僕の場合)はその時に何を感じたかを書いてある。振り返るのには最高なツールであると思う。
そういえば、アンケートで社長ブログを読みたいという人が4割(このアンケートの質問からここで、用いることは適切ではないですが。。。まあ、いいや)とあったが、へぇ思った。俺に言わせれば、某有名社長ブログなんて、その人の一日で公表できる部分を書いているだけ。どこでメシ食ったとか、誰にあったとか。そんなこと知りたくもないです。究極にどうでもいい。まあ、アフィリエイトで微妙に稼いだり、サイト集客だったりが目的で書いているんだろうけど。

有名な飯屋で食ったとか、ブランド物を持っているとかって、アピールする人の気持ちがどうも理解できない。だって、有名な飯屋の権威や、ブランド物の社会的地位を利用して、自分もそれによってすごく見られたいとかそう思っているんでしょ?金持ってるっていいたいんですか?それは、本当は金無駄遣いしていますとか、物の価値を見極める能力がありませんといっていることだと思うんです。

ルイビトンですか?よくわからないんですけど、あんなもの良く持って、待ち歩けますねー。僕なら恥ずかしくて、恥ずかしくて町を歩けないですよ。安っぽい人間ですよって顔に書いて町を歩いているのと一緒なんですよ。ルイビトンのかばんを持つくらいなら、Tシャツに「ルイビトン」って習字で書いて町を歩いた方がどれだけ、かっこいいかわからない。いや、本当にそう思うよ。

なんか、「ルイビトン」「グッチ」「プラダ」とか書いたカバンとかシャツとかを着て、10人とか20人とかで町を歩きたいねー。なんか面白そう。

自分に中身がないから、ブランド物とかでだましてるんでしょ。ああ、マジでそれは意味不明だ。

そんなの、どうでもいいや。持ちたい人はかってに持てばいいんだし。基本的に十人十色主義なので、どんな人がいてもいいし。

そんなことより、今年一年を振り返り、来年のテーマを設定しよう。

ああ、高校の文化祭のテーマは本当に意味がないといい続けて、潰してやろうかと本気で思っていた。
だって、生徒会のやつらが、自分たちは生徒会だみたいな特権意識をもって、無駄に時間をかけて文化祭のテーマを決める。無駄に時間をかけていかにも仕事をしたように見せかける。で、テーマなんか決まっても、誰も気にしない。そのテーマにそって出し物をするわけでもない。ああ、本当に文化祭のテーマは意味がない。

それ級に僕の一年のテーマが意味ないかもしれないが、たまにそれを思い出したりするのでちょいとは意味があるかな。まあ、すべての行動にそのテーマが染み出ているよな。

ああ、なんて天邪鬼。
まっすぐものが見れないのかな。斜に構えるというのか。

今度、今年の、記憶に残っているものベスト10とかやってふりかえってみよっかなぁ。

今日のエントリーも話が激しくとんだなぁ。

Posted by takeshi at 01:14 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 17, 2004
生きているということは奇跡の連続なんだよな
生きているということは奇跡の連続なんだよな、と思ってみる。

まあ、コレは考え方次第なわけですが。
体と心の底から吐き出したい気持ちでもあります。

具体的に何をとかいうわけではないですが。
Posted by takeshi at 12:44 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 16, 2004
夏だぁーーー
某氏が日本の夏が良いと書いていた。

私も夏が好きだ。

おまえ、冬だから夏が良いといって、夏になったら冬がいいというのだろう。
ないものねだりだろ!と突っ込まれることがある。

いや、違う。
夏でも夏がいいという。

だって、服が薄っぺらくていいし、洗濯乾くし、海とかプールいけるし、ギラギラした感じがパワーをくれるし、小学生の頃の夏の感覚を呼び覚ましてくれるし。

子どもには夏休みなんてものがあって、さらにたまんない。

なんていったって、夏だぜ、暑いぜ、カマキリリュウジですから。
(小学校の国語の教科書に載っていたはず)

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December 14, 2004
来年フルマラソン走ります!?
お前、次は何を言い出したのだ?

っていわれそうですが、なんかフルマラソンを走りたくなった。

相当辛くて、鍛えていないと観想できないのは知っています。
僕が考えているないほど甘くはなさそうです。

とりあえず、フルマラソンの大会がどこでやっているのかを調べて、それまでにどんなトレーニングをすれば良いかを考えないとなぁ。

Posted by takeshi at 10:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夢がない人は地位に固執します
夢がない人は地位に固執します

って、書いてあった。
プレジデントの2004年8月2号 ウェザーニュース社長 石橋博良さん

いや、コレには衝撃食らったね。
言っていることは当たり前なんだけど、この表現と、人の心理の本質をさらっと言い抜いた言葉に。
まじ、衝撃食らったね。

人生考えさせられますよ。

「夢がない人は地位に固執する」
いやあ、そこらへんの安っぽい本を10冊読むよりも、この一言には価値があるね。

プレジデントなんか読む予定ではなかったが、HBSRを他の人が呼んでいて読めなかったので、偶然とった今年の夏のプレジデント。偶然の出会いです。セレンディピティか?って、そればっかだな。

そういえば、昔、こんなようなことを書いたな。
ある物事が起こったとする。そのことを期待していた場合は、喜びとか衝撃が、期待というものを基準に決まる。あらかじめ期待していると、頭の中でどうなるか予想しているということなので、衝撃度が小さくなる場合が多い。
一方で、期待していなかった場合は、想像もしていないことが起こり衝撃が大きい。喜びも大きい。予期していないことが起こると、期待してきた時よりも感じ方が大きいのだ。これは、人が隠れていていきなり驚かされた時と基本的に同じなのだと思う。

ということで、何も期待していなくてプレジデントのこの言葉に会えたので、衝撃が大きかったです。

昨日書いた「人生の座標軸」をさっそく読み終わりました。

吾人の任務と比べれば、読み応えはないですが、やはりこの方は本物だと思います。
芯があります。
ちやほやされている、IT経営者とは違うものを感じます。

BGM なしです

Posted by takeshi at 10:05 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
どうも早口らしい
僕はどうも早口らしい。

前々からいわれていた、普段も早口だが、興奮すると3倍速になるともいわれていた。

だが、あまり気にしていなかったが、やはり早口すぎると相手に伝わらないかもしれない。ということで、話し方とかについて考えてみようかと思う。

Posted by takeshi at 03:34 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 13, 2004
堀さんの出版記念パーティで、思わぬ方々と。
今日はグロービスの堀さんの出版記念パーティー。

「人生の座標軸」という本です。

前著の「吾人の任務」を読んで、堀さんに惚れて、以前に講演会に行った。そして、さらに堀さんを尊敬していた僕は、出版記念パーティのメールが来た瞬間に行くことを決めました。

吾人の任務との出会いと前回の堀さん講演会の様子はここです。

前回と同様、麹町駅で降りてグロービス本社へ。そういえば、数日前も麹町に来たなと思う。某コンサル会社の人に焼肉をおごってもらって情報交換をした。そんなことを思いながら、心脳問題の講義をMP3プレイヤーで聴きながら歩いていった。すると、あのグロービス本社が。今日気が付いたのだが、この本社、住友系列のビルなのです。住友って、住友商事の住友じゃないですか。堀さんは住友商事出身。こんなところまでつながるのか?とか思いながら、中へ。

受付を終えて新著をいただいて、席に着く。そして、堀さんの話が始まった。正直30分は短かった。それに、本に書いてあることをそのままさらっと流しただけ。まあ、出版記念なんだから仕方がないかもしれないが。そんでもって、本もいつものコラムがたくさん載っている。それにもちょっとショック。まあ、本質的な問題ではないからイイのだが。

でも、話の隅々に堀さんの信念を感じた。

で、すぐ懇親会に。いつものように、ドリンクとベーグルベーグルのベーグルがあった。けっこう、うまかった。このベーグルベーグルはグロービスを卒業した人が作った会社で、グロービスも投資している会社らしい。そんでもって近々上場するみたい。そんな感じで、乾杯。

すると、誰かが僕に声をかけてくる。ここには社会人しかいない。学生が多い場所ならわかるが誰かなと思う。すると、あのあのWillSeedの社長の船橋力さんでした。もう、驚きですよ。船橋さんとは岐阜のイベントの時にお話していました。というか、自分たちがやったイベントでした。そんでもって、岐阜駅から会場までタクシーで僕がお送りしたし、鵜飼や夜の飲みもご一緒してくださったので覚えていてくださったみたい。そして、岐阜の話を少しする。そして、ベーグルを食べながら、ビールを飲むと、また見た顔が。ななんと、フランソワです。彼は、作曲家・マリンバ奏者のフランス人。何で知っているかというと、慶應のキャリアなんちゃらという授業をしていて習っていました。そして、僕から話しかけた。彼は今、慶應では教えていなくて、アカデミーヒルズとかで一橋の米倉先生と授業をしたりしているみたい。この、一橋の米倉さんは、僕が高校の頃、サイバーエージェントの藤田さんと米倉さんの対談を聞きにいった時にお会いしている。ついでに、米倉先生と親しいらしいクララの家本さんとも土曜日に少しお会いした。話がそれたが、フランソワはグロービスの堀さんとも仕事をしているみたい。

で、フランソワには自分の道を踏み外さずにここで会えてうれしいといわれた。で、アシスタントの方とも話していたら、ちょいといろいろな人を紹介してもらえる話になった。楽しみだ。

そこに、船橋さんがいらっしゃったので、フランソワを船橋さんにご紹介する。お二方は意気投合したらしく、フランソワの次回の講義に船橋さんが参加する運びとなった。さらに、フランソワはウィルシードの授業を見に行くことになった。なんとスゴイ話。そこに、堀さん登場。船橋さんと堀さんは経営者同士仲がよいみたい。堀さんも船橋さんもダボス会議のアジアのニューリーダーに選ばれていて、YEOのメンバーという信念のある経営者の方です。堀さんとフランソワも。僕も堀さんと以前お会いしている。このメンバーすごすぎです。知っている人が見たら、ションべんちびります。堀さんは日本のプライベートなMBAのトップ。船橋さんは小学校とかの教育に関してはトップ。フランソワは心の面からキャリアを語るトップ。それに、みなさん信念がある。それを貫いて生きている方だ。それが僕をまた興奮させる。で、フランソワが堀さんに僕の授業を受けていた生徒だと紹介してくださった。

ああ、楽しかった。また気合が入ったな。出版の講演がちょいと期待はずれだったけど今回は懇親会で楽しめた。

これって、セレンディピティか?いや、セレンディピティってもっと抽象的なことなのか?

大学関係で知っていたフランソワ、岐阜関係で船橋さん、自分で勝手に行ったグロービスでお話した堀さん。全員ばらばらで知っている。でも、偶然、つながった。偶然今日再会した。そして、面白い話が出来た。偶然に幸運をひきつけたのか?それは、僕があるポリシーをもって行動をしていて、あった場所はどこであれ、その方たちには共通点があり、その方たち同士でもつながっていたと。まあ、偶然な幸運であってことには違いないな。
BGM 糸 bank band 
    サリーガーデンズ 伝説のイエイッツの詩が歌になったもの
    the song of life
 
出版記念パーティ記念講演ログ

コラムで恥ずかしながら、個人に関することを書き始めた。するといつもと違う人からの反響があった。そこで、自分の立場(経営者、父親、日本人など)によってギャップがあることを実感し、分類する必要を感じた。そして、今回の本が出来た。

吾人の任務という本を出した時、タイトルをどうしても吾人の任務にしたかったが、出版者が変えろといってきた。でも変えたくなかったので、売れ残ったら買い取ると契約して出版したらしい。かっこいい。
(ソニーの盛田さんが、トランジスタラジオをアメリカに売り込みに行った時、ソニーという名前じゃなくして売るなら何十万台買ってもいいといわれ、あなたの会社も設立した時は小さく名もない会社であったはずだ。ワタシの会社も今その時期なのだ。というような話をして契約しなかった話を思い出した。)

やりたいことを明確にして、ある期間一つのことに集中する。そうした方が何かを習得するには効率が良い。その間、犠牲にするものがあってもしょうがない。人生という長い期間でバランスをとればよい。

頭で感じるよりも、心で感じることが重要。ハーバードMBA留学中に頭で考え、得だから、効率がよいからやるべきだとしていたが、それでは面白みに書け、ワクワク出来ないことが多い。それでは、やっている意味がないと感じた。自分の感情をキャッチして、それを増幅する。自分に素直に生きる喜びがある。(決して論理的に全く考えないわけではない)

人間の頭には無限の可能性がある。ボトルネックは時間だ。時間配分のバランスを気をつける。心を開放して、頭ではフォーカスした方法論などを用いる。

家族人としては、ファミリープランをつくる。会社の事業計画のようなもの。ポイントは理念、哲学、教育ポリシーだ。教育ポリシーは「生命力」生き抜く力。ああ、大前研一さんや梅田望夫さんのサバイブって話ともにているなぁ。

組織人としては
・良い仲間
・やりがいのある仕事
・最大限能力を発揮する喜び
・社会貢献を実感できる
・やった分だけの成果がある

キャリアコミュニティ論

Posted by takeshi at 11:36 PM | コメント (241) | トラックバック (0)|
ふたご座流星群
なんで、アクセスが多いのかと思ったら、ふたご座流星群で着ていらっしゃるみたいです。

でも、トップにはその記事がないので、以前の記事へリンクを貼っておきます。

ふたご座流星群は見たらまたなんか書きます。

Posted by takeshi at 11:35 PM | コメント (188) | トラックバック (0)|
世界を駆けるヒーロー達
あまりにも使えないログです。
まあ、いいや。

「己を信ずること」って、確か中学2年生の時の国語の授業で、僕がみんなの前でいった気がする。その時から、この言葉は自分の基礎を成しているわけです。

今日出てきた人も、自らの信念を持ち、貫き通しているなと実感。

気になった言葉をピックアップ。

・世界中の中でも厳しいリーグだが、自分で選んだ好きな道だから苦しいとは思わない。
・最高のプレイヤーであるために惜しみない努力を続ける。一切の妥協をしない。
・一度自分の道を決めたら、その道を進むべきだ。
・リスクはあるが、孤立することで、アイデンティティが確立する。そうするには、自分が強くなければならない。初めは批判もされる。でも、最後には勝つ。
・主義をつらぬき通せば最後には報われる。
・自分のやり方を貫き通す。自分の芯を持って、最後まで遣り通す人間でありたい。

・舞台を見れば、僕自身がわかる。あえて、語る必要はない。

・すべてを受け入れれば自然に表現できる

・日本人は美意識、自然と共に生きてきたから持っている美意識がある。
以下メモです。

世界を駆けるヒーロー達 日本テレビ 2004年12月13日

自分が何者であるかを確かめるために海を渡ったものの物語である。

中田英寿

凝り固まった現状から抜け出そう、
希望の新たな未来への一歩

フィレンチェ 偉大なる才能を引き寄せた、 ルネサンス

思想美術文学、

世界に広がり文明の基礎を作った

自分の中に芯を持って、それをやりぬく人生を送りたい

カターニャ空港

世界に出て感じたこと考えたこと

一番面白いのも大事なことも人との出会い。世界中の人と知り合いになることは目標でもあり、楽しみでもある

ケニア、モスクワ、ドバイ

人一倍強い好奇心、見知らぬ世界に飛び込んでいく。

今だから、日本の国を知りたいと思う。文化も言葉も食事も。
全く知らなかったなと気づかされることが多い。

21歳でセリエAに移籍

世界中の中でも厳しいリーグだが、自分で選んだ好きな道だから苦しいとは思わない。

サッカーは芸術だ

芸術は世界の共通言語

国際人としての新たな一歩

最高のプレイヤーであるために惜しみない努力を続ける

ピッチ上の芸術家であるからこそ、現在の地位になれた。だからこそ、一切の妥協をしない。

サッカーとは?・・・・現時点では、いい結果が出せることは生活がうれしくなる。そういう気分になれる。現時点では一番自分の大きな部分。人生の中にはサッカー以外にもいろいろなことがあり、サッカーが人生のすべてではない。
メディアと一定の距離を置くようになった。自分を伝えることにも考えを持っている。

98年に自らのページを持った。自分の意見を、誰からも干渉されずに言える場が必要だ。
この世の中は情報が氾濫している。何が本当で何が嘘か。出来るだけ情報がしっかり伝わるものが重要。

自分がホストを勤めるテレビ番組もある。

休日、あるブティックにて。

服へのこだわり。自分の気に入った格好をしていると、気分が良くなる。自分にフィットしていない時は気分が良くない。誰かに見せるより、自分の気持ちを高めるために。

HEROである条件。 優雅さ、ダイナミックさ。

一期一会 人は出会う、森の緑、風のにおい、町のざわめき 

21歳の時はおぼこかった、言葉もつたなかった。髪形も見かけも。言葉も、中身も。
人間って6年で全く代わるな。イタリア語も話せるようになってるし。

ペルージャに行く道はけっこう、印象深い。

ペルージャには懐かしい家族が待っている。久々似合うイタリアの家族。
夫がなくなったときに、中田が来た。
かけがえのない存在、暗闇から抜け出す助けをしてくれた。困った時は、電話してくれたり、会いに来てくれたり、日本に連れて行ってくれたり。
かけがえのない家族と過ごす日々。

(本当にスゴイ人って、人を地位とか見せ掛けの肩書きとかで、接し方に差をつけないな。スゴイもんだぁ。心のそこから、思っている人には誰であれ、大切にするんだ。)

ジョルジオ・アルマーニ 70歳
自分でゼロからはじめてここまでなった。知識と経験があるのでそれを知るのが楽しみ、どういう考えを持っているのか。アジアのどこに影響を受けたのか。

人見知りでめったに取材を受けない
@ミラノ

家は東洋的な視点で作る。東洋に絵にはムーだがある。
6年イタリアに住んで、

想像力を必要とする、毎日の生活が重要
どのように自分が行きたいか。

一度自分の道を決めたら、その道を進むべきだ。

リスクはあるが、孤立することで、アイデンティティが確立する。

そうするには、自分が強くなければならない。初めは批判もされる。でも、最後には勝つ。

主義をつらぬき通せば最後には報われる。

フォンテベッキオ 美術館
15世紀のフィレン ヴぁさリー回廊 特別に許された人しか入れない。

ルネサンスは古いけど、僕にとっては新しい。

知らないということは可能性を狭めている。

瀬絵会で何を学んだか。
自分のやり方を貫き通す。自分の芯を持って、最後まで遣り通す人間でありたい。
首藤康之 37歳

舞台を見れば、僕自身がわかる。あえて、語る必要はない。

19歳で主役デビュー

21歳 モーリス。ベジャールの指名を受ける。

ボレロで世界に認められる。

ロンドン 東京バレー団を対談し、今年4月ロンドンへ。

成熟する人生そのものを表現したい。
来年2月にスワンレイクを上演。スワンと王子を演技した初めての人物

国境は大きなことではない。何かしたい場所へ行くだけ。

肉体を鍛え、精神を鍛え、自らの内なるものと対話する。
松坂大輔

2004年10月1日 イチローに世界が注目
世界最多安打258本ヒットの日

この日に使ったボールをイチローから松坂大輔に送った。

メジャーとは
回りが出来ないことを常に自分が一番最初にやってやろう。
世界とは何かを自分の互換で感じ取る日を。
渡辺謙
その大陸は人生をかけるに値する魅力に満ちている。
しかし、大陸には常に厳しい現実が待ち構えている。約束の大地 アメリカ

ラストサムライ
アカデミー賞のまばゆい光の中にいた。

ロサンゼルス 映画産業の華やかさと冷酷さを併せ持つ町

マコ岩松 半世紀も前に海を渡り、助演男優賞ノミネート パールハーバー、セブンイヤーズインチベット

映画の中に生活があるのか、生活の中に映画があるのか。

ガツーと来る言葉の積み重ね。それが人間を作る。

迷いの根源。映画制作に関わるジレンマ
→初めは言葉の問題。しかし、撮影が始まれば問題ないとわかった。映画語があると思った。

すべてを受け入れれば自然に表現できる

安藤忠雄 大阪

原点、大阪の下町、公園と夜空があった。

自然との付き合い方、命あるものとの、年齢が違う人との付き合い方を学んだ。

テキサス フォートワース美術館
近つ飛鳥美術館

日本人だから世界に認められた。日本人は美意識、自然と共に生きてきたから持っている美意識がある。

誰に対しても、何人いても、大阪弁で語りかける。

日本人としての誇りを持ち、発信してきた。

自分が向かおうとしていることが、間違っていないな。自分を信じれるか、その日をエストを尽くせるか。

日本を離れたからこそ、わかる日本の良さ。

夢を持てば、世界へのたびの始まり

頂にたどり着けば戻るところに気づき、

夢のたびを繰り返す。

Posted by takeshi at 11:29 PM | コメント (202) | トラックバック (0)|
尊敬する大学生
尊敬する大学生ってのは、キョウセラが出した「ツーカーS」っていう携帯電話を使っている人だな。

何ていったって、説明書がいらないくらい簡単な通話専用携帯ですよ。

通話しか出来ないんですよ。

もちろん、複数携帯電話を持っていて、一台がこの携帯の人は尊敬には値しない。

この、通話専用携帯のみ持っている大学生がいたらカッコイイな。

男らしい。

Posted by takeshi at 12:47 AM | コメント (4) | トラックバック (0)|
December 12, 2004
オレのどこが常軌を逸しているか
オレのことを変という人がいる。

行動や発想などそのアウトプットもだが、その思考過程もおかしいということがある。
いやー、なんとなく普通と違うかなとは思うけど、何が違うかがわからない。

別に、普通の思考法になりたいとはさらさら思っていないが。

何なのかが不思議だ。

僕の行動や発言の一部や、表面上のことをそのまま理解して、
変だといっている人も多いだろう。

しかし、けっこう僕の心を読まれて鋭い突込みを入れる人も、
僕のことを変だという。

どこが変なのか気になる。
やっぱ、誰か分析して欲しいなぁ。
社外取締役が欲しい。

運と勢いとノリは重要です。
それが出来ないなら、場の雰囲気を壊さないように、さらりとかわす術を覚えるべきです。

このブログは、ブランド物が好きな人や、
権威、知名度などに振り回される人は好きじゃないだろうな。
だって、僕はそんなことに興味はないし、好きじゃないから。
普通は、僕が嫌いな人は、
その相手も僕のことを嫌ってくれるはずである。

しかし、僕が好きな人は、
その相手も僕が隙とは限らない。

Posted by takeshi at 06:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 11, 2004
批判の感じ方と、価値基準
純粋に評価されてもうれしくない奴ですから。まあ、ほめられることがすべて嫌いかといえば、そうではない。心のそこからいってくれていれば別。しかし、心のそこからバカとか頭悪いことするなと言われると、いわれるほうがうれしい。何でかって、誰だって他人をほめるじゃん。いきなりけなすことはないでしょう。心のそこからバカって言えるってことは、お互い信頼しあっている証拠だと思うのですよ。だから、うれしいんだと思います。まあ、それと僕は天邪鬼なので、普通にほめられるよりもバカにされた方が好きです。

あと、批判もケッコウ言われるとありがたいです。だって、ぼろくそに言ってくれる人が少ない。ただ単に死ねとか言われても意味不明なところがありますが(まあ、そういう時は放置)、ちゃんとした理由をつけて言ってもらえると心のそこから感謝します。

僕は見た目を気にしない方なのでついつい髪の毛が伸びっぱなしになる時がある。そんな時に、髪の毛が長くて気持ち悪いと言ってもらえるとありがたい。本当に髪の毛のことなんて忘れていることが多いから。人間は、始めてあったら、見た目、話し方、そして考え方で判断するだろ、と言ってもらったりとかすると本当にありがたいです。
そういえば、僕は怒らないとよく言われる。怒らせてみたいとか、怒ったとこを見たいとも言われる。何でだろう。昔は怒らないように感情を押し殺したこともあった。その時は感情むき出しで生きたいと思ったが、最近は感情を押し殺すこともなくなった。別に何が起ころうと、まあ、そういうこともあるよ。そういうものの味方をする人もいるよぐらいで終わってしまう。そんなちっちゃなことでごちゃごちゃ言うなよ。言ってもしょうがないよぐらいの気持ち。

僕は判断基準として死なないジャンとか、インドの裏ロジより綺麗ジャンとか言ってしまう。すると、みんなから日本だから、それを引き合いに出すなといわれる。まあ、そうだ。ごもっとも。でも、もっと最悪な状況もあるわけで、それでも人間何とかやってこれるわけで、小さなことでごたごた言っても仕方がないと思ってしまう。判断基準が死なないってことになると、相当ものの見方が変わるよ。小さなことでうだうだ言わなくてもいいし、そもそも考えなくてよい。最も最悪なこと意外は特にいやな思いをしなくてもいい。むちゃくちゃ楽観主義ですよ。
Posted by takeshi at 01:27 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
本質的満足
僕は、いくら評価を受けても、いくら金を持っても本質的に満足しません。
これは、いいきれます。

天邪鬼ですから。

でも、なんで東京に出てきたかといえば、一回成功したいと思うから。
成功というか、満足するまで一発どかんとやってやりたい。
でも、コレでも満足できないことは知っている。
そう、高校の時から思って東京に来た。

ずーっと岐阜にいて地味に暮らしても満足行かなかったと思う。
一回東京に行き、どかーんとやって、それでも満足できないと、実感できてから田舎で自由気ままに好きなことをやっている。たぶんコレが僕の理想パターンなのです。

東京という過程があることで、満足できるのです。自分がそれを体験して、納得した上で田舎で待ったり過ごしているから。ずっと田舎だと東京への憧れをずっと引きずることになるから。

釈迦もそうだった。
生まれはリッチ、それを体験して、そんでもって、死ぬ寸前まで断食して修行した。でも、違うと悟って中庸、いい加減ということを言った。やっぱり、そこなんですよ。一度体験しないとその悟りというものは生まれないんですよね。

Posted by takeshi at 01:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
憧れと、好きと、得意は違うんだなぁ
憧れと、好きと、得意は違うんだなぁ。

好きと得意は違うっていうけど、これと憧れも混同しやすい気がする。

何かにあこがれる。
何かが好きである。
何かが得意である。

憧れは、こんなのいいなぁと思う。まあ、理想ってな感じでしょうか。自分がどうのこうのというよりも、自分は意外と客観的に見ている感じ。

好きは、純粋に好きなんですよ。それをやっていて楽しいとか。

得意ってのは、好き嫌いとかは別にして、他人と比べて得意であると。

僕はこんなイメージですね。

コレをついつい混同することがあります。
好きなことをやるのがいいのか、得意なことをやるのがいいのか、あこがれることをやるのがいいのか。

別に、どれでも良いんですけど、僕の場合はあこがれるものをやって、でもそれは自分にむいてなかったと気がつき、得意なことをやってある程度の評価を受けれたら、それでは満足いかず好きなことをやるという感じっぽいな。

はて、はて、自分の価値基準はどこにあるのかってこと。

BGMはまだハナミズキ ひととようです 飽きないです。

Posted by takeshi at 01:05 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
December 09, 2004
なにがオンリーワンだよ
なにがオンリーワンだよ

何が、オンリーワンだよ。

ナンバーワンだよ。

ナンバーワンのところにはナンバーワンの奴が集まるんだよ。

だから、ナンバーワンはナンバーワンたりえるだよ。

勝負に妥協はいらないんだよ。

何でも一番とって来るんだよ。

とってこいよ、一番。

言い訳なんかして、負けてかえってくんなよ。俺。

攻めて、攻めて、突っ込んでこいよ。

へたなかっこつけづに。ダメなら大破すればいいんだよ。

自分へのメッセージでした。
別に、オンリーワンになってナンバーワンになればいいんですよ。
それと、僕がいつも言う発言には「今、僕が~~~と思う。」が省略されています。

Posted by takeshi at 10:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
Serendipity
セレンディピティ
「serendipity」
ser・en・dip・i・ty[srndpti]

〔名〕〔U〕《文》ものをうまく発見する能力,掘り出しじょうず;幸運な発見;〔C〕《-ties》運よく見つけたもの[Horace Walpoleがペルシアの寓話The Three Princes of Serendip(Ceylonの旧称)(1754)の主人公たちのもつ能力から造語]
プログレッシブ英和中辞典第3版

ああ、辞書って使えない。辞書なんて本当に意味を成さない。もっと微妙な感覚が伝わってこない。例えば、「赤」って辞書で調べても、全然意味分からないでしょ。辞書に書いてあることと、そしてそこから伝わってくることと、僕たちが日常その意味をどう捉えてるかって全く違うんです。だから、辞書を引っ張り出してきて、「赤」とはこういう意味だ。だから、お前の言っていることはどうのこうのって言っても話がずれまくりな訳ですよ。言葉って、もっとナイーブなものなんですからねー。知らない言葉に関しては辞書を鵜呑みにする傾向があるけれど、(まあ、これは仕方ないかもしれないけど)実は、普段使っている言葉のイメージと辞書の説明は全然違う。これは知らなかった単語も一緒なんですよね。だから、知らない単語の意味を辞書どおり鵜呑みにするのはどうかなと。

例えば、
「赤」
色の名。三原色の一つで、新鮮な血のような色。また、その系統に属する緋(ひ)・紅・朱・茶・桃色などの総称。

って、そんなことがいいたいわけではなく、セレンディピティというニュアンスがまだ分からない。インターネットはインターネットでしかないように、セレンディピティはセレンディピティでしかないようなイメージが僕にはない。(こう、なると専門家病になり、基本を忘れてしまう傾向にあることも忘れてはいけないのだけれど。)

で、今日、セレンディピティの話だった。

セレンディピティはまだ、その概念が全然つかめない。偶然幸運と遭遇する能力(性質・行動)ってな感じでしか捉えられていない。

セレンディピティは心にゆとりがないと気が付かないと思うし、関係ないもの・価値のないものなどを受け入れるような行動を日々とっていないといけないと思うし、さまざまな経験を通して直感を磨かないといけないと思う。そんでもって、物事がどうなるか先のこをイメージしてないとセレンディピティはおこらないと思う。

その直感がセレンディピティの能力なのであろうか?とか思ってみたり。じゃあ、その能力ってどうやって付くかというと、日々の経験の質と量な訳でしょ。さまざまな質の経験を多くするということは、そういう経験をしようと思う性格だったり、新たなことをしようとする行動パターンがもととなるわけじゃないのかと思ってみたり。結局わからない。(特定のことを集中的にやってもその分野のセレンディピティは磨かれるだろう)

なんか、結局日々の生活スタイル、行動の指針が大きな要因だと思うのだが、なんかしっくりこない。
もうちょっと、いろいろ考えるとするか。
僕にとっては木曜日が一番楽しい。待ち遠しい日だ。
なぜかっていわれても困るが、何か楽しい。そこにいる人たちが、いいのだ。
いいってなんだって話だけど、心が綺麗な人ばかりで僕の心も綺麗になるからだ。
今年は、芸大も残すところ一回だと思うと非常に寂しい。
BGMはいつものように ハナミズキ ひととよう

Posted by takeshi at 10:03 PM | コメント (1) | トラックバック (1)|
評価
人からの評価ってもうはいかにいいかげんか。
自分の他人に対する評価もいかにいい加減なものか。

例えば、僕が他人からどう見られているか。

おとなしいと見る人も、自分勝手と見る人も、バカと見る人も、口だけと見る人も、いつも常識はずれなこというなと思っている人も、うるさすぎると見る人もいろいろいるだろう。

たしかに、場所によってキャラクターが違うと思うから。別に装っているというわけではなく、自分が知らないことがおおい内容に関するコミュニティだったらいろいろ聞きたくなる。しかし、自分が知っていることだったらついつい話したくなる。そんなもんだ。ということで、コミュニティによって印象は違ってくる。

新しいコミュニティに属して、僕という人間がそのコミュニティの人たちに「ああ、あんな奴だ」と思われたとする。その印象はケッコウ深くその印象をベースにして接しられる。しかし、何か僕がしたとする。その行動は僕にとってはたいしたことなかった。しかし、それを受け止める人には大きな印象の変化を与えた。すると、僕の評価は一気に変わる。

僕がその行動をしたのは、突拍子もないことでもない。自分の普段の生活の延長線上でごく普通なこと。その行動の前後で、僕という人間が劇的に代わったわけでもない。でも、他人からの評価は劇的に変わる。

いたって、当たり前すぎる。日常いくらでも起こることだ。そして、コレを踏まえてみんな生活をして、自分を演出したりする人もいる。あえて、バカっぽい態度をとって後に知的な部分を見せそのギャップで他人にスゴイと印象を与えたり、初めからいかにもいろいろなことを知っていて博学な人なイメージでアピールしてくる人。

別にどうでもいいんだけど、自分の他人に対する評価はいい加減だなと。こうと決め付けずに、いろいろな角度から周りの人を見たい。そして、いいところを見つけて、他人を尊敬して付き合っていけば、相手も気持ちい気分だろうし、自分も幸せになれるんだろうな。と、当たり前のことを、当たり前のように感じました。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G – Everytime I Close My Eye
    掌 ミスチル

Posted by takeshi at 09:50 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
やっぱり感じ方が違う
今日は、Creative MuVo TX FM (512MB) で音楽を聴きながら、町へ出かけました。

町っておっさんくさいな。

まあ、いいや。六本木と上野です。

やっぱ、音楽を聴きながら街を見ると町の見え方が違う。
初めからそう思っていたからかも知れないけど、違う気がした。

なんか、町が広がって見えた。

これは聞いている曲によっても違うんだろうけど、町が広く感じた。

どうやって言えばいいかわからないけど。
まあ、いいや。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G – Everytime I Close My Eye

Posted by takeshi at 09:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 08, 2004
人間の興味
人間の興味って、はかないねー。

歌の大辞典を見ていて思ったんだけど、昔の音楽が流れる。
ケッコウ知っているんです、中学ぐらいの歌でしょう。あの頃は、邦楽の売れ筋をよく聞いていましたから。

でも、今はやっている歌はほとんど分からないんですよ。どっかで聞いたことあるかなぐらい。

知らないのは、ただ単に興味がないから注目していない、よって耳に入ってこない。正確には聞こうと思わない。別に、どうでもいい。(まあ、そこまでではないが。)

これって、単純に興味がなくなっただけなんですよね。人間の脳でチョコット何かが変わっただけのはずなんです。興味ってすげーな。ただそれだけなんだけど、それが人間の行動の原点なんだろうな。

こういう、すぐ移り変わる興味もあるけど、半永久的な興味もあるよな。そこの違いは何だろう。

BGM 糸 中島みゆき

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何年越しだろう、ついに買いました
ついに、買いました。

多分、ずっと昔から欲しいといっていました。ボイスレコーダー。
大学1年の頃は確実に言っていたな。

もっとさかのぼれば、中学の頃から欲しいといっていた。でも、この時はもっと原始的なテープのボイスレコーダーだった気がする。

なぜ欲しいかって、声を録音したいからですよ。それも自分の声を取るためですよ。こういうと、変な奴だなぁ。
自分が話していて、メモって取れないじゃないですか。でも、今まで考えていなかったようなアイディアが人と話していると出てくる時がある。これもったいない。ということで、ボイスレコーダーがほしかったのです。

録音しても聞かないという問題があると思いきや、違うんです。多分僕は聞きます。会議などで録音した後の、帰りの電車で聞きます。たぶん。

買った理由はいくつか。1万円のJCBギフトカードがあった。最近、自分の発した言葉を何度も聞き直したいと思う機会が多かった。ウォークマンとかを使わない人なので、たまには音楽を外で聴くのもいいかなと。音を聞きながら社会を見ると、見る視点が変わるから。その他にもいろいろと理由はあります。

一言で言えば、「日常の些細な一言が、人生を作る」ということです。

もちろん、MP3プレイヤー、FMラジオ、USB接続でデータストレージ。できます。便利です。512M。

値段がなんと、11,800円です。安すぎです。カカクコムの最低価格より2000円安いです。さらに、1万円はJCBギフトカードです。たまりませぬ。

これは、何かほかに面白い使い方が出来そうだ。
外国では、本の朗読をネットで落として聞くのがはやっているらしい。ニュースとかも使えるな。
USBでさしておくだけで、一定の時刻になると最新ニュースをMP3プレイヤーに自動ダウンロードしてくれるソフトないかな。するとかなり便利なんだけど。

 

BGM まだ ハナミズキ 一日で60回連続で聞きました。。。

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火花が飛ぶ
真っ暗なところで、目をたたく。

すると、目の前に火花が飛んだ感じがする。
感じではなく、確実に光が見える。

フラッシュがたかれたような感じで。

真っ暗だから見えないはず。
なぜだ。

脳が認識しているのか?

脳で見ているのに、目が見ている感じになるのはなぜだろう。
目の部分でものが見えている感じになるということ。それはなぜか。
不思議だ。

BBCワールドで日本の自殺サイトについてやっていた。
インタビューとかも。
そんなものが、報道されるのかよ。
へー、ということはイギリスにはそういうサイトがないのだろうな。
多分、世界中探してもまれだからニュースになるんだよな。

Posted by takeshi at 03:24 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分の好きな作家がどうとかこうとか
自分の好きな作家がどうとかこうとか、いう人がいる。

僕は、昔あまり本を読まなかった。
あまりというか、全く読まなかった。

ので、その感覚が分からなかったが、最近分かる。
この人の文章いいなと感じる。

ああ、この人の文章いいなと。読みやすいってのもかなり感じる。

大前研一さんとか、重松清とか茂木さんとか角田光代さんとか。

ブログを呼んでいてもそれを実感する。

Posted by takeshi at 03:16 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ

何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。
Posted by takeshi at 02:32 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
December 07, 2004
ふたご座流星群と星の思い出
2004年ふたござ流星群を眺めようキャンペーンをやっているらしい。13日の深夜に見れるらしいです。僕も見てみよう。理想的には光が多くないところへ行ってみたいな。

そういえば、今年はまともな星を見ていない。富士山で見たが、驚くような星の数ではなかった。多分、満月に近かったからかも。インド行きの飛行機からも見えなかったし。

そんなことを考えていると、星にまつわる思い出が頭を掠めました。

星といえば、小学校5年ぐらいにフェリーで九州に行った時が一番最初の星との出会いだ。それまでも、星を見たことはあった。そりゃそうだ。でも、この時、本当の星を少し知った気がする。

その時は九州へフェリーで大阪から行ったのです。大阪を夜の7時とかに出た気がする。そして、瀬戸内海をフェリーで進んでいったのです。夕食も食べ終わり、フェリーの甲板にでて空を見上げると、そこは星が一面に広がっていた。首をグルットまわしても遮るものはなにもない。ただ、星があるだけ。あの時の驚きは忘れられない。世の中にこんなにも星があるのだと知った。まさにそう実感したのだ。

小学校で配られた星座版。これ、皆さん覚えていますか?時間と場所、季節などをぐるぐる回しながら調整すると、その時見える星が表示されるものです。学校でもらってぐるぐる回しながら、家で夜空を見ながら試した。でも、そんなにも星なんてなかった。星なんて見えなかった。

そんな矢先に、瀬戸内海のど真ん中から、夜空を見上げると星しか見えない。世の中にはこんなにも星があるのだと。少年の日の強烈な思い出です。その時、親と一緒に旅行していたら、また感じ方が違ったかもしれないけど、子どもだけだったから余計何か深い思い出なのかもしれない。かわいい子には旅をさせよ。ってことかな。
あと、記憶に残っているのは「流星群」を家から見たことかな。たまに何十年に一度の流星群というニュースがある。まさに、その時見たものだ。いつだったかは忘れたが、ちょっと寒かった記憶がある。

夜、風呂から出て寝る前にベランダに出てみた記憶がある。流れ星を見た。まさに、この時が初めての流れ星だったと思う。流れ星自体は一瞬で流れ去ってしまったのだった。この時の記憶は流れ星というよりも、家族で見たなぁという記憶が残っています。寒い時期だったのに、今となっては暖かい記憶の一つ。
上のと似ているけど、自分の部屋からボーっと見た星空。僕の部屋は大きな窓がある。ベッドでねっころがるとちょうど空が見えるのだ。カーテンを開けて寝ていた僕はよく星空を見ていた。たまに、窓を開けて見ていたこともあった。なんか、将来のことを他人事のように、どうなるのだろうと考えた記憶がある。不安と共に夢を見ていた。時は流れているのだなぁとか感じていた。あの岐阜の空はなんか気持ちよかった。

そういえば、日吉のころはたまに夜空を見ていた。しかし、今の家は星を見るには適していない。これは、大きな問題だなぁと思う。次の家の時は空が見やすいかも大きなポイントだな。どうせ、仕事が忙しかったら夜しか家にいない。となると夜空を見るというのは安らぎの時間だから。
あと、忘れられないのは飛行機から見た星。飛行機から見た星空は綺麗だ。本当に星しかない。あれを見たときも驚いた。

普通に窓から見ても大して見れないが、機内の電気が消えてから、毛布とかクッションで機内の光をさえぎり、窓から空を見る。はたから見たら怪しい。毛布を頭からかぶって窓にしがみついて外を見ている。でも、これがすごく綺麗に星が見えるのです。たまらんのです。スペインへ行った時はこうして何時間も見ていた気がする。何も考えず、というか脳が止まった感じ、空の闇に脳が覆われて、ただただ見入っていた。

そして思うのが、コックピットから星を見たい。180度パノラマで星が見えるのを想像するだけでワクワクする。でも、9・11以降コックピットには入れない。じゃあ自家用ジェットをみんなで借りればコックピットには入れるのでは?と思うのです。みんなで割り勘して、コックピットから夜空を見る。多分綺麗だろうな。これって実際可能なのだろうか?そして可能ならいくらで出来るのだろう?
コレを書いていて思ったのが、僕の人生の転機になった場所を大学卒業する前に再度訪れようと思う。行けそうで思い出に残っているところを2,3ピックアップして。理想的には、季節とか、昔一緒に行った人だとかもできるだけリアルに再現したい。そして、昔の自分、今の自分、将来の自分を見てみたい。

BGM ハナミズキ 一青窈 これけっこういいです。

Posted by takeshi at 10:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
おいらの社外取締役 募集 完全版
あのですね、おいらの社外取締役を募集いたします。

なんだ、お前意味分からないって話なので、少し説明。

僕は、僕が自分の脳で考えて、僕が行動しているわけです。このことを、自分という人間を一つの会社にたとえて、自分は自分のCEOであると表現される時があります。

僕もそう思うわけですが、自分というのはCEO兼執行役員であると思うわけです。CEOとして方向性を決め、執行役員として実行すると。でね、人間にも外部の取締役もいた方が良いじゃん、と思ったわけです。僕はメンターと社会一般で言われるような人のことを社外取締役と言っています。

何でかって、自分では浮かれてしまい地に足が付いていない時がある。でも、こういう時って自分では気がつかない。はたから見ると、すぐ気がつくことがある。人生運と勢いとノリが重要だと思っていますが、そういうこととは違う話で、外部からの客観的な視点が欲しいと思ったのです。

会社などでは、上司や同僚でメンター制度をやっているところもあると思いますが、それとは違った視点で見てくれるメンター(社外取締役)がいると良いと考えたのです。さらに、普通の友達とはまた違った感じなのです。

社外取締役なので、複数であっても良いのです。期間も短くやってもらっても長くやってもらってもOKです。

お互いがお互いの社外取締役(メンター)になるという感じです。

3ヶ月とか半年に一回ぐらいあって話す感じで。

タイムスケジュールで内容を話すと、

世間話、雑談(15分)
お互いに近況を語る、そしてアドバイスをしあう(30分×2人)
将来について語る、そしてアドバイスをしあう(30分×2人)

その後、飲みに行くのもありです。その際はメモとかICレコーダーなんかで内容を記録すると良いと思われます。頭をフル回転させた後の、酒が入りリラックスした時には今までにないアイデアが出る可能性があるからです。

条件:頻繁に会っていない
    お互いに尊敬できる、信頼できる
    口が堅い(秘密厳守)

ああ、自分もこういったメンターが欲しいと思う方や、興味がある方はメールいただけるとうれしいです。

これは、たまに会う友達だったり、キャリアアドバイザーだったり、ヘッドハンターだったりするんですか?

Posted by takeshi at 08:52 PM | コメント (1) | トラックバック (1)|
December 06, 2004
俺ってなんて単純なんだろう
僕は単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。
特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

猛烈に良いと思ったら、いいし、
なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。
Posted by takeshi at 10:41 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

先日スゴイ風邪だった、らしい。

で、昨日、夜家に帰った。そしてテレビをつける。
が、映らない。NHKもフジもTBSも日テレも何もかも映らない。

ああ、風でアンテナがやられたのだろうか。と思った。
それで、コードを抜いて人間アンテナ。

何でそこまでするかって、情熱大陸と世界遺産が見たかったから。
平日なら、放置だったんだけど、情熱大陸と世界遺産のために、人間アンテナ。

金属の部分を手で握ったり、頭につけてみたり、金属をつけてみたり、コードを伸ばしてみたりといろいろ実験。

頭に当てると比較的綺麗に写った。骨の骨格がアンテナになったのか?いや、違うのか?よく分からない。ケーブルの芯みたいなの指で触っても比較的綺麗に写った。

そんな、実験結果です。

今日帰宅してテレビをつけたら普通に映りました。やっぱり、風のせいだったんだな。

台風とかニュース性のあるものだと気をつけるけど、ただの風だけだとニュースにもなりにくいし、台風の風でなければたいしたことないという固定観念がある。でも、台風よりも風は強かったんですよね。名前で気にするのではなく、その起こる現象を冷静に見極めたいものです。

そんな男に私はなりたい。
あ、漢だった。

Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ああ、
エントリーが増えすぎて、整理しないと不便になってきた。

なんか、カテゴリーとか分かりにくいし。

カテゴリーを整理して、良いエントリーをいくつかピックアップしてリンクを別で貼ってみたりしようかな。

あと、写真も整理しておこうかな。

あとあと、便利だから。

Posted by takeshi at 02:37 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 05, 2004
やっぱ、ウユニだろう
今年の7月にも書いたけど、ウユニですよ。ウユニ。

ボリビアのウユニ塩湖ってとこなんだけど、ここがすごすぎるんです。
もうたまらんのです。

他にも、ものすっごいところがあるだろうけど、とりあえずボリビアのウユニへ行きたいですな。

昨日世界不思議発見でやっていて、あらためて思いました。

ボリビアのついでに、マチュピチュもいけるしなー。

Posted by takeshi at 11:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 04, 2004
見るって何だろう。猛烈に疑問
ああ、見るって何だろうね。完全に真っ暗にしたところだと何も見えないはず。しかし、何回かいったことある場所なら、何がおいてあるかとか想像が付く。それで、ものの輪郭とかが想像できる。すると、なにやら輪郭が見えるような錯覚に陥る。でも、見えていないはず。

あれ、人間って目から情報を入れて、脳で認識している(見ている)なら、人間が想像する時に目で見たときのように、はっきりとカラフルに想像できても(見えても)良いわけだ。目で見ていると言いながら脳で見ているということ。とすると、真っ暗だと何で見えない(想像できない)んだ?人間の想像力が弱いからか?脳の働く場所が違うのか?

いや、違うぞ。夜見る夢はカラフルだぞ。ほとんど目で見るのと変わらないぞ。ということは人間の脳にはカラフルで立体的に想像する能力がある。じゃあ、なんで真っ暗な場所(目を閉じている)だと、想像でものを描けないのか?

