月別アーカイブ: 2006年5月

2005-06

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June 29, 2005
夏の夜、屋根の上に寝ながら月を見る
夏の夜、屋根の上に寝ながら月を見る、こんなことしてみたくなった。

「屋上で月を眺めていた」というミスチルの新曲 And I love youの歌詞を聞いて思った。

なんか、昔の日本のイメージってまさに夏の夜に、屋根にのぼって寝転がりながらぼーっと月や星を見る。暑い日中のことを忘れるくらいの清清しさなんだろうな。

今はそんな低い建物もなくなったし、屋根がないマンションも多いし、危ないからって上れないとかそんなんが多いもんなー。

Posted by takeshi at 10:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

風なるものが気になる。
風です、風。

この得体の知れないもの、目にも見えないし、実態があるわけでもない。
人間の風に対するイメージもプラスのものとマイナスのもの、さまざまだ。

風といえば、突風だ。
風といえば湿っぽい生暖かいよどんだ風だ。
風といえば暑い日に吹くとてもさわやかな風だ。
Posted by takeshi at 09:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
Musical Baton
・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
4.98G

・Song playing right now (今聞いている曲)
なし

・The last CD I bought (最後に買ったCD)
WAYNA RUNAS (WINAY) traditonal Andes Music From Peru Bolivia Ecuador

・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
The Song of Life 世界遺産の曲です。かなりの名曲です。雄大な自然を見る時に頭の中でこの曲が流れると最高に興奮します。

ふるさと 童謡です。篳篥なんかで演奏されると最高です。

Mr.Childrenは大好きです。まあ、一曲なら終わりなき旅にしておきます。

Summer 久石譲 北野武の映画、菊次郎の夏の曲です。

Desperado The Eagles これなんか、しょんぼりした時に一筋の光が見える感じの曲。なんかそんな場面でよくテレビで使われています。

そのほかにも、ひととようとか小田和正とか平原綾香とか雅楽とか洋楽とか鬼束ちひろとかBilly JoelとかSarah BrightmanとかKenny Gとか好きです。でも、名前も曲名も知らないけど好きなのがたくさんあります。はい。

・Five people to whom I’m passing the baton (バトンを渡す5人)
小泉純一郎
堀江貴文
村上世彰
Bill Gates
Sergey Brin

Musical Batonというチェーンメールのようなものがあります。なぜ、これに限ってこれだけチェーンメールが拡大しているのでしょうか?なぜか気になります。

すべては質問内容とタイトルに起因するのだと思います。さらに、誰からバトンをもらったかということでしょうか。

質問内容を考えてみれば、音楽についてということです。近年のiPodやMP3プレイヤーブーム、PtoPのブーム、そこらへんも時流に乗っているのでしょうか。多くの人がMP3に移行して、自らの音楽の容量を誇示したいのでしょうか。ああ、あと、レンタルCD屋さんはほとんどレンタルDVD屋さんになっています。DVD(≒映画)もネットで流通していますが、回線とHDの容量的にはまだ一般化していないのでしょう。そこで、DVD屋になっているという時代背景からもネットと音楽の結びつきの強さを感じます。

思ったのが、数年前よりも音楽を聴く人が増えたんだと思います。そんで、レンタルCD屋の登場とウォークマンの登場によって起こった現象がさらに進んだ形でMP3(ネット経由で聴く音楽)とMP3プレイヤーによって起こされるのではないかと思います。すなわち、さまざまな音楽を容易に聴けるようになった、さらに音楽を個人の好みで聴けるすんわち音楽が自分のものになり、いつでもどこでも聴けるようになった。

これらによって、人間はどんな影響を受けるのでしょうか?レンタルCD屋の登場とウォークマンの登場によって起きた社会の変化と似たようなものがおこるのでしょうか。さらに、人間は多種多様な音楽を常に聴くことによってどのような変化が起こるのでしょうか?気になります。

これは音楽著作権協会とかリサーチ会社の調査だったり、どっかの会社のマーケティングだったりしないのですかね?それにしても、インターネットにおける情報の伝達の威力を痛感します。その情報も人と人をつなげる情報の威力を感じます。ブログにしろ、SNSにしろ、Musical Batonにしろ。

Posted by takeshi at 07:30 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
空を飛んだ日
前回のエントリーでgoogle mapsを絶賛しましたが、google earthのほうが面白いかもなー。