目を閉じて、真っ暗なところで、さらに起きている時にカラフルで立体的にものを見る(想像する)ことが出来ても良いはずじゃないか。

分からない。気になる。

Posted by takeshi at 02:52 AM | コメント (6) | トラックバック (0)|
アウラ
アウラという意味が正確にはどんな意味かはまだ分かっていない。
でも、授業の流れからすると一度だけ現れて消えてしまうもの。って感じかな。

文脈は繰り返さない。

その場はその場でしかない。

時は過ぎるということなんでしょうか。

僕は思うんですけど、アウラだからこそ「思い出」という言葉があるのだと思います。

「アウラ」出なければ思い出なんて生まれない。

その時、その場所で、その空気でしか味わえない何かがあるから、それを懐かしく思い、良い思いでとして、たまには苦い思い出として残るのだろう。

アウラじゃなければ、またその感覚を味わえるので思い出なんてないだろう。

なにか、あの初めて見た衝撃とか、はっっと気がついた瞬間はその時しか絶対感じられない感覚なのだ。

人間の気持ちとか感情ってのは人間自体を作り上げているといっても良い。見ることも、感じ方も。

Posted by takeshi at 02:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
心境にあった音楽を
ちょいと、長い文章をテキストで読んでいる。
まるまる本一冊分ぐらい。

その本を読んで考えることがあるのですが、その考えることはじっくりと考えたい内容。ぱーっと明るくという感じではない。

それとは別に、PCでテキストを読みながらヘッドフォンで音楽を聴いている。僕のiTunesにはありとあらゆる音楽が入っている。だからランダムに流れてくる音楽はばらばら。明るい曲も暗い曲も。洋楽も邦楽も。

さっき書いたように、本の内容はじっくり考える系であまり明るくぱっーと、という感じではない。なんか、ヘッドフォンで脳波を読み取って考えていることにあった曲を選択してくれるとありがたい。それじゃなくても、状況にあった音楽が流れないかな。

ミュージックリストみたいなのを作れば良いんですよね。それ以外の方法でないかなぁ。

Posted by takeshi at 01:54 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
謙虚になる
かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。
自分というものが人間として最もかっこ悪いと感じました。実際に生きるという行動が美しくない。決して派手でなくてもいいんだけど、美しい生き方をしようと思います。

僕の場合、人間の生きる軸となるものが醜いです。悔い改めます。
謙虚に生きようともいます。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。
人生を本気で生きるということです。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番心踊る時です。

地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

Posted by takeshi at 01:13 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
虚心坦懐に
謙虚に生きようともいます。

真っ向勝負ということです。
下手な格好をつけても意味がないと思います。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。

今のありのままの自分を謙虚に受け止めようと思います。

足らない能力、多少ある能力。

自らを律します。

自分の心に正直に素直に生きようと思います。

何のわだかまりもなく、素直な心で物事を取り組もうと思います。

「他山の石」この言葉を人生の指針とします。

ちょうしこきません。

未熟者です、何も分かっちゃいません、死ぬまでたっても何も分からないかもしれません。でも決してあきらめるということではないです。

かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。
われわれは平等ではないし、平等ではあり得ないことを、僕は知っている。しかしぼくは、尊敬を受けるためにいわゆる下層民から遠ざかる必要があると信じている人間は、負けることを恐れて敵に姿を隠す卑怯者と同様に非難に値すると思う。 「若きヴェルテルの悩み」より
「無人島に一つだけ持っていくとしたら何か?」という質問に対して、
自分は「人」と答えるような人間です。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番楽しいです。
地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
生まれることも、死ぬことも、また無常ということ。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし

世の中にある人の栖と、またかくのごとし

「方丈記」

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おおごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ

「平家物語」

この二つが、美しく感じるのです。

Posted by takeshi at 12:31 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 02, 2004
たぶん、ちょいと違うんですが
上野駅の甘い臭い 公園口の近くでシュークリームを売っている。その店から漂ってくるあの匂い。甘くて、焼きたての香ばしいにおい。たまりません。これが上野のにおいです。多分一般的なイメージと違いそう。

マルエツ途中の家庭の臭い 

土曜日の午後の臭い、これは焼きそばのソースのにおいだ。
はたして、本当に焼きそばのソースのにおいか知らないけど、このにおいがする家の前を通った時、小学生の頃土曜日の昼間に学校が終わって帰ったときのことを思い出す。家に変えると焼きそばがあった。あのにおいというものは土曜日の昼という記憶をよみがえらせる。

 森の木の臭い 臭いからイメージする
Posted by takeshi at 10:34 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
独り言が多い理由が分かった。
脳で考える、その考え方。
それが独り言が多いかどうかを決める。
まあ、自分で何かを考える時にどうやって考えるかなってことです。

上野公園を歩いていてふと思いました。僕は、何かを考える時、話し言葉で考える。「これって何でだ?○○だからかな。なんで、いや、違うぞ。それは。じゃ、なんでだろう?」と、一人二役を演じて考えている。脳で考える時、会話形式で掛け合いをしながら考えを進めるタイプだ。

で、考えてみると僕は話しながら考えるタイプだ。この場合は他人と話しながら考えるタイプであるということだ。人と話している過程を通して、自分でも考え、自分の考えを膨らましていく。

話して考えるタイプ、書きながら考えるタイプなどいろいろなタイプがあると思う。僕が人と話して考えるタイプなのは自分ひとりで考える時も会話形式で考えるからかなと思った。

だから、独り言も多いのかなと思った。自分の脳で話しながら考える、だからそれが声に出てしまって独り言になる。こういうことではないか。

多分、話しながら考える人は文章も口語的になり、いわゆる硬い文章は書けないんじゃないかな。反対に、脳で考える時も書く感じで考える人はいわゆる硬い文章を書ける。書いてしまう。ということではなかろうか。

人間が考える場合どのように考えているのかは、その人しか分からないわけでなんともいえない。だが、それだからこそ、そこに面白みがあるのではないか。自分の脳でも話しながら考えるということを突き詰めれば、何か面白い発見がありそうな気がする。そんな感じが今の僕にはある。

Posted by takeshi at 10:12 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ことば
言葉って難しいですね。
何が難しいかって、特定の単語でも人それぞれまったく違ったイメージを持っている。

それを共有するって難しいな。たぶん、無理だな。
人によっても違うし、同じ人でも状況や周りの環境、いった人、抑揚によっても変わるし。年取れば同じ単語でも感じ方は変わるし。

定義をする云々という問題を通り越してることなんだと思う。

まあ、社会ではそんなこと言っていても始まらないので、殺伐と細かいことは忘れて生きていくしかないのでしょうが。

Posted by takeshi at 02:24 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
一年後なんて分からないですからっ
僕は一年後何をしているかは知らない。
当たり前だ、何度も書いているが、

僕という人間は、どうにでもなる。

人の予想を裏切るのがすき、天邪鬼です。

何をやっているか想像付かないらしい。

でも、先がどうなるかをいろいろな要素を踏まえて考えることは重要だ。

Posted by takeshi at 02:10 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
バカを装う
バカを装える人は頭が良い。
その人の本質を見抜くのが難しい。
バカを装い自分を下の立場に思わせ、その時に相手を見抜く。そんな作業をしている人が多い。

戦略的だな。
人の話を聞いていると、自分もいろいろな経験をしてきたのだなと気がついた。もっと、経験している人はいくらでもいるんだけど。

Posted by takeshi at 01:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
あれば食う
単純だ、目の前にあれば食べる。

正確には調理せずに食べられるものが手に取るところにあれば、ある分だけ食べる。
なければ食べない。

単純だ。

でも、こうでない人もいるらしい。

まあ、あれば食うって健康に悪いことでもあるんですけどね。

それに、一口がでかいらしい。全く気がついていなかった。たぶん今まで僕が生きてきたコミュニティの人は一口がでかいから気にならなかったのか、俺がどんくさくて気がつかなかったのか。

食べるのが早くて、食べる量が多いとは知っていたのだが。
まあ、すなわち、一口がでかいということを言っているのだと思った。

でも、そこまで考えていなかったってことだな。
バカだな俺。

Posted by takeshi at 01:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2004-11

http://www.teratown.com/blog/archives/2004_11.html  

November 29, 2004
写真
綺麗な写真を見ることが好きです。

その対象物は、山だったり空だったり海だったり、基本的に自然の写真です。

今日、なんとなく天空の旅人というサイトに行き着いて、あらためて写真の美しさに感動。
自分でも綺麗な写真がとりたくなりました。

そのためには一眼レフカメラをもってどっかいく、コレでしょうな。

実は、お気に入りが増えすぎてパンクしているので、自分のためのリンク確認エントリーでした。

好きなサイト

天空の旅人(ココのギャラリー)
たびそら(以前写真展に行きました)
花もて語れ(SFCの学生さんみたい)
Wandering the world(壁紙のコーナーにあります)

Posted by takeshi at 05:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 28, 2004
朝焼け 
日の出、日の入り見たことない 小中学生がケッコウいるらしい。
自分も振り返ると、なかったわけではないがあっても数回だな。その数回がないんだろうけど。

ちょいまて、日の入りも見たことないのか?これ本当か?

まあ、調査結果の信憑性はほかっといて、あの太陽ってやつはなんてくせモンなんだろうね。
いやあ、本当に思うよ。

太陽って奴はどこまでも人間をひきつけるのだろうか。

朝の太陽の神々しさと、夕日の淋しさ。

あの感覚を小さい頃に味わえるってものすごいことだよ。その思いでは、まさに一生の宝ものですよ。

思い出に残っている、日の出と日の入り。

日の出

今年の夏に登った富士山の頂上から見た日の出だな。すさまじかったよ。本当に。あれを見なかったら日本人としてだいぶ損をしてるぞ。そのときの写真はここそれに関するエントリーは大量にある。ここ、とか、こことか。

日の入り

フェリーでモロッコへ行くときに見たのかな。あの時の不安と沈む太陽が心と目に焼きついている。
大西洋に沈む夕日(2003/09/10)
関係ないが、国立科学博物館と、日本科学未来間に行きたい。けっこう猛烈に行きたい。よし、行こう。
日の出、日の入り見たことない 小中学生の過半数 乏しい自然体験

「親が連れ出して」
 自然体験の調査に、「生まれてから一度も日の出、日の入りを見たことがない」と答えた小・中学生が過半数にのぼることが、川村学園女子大の斎藤哲瑯教授(教育社会学)の調査で分かった。「海や川で魚釣りをした」「身長よりも高い木に登った」ことのない子供も四割強。いずれも前回調査(平成十二年)より未経験者が増え、過去最多。斎藤教授は「親が自然の中に子供を引っ張り出さなければ、太陽の動きを追う経験もできない」と危惧(きぐ)を抱いている。
 調査は今年六月、関東・東北の小中学生三千二百八十八人を対象に実施。その結果、日の出や日の入りを見たことがない子供が、市部の子供で52・6%、郡部でも45・9%にのぼった。
 ほかにも「木の実や野草をとって食べたことがない」子供は市部で60・7%、郡部でも49・4%▽「わき水を飲んだことがない」子供は市部55・3%、郡部48・8%-など、自然体験の貧困さが目立つ。
 体験の貧困さは自然の中だけにとどまらず、日常生活でも「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない」49・8%▽「自分の服を洗濯したり干したことがない」43・6%▽「包丁やナイフで果物の皮をむいたことがない」21・5%-と続く。
 年齢の違う人と触れ合う機会がなかったり、お手伝いもしないなど、衣食住すべてで日常体験が不足している、今の子供像が浮き彫りになった。
 一方で、自然体験が多い子供は、生活経験も豊かな上に「家にいるのが楽しい」「学校が楽しい」と答える割合が高い傾向にあり、多様な経験と生活の満足度に関連性が見られるという。
 斎藤教授は「旅行やキャンプといった“行事”ではなく、日常の中でちょっとした自然現象に目を配ることが大切。生活体験についても同様で、お手伝いをさせたり、地域の人と触れ合ったりして、日常の中で経験できるよう、親が配慮すべきだ」と訴えている。
(産経新聞) – 11月28日2時44分更新
Posted by takeshi at 04:20 PM | コメント (208) | トラックバック (0)|
友達と出来事
たまに、友達と出来事で自分の人生を振り返ることがある。

そして、つくづく思うことがある。
僕は仲間に本当に恵まれていた。
仲間に育ててもらった。感謝の念でいっぱいである。

そして、要所でいろいろな出来事が起こったり、自らやったり。
その出来事を通しても学ばせてもらった。

それで思うことは、本当にやりたいことは、実はすべてやっている。ああ、これいいなぁレベルのことはやっていないことがたくさんある。これは、その時意識的にとった行為ではないと思う。結果的に本当にやりたいことは、自然に体が動いてやっていた。自分の意識の外でも、本当にやりたいことのためにさまざまな基礎を固めていたりした。と思う。人間とはこういうものなのかとも思う。

過去を美化しているだけなのかもしれないが。

Posted by takeshi at 08:26 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
November 27, 2004
広告
タニタという会社のヘルスメーターの広告が面白かった。

なんと、電車の床に実寸大のヘルスメーターの広告があるのだ。
ケッコウインパクトあるよな。

体重が量れるはずないけど、体重をみんなの前で量るのがいやな人はなんとなく広告の上に乗るのはいやなんだろうな。

Posted by takeshi at 12:07 AM | コメント (187) | トラックバック (0)|
November 26, 2004
バルセロナでの日々を思い出す。
あ、NHK教育で 世界美術館紀行 「スペイン・奇才ダリの不思議な愛の迷宮」

をやっていた。で、見た。

マドリッドのソフィア王妃美術館で見たダリの絵を思い出した。ピカソとかミロとかダリとか置いてあった。僕は、絵の分類も知らなければ、技法も知らない、歴史的背景も知らない。ただ見るだけだ。それが、果たして良いのか悪いのかは知らない。でも、まあ、今まで見たものはそういったことナシに見たことだけは事実である。

で、ダリを見て、その時の日記と写真を見た。こんなこと書いてたんだと思う。(ちなみに、海外へ行ったら大学ノート一冊は日記書きます。)ソフィア王妃ではミロの絵が一番好きだった。プラド美術館はでかすぎて疲れた。

ああ、一番スペインで好きなのはガウディの「カサバトリョ」と「グエル公園」です。グエル公園からサグラダファミリアを見たときは泣きそうになりました。

テレビの「おまけ」のコーナーとか言って、レストラン紹介してる。実に懐かしい。カタルーニャの海の幸とかいって、マジで食いたくなった。ああー、バルセロナで食ったあの飯がー、食いたい。

僕が今まで行った中で1年とか、それ以上のスパンで住んでも良いと思う町はバルセロナとイスタンブールです。
スペイン好きの人いないですか?特にバルセロナ。いたら、思い出を語らいたいもんです。

Posted by takeshi at 10:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
僕の人生と、親友と
僕の人生と、親友と

僕のことを一回でも心にとめてくれたひと
あなたのその心で僕は今の僕となれました
難しいこと抜きにして、心のそこから 
ありがとう

 

やりたいように、やりたいだけやってこいよ。
自分の聴きたい音を自分で奏でられるまで。
そして、お前のあの笑顔を、楽しみにしている。

俺も、そうするから。
お互い、爺さんになったら、
あの、でっかい餃子を食いながら、
懐かしい日々を語れる日を心待ちにしているよ
さっき書いた5000字以上の文章よりも、伝わるものがあると思うから。

Posted by takeshi at 06:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 25, 2004
「1000年後に残したい宝もの」とは何ですか?
宝もの(宝の上に「たから」とふりがな)

国立博物館の常設展示の端でこんな言葉を見つけたのだ。

この文字を見て、なんかこの言葉を久しぶりに聞いた気がした。宝ものって響きを久しぶりに感じた。宝ものって普段の会話であまり出てこない気がする。考えない気がする。でも、昔(幼稚園・小学生)は宝ものってあった気がするし、すごく大切にしまってあった気がする。僕は、何かのダンボールの空き箱にいくつものガラクタ(大人の表現で言えば)を入れていた気がする。ただの木の切れ端、ミニカー、きれいな色のビー球、今は覚えていないいくつもの宝ものがあった。

そんなことを思い出し「宝もの」という言葉にドキッとして、テクテク歩く。すると、壁に「1000年後に残したい宝物」と書いてあり、机の上には「宝ものの名前」と「選んだ理由」が書けるポストカードがおいてあった。そして、何人もの子が書いたポストカードが壁に貼られていた。

僕も、紙を取って書こうとするが、その瞬間、頭に宝ものが思い浮かばなかった。正直その瞬間ショックだった。その後、いくつかのものが浮かんだが、コレじゃないな、なんか違うと、理由をつけて考えていた。宝ものに細かい理由付けなんていらないんだろう。もっと、純粋に宝ものを、宝ものだと言いたいもんだなと思った。

皆さんにとって、「1000年後に残したい宝もの」とは何ですか?
Posted by takeshi at 11:04 PM | コメント (0) | トラックバック (1)|
大変な時代だな
インターネットをみんなが使うようになった時代。
うかうかしていられない。大変だ。

ブログの普及で簡単に自分の意見を公開できるようになりトラックバックなどでそれがつながりやすくなった。これって、相当なパワーを持つなと一連の事件(ブログの規約等)を見て再認識。

運営者として、ちょっとでもあまい考えを持っていると足元をすくわれる。自分(運営者)の中の気持ちは始めた頃と変わらなくても、一気に規模がでかくなっていて、そこで何か問題が起こると、ついついはじめた頃の気持ちで対応してしまう。しかし、それじゃダメなんだな。規模がでかくなっていたらそれなりの対応が必要なんだから。でも、インターネットにおけるユーザーの増加や情報の広まりはまさにマルチプルである。だから、運営者自体がそれだけ大きいものを運営しているという認識に欠けることが多々ある。刻一刻と変化していくものしっかりととらえ、それを運営者であるがユーザーの視点からも見て、対応していかなければならない。当たり前だけど、書きながらもう一度かみ締める。

ユーザーを敵にするような行動をとると大変だけど、味方につけてやっていけばスゴイ力になることも事実。ファイヤーフォックスとかも。それを感じる。

Posted by takeshi at 10:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
私は今ケニアにいます。
前のエントリーの続き。

僕の分身はケニアに行ったらしい。

お前、とうとう頭いかれたかと思われるので説明。

 

あなたの分身が、世界中を旅行して、旅行先からあなたにメッセージを送ってくる仮想旅行システムです。ユーザ登録を行うと、あなたの分身を旅行に出発させる事が出来ます。

分身は自分の意思で世界中を旅行します。そのため、旅に出しても、どこへ旅行するかは、分身が自分で決めます。ユーザーが決めることは出来ません。

分身は旅行先で体験した事や旅先で撮した写真をあなたにメールで送ります。
とまあ、こんな感じのものをやっていて、メールがくるのです。

アフリカのケニアのナイロビに到着しました。 
 アフリカ、ケニア、サバンナ....広大な大自然が私を呼んでい
ます!!が、まずは準備が肝心です。

 今日はこれから書いてもらった処方せんを使ってマラリアの予
防薬を買ってきます。とにかくケニアでは蚊に注意!!既に体に
は虫除けスプレーを塗布済みです。もちろん夜のために蚊取り線
香ももってきています。

 今日は薬を手に入れたらまっすぐ宿に行ってこれからの予定を
吟味したいと思います。
あ~、蚊、蚊、蚊にくわれた~。カヤもつって蚊取り線香も3つもたいたのに~、どうしてどうして~。予防薬だってすぐに効かないのに~、どどどどどど~ぢよ~。
 ま、まてよ、この食われた後は血を吸われた跡が二つ、それも食
われたあとが列を作っている.........って事は、あんぎゃー、
南京虫じゃ~!!!!!!!!!!!!!殺虫剤殺虫剤!!!
あ~南京虫に食われた~、か、かゆいよ~。

 はぁ~、しょうがないっすね。もう虫は無視して寝ます(^_^;)、でも、
かゆくて寝られないかも!。
ジャンボ!!健さん。ジャンボっていうのはスワヒリ語での挨拶の言葉です。
 結局昨夜はかゆくてろくすっぽ眠れませんでした。まだ強烈にか
ゆいです(南京虫にさされると、1ケ月位かゆみが止まらないそうで
す...どーしよ~(ToT))。

 何ともはや、アフリカの大地に強力な洗礼をうけたような気がしま
す、まあ正確にはアフリカの虫にですね(^_^;)。おっと、そうそう、昨
夜いろいろと情報を仕入れた結果、最初のサファリはサンブル国立
保護区に行く事にしました。ところで健さんはサファリの
意味をしってますか?サファリとはスワヒリ語で「旅」の意味だそうで
す。う~ん勉強になるな~この旅は(^○^)。

 

写真ナイロビ市内で見た野生動物です(鳥)。いくらケニアとはいえ、街中では鳥位しか野生動物はいません。でもこの鳥、スズメによく似ているのが気にかかります。
 何で鳥の写真を撮っているかというと、サンブル行きのバスが出
発しないためです。もう出発の予定時間から1時間22分が経過し
ていますが、一向に動きだす気配がありません。う~どーなってる
んでしょうか(T_T)。

 お、ようやく出発するようです。それじゃ、次のメールは明日出し
ます。

 

とまあ、こんな感じです。ケッコウリアルっぽい内容です。&スワヒリ語の勉強になったり、息抜きになったりします。

実はケニア旅行の宣伝だったりして。(笑)でも、この分身が旅行終わってケニアのツアー勧誘メールが来ても行く人少ないだろうな。それよりも、なんか、なんというか、イメージアップとかにこのメール手法は使えるんじゃないかな?短期的な売り上げではなくて、長期的なイメージアップや認知度アップに。
Posted by takeshi at 06:32 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
November 24, 2004
たった一言でも
別に、長けりゃいいてことでもない。

たった一言でも、1,2行の言葉でも、いや、たった一言でも、1,2行の言葉だからこそなのかも知れないが。

まさに本質を言い当てていることや、美しいことがある。

それは、こういうことだからですかね↓。

Imagination is more important than knowledge.
                         Albert Einstein
Posted by takeshi at 04:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
メールが届くのが楽しみ
といってもPCによって自動生成されるメールだ。
出会い系とかそういう類の迷惑メールと基本的に同じ手法で作られていると思う。

でも、そんなメールが速く来ないかと楽しみにしている自分がいる。

もちろん、スパムとかウイルスが付いているメール、出会い系などのウザイメールではありません。
どんな内容かというと、自分の分身が世界中を飛び回って旅行記をメールで送ってくるというサービスだ。その旅行記メール。数日前、僕の分身を出発させた。といっても、メアドを登録して「出発」ってところをクリックしただけ。

すると、
ごきげん最高で~す。旅行先も決まりました。さ
っそく出発といきたいところですが、旅行前に英語で書かれた薬
の処方せんが必要なんですよ。今回の旅行先は国内では購入
できない薬が必要な所なんです。その薬がないと命の危険もあ
るかもしれないのでちょっと時間はかかるけど、きっちり用意して
から出発します。

 それじゃ、用意が出来たらまたメールします。

 

こんなメールが来た。面白そう。

で、また数日たったら

 

処方せんも書いてもらってきました。これで準備OK!!チケットの
手配も完了したし、あとは荷物のチェックを残すのみです。そうそう、あ
れもっていかなくては、ぐるぐる渦巻いた緑色の物体を!!。よし、準
備完了、それではいってきま~っす。

 行き先ですか、それは行き先は着いたときに知らせます(^_^)。それま
で待っててね~と言おうと思ったのですが、ばらしちゃいます。行き先
はアフリカ大陸!!
テンプレートがあって、それにあわせて送っているんだけど、面白いねこれ。それも、行く場所がアフリカですよ。それが僕をさらにワクワクさせる。

自動生成メールでもこんなにも僕にとっての価値が違う。不思議なもんだ。ものは使いようですな。そう、今は全く意味がないような技術でもちょっと頭をつかって使い方を変えてやればスゴイ良いサービスとかができるのかもね。
Posted by takeshi at 03:41 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
「ら」
なんか、ギターを持って歌っている人がいた。
たいしてうまくもなく、誰も聞いていない。

しかし、ふと気になる。

「らー、ら、らーー、らい」とか歌っている。そんな歌きいたこともなければ、きれいなメロディーラインでもない。何が気になったかというと「ら」という音。

歌では、この「ら」がよく使われ、繰り返されることがある。大黒マキにしろミスチルにしろ。じゃあ何でだ?

発音しやすいのか?確かに、A Ka Sa Ta Na Ha Ma Ya Ra Wa は口の開け方が構造上楽でってのはあるというものがあると思う。

「ら」が他のことばでどのように使われているか、そしてその使われ方からくる「ら」の感覚からか?

「ら」という言葉がらららと繋がりが良いからか。ラ行はルンルンとか、リンリンとか、明るいイメージでつながるからか。

何かしら文化的、歴史的背景があるのか?

「ら」は声帯いためないから、歌の途中に入れるとのどを休められる?

「ら」
1 五十音図ラ行の第一音。歯茎弾き音の有声子音[r]と母音[a]とから成る音節。[ra]

2 平仮名「ら」は「良」の草体から。片仮名「ラ」は「良」の初二画から。
大辞泉

これをみると、「良」という感じからきており、良いイメージであることは確かだが、果たしていかなる理由があってらと歌うのか?
と、意味のない妄想を繰り広げるのでありました。

Posted by takeshi at 01:13 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
視点
先日、電車の先頭に乗って気がつく。

おお、かっこいい。かっこいいというか、なんか「すげぇーーー」ってな感じ。たぶん、幼稚園児のころの新しいものを知ったり、見たりしたときの感覚。幼稚園児が動物園で叫んでる感覚です。

僕は、昔、おもしれーとか、ワクワクどきどきすることがない人間なのかと思っていたけど、普通の人よりそんなことが多いらしい。簡単に言うと、子どもらしいです。はい。成長していないだけですね。まあ、一生子どもでいると宣言しているから問題ナッシング。

で、話は戻って、モブログに僕はこんなことを書いた。

「電車の先頭から見る喜び。普段見ない視点か、電車というものを全体としてとらえる感覚、いったい何が心をワクワクさせるのか。」

それに思ったのは、目の前に迫ってくる電車が、そして京浜東北は新幹線も横切るから、わくわく。

新幹線、飛行機、これってなんかわくわくする。たぶん、小学生とかそういう小さい頃に、新幹線乗ったことある?とか飛行機乗ったことある?という会話からも想像されるように、電車や車とは違う乗り物なのだ。違うレベルの乗り物なのだ。そうやって、脳にうえつけられた部分もあるだろう。

もちろん、電車と同じようなもので新幹線はスピードが速い。この現在あるものの中では最高のスピードに喜びを感じるのかもしれない。飛行機も空をあんなに速いスピードですすむ、その感じに。

こんなこと書いていると、僕は昔書いたブログというものを思い出す。ああ、あれと微妙に関連しているなと。それを感じると俺が文章を書いたんだと感じ、俺って人間は常に変わっているんだけどベースでは
同じなんだと再認識する。

たぶん、読んでいる人には決して伝わらないこの感覚が僕にブログを書かせている。
http://www.teratown.com/moblog/archives/001151.html

2003/12/2 テレビうつり
夜はNHKでスペインのトレドをやっていた。
こっちは、今年の9月に行った。

普通はテレビで見るとよい部分しか映さないので、よく見えることが多い。
カメラワークによってほんのちょっとしかない、小さな範囲しかきれいでなくても、その美しさが永遠に続いているかのように写す。今朝のズームインはその典型だ。

しかし、NHKのトレドはテレビを通したほうがしょぼかった。まあ、テレビで見たほうが価値が下がっていた
。あの町は、これだっと、いうものがない。まあ、あるといえばカテドラルとかいろいろあるんだけどね。あそこは、町全体として美。和みがある。落ち着く。そういう、雰囲気とか・人々の生活している時間の流れ、カメラでは吸い上げることができないものがある。その吸い上げることができないものによさを感じる。だからテレビではよさが半減する。

 

 

Posted by takeshi at 01:02 PM | コメント (200) | トラックバック (0)|
November 22, 2004
お金が気持ちをなえさせる。
思うこと。

「たいしたことでない、些細なことでも、それに価値が生まれることがある。その人のためだけなもの。他の人には意味がないかもしれない。その感動に意義がある。03/07/01 」

こんなことを昔記した。これをまた感じることが多い。
別にお金がかかっていなくてもいいんですよ。いわゆるマスターカードですよ。あのCMですよ。お金で買えない価値があるんですよ。

たとえば、尊敬する人に自分の名前を呼ばれる。「おい、寺町っ」と。これなんともいえないほどうれしいことですよね。認められたというか。覚えてもらえたというか。別に金を払ったわけでも何でもないんですよ。両者ともコストも払っていないし。でも、とんでもなくうれしいのです。

逆に、尊敬する人にお金を払って、(これは本人でも、裏で協力者などの他の人でもいいんですけど)名前を呼ばれても、うれしくも何でもないですよね。お金払ったことによってその価値は下がってしまうんですよね。金は人間の感情(ワクワク。どきどき。感動。うれしさ。)を取り去ってしまっているのです。

Posted by takeshi at 06:10 PM | コメント (210) | トラックバック (0)|
トイレットペーパを使うのを躊躇する
トイレットペーパを使うのを躊躇する。
ってまじかよ!?

インドに行って左手に慣れたからか?トイレットペーパーがいらなくなったのか?!

そうじゃないです。
この前、トイレットペーパーを買ったんです。スーパーで一番安い奴が、香りつきのトイレットペーパだった。まあ何でもいいやと思って買った。家に帰って使ってみるとホントに花の香り。まあ、それはいい。

問題なのはトイレットペーパーに花の絵とその花に関する言葉が書かれている。
その言葉が、また心に響くことが書いてあったりする。

そうするとですね、じっくり読んで見とれてしまう。ココまでは良いのだけど、なぜかそれで尻を拭くのをためらう。ためらうというか、何か悪いことをしているような、なにやら綺麗なものを汚すような感情を持つ。

もとはといえばただの紙ですよ。無地のトイレットペーパーなら何にも感じていませんよ。しかしそこに絵と言葉が書かれただけで全く人間の感情は変わるのです。それだけ、文字と絵には人間の感情に与える力がある。そう実感したわけです。

問題じゃないんだけど、この気持ちはなんだろうか。

ちなみに好きな花はひまわり、桜、コスモスとかです。
まあ、スペインで一面のひまわり畑を見るという夢は達成されなかったのですが。。。

BGMはミスチルの「花言葉」
ミスチル歴はかなり長いけど、やっぱいいわー。落ち着く。

Posted by takeshi at 06:09 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
1122
ブックオフの帰り、
カフェの前のミニ黒板に「1122の日」って書いてあった。

いい夫婦らしい。

あ、なんか心が和らいだ。

Posted by takeshi at 05:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ゆめ
「夢」ということばがある。

将来の夢

というときの「夢」の意味

昨日の夜、怖い夢をみた

というときの夜寝ているときにみる「夢」
違う意味であるのに同じ言葉。
現実離れした空想という繋がりの中で、なんかうれしい気持ちになる。

Posted by takeshi at 05:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
キター
ちょいと前、こんなエントリーを書いた。

「理想の家と近くにあると良いもの」

そう、家の近くにブックオフがオープン。やりましたよ。

いやーーホントうれしい。

あそこの100円コーナーはたまんないです。
距離的にも散歩コースに最適です!

では、行ってきます。

Posted by takeshi at 03:45 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
たぶん、たぶん
人間は曖昧なものを想像することが得意な時と得意でないときがある。少ない情報から特徴を読み取り、それが何であるかを判断する。

たとえば、人間の後姿。これは服も新しかったりしたら分かるのは背の高さとか髪形ぐらいか。歩き方とか。しかし人間はそれが友達であればだいたい判断できる。しかし、普段自分が見慣れていないもの、太郎というカモシカと二郎というカモシカは区別が付かないだろう。たぶんカモシカ君たちは区別が付くはず。それはいつも見ているから。

同じもの、同じ種類のものを見続けていればそれに付いて何か分かってくる。特に人間みたいに動いたり笑ったり、変化しながらあるものを見続ける。すると、それについて何かしらの判断能力が付くはず。

たぶん、いたって当たり前のことを書いているんです。世界中のほとんどの人が知っています。しかし、このことを応用している人は少ないかも。自然にやっている人はたくさんいそうだけどね。

なんかについて詳しく知りたかったり、感覚をつかみたかったらひたすら見てやるとか。どうしても、ひまわりの花の違いを判断したい人は、ひまわりをひたすら見てやる。右から見たり、左から見たり、上から下から。斜めから。時にはひまわり畑に埋もれてみるとか。食べてみたり、

 

 

Posted by takeshi at 02:01 AM | コメント (210) | トラックバック (0)|
なんか最近ブログのランキングがはやっているらしい、じゃあ、オレは
なんか最近ブログがはやっているらしい。

特にランキングとか。某野球参入で有名になった会社のランキングとか、その他のランキングで。

上位を争くらいなら、ほぼ毎日更新しているのにほとんど誰も見に来ないブログを達成してやるぞ。

前から言っているようにこのブログは自分のメモ。誰も見なくてもいいです。
じゃあ、公開するなって突っ込む奴がいるかもしれないけど、自分が外部から見るの便利だし。それに、公開するなって文句言うくらいなら見に来なくていいんじゃないのかと思うのです。

ランキング上位とか争うのなんてやってらんねー。このページのアクセス数下がるように意味不明なこと書いてやる。

もっと見に来るやつ減ってくれーーー。

よーし、もっと意味不明なこと書いてやるぞ。

と天邪鬼道をゆくのでした。ちゃんちゃん。

Posted by takeshi at 01:17 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
環境変化→心理変化-偶然を必然にする方法-
今日は朝から早い。最近、日曜日の朝が早い。ちょいと辛いが、すがすがしい。(夕方になると疲れるのだが)なんか、方向性とか、課題とかスムーズに話が進む。こんなにきれいにまとまっていいものなのかとも思う。たぶん見逃しているところがあるのかも。それから新宿で少し頭を使う。頭を使ったのは久しぶりかも。

ココから本題。

たぶん、若いうち(青年期かな?)には大きな環境変化と精神・心理的変化がある。大きなものは一人暮らし、経済的独立、結婚、親の死ではなかろうか。まず、一人暮らし。これは親から離れるという環境的変化。今までには全くない環境である。それによって精神的に自由が増える。経済的独立。自分で稼いで自分で食う。他人にどうのこうのほとんどいわれなくなります。さらに精神的自由が増える。結婚。これは精神的自由が減ると思われます。親の死は自分の支え、そして親の目がなくなります。

一概にこうとは言えないかもしれないが、こうではないかと。
で、こういう心理的な変化によってそれが行動という形で現れる。これの積み重ね。

で、問題は偶然を必然にしてしまう人。
そういう人は、環境変化が起こる前にその後の状態をイメージし、そのときの精神の変化を予測し、そのときに何をしたいかを具体的にリストアップしている。

大きな心理的変化がおこる前に、心理的変化後の状態をいかにイメージし、何をもとめゴールをみすえいかなる行動をとるかを列挙する 具体的行動を直接行わなくてもそのイメージしたものが日々の生活をとおして達成される可能性が高い 将来を映像としてイメージし夢をみるそして落とし込み これで人生の大まかな方向性がきまる それは一つ一つの行動が短期的意味を持っていなくても長期的にはつながる これが偶然を必然にする秘訣

これは、「環境変化の前」というのが重要で、その前にイメージする必要がある。
一人暮らし 親から離れる物理的に 自分で稼ぐ 金銭的に独立 精神面でのさらなる自由 結婚あらたな結び付き ここを期に人は大きな変化をとげる 物理的変化から精神変化になり行動という物理変化になる。それの積み重ねが精神信念をうみだす 東京には男が多く地方には女が多い マッチング 大学入学後10年計画 気付き共有仕事でスキル地元 大きな方向性を決めるのが得意 

一人暮らし、物理的に親から離れる
社会に出る 自分で稼ぎ経済的自立
結婚 家族が出来て、家族への責任感、どこに住むか子育てはどこでするか、どんな育て方かなど
親の死 親の目がなくなる。魂の中には届くかもしれないが。介護が必要になった時に自分はどうするか

これらの時は、人生の転機だな。

追記

結婚と親の死、さらには子供が生まれる。この三つをセットにして家族の増減とまとめることも出来る。転職とかも大きな変化だが、

これらの人生における大きな変化において結婚だけコントローラブル、自ら選ぶことが出来ることだ。だから、結婚は大いに悩むのだろう。

Posted by takeshi at 12:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 21, 2004
国立博物館
昨日行った三田祭はまだ続くらしい。でも、行かない予定。

で、国立博物館へ行こうかなとおもう。実は行ったことないし。

誰か一緒に行く人いますか?いたらメールでもください。

Posted by takeshi at 07:54 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 20, 2004
吉野家問題
吉野家さんが「角煮きのこ丼」販売終了するらしいですよ。

そんでもって、12月上旬に牛焼肉丼が420円で始まるらしいですよ。

ああ、吉野家の売上不振はニュースになるので、こんな無理なタイトルでニュースが出ていましたよ「吉野家が牛丼首位転落、売上高17%減…9月中間決」。そもそも今牛丼売っていないから牛丼首位じゃない(笑)じつは、ゼンショー(すき家)という会社に業界首位を明け渡したと。しかし、すき家はゼンショーの中で売り上げの3割しか占めてないです。でも、まあ、吉野家の売り上げが下がっているのは事実だと思います。

そんでもって、吉野家が牛丼を復活しても大して客は増えないですよ。吉野家&牛丼復活でニュース性があるので一時的な売り上げアップはあると思いますが、少なくとも前と同じレベルには戻らないとおもう。みんな、牛丼がなくなるときのフィーバーが頭に残っていて、みんながみんな牛丼を欲していると勘違いしているかもしれないんですけど、牛丼がなくなるときはイベント的要素で駆け込み需要があっただけですから。本質的に牛丼をそこまで求めているわけではないです。僕はそう思います。

Posted by takeshi at 01:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
雨の日と利き足-特にメッシュのスニーカー-そんなんで考える
今日は雨だったんですよ。
そんで、出かけた。
帰り駅からとぼとぼ帰る。そうしたら、俺のきき足は右だと分かる。というのも、地面が濡れているところをメッシュのスニーカーで歩くと、右足だけ濡れる。靴のつま先あたりね。多分、僕は手も足も右利きである。だからだ。ってコレではいまいちかも知れないので。ちょいと詳しく。僕は手が右利きである。意識がある頃から右で字を書いていたし、右手で飯を食っていた。力も右の方がある。コレを踏まえて足を考える。歩いていてスニーカーが右の方が濡れている。ということは右足の方が力が強い。けり返しとかが強い。だから、水がはねて右のつま先の方が濡れる。

この、右足の方が濡れるのを見てきき足は右だと気がつきました。

そもそも、利き手・聞き足って何だろう。
多分、生まれたときから右利きの人は右利きなんだろう。ということは、遺伝子にその情報が組み込まれているのだろうか。劣性遺伝とか優性遺伝ってあるのかな?

見た目は、右も左も同じなんですよね。指が五本あって。同じような色で、同じような動きをして。じゃあ、遺伝子に入っている情報の何が違うんですか?そもそも右も左も利き手・利き足の人はいないんですか?さらに言えば、なにをもって利き手・利き足が右とか左とかいうんですか?

利き手ってなんだろう。なんで利き手が生まれるんだろう。

僕は、生まれたときから右利きだったとおもわれる。でも、中学のときに左利きに変えようと試みた。それで飯は今でも左で食べる。箸は左手で使うということだ。中学までは右で飯を食っていたが今は左で飯を食う。初めはマメとかとりにくかったけど、今は左の方が端の持ち方がうまいといわれるほどだ。そのころ字も左で書く練習をした。しかし、字は左手で書くのが難しかった。うまく書けないし、さらに時間がかかって不便すぎた。それでも、左手で日記を2,3年書いたがそこまで上達せずにいつの間にか終わった。こう考えると、利き手というのは強制使用とおもってもそう簡単に出来るものではないことが分かる。習慣でも強制できないものであることが分かる。では、利き手・利き足とは何だろうとさらに分からなくなる。

たぶん、利き手利き足を考えると相当おくが深いし幅が広いことです。うーん、遺伝子の問題か?生まれたときに親がどちらのてに箸を持たせたかによって決まるのか?利き利き足がある意味って何だ?
誰かコレについて考えている人いないかな?
ついでに、今考えれば、左手で飯を食べ始めたことも、ケンダマをしたことも僕の人生を大きく方向付けているのだとおもう。ちなみに、小学校二年生の頃からケンダマやってます。今でも東京の家にケンダマがあってたまにやります。あれは、いいです。面白い、楽しい、という次元を超えていいです。

疑問のまま終わるブログでした。

Posted by takeshi at 01:29 AM | コメント (219) | トラックバック (0)|
November 19, 2004
ピタット一致する
まだ21年しか生きていないわけですが、ピタット一致することがある。
曖昧な、ぼやっとした2つのものが、だんだん輪郭がはっきりとしてきて、それがかさんる瞬間がある。無数の点が線になる時の感覚と似ている。

僕という人間は外部のものとの関係で生きている。僕の心とその外部の物の心が一致するのである。それは、音楽であっても、組織であっても、人であっても、学問であっても何でもなんですけど。前に書いたエントリーで書いたコレだって時の感覚です。

そういう時は、本当にワクワクする。心躍るって奴ですよ。そうすると、イメージがわく。そうなったらもう突き進むしかないんですよ。

そういう時を僕は探すために、そのことを楽しむために生きているのかもなぁ。
Posted by takeshi at 02:06 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ガラポン
なつかしい、ガラポン。
これは昔土曜日の午前中にやっていた大前研一氏の番組だ。

高校のときにこの番組を見ていた。(今はやってません)土曜日に家にいるとき、偶然テレビを見ていたらこの番組がやっていて面白いとおもい見たのがきっかけだ。そのとき、テレビに映っている態度のでかいおっさんが大前さんだなんて知らなかった。(少したって何者か少し知った)

で、この番組ビデオにもとってあって東京にも持ってきているのです。なんか偉そうな発言になってしまいますけど、なかなかいいことを言っているんです。純粋に情報量も多いし、それを踏まえた予測も鋭い。さらに、行動一つ一つに考え抜いた感がある。

でも、大学に入って、大前さんのことを一時期うさんくさいなーとおもって遠ざけていた。

でも、最近また、その評価が変わりつつある。
本を読んだのが理由なんだけど。確か、彼は僕が高校のときにエブリデイドットコムという事業を始めた。その時テレビで、オンラインショッピングが伸びないのは操作が難しいからといっていた。消費をする主婦には難しいと。それで、バーコード付きパンフレットを配って、ほしい商品のバーコードを読み取って購入できるようにすれば売れる。みたいなことを。このとき僕はこれはあんまり売れないだろうとおもった。

で、まだその事業は続いている。成功しているのかしていないのかは知らないが、まあ大成功はしていないだろう。個人的には失敗の部類に入るのではとおもっているのです。調べてなくて詳しく知らずに発言してます。

彼はマッキンゼーという会社の社長もしていた人です。マッキンゼーが本当にすごいのかは知らないけれど、多分マッキンゼーの人たちは世界でもトップ集団であると自負しているとおもう。そんじょそこらのプライドじゃないとおもう。経営の世界では右にでるものはいないプロだと。僕の勝手な想像なんですけど。

ここをふまえてですよ、で、ここからです。今までは前説です。
彼はこう書いていたのです。自分のやってきたことには成功も失敗もあると。「失敗なんてして当たり前、失敗して強くなる。失敗という経験はありがたいとおもう、恥ずかしくない」と言い切っていた。失敗だと自分の中ではおもったとしても、公言するってのはまた意味が違うとおもう。すごいな、本物だなとおもった。そして、その公言するという行為によって自らを引き締めている。

みんな失敗は怖いし、できるだけ避けたい、認めるのに抵抗があるものだと思う。僕もそうだ。でも、失敗してこそ人間は強くなり、失敗するからこそ成長できるし、失敗を恐れてばかりいたら挑戦できないと僕もおもう。失敗を受け入れ、自分の欠点を受け入れ、それを分析して、次の行動に生かす。これだよな。心がけよう。

それにしても、プライドが相当高いとおもう人が負けを認めてそれを糧に挑戦するといえるのはスゴイ。社会的な名声と地位を得た人が、失敗を認める。純粋に尊敬するなぁ。まあ、プライドが高いって言う認識が僕の偏見だったりとかするのかもしれません。

Posted by takeshi at 12:08 AM | コメント (228) | トラックバック (0)|
November 18, 2004
大学名って
大学、いまや行きたいと思えばどっかには引っかかる。昔の大学の価値(希少性)は今の大学院といわれるが、個人にとって、社会にとって大学名って今の世の中でどれほどの意味を持つのか?

最近、全然ばらばらなところで大学名というものが話題に出た。そこで、どうなんかなーと。

まず、先日、日経にたくさんの大学名がのっていた広告があった。それは何の広告かというと結婚斡旋会社。なにやら8月から10月の間に斡旋会社を通して結婚した人の男女それぞれの大学名と現職の業種が書かれていた。確かに、一般に有名とされる大学名の人しかのっていなかった。有名大学といわれるところを卒業した人しかターゲットにしていないのかな?

まあ、受験という勝負にかぎっては(これをやりたいといって大学を選んだり、この地方がいいといって選んだ人意外)東大に受かった人が勝ちだと思う。でも、東大だから一概にすごいとも思わないし、ボーダーフリーだからしょぼいとも思わない。単に受験という勝負だけの話。

金沢工業大学、はこだて未来大学、会津大学、多摩大学、高知工科大学とメジャーではないけれど面白い大学ってあると思うのに。。。

で、この話をしたら、大学名より現職だろといわれた。現在が三流大学と言われるところを出ていても電通だった、そっちの方がいいのではないかと?

そのほかにも、

学歴社会に疑問を感じたから、東大にいったという人も。

本を読んでいて、ペンシルベニアで投資家から金をもらおうという人はペンシルベニア大学を出ているだけで、投資家に信用されやすいとか書いてあったり。まあ、日本でも開業医を地元でやるなら地元の医学部にとかいうしなぁ。

アエラを読んでいたら、東大卒40歳の現在みたいな記事が。

たくさんの大学の人が集まっているところで、私の大学は・・・だけど有名大学の人ばかりで。。。っていっていた。

などなど。

高校の頃から言っていたのは、本当に何かをやりたいと思ったら大学なんて関係ない。本気でやればどんなことでもできると。大学を言い訳にするのはただの逃げだと。

自分の大学がいわゆる有名大学じゃない人の意識と有名大学の人の意識は違うんだろうなとも思う。

で、特に明確な理由があって大学を選ぶ人意外にとっては、有名大学か有名でない大学どっちがいいかといえば、有名な方がいいと思う。まあ、大学にも会社にも社風はある。その影響を多少受けているのは確か。初めて会ったときの話の種や、イメージ、信頼(表面的な)というものでは意味がある。逆にその大学のイメージで個人の性格まで想像されて誤解をよぶこともあるが。

結局のところ、あまり僕にとってはどうでもいいことなので、大学がどうであろうと気にしないので大きな問題として考えることが出来なかったと。そういうわけで、なんとも生ぬるいエントリー。

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November 17, 2004
タイプ別性格診断
某ページで紹介されていたのでやってみる。
さあ、どうだろうこの結果?

みなさんは、本物の僕と結果をみてどう思いますかね。
INTP型:問題を解決したがる
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 考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。
頭の中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力がいろいろな可能性を思いつく。

客観的(T型)なので、その新しいデータを分析し、際限なく融通がきく(P型)ので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。
 論文、図面、計画、企画、提案、理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作りあげようとするが、たえず新しいデータを発見するので、その完成図がどんどん膨らんでしまう。

その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうのである。

これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラストレーションになる。
 完璧に見えても満足しないので、みずからが最大の批評家となり、あら探しをする。

完璧、有能、優秀であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりしたり自分を責めたりする。
 このタイプは女性の場合に葛藤を生む。

考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメージで、頭だけで理屈をこねる資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合あまり受け入れられない。

そこで少なくとも三つの問題が生じる。
 第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があるとは見られてこなかった。

だから、人生を頭で考えた理屈にあわせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反する。
 第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。

たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の哲学的な意味について述べたくなる。

そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。
 第三に、T型の面が、従順、優しい、気配りといった女らしさに反する形で表れる。

INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人もほかの人もぎょっとしてしまう。

 

 

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親子関係

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 INTP型は、親というのは子どもの未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている。
一人ひとりの子どもの違いを辛抱強く受けとめ、子どもには自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。

自分の進むべき道を模索する子どもを驚くほど寛大に支えてやる。

子どもの発達にあまり口をはさまない。

どんな考え方や行動をしたらよいか、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押しつけずに、新しい可能性を示してやる。

その助言が受け入れられなかったら、「ちょっといってみただけ」と答えるのがふつうである。

だが、ときには、反抗的だったり無関心に見えるときでさえ、子どもは親が別の考え方を押しつけてくれるのを待っていることもあるのだ。

そういう子どもにとっては、「無理やり」とか「押しつけ」といった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。
 INTP型の子どもは、人とのつきあいで内気と見られるか、逆に、やたらに理屈っぽくつっかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。

学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問をすると見られる。

そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせと取られる。

必然的に、INTP型は学校生活に耐えて生き抜いていくために、誰よりもよく勉強することになる。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

Posted by takeshi at 02:36 AM | コメント (222) | トラックバック (2)|
東京通信工業株式会社設立趣意書
よく、東通工の設立趣意書の「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場」だけ引用されるが、この文章はそのほかの部分も非常に価値のある文章だと思います。

漢字とカタカナで読みにくいのですが、きにならないくらいです。

すごい、思いが伝わってきます。
HPのフィオリーナ社長は大勢の前でも一人一人に話しかけるように話すと聞いたことがあるが、文章でもコレが重要なんだろうな。

カタカナ言葉を使ってなんとなく分かった気にさせる安っぽさではなく、本質を見抜いた含蓄のあるものです。
東京通信工業株式会社設立趣意書 – 井深 大

 戦時中、私ガ在任セル日本測定器株式会社ニ於テ、私ト共ニ新兵器ノ試作、製作ニ文字通リ寝食ヲ忘レテ努力シタ、技術者数名ヲ中心ニ、真面目ナ実践力ニ富ンデイル約二十名ノ人達ガ、終戦ニ依リ日本測定器ガ解散スルト同時ニ集マッテ、東京通信研究所ト云フ名称デ、通信機器ノ研究製作ヲ開始シタ。

コレハ技術者達ニ技術スル事ニ深イ喜ビヲ感ジ、ソノ社会的使命ヲ自覚シテ思イキリ働ケル安定シタ職場ヲコシラエルノガ第一ノ目的デアッタ。戦時中、総テノ悪条件ノ基ニコレ等ノ人達ガ孜々トシテ、使命達成ニ努メ大イナル意義ト興味ヲ有スル技術的主題ニ対シテ驚クベキ情熱ト能力ヲ発揮スル事ヲ実地ニ経験シ、又、何ガコレ等ノ真剣ナル気持ヲ鈍ラスモノデアルカト云フ事ヲ審ニ知ル事ガ出来タ。

ソレデコレ等ノ人達ガ、真ニ人格的ニ結合シ、堅キ協同精神ヲ以テ思フ存分技術能力ヲ発揮出来ル様ナ状態ニ置ク事ガ出来タラ、例ヘ其ノ人員ハ僅カデ、其ノ施設ハ乏シクトモ其ノ運営ハ如何ニ楽シキモノデアリ、其ノ成果ハ如何ニ大デアルカヲ考ヘ、コノ理想ヲ実現出来ル構想ヲ種々心ノ内ニ書イテ来タ。

トコロガハカラザル終戦ハ、之ノ夢ノ実現ヲ速進シテ呉レタ。誰レ誘フトモナク志ヲ同ジクスル者ガ自然ニ集リ、新シキ日本ノ発足ト軌ヲ同ジウシテ我々ノ発足ガ始マッタ。発足ニ対スル心構ヘヲ今更喋々スル要モナク、永イ間皆ンナノ間ニ自然ニ培レテイタ共通ノ意志ニ基イテ全ク自然ニ滑リ出シタノデアル。

最初ハ、日本測定器カラ譲渡シテ貰ッタ僅カナ試験器ト材料部品ト小遣ヒ程度ノ僅カナ資金ヲ以テ出来ルダケ小サナ形態デ何トカ切抜ケテ行ク計画ヲ建テタ。

各人ハ、其ノ規模ガ如何ニ小サクトモ其ノ人的結合ノ緊密サト確固タル技術ヲ持ッテ行バ如何ナル荒波ヲモ押シ切レル自信ヲ持ッテ大キナ希望ヲ以テ出発シタ。斯様ナ小サナ規模デ出発シタ所以ハ、コノ国家的大転換期ニ於ケル社会情勢ノ見透シガ出来ズ、又我々ノ仕事ガ社会ニ理解サレ利用価値ヲ見出サレル迄ニハ、相当ノ期間ヲ要スルト考ヘタカラデアル。然ルニ実際ニ動キ出シテ見ルト我々ノ持ツ様ナ技術精神ヤ経営方針ガ如何ニ現下ノ日本ニトッテ緊急カクベカラザル存在デアッタカヲ各方面カラノ需要ノ声ヲ通ジテハッキリ自覚セシメラレタノデアッタ。

其レハ先ヅ逓信院、運輸省等ノ通信ニ関係アル官庁ノ活溌ナ動キニ見出サレタ。即チ全波受信機ノ一般ヘノ許可民間放送局ノ自由開始、テレヴィジョン試験放送或ハ戦災通信網ノ急速ナル復興、意図トソノ綿密厖大ナル諸計画ノ発表等他ノ低迷困惑セル諸官庁ノ中ニアッテ一人水際立ッタ指導性ヲ示シ一般業者側ガ逆ニ牽引サレタカノ感ヲ呈シタノデアツタ。

斯ル動キハ特ニ過去ニオイテ逓信院ト関係ノ深カッタ我々ニ対シ直接ノ影響ヲ及ボシ、早クモ真空管電圧計等ノ多量註文ヲ見ル結果トナリ。

 其ノ他短時日ノ間ニコノ方面ヨリ提案サレタ新製品ノ研究、試作依頼ノ種目ハ相当量ニノボル状態デアル。又間接的面カラ云ヘバ全波受信機ノ一般許可ニ依ル影響ハ終戦後ノ「ラヂオプログラム」ニ対スル新シイ興味ト共ニラヂオセット其ノ物ニ対スル一般ノ関心ヲ急激ニ喚起シ戦災ニ依ル「セット」電気蓄音機類ノ大量焼損モ相待ッテ我ガ社ノラヂオサービス部二対スル需要ヲ日ヲ追ッテ増加セシメタノデアル。其ノ他諸大学、研究所ノ学究、同ジ志ヲ有スル良心的企業家等ト特ニ深イ相互扶助的連繋ヲ持ツ我々ハコノ方面ヨリノ優秀部品類ニ対スル多種多彩ナ要求ニ当面シツツアルノデアル。

 以上ノ如キ各方面ヨリノ需要ノ増大ハ我々ニ新シイ決意ヲ促シタノデアル。即チ資本ト設備ヲ拡充スル事ノ必要ト意義ヲ痛感シタノデアル。

 我々ノ心カラナル試ミガ、カクモ社会ノ宏般ナ層ニ反響ヲ呼ビ起シ、発足ヨリ旬日ヲ経ズシテ新会社設立ノ気運ニ向ッタ事ニ対シ、我々ハ云ヒ知レヌ感動ヲ覚ヘル。ソレハ単ニ我ガ社ノ前途ニ赫々タル発展飛躍ヲ約束スルバカリデナク我々ノ真摯ナル理想ガ再建日本ノ企業ノ在リ方トハカラズモ一致シタ事ニ対スル大ナル喜ビカラデアル。

 

会社設立ノ目的 一、 真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設
一、 日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動
一、 戦時中、各方面ニ非常ニ進歩シタル技術ノ国民生活内ヘノ即事応用
一、 諸大学、研究所等ノ研究成果ノ内最モ国民生活ニ応用価値ヲ有スル優秀ナルモノノ迅速ナル製品、商品化
一、 無線通信機類ノ日常生活ヘノ浸透化並ビニ家庭電化ノ促進
一、 戦災通信網ノ復旧作業ニ対スル積極的参加並ビニ必要ナル技術ノ提供
一、 新時代ニフサワシキ優秀ラジオセットノ製作普及並ビニラジオサービスノ徹底化
一、 国民科学知識ノ実際的啓蒙活動
経営方針 一、 不当ナル儲ケ主義ヲ廃シ、飽迄内容ノ充実、実質的ナ活動ニ重点ヲ置キ、徒ラニ規模ノ大ヲ追ハズ
一、 経営規模トシテハ寧ロ小ナルヲ望ミ大経営企業ノ大経営ナルガ為ニ、進ミ得ザル分野ニ技術ノ進路ト経営活動ヲ期スル
一、 極力製品ノ選択ニ努メ技術上ノ困難ハ寧ロ之ヲ歓迎、量ノ多少ニ関セズ最モ社会的ニ利用度ノ高イ高級技術製品ヲ対象トス、又単ニ電気、機械等ノ形式的分類ハサケ、其ノ両者ヲ統合セルガ如キ他社ノ追随ヲ絶対許サザル境地ニ独自ナル製品化ヲ行フ。
一、 技術界業界ニ多クノ知己関係ト絶大ナル信用ヲ有スル我ガ社ノ特長ヲ最高度ニ活用以テ大資本ニ充分匹敵スルニ足ル生産活動販路ノ開拓資材ノ獲得等ヲ相互扶助的ニ行フ
一、 従来ノ下請工場ヲ独立自主的経営ノ方向ヘ指導育成シ、相互扶助ノ陣営ノ拡大強化ヲ計ル
一、 従業員ハ厳選サレタル可成小員数ヲ以ッテ構成シ、形式的職階制ヲサケ、一切ノ秩序ヲ実力本位、人格主義ノ上ニ置キ個人ノ技能ヲ最大限ニ発揮セシム。
一、 会社ノ余剰利益ハ適切ナル方法ヲモッテ全従業員ニ配分、又、生活安定ノ道モ実質的面ヨリ充分考慮援助シ、会社ノ仕事即チ自己ノ仕事ノ観念ヲ徹底セシム。
経営部門 一、 サービス部
 全波受信機ノ普及、家庭電化、テレヴィジョン受信機ノ現出等ヲ考エレバ今後コノ部門ノ活動ハ質量共ニ其ノ重要度ヲ加ヘル事ハ必至ノ事実デアル。従来我ガ国ニオイテハ「ラヂオサービス」ト云ヒ得ル程ノモノ皆無ニシテ只技術程度ノ低イラヂオ業者ノ片手間仕事ニ堕シテイタ現状デアルガ将来ハ高級受信機ノ出現ト共ニ斯カル業者ハ当然影ヲ消サザルヲ得ル運命ニアリ逆ニ其ノ需要面ノ広サト起業意義ノ大キサノ為一流セットメーカートタイアップセルサービス専門ノ大会社ノ出現スラ充分予想サレル所デアル。
 当社モソノ自覚ニ基ヅイテ技術ト測定機ヲ思フ様、駆使シ徹底シタサービス活動ヲ行フ計画デアル。其ノ一例トシテサービス専用ノ小形自動車設置案ガアル。即チ電気蓄音機ハ云フ迄モナク高級受信機テレヴィジョン受信機等ハ重量容積等ガ相当大ニナル事実ニ鑑ミ一切ノ測定修理サービス用具ヲ完備セル小形自動車ヲ常備シ電話一本ニヨッテ縦横自在ニ走セ廻リ迅速ニ己ガ任務ヲ遂行セントスルモノデアル。カクスレバ仕事ノ能率ハ元ヨリサービスニ従事スル技術者ノ数モサービス要具モ少クテ済ミ一般ノ便宜ニ利スル点大ナルモノガアルト信ズル。
 又地方ノ需要ニ関シテハ目下近接他府県ヨリ運搬ノ困難ヲ犯シテ当所ニ持チ込マレル高級セットノ数ノ少クナイ点ヲ考慮シ将来ハ地方ノ特定ラヂオ商ト契約期日ヲ定メテ一括修理ヲ行フ予定デアル。
 政府ニヨル全波受信機ノ一般許可ハ大小ノ無線会社ヲ刺激シ目下全波受信機ノ製造ガ盛ンニ行ハレツツアル現状デアルガ資材其ノ他ノ関係上尚コレ等ノ製品ガ市場ニ出廻ル迄ニハ相当ナ日月ヲ要スルモノト考ヘラレ、コノ時間的空隙ニ於ケル一般需要ニ応ヘテ当社ニ於イテハ目下従来ノ手持受信機ニ付加装置ヲ附スル事ニ依ッテ簡単ニ全波受信機ニ改造出来ル方法ヲ工夫創案シ鋭意製作中ナルモコノ付加装置ハ使用資材ガ少ク技術的ニ高級性能優秀ナル為既ニ一般及ビラヂオ商方面ヨリ予約申込ヲ続々見ツツアリ。当社ニ於イテハ大体明年六月迄ニ五◯◯台(価格四◯万円)ヲ製作スル予定ニテ以後ハ全波受信機ノ市場出廻リ状況如何ニ依リ態度ヲ決スル予定デアル。
 当社ヘノ修理依頼ハ戦災ニ依ル被害数量ノ多キ為ト高級セットヲ安心シテ託スルニ足ル信用アルラヂオ業ノ少キ為、日ヲ追ッテ増加シツツアリ、コレニ対シ当社ニテハ利益ヲ第二義トシ例ヘバ故障修理理由ヲ素人ニモ理解シ易キ様ニ解説シタルメモヲ与ヘルガ如キ親切丁寧ナル方法ヲ以テサービス精神徹底化ヲ期シツツアリ、一旦手掛ケタルセットハ最後迄其ノ責任ヲ持チ如何ナル煩雑ナル要求ニ対シテモ快ク応ズル精神的態度ハ我ガサービス部ノ本質ヲナルモノデアル。
 其ノ他数ハ少キモ絶対他社ノ追随ヲ許サザル最高水準ヲ行ク高級受信機ノ製造、当社独自ノ電気部品、家庭電化用品ノ製作モ種々企画シツツアリ。又海外技術ノ紹介、一切ノ無線史料、図書ヲ具備セル図書館ノ設置講習会開催ニヨル一般電気知識ノ啓蒙活動等モ将来ノサービス部ノ重要ナ課題トナルデアラウ。

(株主トサービスノ問題)
 尚将来株主ニ対スルサービス(電気一般)ハ特ニ重点的ニ之ヲ行フ予定デアル。即チ株主対会社ノ一般的関係ニ自由ニサービスヲ要求出来ル会員制度的性格ヲ持タセル事ハ意義アリ興味アル試ミト思考サル。
 新シイ機械、テレヴィジョン家庭模写電信(無線ニ依リ新聞ヲ伝送印刷スル装置)等ノ新製品ヤ家庭電化用品ヲ優先的ニ提供シ従来ノ一般的ナ関係ヨリ、特色アル緊密ナ形ニ結ビ付ケルデアラウ。
 家庭電化ガ日ヲ追ッテ盛ンニナル傾向ニアル今日特ニソレハ有効適切ナ方法ト思考サレル。

二、 測定機器部門
 現在ラヂオ製造者ノ数ノ多キニ比シテコレノ製作修理ニ必要ナル測定器ノ製作者ハ極メテ寥々タルモノデアリ又一般ラヂオ業者ニシテ調整修理ニ当リ測定器ヲ用フル者ハ皆無ニ近イ状態デアル。然シ従来ノ一般ニ普及セル程度ノラヂオ受信機ナラバ現在ノラヂオ業者ガ行ッテイルガ如キ所謂『カン』ニ依存シタ方法モ可能ナルモ今後高級受信機、全波受信機ヲ一般ガ使用スル様ニナレバカカル非科学的方法ハ其ノ存在ヲ許サレナクナル事ハ明白ナ事実デアル。過去ニ於テ測定器製造ガ活溌ニ行ハレナカツタ理由ハ技術ノ困難と多数ノ標準器ヲ必要トシタ為デアルガ何レニセヨ測定器製造業者ノ数ガ少イト云フ事実ハコノ方面ヘノ技術的経営的分野ガ未ダ多分ニ残サレテイルト云フ事ヲ物語ルモノデアル。即チ使用資材ガ少ク価格ガ高価デ競争相手ガ少イト云フ点デ極メテ経営的ニ有利デアリ高度ナ技術ヲ有スル企業家ニトッテハ真ニ絶好ナ進路ト云フベキデアル。
 我々ハ過去ニ属シタ日本測定器株式会社ハコノ数少イ測定機器製造業ノ内ノ屈指ノモノデアッテ僅カナ資本ト貧弱ナ設備ヲ持ッテ極メテ短日月ノ間ニ驚クベキ発展ヲ遂行シ得タノモ時局トハ云ヘ一重ニ測定機器部門ノ持ツ経営的特性ニ依ッタモノト断言出来得ルノデアル。
 日本測定器株式会社ノ主要製品ノ一ツタル超短波用ノ真空管電圧計ハ我々ノ十年近イ年月ト血ノ滲ム用ナ努力ノ結晶デアッテ、其ノ一般ニ於ケル絶大ナ定辞ハ云ハズモガナ正ニ我ガ国ノ世界ニ誇リ得ル測定器ノ一ツデアル事ハ今回米国進駐軍ガコレニ対シ異常ナ感心ヲ持チ参考ノタメ本国ニ持帰ツタ事実ニヨッテモ雄弁ニ物語ラレル所デアラウ。コノ真空管電圧計ハコノ度ノ新会社ニ於テモ其ノ儘踏襲シテ製作サレル予定デ既ニ逓信院ヨリ本年度トシテ百五拾台(約三十万円)ノ発注ヲ見、三月末マデニ完成ノ予定ニテ目下鋭意進行中デアル。尚逓信院トシテハ二十一年度ノ一括発注モ用意サレテアリ、一般ヨリノ需要モ相当量ニノボル事ハ必至ニテ又将来テレヴィジョン開始トナレバ欠クベカラザルモノニナルデアラウ事等ヲ考ヘレバ単ニ真空管電圧計一種ノミヲ製造品目トシテモ充分会社ノ経営ハ成立シ得ルモノト思考サル。
 其ノ他特殊ナ高級測定器ヲ順次製作スル計画デアルガ特ニ重点ヲ置キ度イノハ余リ技術的訓練ヲ受ケテイナイラヂオ商ニモ高級ラヂオ診断ガ自動的ニ行ヘル様ナサービス用測定器云ヒカヘレバセット分析器ト云ッタ如キ種類ノ測定具ノ製造デアル。カカル測定器ノ普及ニ依ッテ一般ラヂオ商ノサービスヲ真ノサースタラシムル事ガ社会的ニ充分意義ヲ有スルモノト信ズル。
 ソシテコレハ大セットメーカート連結シ其ノ適合シタ診断ヲ行ヘルガ如キ装置ニスル予定デアル。
 前記サービス部門ハ大衆相手ノ直接ノサービスヲ意味スルトスレバ街頭部門ト云ヘバ専門家相手ノサービス部門ト云ヒ得ルデアラウ。サービス精神ノ徹底化ヲ計ル事ハ前者ノ場合ト勿論同様デアル。

三、 通信機部門
前述ニ部門ハ大体会社ノ維持経営ヲ分担スル部門デアルガ、該当部門ハ当分ノ間新シキ特殊通信機ノ試作研究ヲ分担シ今日ヨリモ会社ノ明日ニ備ヘ将来ノ大飛躍ヲココニ期待シ得ルノデアル。逓信院、運輸省、内務省等ハ再建日本ノ重要課題タル通信網ノ能率上昇ヲ積極的ニ企画シツツアリ、当社モ其ノ要望ニ応ヘ全ク新シキ種々ノ試作ヲ実践中ニシテ其ノ内ノ主ナルモノヲ次ニ簡単ニ説明スレバ、
イ、 時分割多重通信方式
コレハ現在ノ有線或ハ無線ヲシテ簡単ナ装置デ三十、四十等ノ多重通話ヲ可能ナラシムルモノデアッテ東北帝大ノ通信研究所ニ於テ昭和十八年ヨリ研究ヲ開始、戦時中、特ニ発達シタ電波警戒ノ技術ヲ多分ニ取リ入レタル極メテ特色アル方式ニヨルモノデアリ逓信院、運輸省デモ其ノ成果ヲ非常ニ注目シツツアリ、鉄道省発注予定ノ試作セットガ完成シ成功スレバ現在計画中ノ青函十二重超短波無線電話装置(見積価格、約五六十万円)ノ註文ハ当社ニ来ル予定ナリ。
ロ、 簡易重畳電話装置
コレハ現在ノ電話線ニ尚一通話増シテ二十通話をヲ可能ナラシムル(現在ノ線路ヲ使用シテ倍ノ通話ヲ可能トス)非常ニ簡単ナ装置デ既ニ日本測定器株式会社ニ於テ全ク他ノ目的ヲ持ツテ多年研究サレタル或種ノ兵器ヲ若干改良スレバコノ目的ヲ充分果シ得ラレルノデアル。目下盛ンニ試作中ナルモコレモ又当社技術人ノ独壇場オ家芸ノ一ツデアッテ完成ノ上採用トナレバ其ノ需要度ハ恐ルベキモノデアラウ。
ハ、 録字通信機
コレモ戦時中航空通信ニ用ヒ操縦士ニ電信符合拾得ノ煩カラ脱セシムル目的ヲ持ツテ企画サレタモノデ完成ヲ見ズシテ終戦トナツタモノデアル。送信側ニ於テ電鍵ノ代リニ五十音ノタイプライターヲ叩ケバ受信側デハ通信文ノ五十音ガ順次テープ上ニ印字サレツツ出テ来テ通信ガ終レバテープハ停止スル。装置ハ簡単デアリ送信装置ハ大体携帯用タイプライタート同型、受信装置ハ手提金庫程度ノモノデ有線無線双方ニ使用出来、将来電信局デコレヲ叩ケバ加入者側デハテープノ電報ヲ受ケル事ニナリ又家庭デ電話ヲカケテ留守ノ場合等ハコチラカラ伝言ヲ叩イテ置ケバ何等ノ技術モ要セズ先方ヘ伝言ヲ書イタテープヲ残ス事ガ出来ルノデアル。又鉄道等ノ指令装置ニ用ヒテモ命令ノ内容ガ明瞭ニ印刷サレル為極メテ多ク電信機ノ当然到達スベキ理想ノ一ツノ型デアルガコレノ完成ハ非常ニ意義深イモノガアラウ。本機ノ製作ハ相当精密ナ機械装置ヲ必要トシ現在ノ状態デハ即時製品化スル事ハ困難デアルガ取敢ズ試作ダケハ完璧ナモノニスル為 設計進行シツツアル。
ニ、 プログラム選択受信方式
コレモ日本測定機器株式会社ニ於テ研究完成シタル兵器ノ応用品デアル。放送局ニ於テ其ノプログラム毎ニ異ツタ周波数ノ音(例ヘバニュースナラバ「ド」音楽ナラバ「レ」ノ如ク)ヲ放送前ニ一寸出ス(ピアノヲ叩ク程度ニテヨシ)ト受信側デハ其ノ音ノ高サニヨツテ動作スル周波数継電器ガ動作シテ受信機ガ働ク其レ故ニ聴取者ハ自分ガ聞キタイト思フプログラム丈ノボタンヲ押シテオケバ自動的ニラジオノスイッチガ入ツテ其ノプログラムノミ聞ク事ガ出来ル。其レガ終レバ矢張リ特定音ヲ出シ又自動的ニスイッチヲキル事ニナル。其ノ他コノ装置ヲ用ヒ自動的ニ時報ニ時計ヲ合ス事モ可能デアル。
ホ、 其ノ他特殊部品
音又発振器、濾波継電器、音又時計等ノ如キハ当社独特ノモノデ戦争目的ヲモッテ研究製作シ来レルモノノ内今後ノ通信技術方面ニ転換利用可能ナルモノ数多クアルヲモツテ各方面ノ要求ニ応ジ逐次製作シ行ク予定ナリ。

Posted by takeshi at 02:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 16, 2004
理想の家と近くにあると良いもの
ゲオとブックオフは近くにあると良い。

超ハイテクな部屋と純和風ですごい落ち着きのある部屋が欲しいな。

あと、理想は小さな美術館があるといいかも。

Posted by takeshi at 10:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
希望格差社会の到来
RHEOS REPORT の記事を見て。

僕は、小さいころ自分は何も出来ない人間だと思っていた。しかし、中学ぐらいのある日、思った。僕よりも物事ができない大人っているよな。その人たちが世の中で一人で生きていけるんだったら、俺もなんだって出来るジャンって。(この考えが、いかがなものかと今は思うが。)で、昔は本当に何も出来ないと思っていた。自分で世の中にインパクトのあることは出来ないとおもっていた。小さいころはテレビの世界はどっか別世界で、国を動かしているのはとてつもなくスゴイ人と。しかし、年を重ねるごとにやろうと思えば何でもできるというように思ってきた。ドンドン、希望が出てきた。特に高校・大学になってからはそれが顕著だと思う。いまや、超楽観的と言われてしまうほど、、、

しかし、みんながこう思っていないのが現実みたいだ。高校のときだったと思うがこんなことを友達から言われた。小さいころは夢があった。何でも出来そうな気がした。でも年を重ねるごとに何にも出来ないんだと気が付き始めたと。さらに、成人式のときに地元に帰って地元に残っている人と話しても同じようなことを言われた。

コレは大問題だ。特に地元に残った人がこのような思いの人が多い気がする。何をやっても意味がない。努力しても何も変わらない。そう感じていそうだ。もともと、そういう考え方の人が地方に残る気もする。希望を持っている人は東京に流れている気がする。このままじゃ地方の希望はまさになく、絶望だ。

僕の聞いた感じから推測すると、年を重ね絶望してしまった人でも、小さいころは希望があったり、夢があったり、何でもできると思っていた可能性が高い。しかし、生きていく中でさまざまな経験をして壁を感じた。その積み重ねにより希望をなくした。ココが問題だとする。

コレを何とかすれば、希望を持つ人が増えるのではないか?すると、やっぱり教育だろう。コレは無理だとか、それはやってはいけないとか、先生を神聖化した・絶対的存在とした教育をやめる、マイナス方式の教育をやめる。出来たらほめるとか、努力したら出来るレベルの問題を個別に出すとか、一つの答えを絶対とする問題ばかりをやめるとか、加点方式の教育をする。思いつきだけどこうすればいいんじゃないかな。

こういう教育をすれば、絶望する人が少なくなり希望を持つ人が増えそうだ。それに地方の状況も絶望から希望に一歩進みそうだ。

中央公論12月号の「希望格差社会の到来」は目を引いた。パラサイト・シングルの山田昌弘先生の論文である。
詳しくは一読をおすすめするが、この中で特に目を引いたのが「希望の社会心理学」という言葉である。もともとはネッセという社会心理学者の開発したものらしいが、「希望という感情は、努力が報われると感じるときに生じる。絶望は、努力してもしなくても同じだと感じるときに生じる」と規定しているそうだ。

現在の日本は、少数の「努力が報われる」と感じている層と何をやっても変わらず「努力が報われない」と考えている大多数に分化しているかもしれない。それが希望格差社会である。中核・専門労働者になれる可能性がある特定の学校で勉強できる者と、いくら勉強してもフリーターという「ステイタス」にしかなれない学校で勉強している者では、学習意欲がある生徒とない生徒に分かれるインセンティブ・デバイドが生じてしまうという。

インセンティブ・デバイドの問題を解決せずに、「がんばれ」を連呼しても意味がないのだろう。希望を信じている人には希望がない人に対する想像力が欠けてしまう。健康な人が不健康な人の気持ちがわからないように。酒が飲める人が酒が飲めない人の気持ちがわからないように。人の気持ちを踏み潰すのは、多くは想像力の欠如である。

山田先生は社会学の先生だが、投資の世界にはこれからは社会学の素養も必要になってきているように思える。フリーターやニートの問題から目をそらすわけにはいかなくなってきている。

 

 

Posted by takeshi at 01:57 AM | コメント (212) | トラックバック (0)|
情報の感染-曖昧な世の中を生きるということ-
今日、養老さんの番組を見て、そして昔のことを思い出し、シリーズ系のNHKスペシャルが頭をまわり、過去に読んだ本を思い出したり、自分の考えを頭でぐるぐるさせたり、ITやその他の技術進歩、芸術・仏教なんかも少ない知識と足らない頭で考えちゃったりした。

私は言いたい。「曖昧」これだ。コレだといっている時点で曖昧でないという突込みがくるだろうけど。まあ、少なくとも今僕はそう思う。まあ、コレだと正確には頭では感じていない。そう感じる、キターって感じの時になる、なんか不思議な脳の感じが起こっている。

「曖昧」というキーワードが頭に浮かんだ。で、なんとなく自分のブログで検索。すると相手には伝わってなさそうだけど、自分が何かしら感じたけど言い切れていないエントリーがいくつかヒット。そこで、自分の中で強い思いになった。

で、曖昧、曖昧って何がいいたいか。

僕が、生きる今後の世の中はこの考えがさらに大きな波として押し寄せてくる。そんな世の中をどう生きるか。そう、これは僕にとってすごいことです。今後の社会の生き抜き方を梅田さんや大前研一さんはサバイブという言葉で表現している。僕はそう短い言葉ではまだいえないが、この文章のようなことを踏まえた上での生き方ということが言いたいのです。

パソコン・インターネット・携帯電話などのデジタル製品の普及、いわゆるIT革命によってアナログ時代よりもモノの移動、情報の移動など、世の中のもののデータを取りやすくなり、それを集約して分析することなどが可能になり、より精度の高い分析になると思われていた。しかし、実際は違うと思う。ありとあらゆるところで、情報はうまれ、流れ、その情報は変化している。1年か2年ぐらい前一度僕が使った言葉「情報は感染する」こんな感じだと思う。まさに感染なのだ。どこでどう移ったかもはっきりしない。そして、ウイルスは変化もする。そしていろいろな場所で、また同時にどんどん増える。このようになっていては集約することも出来なければ、精度の高い分析も出来ない。今後なんてより情報量は増え、さらに今までの情報もたまっている。情報があふれている時代といわれる。同じ物事に対しても、さまざまな立場の意見、事実は一つなはずなのに証拠があるとされる事実とやらがいくつも出てくる。そんな時代だ。そんな情報があふれた次代を越え、その次にくるのはこれらを踏まえた「曖昧な時代」だ。同じものでも形を変え、どこにあるかも、その数も、分からない、そして定まらない時代だろうと思う。

よく言われることだが、お金というものが絶対的な指標ではなくなって来ている。この考えはより多くの日本人の中にやどるであろう。もちろん、いわゆる高偏差値大学が人間の価値も決めない。明確な順位が現れない、すると人間は何を指標にするのか、何を支えにするのか。

コレだと、明確なものが物質的にも、情報でも、自分の中の思いなどでも少なくなる、ほとんどなくなる、明確かどうかなんて分からず、判断が付かない、判断が付いたとしてもそれはすぐ別の判断に変わってしまうかもしれない時代。こんな時代をどう生きるのか。

量子論は答えを教えてくれるのかも知れないと思った。量子論は理論では分からない部分がある、しかし応用では実際に使えるものとして役立っている。じゃあ、理論は完璧に分からなくてもまあいいんじゃないかと。科学というものの中でこのような考えは珍しいというか斬新なのではないかと思う。

曖昧なものを、抽象的なものを、しっかりと定まらないものを、ほんのちょっとの変化を、自ら感じ、知り、受け入れて、見極め、行動する、こうすることが重要な時代になるのではないか。明確な答えを求めるのも良いが、そうしたら死ぬまで明確なものなんて見えてこないだろうから。「曖昧なものを曖昧なままでも受け入れる覚悟を持って生きる」ってことがポイントじゃないかな。

曖昧、抽象的なんだから結局人に伝わらないような文章になった。といって逃げるつもりはない。より、僕の脳の中のものを伝えられるようにしていきたい。この文章はただ単に人間が曖昧な不安をもって日々暮らしているってことが言いたいわけじゃないですよ。それだけしか伝わってないかもしれないけど。

「漠然とした不安」というのは、芥川龍之介が自殺の理由として残した言葉だとインドで聞いたのだが、先をいっていた人なんだろうなと再認識。
人間は固定した川ではないと養老さんが表現したが、人間は雲って言った方が分かりやすい気がする。雲なら形が変わるのも、流れているのも目に見やすいから。ああ、そういえば小学生のころ校庭に寝っころがって流れる雲を見たときの衝撃は今でも忘れない。南校舎の非常階段とボール置き場の間だったな。

曖昧の検索結果

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November 15, 2004
バカの壁
ザ・ヒューマンD 「TV版“バカの壁”養老孟司」売上374万部大ヒット▽解剖学教授の不思議な頭の中と常識・非常識

テレビ東京 11月15日 22時~

養老さんに密着した番組、後半の方が面白かった。

昔、バカの壁を読んだ。そのときは当たり前のことしか書いてないじゃんと正直思った。ご本人も当たり前のことを書いたおっしゃっていた。著者の言いたいことが少しは分かっていたけど、読んだときはまだまだ未熟だったんだ。そうなんだろう、当たり前のことを当たり前と思える、そう。そこだ。

「日本の伝統的な思想」と自らおっしゃっていたが、そんな感じがした。仏教的な考え方なきがした。「無常」とか「空」とかそんな思想が伝わってきた。
以下メモ

講演の原稿を作ったら、話が死ぬ。
内容は考えるけど。

大阪のハローワーク「自分に合った仕事が見つかるかもしれない。」とあった。
こう書いてあるということは、まず自分があるはず。しかし、「自分」なんてそんなちょろい物でもない。

仕事は世の中に必要だからある。自分にあってるあってないは関係ない。あってないといってやらなかったら生きていけない。社会に必要だから仕事である。本気でやれ。

教育が大事。人間の本質的には教育がかかわる。
今は教育が人を変えることをまさかと思う。おかしい。
オーバーな例として教師が麻原だ。大人だってあそこまで変えられる。人を善導するのが宗教。

本とか読んでて違うだろう、と思う。それで、人に伝えようという意識になる。根本的に納得できないことがあると考えないといられない性格。あたっているかあたっていないかではなく、自分に納まるかどうか。

バカの壁、口述筆記
ニーズがあった。自分で書くと文体が古い。
メール的文体で書かれている。
日本の伝統的な思想。(今の人と正反対)
現代人は自分を川だと思っていない。今の人は自分を固定した川だと思っている。固定した自分があると思っている、思い込んでいる。アメリカから流れてきた。錯覚である。
固定した川は死体である。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中にある人と住みかと、またかくのごとし」

バカの壁は常識の本

意識中心主義、自分が分かっていることだけ中心で世界を理解しようとする。しかし、それでは視野が狭すぎる。知らないことの方が多いんだから。
養老さんがタバコを吸っていて、スタッフが体に悪いからやめないのですかと質問。
大気汚染の原因なんて山ほど、しかし分かっていないことのほうがたくさん。
タバコをすっていても、すっていなくても解剖した人の肺はすべて真っ黒だった。空気が汚いからだろう。

どうせ仕事をするなら、準備から最後のごみすてまで自分でやる。そうしないと仕事を飲み込めない。それをやめて分業するのが文明の進歩かもしれないが、胡散臭い。少なくともある時期は全部やらないといけない。

別に天地あり 人間(じんかん)に非ず

専門を解剖学にしたのは興味ではない、心理である。国民学校2年生。その世代は安心できることが少ない。そうすると解剖は安心である。

どんなに下手に解剖しても、どんなにうまく解剖してもお前がやったことあろう。
彫刻や絵もお前が彫ったんだろうで終わる。絵描きや彫刻家は作品が残る。解剖はばらばらになって売るものがない。そこが辛いところである。形あるものが消える。

山奥で1000日走って修行しても一切GDPに影響を与えない。だが、重要なことがある=自分が変わる。

年をとると責任を感じる。若い人が分からないことがある。伝えておかないと。と思う。

何とかしなければ。ダメといっても始まらない。 中庸にもとづいて。

すきなことしかやりたくない。でもその好きな仕事をやるためにやらないといけないことがある。

個性を心だと思っているが違う、脳だ。脳は体の一部なんです。

ボーっとしていることが出来ない。なんかしていないと。

科学者は客観没入、誰が見てもそうだということに陥る。

ともかく、私は還暦を過ぎるまで生きていました。そういう答えがあるのかということを分かっていただければ幸いです。また皆さんの答えが違うことを祈ります。

Posted by takeshi at 09:56 PM | コメント (212) | トラックバック (0)|
マジですか?
今日、二郎へ行った。
またかってのはどうでもいいんですけど、そこでびっくりすることが。

知らない人のために前提説明。
ラーメン二郎ってだいたい長い列が出来ているんです。それも常に2,30人。そんで、回転率も悪い。作るのにも、食べるのにも時間がかかるから。まあ、とにかく待ち時間長いんですよ。それだから、少しでも前に並びたいわけです。

昼の時間なんてぞろぞろ二郎めがけて人が歩いてくるんです。それで僕は、二郎に近づくと二郎に並びそうな人たちがいないかチェックする。二郎に並びそうな人がいたら小走りで彼らより前に並ぶのです。学生の男ずれか、サラリーマン、工事現場の人がだいたいの客層です。今日は、周りを見回しても歩いている人は40代半ばの夫婦とその娘ぐらいで並びそうな人がいなかった。それで、歩いて並ぼうとしたのです。すると、驚き。僕の前に40代半ばの夫婦とその娘が並んだのです!こぎれいな夫婦ですよ。明らかに来る店間違ってますよ。って教えてあげたかった。

しかし、ちょっと待てよ。並ぶんだし、こんなとこにある二郎だから、あえて来たのだろう。それもジャージとかじゃなくってちょっとおしゃれな格好をした家族なんです。想像ですが、多分父親が慶應を卒業した人だろう。そして、二郎を思い出して食べたくなって、そんでもって自分の昔の思い出の味を家族にも味わって共有したかったんだろうな。と。
並んでいるとき父親が娘に食べたら器をカウンターに置くことや、面を少なめ油抜きって言うんだとか教えていた。その父親の顔は得意げだった。うれしそうだった。ただ、母親と娘の顔は疑いの目だった。さらに、店内に入ってからは、こんな汚い店!器が汚い!量が多すぎる!犬のえさ!ってな感じで母と娘はしかめっ面だった。

男って自分勝手なのかなとか、思ってました。純粋だなとも思いました。幸せな家族なんだろうなとも思いました。僕はその父親の気持ちが少し分かった気がした。

Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (200) | トラックバック (0)|
November 14, 2004
平均より15年分、能力が低いことを知りました。
昨夜、寝る前に教育テレビをつけた。昔から教育テレビや地元の局をみる人間だったので、なんとなく。
なにやら小学校向けの教育番組がやっていた。国語の番組だった。
それは「にほんごであそぼ」という番組だった。(←色を変えたので前よりもリンクが分かりやすくなりました。)

その番組は、小学校の国語の授業関連の番組らしく、昔教科書で読んだような宮沢賢治などの文章を朗読していた。「くらむぼんはわらったよ」などと。なぜか知らないがこの言葉に反応。夜中なのにテレビを真剣に見てしまう。この音の響きとそれが与える印象がたまらなく心地よい。さらに、田舎のおじいさんが「アメニモマケズ」を朗読していた。それもなまって。これもたまんなく良かった。特に「サウイフモノニ  ワタシハ  ナリタイ 」という最後の部分にやられた。まさに、やられた。人間さを感じた。

雨ニモマケズはここhttp://www.mm-labo.com/culture/WiseSaying/a/amenimomakezu.html

この番組を見て、日本語ってきれいだなとしみじみと感じました。「ふるさと」などを好きだったので日本語が美しいとは感じていましたが、小学校教科書に乗っているものがこんなにも良いとは今さら気がつきました。小学校3年生ぐらいの教科書のよさを今頃知る。15年ぐらい遅れていますね。はい。

ここに、昔の教科書がのっています。光村の。表紙を見たら懐かしくなりました。
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/data/travel/index.asp

その後に、やっていたのが秋の童謡「赤とんぼ」「烏」など。いやあ、これも名曲ぞろいですな。前から童謡は好きだったんだけど、秋の童謡を聴いていると、現代日本の季節感のなさは寂しくなる。今はスーパーや企業が季節を無理やり作り出しているだけだから寂しい。というのは、秋になればマツタケがある、柿がある。季節の野菜、季節の行事に関連させたものがある。しかし、それらはその季節に自然に育ったものではなく、ビニルハウスで時期を調整して作ったものであったりする。行事も地元の人がやるのではなく企業が販促のために行う。そういう季節感しかない。作り出した季節感は僕になじまない。で、話は戻って四季を感じるような生活はいいものだなと実感した。秋特有のぬくもりを感じながら生活する。

Posted by takeshi at 04:32 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
iTunesで性格分析-
iTunes曰く、2日分音楽があるらしい。
全く違う音楽を、2日間聴き続けれるのか。
そう思うと多いな。

CDRに焼いてあるのもあるからもっとなのかなぁ。

2日分566曲とりあえずiTunesの中に入っている。だいたいシャッフルか1曲リピートで聞くことが多いです。すると、偏りが出てくる。何で分かるかっていうと再生回数Top25なるものが表示されるから。iTnesに変えてから日が浅いので再生回数自体は少ないが、そこを見ると、

1位86回 2位79回 3位66回 4位36回 5位35回 5位35回
7位32回 8位25回 8位25回 10位22回 11位21回 11位21回
13位19回 13位19回 15位18回 15位18回 17位13回 17位13回  
20位12回 20位12回 20位12回 23位11回 23位11回 24位10回 25位8回

非常に見づらいのですが、1位から3位までが圧倒的に多い。4位からガクンと再生回数が下がる。コレを見ると、特定の曲を聴きまくっているということになります。そう思えば、ああいいなと思ってゲットした曲は一曲リピートをしてずーっと聞いている。

シャッフルでしか聞かない曲はほとんど聴いていないのだな。そっか。そっか。
ほとんど同じ曲しか聞かない。コレと思ったらそれしか聞かない。僕の性格自体がコレだと思ったらそれに特化する傾向があるのかも。いい面もあれば悪い面もある。そんな自分を知っておこう。

iTunesからせ性格を見るのもありだな。

Posted by takeshi at 02:06 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
November 13, 2004
緑から青へ
僕の好きな色。緑と青

木々や山の緑
空や海の青

今までは緑色ベースのデザインでした。トップの画像に葉っぱがあったしね。
で、今回は空と海の青。左のエントリーリストなどの水色が明るすぎるかな。

ということで、なんとなくブログの色を変更。

どうですか?

Posted by takeshi at 04:15 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
逆を向いている?
先日話をしていて、なんか、感覚が逆のときがあるという話に。(この書き方では誰もわからないと思います)

手を前に出して右と左手をクロスして手のひらを合わせて胸元に引き寄せて、組んだ手をグルットイッ回転させて前に出す。その状態で、他人に、適当な指を上げるように指示してもらう。すると、指定された指を上げることが出来ない。見たいな話。(まあ、コレでも分からないと思いますが、僕は分かるので、自分のメモには十分です。)
しかし、これ一回ミスをして気がつくと、後からは問題なく指定された指を上げることが出来る。人間はその場で学習し、クロスした状態を補正認識したのだ。

南半球の人の北の感覚と北半球の北の感覚は違うのかという話にも。
そんな話をしながらこんなことを考えていた。

僕は、世界中どこへ行っても、こっちが西とかこっとが北とか感じる。それは太陽の向きとかそういう情報を使わずに感じる。あっているときも間違っているときもあるのだが。コレはなぜだろうか?そんなことを考えたりしていた。

で、また、僕がふともう。
話はとぶのだが、朝起きる。目を開ける。なんか感覚的にいつもと違う向きで寝ているよう。いつも東を向いて寝ている。その夜も東を向いて寝た。朝も東を向いている。コレは紛れもない事実。しかし、なぜか感覚的に西を向いている感覚がして起きることがある。その時なぜだ、と不思議に思う。起きて目に入ったものが西向きに寝たときの物であるというわけではない。感覚として西を向いているのだ。しかし、30秒ぐらい立つと、いや東向きに寝ているとしっかり認識できる。脳はこのときどうなっているのだろうか?

まあ、不思議な話でした。
Posted by takeshi at 01:33 AM | コメント (240) | トラックバック (0)|
November 12, 2004
やっと手にした
新札というものを今日始めて手にしました。
遅すぎです。発行後12日たっています。

千円も五千円も一万円も見たことはあったんですけど、新札がが自分の財布に入ったのは今日が初めてです。はい。

野口さんのみです。樋口さんnew福沢さんは私の財布デビューはまだしていません。

小さいころだったら、新札とか見たら相当ショックを受けただろうけど、その事実を淡々と受け入れてしまう。まあ当たり前なんですけど。それがいろいろなことを経験した、成長した、常識をしった大人なんでしょうね。精神年齢は幼稚園児ですが (爆

子供のころなら新札をどう受け止めたのか、感じてみたいです。

Posted by takeshi at 06:39 PM | コメント (337) | トラックバック (0)|
検索の先にあるもの
Yahoo!がだいぶ前に登場し、googleが数年前に登場し、ありとあらゆる会社が検索サービスをやり、さらにデスクトップ検索でこれまたありとあらゆる会社がデファクトを取ろうとする。

それは、ネット上の情報が増えたり、PC内の情報が増えたから、すばやく仕事をこなすにはてきぱきと見つける必要がある。有益な情報を早く見つける。このためだ。

しかし、SEOなどによって本当に有益なものが上位に検索結果として現れるか分からない。
http://www.teratown.com/blog/archives/000732.html

このまま数が増えたら検索では間に合わなくなるのではないか。

もっと、曖昧な記憶、情報を検索できないか。

なんか、検索の先にあるものがあるんだろうけど、それはなんだろうか。
実は、まず自分の情報を整理して保存することから始まったり。その保存のhow toが重要になったり。

Posted by takeshi at 03:29 AM | コメント (349) | トラックバック (0)|
実は「絵」を見たことがない
もちろん、絵は見たことがあります。いまいちと言う絵も、なんでこれが評価されてるのっていう絵も、ふーんって感じで終わる絵も、いいなと言う絵も。ただ、”これだっ”っていう絵を見たことがない。

写真、音楽、建物、町並み、風景でこれだっって感じのものは見たことがある。

・建物で言えば、ガウディのカサバトリョ。特に内装。

・写真は何枚かあります。「飛ぶ夢をみた」
とか自分で撮った写真にもいいものがあります。

・風景で言えば、モロッコのカスバってところから見た海。コレはすごかった。ここのページにもあります。ここで海を見て、何時間も付きまとってきたが無視し続けた偽ガイドにお金を払ってしまった。なんか、この海を見て、そんなことどうでも良くなって払ってしまった。そこまで気持ちを変えさせる海だった。

・町並みはネパールのダルバール広場 なんか昔にタイムスリップした感じがして良かった。

・音楽はやはり the song of lifeがいいですね。あと篳篥、バイオリン、サックス、ピアノなどの音色。

これは、その写真を見たり、音楽を聴く時の前後に何があったかとか、どんな心境だったかによっても違うかもしれない。でも、モロッコで海を見て不意にお金を払ってしまったように、それらをどうでもいいと思わせるくらいのものがあるのかも。

別に、風景画でも自画像でも抽象画でもなんでもいいんですけど、これだっと思える絵に出合いたいなと思う今日この頃です。書道とかオブジェとか詩などの文章でも。まあ、美しい言葉にはたまに出会いますな。

実は昨日、鳩が円になっていて一羽ぐらいはみ出ている、(←表現が下手ですいません)を見せてもらったんだけど、あの絵が今、頭に残っていて気になっています。

Posted by takeshi at 01:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
googleでランキング
有名人度 googleテストというエントリーを見つけました。

そこで、前から僕が言っていたgoogle検索結果による大学ランキングを書いておきます。

「大学名で検索した結果のヒット数÷学生数」
この数値でランキングすればだいたいの学校のレベルは分かります。IT化の進みまくった大学など例外はありますが。

「大学名 pdfのアンド検索結果数÷教授人数」
これで、教授のレベルがどれほどかが分かります。どれほどかというか論文の発表数や引用数などとも関連しているので。

どんなランキングであろうと、なんだろうと、自分がよいと思い納得したところに行くのが一番なんですけどね。まあ、指標の一つとして。
Posted by takeshi at 01:31 AM | コメント (336) | トラックバック (0)|
トップ・ランナー
「信念のあるカッコイイ日本人が増えてきた」で書いた神田真吾さんについてトップランナーでやっていた。

やっぱり、人間的魅力がありますね。

オーストリア国家公認キュッヘンマイスター
神田真吾

年間数人しか合格しない
16科目筆記試験、5日間の実技試験。
経営学、フランス語、英語、ワイン学、食品法規、従業員教育、観光学、火気取り扱い法規、衛生学、論文、チーズ学、簿記、栄養学、ハーブの知識、など
栄養バランス、料理中の立ち振る舞い、助手への指示の出し方、盛り付け、とすべてを問われる。
320品目の食材

実技試験の食材は事前に知らされていない。分量表などを作り、見習いの人にドイツ語で教える。

資格を持っていると5つ星クラスのレストランで料理長がOK。

試験のとき、見習いの人がソースを捨ててしまった。頭真っ白。臨機応変に対応しないと。フライパンに残っていたものでソースを作ってなんとかなった。
一生に一回しか受けられない試験。
緊張、寝れない。しかし、落ち着いて状況判断しなければならない。小さいころから剣道をやっていた。そこで剣道素振りで精神統一。集中できた。

合格

ノイエ マイスター 新しいマイスター
と、試験管が肩をたたいて教えてくれた。

小学校3年生のときに友達から料理の本をかりて、シュークリームを作った。初めから成功した、べチャべチャの生地がさくっと中が空洞になるのを見て理科の実験より楽しいと思った。小学生のころの夢は料理人だった。

高校のクラスで文化祭実行委員。お好み焼き屋。女の子がキャベツをゆっくり切っていた。それで時間がない。そこで神田さんが切った。「スゴイ」そこで、男が料理できても恥ずかしくないと思った。その前は男が料理を出来ることを恥ずかしいと思っていた。

大学進学に向けて勉強。高校のころの夢は研究員。浪人した。浪人時代微分積分のテストが帰ってきて、僕の道じゃない。料理人になると決めた。料理人になりたい。自分の道は料理人しかない。夏期講習の授業受けながらフランス語の勉強。それをいった両親は、父は猛反対、母は泣いたが半年かけて説得。それから料理学校。その後ホテルで修行。知人の紹介でオーストリアの名門ノイエポストで修行。フランス料理をやりたかったが、オーストリアへとりあえず行って足がかりにしようと思った。ドイツ語が分からなかった。

ルーキー師匠、初めは壁があったがご飯に誘ってくれてその壁がなくなった気がした。ホームシックになる。お祭りが開かれたときに、おばあちゃんがスープを作ってくれた。&おばあさんの笑顔と暖かさが伝わる。これでホームシックがなくなった。そんなオーストリアに興味を持つ。

愛情って本当に大事。やる気のない料理人が作った料理はうまくない。

忘れられない料理
・母のハンバーグ、どんな料亭や高級食材のものよりも忘れられない。
・子牛の内臓、肺と心臓 煮込み料理、味は繊細、先輩と同じ味を出せたとき、オーストリア人になった気がした。

この方、来年4月日本に戻ってくるらしい、自分の店をもってオーストリア料理を広める。
名門ホテルや、5星レストランから声がかかるが行かなかった。
マイスター試験を受けたのは自分が日本人で、日本にオーストリア料理を持ち帰りたかったから。それが自分の仕事であり夢だから。

オーストリア料理とは自分。自分が変化すればオーストリア料理も変化する。
芯(心)は変えてはいけない。オーストリアの格式や名誉があるから。

オーストリアの地方料理の研究をしている。

Posted by takeshi at 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 11, 2004
マチュピチュに行けなくなる!?
なんか、マチュピチュにいけなくなるという噂を聞きました。

遺跡を保護するとい言う観点から非観光地化するという話みたいです。いつごろ行けなくなるのかとか、そもそもこの情報自体信じていいものなのかはわかりませんけど。
Posted by takeshi at 09:13 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
1111
今日は11月11日。

朝テレビでやっていたけどいろいろな日であるらしいです。
電池の日だったりポッキープリッツの日だったり配線器具の日だったり、、、
ジュエリーデー、ピーナッツの日、チーズの日、サッカーの日、くつしたの日、おりがみの日、西陣の日、下駄の日、鮭の日、もやしの日、煙突の日、きりたんぽの日、磁気の日、カリントウの日、ライターの日、国祭日 (アンゴラ)

いろいろな記念日なんだな。ぞろ目だしインパクトあるからなぁ。
そして、今日誕生日の皆さん、おめでとうございます。

Posted by takeshi at 02:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 10, 2004
世界遺産写真展III
世界遺産写真展III@新宿高島屋に行ってきました。

この写真展は11月10日[水]→15日[水]しか開催していない。
チャンスを逃したら行く機会がなくなるなと思い、初日に行く。

まあ、初日に行った理由は鳥山雄司さんの「the song of life」ギター生演奏を聞くために何ですけどね。実に良かった。この曲大好きで、どれだけ聴いても全く色あせない曲です。体の奥底からゾクゾクした感じがしていました。聞きほれた。同じ金を払うなら写真展+「the song of life」生演奏の方がお得ですからね。

鳥山雄司さん、実は大学の学部の先輩だったりします。なんでもないことだし、いくらでもいるけど親近感が沸きます。

それと、やっぱ写真好きです。自然の写真とかたまんないなぁ。空とか海とか山とか。
何気ない町の風景や建物の写真も好きです。
自分も一眼レフで写真を撮りたくなります。

ああ、最近乾燥しているので気をつけて!
Posted by takeshi at 08:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 09, 2004

夢を見た。

明らかに、昨日の夜考えたことから夢は来ていた。

自分の誕生日に岐阜にいた。
なぜか、親から駄菓子のプレゼント。
それもネットで3,000円(送料込み)、定価で2100円分入っていた。

それから、大学にあるはずのない映画館で映画を見た。
小さかった。日吉記念館の地下の演劇場っぽかった。
内容は覚えていない。

後ろを振り向くとインドであった人がいた。
その直後映画は始まった。

なぜか、場所はトルコ。
2度目の旅行だと自分でも認識していた。
空港からバスに乗った。
記憶していた近くでバスが止まったが、もっと宿の近くに行くと記憶していたので降りなかった。
すると、バスは停車せず、山のほうへ。
まずいと思い、運転手にいっておろしてもらう。
バスから降りるとき、屋根に山賊が乗っていて拉致されそうになる。
が、屋根に一人山賊いるのを知っていたので、前の出口から降りた。
でも、山。
刀を二本持った変な人が何人もいる。
僕の前に来て、しゃがんで刀をクロスさせる。
僕は、何もしないよー、助けてというと、にこっとしてくれた。
その横は川が洪水。
ゴムボートにその刀を持っている人が乗せてくれた。

その後、変なビルに入った。
迷った。日本建築だった。
靴をどこで脱いだか忘れた。
何かに襲われて逃げていた。

そして、グランドフロアと書いてある、回で降りると、インドであった人とその家族に会った。
トルコに1泊2日らしい。
ギリシャで友人の美術展か映画を見てきたと行っていた。

僕も誰かの展覧会か舞台を見た後だったと思った。

そしたら、目が覚めた。
ここまで鮮明な夢も久しぶりだ。

ここからは現実の話。
僕は昨日、どこか遠くへ遊びに行きたいと思ったから、こんな夢を見たんだろう。
行くなということなのかな。

Posted by takeshi at 09:47 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
信念のあるカッコイイ日本人が増えてきた
情熱大陸で神田真吾さんが取り上げられた。

この方は欧州人以外で初めてオーストリア国家公認料理マイスターになったかただ。「それもこの試験一生に一度しか受けられない。」
言葉も話せない状態で海を渡り、7年の修行。どのような心境で試験に臨んだのか。

「一生に一度しか受けられない試験」
これは味わうことが出来ない心境だと思う。自分が本気になっていることで、その試験が一生に一回。いつ受けるかとかもそうだけど、当日の心境とか、計り知れない。

あの顔の表情とかはすごかった。

カッコイイ。この人もみているとサブいぼが出る。感動する。「漢」だ。
イチローにしろ田臥にしろあげればきりがないほど信念を持ち、輝いている日本人が最近また目立ってきているような気がする。日本も元気になるよ。そんなかんじがする。いや、確信を持っていえる。私もその一翼を担いたい。

7月26日に小泉さんと会っているみたいです。そのときの質問に対する返答がスゴイ。

「プレッシャーはあったが、自分の夢で乗り越えられました」

自分の夢でプレッシャーを乗り越える、困難を乗り越える。そんな人生を送れるようにしよう。

トップランナーで神田真吾さんの回が再放送されるみたいだ。
11月11日(木)
NHK 「トップランナー」(再放送) 夜24時~
関連URL
http://www.jtc.at/cmsjtc/cms/front_content.php?idcat=338
情熱大陸ウェブサイトより

料理人・神田真吾、29歳。今年、日本人で初めてオーストリア国家公認料理マイスターになった。
まだオーストリアに来て7年。ドイツ語もまったく話せない状態からスタートしながらも、名門ホテルで修行を積み確実にステップアップしてきた。
 そんな神田に、この秋大きなチャンスがやって来た。インスブルックという山間の町にある、ハプスブルク家の末裔が住む城。そこで、2,3年に一度ヨーロッパじゅうのVIPを招く大晩餐会が開かれるのだが、その総責任者として神田が選ばれたのだ。
 大舞台に臨み、溢れてくるのは期待とプレッシャー。秋が深まりつつある頃の、神田のまだまだ熱い日々を追う。
Posted by takeshi at 02:21 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
美しい言葉を使う人
美しい言葉を使う人になりたい。

「きらめく海」という言葉を聴いてふと思った。

僕は語彙が少ないと思う。発言が幼稚である。
的確な表現が出来ない(←性格には違うと思っている)とか、一般的にいわれる問題があったり、馬鹿に見られる、ことがある。

まあ、これも問題といえば問題なんだけど、それよりも美しい言葉を使いたい。すごく深く考えてひねり出されるような響きのある言葉ではなく、さらっと美しい言葉。

日々の生活が豊になりそう。

Posted by takeshi at 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 06, 2004
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学  11月2日(火)~5日(金)NHK教育 

「宇宙論~宇宙の始まりと未来を探る」
「脳科学・脳はどう意識を生むのか?」
「量子物理学・目で見えた!量子の世界」
「言語学・なぜ人は言葉を話すのか?」

4回のシリーズで科学についてかいつまんで紹介する番組をやっていた。けっこう面白くて楽しく見させてもらって、好奇心をくすぐられた。初日だけ見逃してしまったのが残念だ。

量子物理学の回がケッコウ興味深かったです。
どっちにしろ、いまだ解明されていないものってのはワクワクする。

量子物理学の回を見て気になった疑問のエントリー「頼む教えてくれ」と、そのお礼「ありがとうございました」

小柴さんの意味は視聴率のためだけなのか?という疑問はおいておこう。

番組を見ながらメモったものをアップしたのでリンクを貼っておきます。誤認識しているところがあるかもしれません。

Posted by takeshi at 12:52 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 05, 2004
言語学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「言語学・なぜ人は言葉を話すのか?」

宇宙論、脳科学、量子論、言語学の4回シリーズ。

科学は自分で五感を総動員して楽しむものだ。by小柴昌俊

言語学 11月5日23:30~
なぜ人は言葉を話すか
東京大学 酒井邦嘉 助教授

科学的に言語学をどう扱うか?

脳がどのように言葉を生み出すか?

歴史はとても古いが、究極の難問。

言語はなぜ難問か?
・人間しか言語を持っていないため動物実験できない。
・言語は脳の機能の頂点。動物にも意思があり行動している。チンパンジーも考えている。人間は言語を使って思考や意思を生み出している
・言語だけ切り離して研究するのは難しい。知覚、記憶、意識と絡まっている。どこで線を引くか。言語とはいったい何か?

・言語は人間だけの能力か?
ボノボは記号を使って意思を伝える。チンパンジーに手話を教えることも出来るとされている。これらと言語は何が違うか?手話(手の動作を言葉に変換)「ちょうだい、オレンジ。」「わたし、ちょうだい」「たべる、オレンジ」これら類人猿の言葉は順番がない。人間なら「私はオレンジを食べる」で意思が伝わる。「私は、主語」「オレンジを、目的語」「食べる、述語」に分解できる。この順番が決まっている。人間の言語には文法がある。

例:マザーグース、いくらでも長い文が作れる。人間の分は自然なもので、創造的で、新しいものを作れる。自由に作れる背景には法則性があるから。

Q人間にももともとサルなのに、なぜ人間だけ言語を持ったか?
Aコミュニケーションは進化の過程と全く別だという仮説がある。ミツバチのみのコミュニケーション手段がある。他の種のハチは使わない手段がある。

6,500もの言語がある。中国語、英語、スペイン語の純で使われる。メキシコでは240以上の言語が使われている。

古典的な言語学。
歴史性 言語の分類 例:ゲルマン言語、イタリック言語などからの派生

BUT言葉の派生、多様性は歴史性では説明できない。なぜそうなるか、次にどうなるかは歴史性だけではうまくいかない。

ノーム・チョムスキー1928-
言語に対する見方を変えた。説明する仕組みがある。チョムスキーが言う言語は法則。
抽象化:桜の種類が違い花びらが微妙に違う。花びらの枚数は5枚。5枚とも同じような花びら、だいたい正五角形。ここには法則がある。花びらは正五角形であるという抽象化。抽象化は科学の基礎。

理想化

言語の骨(法則性)
__________
↑       __↑___   
↑ ↑      ↑
私は  オレンジを  食べる
S O V

結びつきはOとVが強い。それとSがつながる。

普遍文法 人間後には普遍的な文法の共通性がある。
人間がもとから持っている、主が固有に持っているもの。

プラトンの謎
赤ちゃんのときに家族が話しかけてくる。赤ちゃんのコロは何を言っているか分からない。けれども、1歳ぐらいで分かり始め、2,3歳で話し始める。文法として習わなくても、話し始める。なぜ、誰も教えていないのに、分かるのか?→もともともとあるのではないか。人間に備わっている。

言語獲得装置。
日本語の多くのデーター → 脳 → 日本語の文法
日本語を処理して、文法に当てはめる、言語を獲得するような装置。

言語を科学する4つの方法
・言語学的アプローチ
 抽象化、理想化、骨を明らかにして、普遍的に説明、子どものときからどう知ったか
・脳科学的アプローチ 
 脳の働きから解明
・工学的アプローチ 
 コンピューターで 人工知能 話せるロボット 人間の脳のを抽象化して簡略化してシュミレーション
・遺伝的アプローチ
 ブローカ野をつかさどる遺伝子は? 言葉を話すための遺伝子はあるのか?

ポール・ブローカ 
人間の脳の一部に言語に関する部分が局在 失語症から発見。前頭野のブローカ野がきづ付くと離せなくなる
脳の機能のイメージング
→→→→→→→→→→→→→→→→より細かく見ることが出来る
脳波、脳磁計測、PET、放射能の量から測る、fMRI脳の機能を見る

fMRI fはファンクショナル。機能を見る。電磁波を読み取る。x線より体への影響が少なく、自由な角度から見れる、血液の集まる場所を見ることが出来る。

脳のどこが働いているかを測る。脳の構造を見る。

テレビのモニターをゴーグルの中で見て、英語と日本語を聞かせて脳の働きを見る実験
英語のマッチング課題 (EM)
初めの画面catch
2回目の画面catch cotch
左が同じ
英語が分からなくても解ける問題

英語過去形課題(EPi)
初めの画面close
2回目の画面closed clost
左が正しい
英語が分からないと解けない問題

初めの画面catch
2回目の画面catched caught
右が正しい
英語が分からないと解けない問題

過去形は規則動詞と不規則動詞があると学んだ後の脳
ブローカ野が活動している。英語を学ぶと

日本語に関しても過去形のテストを行ったらブローカ野が活動。英語も日本語も過去形を学ぶと同じ場所が活動した。よって、普遍文法。

実験から分かったこと
・言語の学習によって、脳が変化している。
・英語でも、日本語でも過去形の場合、同じ場所が使われる→普遍文法がある。

ブローカ野
記憶?単語の運用?文法の中枢?実はまだはっきりと分かっていない。
おそらく、文法の中枢

言葉が出てこない
単語が出てこない、文法が使えないと言葉が出ない。あごや舌の問題かも、

言語学は人間の科学。
どういう意味で人間はユニークなのかを言語を通して研究している。

Posted by takeshi at 11:28 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ありがとうございました
昨日エントリーした。「頼む教えてくれ」で、量子論のテレビを見て分からなかったことを書いたんですけど、さっそく教えていただきました。真にありがたいです。

完璧になぞが解けたかといえばそうではないんですけど、より知るためには物理学や量子論を基礎から学ばなければならないので、そういう意味で完璧になぞが解けてないということです。これは僕の問題なので。

それに、「量子力学概論」という本の該当箇所をコピーしてさらに重要なところを蛍光ペンでチェックしてもらって、解説まで書き加えてもらって。もう、どうやってお礼を言っていいやら。

コメントを下さった皆さんもありがとうございました。

とりあえず、量子論の本を読んでみます。

理論のベース自体はほぼ正しいと証明されているようなので、量子論がどう応用されるかが注目です。量子テレポーテーションも量子コンピューターもまだ時間がかかりそうですが。。。まあ、情報処理とコミュニケーションには大きな変化がありそうですな。
それと、純粋な量子論をやっている方からすれば邪道かもしれないんですけど、量子論の経済への応用と、脳や意識への応用も気になるところです。
以下参考図書 いつも通り自分用
・「「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!
佐藤 勝彦 文庫 」
・「ペンローズの量子脳理論―21世紀を動かす心とコンピュータのサイエンス
ロジャー・ペンローズ (著), その他 単行本」
・「経済・情報・生命の臨界ゆらぎ―複雑系科学で近未来を読む
高安 秀樹 (著), 高安 美佐子 (著) 単行本(ソフトカバー)」
・「経済物理学の発見
高安 秀樹 (著) 新書 」
・「世界が変わる現代物理学 ちくま新書
竹内 薫 (著)」

Posted by takeshi at 10:12 PM | コメント (219) | トラックバック (1)|
田臥勇太
イチローをちょっと前「漢」だといったが、田臥勇太って人間も「漢」だ。

身長は170cmちょっと。バスケの選手なんて2m近くあるじゃん。多くの人間は、その絶対的な差だけでNBAをあきらめるだろう。

それを、彼はあきらめない。ナイキの彼が出ているCMがあった。そこでは一万回パスの練習をして、一万回シュートの練習をして、バスケットシューズを何十足も履きつぶし、、、とっいった感じでいっていた。本当にそうだろう。練習して。練習して。ひたすら練習する。

ハンディがあっても、それを出来ない理由にして逃げない。そんなハンディがあることすら忘れさせるってのがかっこいい。見てる側からすると、ハンディを越えてでっかい奴に勝つのがワクワクするね。

こりゃすごいよ。日本人に勇気を与えるよ。
世界を舞台に体のギャップを乗り越えて活躍する日本人。
ほれるね。

スポーツ界ではこういう男が増えてきた、政治の世界、ビジネスの世界、文学、音楽、絵画などなどいろいろな分野で更なる活躍をし、そういう信念があり、努力し、達成した人間が評価され、報道される日本になることを願うし、そうしていきたい。

彼の言葉にも重みがあるよ。このCMもズシーンときた。
CMのリンク
以下、CMで田臥勇太が語っている言葉。全文。

何回も能代弁で叱られ、
何回も英語でも怒鳴られ、
そのうちの何回かは理解できなかったけれど、
何回も小さいから無理だといわれ、
何回も大男が落ちてきて怪我をし、
何日も眠れない夜をすごし、
何回も人のいうことに耳をふさぎ、
何回も逃げ出そうと思った。

けれど、

何万回もパスをし、
何万キロもドリブルをして、
何万回も相手をフェイクし、
何万回も速攻を出し、
何万本もシュートを打って、
何十足もバッシュを履き潰し、
僕は アメリカのコートに立った

日本人初ということはすごくうれしいですし、

でも、僕のたびは終わりじゃない

これは始まり

何万回もパスをし、
何万キロもドリブルをして、
何万回も相手をフェイクし、
何回も、何万本も・・・・
Posted by takeshi at 01:19 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
頼む教えてくれ
さっきのエントリーで書いたんだけど、量子力学の番組を見ました。そうしたら、すごいことを言っているのです。

観測しない限り、状態が決まらない。それは知らないだけじゃない。らしい。量子の世界では、観測するまで決まっていない。知らないだけではなく決まっていない。
どういうことだ?コレに付いて教えてください。お願いします。

その例として出ていたのは以下の2つです。

・干渉の話で、スリットのどちらを通ったかは観測するまで決まっていない。

・原子が2つの光子をだす。例:左に飛ぶ光子は上向き、右に飛ぶ光子は下向き。原子から光子がひとたび出ると決まっているはず。しかし、人が観測していなければ決まっていない。我々が知らないだけではない。観測していれば決まっている。左だけ観測したら、決まる。すると、右を観測しなくても決まる。片方を観測すれば、観測していない方の状態も決まる。

これって、哲学的な意味で話していた、俺がいなくなったらこの世はなくなるって話と似てますね。

それと、量子テレポーテーションはこの理論を応用しているんだよね?たぶん。推測なんで分かりませんけど。

そういえば、かなり身近にUTで量子力学について知っている人がいるじゃないか!
教えて頂戴。

今度会うときは、量子力学の講義してください。
みすどさんよろずさんお願いします。出来るだけ早いうちに教えてください。

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (228) | トラックバック (0)|
量子物理学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「量子物理学・目で見えた!量子の世界」

上田正仁 東工大教授

ボース・アインシュタイン凝縮

量子の不思議な世界

量子とは何か?
「量」は量を
「子」は小さいものをあらわす
量子は最小の単位

古典論
電子は粒子、光は波
量子論 
電子も光も粒子であり波である

粒子としての光
薄暗く光る程度に電球をする。同じくらいの高さの振動が間隔をあけて出てくる。
さらに暗くすると、間隔が広くなるだけ。光の最小の単位が存在する。

光子=光の最小単位

波紋や音など波には共通の性質がある。スリットが2つあると別れ、重なる。高いところはより高く。低いところは重なりより低く。干渉。縞模様になる。

干渉と波

光はミクロに見ると光子、光子を集団としてみると波

スリットを一つにすると縞模様は出来ない。

どちらのスリットを通過したかを観測した時点で、波の性質は消える
スリットのどちらを通ったかは観測するまで決まっていない。

量子の不思議

粒子と波の統一

古典論
粒子
運動量P/エネルギーE


波長/振動数

量子論
P=h/λ
E=H×f
アインシュタイン・ドブロイの関係式

原子の場合は?
ネオン原子の干渉実験 スリットを同時に通過して干渉

すべて、量子力学においてミクロに統一している。

ボース・アインシュタイン凝縮
超伝導と深く関わりあう。

たくさんの粒子が集まると
2つの種類に分類
集まらない粒子 電子、陽子など
集まる粒子 光子など

原子は温度が高いと原子は粒子でばらばらに振舞う。温度が低くなって量子の振る舞いをすると波。すべての原子が集まって巨大な波になる。巨大な物質の波=ボース・アインシュタイン凝縮

長さは一ミリの楕円っぽいもの。ドラ焼きの形

2001年ノーベル物理学賞
MITケタレ教授

絶対温度1千万分の一度。原子を冷やす=原子の速度を落とす。

原子にレーザーの光子を当てて速度を遅くする。6つの方向からレーザーをあてる。真ん中に原子が集まる。磁器を作った器を作り、下に落ちないようにする。きわめて温度の低い動きのほとんどないものだけ残る。それがボース・アインシュタイン凝縮。
1000万分の4ケルビンではまだ温度が高いものが動くので散らばっている、1000万分の2ケルビンになるとほとんど飛び散らなくなる。1000万分の1ケルビンになるとほぼ完全にボース・アインシュタイン凝縮。

巨大な原子の波は本当に波か?
実証。重ね合わせて波になれば波。

2つのボース・アインシュタイン凝縮体を重ねると干渉する=波。

ミクロな現象がボース・アインシュタイン凝縮でマクロに見える。

ボース・アインシュタイン凝縮の崩壊
磁場を少し変えて引力にする。
崩壊して収縮する。そしてとても小さくなる。小さくなりすぎて見えなくなる。そして崩壊。見えなくなった直後のボース・アインシュタイン凝縮は光る。そして爆発し始める。
崩壊して、自分の力で爆発する。ボース・ノヴァ。

宇宙の星は重力崩壊で、爆発する。超新星爆発。中性子星が残る。上記と類似。さらにでかくすればブラックホールになる。

原子が2つの光子をだす。例:左に飛ぶ光子は上向き、右に飛ぶ光子は下向き。原子から光子がひとたび出ると決まっているはず。しかし、人が観測していなければ決まっていない。我々が知らないだけではない。観測していれば決まっている。左だけ観測したら、決まる。すると、右を観測しなくても決まる。片方を観測すれば、観測していない方の状態も決まる。

量子の世界では、観測するまで決まっていない。知らないだけではなく決まっていない。
量子の分野では観測はとても重要なこと。

月は私が見なければ存在しない。byアインシュタイン

粒子であり波である。

量子の特徴を利用
光通信→量子暗号
二人の間で通信。誰かが情報を盗んでいるかもしれない。紙だったら見ても何も変化しないが、量子力学の世界では見たら状態が変わる。この性質を利用して暗号化。

情報科学→量子コンピューター
量子並列制。100億年の計算が1週間で出来るかも。まだ、理論段階。

Posted by takeshi at 12:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 04, 2004
働くということ
某氏がいいといっていた本を読んだ。

新聞の連載を本にしたものだったので、知っていることもいくつか。
個人的には、一つの内容が短すぎて物足りなかった。いろいろな人の「働く」ということを読めたのは良かったのだけど、一人一人について内容が薄かった。最後のへんはなんかよい感じがしたが。

まあ、人間働くということについていろいろ悩んでるわけです。世のため私のため、猛烈スローライフ、汗とバーチャル、自立と歯車、安定とリスク、などなど比較してありました。社会・環境の変化による社内システムの違い、意識の違いによる若者と年配の確執なんてのも。

まあ、正解なんてないんですよ。自分がよいと思った道、納得した道を歩む。

これってのがなくて悩んでいても時間が過ぎるだけなんで、見つからなかったらそれなりの決断も必要なときもあるわけですよ。やってみて初めて見えてくることも多いですし。
そう思います。

働くということ
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2004-09-18
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Posted by takeshi at 09:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
難しいことを忘れて
童心にかえる。
無我夢中になる。
腹のそこから笑う。

うまいものを食べて、
十分寝て、
自然を感じて、
好きなことをして、
空想にふけり、
美しいものを見れば、
生きてて良かったと思うはず。

たまにはこんなときもあったほうがいいと思う。

Posted by takeshi at 08:54 PM | コメント (244) | トラックバック (0)|
1994
1994年

この年が何だって話なんだけど、特に何もないんだけどなんか1994って響きから何か記憶がある。小3か小4年。

この年ぐらいから年号というか、そういうものを気にし始めた証拠なのだろうか。
それにオリンピックもあったから年号を良く聞いたからかな。

同い年の人は19??年から明確な年の記憶があるのかねぇ。

Posted by takeshi at 08:12 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
小学生の会話
スーパーに行ったら小さな兄弟が床に座り込んでお金を数えていた。
スーパーを一周して戻ってきたらちょうど数え終わったらしく、1221円と兄の方が言った。すると、小さな弟は210円の菓子パンを指差して、これ買える?と兄に聞いたのだ。すると、兄は買えるよ。と答えた。

普通の会話でした。終わり。

何ですけど、子どものころって数字というものをばらばらに覚えている。一つの数字はただそれだけのものとして理解しているのかな。だから210円と1221円の大小が分からない。僕たちはいくつかの数字を聞くと自然と否応ナシに大小を思い浮かべてしまう。数字という物を関係性の中で認識しきっている。

夢は何ですかといったら、「死の感覚を感じること」「赤ちゃんの感覚を感じること」これらって体験しようとも出来ないからねぇ。

あと、スーパーの帰り道小学生ぐらいの奴が信号に引っかかって「クソ、ムカつく」といった。待つことがいやなんだろう。急いでいるときだったら確かに待ちたくない。しかし、特に急いでいる様子でもない。じゃあ、なぜ待つことはムカつくのか?何か体を動かしていないとうずうずしてくるのだろうか?エネルギーに満ちた子どもだからなのだろうか?それとも、何かしら「待つ=無駄なこと」というような認識があるのだろうか?とどまるということは何もしないこと、何もしないことは時間の無駄とかそうなのかな?保守的な人は守りに入る、何も変わらないほうが楽で好きなはず。そういう人も待つことがすきなのだろうか?

僕は待つことが特に苦にならない。こうなったのは小学生のときにふと思ったことがきっかけ。何かを待つ誰かを待つ、そんなときは暇だ。だから文庫本などを持ち歩く人もいる。しかし、何も持たないで待たなければならないこともある。そんな時僕は思った。何もなくても、自分さえいれば暇つぶしが出来ることはないか。それなら、答えのない、答えが見つかっていない問題を考えればいいじゃん。と。それから、待つときは生きるとは何か、人間とは何か、幸せとは?などと考えるようになりました。それとか、周りを見渡せば今まで気がつかなかったことや、同じものでも視点を変えてみたり、じっくり見ると違う発見がある。そんなことしていた小学生は、10年たつとこうなるのです。
Posted by takeshi at 05:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自らが感じたことのない感情は他人が感じていても自分は感じれない。
自らが感じたことのない感情は、他人が感じていても自分は感じれない。

これ、わかっていそうで分かっていないこと。
とある人の話をきいて思いました。

Posted by takeshi at 01:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
黄色い線の内側?
ズーット前から気になっていた。
これは何度聞いても違和感がなくならないこと。
何百回と聞いているはずなのに、違和感が残るフレーズ。

「黄色い線の内側にお下がりください」

どこかで聴いた記憶はありませんか?駅のプラットフォームです。
電車がプラットホームに入ってくるときに、電車に近づきすぎるとき読んだから、駅員さんがアナウンスするのです。まあ、それはいいんです。

言いたいのは「内側」?ってところです。

僕にとっての黄色い線の内側は「線路」の方なのです。電車に近づけって事かよ!って、いつも突っ込みたくなる。しかし、駅員さんの言う黄色い線の内側はプラットホームの真ん中の方なのです。

なんで、僕が黄色い線の内側を線路だと思ってしまうか?
多分電車を中心に考えているからです。一方駅員さんは客を中心に考えているのです。
その違いによって解釈の仕方が異なるのだと思う。

僕が自分自身を中心に考えないで電車を中心に考えるか。それは紛れもなく電車の駅という場所にいるからだ。普段は自分を中心に考えているが、駅では電車がメインだ。みんな電車に乗りにくる目的できているのだし。だから、電車を中心に考える。

しかし、駅員さんは毎日駅で働いている。それが日常だ。だから、駅というのは電車に乗るという目的でもなく電車がメインであるという発想にならないのではないか。だから自分中心で考えるから、黄色い線の内側がプラットホームの真ん中のことをさしているのだろう。

そんな理由じゃないのかな?
普通の人は、僕みたいな認識の仕方はしていないのだろうか?

普通の人は瞬時に脳で補正がきくから、普通の認識が出来るのかもなぁ。おれは、そのものをそのまま捕らえすぎているのか?
Posted by takeshi at 12:47 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
脳科学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「脳科学・脳はどう意識を生むのか?」
21世紀で一番重要かも。心は科学の対象となりうるのか?

茂木健一郎さんは面白い視点

ソニーCSL、品川にある、ガラス張りのビル

立体はなぜ立体と感じ、透明なものはなぜ透明と感じるのか?

脳の話、脳科学

科学はどのようにして生まれたか?
ニュートン 万有引力の発見。なぜコレが意味を持つのか?

手にあるものは落ちるが、空にあるものは落ちないのが当たり前だと思っていたが、その常識の不思議に気がついた。

脳、1000億の神経細胞。複雑なネットワーク。化学物質の放出と吸収。
りんごと脳もニュートンのりんごと月と同じなのでは?

脳は意識を作り出す。朝起きると、太陽の光が入ってくる。意識が生まれる。作り出される。胃は消化するためにある、意識を生み出すことを考えないで脳を研究しても意味がないのではないか。脳がなぜ意識を生み出すか?意識の主体である私はどのように成り立っているのか?は分かっていない。

錬金術師がしらないように、脳も物質なのに意識が生まれるのか?コンピューターやロボット、石にも意識があるのか?

研究の手がかり、「クオリア」生活する中での質感。水を飲むと冷たく感じ、バラの赤を赤と感じる。

今までの科学で、方程式は数で表さなければならない。しかし、クオリアは科学でかけない。チョコの甘さとバナナの甘さは数値で表せない。クオリアは数で表せない。

すごく小さな情報から、なぜ人間は情報を補って理解することが出来るか?外界から入ってくる情報を、解釈を持って理解する。想像力が豊だと、

感覚的クオリア=感覚的な情報
志向的クオリア=解釈で補う、何かを認識する

外にワイングラスとかバラがあると思っているが、実は脳の中にある。(情報を得る段階で見てはいるが。)

外界からの刺激がなくても脳はクオリアを作り出すときがある。それはなぜか?

脳は3つの器官

脳幹 生命維持
小脳 運動支配
大脳 視覚、意識、
大脳皮質 神経細胞の集まり 

限られた体積で表面積を大きくする

後頭葉 視覚やで情報処理
側頭葉 形色を解析
頭頂葉 体のイメージをつかさどる、ボディイメージ、自分の姿勢など
聴覚野 聴く
運動野 手や足をコントロール
前頭葉 脳のさまざまな部位を調整
前頭前野 私が私である中枢

過去100年は脳のどこがどう役割をしているかを究明 機能主義

コンピューターは脳になれるか?
どこが同じで、どこが違うか?

人間の脳の能力の背後には「私」が常にある。

ロボットに私を組みこめれるのかが重要な問題。

クオリアを感じるのは私である。バラの香りを感じるのは私である。コンピューターにデジタルとして情報が入ったら、感じられないのではないか。なぜなら「私」がないから。

私と他人

他人との関係が重要。他人との関係で脳が作られてきている。生まれたときから他人とコミュニケーションをしたいという脳の欲望がある。

ないたらミルクをくれる。赤ん坊は母親のことを自分の延長だと思っている。しかし、泣いてもミルクをくれないと、母親は自分でないときが付き始める。

自分が自分であると気がつく年齢=自分の心と他人の心の発見=4歳ぐらい

感じたことのない感情は他人が感じていても自分は感じれない。
相手の心を読み取ること=心の理論

相手の心を読む
顔の表情は非常に重要。怒り、喜びなどは分かる。顔は表情から一瞬で感情が伝わるインターフェイス。ポーカーフェイスの時は、今までの関係や、その状況を踏まえて感情を読み取る。

1996年、ミラーニューロン神経細胞10年後には教科書に載るかも
自分がある行動をしているときにも、他の人がある行動をしているときにも働く細胞。Aさんがアイスを食べれば、それを見たBさんもアイスを食べたときに働く細胞が働く。

人間と人間の関係
脳への報酬。人間の脳は何を一番うれしいと思うかといえば、他人からほめられること。小さいころは見てもらっていることが報酬。学芸会で親(大切な人)が来て見ているかどうかが気になる。親が見ていないと、何もしない。

アイコンタクトが成立したときに、ドーパミンを放出する細胞が活動する。好意を持った人と目が会うときほどドーパミンが出る。意識していなくてもこのように神経細胞が活動する。

人間は相手との関係によって人格を使い分ける。
学校で友達と話すときと、親と話すときは違う。人間の脳のもっている最大の能力はTPOにより人格を使い分ける。人間の脳の持っている頭の良さはコミュニケーション能力。場に合わせたコミュニケーションが出来る。これはコンピューターには出来ないことである。
コミュニケーションから自我が生まれる。
チェス コンピュータ対人間
ディープブルーは先の手を読んで、勝った。しかし、これは人間の知性を超えたといえるか?
人間らしいコミュニケーションはできていない

チューリングテスト
人間がコンピュータの画面に向かってテキストをコミュニケーションをして、スクリーンの前には人間がいるのか、コンピュータがいるのか区別できないとき、人間とコンピュータは差がないといってもいいのではないか。しかし、まだテストに合格したコンピュータはない。

コンピュータはあらかじめ決まったことをするのが得意。人間は相手との会話によって臨機応変に行われている。チェスはルールが決まっているものをやっている。

他人の心を読み取る。他人の心が何を考えているか分からないのに

コンピュータは与えられて物しか出来ない。人間は感情を持ち、自らの欠点を見つけたり

一つの能力だけを暴走させず、抑制し、人間の能力をバランスとっている。カレンダー計算をやろうと思えば出来るが、バランスをとっている。

Qコンピューターが人間の脳に追いついたらどうなるか?
A人間はうまく、それを乗り越えていくのではないか?ITの影響で発想の能力が重要になってきた。人間の脳は環境が変われば適応できる。コンピュータが脳に追いついたら、そのコンピュータが出来ないことをやるようになる。
意識と向き合う科学

今までの科学は、数式を組み立てたりしてきた。
今まで科学が無視してきたクオリアを考えなくて人間型ロボットや今後の科学は語れない。

我思うゆえに、我あり デカルト

空間を数式で表すことを(近代科学の基礎)デカルトが言った。

この世の中で唯一つ疑えないことは私がいること。 デカルト

「私」のなぞに挑む。
今まで、これは解けないという問題も解いてきた。しかし、私が私であるということも分かるのではないか。コレが解けたとしても、新しい問題が生まれてくるのだから。

人間が考える背景には何があるか、意識が生まれるとは何か、これらを考えるためにはデカルトの考えに戻る必要があるのかもしれない。

現代の科学に残された最大の問題。

意識、私、クオリアはどのように生み出されるか。これを解決したら、ニュートンやアインシュタインと同じぐらいの価値がある。

科学に興味を持つすべての人が、科学にはミステリーがあるということを実感してほしい。
当たり前だと思っている減少を見直す・違った見方をすると、新たな発見があるかも。

小柴さん
量子力学観点からすると、私は表現できないと思っていたが、実はあらわせるかもしれないと考え直さなければならないかもしれない。今後脳科学がどう発展するか楽しみ。

Posted by takeshi at 12:08 AM | コメント (215) | トラックバック (0)|
November 02, 2004
中国
NHKスペシャル 「63億人の地図(8)中国豊かさへの模索」上海ドリーム光と影▽学校に行きたい

これまたメモです。

昨日の「夜回り先生」のまとめをしたいと思いつつ出来ていません。。。

中国はやっぱり注目の国ですし、チェックしとかないと今後の世界を読むことが出来ない。やっぱり、大学の間に中国に行こうと思う。中国にはまだビジネスチャンスはあると思った。中国語と、中国の事情が分かっていればチャンスはあるな。でも、昔と比べればかなり厳しくなっているだろう。

格差が広がってどんな問題が生じ、それをどう乗り越えるか。賃金が高くなり他国との差別化が図れなくなった場合、どう乗り越えるか。

メモ

上海、北京と、内陸部の格差。GDPはシンセンと最下位は171倍の格差。

「上海」
富人区は2億円~10億円の住宅が並ぶ。ゴルフ場もある。上海の企業の社長。次男を10年間イギリス留学2億円。高卒。ペンキ塗りなど。27歳転機。先富論、先に留めるものから。銀行から金をかり、投資会社を作った。今は年商360億円。学校設立=貴族学校。金を持ったら、親は教育に金をかけることを見越して。入学金50万円。平均年収の倍。
小学一年生ぐらいの人が、ハーバード大学に絶対入るといっていた。
経済成長率11.8%(2003年)
農村から来た出稼ぎ労働者「民工」、地域間格差を利用して儲ける

1980年代から都市に移動。1億人。今後も毎年500万人増える予想。
上海の3人に1人が出稼ぎ。

教育格差
民工学校、農村戸籍で公立学校に受け入れてもらえず、地方からの出稼ぎ労働者の子どもで行き場のない子どもが行く学校。都市戸籍の子どもが公立学校に優先して入れる。民工学校は上海に400以上ある。田舎の子どもは公立中学に入ることが厳しい。民工小学校(中学)も入学が厳しい。

地方から出稼ぎに来ている親は子どもに、「会社員や公務員になってほしい。」

中学で出稼ぎの親と離れ地方に戻らなくてはいけない小学生の作文。「上海の生活は短かった。上海で学べるなら、コンピューターと英語を学び海外に行きたかった。でも、農村に帰っても学び、また上海に戻ってくる」

93年で少し、GDP格差が出てきた。しかし、大きな差ではない。93年以降この10年で急激に格差が広がった。
内陸部 中庄村

上海と比べると村は原始時代のよう。900円の教科書代が払えず小学校5年生で中退。年収8,000円の家庭。その子の夢は先生。学校に通えない子が村に50人。

村が食べていくためには、教育しかない。中学卒以上でなければ、都市に出稼ぎにもいけない。
入学金8万円、一家の年収の7倍。大学卒業すると都市戸籍に変えることが出来る。そうすれば、都市で安定した暮らしが出来るようになる。幸せになるには大学に行くしかないが、入学金を払えない。牛一頭2万円。村のトップたちで一人の子どもを大学に進学させるための金を工面する会議。村が保証人となり金融機関から金を借りて大学進学。卒業後本人が返済。「村に帰ってきて、みんなのために働きたい。」

西部大開発
内陸部のインフラを開発する。そこに工場などを誘致する。

先富から共同富裕へ

経済成長だけでは、中国が発展できない。一人一人の幸せ、人間としての尊厳、平等が保たれることが必要。

本当の豊かさとは何か?
明日への手がかりを探して生きている。

Posted by takeshi at 01:44 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
禅の極意
NHKスペシャル「永平寺104歳の禅師」迷いの時代を心安らかに生きる禅の極意とは

うーん、禅ってすさまじいな。どうのこうの言う前に黙って坐禅をひたすらする。まだ僕は禅の考えは分からない。まだ、という表現が正しいかどうかは分からないが。とりあえず、今は分からない。今無理やり分かる必要もないと思うし。

でも、禅の考えは美しいとは思う。

以下は番組を見てのメモ

禅はよき人を作る
よき人は、地位とか名誉とかがない
欲は克服すべきを覚えんといかん
それが禅だ

天があり地があってその恵みを受けて人間がその正しい真(まこと)を実行していく
大法則のもとに生かされている
真は名前を変えたならば真理
まず第一に正しい真を持って先祖に挨拶。

3、5分でも坐禅

11歳のときから93年間欠かさず毎朝坐禅

坐禅
何も考えない、前後裁断、その時その時、一息一息しかしない、
何か考えたら余分や。

人間は地位名誉、わがままでいっぱいだ
欲は克服するすべを覚えないといけない。
それが坐禅だ

息と一つになる
坐禅とはまっすぐということ
背筋を、首筋をまっすぐ、右にも左にも傾かない
まっすぐとは正直

体をまっすぐにしたら心もまっすぐになる
人間はわがままが自由だと思っている
型にはまったものが日常でなければならない

長い間培われてきた型を守ることが修行である

日常生活のすべてが修行、少しでもいたらなければやり直し
すべてがみな禅だ
禅とは一つになっていくことが禅
歩くことは、歩く禅、しゃべったら、しゃべる禅

スリッパがいがんでおることは自分がいがんでいること。
心が表れている。

11歳のコロはいやいや坐禅をしていた。他にしたいことがあった。坐禅や厳しい作法がいやだった。
転機は29歳のとき、82歳で老師が亡くなった。
老荘の暖かい死骸を見たとき、偉い人だったと思った。私(わたくし)のない生活をする。
やっぱり日常の生活が基本。老師は運僧(修行僧)と同じ食事を食べ、同じ生活をした。
口だけでない実行で示した
老師のようになりたい。
学ぶということはマネをすることからきている。
一生まねをしたら、それは本物だ。

坐禅の意味を考えるのをやめ、ただひたすら座るようになった。
釈迦の教えを今後に伝えていくのが永平寺の住職の仕事

大衆に範を示さなければならない。現代は地位にあるものが範を犯したりしている。、教えというものが何のためにあるかといえば、実行するためにある。そのために黙って真理を実行するところの坐禅を進めた。黙って実行すること。

肺結核のときでも、坐禅をしていた。3年4ヶ月の入院生活

正岡子規 病状六尺(病寐六尺)

平気で死ぬことが悟りだと思っていたが、
平気で生きておることが悟りやった
平気で生きておることは難しい

死ぬときが着たら死んだら死んだらいい
平気で生きているときは、平気で生きていればいい

命がけやったら何でも出来るなとおもった。

自分分より大事なものはない。
永平寺は自分だ。環境も自分だ。
永平寺を大切にすることは自分を大切にすること。

自然は立派だ

日記をつけている。何月何日に花が咲いた、虫がないた。ほとんど違わない。規則正しい。そういうのが法だ。法にかなったのが大自然だ。
自然の法則を真似て人間が暮らす。
人間の欲望に従っては迷いの世界だ。

真理を黙って実行するのが大自然だ

誰にほめられることもない、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえることもない。時が着たら、花が咲き、すべきことをして、黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。

自分の人生を一本の梅ノ木とたとえ、
「103歳になる老梅も花を咲かせることが出来る。
これもただ坐禅をしてきたからだ。」

命が続く限り禅の修業を続ける。

Posted by takeshi at 12:38 AM | コメント (3) | トラックバック (1)|
宇宙論
「宇宙論~宇宙の始まりと未来を探る」
 宇宙は曲がっているのか? 平らなのか? この「宇宙の形問題」は、宇宙の年齢~どれくらい前にこの世界は始まったのか~を直接決定してしまうために、科学者たちの間で長く議論が戦わされた。昨年NASAのWMAP衛星は観測から宇宙の形を決めることに成功。宇宙の形は平らであることが分かった。 

[出 演] 杉山 直 (自然科学研究機構 国立天文台 理論研究部 教授)

こ回は見ていないので、nhkの番組紹介です。

このパワポが番組とほとんど同じ内容みたいです。15Mぐらいあるので気をつけてください。
http://th.nao.ac.jp/~naoshi/uchu_marukajiri.ppt

Posted by takeshi at 12:28 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 01, 2004
イェイツとアイルランド
サリーガーデンズという曲を聴いた。かなり良くて繰り返し聞き続けている。繰り返し聞いても色あせない、心地よい曲です。

で、調べるとイェイツという人の詩らしい。この人はノーベル賞もとった人みたいで有名人っぽい。初めて知った。でも、とりあえずこの人の背景を知る前に、詩などを堪能したい。その後イェイツについて知ろうと思う。文脈を越えた美しさを味わうためにはこの順番がいい。

で、ついでにアイルランド民謡にイェイツの詩がのるとまた美しい。たまんないですよ。アイルランドでこの詩や曲を聴きながら旅したいと思い、調べると、いい国じゃないですか。

http://www.tourismireland.jp/index.htmlスライドショーなんかもうたまんないですよ。

http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/27.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/02.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/06.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/13.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/14.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/15.jpg

中国、アメリカ・ボリビア・ペルー、フランス・アイルランドですかな。
Posted by takeshi at 06:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
何かがある
ウェブページがしょぼい会社、やる気のなさそうな社員、誰でも出来そうなビジネス、はっきり言ってダメダメな会社って感じです。このような会社で本当に業績が悪いところもあるが、しっかり利益を出しているところもある。どうしてだ?どうやって儲けているのだ?

見栄えだけかっこよくて、無駄に力んでいる企業で利益を出せない会社よりすごい。
それは、犯罪チックなことを裏でやっているとか、人脈がすごいとか理由はあるんだろう。でも、こんな理由じゃない部分もあるはずだ。

何が違うのだろう。ビジネスセンスというものはそういうものだろうか?
組織としての何かしらの強さ、会社の習慣、雰囲気いろいろあるんだろうな。
それを掴み取りたいな。
Posted by takeshi at 12:40 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
逆上がりが出来る瞬間に何が起こるか
逆上がり、 小学校のときに出来なかった経験がある人も多いと思う。練習して練習して、やっと出来た。そんな思い出があるのではないか。

で、出来なくて何回も繰り返して、やっとはじめて出来た!時があるはずだ。

初めて出来た時と、その一回前の出来なかったとき、何が違うのか?体力もスキルもほとんど同じはず。

何か変化があったはずなのだ。しかし、すべてほとんど変化はないはず。

なんだろう、その瞬間に小さくとも、大きな変化があったのだ。この違いが気になる。

人間が、なんとなく気持ちが変わる瞬間も不思議であると昔書いたが、それと似ているのかも。

Posted by takeshi at 04:15 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
色あせないもの
最近書いた気もするが、とりあえず書く。

人間は、同じことを繰り返せば飽きる。つまらなくなることがほとんどだ。いくらうまいものでも毎日食べていれば飽きるし、王様のような生活も毎日だったらつまらなくなる。ありがたみなんてなくなる。

しかし、色あせない気持ちもあるようだ。
先日とある質問をした。舞台の上にたつ人に。年間に何百回も舞台に立つその人は毎年何百回も拍手を受ける。その喜びも薄れるものだと思い、僕は「舞台に立つ原動力や一番うれしいことは何かとたずねた。」するとお客さんの拍手だという。そうかとおもい「毎回拍手をもらうとそれに対する感情は薄れ、原動力としては弱いものになるのではないか?」とたずねると「全くそれはない」と。正直びびった。全く色あせないようだ。色あせない思いがあるようだ。同時に研究者の人も、自分の研究テーマを何年もやり続けてもその思いは全く弱くなることがないといっていた。

やられた。全く色あせない思いがあったのだ。

これが、自分の生きる道という奴だろう。まさに吾人の任務だ。

Posted by takeshi at 04:12 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人間のベースとなる思想の共有とは何か
人と話していると思うことがある。それは、本質的に共感しているときには起こらない感情や思いである。いや、自分と違う意見であっても、起こらないときもある。

じゃあ、何に対してその思いはあるのか。

「何か違う、通じない」と思ったときに起こる感情だ。
それは生きる思想の根底が違うからじゃないかと思う。人間のベースとなる思想が違うってことだ。それは、育ってきた環境が違うから、それまでの経験、その人が社会でとってきたポジション、人にとられた態度、その人が生きることについてどれだけ考えたかなどに関わってくる。言ってしまえば人生のすべてに関係するのだ。

こういうと、すべての人が違う環境で育っている。双子だって違う。みんな違う環境なのだが、分かり合える人と分かり合えない人がいる。通じる人と全く通じない人。なぜだ?それはファーストインプレッションで拒否反応を示したとか、ステレオタイプ的なものがないわけではないと思うが、そう簡単には片付けられない。

自分の考えと違っても、腑に落ちることがある。

しかし、違った考えで腑に落ちなくても、この「何か違う、通じない」と思ったときに起こる感情が起こらないこともある。それは、その相手と長い付き合いでお互いのベースを分かっているからかもしれない。

じゃあやっぱり、ベースを流れる思想が共有できるか出来ないか、ここに行きつく。で、これがあまりにも違う人のことは理解できないのかもしれない。

「人間のベースとなる思想」とは何なのか?

人間はすぐに形あるもの、はっきりと見えるもの、はっきりと分かるものを求めたがる。それはお金でも、偶像崇拝でも、経典でも、座右の名でも、肩書きでも、ブランド物、何でもそうなのだが、そういうものを求める。しかし、それらは僕の考えで言えば「抽象的な考え」と「具体的な例」理論と同じだ。人間は分かりやすかったり、説明しやすいのですぐに具体例で示す。確かに分かりやすいが、自分の思いというのは具体例とは違う。もっと抽象的なのだ。抽象的な思いに本質があるのだ。具体例というのは僕に言わせればブランド物と一緒だ。

僕も、形のあるものを全く求めない人間ではない。形あるものはっきりしたものを求める。しかし、それがすべてではないと思っている。ブッダガヤで今まで僕は何でこんなにも形あるものを求めて、それによりすがってきたのだと思った。この話は誰にもしていないと思うが、僕はブッダガヤにいった。行く前に、釈迦が悟りを開いたところだし、数珠とかお経とかなんか買おうと思っていた。考えるきっかけの思い出として。それも、マハボディ寺院という悟りを開いた菩提樹のあるメインテンプルで。なんか、悟りを開いた寺で買うと「ありがたみ」があるというか、そんな感情を持っていた。しかしだ、実際に行ってみると数珠もなければ、お経もうってない。あーあ、買えないと物足りない感じだった。これは一日目の素直な感想だ。2,3日行って菩提樹の下にすわっていると気がついた。おれは形あるものに頼りすぎていると。それに気がついた時、正直愕然とした。何か自分の今までの人生はなんだったのかと思うくらい。何という安っぽい考えをしていたのか、そんな考えをした人生なんてなんというむなしい人生なのか。衝撃が走った。もともと、ブランド物などに興味のない僕でもそこまでショックを受けた。

目に見える数珠というものを手に入れることのみで満足しようとしていたのだ。それは、何も考えないことにつながる。すぐに手に入って満足して、何も考えなくなってしまう。しかし、そうじゃない。
具体的なものとしての数珠を買うことにより、目に見える思い出を作る。これは、ツアーで観光地まで連れて行かれて、そこを10分でみて、一瞬で忘れる解説を聞いて、写真だけとって返ってくるのと変わらない。ただ、行ったという記録を残すため、そこへ行ったと周りの人に示すためだけに行く。自分の本当の思いと外れている。こんな海外旅行とブッダガヤで数珠を買うことは同じなのだ。

僕は、ブッダガヤで物に頼らないことを知った。自分で考え、自分で感じるそれが大切なんだと思った。しかし、それは目には見えないし、はっきりと一言でいえないかもしれない。そんな不安、それを乗り越える。そこにしかないものがある。

「曖昧なものを曖昧なまま受け入れることの出来る心」コレが出来る心はすごいものだと思う。安っぽい強い心といわれるものよりも、数段と不安だ。しかし、それらを越えたところにこの心があると思う。

で、この共有できるベースを流れる思想は一言では表せない。無常であるし、曖昧なものだ。はっきりと分からないから人間は不安だ。暗闇は物がはっきりと見えないから不安なように。

自分の考えやを一言であらわすなんて不可能だ。そうできないからといって自分がたいしたことないと思うのはおかしい。ただ、文字にしたり、言葉にすることで気づくこともある。そう、吾人の任務を書けばいいのだ。
言いたかったのは、この曖昧なものを曖昧なまま受け入れるそこに意味を感じれるかどうかが人間のベースとなる思想ではなかろうか?「曖昧なものを曖昧なまま受け入れる」ということを少しでも、ある一部分に関しても出来る人は僕と人間のベースとなる思想の共有が出来ているのだろう。
(関係する組織によって、人間のベースとなる思想の共有が出来ない人との関わり方は変わってくる。会社、サークル、クラスメイト、友達、NPO的な活動、旧友など。)

(仏教も昔は偶像崇拝禁止で、お経も釈迦が死ぬまで紙に残されていないらしい、それまでは口頭で説いているだけだったようだ。)
Posted by takeshi at 03:59 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夜回り先生
このエントリーは完全に下書きです。まとまった文章でもなければ、話も飛びまくりです。

教育者というものは、ものすごい仕事だと思っています。世の中にある職業の中で一番大切じゃないかと思うくらいです。特に小学校~高校までの教師です。前から僕はこう思っていきているわけです。信念をもって本気でやらなければ勤まらない職業だと思っています。答えのない、終わりのないもので、本気で問題に取り組めばと取り組むほど、問題の大きさを感じ、簡単には解決できない地道な努力が必要だと思います。そして、そう取り組む教育者というのは自分の時間も少なくなり、自分の体もオーバーワークでがたが来てしまうのではないかと思います。(僕は何も知らないのに、こんなこということは大変失礼だと思っております。)

ETV特集 「いいもんだよ、生きるって」▽夜回り先生・水谷修の感動の講演会に密着▽薬物乱用・リストカット・援交…眠れぬ子たちの悲鳴と向き合った半生▽「心の闇を越えて」相次ぐ少年少女の事件その背景には一体何が▽ネットいじめに悩む米国▽“群れ遊び”で子どもは変わる▽大人の責任とは

この番組を見て、改めて思いました。この人の言葉には魂がこもっています。この人は本物です。イチローの時も書きましたが、自分で考え、行動し、ある物事に対して思いがある人は、話すと伝わってきます。話すという一連の行動を通して伝わります。まあ、学校の先生が生徒に語りかける口調なので多少オカマくささはあるのですが、そんなことどうでもいいです。含蓄のある言葉ばかりです。ここまでの教育者がいることに感動した。本気で子どものことを考えているなと。こういう人が

この方についてちょっと調べたら、最近学校を辞められたらしい。子どもを思うあまりオーバーワークだし、精神的にもそうとうつらいのだろう。本を書き、ドラマ化され注目を浴びれば講演や相談も増えるし、社会の目もあびる。体にガタがきてしまうだろう。自分に厳しいから体にガタが来てしまうのだろう。そうしたら、救える子どもも救えない。そんなに自分に厳しく、徹底的にならなくてもいいのにとも思う。しかし、もしそうだったら、こういう行動をとる人にはなかったのだろう。非常に難しい問題だ。
人を育てるこれは、相当難しいことだと思う。一人一人違うし、大人の視点から言えば(もちろん、大人以外からも子どもは学んでいます。社会や友達など)、子どもがしていることをすべていっているわけではない、大人の育った環境とは技術進歩、その他社会全体としての大きな思想的流れからしても違っている。大人が育ったことを前提に話しても、子どもには全く通じないことがある。もちろん、育てるということに答えはないし終わりはないし、こういう人間という思い描く人間もそう簡単にはいかない。

死ぬまで育っている、社会では人を育てるという側面の方がメインになるかもしれないが、コレも重要である。組織においても人が重要だから。いくら年をとっても、人から学び育っていく。老人になり介護することもある意味、育てているといってもいいのではないか。もちろん、年下から育てられることも多いにある。

 

秀才、天才、こころの繊細な人、いわゆる普通の人、ある特定の能力に欠ける人を育てるという分類があるのかと思った。人間なんて分類できないし、一人一人違うというのは分かっています。でも、物事を考えるために、分類訳をします。こういう分類訳をすぐにしてしまう僕は教師には向いていないと思います。って、そんなことはどうでもいいです。

家族的視点、学校、地域社会、これらがベースになると思う。

上記に記した「人の性質別」と「育つ場」の分類でいろいろ考える必要がある。現状の問題を踏まえ、これからどういう社会が訪れるか、作って生きたいか、というのも踏まえて考える必要がある。これについては、また書くときがくるだろう。
先週の木曜日、生物学的視点から人間の発展を話した。UTの助手や博士課程の方々なのでやはり科学的視点というか発想だった。人間が生まれてくることに見る、人の育て方とか、人間の

昨日の夜も面白い話だった。子育てについて、これはどうやって行うべきなのかという話になった。非常に難しい問題であるが、話し好きとしては面白かった。自分で考えたり、敏感に感じ取ることが出来る人と話すのは面白い。

そういえば、2週間ほど前に教職の教育実習に行くといいよといわれた。彼は教職を採っていなかったが、教育実習にいったらしい。彼は、自分の信念をつらぬきとうしたようだ。マニュアルになくても正しいと思ったことをやった。そうしたら、先生からはマニュアルどおりやれと指導を受けたが、盲目的には従わなかったようだ。そうしたら校長のハンコがもらえなかったといっていた。しかし、彼はそれでも納得がいっていた。僕は彼はマニュアルに反抗しようと思ったわけでもないと思うし、彼は常識はずれなことをしたわけでもないと思う。彼はそんな安っぽい人間ではない。しかし、マニュアルどおりには出来なかった。当たり前だ。教員だってマニュアル通りなんかやってない。やっているのは教育実習できている教師になることしか考えなかった学生や、保険として教員免許がほしい学生。そして、こういう人が免許をもらい教員になる。コレじゃダメだ。本当にまずい。
Posted by takeshi at 02:40 AM | コメント (221) | トラックバック (0)|

2004-10

http://www.teratown.com/blog/archives/2004_10.html  

October 30, 2004
型にはまる
なんか、僕の心のそこの思想を分かっている人が少ない。

金というような、人が作り出した指標で、目に見える形で他人より優越感を味わうとか、社会(みんな)が作り出したが、みんなが望んでいないくだらない正しさに無理やりあわせる。こんなのどうでもいい。でも、そんなものによりすがって生きている人が多い。僕もまだそんな気持ちがある。

大学はそれらの精神を知ることだと思う。モラトリアムに関するエントリーでも書いたけど、無駄に実学に走ることはない。中学とか高校でもそういうことについて考えてもいいのだが、経験が少なすぎるし、影響を与えすぎて社会で生きていけない人間になりそう。しっかりした教育のもとで行えば問題ないかもしれないが。あと、思うのが、ある種の経験や学びを通した後でしか分からないものがあると思う。物理学を極めそれを踏まえた上で、出てきたものが複雑系ってのと、特に何も学ばず複雑系を学ぶのや考えるのでは意味が違う。物理学を通してからでしか考えれないこと、感じれないことがある。一方でいきなり複雑系をやった人にしか感じない疑問や質感もあると思う。どちらがいいとか、どちらが成功するかは分からない。多様性があった方が、いろいろなアプローチがあるんだから、いろんな人がいた方がいいと思う。これは、学問ではなく世の中のほとんどのことに言えると思う。

上のことを書いたんだが、いいたいことは違う。頭に浮かんでいた感覚と違うことしか表現できなかった。もっと、ナイーブなことをかきたかったんだが。言葉を知らなさ過ぎるのかな。それとももっと考えて時間をかければいいのかもしれない。とりあえず、今は時間がないから、無理。また、考えよう。
やっぱ、将来は坊さんか山奥でくらしたい。

という意味で、木曜日に会う芸大の人は分かっている。

かといって、芸術とか好きなことだけでは生きていけない。自分の本質を見つめて、見つけて、それを踏まえた上で社会に出て行きたい。哲学があれば、社会(みんな)が作り出したが、みんなが望んでいないくだらない正しさに無理やりあわせなくても幸せな人生が送れると思う。

それを踏まえて、社会という現実で生きていければと思っている。くだらない、無駄なもの、俗物に振り回されない生活がどれほど豊なものか。これは計り知れないものだ。

Posted by takeshi at 06:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 29, 2004
自己満足のエッジで生きる
僕は自己満足は生きるうえで最重要だぐらいで言ってきた。自分が納得するということは今でも、もちろん重要だと思う。もっといえば、考え方事態は変わっていないが表現が変わったと思う。で何かというと、完全な自己満足と、自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、意味を言葉として感じたからだ。僕は前から自己満足が最も重要だといってきた、しかし、僕の周りにいる人の目には、僕という人間が完全に自己満足のみという風にはうつっていなかったと思う。少なくとも、そう思っている人がいると、僕は思っている。その点で、今までは、口では自己満足がすべてのような言い方をして、行動・その他の言動などでは、完全にそうなっていなかった。でも、完全なる自己満足と、社会的に意義のある、インパクトのあること(自分の信念を伝える。)の狭間でいることの難しさと意義を言葉として感じた今としては、言葉と行動を一致させる必要があるのかもしれない。行動を言葉に一致させる必要がある。それがまさに「完全な自己満足と、完全な自己満足ではない外部に対して意味のあることの境でいることの難しさ、とその大きな意義」という表現だ。これが行動と似ている。

完全な自己満足を極めるのも難しいが、言ってみれば世捨て人的な、はずれた人といってもいい。具体的に言えば、何かあっても、俺にはどうでもいいことだ、って言ってしまえば、自己満足をベースにする人はすんでしまう。ある種、逃げのようなものが自己満足にはある。一方で、自己満足とそうでない境にいるということは難しい。バランス感覚が非常に重要だ。このポジショニングを取れる人はめったにいないと思う。しかし、非常に重要な人である。自己満足を踏まえ、そうでない外部に対しての意義も踏まえなければならない。どんな問題があっても、それを放り投げることは出来ず、問題と正面から戦わなければならない。しかし、このポジショニングでしか出来ないことがたくさんあるし、僕もそのような立ち位置を目指している。

もちろん、自己満足であるということは重要で、それを踏まえた上での境のポジショニングを取ることの意味を感じた。

みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。これは、僕が前から芸術家だけは自己満足だけでイイといっていたが、この立ち居地を取れる芸術家も非常に面白い存在だと思う。

「みんなに、こうなれといっているわけでなく、コレがベストだとも言っているわけではなく、僕がそうなりたいと思っただけです。」本当はこんなこと書きたくない。理由は2つあって、一つは僕が書くことというのは、僕の考えで、そんでもって「今」の考えだ。だから、何も言わなくても、すべての僕の言葉の前に「僕が今思うのは、」ってことが付くのが当たり前であるからです。2つ目に、言い訳をしているみたい。あらかじめ防御している。それは、めんどくさいことがいやだからリスクヘッジといえばそうだが、なんか個人的に逃げは嫌いだ。昔、どんなことにも例外があると思っていたので僕の発言にはいつも、「基本的には、」って言葉がついていた。しかし、あるとき、そんなの必要ないと思って最近は言っていない。なんかあったときの逃げだと思うからだ。言葉だけだったらいいのだが、その言葉が僕の心のそこにある考えに通じていて、行動にも影響を与えると思う。だから、逃げの言葉は使いたくない。だが、最近書いてしまう。

Posted by takeshi at 10:45 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
どうでも良くないことと、どうでもいいこと
僕にとってはどうでもいいことに関して、興味を持っていたりする人がいる。そりゃ当たり前だし、いた方がいいと思う。ここで言う関心のあるなしの対象は個物具体的なとあるブランドだったり、好きなテレビ番組とかそういうことでは全くない。生きるうえでの話である。これじゃ、曖昧すぎるが、生きるうえで大切にすることってな感じだ。

その人の生きるベースとなるものが安っぽいなという人とは話してこなかった。話そうと思ってはいたが、話してきたとは自分なりに思っていたが、腹を割っては話すことはなかった。僕にとってはどうでもいいことに関してだったからだ。もっと言えば、そのような人間自体に興味を持っていなかった。

しかし、それだけでは足らないと思った。腹を割って話してみて分かることがあるかもしれない。

自己満足と自己満足ではない狭間、エッジを生きる

Posted by takeshi at 10:45 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
岐阜の人たちと
理念や、最終的に達成したいことなどの思想的な面に興味がある。その考えに共感するタイプだ。はっきりいってそれを達成する手段にはそこまで気にしない。理念が達成できるものであるならば、絶対コレでないといけないということはあんまりない気がする。

それに、同じ思いを持っていた、同じような感情を抱いているけどそれを今まで共有できなかったが、共有できたことに喜びを感じた。その人に会えたからというのではなく、感情を共有できたことがうれしかった。

岐阜を出てきた人は、岐阜を見捨てたわけではないが、見切りをつけた人もいれば、外からみるためにって理由もあるだろう。未練があるにしても岐阜にいないわけである。その人たちが本当の意味で岐阜のために何かできるか?やっぱり地理的に岐阜にいないと難しいと思う。それか、東京にいても、覚悟を決めるということが必要だと思う。その活動をメインにおくという覚悟。それぐらいの決断を出来ないと思った。

岐阜の方々と一緒にいて気がついたこと。

実は岐阜を出てきて、岐阜に思いがある人はたくさんいる。
普段はそんなこと言ってなくても、その思いを行動に移していなくてもたくさんいる。
話していて気がついた。

Posted by takeshi at 10:18 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自らの立ち位置
これは難しい。完全に自分の立ち位置というものを自分で決めてしまって、その檻に入ってしまう可能性もある。

しかし、全体を見て、考えるそのうちに立ち位置が見えてくるのかもしれない。その立ち位置を踏まえた上で発言し行動する。それは大きな制約にはならないかもしれない。

自らの立ち位置。コレは難しい。覚悟とか吾人の任務とも関わってくる。

Posted by takeshi at 03:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
覚悟
今日、それは僕にとって面白い日。楽しい。辛くもあるのだが、それだからこそ楽しさがある。自分が何も知らないことを知り、自分が何も考えていないことを知り、自分とは全く違った考えを聞ける。こんな機会を持てた僕は、自分でも幸せだと思う。大学のうちにもてたのも非常にうれしい。

前にも書いたと思うが、(草稿のままの可能性あり)「覚悟」これが重要なポイントになってくると思う。それは人生においてだ。これは他人から見てもなんとなく感じるものかも知れないが、やっぱり本人だけしか分からない。人生において、いつ「覚悟」を決めるか。とある同じ道を選択した、二人がいたとしても、片方は覚悟していて、片方は覚悟してないこともある。覚悟というのは単純に行動として現れるものでもないと思う。日常の些細なこと、考えの根底には覚悟が大きな影響を与えると思うが。

で、この「覚悟」をいつするかってのが人生でポイントになると思う。早く覚悟したからいいとも思わないし、一生覚悟できなかったから悪いとも思わない。しかし、僕の人生には「覚悟」することが必要だと思うし、覚悟したいと思っている。それでしか、見えないものがあると思う。覚悟というのは吾人の任務とも大きな関係があると思っている。

覚悟する日まで。

Posted by takeshi at 03:18 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
なんとも言いがたい
本質、なんてない。ブランド物をまとっていることだけでしか自分を表現できない人。この表現は完全に否定的な表現だ。僕はこういう人たちをあまりたいした人間とは思っていない。基本的に十人十色って考え方だから、そういう人がいることも分かるし、いてもイイと思っている。でも、僕の中では安っぽいとか思っているけど、実はそう簡単に言い切れない。
同じにおいのする人、なんか通じる人。この人は分かってる。そう感じる人が何人かいる。

酒が飲めるとかいう歌があった、月曜日は何チャラで酒が飲める、火曜日は何チャラでって感じで。僕の言いたいのはこの歌と正反対のような人を同じにおいのする人といっている。というのも、なんかイベントだとかプロジェクトだとか組織だとか、それらにかこつけないと一緒にいられないような仲ではなく何もないのに一緒に入れる仲の人は比較的通じている人なのだと思う。

具体的にこの条件を満たしているとかそういうことではない。
Posted by takeshi at 03:06 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 27, 2004
二郎
ラーメン二郎というお店が大学の横にある。支店もいくつかあるのだが、大学の近くにあるのは本店。川崎とか武蔵小杉などにも行ったことはあるがやはり本店がうまいです。

うまいという表現を使うと、お前はおかしいといわれそうですが、まあ気にしません。特にスープがうまいです。そんなラーメン二郎とはこんなものです。←をクリックするとグーグルのイメージ検索の結果が出ます。

この二郎が気合はいってます。>←をクリックするべし。あの盛り付けはある種の芸術です。器からこぼれない限界。なんて美しい。笑

で、このラーメンは一回食べると病み付きになります。何でかは分からないんですけど。じゃあ、きれいでうまいかと言うと、単純にそうでもない。ただ安いことは確かです。でも、安さだけで、あれだけ並びません。昼間なら2,30人並んでいます。やっぱ病み付きになる味という表現が一番的確です。もちろん病み付きにならず、一生に一回の経験でいいという人もいます。

で、何で二郎にひきつけられるかといったら、あの安さ、ボリューム、ネタっぽさ、わが道を貫く精神でしょうな。500円で普通の人なら食べきれない量があります。豚肉も分厚くてうまい、野菜の量や親父さんのキャラはネタっぽいです。店の汚さや壁に貼っていある二郎の家訓っぽいものもネタです。で、ここまでに書いてきたことは、わが道を行く精神に尽きます。きれいでおしゃれなラーメン屋が雑誌で紹介されテレビで紹介されもてはやされる、若いカッコイイ店長がいる、スープはなんか知らんが流行の味で、トッピングと称していろいろのっける。蓮華とか言う必要のないものが付いてくる。そんな安っぽさはない、迎合しない感じ。それが二郎にはあるのです。そこに、惹かれるのだろう。

二郎のことをほめすぎましたかね。でも、相当賛否両論あると思いますが一回は行くべきです。もし行きたい人がいたら、一緒に行きましょう。平日の12時ぐらいまでに連絡をもらえればいけると思います。それかPCにメールでもください。
まあ、このブログからのみ知る私と、実際に会ったときに持つ印象はかなり違うと思いますよ。

Posted by takeshi at 06:02 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
ゴッゴル
ゴッゴル の検索結果 約 114,000 件中 1 – 100 件目 (0.20 秒)

正直、驚きです。2004 年 10 月 17 日 から始まっただけなのに、たった十日で114,000 件のヒット。

ゴッゴルという何の意味もない単語をgoogle.co.jpで検索してトップに来るのを競っているのです。それでそのランキングコンテストが17日に始まって10日でgoogle.co.jpで114,000 件のヒット。ネットってパワーありますね。一人一人がやったことをみんなが見れる。こんなメディアは他にないからなぁ。

ゴッゴルゴッゴル・・・って下痢になって腹がなっているみたいな音だ。

ゴッゴルとgoogle.co.jpで検索。

 

第 1 回 SEO コンテスト

Posted by takeshi at 05:10 AM | コメント (221) | トラックバック (16)|
友情が生まれるプロセス。
友達の条件

・ひとつのプロジェクトをみんなで魂を注ぎ込んで達成したとき
・人生や社会問題ついて正直に朝まで語り合う
・恥ずかしい、あほなことを共に出来る
・自分の本心を相手に伝える(感性があっている)
・お互い無言でいても違和感のない人(ネタを考えて話そうとしなくていい雰囲気を作り出しあえる人)

僕は、自らメールを送ったりメッセで話しかけたり電話をしたり直接会うということは少ない。別に特に理由はないのだがあまりそういうことはない。それでも、連絡をくれる人はいる。ありがたい。薄っぺらい友達関係はあまり興味がない(そういうこというと友達なくします。笑

でも、何人かは自分と同人種とかんじたり、この人は人生や世の中分かってるな、この人俺のこと分かっている、なんとなくあうという人がいる。それは、連絡する頻度だったり、会う回数じゃないと思う。2,3度しかあっていない人でもそう思う人も何人かいる。

Posted by takeshi at 03:30 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
最近やっと分かる気持ち
最近、やっと分かる気持ちがある。それは昔大人が言っていたことで全く分からなかった感覚。年や経験をつまなければ分からない感覚とはあるものなのだなぁ。

たとえば、親が叱るのは子どもがかわいいからというやつです。昔は分からなかったなぁ。今となってはすごく分かる。本当に大切な友達だったら、真剣におかしいことがあったら怒ってでもいってあげる。まあ、コレは一例で、僕の言いたい本質ではないんですけど。

絶対違っていると思っていた、自分は未熟だったのだ。

時が経たないと分からない感覚。もっともっとあるのだろう。また、時が経ち先人が教えてくれた感覚を味わえるのが楽しみだ。
あと、いつも言っているんですけど、僕は具体例は仕方ないから使っているのです。僕の言いたいことはだいたいもっと曖昧なことです。僕の思っている何かは抽象的な思い・考え・感じることです。でも、それを体で表現したり、絵で表現したり、詩や歌で表現する手段を持っていない。持っているかもしれないが、自分では自分が行うそれらで伝わるとは思えていない。だから僕は、具体例や言葉で表す。僕が今もっている手段ではそれが一番伝わりやすいと思っているからだ。

そもそも、相手の言っていることを理解することなんて本当は出来ないのだろう。僕がうまれて育ってきた環境、体験したこと、出会った人、親友は僕にためだけにあったものであり、他の人は絶対感じれなかったものだ。まあ、生まれた時点で個体として別なんで、その時点でも絶対体験できないんですけど。それで、僕という人間が唯一の存在で、この経験をしたから感じることがある。他の人には全く分からない感覚。ある部分は共有できても完全には出来ない。とある二人が同じ文章を偶然、奇跡的に書いたとしても、心の中で言いたかったことは全く違うはずである。言葉の意味だって人それぞれ捕らえ方が違う。「腹が減った」という言葉でも、人それぞれどの具合から減ったと表現するかは違うし、その状況によっても違う。たくさん食べて腹が満たされることを腹が減ったという人はほとんどいないと思うが、同じ単語でもそれぐらいの差がある場合もあると思う。認識の違う単語なら、辞書とかで意味を共有すれば言いといっても、辞書に書かれた説明に使われている単語にたいする感覚も違う。当たり前なんですけど、ブログのエントリーを見て思いました。それでも、通じる人がいるのも事実で、それは僕にとってうれしいことだ。本当に通じているかどうかは確証はもてないが、そう感じることがある。
聴衆からの拍手。これを歌う源泉としている人がいた。楽器をやる人や歌う人には多いみたいだ。絵などの芸術と違い、人の前でやることであるから、拍手が源泉となっているのだろう。ドラマは出ないけど、舞台はやるという人はこの拍手がモチベーションの大元となっているのだろう。で、僕は、聞いた。拍手をもらう経験を何度もしたら、自分を突き動かすものとしての力が小さくなるのではないか?と。しかし、コレは違うらしい。全く、小さくならないようだ。そんなちゃっちい物ではないみたいだ。正直、ショックを受けた。人間同じことを繰り返せば、あまり衝撃を受けなくなったり、当たり前のものになれば何かを感じにくくなるものだという認識が僕の今までの人生ではあった。しかし、そんなものではないみたいだ。僕が言っている、信念とか、あるものに対する思いというのはそのような境地に達してこそ感じられるものなのかもしれない。僕も、いろいろなことを経験したり、感じたり、考えたりするうちに、そのようなものを見つけたいと思っている。

Posted by takeshi at 02:58 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
国谷さん講演-インタビューの心得-
この前、大学で国谷さんの講演があった。クローズアップ現代のキャスターさんだ。

テレビで見ていてもいかにも頭のいいキャラ。オーラが出ている感じの人。仕事が出来そうで、キャリアウーマンを目指す女の人の憧れっぽいキャラ。僕にはそううっていました。その人が大学に来たのです。時間もあったので、行って見ました。すると、会場は人であふれかえっていた。正直驚きました。失礼な話なんですけど、そこまで有名じゃないと思っていたので最近の若い学生は見向きもしないかと思っていました。僕の若者を見る目もたいしたことはないなぁ。

目盛ったことを列挙します。
何度も言っていますけどブログは僕のためだけのメモです。別に誰かに読んでほしいから書いているわけではありません。だから誤字脱字が多いし、日本語も下手で、改行もありません。しかし、僕にだけは僕が書いた文章からそれの持つ質感が伝わってくるのです。何でブログかって言うと、デジタルで残すと便利でPCにデータとして残す、じゃあついでなんでブログにアップしようと。ブログは外部からでも検索できるし便利なのです。そんな感じです。別に人気ブログにしようとか全く思ってません。だから、本名も身分も何も書いてないのです。そんなことはどうでもいいので、メモ開始。

PCを感性を伝えるツールにしたい
世界に自分のアイディアを広めたいと思いで起業 ジョブズ
鳥肌の出る感動 高倉健
自分の限界は自分が作っている フィオリーナ
自分に親切にする=自分にチャンスを与える アキヨシ・ピアニスト

フィオリーナ(HP社長)の強み コミュニケーション力=多くの聴衆の前で話していても一人一人に語りかけているように話が出来る。パッションを持ったコミュニケーション力

インタビューに準備をしなかったら相手にばれて、深い話が出来ない。インタビューは真剣勝負であり、準備が必須。そして相手と同じ土俵に立つ。しかし、準備通りにインタビューするのは不可能である。質問などはあらかじめ考えたり、インタビューの流れを想定するが、その場の実際の話の流れを最も重要視すべき。その人の本質をその場でつかみ話す。

下調べはするが、インタビューではいったんそれを忘れてインタビューする。

ゴーン(日産社長)の話
曖昧な言葉で質問すると、曖昧な言葉でしか答えが返ってこない。性格で具体的な質問をすると、性格で具体的な答えが返ってくる。その答えには責任が付いてくる。(ゴーンは言葉の壁があるから、少ない質問で本質をつかむ必要がある。)会議の前に言葉の定義を行う。

会議の進行役のプロを育てる。フェアな議事進行。

ジャーナリズムとは常に批判的な質問をすること=どんな人、たとえ老人であろうと確認作業をするのだ。

キャリア 自分で自分の道を見つける。
昔の日本人は会社で育ててくれた、だから今の大人は自分の人生なんて考えていない。今の若者もそう教育されていないから考えられるはずがない。社会情勢がキャリアについて考える必要性を唱えているだけ。大卒で分かるはずがない。8年かかってキャスターという仕事に出会えた。

自分を鍛えてくれる。育ててくれる、考えるチャンス、チャレンジできる職場がファーストキャリアにはよい。自分が本当にやりたいことでなくてもとりあえずやってみる。

インタビューの準備で気を使うことは?
幅広く読んだり聞いたりする。直近の出来事は必ずチェック、絶対抑えるポイントを考える。それ以外は生きてきた全体像を考える。人生で一番楽しそうなときを想像する。インタビューする人に関心を持つ。その関心をいろいろな角度から質問。

関心がわかないときは、その人について調べることによってモチベーションをあげる。情熱をもてなければ普段の何倍も時間をかける。

インビューの前は話がちぐはぐになったらと恐怖感・緊張感がある。毎日それをクリアしている。

多角的な視点で伝える。
Posted by takeshi at 01:44 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
頭のいい奴=偏見のある奴
頭のいい奴は偏見がある。コレはフィーリングで言っているのではなく、それなりの理由がある。別に完全に悪い意味で言っているわけではないが、頭がいいといわれてそれだけで満足して、見落としがちな面を言いたいだけである。

ここで言う頭がいいとは、会話をしていていろいろな知識を持っていたり、的確な返答をする才能がある人のことです。

で、こういう頭のいい人はなんで的確な返答が出来るか?それは幅広く深い知識と、さまざまな経験、常に頭を働かせ考えている、自分の考えをまとめていたり、話したりしているからだと思います。さらに、相手の次の発言を相手の知識・思考を踏まえた上で予想しているから。コレ自体はどれも悪いことではないし、むしろすばらしいことだと思うのです。こうしているから話がスムースに進むのだし。だから頭がいいとほめられるのだし。

しかし、これらは偏見に満ちている。というのも、知識がある、コレじたい偏見であふれかえっている。何かを知るということは、自分なりに解釈するわけです。その解釈にはバイアスが入る。で、頭がよいとされる人たちの頭の中は整理されていると思うのです。話しているときに、話題に対してすぐに脳から知識を引き出してこれる、そのためには分類訳して脳の中に記憶している。そう思うわけです。意識的にやっていなくても、そうなっている可能性があると思う。で、分類して記憶しているってのは偏見が生まれるのです。すべてのことはそんなにうまく分類訳できません。ここで無理やり分類しているので間違った記憶というか、偏見、バイアス、そんな感じのものが生まれると思うのです。

さらに、相手の言うことの先読みをする、すると返事が的確になったり、すばやく返事できるわけです。しかし、それは相手をこんな人間だと決めてかかっているからそのような先読みが可能なわけです。ここでも偏見が生まれるわけです。とまあ、頭のいい人といわれる人の会話における思考には偏見が生まれやすいとそう思ったので、気をつけましょうと。

ようは、頭がいいといわれる人は物事を一面的に捉えたり、無理やり枠にはめて捉えたり、むりやり分類して記憶していることがある。それは偏見につながることがあるから、常に意識しているといいかなぁと思っただけです。

僕がいつもエントリーしていることは、他人に言いたいから書いているのではなく、自分で書いて自分を戒めているのです。それか、自分の記憶とそのときの感覚を取り戻すメモです。別に僕はこのエントリーで書いた頭のいい奴ではないけど。

Posted by takeshi at 01:18 AM | コメント (15) | トラックバック (3)|
October 26, 2004

脳が動いている感覚?

なんか考えたり、イメージを想像するときって脳が働いている感覚がありませんか?それは、実際に脳が活動しているからそれを細胞が感じ取って脳が働いていると感じるのか、人間は脳で物事を考えると知っているから、その知識から脳が働いていると感じているのか?はたまた、物を見るときのような映像を見る感じが起こっている?コレ意味が分からないと思うんですけど、僕が言いたいことは、人間が物を見るというのは目だけで行っていない。目からは情報を得ているだけで実際は脳で見ている。だから目がなくても見ること(≒想像)はできるわけです。で、この見ているときの脳の状態が起こっているから、見えているから脳で考えていると感じるのかな?

よく分からないけど、素朴な疑問だなぁ。

Posted by takeshi at 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ペンキってそんなに重いのかぁ
 購入したのは米ボーイング747-400F型。胴体にペンキを塗らないと従来より約150キロ軽くなり、1年で羽田-札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約できるという。
塗装をしていない飛行機はケッコウかっこいいです。それよりも塗装しないだけで150kgも軽くなるらしい。飛行機に塗装するペンキの量は150kgなのかと驚く。150kg軽量化しただけで、1年で羽田-札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約出来るのも驚き。多分、1年間この貨物を通常のフライト数で計算して4万リットル節約できるんだろう。

となると、デブな人が乗ると相当燃料使うのだな。荷物で重量オーバーで追加料金があるのも重量に燃料の消費量がケッコウ影響するから。じゃあ、体重の重い人からも追加料金ってね。冗談抜きでそんなことも考えられるよな。

客が全員「小錦」だったら日本からノンストップでイギリスとかいけなさそう。誰かそんな試算していないかなぁ。
原油価格高騰の中、日航は機体の白い塗装を省くことで軽量化し燃料を節約しようと、無塗装の貨物機を購入。16日、腐食防止や光沢の維持のため機体表面を磨く作業を、成田空港の整備場で始めた。
 購入したのは米ボーイング747-400F型。胴体にペンキを塗らないと従来より約150キロ軽くなり、1年で羽田-札幌往復分にあたる約4万リットルの燃料が節約できるという。
 作業は機械を使って、アルミ材の表面を磨き上げ、表面にできる酸化被膜で腐食を防ぐ。作業終了後の25日にはピカピカに輝く機体が、関西空港への初フライトに臨む予定だ。
(共同通信) – 10月16日17時10分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041016-00000092-kyodo-soci

http://www.jal.co.jp/press/2004/100101/100101.html

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October 25, 2004
人体通信

「人体通信」の実用化に成功
手を触れるだけでデータ通信する「タッチ通信システム」販売開始

松下がこんなものを売り始めた。体脂肪計ぐらいの電流が流れるだけらしい。WBSでやっていた。8人ぐらい手をつないでも問題なく使えていた。これも面白い技術で、ライフスタイルを変えるかもな。コレを使ったらどんな生活になるのか、どんなビジネスができるのか想像してみる。

明らかにめんどくさいこととかをコレで簡単に出来るといいねぇ。でも、味気ないかもね。なんか人間って目に見えるから落ち着いたり、何かをもらったという満足をしたりするから。だから、インターフェイスを工夫するとか、エンターテイメント性を加えるとか、わざと目に見えるものを動かすようにするとか。

RFIDとか携帯にカードが全部入っちゃたり、カメラが付いて、ICレコーダーが付いて、まあ、PDAッぽくなって定額になる。ああ、文字入力のブレイクスルーも必要。フェリカ(お財布ケータイ)がPCで手軽に使えるようになったり、そうすればインターネットにおける決済が楽になる。するとオンラインショッピングのあり方がかわる。人体通信で握手するだけでデータのやり取りが出来たり、物が注文できたり。

この上の文章は日本語がおかしいけど、まあそれはおいといて。これらのことは3年以内には実現化しているから、面白い世の中になっているだろうなー。それを見据えた上で行動するんですよね。
http://www.mew.co.jp/press/0409/0409-3.htm

 松下電工株式会社は、人体を通信ケーブルの代わりに利用して、近距離のデータ通信をおこなう「人体通信」の実用化に成功。対面販売計量プリンタへの商品データ入力装置として、計量器メーカーへの販売を開始しました。
  この「タッチ通信システム」は、人体に微弱な電流(交流)を流し、その電流にデータ(情報)をのせることで通信を実現する新しい通信方式で、腕時計型などの通信機を着けた手で情報端末の電極にタッチするだけで、データ通信が可能です。また、専用チップを用いた小型化タイプでは、人―機器間だけでなく、人体―人体間の通信も可能です。今後、この技術を応用した新しいシステムを展開します。
Posted by takeshi at 11:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
覚悟
理念とか、思想、何をやりたいか、最終的に何を達成したいか、どんな幹事のものを望むかということが僕の中では大切で、そのプロセスや手段にはあまり興味がない。最終的なゴールが達成されるなら、その手段はどのようなものであろうと、楽しめるし一生懸命取り組める。

自分と同じ気持ちを持っている人がいることに喜びを感じる。同じ体験をした人がいるとうれしい。思いの共有はうれしいものだ。

世の中なんか達成しようとしたら「覚悟」がいる。人生「覚悟」出来る奴と出来ない奴で全く違う。

人間は2種類、覚悟した奴と、覚悟できない奴。覚悟した奴の発揮するパワーは並大抵のものじゃない。失うものがない感じで。自分の吾人の任務を達成するためには覚悟がいる。まずは覚悟を決めてそれを探さないと。

僕は、相手の心理を察知するのが得意なようだ。

Posted by takeshi at 09:48 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
岐阜に一万人移住
前から思っていたのだが、岐阜を活気のある町にする方法はいっきに1万人移住すること。別にふざけていっているわけじゃなくて、それが早くて簡単な方法だと思うのです。

世界中で、いろいろな分野で活躍している人。ビジネスマン、芸術家、教育者、政治家、料理人、どんな職業でもいいんですけどね。岐阜出身で優秀な人はいくらでもいるわけです。その人の多くは岐阜から出て行く。岐阜に未練を残しながら。

岐阜に戻ってもいいなと思っていても、一人で戻っても職もないし、面白くて有能な奴も少ない。と思っているだろう。じゃあ、みんなで岐阜に戻れば面白そうジャン。一気に1万人ぐらい。そうしたら、赤信号みんなでわたれば怖くない理論でみんな岐阜に来るだろう。1万人ぐらい増えてもマンションや家ぐらいあるし。問題ない。

1万人も岐阜に一気に戻るって話になれば、面白そうと思って岐阜出身じゃなくても岐阜に便乗してくる人も増えるだろう。

そして、新たなことが岐阜で生まれて、岐阜に元気が出る。
長期的には岐阜のブランドをどうやって高めるか。何を売りにするか。だろうな。

こんなことを話したら、驚かれた。僕の中ではコレしかないと思ってたから以外だった。

土曜日の夜も、日曜日も面白い話が出来ました。

いやー、10年後とかが楽しみでしょうがない。社会がどうなっているのかとか自分がどうなっているのか、今の仲間がどうなっているのか。想像するだけでワクワクするは~。

Posted by takeshi at 09:38 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
October 22, 2004
Motivation and Personality
マズローの
人間の行動を規定する7つの基本的欲求

・Physiological(homeostatic) needs : 生体学的欲求
・Safety and security needs : 安全・保障に対する欲求
・Love and belonging needs : 愛し、愛されたいという欲求
・Esteem needs : 尊敬され社会的評価を受けたいという欲求
・Needs for self-actualization : 自己の潜在能力の体現化に対する欲求
・Needs to know and to understand : 未知のものを知り理解する欲求
・Esthetic needs : 美的なものに対する欲求

よく聞く話だけど、さあ、俺はどんな感じの配分だろうなー。と改めて思う。

これは、孤高の挑戦者たち-バッテル研究所‐現代のピタゴラス集団という本を見ていて書いてあったから乗っけてみた。この本は梅田さんのブログで知る。確かに、ここに出てくる人はすごい人ばかりだ。仕事人って感じ。相当個性的な仕事の仕方をしている、孤高というだけあって一匹狼的な仕事スタイル。そんでもって、頭がいいことは確かだろう。そうと仕事が出来る人たちの集団みたいだ。みんな給料が下がってもキャリアアップだとか、仕事環境のよさ、などで選んでいる。

多くの紹介がされていたが、あまりこの本にぴんと来なかった、紹介される人がすごいなと思ったぐらい。それは、期待しすぎて読んだからなのかも、時代が違うから仕事感も異なっているなのかは分からない。

結局は自分が納得するかどうか。すべての物事、物の見方、自分の物の考え方捕らえ方はそこに尽きると思うわけです。

私は、彼らとの出会いをどうしても書きとどめておきたかった。それは個人の日記という意味においてではない。自己に対する挑戦とは、決して格好のいい事ではなく、何度もキズつきそして泥まみれになる事であり、そこにはどんなプロフェッショナルも避けては通る事の出来ない「這い上がりのプロセス」がある。そしてこの「這い上がりのプロセス」というレンズを通して見る限り、そこには国籍の境界線はない。その発見の喜びを記すためにである。
未来のいつか/hyoshiokの日記

孤高の挑戦者たち―バッテル研究所‐現代のピタゴラス集団
 今北 純一

日本経済新聞社
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Posted by takeshi at 01:55 AM | コメント (182) | トラックバック (0)|
自らを紹介できる
自分のやっていることを誇りを持って紹介できる、これってかっこいい。
こうなっていれば、(自然に紹介していれば)その時、僕の理想となっているのだろう。

自分のやっていることに自信があって、面白くって、ワクワクしていて、満足している。だから自分のやっていることや組織を紹介できるし、そのイベントにも誘えるのだと思う。

まあ、うざくない程度に紹介するのがポイントです。

Posted by takeshi at 12:04 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 21, 2004
いやはや
口で話してるってことは、それの10倍は考えているんだよな。すごい。

本当に、自分の薄っぺらさに気づかされます。何も知らないし、何も考えてない、生きる信念・理念もない、俺って対したことないな。今日は息が詰まるほど自分の薄っぺらさを感じさせられた。自分の能力が足りないと思うときはいくらでもあるんだけど、小手先の技が出来なくて感じるんじゃなくて、本質的に自分の思考レベルが足りない、と感じさせられた。

あらゆることを学び 自分に正直に徹底的に考え 専門分野をもち 自分の真となる考えをもち 何かあったら常に考え 先を読み 一つのことだけで考えを終わらせるのではなく、他のこととの関連性を含めて考え 自分の考えをノートにまとめる 専門とビジョンの確立 権威にゲイゴウしない理念 思考をストップさせない 教育実習

とりあえず、かみ合った話が出来るまで鍛えます。

Posted by takeshi at 10:00 PM | コメント (7) | トラックバック (0)|
5,6年
5,6年。

中学を卒業してからこれぐらい経ったのだ。
当たり前だけど、文字で見るとまた違った印象を得る。

5もう,6も経ったのかという気持ちと、まだ5,6年しかという気持ち。

中学までは精神的経験が多いと思う、そこまでの間に人間のコアが出来ると思う。高校大学は目に見える実際の物質的経験が多いような気がする。精神的なものから言えば、もう5年もたった。物質的な経験から言えば、まだ5年しか。なのだろうと思った。

幼少期の精神的経験をなくして、物質的経験だけしても、滑り台をすべるようなものだ。上滑りだけで、本質は何も捉えていないが、高いところから滑り落ちるスピードやスリルを盲目的に味わう。僕はそのようなことに意味を感じない。

福澤諭吉が文明論の概略で言っていたが精神を後回しにして、外国の文明を持ち込むのは順序が逆だ。精神のほうが浸透させるのに難しい。といったことと似ているだろう。

Posted by takeshi at 12:54 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
笑み
なんか、真っ暗な風呂でふと思う。
10年後の俺ってどうなってんだろう?どうなってるか全く分からないんだけど、なんか10年後の自分を想像すると笑みがこぼれる。それは輝かしい未来があるとか、有名になっているとか、何か成し遂げたとかじゃ全くなくて、タダ単にほんわかした笑みがこぼれる。

10年後の自分を決めるのも自分な訳で、自分がどうするかで大きくは方向性を決めれる。でも、10年後なんてどうするか決めてないし、わかんないと思っている。なのに笑みがこぼれるのはなぜだろう。

この10年の直感の積み重ねがどうなるかを楽しみにしているのか?

自分のことを他人のように見ている自分がいる。
この余裕というかゆとりは何だろう?

まさにホムンクルス的感覚だな。
なんか、興奮すると、いわゆる安っぽいこと、青臭いことを書いてしまう。そういうことを子どもだなとよく馬鹿にする人がいるんですけど。その気持ちを失ったら人生楽しめない。ワクワク出来ない。と思うんですけど。

Posted by takeshi at 12:31 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
分かっている奴
分かっている奴は分かっている。

これに尽きる。

よく会うとか、よく連絡を取る、こんなの関係ないなぁ。
細かいこと抜きにして分かる奴は分かる。

また、家に帰ったら書くかも。
とりあえず、木曜日という日をすごしてくる。

世親と無著にあってくる。

Posted by takeshi at 11:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
直感は体験から生まれる
東大で部活をしていた人を企業は好んで採用したと聞いたことがある。今でもその名残があるみたいだ。

僕は、これはおかしいといってきた。だって、能力関係なく東大+部活で採用するのはおかしい。能力を見て採用するべきだと思ってきたから。(まあ、能力なんて判断できないという問題もありますが。。。)確かに、部活で絶対的な服従とか規律、礼儀などを学んで、既存の上下関係がある大きな組織ではうまく働いたかもしれないとは思っていたが、その程度だった。

でも、違うかもと思いました。体を動かすことで、頭が良くなる。これはあると思う。頭が良くなるというか、体全身を動かすことでしか身につけることができない、直感などがあると思う。これは仕事の上でも役立つのではないかと思った。イギリスでパブリックスクール、いわゆるエリート校がスポーツを重視しているのも、体を動かすことによって脳が活性化されるからみたいだ。

もっと、自分で納得がいったのは、自分自身の考え方が実はこれと通じるところがあったからだ。僕はかねてから旅をすると瞬時の判断力が付くとか、人を感覚的に見抜く能力が付くとか言ってきた。日常とは違う状況で体全身を動かし、体全身で感じる。この行為によって入ってくる情報を脳は処理しているのだ。これらの体験を積み重ねることによって論理的には説明できない、感覚が身に付く。これによって脳が活性化される。この感覚や自然と活性化された脳は仕事でも役に立つのだろう。簡単に言えば運動部の人にとっての部活は僕にとっての旅だったみたいだ。

Posted by takeshi at 12:32 AM | コメント (4) | トラックバック (0)|
October 19, 2004
ボディ
体に関する関心はインターネットに関係する

視点・論点 ボディーイメージ 茂木健一郎ソニーコンピューターサイエンス研究所

体を鍛える=脳を鍛える

体をコントロールするための情報表現

ボディーシェーマ 体を制御する無意識のプロセス
ボディーイメージ 体を制御する意識的なプロセス

体を動かすには道具をうまく使う必要がある。道具も自分の身体の一部と考えて、進化してきた。

インターネットという道具をどのように使うか。インターネット上の情報にもボディーイメージ。オンライン対極の囲碁で、対戦相手を待つときにどきどき。これはボディーイメージ。

ボディーイメージを拡張。イチローがバッターボックスでバットをぐるぐる回す。
判断力、直感、脳と体の結びつき、ボディーイメージを鍛えることで想像力を鍛える。
イギリスではパブリックスクール(エリート学校)スポーツを重視してきた。判断力など鍛えられる。

スポーツを通して鍛えられる、脳と体の虫日月で刺激される。
体を動かして、予想と外れたことが起こると、直観力が鍛えられる。
スポーツをすることは、高度な認知能力を鍛える。

Posted by takeshi at 11:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
イチロー
またもイチロー。ふと思った。

イチローが最下位のチームで今回の最多安打記録を達成したことに意味がある。そう言っていた。そりゃそうだ。と思っていた。で、またそれを考えると、改めてすごいなと思った。

最下位のチームの中でみんなやる気がない、優勝もタイトルもあきらめている。回りがそんな状態だと自分にも影響される。やる気がなくなる。そんな中にいても、イチローは自分の精神をコントロールし、一歩一歩前に進めた。決して周りに流されることなく、やる気をなくすことなく。この精神状態を保つのは並大抵の人間じゃ出来ない。やる気のなく能力のないチームで一人だけモチベーションを保ち結果を出す。まさに行き着く境地。周りに左右されない。達観している。イチロー恐るべし。本物のプロフェッショナルだ。
いつも書きたいことはたくさんあるけど、忘れたり、めんどくさくてやめたり、、、ノートにメモっただけとか、携帯でメールをメモとして送っただけという記事がたくさんある。小さくて、キボードがついてる、機能はテキストエディタと常時メールが送れるメール送信。こんなデバイスがほしい。
あと、良かったエントリーのランキングでも作りたいな。

Posted by takeshi at 07:25 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
イチロー:NHKスペシャルを見て
イチロー新記録を語る

一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。

開幕
3月いつもと違うシーズンになるかもと予感はしていた。4年目にしてレギュラーポジションはあると思えた。3年目までは春に失敗するとレギュラー落ちするという不安があった。開幕後波に乗れず。4月の打率2割55厘。マスコミもバッシング。イチローは4月の打率低迷は気にしていなかった。納得のことだった。シーズンの実践でないと感覚はつかめない。オープン戦ではつかめないものがある。4月はシーズンの感覚をつかむ調整期間と初めから考えていた。5月、月間50本。3年ぶり。しかし、納得はしていなかった。調子はそこまで良くないのに打ててしまった。感覚を失っているのに好調で違和感。逆に調子は悪くても納得する。96年も首位打者だったが、苦しんだ。このときは退化していたがヒットが出てしまう。出るはずがないのにヒットが出るこれを絶好調という。スランプのときにしか絶好調は来ない。

日米通算2000本の時には笑顔がなかった。ここまでには、はるかに多い凡打があり、悔しんできた。7月、月間50安打。5月の50本とは全く違う感覚だった。納得できるヒット=必然のヒット。打つべくして打つヒット、説明できる、理由付けできるヒット。わざと詰まらせてヒットにすることもあるが、見ている人は詰まらせたけど偶然ヒットになったと捕らえることもある。5月と7月の変化は、明かさない。全部言うと面白くない。バッティングフォームそのものに関わること。子どものときの感覚に近い感じがする。そんなバッティングスタイル。たどり着いた感覚は少年時代の感覚。

苦手投手の攻略がおおきなポイント。ボールが語りかけてくるピッチャーアスレチックス・ハドソン投手。他のバッターに対する球と自分に対する球が違うときワクワク。8月56本。自己最多。8月26日、ロイヤルズ戦、200本安打。4年連続200本安打をホームランで達成。

シスラーはイチローのヒットのおかげで表舞台に立つ。1973年シスラーは亡くなった。その年にイチローは生まれた。イチローは野球の魅力はホームランだけではないことを知らしめた。シカゴで5打数5安打を打ったときに記録もかかっていなかったのにスタンディングオベーション、自分にかどうかさえ不安になった。アメリカ中の注目を浴び、重圧を感じ始めた。9月21日、エンジェル戦12試合19本。このとき10試合で4試合ノーヒット。ヒット一本が出ないことがものすごい大きいこと。ヒット一本出ることがものすごい大きいこと。このときは、、、、、、あれだけ気持ちが揺れ動くことはめったにない。一打席打っただけで可能性が見えていく、一打席凡退しただけで可能性が減っていく。
10試合で10本に。このとき、可能性を強く感じた。5安打、4安打がすべてった。残り4試合2本atオークランド。このときに記録を達成したかった。シアトルは地元でプレッシャーが強くなる。あと、一本のプレッシャーを感じていた。200安打を前に12打席連続ノーヒット。

プレッシャーをはねのける方法なんてない。プレッシャーを背負ってプレーするしかない。自分自身で解き放つしかない。10月1日、シアトル、最後の3連戦。4万5千人。セーフコフィールド。一回裏第一打席。イチローコール。4級目。257本目のヒット。シスラーと並ぶ。しかし、笑顔はなかった。まだタイだからどうしてももう一本打ちたかった。第2打席、258本。チームメイトが球状に出てきてくれたことは特別なことだった。84年の歴史が変わったボール、日々重くなっていくでしょうね。本当はこのまま野球をやめたい、どんなに楽だろう。この数字を目標にというのはとても出来ない。数字だけでは荷ですけれども、野球選手としての能力もですけど、細かいことを積み重ねることでしか頂上にはいけない。それ以外の方法はない。

最終戦、最後の打席、ヒット262

野球がうまくなりたい。そういう実感が持てたらうれしい。それは数字には表れずらいですけど、自分だけで味わいたい。そうやって前に進む気持ちがあれば、ベストに近づけていく。
「結局、ひとつひとつ、小さいことの積み重ねなんですよね」
「いきなり頂点に立つことはできない」

Posted by takeshi at 12:29 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
日本も景気回復かねぇ?
なんか、最近外国から注目企業のトップが日本に来日している。それもけっこう多い気がする。ハイアールニしろ、googleにしろ、シーメンスにしろ。GEのイメルトもきてたし。大きくニュースになった人もならなかった人も含め。会議があったにしろ何にしろ、今の時期に日本に来たにはそれなりの理由があるだろう。

日本の携帯とかブロードバンドとかの単体の技術・マーケットに興味があるとか、世界の他地域の景気の問題とかもあるだろうけど、日本の景気が今後回復していくとふんで、その前に日本を自らの目で確かめようとか思っているのかなと思ったりしました。感覚的にネ。

Posted by takeshi at 12:13 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
October 18, 2004
分析
何か問題にぶち当たったら、その時思ったこと、感じたこと、どうすれば解決できるかを思うがままに列挙する。その後、問題解決のためのコンサルが利用するツールを利用する。こうすることによって、直感的な解決方法と、ツールを使った論理的な解決方法両方を行える。

Posted by takeshi at 07:54 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
自分の将来
何かやりたいことを見付けると外に外に向かってきた。大学のとある友達はある範囲内で固定の枠組みのなかで何かしようとしてきた!俺の強みは心から湧き出てくるモノに沿って自ら外へも求めに行く 起業、芸大、海外、gnet ディべでは指導者がいなく自ら学び方を学び、外に出ていき実体験として学んだ、体に染み付いた 
ゼミ選び失敗 仲間の能力モチべ低い あまり調べなかったし、噂なんて気にしなかった。大学外で見付ければいいと思ったが自分の活動組織で妥協は良くない しかし入ると物足りない しかしそう気付かせてくれたねは良かった で梅田さんの言うバンテージポイントの良い場所に行きたい 面白く優秀な奴が多いとこでは新しいモノも見えるし新しいモノも生まれる
Posted by takeshi at 07:09 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
見えない大陸
直感は経験に基づく 未知なるものを求める性格がこれからの見えない大陸時代にあっている 立ち止まるな後退してもいいかアクションをおこせ 

変かを楽しむ 大前が失敗を認めそれだからこそ、勝ち抜けるすごい 失敗を容認できないじぶんのこわさ 失敗なんてして当たり前そして強くなる 失敗をありがたいと思う恥ずかしくない 先見力構想力 変化を先取りバンてーじポイントとのつながり 見えない大陸ジャングルをサバイブする時代 ミジかな変化の真価を見極める みんな賛成があやしい、それならぼつ

有能な経営者、何をしなければならないかと自問自答 この企業にとって正しいことは何かと自問自答していた アクションプランをきちんと策定していた 意思決定にたいして責任をまっとうしていた コミュニケーションヘの責任をまっとうしていた 問題ではなくチャンスに焦点をあてていた 会議を生産的に進行 私ではなく我われとして発言したり考えたりしていた

ハーバードビジネスレビュー  大前研一 先見力、構想力より。
Posted by takeshi at 07:08 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
なんでもないものがたくさん集まると新たな性質が生まれる
何のへんてつもない物がただたくさん集まるだけで全く新しい機能や性質、意味を持つ。なんか不思議だ。一つ一つでは持っていなかった性質が、その同じ物がただたくさん集まっただけで、今までになかった全く新しい性質を持つようになる。そして、集まって生まれた性質が大きな意味を持つ。

なんで、もともともっていなかったのに、同じものが集まると新しい性質が生まれるのか?たとえば、脳 人間 生物、2ch 都市 物質(材料)とか。それぞれ理由は違うと思うが、興味深い。
関係ないけど。「チャンスには危険がある」

Posted by takeshi at 07:05 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
生まれる前から?
産まれる前から死が怖いのか育つなかで死が怖くなるのか?ネパールの山で足が震えたのは本能?しかし震えたら余計危険 なぜだ?

Posted by takeshi at 07:04 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
カルロスゴーン
テレビでやっていた。メモ。

ゴーンの経歴を見る未来の成功者の指針になるのでは?
 しがらみをきる 材料コスト かっこいい ビジネスと株は関係ない 持ち合い解消 取引銀行減らして金利減らす かっこいい車はブランド高く売れる かっこいい会社 かっこいい会社空間 統一したデザインでブランドアップ 普段からかっこいいこと ビジョンを明確に どうやってビジョンを自分で伝えるか質疑応答する 決断は早く的確に

Posted by takeshi at 07:03 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
日曜日の朝
日曜日の朝はこんなにも爽やかなのか!早起きは三問の得というが日曜日の朝は起きるだけでそれを感じる。朝起きて外に出て空気を感じ空を見上げる。それだけで十分だ。

天気のいい日曜の朝は気分がいい。
Posted by takeshi at 07:02 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
ブログとネットと大学と本
いつも読んでいるブログでとある本を紹介していた。そのブログを書いている人は情報量も洞察力も天下一品だと個人的に思っている。だから、すぐ読もうと思った。で、買おうかなと思う。しかし絶版らしい。ケッコウ古い本なので書店でもアマゾンでもない。あー、それなら大学の図書館だと思い、ネットでOPAC検索。すると日吉とKBSにあった。在架だったので、これまたネットで学内図書取寄せの申請を行う。するとメールで予約完了のメールが届く。明日学校で本を借りればOKだ。なんと便利なんだろう。

Posted by takeshi at 06:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 17, 2004
奏でる音
僕は、いわゆる楽器と言うものは演奏できない。
澄み切った音を奏でることは出来ないかもしれない。

しかし、僕は脳という楽器を持ち、
想像というしなやかな音色を奏でることができるだろう。

これはすべての人、すべてのことに当てはまるだろう。

Posted by takeshi at 09:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
「文字と想像」、脳の質感はある種のアウトプットであり言葉による表現は意味がない
何かひとつのことを考えると連鎖的にどんどん考えが浮かんだりすることがある。書きとめておこうとメモをいくつも残す。そして、いま頭の中で創造したことや考えの中心となることはだいたい書いたな、と思いメモを終わる。そして何日かたってから、メモを見る。何か物足りない。あれ、これだけだったっけ??もっといろいろ考えてメモした気がするなーと感じる。

僕の過去の記憶というものは僕という人間自体を過大評価しているから、メモはもっと書いた=もっといろいろなことを想像した、考えたと思うのかもしれない。確かにその面もあるだろう。しかしそれだけではないと思う。脳というものは、字にならない、脳の中で論理的プロセスを経ない、なにやら感覚的なものが大きな役割を果たしていると思う。それが自分の脳の中に記憶として残っており、字ではそれはあらわせないから、何か物足りない感じを得るのだと思う。

そう考えると、脳って不思議だな。自分の脳自体で考えていることをその自分ですら分かっていない。同じ脳のはずなのに分からない。同じ脳だから分からないのかもしれない。

いや、人間は脳の中にあるものをすべて明確な形で認識できると思ってしまっていること自体が間違いなのかもしれない。僕の頭の中にそう前提条件があるのがいけないのかも。だって、言葉としてはあらわせない、脳から発生した感じ、そのなにかしらも、言ってみればアウトプットな訳だ。元をたどればその感覚、質感もなかった、それらが生まれて僕の脳は感じた。ということは言葉にはならなくてもその質感自体がアウトプットなわけだ。思えば、アウトプットの表現方法が言葉に限られている必要もない。というか、アウトプットの方法が言葉という一つだけの方がありえない。その質感は言葉で表そうということ自体が意味がない。そうなのかもしれない。

形式的なことは言葉で伝えられても、それ以上の意味において言葉はあまり意味が伝えられていないのだろう。まあ、他者がいてこそ、言葉には意味があるのだが。

Posted by takeshi at 07:05 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
ぼくみたんだ
最近、幼稚園とか小学校時の感覚や脳の思考を感じたいといっている訳です。僕の脳はその時も踏まえた上で今の脳が作られているので、今でも少しは感じているというか、延長線上だともいえるわけです。でも、何か違うかもと自分が今にして作り上げた記憶でそう思っていた。

で、今日は日曜日なのに早く目が覚める。で、テレビをつける。すると、クボジュンのえいごっこという番組がやっていた。この番組は幼稚園児向きの英語番組。で、番組の最後に「ぼくみたんだ」という本を朗読。(これは日本語の本です。)

ミスチルのANYがオルゴールバージョンでBGMとしてながれはじめた。そして「ぼくみたんだ」、と朗読が始まる。「ぼくみたんだ おひさまの なかにいたんだ ぼく みたんだ やまとやまの あいだに かくれたよ…。ぼくみたんだ・・・ゆうひにうつるきょうりゅうのかげを」ゆっくりとしたテンポで朗読されるこの本。めがねもかけないでテレビを見ていたので、はっきりと見えない。クレヨンで書かれたような線だけの恐竜と真っ赤な太陽。なんか、懐かしいというか、昔に脳が戻れた様な気がした。

「ぼくみたんだ」といってある少年は朝日を見たり、葉っぱについている小さな虫を見たり、夕日を見たり
といろいろな経験をする。その前に「ぼくみたんだ」というフレーズが常に入る。朗読が終わった後、なんだろうこの感覚と思った。そしてふと考える。幼少のころの喜び、これはまさに「ぼくみたんだ」だったんだと思う。それが純粋な楽しみだった気がする。今まで知らなかった物を見る。そして親や友達に「ぼくみたんだ」という。この一連の行為が純粋な喜びだったと思う。この感覚が人間の喜びの原点なのかなと思った。大人になってもそれは続いていて、新しいことを知るとか、見る、体験する、作り出す、これらには喜びを感じるのだろう。そんな気がした。
ぼくみたんだ
 くろだ せいたろう

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Posted by takeshi at 06:29 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
October 15, 2004
世界遺産展
世界遺産写真展新シリーズ

「世界遺産写真展III」が11/10より, 東京で開催されます。
期間:2004年11月10日(水)~15日(月) 10:00~19:30(20:00閉場)
<最終日は17:30閉場>,
会場:新宿タカシマヤ10階
こんなんがあります。ボクはいつか決めていないんですけど、行きます。
11日の木曜日か、14日の日曜日に行こうかなと思ってます。
もし、行く予定の人や行きたい人がいたら一緒に行きましょう。
Posted by takeshi at 12:12 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
貨物列車の駅付近で紙を見て思う、言葉の認識
駅から家に行く間に踏切がある。その踏み切りは貨物の倉庫のちょっと手前の踏み切りだ。だから、そこを通る電車はスピード遅い。貨物の車庫から出て行ったり、入ってきたり。その踏み切りを渡ろうとする時に、電車が通りかかることがある。ケッコウ長いので、あー引っかかった。と思う。しかし、どうせなんで、なんかオモシロイコトをしたり、普段は貨物をじっくり見れないので見てみようと思う。

それで、ぼーっと貨物を見ていた。いろんな会社の貨物があった。それはいいんだけど、コンテナの左下あたりに紙が張ってある。それはコンテナの仕分けに使われる紙だと思う。

名古屋とか地名が書いてあり、5,6桁の数字が3箇所ぐらいに書いてある。で、それを見ていた。初めはどこへ行く貨物が多いんだろうとか思いながら。すると、地名に関してなんだが、読める地名と読めない地名がある。それは漢字が読めないということではなく。で、何でかなと思う。名古屋とかは読めるのに梶ヶ谷は読めなかった。さっきから読めると書いているが、おそらく読める読めないではないと、貨物列車が去ってから思った。だって最終的に梶ヶ谷って読めてるから。「名古屋」この文字は列車が通る一瞬で認識できたのに、「梶ヶ谷」はすぐに認識できず、あとから「梶ヶ谷」だぁ。と思った。これはなぜか?それは「名古屋」この文字を普段読みなれ、聞きなれているからだろう。この文字を一文字一文字読んで名古屋と理解したのではなく、「名古屋」これを3文字セットで一文字というか一つの記号、絵のように認識している。だから頭を自らの意識で働かせて「名古屋」と読んだのではなく、経験などから言葉以上のもの(もっと感覚的なもの)として認識しているんだなと思った。「梶ヶ谷」この言葉はめったに使ったことがない。だから、その文字を一文字一文字読んで、一つの単語と認識して、読み方を脳のデータベースからひっぱてきて、一つの言葉として僕は理解でき、ああ梶ヶ谷かぁとなったんだと思う。列車が去るときは何って書いてあるか分からなかったけど、コンテナに張ってある紙が写真のように映像で脳に残っていて、列車が去った後に、映像から文字を引っ張り出したんだろうなと思う。

こう考えると、普段話している言葉でも、普段使いまくっている単語と、普段使っていないけど分かる単語、これらを使ったり聞いたりするときに使う脳の部分は違うんだろうなと思った。それに、使いまくっている単語は意味なんて知らなくてもその言葉を聴けば感覚的な意味が分かるが、あまり使わない聞かない単語は前者のようには理解していないんだろうなと思った。一単語ずつ脳を意識的に使って理解しているんだろうな。感覚的に理解可能な単語に置き換えて理解しているのかもしれない。

この二種類の単語は、同じ言葉とはひとくくりに出来ないような感じがした。

もちろん、人それぞれある特定の単語に関する理解は違う。それはその単語を自分で使ったり、聞いたりした経験が違うから。その単語以外の人生も違うのだから。でも、これとは違う次元で、上記のことは同じ言葉と人くくりに出来ない気がした。明確な理由は説明できないがそんな気がした。
ある言葉を使いまくって、感覚的に認識するようになる単語もあるだろう。

Posted by takeshi at 12:11 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
対談の本
一概には言えないのだが、対談を本にしたものは何かつまらない。

対談形式の本を読んだ。書いてある内容自体は好きなんだが何か物足りなさというかつまらなさを感じた。何でだろうと思う。対談は最低でも2人以上で行う。その対談を本にしてあるわけだ。対談というのは話している間(ま)、顔の表情、その日の天気、部屋の照明、さまざまなものを対談している人同士は共有している。それらを無意識のうちに踏まえた上で対談している。その言葉にはならないものがあって対談は成立している。しかし対談を本にした時点で、文字だけが切り取られる。すると、何かしら伝わってこないものがある。それで物足りなさを感じているのだろう。もちろん、編集して補足していると思うが、完全に補完できているわけではないんだろう。

普通の本は、作家が一人で筆を持って書いている。対談とは違い文字以外の要素が少ないように感じる。だから普通の本の方がよみやすいのかな。 

ただそう思っただけでした。ちゃんちゃん。
Posted by takeshi at 12:10 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
October 13, 2004
痛みとそれを感じる脳の不思議
腕をぶつけると痛い。当たり前だ。もちろんぶつけた部位が痛くなる。しかし、部位そのものが痛いわけではないと思う。なぜなら、痛みを感じない病気があるからだ。ぶつけても、こけても全くいたくない。そんな病気があるらしい。だから、そんな子どもは骨折などを繰り返す。ぶつけても痛くない、だからこけることは危険だと学習できない。この病気からも分かるように、ぶつけたこと自体が痛いわけではない。痛いというのは脳が痛いと判定しているわけだ。物を見るということも目が見ているように感じているが、脳が見ている。脳で目から入った情報を合成している。

でも、ぶつけた場所が痛く感じる。それは脳からまた情報がぶつけた部位に戻りその場所をいたいと感じているのだろうかな。なんか不思議だ。

脳は同時にいろいろな情報を処理している。目で見た情報を処理し、音を処理し、手を動かす情報を出し、と。で、これをやっていると認識している脳の部位もあるはずだ。脳が各部位が動くことをコントロールしている脳もあるはず。

これは脳について勉強すれば分かりそう。それを踏まえたうえで、答えの出ない脳のことについて考えてみたい。
こういうこと(意識とは?脳と心の関係、クオリア)に興味のある人って少ないのかな?
たまに時間を気にせずこういうことを語り合いたいモンです。
そんなことしたい人いたら、語らいましょう。

Posted by takeshi at 04:52 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
人間とは不思議なものだ
あることをうまく出来ない時、人間はもどかしく感じる。できるようになったり、達成することを願う。しかし、ひとたび達成するとその時はうれしいが、成功してしまって当たり前のようになるとつまらなく感じる。

不思議なものだ。結局満たされているのは一瞬だ。

まあ、すべてが無常であるからなぁ。

出来ない→出来る

この間には何があるのか?おおきな違いがあるのか。大きな違いがあるとしたら、脳の認識のみの問題であろう。たとえば運動系だったら体力面とかテクニック面からしたらほとんど同じはずだ。

認識、そうだと思う、思い込む、そう見る。これは人生に最も大きな影響を与えているのかもしれない。物の見方というか、見えてしまう、自然にそう見えてしまう。それが一番大きいのかも。
Posted by takeshi at 03:32 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
コンテクストがなくなった上で価値のあるもの
馬鹿なことが出来る会社、って強いな。

最近ユニクロとか、楽天とか出てきていますがソニー。この会社も好きです。有名企業で何とかでとか言う理由ではないです。馬鹿をしてそうだからです。クオリア。SDR。負け続ける映像メディア対決。特にクオリア。だいぶ昔に発表されたものなんだけど、このコンセプトいいねー。それに、本質を出井さん分かっていらっしゃる。(えらそうですいません)
本田も好きです。足も作っちゃったり、ジェット機を作っちゃったり。そういう、一軒無駄に思えることを出来る会社って強いと思います。そういう文化がある。そこが強い。文化というものは一日で創れない、習慣ともにている。そいう文化がある会社って強いなー。一回どん底を味わっても這い上がってくると思う。

Posted by takeshi at 03:03 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 12, 2004
同じような感覚
同じような感性というか感覚を持っている人がいる。ああ、俺の思っていることをほんわかと感覚的に分かってくれているなという人がいる。

自分がうまく言葉で説明できなくても、分かってくれる人がいる。

茂木さんのブログを見ていると僕の考えていることと同じようなことを考えていそう。というか、寝ている時に見る夢についてのエントリーをほぼ同時にしていたり、文系理系に関する関するエントリーをしていたり。

考えている方向性も似ている。失礼かもしれないのだが。
今日も大学に茂木さんはいらっしゃっているのだが、時間が合わなかった。お会いする機会をつくろうと思えば作れるのだが、なぜか日程が合わない。今週の木曜日はぜひ、芸大の授業に出よう。

Posted by takeshi at 03:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
子どものころの経験、過去の回想(想像)、体験の喜び
人間は喜びを味わえる。ワクワク、ココロオドルことがある。
今が楽しい、過去の思い出が楽しい。どうなるか、どんな感じか想像して楽しい。

人間は、何か面白いことをする。そのときは楽しいが、時間が経つと何かむなしさや、寂しさ、ぽっかり穴の開いた感じを得ることがある。楽しい思い出は時間が経つと寂しい思い出になる。そういう場合もある。

しかし、そうでない場合もある。子どものコロに遊んだもの。今思い出すと楽しい。ワクワクしてきてまたやりたくなる。子どものコロの遊びは比較的単純で、この年になればくだらないことのように感じることが多いように感じるが、そうではないこともある。ミニ四駆、これを思い出しワクワクしていようにミニ四駆をコースでは知らせて競争したくなったり。

そう思うと意外と覚えている、体に刷り込まれている子どものころの経験(思い出)は、大切だ。記憶というのは子どものときの事実とは異なることも多いが、大きくは違わないだろう。こんな遊びをした、こんなことを知った、けんかした、怒られた、うれしかった思い出、悲しかった思い出、びっくりしたこと、などなどいろいろな思い出がある。人間は意外とと覚えているものだ。そして、その過去を一つ一つたどる。すると大きな影響を与えていることがる。(昔)あの時は、何も考えず、将来の自分に大きな影響を与えることはないと思っていたことが、今振り返るとこんなにも影響がある!と思うことがある。些細な一言、そんな一言を覚えていて、その一言によって自分が作られることもあるし。些細な日常の一場面をなぜか覚えていることもある。子どものころの記憶というのは、一秒一秒が後の自分に大きな影響を与えるのだ。そう思う。子どものころの経験やまたそれに伴う記憶は大切なもんだ。

たとえば、ボクが中学の時について考える。クラスの友達といろいろと話、遊び、何気なくすごしていた。別に深い意味を考えることなく。そんな友達が一生の友達になるとも思わず。中学から、6年ぐらいたった。中学の友達、今でも友達な奴がいる。多分一生の友達だろう。そう考えると、中学の一日がボクの一生に大きな影響を与えている。友達と出合って初めて交わした一言、その印象が違えば仲良くならなかったかもしれない。クラスが違えば知ることもなかったかもしれない。なんか偶然性とか運命の問題になりそうだが、中学の友達が今も友達である。中学のころはたいしたことはないと思っていた日常が、実は一生の友達とまでなる大きな意味を持っていたのだ。小さいころの日常は大きな価値を持つし、重要なんだ。といって、小学生とかがそんなこと考えていたら、頭でっかちで面白くない生活だろう。偶然、何があるか分からないからオモシロイコトがおおいのだ。

日常が大きな価値と書いて思い出した。(もちろん話し外れます)何気ない生活、ありふれたもの、特に生活で気にも留めないことや物、これらも人が年をとるごとに、生活が変わるごとに、技術進歩するごとに、なくなっていくことがある。珍しいものこれはみんな大切にしたり、保存しようと行動する。だから、珍しいものは意外と残っている。しかしありふれたものは残っていないのだ。そんなものに気づいて、保存したいな。日常で気づいていない、歩数とか心拍数、瞬きの数など、またありふれたもの、ペンとか爪楊枝とか、袋とか、小学校の算数セットとか、もっと上に書いたものに適したものはあるだろう。(ありふれていて、自然すぎて気づかないから簡単には的確な例が挙げられないのだ。)それらを保存すると、時間が経って意味を持つだろう。また、データを取ってみると気づかないことに気づくだろう。

これはインドから日本に帰り思ったことでもある。帰国して取った写真を眺める。何か物足りない。なぜだろうと考えると、日々歩いていた道路の写真がなかったり、一番良く話した人との写真をとっていなかったりと、よく食べた一番スタンダードなカレーの写真がなかったり、露天の写真がなかったりと。当たり前のように毎日見ていたもの、毎日使っていたものの写真がない。最も日常的なものそれがない。特別で、珍しいものだけある。(もちろん、ホントにピンチのときなどは写真なんて撮っていられないし、感動しすぎてとり忘れることもある。)そう、みんなが当たり前と思い、当たり前に受け入れ、ありふれているものに価値があるのだ。それは、時間の経過で感じることもあるし、場所の違いによっても感じることがる。
話がそれまくってパラグラフごとに書いてあることが違うが、言いたいことは、子どものころの日々がケッコウ記憶に残っていて、それを振り返って思い出すのも面白い。過去のワクワク感を回想することはとても面白い、それにいまだ知らぬこと、旅行の前、何かほしいものを買う前の想像はとても楽しく喜びがある。実際それを体験したり、見たり、感じたりした瞬間、心のそこから突き上げてくる喜びがある。ココロオドル。人間は想像と体験という喜びを持っている。

当たり前のことには気づかないけど、意外と重要でそれをいかにして見つけるか、そして保存したりデータを取って分析したりすることも重要だなと。

Posted by takeshi at 01:24 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
客観的にみる
自分という存在が何かを考えるということは、何かを見るということは、主観的なわけです。これ当たり前、いくら客観的に見るといっても本質的には出来ない。努力することは出来るが、その努力に意味があるかどうかは定かではない。

自分の基準で何でも考えて、理解する。そうせざるを得ないし、それでいいと思う。しかし、もともと考えている人が違う、考えている脳が違う、考える思考プロセスが違う、考える価値観が違うということは踏まえておかなければならない。

自分の基準だけでこの人はたいしたことはないと思っても、自分の考える領域を超えていることを言っているかもしれない。簡単に他人を軽蔑しない方がいいな。それに脳が違うんだから簡単に理解しあうということも相当難しいものだ。

相手の言っていることをすべて受け入れるべきとも、好き嫌いをするなとも言っているわけではないです。

ブログとして書いて、公開しているが、(人間が他人に話したり、書いて公開したりする、)これは自分に対して言い聞かせていることが多いのです。そして、外部に言ったり書いたりすることで、自分の考えがより強くなるのです。そう思います。

Posted by takeshi at 12:44 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
October 10, 2004
伝記から
ボクは昔本を読まなかった。
それは全くといってよいほど。
今も大して読まないが大学に入って読む冊数は増えた。

そんな本を読まない子どもが小学校の頃に読んだのが伝記だ。伝記は面白かった。何で面白かったのかは分からない。今考えると、こんな人生もあるんだとか、こんなすごいとされる人でも実際は困難だったんだとか、こんなこと考えていたんだと感じることが出来るからだったのかもしれない。

日経夕刊の人間発見がすきなのも情熱大陸がすきなのも小学校のときの伝記が影響しているのかもしれない。

人が何を考えているか、何について考えているか、どのようなプロセスである考えにいたったのか、どんな思いを持っているかとかが興味がある。

ボクは身の回りの人の生活とか詮索するのは好きじゃない。あまり興味がない。でも、その人の生きるうえでの考え、信念について話すのは好きだ。

テレビや、文字を通してだがこんな人生があるんだというのが刷り込まれているのかもしれない。
関係ないが。
体の奥底から突き上げる思い。この表現いいな。
やっぱソングオブライフはいい曲だ。
ああ、ミスチルの歌詞は仏教的だとインドで思った。

Posted by takeshi at 11:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
順番
順番、順序。
物には順序というものがある。
何かをするにしても、何かを作るにしても、人生にしても。
それは考えて導き出すときもあれば、何か感じて順番を決めることもあれば、何も考えずにやって結果として順序が良かったことなどある。

定量的に測れないので、これが一番順序が良くてこれが一番ダメとかはいえないが。自分でこれは良かったと思うことも、悪かったと思うこともある。それは他人や他のことと比較してとは別にして。

自分も他人から見てもよい順序というのがイイと思う。しかしいつもそうは行かない。問屋が卸さない。で、順番はイイに越したことはない。いいものが出来たり、手早く出来たりと。しかし、順番を間違えても何か出来なかったり、達成できなかったりするわけではない場合が多い。順番を間違えても、そこで修正したり、戻ってやり直したり方法はある。順番にこだわることもいいことだ。でも順番にこだわりすぎないってのもいいモンだろう。

順番というものは絶対ではないと思う。

自分は自分という人間の経営者であると。
正確には経営者プラス執行役員ですかね。

Posted by takeshi at 11:10 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
理系と文系
僕は今文系の学部に通っている。でも、技術的な話とかが大好きだ。こんなのが出来たら世の中どうなるのだろうとか、この技術はどうなんだろうと疑問に良く思う。文系的というか、哲学的というか(簡単にこういうのは問題だが)そういったことの空想にふけるのも好きだ。

理系の人で文型は馬鹿で、技術的なことを何にも知らないと馬鹿にする人がいる。文系にも理系は技術のことしか知らない、文系が理系を操るみたいな考え名人がいる。それおかしいよ。絶対におかしいよ。マジで。

Posted by takeshi at 01:35 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
古い新聞
さっきのエントリーで書いたように古い新聞を読んでいた。

人間発見では、イチローや三木谷さんのも切り取ってあって読んでいた。どちらの方もふむふむと思いながら読んでいた。

日経エレクトロニクスという雑誌の30周年の一面広告があった。

テクノロジーは、ノンフィクションだ。

「いつか暗闇から抜ける、そう信じるしかない」(出井伸行氏)
「僕は技術者、いつまでもワクワクしていたい」(Linus Torvalds氏)
「ロボットは、缶ビールを取ってこられるくらいがちょうどいい」(広瀬真人氏)

「未来はもう占うものじゃない。創りあげるものだろう」(Bill Gates氏)
「技術者として、こんなに面白い時代はないよ」(久多良木健氏)
「現状を打破するには、みんなが日本を飛び出すしかない」(中村修二氏)

Posted by takeshi at 01:35 AM | コメント (4) | トラックバック (0)|
学生
イメージで語る。
(こう書いて、字を見た瞬間に書こうと思ったことと違うことを考えた。そっちのエントリーもしたくなった。)自分の思い描くことをイメージで語れるってカッコイイ。

最近の学生は、昔の学生よりいろいろなことをしていると思う。昔の学生って遊びほうけていた気がする。(それはそういう時代だったからべつにいいんだけど。)今はNPOとか、芸術系のエキシビジョンだったりとか、旅だったりとか、ボランティアとか、投資だとかいろいろしている人がいる。それは経験としてすごくいいと思う。それに対する思いとか、いろいろ考えて行動しているなと考えると、今後の日本も明るいと思う。しかし、その学生は本当に魂がこもってやっているのか?周りがやっているからとか、なんか流される感じでやってないかな。そうだとすると寂しい。今後いい社会が来ると楽観的にはいえないかも。

まあ、どっちにしろ絶対よい社会が来ると思い続けてるんですけど。

Posted by takeshi at 12:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
笑顔と真剣な顔
人の顔を見ればその人の性格とかが分かるということがある。顔は口ほどに物を言うとかね。で、特に笑顔と真剣な顔で分かると思う。本当に楽しそうに笑っているかってのはすぐ分かる。人生を楽しんでいるなとか。真剣な顔も物事に対する姿勢とかが伝わってくる。多分これだけじゃない。でも、感覚的に笑顔と真剣な顔でその人ってのが分かる気がする。まあ、言い方次第では、絶対に他人の性格なんてわかりっこないので、分かる気がすると書いたんです。そう言い出すと自分の性格も分からないので。

答えがないことが答え。
絶対的に正しいことがないのが答え。
自分が何かって分からない、それが答え。
そういっている答えも、答えかどうか分からないんですけど。
結局堂々巡り。

結局すべてが分からない。本質なんてない。分からない。
そう。そうだと思う。

仏教で言う「空:クウ」の概念。
無常なんですよね。

そう思うと仏教の考えってすごい。

Posted by takeshi at 12:17 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分とは
なんか最近書いた気がするんだけど、自分の過去の些細な行動、今までやってきたことを振り返ると今まで気がつかなかった自分の部分に気づく。それをたどっていくと自分が何がすきなのか、興味の対象は何か、自分がどうなりたいかが、自然と見えてくると思う。

そう思います。他人からのアドバイスで気づくことがあるかもしれないけど、それよりもまず自分の今までの人生を振り返る。やってきたことや思ったこと、考えてきたことを書き出してみる、すると自然と見えてくるんじゃないかな。

そう思うと、こうやって思ったことをそのまま書いているブログ。これは僕にとってかけがえのないものだ。
何度も書いているがこれは、自分のために書いている。後から読み直すために。でも、僕が書いたことは読む人、特に身近な人の思考プロセスに大きな影響を与えかねない。そこも考えないといけないときがくるのかな。そうなったら、匿名でどっかでブログを書こう。
Posted by takeshi at 12:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 09, 2004
ユニクロ
ユニクロが、単なる安いものは売らなくするらしい。

ユニクロは安さを期待される店から、品質の良さを期待される店に変わると柳井さんが言っていた。

この会社に対する賛否両論はあると思う。(服がいいかどうかとは別の話で。)僕はけっこうこの会社が好きだ。戦略に一貫性がないかも知れない。服のファーストフードを目指しているとか昔は言っていたと思う。質重視に変わればその路線とは変わるかもしれない。でも、ここの対応の早さとか、変わっていくスピードは半端ない。昔は男物の安い服が中心だった。しかし、女性ものの服が増えたり、質路線になったり。ユニクロの店頭に行くと、毎回何か変化に気づく。それが面白い。ここまですぐに変われるのはやっぱすごいよ。変わるって難しいことだからね。

それにユニクロはニュース性がある。何かすればテレビや雑誌でも注目されている。何かをやってくれるし、社会にインパクトがある証拠だ。

柳井さんを少し深く知ったのは、日経の夕刊に載っている人間発見だったと思う。この人間発見と言う記事は相当読んだな。そうとう昔から日経を読んでいる。昔の記事とかでも相当記憶している。今になってそれを実感する。5~10歳ぐらい年上の人と話しても、昔のニュースで話が合うことがある。今起こっている背景をたどると昔のニュースと関係していることがある。その昔のことを、ああ、そういえば新聞に書いてあったなと思うことが最近多い。昔は日経で面白い記事を切りファイルに入れていた。これ、今読んでも意外と面白い。それに、自分の興味の対象はあまり変わっていないことが分かる。それにしても、昔から日経を読んでいて良かった。今になって本当に実感する。その当時は純粋に面白いなと思って読んでいただけなのに。小学生のころは意味の分かんない単語も多かったけど、読んでいた。自然にやっていたこの読み方が良かったのかも。分からないことがあってもとりあえず進める、そしてやり続けるという能力。この世の中はじめっからすべて分からないことばかり、それでも進め続けないといけないことが多い。日経は僕の人生に影響を与えただろうな。小さなコロから日経が読める環境にあったのは親のおかげだと思うと、親に感謝しないとなと思う。こう書いていると昔の日経の記事が読みたくなったので、ちょっと探して適当な記事を読もう。

相変わらず、話がそれましたが。。。
一勝九敗やプロフェッショナルマネージャーを読もうかな。

そういえば、話は変わるが、というかユニクロも批判する人が多いと思ったら、ふと思った。宇多田ヒカルが全米デビューしたらしい。で、売れないとか批判が多かったりする気が。まあ、売れるって人も同様にいるんだけど。(同様って打ったら童謡って出た。童謡が好きだからなぁ。よく打つからそう出たんだろう)ぶっちゃけ、そんなのどうでもいいじゃん。自分が表現したいものをして、それでいいじゃん。売れようが売れまいが。飯食っていかないといけないから売れるに越したことはないんだけど、そればっかに気をとられると魂がなくなるからね。魂が入っていないものに誰も魅了されないよ。

 一勝九敗
柳井 正

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店長は会社の主役だ!
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 プロフェッショナルマネジャー
ハロルド・ジェニーン

おすすめ平均
別の感想
読んで損なし
売れるべくして売れた。

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Posted by takeshi at 11:25 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
人生で一番重きを置くこと
自分の人生、生きていく中で一番大切にすることは何か?
生死に関わることは除きます。
たとえば、食べることとか。寝ることです。
食べること、寝ることでも生きていく最低限を越えて、すッごくうまいものを食べることとかいうのはありです。

で、僕は何か考える。
自由な時間、なんらかのスポーツ、友達、日本をよくすること、人を笑わすこと、長生きすること、社会的評価、お金、贅沢な暮らし、何らかの芸術を極めること、笑うこと、うまい物を食べること、だらーっと日々をすごすこと、本を読むこと、など感情的なものから、何かすることまであると思う。

どんな人でも一つではないと思う。こうなればいいと思うことは何個もあるはずだ。でも最も重きを置くこととはといえば。

で、僕は何か。
たぶん心がワクワクすることだと思う。これすごい、面白い、自分でもやりたい。とかココロオドルことをしていること、それを知ること。見ること。
Posted by takeshi at 10:36 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
他人の目を越えた心境
ブランド物など、そういう性質を持ったものが小さいころはほしかった。

周りからの目がきになる。

しかし、今はどんなことをしていても全く気にならない。

それは、自分は自分だから。
自分の中に何らかの価値基準、絶対的ではないが自分が強く心のそこから思う何かがあれば他人や、外部の視線はどうでも良くなる。

外部のことすべてではないが、自分にとって興味のないこと(正確には興味のないことではないが、)

自分がどうでもいいと思う人、嫌いな人など、嫌いというよりは自分が正しくないと思う方法をとって何かをする、自分がしたいことと同じことをする人がいて、僕が負けて、他人が勝って社会一般に成功したとしても、全くうらやましくない。もちろん、絶対に負けないが。それくらいの心境にここ半年ぐらいなりつつある。

これは自分の中に何か基準みたいなものができてきたために、周りに影響されなくなったのだろうか。

Posted by takeshi at 10:06 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 08, 2004
純粋に衝撃を受ける
何かを見たり、聞いたり、体験して衝撃を受け、どうしようもない感情になる。どうにも表せない気持ち。心のそこから湧き出てくるようなもの。その心踊り、脳の興奮状態。

これを感じることが出来る人は幸せだ。
なんか、生活が面白い。
これが、ひとつのことをする大きなモチベーションになる。

「本当の美しさというのは、一人称で生きる中で
こみ上げてくる美しさのことなんだな、と思った。」
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/10/post_12.html

この言葉、いいですね。
かなり的確に短い言葉で言い切っていると思う。

最近茂木さんにかんすることが多い気がする。
まあ、それだけ面白い人です。
僕の考えていることと近かったりするし、性格も似ているかも。
Posted by takeshi at 04:02 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
地震
最近地震多いですか?

なんかインドにいるときも日本では地震がケッコウあったとメールやメッセで聞いた。
先日も震度4の地震があったし。

地震が来ると、もっとでかいのがくるか?
と、ゆれてからしばらく構えます。

そういえば、地震が起こる2,3日前地震の夢を見た。

外国で街中を走る電車に乗っていた。
たぶんポルトガルのリスボンからカスカイスへいった時の電車です。
なんか短い距離の電車なのに、リッチに寝台に乗っている。
これはインドのACの寝台。乗ってないけどそんなイメージ。
で、また不思議なのが、町を歩いているのはほとんど日本人。
場所はポルトガルのはず。
で、地震発生。
道路は地割れ。ビルも半壊。
なのに電車は何もなかったように走っている。
電車に乗っていたら揺れは感じなさそうなのに、揺れを感じていた。
それに、ゆれの後、ほおずえを付きながら僕はのんきに外を眺めていた。
そして、道路を歩いている人に日本語で大丈夫ですか、などと声をかけている。

そこで、起きた。
意味不明。
現実の世界では有り得ないことが、合わさってます。
だから、夢はおもしろいんですけど。

で、いいたいのはここから。
夢って自由な発想じゃないですか。
何にもとらわれないで、次元を超えたことが起こる。
これって、何かのブレイクスルーにアイデアが使えるかもしれない。

で、ノンレムとレムがあって、レムの時にしか夢を見ないはず。
レムノンレムは1時間30分刻みだから、夜の間に数回夢を見ているらしい。
でも、一番最後に見たものしか覚えてないらしい。
起きる直前の夢は記憶しているみたい。
これって、もったいなくないですか?
せっかく自分が夢を見て、それも普段では考えられない発想をしている。
そんなおもしろいアイデアを自分が考えている(想像している)のに、ほとんど忘れて終わり。

そこで、最近頭にヘッドギアみたいなのつけて、脳で考えたことを文字にしたり、絵にする技術開発されているじゃないですか。これを、夜見る夢にも使えないですかね?寝ているときに、そのヘッドギアみたいなのをつけて寝る。寝ているときに見た夢をテキストにしてくれたり、映像化してくれる。そうすれば、面白いアイデアが使えてブレイクスルーが起きそう。

まあ、脳で考えたことがテキストになったり映像化する技術を確立するまでにブレイクスルーがないといけないんですが。。。
それに、夢は忘れるからワクワク感があったり、面白みがあるかもしれないんですけどね。

後気になるのは、
どんなときに夢を記憶しているのだろう?
どんな状況のとき、体調の時に夢を見るのだろう。

感覚的に、昼間に起こったことであまり気にも留めていないことが夢に出てくることが多い気がする。
理由はあるのかねぇ?

書いている間に地震から夢の有効利用に話が移るあたりが何かおかしい気がするな。笑

Posted by takeshi at 03:41 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
求められる人物像
会社が、リクルーティングのためのセミナーを開くとき、わが社の求める人物像なるものをプレゼンすることがアル。

まあ、それは問題ない。
こんな会社にしたいというのがあれば、それを目指すために必要な人材がいるからだ。

しかし、学生はおかしな捉え方をしている。というか、何かへんだ。ある学生は、A社に行きたかったとしよう。そして、そのセミナーに行く。すると、A社の社員が求める人物像をプレゼン。すると学生はメモ。まあ、ここまではいいだろう。学生は求める人物像になるべく、自分を仕向ける。そう装う人もいるだろう。あれれ、おかしくないか?自分があって、自分の考え、自分という個性があってそれにあう企業に行けばいいのではないか?会社の求める人物像に性格をあわせたり、装ったりする必要はないのではないか?っていうか、そもそも逆だろ。まず自分ありきで、会社があるはず。会社が先で、自分の考え・個性は二の次っておかしくないか?そうやって装ったり、逆の考え方で、企業に入るから、入社してから社風とあわなかったりするんじゃないかな?

じゃあ、なぜA社に行きたくなったのか?それは周りの評価だったり、イメージだったりとそんなようなものだろう。求める人物像と会わなかったり、社風と会わなかったら志望からはずせばいいのに、初めに決めたから志望からはずすなんて考えもしなかったりするわけだろう。

自分ベースで行きたいものだ。
Posted by takeshi at 03:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 07, 2004
青空は気分がいい
なんか、ここ数日毎日雨だったじゃないですか。
で、空も雲でどんより。

特に、雨で気分が悪いわけではなかったが、
今日の朝起きて、青空を見たらすごい気持ちよかった。
すがすがしい朝だった。

いやー、ただ朝起きて青空を見るだけで人間は気分が良くなるんだな。
青空が続いていると、スカッーとする。
一日頑張ろうって言う気になる。

やっぱ、青空が好きだな。

ああ、でも、寒くなったね。
それも一気に寒くなった。

秋を通り越して冬じゃないかと思う。
そういえば、インドの人と話していたら、springとautumnが伝わらなかった。インドにはsummerとwinterしかないみたいだ。やっぱ、ないものを想像するって難しいんだろうな。それも、何かが発展したproductなら想像しやすいかもしれないけど、感覚的に理解しないといけないものや、概念的なものこれは分かりづらそう。

というか、概念的なものは分かるというよりも、それに実際ふれ、何回も体験することによって慣れる、そして感覚がつかめるようになるのだろう。単に分かるというよりも、感覚的に分かるという表現があっていそうだ。

Posted by takeshi at 02:24 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
October 06, 2004
旅とは何か
このエントリーも下書き状態です。

「旅」とは何か?

夏休み、日本、世界、を旅してきた学生が日本に帰ってきた。
(逆に旅立って、帰ってきてない奴もいるが。)
そして、直接話を聞いたり、メールやブログで旅の話を聞いたりした。
とても面白い話が聞けた。そんな話を聞くとまた旅に行きたくなる。
旅先で会った旅人と「旅」について話をすることも多い。

そして、いろいろ思うことがある。

旅といって、僕が思い出すこと。

・「旅」と「旅行」の違い
・旅人は一瞬の身分
・2ヶ月以上旅をすると日本での生活に戻れなくなる
・All travelling becomes dull in exact proportion to its rapidity.
 あらゆる旅はその速さに正比例してつまらなくなる。
 (John Ruskin)
・得体の知れないものに大金を払う変わったこと
・なぜ旅に出るのか

かわいい子には旅をさせよ。
旅の恥は掻き捨て
旅は道連れ世は情け

こんなことを思い出すだろうかなぁ。
とりあえず、列挙してみました。

いろいろ書きたいことがあるのだが、まず先にことわっておく。
旅をすること、旅をすることがすばらしいとも思わない。
旅に行きたいと思ったら行けばいいだけで、行ったと数を競うものではないのだから。
(相手に伝えるときは、特に時間がないときは、伝えにくいので数を伝えるという罠に陥ることがあるのだが)

一人で発展途上国などに行くと次のような能力が自然と身に付くだろう。
直感による意思決定、度胸・覚悟、固定観念がつぶされる、人を見抜く力が磨かれる、タイムマネジメント、自分のことはすべて自分で決める能力、最終的になんとかする。
野性的になんとか生き残る能力と一言で言えるかもしれない。

それは、おいといて、さっき列挙したことについて思ったことをつらつらと。

「旅」と「旅行」の違い。
よく分からない。旅は過程を楽しむものだと定義をしている人もいるだろう。ツアーのことを旅行と定義して、個人を旅とする人もいるだろう。旅は出来るだけ安くいくと定義する人も、旅も旅行も一緒とする人も。これといった定義はないように思う。

次の旅と旅行はそれぞれの感覚に任せる。
旅を好む人は旅行を嫌う傾向にあると思う。一人で旅している人で、ツアーが嫌いという人も多いようにかんじる。ツアーに参加している人の態度のでかさ、あつかましさ、郷に入っても郷に従わない態度、個人では絶対にいけない値段で高級ホテルに泊まる、こんなところからだろう。僕もツアーはあまり好きではない。でも、まあ使い方次第だろう。

旅人は一瞬の身分。これはトルコに行ったときに思ったこと。旅をしているときは、総理大臣であろうが、学生であろうが、サラリーマンであろうが、誰であろうが老若男女とわず旅人だ。旅人とは不思議な身分である。日本に帰ったら無職でぷー太郎でも旅をしていれば旅人で許される。それに旅人といえば、全く知らない人同士でも仲良くなれるし、外人の人も良くしてくれる。旅人は自分のしがらみ(外国にいたならば日本での地位、役職、すべての自分を制約する環境)から離れることが出来る。というよりも、周りの人がその細かい状況を知らないからきらくなのである。こんなおいしい身分だが、一生旅人でいることは出来ない。一生旅をしている人を除いては。

・2ヶ月以上旅をすると日本での生活に戻れなくなる
これは旅人という気楽な身分から来ているのかもしれない。スペインであった人が行っていた。彼は医学部の7年生だった。しみじみといっていたのが印象的だった。日本との生活とあまりにも違うからだろう。その違いも小さな違いではなく、人間の生き方、生きる意味とでもいおうか、その人生観から違うからそれが染み付くと、日本での生活にも大きな影響を与えるのだ。

・All travelling becomes dull in exact proportion to its rapidity.
旅は移動手段も楽しみの一つだ。アクシデントも多いのだが、どうやっていこうか考えたり、乗り過ごしたり、全く予想外の所についてしまったり。移動中に眺める景色もいいもんだ。思い入れのある場所にいけば感動することもある。予想していなかったときに、想像もしていないような美しいものを見たら感動する。しかし名所などといっても、見るのはすごい短い時間だ。ツアーなら30分もないだろう。個人で行っても、同じものを何時間も見ていることは少ない。となると旅のほとんどは移動である。やっぱり、移動をいかに楽しむかこれは大きな要素だろう。僕は食べることも好きなので、そこの土地のものをいろいろ食べるのも大好きだ。

・旅は何が起こるかわからない。そんなものに人は大金を使う。普通、人間が金を使うのは何か分かっているときだ。車を買うにしても、家を借りるにしても、電車に乗るにしても、価値が分かっているというか、どんな効用があるかはっきりしている。だから人は金を使う。しかし、旅は未知なる物に金を払う。それもかなりの大金を。なぜだろう。何が起こるかわからないということ、日常と違うことに何かしらの賭けををおこなっているのだろうか。すると、リターンが金じゃない賭け事のようだ。旅=賭けごとなのか。少なくともそのような要素もあるだろう。

何があるか分からないものに金を使う。そんな不思議なものが旅だ。じゃあ、人はなぜ旅をするのか。何かを求めているのか。何も求めていないのか。人それぞれ違うだろう。旅なんて、人にここへ行ったと威張るために行ってもしょうがない。どうしても見たいものがある。旅全体を通して、日本では体験できないことを知りたい。日本の騒がしさ、しがらみから離れたいのかもしれない。

旅とは不思議なものである。

1ヶ月ぐらいの旅から帰ってきた人は、何か不思議な感覚を持つみたいだ。虚無感というか、なにか力が入らないというか、日本の齷齪した生活が違うのではないかと。

Posted by takeshi at 02:28 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
ベッキー
先ほどメールソフトがいかれたと書きましたが、やっと復活です。

いろいろやって直りました。

がしかし、メールのデータが消えている可能性があります。
消えていたとしても本の少しなんですけど。

バックアップを取ってからやれ、といわれそうなんですが、一応とってやろうと思ったんですけど、バックアップ中にもPCに問題が起きて。とほほ。

今のところメールソフトは普通に使えます。

Posted by takeshi at 02:17 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
October 05, 2004
すべては一杯のコーヒーから
すべては一杯のコーヒーから
 松田 公太

発売日 2002/05
売り上げランキング 1,737

おすすめ平均
起業家精神を学べる
この本は経営書ではなく体験記です。だから感動が直接伝わります。
熱い熱い情熱が体中に伝わってくる、そんな本です。

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昨日に続いて、本の紹介。
昨日の本は読み終わりました。
初めの方が面白いです。後ろは同じことの繰り返しが多かったので。

今日は、すべては一杯のコーヒーから。
タリーズの松田公太さんが書かれた本です。

自分の体験を書かれています。
実体験、それもつい最近のものなので臨場感が伝わってきます。
それに、一本筋の通った男である、経営者であることが伝わってきます。
信念を持つ男はかっこいいです。
他人の目を気にして人生を決める、もっというと行動を躊躇することは自分の人生を生きていない。それに、納得いかない。
まず、攻めの人生をしないとな。

本文の松田さんの人生と、タリーズをここまでにした話も面白かったのですが、何といっても章が変わって章の表紙みたいな裏に書いてある、1ページ弱の文章がすばらしい。6章まであるので、そのすばらしい文章は6回あります。以下特に感動した文章をピックアップ

1章の裏

どんなことをするにも情熱の有無で結果は大きく変わってくる。 中略 自分の信じたことに寝食を忘れて打ち込むことは出来る。 情熱は誰でも平等に持つことが出来る。 中略 特別な境遇にある人たちよりも強く情熱を持って取り組めば、何事にも負けないはずだと私は信じている。 また、情熱は不思議と「運」をも引き寄せ、不可能だと思っていたことを可能にしてしまう力を持っている。

2章の裏

使命感を持って生きよう。使命感を持って生きると力が倍増し、ちょっとやそっとの苦難ではびくともしなくなる。 中略 ほとんどの人の使命は奥底に眠っているものを自分で探し出さなくてはならない。今まで自分が歩んできた人生を、足元からじっくりと見直してみれば、きっとどこかにヒントが隠されているはずである。

3章の裏

目標が設定できたら、すぐに行動に移そう。そして目標を達成するためには、さまざまな経験をつんでいくことだ。 中略 ”No Fun, No Gain”(楽しみなくして得るものなし)  中略 何でも楽しみながら経験していけば、必ずや自分にとってプラスになる。たとえ単調な仕事をしていても、常に頭を回転させ、創意工夫していると、自分の成長につながっているはずだからだ。自分の成長を感じ取ることが出来れば、すべてが楽しくなってくる。

4章の裏
新しいことを始めるときには、誰だって不安がつきまとう。 中略 自分の人生を大きく変えてしまうものであればなおさらだ。 また、自分が正しいと思った道でも、さまざまな難関が押し寄せてくれば弱気になるのは、人間であれば当たり前だろう。 しかし、人生は一度きり。やらずに後悔するより、やれるところまでやって失敗を受け入れる方が納得できるではないか。  中略 別に失敗したからといって、命までとられるわけではない。 後は、自分の力を信じて、挑戦し、最後まであきらめないことだ。

5章の裏
会社とは人こそすべて、ということだ。 中略 私と共に仕事をしてくれているフェローのうち、一人でも欠けていたら、タリーズは失敗に終わっただろう。 中略 運は人が運んでくるものと私は信じている。人は無意識に情熱の発信者に引き寄せられる。だから運も、自然と情熱を持った人間のもとに集まってくるのではなかろうか。

6章の裏
人は成長するための努力を止めてはならない。成長をするのをやめたとき、つまり現状に甘んじた瞬間から、衰退が始まってしまうからだ。どんなに物事が思い通りに進んでいようとも、その状況が永遠に続くことなど有り得ない。常に次を見据えて、備え、行動を起こしていく必要がある。 中略 自分が成功しているすばらしい未来を描き、楽しくまた緊張感を持って、次なる挑戦に向かって走り出すということだ。
タリーズコーヒージャパン 経営理念
Our Mission Statement

一杯のコーヒーを通じて、
「お客様」、「フェロー(従業員)」、「社会」、そして「株主」に新しい価値を創造し、共に成長する。

一、その一杯に心を込める
一、お客様の期待を超越する
一、最高の仕事が経験でき、一人一人の可能性が広がる職場を作る
一、子どもたちや青少年の成長を促すために、地域社会に貢献する
一、株主との信頼関係を築きあげる

夏休みが終わったら書くと宣言していたPersonal Mission Statementを書き始めようかな。そう簡単にはかけないだろうけど。じっくりと振り返り、そして考え書いてみよう。

Posted by takeshi at 11:07 PM | コメント (6) | トラックバック (0)|
メールソフト
メールソフトのベッキーがおかしいです。

起動すると、すぐに終了してしまいます。
それで、メールを読むことが出来ません。

返信が遅れるかもしれません。
すいません。

出来るだけはやくメールソフトを復帰させます。

Posted by takeshi at 10:46 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
意識とはなにか

意識とはなにか―「私」を生成する脳
 茂木 健一郎

発売日 2003/10
売り上げランキング 22,071

おすすめ平均
これって、むしろベルグソン?
こういう科学者は批判したくないけど・・・
クオリアと、生成と。

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僕が小さいころ思っていたことが書かれている。
思っていたことというか、不思議に思っていたというか、変な感じを持っていたこと、それらについて書かれている。この本には答えなんてものは書いていない。

ミラーニューロンの話、広義の「ふり」、会話と個人の思考における易しい問題、難しい問題、「ただいま」の不思議など面白い

「ただいま」は僕がたまに「あ」という一文字を見て、すごい不思議な感覚(=なんだこの文字は
?もっといえばなんだこの線?)と似ているかもしれない。

あと、
会話と個人の思考における易しい問題、難しい問題は広義の「ふり」の話なんですけど、他人と会話しているときは、話している人は言葉の意味を分かったふりをしている。そうしないとコミュニケーションできない。でも、自分で考えるときは、単語について答えが出ないのになんだろうと考えてしまう。でも答えは出ない。でも他人と話すときは分かっているかのようにして話す。これは分かったふりをしているのだ。

ミラーニューロンは他人が何かをしている行動を見ると、自分も同じように脳が働くということ。これも面白かった。

まあ、何を言っているか分からないと思いますが、気になったら読んでください。全部読み終わって気が向いたらまたエントリーします。

Posted by takeshi at 01:00 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
October 04, 2004
自らだけが知る規範
まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。

 

「自らだけが知る規範に従って厳しく求道する」、これは僕がいつも思っていること。
自らだけが知る規範、これは僕にもある。でも、これをうまく表現する言葉がない。僕には見つからない。一つ一つの例を挙げていけばいえる。しかし、自らだけが知る規範それを抽象的に、包括的に表現する言葉がない。

さらに、「自らだけが知る規範」この言葉自体の意味が、他人に伝わっているかも僕には分からない。

「自分の内部美意識」この言葉とも似た意味である。

果たして伝わっているのだろうか?

これから、より良い表現が見つかるまでこの言葉を使おう。

Posted by takeshi at 03:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
己の生きる道を支える言葉
己の生きる道を支える言葉=会社でいえばこの前書いた楽天の成功のコンセプト、社訓、個人で言えば座右の名とかそんな感じだろうか。

己の生きる道を支える言葉を考えようと思う。
考えるというか、生活していく中で自然と自分が言い聞かせていることを列挙しよう。
そして、自分に言い聞かせれるようにしよう。

僕は、日本という国で生まれ育ってきた。日本的考え方、日本的文化が染み付いている。日本的文化は仏教の影響を大きく受けている。すなわち僕は生まれ、育っていく間に仏教的考え方になっていると思う。そして、この年になり自分は仏教的考え方であると言うのも実感している。(これはブッダガヤでそう確信した)最近の日本人は無宗教という人が多い。僕も昔は宗教なんてと思っていた。しかし、今は文化的仏教徒だと思う。僕が思う文化的仏教徒というのは、文化から影響され自然と仏教的考え方、仏教的作法を行っている人のことだ。

釈迦は言った。まず自分ありきだと。何かあったら自分で考え抜け。あるがままの心に従え。そして考えて答えを導き出して、行動しろと。それでも答えがなかったら法(仏陀の教え)を読み、参考にしろと。僕は自分の考えの助けとなるように「己の生きる道を支える言葉」をメモしようかなと思う。

あと、大学在学中にやりたいこともリストアップしようかな。

行きたい国はたくさんあるけど、アメリカ(シリコンバレー、ニューヨーク、ワシントン)ボリビア、ペルー、(コスタリカ)、中国、フランス

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
言葉、抑揚に心の本質が出る
またもイチローについて。

彼の言葉、特に映像で見た場合。
すごくズシーンとくる。

何でだろう。
やっぱり、自ら考え抜き、自らの道を持っている人間、そういう人は一語一語、そして言葉の間、抑揚、それらが普通とは違う。

普通とは違うというか、その言葉を発するまでの過程がしっかりしている。何をしゃべろうかと考えた過程のことを言っているのではない。人生そのもの、日々の生活、些細な行動、生き方、自分の道を考え抜いた結果として、コメントに重みが出ている。言葉に魂がこもっている。

これは、付け焼刃で見せ掛けだけかっこいい言葉を言ったとしても伝わらないものである。その人の人生そのものが関わってくる。イチローという人の今までの人生すべての結果として、自然とあのような言葉が出てきて、あのような間が取られ、あのような抑揚で、あのような表情が生まれるのだ。

よく聞くイチローのエピソードで、自分のグラブとかバットを非常に大切にすると聞く。グラブなどは小さいころから入念に磨き、何年も使ってきたと聞いた。

用具を大切にしたからといって、それ自体が野球をうまくするわけではない。いくら用具を大切にしても野球はうまくならない。しかし、直接的にはうまくならなくても、その用具に対する姿勢がイチローの野球に対する姿勢そのものなのだ。そしてその姿勢はすべての行動にも影響をしている。もちろん、このようなことは、彼から発せられる言葉にも影響をしている。

このようなことは彼から学ばなければならない。

頭の隅においておく。という言葉がある。
僕たちは何かを考えたときに、メモをしなかったら忘れてしまうことがある。忘れたと自分は認識していることがある。その時考えたことをそのまま引き出そうとしたら、出てこないかもしれない。しかし、一回でもそのことを考えたことによって、脳の回路は考える前とは違うはずである。すなわち、覚えていないと思った些細な思考も、脳には大きな影響を与えている。これはもちろん、発せられる言葉にも影響を与えている。こういうことの積み重ねが、発せられる言葉一語一語を決定していく。

中身のある、信念のある人から発せられる言葉はだから違う。一見するとたいしたことは言ってないかもしれない。テキストにすると、心のそこまで響いてこないかもしれない。しかし、直接話を聞いたり、表情などすべてを含めて聞くと、ガツーンと心に響く言葉を話す人がいる。それは、その人に信念があるからだろう。

信念を持った言葉を発する人というのは、同じような人を見抜けるだろう。付け焼刃でかっこいいことだけをいう人を見抜けるだろう。目の前の利益だけのために、その場しのぎのために嘘で塗り固めたことをいう人もいる。そういう人は人生も嘘で塗り固めているのだと思う。(まあ、そうやって送る人生もその人が正しいと思えば、僕にとってはどうでもいいのだが。)でも、僕はそういう人と話したいとも思わないし、同じ空間を共有するのも好きじゃない。

僕にはイチローやそれぐらいの信念を持った人ではない。まだ信念とまでいったものはないし、自分でこうしようと思っても出来ていないことがたくさんある、そんな程度の人間だ。でも、自分なりの美意識というか、自分が絶対に許せないこと、その場その場で思う、こう生きたいというものはある。いろいろな経験をし、考えることによる積み重ねで信念になっていくのではないかと思う。
そして、僕がすごく面白いと思っている方のぶろぐより引用

 

高貴と求道
 イチローの最初の2打席はテレビの
前で見ていた。

 言うまでもないことだが、感動した。
 二点。
 まずは、イチローが、記録のためでもなく、他人からの
評価のためでもなく、ただ自分の内部の目的、美意識
に従って自己修練してきた結果が、あの瞬間だった
ということ。
 自らだけが知る規範に従って厳しく求道する、
というのは、野球だけではなく普遍的な倫理基準だと
思う。
 そして、あのセレブレーションの気高さと美しさ。
試合途中だが、チームメートがベンチを出て、抱擁
する。
 シスラーの子孫と握手する。何の衒いもなく、
ただ、気持ちに寄り添っているだけである。
 美しかった。

 2チャン、テロ、IT企業の強欲。イチローの
あの歴史的瞬間に、人々の心の中で敗れ去ったものは
多いのではないか。

 テレビの害云々を言うえせ科学者や、
評論家は多いが、あのような
場面を見ない、ということの損失についてはどう
考えるのだろう。
 9/11テロの映像のように、見ていなくては
始まらない映像というものはあるものだ。

 

すこし、文章が荒いことがあるこの方だが、とても僕の視点と近い部分があるときがある。
僕も、あのイチローの打席とコメントを聞かなかったら人生の損失だと思う。

Posted by takeshi at 12:45 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
October 03, 2004
卒論テーマ
神経経済学 altruismやfairnessの概念

社会で言われているようにインドは世界最大の経済大国に数十年でなるのか?発展の理由は何か?卒論のテーマ ポイントカードの疑似マネーは実際の社会にどれほど影響をあたえるか?今後どうなるか? ネットで共有されることによる損害 オープンソースの経済的インパクトと問題 口コミマーケティング バイラルマーケティング 株やデリバティブなど架空のマネーが動く金融はどうなるか? 技術が経済に与える影響 21世紀は政治的技術的社会的にどんな世界か 南北アメリカ 中国フランスに行く

カメレール教授 カリフォルニア工科大学ビジネス経済学部教授 「行動経済学」「神経経済学」の研究者

インド議員調べる インド一兆円事業連発(日経に書いてあった。2004年9月中旬から末一面) 地下鉄などインフラが徐々に 日本を基準に考えるべきでないかも gsもブリクスでは後発発展と書いてあったし

クオリアと経済。カーネマン教授的な視点から。合理的な生き物ではない。

人の成長、教育と経済発展
ざエクスピアリアンスえこのみー 卒論とからめる 経験経済 生活の中にある商品が入り込みどんな価値を産み出すかをしめせるか

快楽消費
Holbrook 1982 Hedonic Consumption
3つのF Fantasy Feeling Fun

ペンローズ 量子と意識
茂木健一郎
高安秀樹 経済物理学
カーネマン 2002ノーベル経済

心理学、マーケティング、意識、脳、量子論、経済物理学、市場の動き、あいまいさ、カオス、記憶、消費行動、ゆたかさ、ゆとり、美、第3の場(レイ・オールデンバーグ フロリダ大)、消費者は何を求めるか、何を消費の決定要因としているか、株価の動き、為替の動き、複雑系、経験経済学(ディズニーランドなど)

これらをもとに経済活動分析
マーケティングの新しい枠組み、アプローチ
インドの発展を上記のような分析方法で研究

研究開始、英語の論文も、量子論も、経済の基礎も復習、マーケティングも、財務も、プログラミングも

ブランドとは ブランドが持つ意味 ブランドをどうやって作るか 意識が作り出すブランド 意識とブランド

ITベンチャーが成功する要因、R&Dはどれだけ意味があるか

apple,googleなどの企業研究

Posted by takeshi at 06:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
October 02, 2004
イチローが普段メディアにそっけないわけ
普段イチローはメディアに対してそっけない。
実際は面白く、明るい面も持っている人だと思う。
気の会う人とはケッコウ盛り上がりそうな人だと思う。
勝手な想像だけどね。

メディアは自分の意思と反して、てきとうに報道することが多い。
そんなメディアが嫌いという理由でイチローはそっけないのかもしれない。

しかし、これだけではないのではと、ふっと思った。
勝手な推測なんだけどね。

こんな感じ。
自分の精神のコントロールをメディアを利用して行っている。
ということだ。
これだけでは、意味が分からないかもしれないので詳しく書く。

イチローぐらいの選手になると、節目節目でインタビューなどを絶対に受ける。
ニュース性があるから、イチローはあまりコメントをくれないから記者はコメントがほしくてたまらない。
そんな節目は記録達成の目前だったり、優勝するなどの前だったりする。
このとき、すごくワクワクしていたり、ありえないほどのプレッシャーを感じていたり、緊張しているだろう。
でも、イチローはそんなそぶりを見せない。
淡々と、冷静なコメントする。
このコメントは自分のためにしているのだ。
冷静なコメントをあえてすることで、自分を高揚した状態から落ち着ける。この意味があるだろう。
(外部に宣言するって感じの意味もあるだろう。
外部に公言して自らを追い込むみたいな。)
精神を落ち着けて、次の試合に臨むことが重要だと知っているから。
平静を保つこの大切さを知っているから。
で、この冷静なコメントには他の意味もあると思う。

インタビューを受けたものはテレビで放映されたり、新聞記事になる。
見たくなくても、テレビで自分のコメントを聞くかもしれないし、記事が目に入るかも、周りからコメントに対する感想などを言われるかもしれない。インタビューのコメントは、ほかっておいても自分の耳に入ってくる。

自分の発言をメディアを通して聞く。
これは自分の発言なんだけど、いったん記者のフィルターを通り、メディアというものを通して聞くと、客観的な発言のような感じで自分で感じられるだろう。自分の発言を聞いて、改めて自分で実感するというか、発言したときとは違った意味を持って自分の中に入ってくるだろう。

ここに意味があるんじゃないかな。
いったん自分の発言が外に行き、もう一回自分に戻ってくる。そこで、自分にもう一度言い聞かせる。高揚した状態から我に返らせるような意味があるのではないか。精神を落ち着けて、また次の試合に臨む。

そうやって、メディアを利用しているのかなとふと思いました。
それにしても、達成したときのイチローの笑顔は本当にいい。
それだけの積み重ねがあるからあそこまで、いい顔で喜べるのだろう。

Posted by takeshi at 11:36 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
イチローという漢
今日は朝からイチローの話題で持ちきりだった。
僕もヒットを見てすごく興奮した。
彼はすごい。
自分の道がある。
その道を信じて、その道を生きている。

イチローに関するニュースはできるだけ見た。
ヒットの映像も、インタビューも。
毎回毎回、サブいぼが出た。
僕が尊敬するような精神の持ち主の話を聞いたときに感じる心の状態になった。

ニュースの中でも7時のNHKニュース。このインタービューは長かった。
普通ではカットされている部分がここではやっていた。
そのカットされていた部分が非常に良かった。
他のニュースは重要な部分を分かってない。
何度いろいろなニュース見ても、7時のニュースのコメントは放映されない。
さまざまなブログやニュース記事を検索してもかかれていない。
どうしようと思った。
そうだ、NHKのウェブニュースにないかなと思い、見に行く。
あったのだ。ぜひこれを見ていただきたい。
文章では伝わらないものがある。

このムービーから文字お越しをしました。
以下、その文章です。

イチローのコメント(NHK7時のニュース)

「はぁーぁー、ちょっと言葉には出来ない。
もう多分、少なくともこれまでの僕の野球人生の中では最高の瞬間でした。
激アツでしたね今日は。

(ここまでは普通のニュースやネットにも掲載されている。
ここから下のコメントがすばらしい。)

こういう数字ってのは時間が経ってとんでもないことだと気づくんだと、思ってますけど。この前のホームスタンドではすごくプレッシャーがありましたし、まあ胃が痛くなった程度だったじゃないですかね。やっている間にそのプレッシャーから解き放たれるというのは、不可能ですね。

よくプレッシャーがかかった中で、どうやってそこから抜け出すのかと聞かれますけど、その方法ってのはないですね。その苦しみを背負ってプレーするしかない。それを今回も強く感じました。

Qそれでもどきどきしておもしろいっておっしゃってましたよね?

イヤーもう最高ですよね。ものすごく苦しいんですけど、やっぱりどきどきする感じとかワクワクする感じ、プレッシャーがかかる感じってのはたぁまんないですからね。僕にとって。

うーん、これが勝負の世界にいる者の醍醐味ですからね。
それがない選手では、全くつまらないですから。
残りあっても10打席ですか、おそらくマックスで10打席なると思います、1球1球一打席を大事にしたいと思いますし、僕にとっては最高の野球シーズン最後をしっかりと終わらせたいとおもってます。

(ここまでが本当にすばらしい。
どうせなので、全文掲載。以下は上記の続きです)

弓子夫人もスタンドで見ていましたが?

どうでしょうね、今頃おそらく帰って晩御飯の準備をしてくれていると思いますけどね。
一番近くにいて、いろんなこと感じて、いいことも悪いことも辛いことも楽しいことも分かち合ってますからね。今晩は一緒に、一弓(愛犬)も悲しんだり喜んだりしてくれているみたいなんで、いい時間をすごせればいいと思います。
その他コメントもついでなんで掲載。

ちっちゃいことの積み重ねのみがとんでもないことを達成するためのタダ一つの道なんだなと思った。

「今シーズンはチームがなかなか勝てなかったが、その状況に身をゆだねてしまうことはできなかった。自分の中でモチベーションを『やる気』を作っていかなければいけなかった。プロは勝つことだけが目標ではないプロとしてどういうプレーをしていくのかが大切だと思っている」

日本でプロ野球でのシーズン最多ヒットとなる210本を打った1994年と比較して「あのころは若くて怖いもの知らなかった。今回の記録は怖さを乗り越え、自分の技術を確立して達成したものなのでまったく意味が違います」と分析していました。

「僕は大リーグでは体が小さいほうですが、こういう記録を作れた。これは日本人選手や日本の子どもだけでなくアメリカの子どもにも言えることだが、大きさや強さにあこがれ過ぎて可能性をつぶしてはいけない。自分の持っているものを生かした方がいいと思うし、可能性は広がると思う」

(心境は)ちょっと言葉にできません。少なくても僕の野球人生では最高の瞬間でした。
(新記録の瞬間、チームメートが祝福してくれたが)普段はなかなか言葉でコミュニケーションはできないですけど、こういうときにチームメートが熱い思いを表現してくれて、普段は感じられない言葉では分かり得ないものがあって、僕も熱くなりました。

 まずは一緒にシアトルにいる妻・弓子と一弓(愛犬)に感謝したいと思います。それから両親や友達にもお礼を言いたいです。

――記録達成への原動力は何か。
 野球が好きだということ。今季は、チームが厳しい状況で、そこから自分のモチベーションを作らなければならなかった。プロとして、勝つことだけが目的ではない。勝つことだけが目標の選手だったら、今回のようなことは無理だった。それは自分自身が自分自身に教えてくれた気がする。

――記録達成には重圧がかかったか。
 僕はやりたいと思ったことはやる。やりたいとか、やれるとか思うと、プレッシャーはかかるもの。注目を苦しいと感じることはない。注目をされないと僕らは終わってしまう。

周りがいようがいなかろうが重圧は変わらない。僕はやりたいと思ったことをやり遂げたいほう」と胸を張り、ヒットの原動力については「野球が好きだということ」

 ――自身の年間最多安打記録は破られるか。
 84年もなかったことだが、ここにやってしまった人がいる。自分がもう一度破りたい。
 ――次の目標は。
 次のヒットが目標です。 これで終わりじゃない。もちろんですよ

9月上旬に安打のペースが上がったころ、「普通にやっていれば(最多安打)記録は出来るかもしれないと思った」という。その後に1度、ペースが落ちたが、9月21日の試合で5安打。「また、可能性が出てきたと思った」と振り返った。

~快挙達成のイチロー、一問一答(1)~
by 丹羽政善
 1日のテキサス・レンジャーズ戦でジョージ・シスラー(ブラウンズ=現オリオールズ))の持っていたシーズン257安打というメジャー記録を84年ぶりに更新したシアトル・マリナーズのイチロー外野手。歴史的金字塔を打ち立てた試合後、その胸のうちを語った。

 

メジャー新記録を樹立した後、チームメートから祝福されるイチロー。(写真提供:AP/WWP)
Q:今の気持ちは。
A:(達成した)直後は、かなり熱かったですね。これまでの僕の野球人生の中では、最高に熱くなりました。(試合後にチームメートから)ビールを掛けられましてね、まさか最下位のチームで、ビールを掛けられるとは思わなかったです(笑)。

Q:257安打という数字は、いつ頃から意識し始めたのか?
A:具体的にイメージするようになったのは、当然200本越えてからですけれども、ペースが急激に上がった時がありましたよね。まあ、あの頃は「普通にやっていけばできるかもしれない」、そんな風に考えましたけれど、この前のホームスタンド(9月17日~19日のアスレチックス戦)でなかなかヒットが出なくて、「厳しいかな」っていうふうに逆戻りして。アナハイムにいって5本、4本と(ヒットが)出た試合があったんですけれども、そのときにまた「可能性が出てきな」って思いましたね。

Q:メジャー1年目だった2001年と比較すると、今年はお互い知り尽くした状況での記録となったが。
A:2001年に残した記録とは、全く違うものだと感じています。日本で残した数字、210安打というのを良く思い出すんですけれど、1994年にやったその記録というのは、怖さを知らないで自分の力よりも大きなものが働いたシーズンだったんですね。でも、この2004年のシーズンというのは、いろんな怖さを知って、それを乗り越えて、自分の技術を確立した上で残した数字ですから、僕にとっては重みが全く違います。

Q:ヒット1本の重みとは。
A:状況によりますね。打てるぞって思うときもあるし、やたら難しいと感じるときもあるし、それはメンタル的なものも大きいです。やっぱり周りからの期待だとか、異様な雰囲気。そういうのに影響されることもありますし。常に安定した状態でっていうのは、まだまだできないですね。

Q:記録への原動力は何だったのか?
A:野球が好きだということだと思いますね。今シーズンに限って言えば、チームが勝てない状況が最初から続いて、そこに身を委ねることができなかった。自分の中からモチベーションをつくり出していかなければならなかった。ただそれっていうのは、これまでもやってきたことなんで、人が心配するほど大きな力はいらなかったんです。今シーズンここまで来て思うのは、プロとして勝つだけが目的ではないということ。これだけ負けたチームにいながら最終的にこんな素晴らしい環境の中で野球をやれているっていうことは、勝つことだけが目的の選手だったら不可能だったと思うんですよね。プロとして何を見せなくてはいけないか、自分自身が何をしたいかということを忘れずにやらなくてはいけないんだということを、自分自身が自分自身に教えてくれたような、そんな気がしています。

Q:子どもたちへのメッセージを。
A:僕がこちらに来て強く思うことは、体が大きいことにそんなに意味はないということ。ある程度の大きさっていうのはもちろん必要ですけれども、僕は見てのとおり、メジャーに入ってしまえば一番小さい部類。でも、メジャーでこういう記録を作ることができた。これは日本の野球選手、日本の子どもだけではなく、アメリカの子どももそうですけれど、自分自身の可能性を潰さないで欲しい。そういうことは強く思いますね。あまりにも、大きさに対する憧れや強さに対する憧れが強すぎて、自分の可能性を潰してしまっている人ってたくさんいると思うんですよ。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと。それができれば、凄く可能性が広がると思います。

http://www.major.jp/news/news.php?id=2004100254

Posted by takeshi at 11:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
後悔という人生最大のリスクはとりたくない
楽天の三木谷浩史さんといえば、今野球で大忙しだ。
テレビなどのメディアでもよく取り上げられているので、世の中のほとんどの人が知っているだろう。

で、先日三木谷さんの話を聞いた。

今年の春も彼の話を聞いた。
そのときの話はそこまで面白くなかった。
ナルシストナ人だなと思ったぐらい。
一橋の入学式という場所だったのでつまらない話にならざるを得なかったのかもしれないが。

で、今回は前回とは違いかなり面白かった。
そこまでナルシストと印象もなかったし、
社会では三木谷さんは今あんまり良いイメージがないみたいだ。
後から野球参入を表明、ライブドアの後に仙台をホームにするなどがあるからだろう。
それとアドバイザリーメンバーがトヨタ、三井住友などのトップというのも受けが良くないだろう。

僕も、これらはどうかなと思う。
というよりも、ライブドアの方が想像も付かないオモシロイコト(常識はずれといわれそうな)をしてくれそうだから、ライブドアになってほしい。野球界にこんな転機はめったにないのだから、オモシロイコトをしてほしいから。

で、三木谷さんは野球関係でむちゃくちゃ忙しそうだった。まあ、そりゃそうなんだろうけどね。頭の中は野球でいっぱいだったっぽい。自分でもそういっていたし、話を聞いていてもそんな雰囲気が伝わってきた。僕が今回思ったのは、三木谷さんは読売じゃないかもしれないけど、誰かにそそのかされて野球参入を決めたなと。そんな感じが伝わってきた。いろいろな話を総合したり、雰囲気でそう感じた。印象的なエピソードを一つ言えば、野球のことがなかったら、今頃グーグルへ行ってカリフォルニアを満喫していたのに。みたいなことを言った。

グーグルのカフェテリアはむちゃくちゃイイらしいです。グーグルの人にカフェテリアが一番すごいからと三木谷さんは言われていたらしい。それで、楽天も社員食堂をヒルズに作るらしいよ。テキストじゃ伝わらないものってありますからね。

まあ、こんな野球の話はどうでもいいです。

三木谷さんのの話。

■ まずは会社の話。(あんま重要じゃない)

楽天はショッピングモール参入は後発だった。NTTとか大きなところが何社もやっていた。でも出店料が高かったり、システムがむずかったらしい。そこで、5万の定額で、手軽に出店できるシステムで参入した。初めは資本金2000万。サーバーも自分たちで準備したらしい。13店、850商品でのスタート。

一方今といえば、ヒルズに4000坪、1381人の社員、楽天市場の売り上げは8億円/一日。グループでは14億円/日。らしい。850万商品あるらしい。経常利益は160~170億円。でっかくなったもんだ。

infoseek,mytrip,Ynotなどなど、買収している。そして会員を囲い込んで会員データベースを統合、single loginですべてのサービスが出来ることを目標にしているらしい。pointも全部で使えるなどone stop serviceを目指している。で、一番はrakuten booksで本を買ってほしいらしい。このためにDBの統合やpoint制度をやっているといった。本をオンラインで売るのってそんなに儲かるのか?アマゾンもそこまで儲かっているように聞かないし、うまい話ではない気がするが、何かあるのだろう。

いろんな会社を買収している楽天だが、楽天とサービスメイを変更したものとそのままのものがある。今回の野球の件で楽天と名のつくサービスはアクセス数30%アップ。しかしブランド名が買収前と同じサービスは変化ナシ。ブランドネームの重要性と、名前の統一の意義を感じたそうだ。ライブドアもアクセスがアップしたというニュースが出ていたしな。名前を売るって重要だよな。
■ 日本のうまくいかない企業
・Agency Cost
株主、経営者、従業員の利益が相反関係にある。だから、どれかが常に不利益をこうむることになる。いかに3者の利益を同じ方向に向けるかが重要。(ストックオプション、オーナス経常利益連動など)

・既得利益
制度・規制に守られた企業→将来性や、エキサイトメントなし

・いきすぎた年功序列
→若い優秀な人材ではなく、昔からの社員優遇

・産業の陳腐化
→IT化の流れに遅れ、将来性ナシ

彼、曰くこんな企業はもうだめ。

興銀のシステム開発料は3000億円、新生銀行は10億とか言ってた。新生の情報センターみたいなところにはデルが大量に並んでいたみたいです。

楽天も普通500億ぐらいかかるシステムを50億でやったらしい。

■ 三木谷的ベンチャー論

・草ベンチャー(パン屋とか、小さなお店。小さなままの会社。アメリカではstreet businessというらしい)←これがいいとか悪いという話ではない。個人のやりたいこととマッチしていればすばらしいこと。

・幹となるベンチャー(雇用を創出し、社会を変える企業。マイクロソフト、オラクル、シスコなどなど・Professional Venture)

どれくらいの会社にしたいかは、あらかじめ決めておくべきである。

ヒッピー的にやりたいことをやるのは無理。プロフェッショナル意識を持って自由にやる。

環境や予見を決め付けて、人間は壁を作ることが多い。初めから無理と決め付けない。何かを変えて達成できないかを考える。たとえば、予算を増やして時間短縮など。

通常の会社は12ヶ月かかる仕事。ベンチャーは通常の会社ではない。だから何とかして時間を短縮してやるのだ。

■ 楽天の目指す企業像

・できる人間が切磋琢磨するビジネス界のメジャーリーグ
・アントレプレナーマインドあふれる創造的集団
・ゴールオリエンティッドなプライドの高い集団
・仕事のできる人間になれる最高の職場
・フェアなリターンが得られるプラットフォーム

勝たないと意味がない。会社・人生は面白くなきゃ意味がない。
決してあきらめない。常に前に進む。

■ 必要なもの

・スキル
・ナレッジ
・マインド(目標達成意欲、自己成長意欲、CSマインド、プロフィットマインド、チャレンジマインド)

変な細かな知識は後で勉強すればどうにでもなる。マインドが最も重要。
まずはいろいろな経験をたくさん積み、精神的に強くなる。これが一番大切。

コミュニケーション能力も大切。

■ エピソード
・消費者は100円、200円ぐらい値段が違ってもあまり気にしない。
・会社設立に作ったロゴ、明朝体で楽天市場=5万円。現在のゴシックロゴ=250万円。世界進出のローマ字のロゴ=7000万円。
・会社を始めて一番の決断は、出店料を定額5万円から5万円プラス売り上げに応じての課金に変えたとき。このときは悩んだがそうしないとサービス継続は無理だった。出店数が10店になってもやる不退転の決意だった。
・楽天市場という名前は純日本的でITッぽくなく反対された。しかし反対されるとやりたくなる。みんなと同じことはやりたくない。だからよけい楽天市場という名前にしたくなった。

■ 印象に残った言葉
・会社を成長させるポイントは「大きな目標をたて、それを社員、メディアなどに言い続けること」
・変な細かな知識は後で勉強すればどうにでもなる。マインドが最も重要。
 まずはいろいろな経験をたくさん積み、精神的に強くなる。これが一番大切。
・会社はつぶれても死なない。それに、人間はいつかは死ぬ。地位や金はそこまで重要じゃない。
「後悔という人生最大のリスクはとりたくない」
・直感で意思決定することが多い。その後根拠付けを行いビジネスプランニング。
・直感で間違ったらすぐやめる。
・花形セクションに初めから入ると成功しない。地味なセクションでも学ぶことは多く、腐らずに自ら改善点探し、腐らずにまじめにやる。これは後々大きなプラスになる。

以下は楽天を楽天たらしめている、三木谷浩史を三木谷浩史たらしめている考え。

成功のコンセプト
by三木谷浩史

■楽天の目標

世界一のインターネット・サービス企業

■楽天における5つのコンセプト

1)常に改善、常に前進
人間には2つのタイプしかいない。

【GET THINGS DONE】
様々な手段をこらして何が何でも物事を達成する人間

【BEST EFFORT BASIS】
現状に満足し、ここまでやったからと自分自身に言い訳する人間。
一人一人が物事を達成する強い意志をもつことが重要。

2)Professionalismの徹底
楽天はプロ意識を持ったビジネス集団である。
勝つために人の100倍考え、自己管理の下に成長していこうとする姿勢が必要。

3)仮説→実行→検証→仕組化
仕事を進める上では具体的なアクション・プランを立てることが大切。

4)顧客満足の最大化
楽天はあくまでも「サービス会社」である。
傲慢にならず、常に誇りを持って「顧客満足度を高める」ことを念頭に置く。

5)スピード!!スピード!!スピード!!
重要なのは他社が1年かかることを1ヶ月でやり遂げるスピード。
勝負はこの2~3年で分かれる。

 

Posted by takeshi at 10:43 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
イベントに大切な三要素
連帯感(地域性、フランチャイズ、参加意識)
競争心
ドラマ効果(主役、動き)

Posted by takeshi at 02:28 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2004-09

http://www.teratown.com/blog/archives/2004_09.html  

September 30, 2004
BRICs
なんか、昔日経でBRICsというのを読んだ気がする。

これは、Brazil,Russia,India,Chainaの頭文字をとったはずだ。
何十年かたつとこれらの国が世界の中で大きな役割を果たすようになるって話だったと思う。
ここであげたそれぞれの国は役割とは違ったものになるだろう。
どんな役割を果たすのか、考えたり、勉強したり、議論するのも面白そう。
10年後の世界、そして我々の生活ですら、想像できないからとっても難しいんだけど。
簡単に言えば、我々が創造していくんですよってね。

これ以外にも、2、30年後に大きな役割を果たす国はいくつか出てくるだろう。
勢いがあって、トップを追いかけるときは面白いだろうなとも思う。
がむしゃらにやる感じがね。
まあ、日本はその段階をすぎ今のような快適な生活を送れているわけで、そこは先人に感謝しなければならない。
日本はそれらの国とは違ったアプローチでやっていかないといけないのは明らかで、それを考えるのもワクワクする。

それは、おいといて
僕の行きたい国、というのは
・年をとったら行きづらい国
・今、詩か味わえないものがある国(成長真っ只中など)
・日本と全く違うものがある国
・世界でナンバーワンのものがある国
・美しいものがある国
・昔からの憧れ

今しか味わえない、今しか出来ないってのが大きいかも。
これは、僕がという面も、その国がという面もある。
僕が今この年だから感じれること、それを体験することが僕にとって大きな意味、影響を持つこと、
それとその国が、今成長途中だったり、その国の何かが世界でNo.1だったりと、国の状態が今しかない。この2つの面で今しか出来ないという意味です。

なんで、今しか味わえないことを重要視するかというと、
簡単に言えば、自分で体験しないと、肌で感じないと気がすまない性格だからだ。
今しか体験できないなら、今体験しようと。

この考え方から来ているんですけど、歴史をあまり信じれない。
自分がすべて正しいとか、見たもの、実際に体験したことがすべてだとは思わない。
自分が実を持って体験したこと以外を信じて行動しなければならないこともあるだろう。
大昔の歴史は、書物とかを証拠として正しいとされていることがアある。
でも、書物にすべて正しいことが書かれているとは思えない。
(その部分も考慮して、研究者はいるだろうけど。)
たとえば、僕みたいな性格の人が大昔、権力を持って書物を記したとする。
実際になかったことでも、あったことかのように書き記す。
すると、時代が経ち、その書物を分析した研究者は、実際にはなかった出来事を昔実際にあったと謝った理解をするだろう。
実際このようなことがあると思う。
だから、歴史をいまいち信じれない。
古代史が好きな人は、こうやって分からないことが多くて、今までの説が覆ることもあるから、面白いと思っているのかもしれないけどね。
まあ、話が進まないのでこの話は終わり。

結局は自分の目で見て、耳で音を聞き、肌で風を感じ、鼻でにおいをかぎ、その場を共有して納得したいということです。だって、9/11のテロだってテレビや、話、ネット、写真、本から得る情報、や感じることと実際にその時、その現場に行って感じるものは全然違うと思うから。

こうやって昔から思っていたなと、引用。
2003/01/21に書いた自分の文章より一部引用
「本物志向?違うな現場主義?実物主義?まあとにかく本物を見ないとだめだと。感じ方がぜんぜん違う。同じ空間を共有して、生で本物を見ることは、ブラウン管を通してみることや本で学ぶこととはレベルが違うということです。」

ここでは例として、アシモを生で見たときの衝撃(テレビではそこまで衝撃を受けなかった)、海外で味わう体験(噂やテレビからの情報とは比較にならない)について書いてある。

で話をBRICs関係に戻す。

最近友達との間で中国の発展の話や、インドの話、などをした。
ニュースではG7にも中国が夕食会に参加するとかいう話も出ている。
旅先で、韓国からインドまで陸路で旅している人に聞いた話も思い出した。
(彼はトルコまで行って、シベリア鉄道で帰る予定らしい)
僕が、中国とインド今後どうなりそうか、どう感じたかと聞いた?
簡単に書くと、彼曰く、中国はすごい。勢いがありドンドン成長しそうだと。肌で感じた。
インドも今後成長するといわれているが、中国のような勢いは感じないといっていた。

これを聞いて、僕はこの成長真っ只中の中国を見たいと思った。
その勢いを肌で感じたいと。

南米にも生きたい。
それは純粋に美しい景色を見たいのと、日本から見て地球の裏側。
文化も違うだろうなと思って、行ってみたい。
そこでふと思った。

まあ、激動の世界を自分の目で見たいと。
そしていろいろ考えたいと、そして何が出来るのかを考えたいと。
そういうことでした。

目が輝いて、心が躍って、ワクワク、こんな日々を送れる人生。
こんな人生を望む。
ネパールはアジアでもNo.1の最貧国らしい。
注目される有力新興国
 BRICsは、ブラジル(Brazil)、ロシア(Russia)、インド(India)、中国(China)の頭文字をとったもので、アメリカの大手証券会社、ゴールドマンサックスが昨年秋に発表した「BRICsと夢見る――2050年への道」と題する投資家向けレポートで初めて使いました。以来、有力新興国を表す言葉として、しばしばマスコミで取り上げられるようになってきました。
 証券会社ゆえ、投資判断に視点を置いていることもあり、多少割り引いて考える必要もあるかもしれませんが、かなり衝撃的な内容が含まれていたため、次第に取り上げられる機会も増えてきたようです。
 このレポートによると、今後、現在のペースで経済発展をつづけると、2039年までにBRICs4カ国のGDP(国内総生産)の合計が、アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア(現在のG6)のGDP合計を上回り、さらに2050年には、GDPの順位が、中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシア、イギリスの順になると予想しています。現在の超大国アメリカが首位の座を明け渡すとされていることもショッキングですが、日本についても、まだ4位の座にとどまっていると肯定的にとらえるのか。それとも、ついに2位の座を守れなくなったと否定的にとらえるのか、人によって、かなり受け取り方も異なることでしょう。
 ここで、BRICsの4カ国の共通点をあげてみます。すると、”なるほど”と、肯ける点も多いのではないでしょうか。

(1) 国土が広い

・ B … 851.2万平方キロメートル(日本の約22.5倍)
  ・ R … 1,707万平方キロメートル(日本の約45倍、アメリカの2倍近く)
  ・ I … 328.7万平方キロメートル(日本の約9倍、現在の係争地を含む)
  ・ C … 960万平方キロメートル(日本の約26倍)

(2) 人口が多い(大きなマーケットになる)

・ B … 1億7,600万人(世界5位、2002年)
  ・ R … 1億4,550万人(世界8位、2002年10月
  ・ I … 10億2,702万人(日本の約8.6倍、世界2位、2001年)
  ・ C … 12億6,583万人(日本の約10倍、世界1位、2000年11月)

  合計、26億人を超え、世界の人口の4割以上を占める。

(3) 産業の発展を支える豊かな鉱産資源をもつ

・ B … 鉄鉱、ボーキサイト、錫など
  ・ R … 石油、天然ガス、石炭、鉄鉱、銅、ニッケル、金、タングステン、ウランなど
  ・ I … 鉄鉱、宝石、石油など
  ・ C … 石炭、石油、天然ガス、鉄鉱、ウラン、タングステン、錫、亜鉛、モリブデンなど

  また、各国のGDPまたはGNP(国民総生産)と経済成長率は、次のようになっています。

(4) GDP・GNP、経済成長率

・ B … 4,510億ドル(GDP、2002年)、0.1%(2003年)
  ・ R … 4,517億ドル(GDP、2003年)、7.3%(2003年)
  ・ I … 4,774億ドル(GNP、2001年)、4.4%(GDP成長率、2002年)
  ・ C … 約1兆2,300億ドル(GDP、2002年)、8.0%(2002年)

  合計、約2兆6,000億ドルになりますが、現段階では、まだアメリカの1/4に過ぎない。
                       *資料…外務省各国・地域情勢ほか
 さらに、これらの4カ国は、1990年代以降、自由主義改革を進め、国外からの直接投資を積極的に導入し、産業基盤の整備や法体系の整備、技術力の強化につとめているという共通の特徴があります。
BRICs4カ国
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■ 日本を中心とする経済的な結びつき
 ここで、BRICs4カ国と日本を中心とする経済的な結びつきについて概観します。
 中国は、地理的に近く、歴史的、文化的にも結びつきが深いので、まず日本企業は、豊富な労働力を見込んだ生産基地として利用しました。さらに現在では、旺盛な消費者ニーズを見込んで、中国市場の開拓に力を注ぐようになっています。すでにメーカーばかりでなく、流通業やサービス業なども盛んに中国に進出していることはよく知られています。
 これだけ深い結びつきがあることから、日中貿易額は、対中輸出399億ドル、対中輸入617億ドル、合計1,016億ドル(2002年)になっています。また中国から見た貿易では、日本は輸出相手国として第3位、輸入相手国として第1位(2002年)を占めています。

 インドについては、一般の人々の関心がそれほど高いといえませんが、IT業界では以前から、中国と並ぶソフトウェア開発基地として、大きな注目を集めていました。実際、ソフトウェア開発をインドに委託する日本企業も次第に増えています。こうした傾向は、さらにつづくと考えられ、英語圏でもあるインドは、今後、世界のITセンター化すると予想する人もいます。
 日印貿易額は、対印輸出約25億ドル、対印輸入約22億ドル、合計47億ドル(2002年、1ドル105円換算)と、中国と比べて圧倒的に少なめです。インドから見た貿易では、日本は輸出相手国として7位、輸入相手国として8位(2000年)です。
 中国とインドの2国については、日本では、まだ問題がさほど顕在化していませんが、アメリカでは、現在オフショアリングが社会問題にもなっています。オフショア(offshore)は、「沖の方へ」を意味し、オフショアリングとは、業務を沖のほうへ、つまり海外へ移管・委託することを表します。この目的は、企業が、海外の優秀で低コストの労働を積極的に活用し、収益性と生産性を向上させるため、適地で最適な業務を分担する国際分業を進めることにあります。
 オフショアリングでの業務移管先は、とくにインドや中国が多く、先に述べたソフトウェア開発をはじめ、コールセンター、会計や法務、研究開発までも移管・委託する企業が増えています。この結果、アメリカでは、1990年代の「雇用なき景気回復(ジョブレスリカバリー)」と同じような現象が起こるようになってきました。今後10年間に、アメリカでは、オフショアリングによって、300万人以上の仕事が海外に移ると予想されています。

 ロシアについては、日本との領土問題があり、1つの交流阻害要因になっています。また地理的関係もあり、日本側は、エネルギー資源確保を目的としたシベリア開発に目が向きがちです。ロシアでは、急速な経済改革の結果、ハイパーインフレに見舞われ、その後1998年には金融危機が発生するなど、経済の抜本的な建て直しが急務の課題になっていました。また、社会主義から資本主義への移行にともなう各種法体系の整備などに追われていたこともあり、両国の経済交流は活発とはいえません。しかし、次第に経済基盤の整ってきたロシアは、WTO(世界貿易機関)への加盟を検討し始めており、意外に早期に加盟を実現すると予想されています。
 ロシアの貿易総額は、2,113億ドル(2002年)であり、貿易相手国としての日本は16位を占めるに過ぎません。

 さらに地理的に遠いブラジルに関しては、かつては、日本からの移民受け入れ先でもありましたが、南米=停滞のイメージがつきまとっているせいか、日本企業は進出にきわめて消極的な姿勢を示しており、ブラジルでのビジネスチャンスを失う危険性を指摘する声もあります。
 ブラジルの貿易総額は、1,076億ドル(2002年)であり、対日貿易総額は、44.45億ドルと少なく、相手国として上位に顔を出すことはありません。
                       *資料…外務省各国・地域情勢ほか
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■ 長期的、国際的視点で将来を展望する
 BRICsが注目され、経済的にも発展してくるに従い、国際的な政治力学にも当然変化が現れています。
 国際連合安全保障理事会の常任理事国である中国、ロシアは、もともと政治的、軍事的にも大きなプレゼンスがありましたが、これに経済力が加われば、さらに存在感を増すことになります。またブラジル、インドも本格的な経済成長の軌道に乗ることで、発言力を増してきます。そして、BRICs 4カ国間がさまざまな問題に関して、国際政治の舞台で連携する動きも増えています。

 たとえば、2004年5月のブラジル大統領の日本を飛び越した中国訪問や、FTAA(米州自由貿易地域)交渉での農業自由化をめぐるアメリカとの対立。また、2003年のWTOにおける決裂要因ともなった、アメリカ、EU(欧州連合)対ブラジル、中国、インドの連携。インターネット管理を国連へ移管せよと主張する中国に対するブラジル、インドの同調など、次第に従来の国際政治の力学の変化を促す動きも急になっています。
 こうした動きを後押ししているのが、フランス、ドイツ、カナダなどのサミット参加国の首脳であり、今後、サミットへの参加を他国に働き掛けています。

 アメリカ1極体制から、一枚岩でないにせよ、これに対抗するかのように発足した拡大EU、さらにプレゼンスを増すBRICs4カ国の存在を考えると、日本も改めて経済的、政治的に進むべき方向性を真摯に模索する必要があると考えられます。
 かつてアーノルド・トインビーは、過去6000年の歴史を振り返り『歴史の研究』のなかで、文明は内部要因によって栄え滅びゆくとし、ボール・ケネディは『大国の興亡』のなかで、経済の変遷と軍事闘争の相互関係を解き明かしましたが、眼前の国益、企業収益の拡大ばかりを目指すのではなく、一歩距離を置き、長期的な視点に立った展望も、ときには必要ではないでしょうか。
▲top
(2004年 6月 23日掲載)
http://www.sw.nec.co.jp/biz_hint/keyword/brics/

Posted by takeshi at 11:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
テレビ
あんまりテレビは見ない。

ただ見る番組は、
食べ物の番組、料理番組、旅番組、きれいな景色の番組、ニュース、情熱大陸、世界遺産、世界の車窓から、こんな感じのテレビが好き。

他はほとんど見ない。
見てもつまらない。
ああ、最近はイチローのニュースは見てます。
何回でも見てます。
彼はかっこいい男ですから。
野茂とイチローは特別です。
個人的にそう思ってます。

たけし&マチャミ!の世界に誇る日本の技術に驚いてみませんか?
▽実写版ロケットパンチ▽絶叫流しそうめん機vs自動お好み焼き機▽剛速球300キロに大興奮!!

こんな番組を見た。すごいね。
あまり知られていないけど、世界に誇る技術を持った会社ってあるんだよな。
かっこいい。

日本中にこういう会社がたくさんあれば、日本もちょっとやそっとじゃ中国にやられない。

テレビで取り上げると、働いている人もうれしいだろうし、モチベーションも上がるだろうな。

日本を支えて、世界を支える、カッコイイな。
Posted by takeshi at 10:41 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
September 29, 2004
航空会社のCM
なんか、旅行ネタとかそんな関連のものが続きますが。
気にしない。

最近、航空会社のCM多くないですか?
今、ブリティッシュのCMをやっていた。
この前はキャセイも見た気がする。
エールフランスも確か。

この時期は飛行機乗る人少ないんですかね?

9月は一年で一番飛行機に乗る人が多いと聞いたことがある。
その反動で10月とか11月は少ないのか?
学生も使わないしなー。
出張とかも少ないのかな?

チケットの値段を見ると確かに安くなっている。

ヨーロッパとかってもう寒くなっているのかな?
まあ、よー分からんけど。
Posted by takeshi at 01:35 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
September 28, 2004
モラトリアム
大学=モラトリアムではなくなったと最近言われる。
実学を学ぶ場だと。

でも、なんか違うように感じる。
僕はモラトリアムでOKだと思う。
モラトリアムであるべきである、そのくらいで思っている。

なぜかといえば、まあ、たとえば例を挙げよう。

高校まで田舎で育った人、特に地方の進学校なんかに行っちゃってた人。
これを想定してほしい。
こんな人は、小学校、中学校ではいわゆる優等生と言われていただろう。
進学校(高校)にいけたのだから。
そんな人たちは、小学校・中学校時代はいい子といわれて悪いこともあんまりしていないだろうし、
親の言うことを素直に聞いて生活してきたと思われる。
そして、高校に入ればいわゆるイイ大学にはいることがいかにもすばらしいことかのように先生を含め、周りに洗脳され、英単語を覚え、数学をひたすらとき、意味不明な古典を一生懸命、奥にある学ぶ理由や、数学の理論の本質なんか考えることなく、問題だけ解けるように頑張ってきただろう。

そんな人たちが、いわゆるイイ大学に合格し、地方を離れる。
なにも知らない田舎モノの18歳が東京なんていう、世界でも一、二を争う大都市、そして狂った町に来てしまう。初めての一人暮らしで、浮かれちゃっている。それで、一人暮らしになれ、サークルでは大学といったらテニスなんて思っちゃってテニスサークルに入っちゃって、ラケットだ、合宿費用だと金がかかる。ああ、バイトしないととバイトとサークル活動に明け暮れる。時は経ち、いつの間にか3年生。就職活動。どうしよう。将来何になろう。ああ。何も考えてない。って感じの人がケッコウいると思う。

これは実学を実践しているとは言いがたい、
僕が思うにモラトリアムって感じでもない。

で、こんな状況で将来どうなりたいとか考えているか?そんな時間ない。
最近の学生は一人でいる時間が少ないように感じる。
一人の時間がなければ、何も考えられない。
それに、友達と将来についてや、生きるとは、人生とはってことをあまり話さないらしい。
サークルに入っている人は、飲み会ではずーっとコールがかっているかゲームをしているようだ。

まったり、飲みながらいろいろ語らうということはないのだろうか。
僕は語らいながらの酒以外ほとんどありえない。

そこ語らいによって気づかされることもかなり多いはずだ。
で、田舎から出てきた新入生は社会のことなんて何も知らない。
社会とはかけ離れたところで、受験勉強をして、
社会で生きていくために必要なことは親が全部やってきた。

そこで、思う。
大学に入ってこれがやりたい。これしかない。
一生これをやる。こうなりたい。と決まっている人はそれをやってくれていい。
しかし、今あげたような人生を歩んで、大学に入った人は、
そんな自分の将来像なんて持っているはずない。
持っていたとしたら、親に刷り込まれたものか、何かだろう。

で、長々と書いてきたけれども、言いたいことはこれだけ。
自分の将来を高校までの生活では決められるはずがない。
だから、大学時代は4年間でいろいろな経験をしろ。
何か一つに特化してやり続けるのもイイが、
つまみ食いといわれてもイイから、できるだけジャンルを問わずできることをする。
大学生という特権(学生兼大人)を生かして、活動するべきだ。
そして、いろいろなことをして自分の好きなことを見つけ出せばイイ。
いろいろなことを経験したり、いろいろな社会人と話したり、異文化の生活を知ったりしていくうちに、いろいろ考え何か見つかるだろう。

大学時代は、こんな感じで何でも経験するべきではないかと思うのです。
これが僕の言うところのモラトリアムです。はい。

Posted by takeshi at 11:50 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
些細なことに気づく
変化に気づく、
客観的な視点。
これは、見失いがち。常に心に留めておかないと。

信頼の置ける外部アドバイザーを置くとか、
何かを始める前の自分の素朴な疑問や、思いをメモしておくとか。
集中して一気にやった後、他ごとをして、一歩下がってみてみるとか。
そうやることが重要だな。
ルーチンで何も考えずにやるのではなく、
何のためにやっているのか、一番初めの思いやビジョンなんかも途中で何回も振り返ったり、
どうすれば、改善できるかと常に考え、メモしたり。
こういう細かいことが大きな差というか、意義あるものを作り出す原動力になるのだろう。
自分が疲れているとか、なんか自分の頭の回転が鈍っているとか昔は分からなかった。
高校や大学一年までは分からなかった。
でも、ああ、今疲れてるとか、だるいとか感じるようになった。
ああ、水分が足りないなとか。
昔は全くその感覚が分からなかった。
年をとったのか、その変化を敏感に感じるようになったのかはわからないが。

Posted by takeshi at 11:21 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
視覚、聴覚では伝わらない何か
言葉では伝わらない。
まあ、伝わらないから面白い部分も非常に多いわけだが。
伝えたいけども、無理なのは分かっていながら、
体験を共有できないのはどうももどかしい。

同じような体験をした人なら比較的理解しやすいのだが。

今回の旅の一番印象に残っていることといえば、
ダントツで、ネパールのがけ崩れ登り。

しかし、これを伝えようと思っても伝えられない。
ピンチナ状況で写真が取れるはずもないし。
たとえ写真を撮っていたとしても、分からないと思う。
もちろん、ビデオでも伝わらないとおもう。
においが加わっても。

肌で感じる、その感覚、
実際目の前にそれがある、それを自ら体験しない限り伝わらない。

難しい。
まあ、すべての人にその感覚を分かってもらう必要もないのだから、
そんなにこだわる必要もないのだが。

でも、体験したからといって、そのことについて分かったというのも違うかもしれない。
今書いたがけのぼりは体験したら、そのまま分かるという感じるのだが。

体験して、一部だけを知ってみて、
すべてを知ったつもりになってしまう場合もある。
そのあたりを気をつけないと。
肝に銘じておこう。

Posted by takeshi at 11:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
September 26, 2004
徐々に書けばいいのに
インド旅行記。
徐々に書いて、
少しずつアップしていけば、
毎日更新されてアクセス数もアップするだろう。

でも、やっぱ俺には出来ないな。
一気に書いて、一気にアップして終わる。
どうも、そういう性格らしい。

細かいことというか、
少しずつこまめに分けてやるという能力は兼ね備えていないらしい。

面白いと思ったら一気にやってしまう。
いい面もあるけど、悪い面もあるな。

それはいいとして、アクセス解析を見ると面白い。
au オーストラリア
np ネパール
edu 北米4年制大学
th タイ
my マレーシア
at オーストリア
ca カナダ
ir イラン・イスラム共和国
mil 米軍
mx メキシコ
tr トルコ
uk イギリス
il イスラエル
pk パキスタン
fr フランス

世界中から見ていてくれているんだな。
まあ、経由しているだけで、その国から見てない人もいるだろうけど、
少なくとも、何人かは海外から見てくれている。
ネットって面白いね。

旅先で知り合った人も見てくれているんだろうか。
Posted by takeshi at 01:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
インドに対する印象の変化
http://teratown.com/files/india/list.htmlとりあえず写真、こちらからご覧ください

前から、行きたいと言っていたインドに行ってきたわけです。
インドにいったことのアル人の話を聞くと、なにやらすごそうなことを話する。

じゃあ、自分の目で確かめるか。
基本的な動機はそれだけです。
何かこれが見たいとか、インドが好きとかそんなんじゃないです。
みんながすさまじいというので、ホントかどうか、またホントだったら、
そんな衝撃を味わいたいと長い間思っていて、行ってきました。

行く前の印象、
・とりあえず騙される。変な旅行代理店に連れて行かれる
・町中が汚い。ごみだらけ、ほこりっぽい
・マチには牛がわんさかいる
・電車のチケットを買うのが大変。電車やバスがむっちゃ込んでる
・くさい
・カレーばっかり食ってる
・ガンジス川がなんかすごそう
・蒸し暑い
・物乞いが足をつかんできてはなさない

こんな印象を持っていってきたわけです。
実際に言った後の感想。
・一人旅の初めがインドだったらすごいショックを受けただろう
・思ったよりショックを受けなかった
・停電が多い
・手でカレーの米をきれいに食べるのは難しい
・バラナシ日本人多すぎ
・インド人はタフ
・確かに糞が多い
・アヒル、豚、いのしし、牛、豚、猿、リス、ねずみ、犬、クジャク、鶏、とりあえず何でもいた
・人ごみでもリクシャが走る。ぶつかる
・乗り物は確かに込んでる
・いいかげん(プラットフォームは本当に適当に教える)
・確かにヤバイ旅行代理店はあった
・思ったより物価が高かった
・田舎は蚊にさされまくり
・左手で尻を水でぺチャぺチャ洗う
・生水は意外と飲める
・何が起きてもへんじゃない。やっぱインドはインド。写真でもビデオでも言葉でも伝わらない。実際言って体験しないと分からない何かがアルそんな国。それがインド。って感じですかね。
Posted by takeshi at 01:11 PM | コメント (2) | トラックバック (1)|
旅の跡、読み方
「旅の跡」を普通に読もうとすると、14から1に向かって読むことになってしまいます。
でも、これは時系列と逆で、読んでも分かりにくいです。

それで、http://www.teratown.com/blog/archives/000903.htmlこのページを表示してください。

これが「旅の跡、その1」です。

このページの日にち(September 25, 2004)の上で、広告の下に
《 ジャパニー | メイン | 旅の跡、その2 》
こんな感じのものがあると思います。

それで、旅の跡、その2ってのをクリックしてください。
すると、次のものが読めます。

同じことを繰り返して、その3、その4と読んでもらうと読みやすいと思います。

ああ、でも一番初めに写真を見たほうがいいと思います。
文章は長くて読むのがいやになると思うので。
写真は下のところにあります。
http://teratown.com/files/india/list.html
とりあえず写真、こちらからご覧ください
Posted by takeshi at 01:36 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
旅の跡、その14
デリー→ソウル

韓国は物価が高い。やることがない。
ビピンパと焼肉はうまかった。
思っていたよりも両方ともヘルシーなのが驚きでした。
2日目は宿に泊まるのがもったいなかったので、泊まらなかった。

ソウル→成田
機内食はいつ食ってもうまい。

って、移動に関するエピソードしかないじゃん。ってね。
他にもいろいろな思い出はありますよ。
それぞれの町での思いでもたくさんあります。
いろいろな人との出会いもありました。
自分でいろいろ考え、新たな自分の考えとの出会いもありました。
でも、移動についてのブログを初めに書いてしまったので、
そんな系統の話しかない旅のブログになりました。

移動手段以外の話はまた、あったときにでも話しましょ。
それぐらいとっておかないと、あったら話すことがないですから。

みんなお金を何にいくら使ったとか知りたいとか?
そういう情報って役に立つし、感覚的に分かるものがあるよなー。
何にいくら使ったか全部メモってあるので、アップしようと思えばすぐ出来ますよ。

そういえば、国境を歩きとリクシャで越えた。
歩きで国境を越えたいと思っていたのでうれしいです。
歩き、リクシャ、バス、電車、船、飛行機、で国境を越えたことがある。
次は何だ?

ブログが長すぎるので、写真でも見てください。
それが、手っ取り早くていいと思います。
http://teratown.com/files/india/list.html
とりあえず写真、こちらからご覧ください

Posted by takeshi at 01:23 AM | コメント (1) | トラックバック (2)|
旅の跡、その13
ブッダガヤ→デリー

夜行列車。相変わらず、みんないい加減にプラットフォームを教えてくれた。
デリーに着く。デリーではフマユーン墓まであるいたり、インド人料金で入ったり。
タンドリーチキンもうまかったな。
買い物は俺には全く向いていないってことも改めて気がついた。
デリーはネットが安く、早かった。やっぱり首都だ。
デリーは旅行者が多かった。そんな印象だ。

そういえば、ネパールで14日の12時にデリーのマックでと日本人の大学生と会う約束をした。
二人とも行ったことのない場所だったが、会うことが出来た。ちょいと感動。

空港まで市バスで行った。なんと10RSだからだ。
タクシーなら250RS。いいバスなら50RS。
市バスならいろいろ起こりそうで面白そうジャンとか思ってそうした。
そうしたら、起こった問題が。781バスにのれば行ったらしい。
しかし、周りの人に聞くと760でも行くというので、乗ってしまった。
最後の最後でインド人を信じてしまった。
このバスはバスがたまっているところでとまり、降りろといわれおろされた。
ああ、やっちゃった。ここで空港行きのバスを探す。
international air portというと、これだとインド人が言ってくる。
どのバスも行くのかと思うと、そうみたい。
いや、違う。そんなことはない。と思い、聞く。
するとダイレクトではない。近くまで行くらしい。
781バスを探したがここにはよらないみたい。
あきらめて近くに行くバスに乗る。
ダイレクトと聞いてそうだといったバスにあえて乗った。嘘としりながら。

ここで驚いたのが、僕の乗っていたバスに母と息子の親子が乗ってきた。
そして出発を待っていた。
しかし、そのバスは彼らの目的地まで最も近いバスではなかったらしい。
そして彼らが外を見ていると、目的地へ直接行くバスを見つけたようだった。
それに乗り換えるためにバスを降りようとすると、
バスの乗務員が入り口を封鎖。出れないようにしている。飽きれた。
インド人はインド人に対してもむちゃくちゃなことをするのだな。
維持でも儲けたい感じがした。彼らは結局バスは乗りかえれなかった。

僕がこのバスはどこに行くんだとかきいていた、
外のバスの運転手にも声を掛けて聞いていた。
すると馬鹿なインド人が、俺に水を掛けてきた。もうぶち切れ。
何でいきなり水を掛けるんだよ。そして笑っている。
マジでシバイテやろうかと思った。日本人をなめるなよ。
ぶちぎれて、怒鳴ってやった。本当にむかついた。
バスでミスっていたのでさらにむかついた。

本当に空港の近くに行くかどうか道路標識を確認しながらバスに乗っていた。
何度もバス代を払うように言われたが無視をしていた。
すると、乗務員が降りろと言ってきた。
それも幹線道路沿いのど真ん中で。仕方なく降りる。
直接行くといったのに、空港に来ていない。だから金は払えないといった。
たった5RSなんだけど、払うということが気に食わなかった。
維持でも腹ってやらない。
近くで地下鉄の工事をしていた。
責任者っぽいスーツを着ていた人は英語が話せたので、そう伝えて、
バスの乗務員との通訳をしてもらった。
ついでに警察も近くにいたので、その4者で話した。
俺は騙された金は払わないと、はっきりといった。
10分ぐらいでバスの乗務員はあきらめてバスと伴にさった。

しかし、ここからどうやって空港に行こう。わかんねー。どこだー。
工事現場の責任者の人はオートリクシャで行けと言ったが、
あいているリクシャは通らなかったので、歩いていくことにした。
何とかなるだろうと。道で人に空港はどこだと聞きながら歩いた。
途中、ちっちゃな集落に迷い込んだりもした。
空港に歩いていくのは明らかにおかしいよなとか思いながら歩いた。
ケッコウ歩いた。スリッパにバックパック。

するとタクシーっぽい車の人が止まって声を掛けた。
タクシーなんか乗れないよ。金なんかないんだから。といった。
すると、金はなくてもいいという。怪しい。本当か?
何度も金は払わないといった。でもOKという。
疲れていたし、感覚的に信じれそうな人だったので、
空港まで乗せてもらうことに。車の中では、どこを旅行したとか、
いくらぐらい使ったとか、聞いてきた、車でもケッコウな距離だった。
乗せてもらってよかった。
降りる間際、エアーインディアの職員だといった。だからか。
空港まで行くところだったんだ。そして、空港の近くでおろしてくれた。
いい人だった。最後の最後でインド人のよい人に触れた。
金がないといっていたら、スナックを買う金を上げようかといってきた。
さすがにそれは断った。でもうれしかった。そこまでしてくれる。ありがたい。
人間の優しさはいいもんだ。そんなこともありながら、空港に着いたのだ。
Posted by takeshi at 01:20 AM | コメント (1) | トラックバック (2)|
旅の跡、その12
ラクソウル→パトナー

朝5時にパトナーに着いた。大きなバスターミナル。
ターミナルといっても、広い原っぱにバスがたくさんあるだけなんだけどね。
パトナー→ガヤ

ガヤへ行くぞ。とおもいブッダガヤ行きバスを探す。
すると6時発のがあった。よし、これだ。
それにのっていった。ネパールのバスと比べると快適。
快適って表現は適切ではなさそうだけど、
ブッダガヤに行くといわれてのったが、案の定ガヤ駅で降ろされた。
ガヤ→ブッダ・ガヤ

リクシャでバス停まで行き、そこから乗り合いのミニバス。
人が集まると出発だ。途中で人が降りると、人がフルになるまで客を探す。
そんな感じ。やっと念願のブッダガヤに着いた。
ここではインド人との出会いがあった。
インドの国会議員と飲んだり、
ブッダガヤの隣村(日本人がよく行くスジャータなんかじゃないよ)の一般家庭に入って飯を食わしてもらったり、日本とインドのサッカーをその家で見たり。
坐禅を組んだり、仏教についての話を坊さんに聞いたり。
朝の坐禅。4時30に外に出たら懐中電灯が犬の目に入り追いかけられたり。
停電もあったな。本当に真っ暗だった。
Posted by takeshi at 01:14 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
旅の跡、その11
ビルガンジ→ラクソウル

ここは国境の町。ビルガンジはネパール。ラクソウルはインド。
バスを降りてリクシャで。初めてリクシャで国境を越えました。
イミグレーションは電気もついてないボロイ建物。
聞いたから分かったけど、目に付かないところにあるので普通気がつかないぞ。
この町を少し歩いた。そしてバスターミナルへ。
パトナ行きの夜行バスはたくさん合った。
よし、よし。夜22時30まで待つことに。

しかし、バスの中、蚊が多かった。暑くて蚊が多くて。環境最悪。
3,40箇所はさされた。死にそう。と思った。むちゃくちゃ気分悪かったです。
かなりむかついてました。でもここで耐えて待つしかない。しかたない。
Posted by takeshi at 01:12 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
旅の跡、その10
ナラヤンガート→ビルガンジ

で、ナラヤンガートという町に。そこで、バスを探す。
すると、近くにとまっているバスがビルガンジ行きのようだ。
ラッキー。バスに乗る。しかし、バスの会社の奴が金を払えといってくる。
俺はすでに払った。カトマンズからビルガンジまでのチケットを買ったのだ。といった。
しかしnew busだから金を払えという。払えるか。
俺はビルガンジまでのチケットを買ったのだ。
絶対負けない。絶対払わない。絶対バスからおろされない。
チケットを見せた。しかしネパール語で書いてあって分からない。
チケットを見せても払えといってくる。ネパール人4人で俺に払えといってくる。
クソー。払えるか。と思い、
バスに乗っている一般客にチケットを見せてビルガンジまでのチケットを買ったんですけど、
こいつらが払えといってくる。俺は払わなくていいはずだ。と伝えた。
状況を踏まえて、その人は分かったらしく、バス会社の人に言って助けてくれた。
ありがとう。こういうときは一般人を味方につけるのは良い戦略なのだ。
でも、彼らは払えといったが払わないといった。
チケットを奪おうとされたので、返せといって奪い返した。

すると、僕がここまで乗ってきたバスがUターンして、今乗っているバスの横を通った。
すると、新しいバス会社の人が、すれ違ったバスを止めた。
そして、僕が乗ってきたバスの運転手と反し始めた。口論が起こり始めた。
10分ぐらい両者で口論をしていた。
もしかしたら、本当のところ俺はバス代を払わないといけなかったのかも。
でも、運転手がしぶしぶ新しいバスの会社の奴に金を払った。
すると、僕は新しいチケットをもらった。これで、追加料金なくビルガンジまでいける。
勝った。今度も勝った。追加で払ってたまるか。

でも、ナラヤンガートからビルガンジのバスが辛かった。
道が悪い。悪すぎる。多分今回のたびで最も道が悪かったのがここだ。山と道路と川。
そんなんだが道は舗装されていないところがほとんど。
山崩れは80箇所ぐらい。道はでこぼこでバスは揺れるゆれる。
道路も崩れかけていてバスが落ちそう。
滝みたいに水が流れているところも。
そんな道なので、立ちおうじょうするバスも。すすまない。
さらにさらに、そんな道なので車も壊れる。
ぶっ壊れた車がそのまま道路の真ん中に放置されてたり、
道路の真ん中で車の修理をしていたり。ありえない。
ここは細い道しかない、山際の道ですよ。。。
しんどかった。この道。このたびで一番辛かった道です。

僕が辛かった理由はまだあって、エンジンの真上の席。
アツイ。エンジンの熱気がそのまま伝わってくる。
日本の車みたいにエンジンのガードがしっかりしていないのです。
暑過ぎるし、エンジンのゆれもあるし最悪でした。ホント辛かった。
Posted by takeshi at 01:11 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
旅の跡、その9
カトマンズ→ナラヤンガート

カトマンズには夜ついた。
カーフューといって外出禁止令の出ている時についた。
町には軍隊しか見当たらない。
バスを降ろされてから安宿のエリアまで真っ暗な中歩くしかなかった。
だってリクシャもタクシーもいないのだから。
タメル地区という安宿地区に着いた。しかし、誰もいない。
これはまずいぞ。シャッターも閉まっている。どこに泊まればいいのだ?
外出禁止令の出ている夜に野宿は絶対無理。
夜の8時にこんなに静まり返った首都は怖いもんだ。

でも、タメルを歩いていると、一人の男が声を掛けてきた、
ホテルがあるという。怪しいと思ったが他にやってない。
仕方ない。部屋を見せてもらった。汚かったが大きな問題はない。
160円だし。ということでそこに泊まった。

次の日もカーフューだった。軍隊は町に3メートルおきにいた。
道路でタイヤも燃えて封鎖されていた。
道路では検問がいたるところでやっていた、
デモもやっていた、外出禁止令もあった。
店も完全閉店、空港は完全封鎖だった。
さらに国王の奥さんが殺されたという噂が町中でされていた。
マオイスト、イラクでネパール人12人殺害、
それについで国王の奥さん殺されたとオフィシャルに発表すると、
国がさらに混乱するから隠しているだけと。そんな噂だった。
国が混乱するとこんな噂も出てくるのかと思った。それを実感した。
でも、ネパールの一般人はそこにいる。
そこに市民の生活はある。
それが現実で、彼らは生活していかなければならない。
当たり前だ。バラナシの聖地も、聖地といっても多くの人が暮らしている、
そこにはそんな神聖なものであり続けるわけがない。
いくら国が混乱しても、聖地といえでも一般人の普段の生活は続くのだ。そう感じた。

カトマンズでは昼も外出禁止令が出ていた。
でも、その合間などで町を歩いた。
スワヤンブナートやダルバール広場。
ダルバール広場は夜に行ったのだが、ここは良かった。
なにか、タイムスリップしたみたいだった。
ずっと昔の世界に来てしまったような感覚に陥った。
僕だけが、現代社会から来ている。
そんな感じ。
変わった町だった。

カトマンズからはまたまたバスだ。このバスも大変だった。
飛行場は完全封鎖だし、バスも相当便数が減っている。
ブッダガヤに行きたかったのだが、そこへの直通はないと知っていた。
しかし、その手前のインドのパトナまでは直通で行きたかった。
しかし、国境のネパールのビルガンジまでしかないという。
しかたない、そこまでのバスで行くことに。そこでまたバスを探そう。
何日かければ、ブッダガヤに着くのだろうと思った。
バスを買ったところでは、ビルガンジまでダイレクトといった。
カトマンズからビルガンジまでの「チケットを買った。

しかし、そんな簡単にはいかせてくれないですよね。
いろいろありましたよ。とりあえず、バスに乗る。
20分ぐらい走り、バスが大量に通るジャンクションというところでおろされる。
そこで、ビルガンジ、ビルガンジと叫びバスを探す。
30分ぐらいしてそのバスが来た。とりあえず、バスに乗れた。
インドやネパールで過ごしていて人は信じれないので、
バスに乗っている人にビルガンジと聞くと、YESと。おお良かった。
でも、先日がけ崩れが起こった場所を通ったのだ。
その直前でバスが止まる。おいおい。冗談じゃないよな。
また山登りか?もう絶対登らないぞ。
と思っていると、バスから降りた人たちがバスに戻って、バスは走り始めた。
良かった。土砂を除いたのが一車線分しかなかったので片側通行のために、
とまっていたのだ。でも、えっ。方向違うじゃん。
ビルガンジはこっち来ないはず。なんか気になってまた別の人に聞く。
するとNOと。ええーー、。どういうこと?
なんかナラヤンガートというところに行って、そこでまたバスを探せという。
仕方ないな。でも、そこにバスがあるならイイかと思う。
Posted by takeshi at 01:08 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
旅の跡、その8
ポカラ→カトマンズ

ポカラでは日の出を見ようと早朝から山に登った。
この時期は雨季で昼間は雲で山はきれいに見えない。
早朝だったのでヒマラヤ山脈はきれいに見えた。
おお、これだこれ。こういうのをネパールに求めていた。と思った。
しかし日の出は見れず。

建築物とかも見るのは好きだが、純粋に山とか海とか空とか、
そういう自然のだだっ広いものを見るのが一番好きだと気づきました。
同じような色で同じような景色が永遠と続くようなもの、
しかし微妙に違うそんな壮大な自然を見るのが好きです。
そんな場所に行きたいですな。
壮大な風景と大雑把に言うのでしょうか。

ポカラの町をレンタルサイクルで走ったのは気持ちよかった。
湖も近くにあり、ボートに乗ったり、本を読んだり。
宿の子どもと遊んだり。

カトマンズへはバスで。これがすごかった。
旅での一番の思い出。
それはがけ崩れ。
山、道路、川とそんなところをバスで走っていた。
道路が山と川にはさまれ本当に狭い。
するとがけ崩れ。ランドスライドって奴です。
朝8時半ごろ通りかかったのですが、そのがけ崩れ、山崩れは、朝6時に起きたらしい。
ポカラとカトマンズを結ぶ道は一本しかないらしく、
50台ぐらいバスがたまっていた。

1,2時間バスを降りて本を読んだりボーっとしたりしていた。
今日はここで野宿かなと。食べ物はどうしよっかなと。
でも、左足の悪いインド人の人とスノウリで仲良くなっていた。
彼とはポカラの湖でもあった。
それで、偶然何度も会っていたのでなんとなく親しくなっていた。
そこで、彼は食べ物ならたくさん買ってきたから、
腹減ったらあげるよといってくれた。うれしかったね。
本当に。泣きそうになるくらい、うれしかった。彼はいい男です。
彼とはカトマンズでもあった。
僕が宿から出て話していたら、前を一台のタクシーが。
するとそのタクシーがバックしてきた。
なんと窓から、足の悪い彼が顔を出した。
おお、ここでまた合えるとは。うれしかった。

そのエピソードはおいといて、がけ崩れの話。
で、がけ崩れの除去作業は何日経てば終わるのだろう、
と思いボーとしていた。
すると、なにやら、僕らのバスの人が荷物を持って歩き出す。
何々?とおもってたずねると、
がけ崩れの反対側に同じバス会社のバスがあるから、
がけ崩れした山を登るという。そうかと、初めは軽く思っていた。

僕はスリッパでもOKかと、そして、何時間かときいた。
1時間ぐらいでエクセサイズみたいなもんだ。といわれた。
それで、軽い気持ちで山を登り始めたのだ。
そもそも、山崩れした山、登るルートが初めからあるわけでも、
足場がしっかりしているわけでもない。
先頭の人が、草とか木を切り、なぎ倒し、道を作りながら登っていくのだ。
そんなんだ。どっかの探検隊か?
それにスリッパに背中にはバックパック。前には肩掛けかばん。
登り初めからありえないと思った。
当たり前なんだが、そのことに登る前に気がつかなかった僕がアホだった。
地面は山崩れしただけあり、すごくぬかるんでいる。
それにロッククライミングのように急である。
どこに足をおき、何をつかむか。そればかり考えていた。
むちゃくちゃ集中していた。今までの人生で一番集中していた。

つかむところを間違えれば、足を置くところを数ミリ間違えれば滑って落ちて死ぬ。
ためしに足を掛けた石が不安定だったらしく、下にコロコロと落ちていった。
それを見てぞっとした。自分もこうなるのかと。
草の根元をつかみ、本当に抜けないか確かめ登った。
両手両足を常に使っていた。体は地面というか山と平行のような姿。
よじ登っている感じ。途中、滝みたいなところも越えた。

2,30分ぐらい経つと、スリッパと足の間に土が入りすごく滑り出した。
そもそもスリッパだけでもすべるので怖い。
でも、そのスリッパを脱ぐ場所もないくらい休憩する場所がない。
でも、このままスリッパを履いていては転げ落ちると思い、スリッパを脱ぐ。
裸足だ。怪我が怖かったが、滑って死ぬ方が怖かった。後ろを見た。
むちゃくちゃ急だ。どうやって登ってこれたのかも分からないくらい。

もう無理だと思った。泣きそうになった。帰りたいと思った。
でも、こんな急なところ戻る方が危険だ。誰も助けてくれない。
金を積んでも、何をしても誰も助けてくれない。
自分自身で何とかするしかない。
選択肢はタダ一つ。
前へ一歩でも進んでいくだけ。
でも、足が震えだした。とめようと思っても震えがとまらない。
落ち着けと自分に言いきかす。心臓の鼓動もむちゃくちゃはやい。
過呼吸になるんじゃないかってくらい。
あせも半端ないくらいでている。
プールに入ったのかってくらい服が濡れている。
それでも、ゆっくりとゆっくりと進んだ。
とげが生えている草や木でも気にしていられない。
藁をもつかむ思い。まさにそんな感じでつかんだ。
それに草の根の強さを感じた。草がなかったら死んでいた。

本当に難所の連続だった。
とあるところでは、高さ的に絶対登れないというところがあった。
だが上には2人のネパール人。彼らは両手を貸せという。
両手をネパール人に託して引っ張りあげてもらうのだ。
そもそも両手を離すだけでも、
バックパックがあるのでバランスを崩しそうになるのに。
どうしよう。二人に命を託そうか迷った。
自分で登れるなら上りたい。そして、周りを見回した。
しかし絶対自分だけでは無理だった。
決心した。信じます。お願いします。上に引き上げてください。
そんな気持ちで、手を差し出し、引き上げてもらった。
怖かった。でも、力を借りて何とか這い上がることが出来た。

外人なんかほとんどいなく、ネパール人ばかり。
荷物も少ない。彼らは先に行ってしまう。
俺は頑張ってもゆっくりしかいけない。
怖いし、急いで足のポジションの取り方をミスったら死ぬと思ったから慎重だったからだ。
でもネパール人はドンドン先に。自分の前から人が消えた。
マジなきそう。どこのルートを通っていけばいいのか分からない。
遭難みたいな感じです。それも道もない山で。
心のそこから前の人にwait waitと叫んだ。とりあえずまってほしかった。
ただただ叫んだ。前のおっさんはいい人だったらしく、しぶしぶという感じだったが、
ぎりぎり見えるところでまってくれた。うれしかった。

長い長い登り。いつになったらのぼりが終わるのかも分からない。
それがまた不安を大きくする。
何時間登っているのかも分からないくらいの感覚だった。
そう思っていると、くだりに入り始めた。ほっと。くだりは登りよりは楽だった。
しかし、人間のミスは困難の跡の楽なポイントで起きる。
ここで気を緩めたら滑って死ぬ。と言い聞かせ慎重に降りた。
すると、山崩れの真横だ。これ危ないぞ。
またここが崩れてもおかしくない。怖い怖い。

すると、最悪なことに変な虫に手を刺される。血もすわれている。
言っとくが蚊のようなものではない。血を吸われ痛かった。
すぐ、虫を払ったが痛みが少しあった。
痛みは続いたが、降りるしかないので、山を降りた。
道路が目に入った。ここまでこれば、落ちても死なないと思った。
地面がうれしかった。地面を見てほっとした。
ここまでほっとしたことはない。うれしかった。死ななかったのだ。
途中で、死ぬかも知れないと本気で思った。
でも、そう思ったら負けと思い、自らを鼓舞した。
でも、今は地面を見てそんなことも忘れるくらい、ほっと落ち着いた。
さらに地面に足が着いたときには、うれしくてうれしくて叫んだ。たまらなかった。

そして虫刺されだが、降りて水洗いをして、刺さっていた針を手から抜いた。
持っていた消毒液で消毒してオロナインをぬった。
少し痛んだが、痛みはしばらくするとひき、何事もなかった。

地面に着いたわけだが、その道路には300台ちかいバスがあった。
汚れまくった、裸足の足と、手、そして顔を洗った。
僕の乗ってきたバス会社のバスは一番遠く似合ったのでひたすら歩いた。
水が売っているところがあり、水を飲んだ。うまかった。うまかった。
タダひたすらうまいと思った。水がこんなにうまいと思ったのは初めてだ。
水で人は生き返る。そして立ちションをしてバスに乗り込んだ。

2時間30ぐらいの山登り、マックスに集中し続けた。
そのセイでバスに乗ると頭が痛くて痛くて、ガンガンきた。
生まれて初めてこんなにも長時間集中したからなのだろう。
Posted by takeshi at 12:59 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
旅の跡、その7
スノウリ→ポカラ

歩いて国境を越えた。30ドルでビザを取った。
そこで、ネパールの治安情報を聞いた。
イラクでネパール人が12人殺されたと。
カトマンズは混乱している。という内容だった。
でも、いまいち何でなのか分からなかった。

次の日バスでポカラへ。ぼろいバス。
バスに乗ると荷物代を払えといってくる。
たしか20RS 。35円ぐらい。でも払えるか。
バス代はもう払っているのだ。それにネパール人の客には言ってない。
維持でも払ってやらない。15分ぐらい、戦った。
バスの出発時間になりそいつらは降りていった。勝った。
屋根から荷物が落とされていないか確認。よしよし。

ただ、カトマンズは封鎖でバスが出ていないので、ポカラ行きしかなかった。
それにポカラ行きもなにやらすごい狭い農道を走る。
そして道に迷ってしまう。

なぜだと思って聞くと、スノウリも町も道路でタイヤが燃やされるなどして、
道路封鎖されていて大通りを進めなかったらしい。
そして、迷った道から抜け、バスは止まった。
道路封鎖が終わるのをまっているらしい。いつになるか分からないと。。。
なんとこの日はイラクでネパール人が12人殺された日だったのです。
そんなことは露知らずと。しばらくして走り始めたバスは超スピード。
町の店はどこも閉まっている。町には軍隊。
そして、タイヤは道路で燃えすごくくさく、バスの中には軍が入ってきて検問。
いやいやすごいときに来てしまったと思いましたね。

この日も朝から夜までバスでした。
ネパールの山道はかなりのもんでしたよ。それに夜雨が降ってきて、
バスの上に載っていた荷物はビシャビシャと。
どうにかこうにかポカラに着いたたわけです。
Posted by takeshi at 12:33 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
旅の跡、その6
バラナシ→スノウリ

インド乗り、これは俺がつけた名前。
バスや電車、リクシャ、車、何でも定員の倍は乗る。
それをインドのリ。ジープのような車に12人乗っていった。
荷物を天上に縛って。狭すぎ。それで、朝から夜まで走り続けた。

昼飯では、運転手のインド人がビールを飲む。
早く出発しないと今日中に国境までいけないと思い。
せかす。しかし、おいおい。
一本かと思ったら、ストロングビールを追加、8%のビール。
もちろん両方とも大瓶で飲んでます。酒臭すぎ。
意味不明で時計を横瀬みたいな感じで客みんなにからむ。

ああ、と思っていたら酔っ払ったまま出発。
途中で車は止まる。麻薬の運びやみたいな人と運転手が話す。
こいつが車に相乗りしようとする。アホ。絶対無理だ。乗れるかボケ。
むちゃくちゃみんなで抵抗。

コロンビア人カップルが乗っていて彼らは、
あの拉致がおきまくって危険すぎるといわれるコロンビア人。
さすがに強い。乗り込もうとする黒くて、デブで、金のネックレスの奴に
open your bag , show meと何度も叫んだ。
中に麻薬が入っていると思ってマジで言っていた。
乗り込もうとするインド人ぶち切れ。目が怖かった。
車のガラスを殴って割るかと思った。

すると、何度も言っていたのでしぶしぶかばんを開けた。
中にはシャツとか靴下が。とりあえず、入ってなさそう。
ではなぜ素直にあけなかったのか?と思っていると、
かばんだけを車の屋根に乗せ、その男は帰っていった。
シャツならもって行かないとダメだろう。やっぱり、麻薬が入っていたのだと確信した。

狭いジープは何度かアクシデントがあった。
でも、夜に国境付近に着いた。

Posted by takeshi at 12:28 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
旅の跡、その5
バラナシ→サルナート

これも市バスで行った。何といっても路線バスは安い。
安いだけあって、庶民が使うインド人感覚を味わえます。
でもそれだけしんどいのも事実です。
外人はオートリクシャーとかリッチなもので行くらしい。

ブッダが最初に説法を説いた土地。
日本寺を見て、心が安らいだ。俺って日本人なんだなと実感。

インドではネパールの情報がいろいろあった。
行く前から問題だったマオイスト。日本人が殺されたとか、
町が封鎖されているとか、デモがすごいとか。

一瞬迷ったが、行くと決めた。
ネットの情報とか自分である程度調べていたから。
不確かな情報は多いから。
そういう情報は感覚的に分かるし。

そして、ポカラへ陸路で2日掛けて行くことにした。
不安と、ワクワク感でいっぱいだった。

Posted by takeshi at 12:25 AM | コメント (1) | トラックバック (1)|
旅の跡、その4
トゥンドラ→バラナシ

夜行列車。夜中の1時から翌日の昼14時30までかかったかな。
かなり快適でした。タダのスリーパーだったけど、十分すぎです。

ただ、ここの列車で食べた食事で下痢になったと思われる。
ヨーグルトか、しゃびしゃびカレーか、卵です。
電車の食事はずーっと常温で放置されているので、
腐りやすいらしい。ヨーグルトももともとの牛乳が腐っていることがあるらしい。
どうしようもないな。まあ、たいした下痢でなくて、普通に生活は出来ました。

日本の薬で治らなかったのにインドの薬で一発で直ったのは驚きだった。
あと、バラナシはヒンドゥーの聖地らしいが、観光地化していたな。
先進国の観光地化、町が整備されたりとかではなく、
住んでいるインド人が観光地化されていた。そんな印象。
この場所が好きな日本人が多いみたいだが、僕はあまり好きになれなかった。

マニカルニカガートで焼かれている目の前まで行ったり、
細い路地を歩いたな。
牛が細い道を占拠していたし、
子どもも多かった。
夜に停電すると、道がはっきり見えなくて不便だった。
ああ、ガンガーは母なる川ってかんじがした。

バラナシでバーみたいなところにも行ったな。
サイクリクシャも運転した。

Posted by takeshi at 12:21 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
旅の跡、その3
アグラ→トゥンドラ

アグラバラナシのチケット取れず。それで、トゥンドラから行くことに。
ここまではホテルから車で行くべきといわれた。でも市バスで。
これがえぐかった。バス停のある場所がすさまじく汚い。
まあ、この近くのバザールはすべて見た中で一番生活観があり、
活気があり、汚く、狭く、一番好きでした。

バスはもちろんどこ行きとか書いてあるはずもなく、
一個一個のバスにトゥンドラ?トゥンドラ?と連呼。
それで乗ったはいいが、マックスに込む。そんでもって大渋滞。
ほこりがすごい。あつい。電車の時間までに付くかと思ったら、ついて一安心。

タージマハールをバックサイドから見るために通った道、
そして、アグラのこのバス停の近くを体感して、
インドに来ていると、こういうのが俺の想像していたインドだと感じた。

Posted by takeshi at 12:17 AM | コメント (5) | トラックバック (0)|
旅の跡、その2
デリー→アグラ

デリーに着く飛行機はどこの航空会社も夜中しかない。
デリーのおどし旅行代理店に儲けさせるためか?
まあ、そんなわけで、初日のホテルを日本で予約をしていったり、
夜中デリーで騙されたり、空港で泊まったりとこのような感じなのだ。

僕は空港で泊まろうと決めていた。23:30に到着。
出国手続きとかやっていたら1時ぐらいだったと思う。
とりあえず、空港で泊まろうと思いベンチで準備。
でも、デリーアウトなのでデリーにまた来る。
ということで今日は出来るだけデリーにいたくない。
そこで、夜中の3時30に空港を出た。

まあ、無謀といえばそうですけど、バスは24時間だしと思って出た。
客引きはこんな時間でもいた。
出てバスに乗ろうとしたがどこか分からず聞いてバスに乗る。
50RS。こんな時間でもインド人は乗ってくる。ほぼ満席。
そして意味不明なでかい荷物もわんさかわんさか。
これがインドかーと思う。蒸し暑い。真っ暗なインド。
それが初めてのインド。

そして、ニューデリー駅へ。
そこでインド人と一緒に群れてチケットを買う。アグラへ。
朝9時過ぎにはアグラについていたかな。

タージマハール、高かったけどすごかったよ。
でっかかった。床が暑かった。近くのラッシーはマジうまかった。
そんな思い出です。

Posted by takeshi at 12:14 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
September 25, 2004
旅の跡、その1
http://teratown.com/files/india/list.html
とりあえず写真、こちらからご覧ください

これから徐々に、インド・ネパール・韓国の旅について時系列的に更新します。

 

時系列にそって思い出に残っていること

成田→韓国インチョン空港→デリー→アグラ→トゥンドラ→バラナシ→サルナート→スノウリ→ポカラ→カトマンズ→ナラヤンガート→ビルガンジ→ラクソウル→パトナー→ガヤ→ブッダ・ガヤ→デリー→ソウル→成田

いつも通り、どこに行くかはさっくりとしか決めていなかったんですけど、
ケッコウいい旅になりました。

成田→韓国インチョン空港→インディラガンジー空港 飛行機

飛行機に乗った。最近の韓国ブームとかでおばちゃんやショッピングとか言う、
俺のむちゃくちゃ苦手なものを好きそうな人が大量発生。
こういう人たちだいたいうるさくて、群れていてウザイ。
はっきり言ってこれから旅に行くというのに気分は良くなかった。

しかし、そんなこと一瞬で忘れさせてくれることが。
窓側の席だったんだが、窓の外に飛行機が。
これは韓国行きだから見えたのだと思う。飛行機の数が多いから。
むちゃくちゃ感動。それに、水蒸気が多かったらしく飛行機雲。
ズーット続く飛行機雲。これはすごい。いい。たまらん。

この飛行機と空、そして雲には感動した。
飛行機に乗って外を見るとすごく星空がきれいなときとか、
夕日がきれいなときがアル。
これらも好きだが、今回もそれに勝るとも劣らないすばらしさ。
でも、韓国まで1時間チョトというフライトの短さにはショックを受けた。
飛行機には何時間乗っていても気にならない僕にとっては物足りなかったです。

韓国インチョン空港→インディラガンジー空港 飛行機

この飛行機はすいていた。
多分2割ぐらいしか乗っていない。採算あうのか?
あとから、インドに来ている人に聞いたのだが、
キャセイパシフィックもガラガラだったらしい。
インド行きの飛行機はそんなにもすいているのだろうか?
需要ないのかな?
僕の列にはシートが9あった、座っていたのは僕を含めて2人。
本当にすきすきなのだ。
だから、3シーと使って寝ました。
快適すぎですよ。
夜中に飛行機が付くので徹夜で空港にいる予定だったので、
飛行機で熟睡でした。
あ、そういえば機内食にキムチが出ましたよ。
さすが韓国の航空会社。
ちなみに帰りの飛行機も3シート使いました。

Posted by takeshi at 11:58 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
直接会った印象は正しいのか
メールやブログ、などでのSNSなどでの他人の印象は実際と違うというときがある。
それに、出会い形が批判される理由も、実際あったことなくて、
メールなどで嘘のキャラクターを装うことによりだますということがあるからだ。
そんなイメージがある。

だから、メールなどよりも実際あって話した方が本当のキャラクターが分かると一般的に思われている。
僕も、そう思ってきた。
直接会うことは重要だと。

そう思うには理由があると思う。
実際にその人の目が見れる。
身振り手振り、時間の間、口調、抑揚、これらからも情報を得ることが出来るから。
さらに、メールなどよりも実際あう経験のほうが今までの人生で多く、
その経験の多さから、人の性格を見抜く力がメールからよりも優れている。
直接会って、目を見て話すと相手は嘘をつきにくい。とか、
質問をして返事をもらい、自分の疑問を解消できる。
などなどあるかもしれない。

ちょいと待て、これって本当か?

口では恥ずかしかったり、きまずくて言えないような本音を、
ウェブなら書けたり、メールなら書けるのかもしれない。
するとなると、メールの方が本性が現れている?
メールの印象と直接会った印象が違うというのは、
メールが本当のその人で、実際は猫をかぶっていたとか。

いや、いや難しい。
両方ともをあわせた付き合いが一番分かるって結論で。
って、結局何も言ってないじゃん。
まあ、いいとしよう。

Posted by takeshi at 02:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
September 24, 2004
ジャパニー
帰国のアップが遅くなりました。
死んでいません。ご安心を。

http://teratown.com/files/india/list.html
とりあえず写真、こちらからご覧ください

インドにいるときは、一回しか下痢にならず,
それも全然ひどくなかったのですが、
帰国して体調を崩しておりました。

インドのほうが体にあっているんじゃないか、
という人がいますが、そんなことはないと思います。

インドという国は普通に生活するだけで疲れます。
疲れるというより、体力を消費する、
といった方がいいかもしれません。
町を歩いても、いろいろな人が声を掛けてきて、
道の牛などの糞を踏まないようにしたり、
リクシャーや人、犬にぶつからないようにしたり、
停電になって気をつけないといけなかったり。
でも、これぐらいは慣れれば問題ないんですけどね。

一方で、インドは楽に行こうと思えば楽に行ける国でもあります。
苦労なんていりません。ツアーではなくてもの話です。
自ら何かを求めれば、アクシデントを求めたり、
インドでしか味わえない、たとえばバスの上に乗ったり、
リクシャーを運転したり、がけ崩れを登ったり、
インドの国会議員と飲んだり、一般家庭に行って家庭料理の昼飯をもらったり、
怪しい旅行会社の人と話したり、外人用の切符売り場で買えばいいのに、
インド人と一緒に小さな窓口に手を突っ込んでチケットを買ったりと、
旅の仕方によってはすごくいろいろなことを出来ます。

僕とは比べ物にならないくらいインドを満喫している人も、
数限りなくいるわけで、そう思うとインドっておくが深いです。

インドにいるときはもうこないだろうと思っていたけど、
マタ行ってもいいかなと思ってしまう。
まあ、行きたい国のランキング的にはそこまで高くはないですが。
ラーメン二郎と同じ感じがします。はっきり言ってそこまでうまくない、
でも時間が経つと食いたくなる。そんな感じがインドです。

家に帰って写真を見て思ったんですが、
やっぱ本当にピンチな時とか、
ふっと思い出す映像を写真で撮ってなかったりする。
肝心なものは取れない、それが写真ですかね。
写真にない代わりに、思い出として強く残っているから問題ないのですが。

今回も、面白い思い出と、一生忘れない経験と伴に
一冊の大学ノート日記が出来上がった。
行く前は真っ白なノート。
帰国するときには汚い字で埋め尽くされている。
これが僕にとっての唯一にしてもっとも大切なお土産です。

それで、ちょっと写真をアップしておきます。
こちらからご覧ください

Posted by takeshi at 03:21 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
September 17, 2004
更新はこのエントリの下に現れます。スクロールして頂戴。
全く更新せず、さらにオススメの本などの紹介をいただいたのに返信できず。。。
まことに申し訳ございません。
8月26日から、インドとネパールとストップオーバーで韓国です。
帰国は9月17日です。

ご連絡は、以下のフォームから、お願いします。

 

お名前
メールアドレス

 

メッセージ

 
Posted by takeshi at 11:21 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
September 15, 2004
次は韓国
今、韓国のソウルに来ています。
板門店に行こうかと思いましたが止めました。
高すぎでs。1万円も払いたくないです。
それに日本人しかいないらしいので止めました。

とりあえず物価が高すぎで驚いています。
この国もシンガポールどうよう、トランジットや絶対必要な用事いがいくることはないでしょう。

あと、インドからいつもすんでいる日本にかえらず、韓国に寄ったことによっていい面もありました。
それは、インドに関して気がついていなかったことに、たくさん気づいたことです。
これはとても意義深いことです。

その点換韓国に感謝しています。

あと、韓国の空港にも客引きはいました。
日本語がうまく、怪しさぷんぷんです。
インドとの違いをためすために、少し話に乗ってあげました。
そして、韓国の手口も勉強しておきました。

それにしても、金がほしいというのをあからさまにだしすぎ、
まだインドのほうがうまいです。

そういえば、インドの空港に歩いていきました。
デリーからは遠いので全てではないですが、
あえて市バスにのり、行ったら予想どうりアクシデント。
最後の最後までインドを体感できました。

でも、一番最後はインド人の矢指面も見ました。
インドは奥が深いです。

かなり色々なことがあったので、知りたい人は個別にお話でもしましょう。

旅先であった方へ
無事韓国に来ました。
日本に帰ったら、また連絡してください。
そして、旅がまだまだ何ヶ月も続く方は気をつけて、旅を楽しんでください。

Posted by takeshi at 08:39 PM | コメント (1) | トラックバック (2)|
September 13, 2004
デリー
ブッダガヤからデリーに電車で着ました。
昼の2時に出て翌朝6時につきました。

ブッダガヤではゆっくりできました。
ここがメインだったので、あたりまえなんですが。
坊さんと長時間はなしたり、座禅を毎日したりとなかなか面白かったです。

考えるところが多いというか、とてもブッダガヤでの生活はよかったです。
何もない小さな村なんですけどね。

それはいいとして、デリーはインド最後の都市です。
もう日本に帰るんだなと思うと、早いです。

とはいいつつ、日本での生活を忘れています。
なんか、ブッダガヤであった、自転車で埼玉から旅をしているおっさんみたいに、
なんねんも旅している気分です。

まあ、私はそんなおっさんのようなことはしませんがね。

あと、韓国に行くのですが情報が何もないです。
お勧めのところとかがあったらメールください。
お願いします。

では。

Posted by takeshi at 02:52 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
September 12, 2004
デリー
ブッダガヤからデリーに電車で着ました。
昼の2時に出て翌朝6時につきました。

ブッダガヤではゆっくりできました。
ここがメインだったので、あたりまえなんですが。
坊さんと長時間はなしたり、座禅を毎日したりとなかなか面白かったです。

考えるところが多いというか、とてもブッダガヤでの生活はよかったです。
何もない小さな村なんですけどね。

それはいいとして、デリーはインド最後の都市です。
もう日本に帰るんだなと思うと、早いです。

とはいいつつ、日本での生活を忘れています。
なんか、ブッダガヤであった、自転車で埼玉から旅をしているおっさんみたいに、
なんねんも旅している気分です。

まあ、私はそんなおっさんのようなことはしませんがね。

あと、韓国に行くのですが情報が何もないです。
お勧めのところとかがあったらメールください。
お願いします。

では。

Posted by takeshi at 03:48 PM | コメント (6) | トラックバック (1)|
September 08, 2004
ガヤで
昨日カトマンズからガヤについたわけです。

この街は静かな田舎町です。
マハボーディ寺院以外何もないです。
でも、この菩提樹の下に11日までいることにしました。

昨日は寺で坐禅の¥組み方を習い、坐禅を組みました。
今日も組んでくる予定です。

その後、インドの国会議員と飲みました。
騙されていると思うかもしれないけど、99%本物です。

銃をもった警備の人が4人いたし、公用車には赤色灯もついていた。
名刺も メンバーオブパーライアメントって書いてあった。

睡眠薬も入ってなかったし、何もとられずおごってくれました。
たぶん本物です。

まあ、いいです。

ネパールでも日本では絶対できないような面白い経験を沢山しました。
がけ崩れで、バスがストップ。
ポカラカトマンズは一本しか道はない。
さあ、どうしたか、ネパール風の解決方法を僕もやりました。
そして、¥カトマンズに行きいました。
さあ、¥どうしたでしょう。

そんな感じで、元気でやってます。

Posted by takeshi at 05:09 PM | コメント (3) | トラックバック (1)|
September 07, 2004
Buddha Gaya
Now I am in Buddha Gaya.

I left Kathmando yesterdayt morning by bus.
I changed buses many many times, and just now I arrived here.

I am just tires, but I am good health.
I am going stay here about 5days.

From 5 oclock I go Japanese temple , because of training(syugyo) .

bye
Posted by takeshi at 05:44 PM | コメント (4) | トラックバック (2)|
September 03, 2004
ポカラ
今 ネパールのポカラにいます

インドのバラナシから陸路できました

2日間車とバスにのりつづけました
ポカラについてほっとしています

今朝は日の出が雲のせいで見れずざんねん

たいちょうも問題無くたのしんでます

Posted by takeshi at 03:08 PM | コメント (3) | トラックバック (0)|