こちらはソフトをダウンロードして、地図情報はストリーミングするタイプ。基本的にはmapsと同じなんだけど、丸い地球な感じと動かすと慣性の法則な感じで動くのがすき。

なんか、ストリーミングの仕方というか、その辺もユーザーの視点に立っているなーと思った。その視点があり、かつそれができる技術力があるのがgoogleなんですかねー。

それにしても面白いよなー。こういうことができるのがグーグルなのかな。まあ、これは買収した会社の技術だったりするわけですが。いいところに目をつけているには違いない。

mapsで羽が生えて、earthで空を飛んだ感じです。

Posted by takeshi at 02:50 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 28, 2005
永遠は一瞬になり、一瞬は永遠になる
永遠は一瞬になり、一瞬は永遠になる、ふとそう感じました。

現在、過去、未来とした場合、過去というものは人生で言えば20年ちょっと、地球の歴史で言えば60億年、まあと途轍もなく長い時間です。未来もいつまで続くか分からないけれど、きっと長い時間なのだろう。

現在ってのはあるようでないようで。そんな時間。だから、この一瞬は永遠のように長くなる。

そんなことを思ったら、美しいものを常に感じていたくなった。

Posted by takeshi at 10:54 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
羽がはえた日
はじめて地図帳をもらった時とてもうれしかった。自分の知らない、まだ見ぬ世界を見れる気がした。暇になると地図帳を見ていた気がした。中学になってさらに詳しい地図帳、高校になってさらに詳しい地図帳。なんか地図帳はワクワクする。今も高校の時の地図帳を持っていてたまに見る。

ということで、いまさらながらgoogle maps

 

世界全体PCのスペックが悪い方は気をつけたほうがいいかも。

日本

たぶん富士山

ウォール街。グラウンドゼロもみえる。
青い屋根がコロンビア大学

雲で見えない。隠しているのかも。

自分の家は空爆されないように、公開しません 笑
あと、キャンプデービット山荘はちゃんと隠されているのかとか気になります。

こんな詳細な地図がクリックするだけで見られる時代になったんだな。小学校の先生とかはこういうのを社会の授業で実践して見せたり、子供に触らせるといいと思うんだよな。子供にしたら途轍もなくワクワクすると思うんだな。クリックひとつでこんな細かい地図が見られて。まあ、地図というよりもこの写真は、地図ではなくなっている気がします。なんていっていいか分からないけど。

小学生とか中学生なら自分の視点が変わる経験もするし、この世界というものを身近なものとして捉えられると思う。そんでもって、今まで体験したことのないようなものに触れる衝撃。子供からしたら最先端のサービスだしなー。ワクワクするぜー。

とりあえず、おいらが小学生でこれを見ていたら人生変わるぐらいの衝撃だっただろうなー。

ネットでgoogle mapsが多少流行っているけど、アーリーアダプターは同じ行動をするんだよね。行動もそうだし、どんなことに反応するかも似ているよなー。すなわち物事に対して持つ感情が非常に似ているんだよね。

地図帳に関する以前のエントリー
アーリーアダプターの以前の記事

 
はてなの近藤さんのブログより引用
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20050628
世界を上空から眺めながら、自分の知っている有名な場所や、自分の行ったことのある場所を探して空からの眺めを確認し、一通り確認が終わると、次は何か面白い場所がないか旅に出てみる。

一連の出来事を見ていると、そういうことがついに技術的に可能になって、一般の人々に解放されたのだなあと感慨深く思います。ちょっと大げさに言えば、人が自由に飛べる翼を手に入れたんだと言える気がします。

初めて飛行機に乗ったとき、僕は窓からの景色に圧倒されて行き先の空港に降りるまでひと時も窓から離れることができませんでした。普段生活している街はとても小さくてこまごまとしていて、高いと思っていた峠道もとても平坦に見えました。人間は地球の表面のほんの限られた場所に、びっしりとへばりついて生きているんだなあと感じ、世界観が変わったのを覚えています。

できればもっと長く空を飛んでいたいと思うのですが、残念ながら空を飛ぶのはそんなに簡単ではありません。

そんな空を飛んだ感動が、朝ノートパソコンに向かいながらでも少しだけ感じられるようになったのですから、素晴しい事だと思います。
Posted by takeshi at 09:20 AM | コメント (1) | トラックバック (2)|
自分のブログのエントリーを書くとき
自分のブログを書くとき僕は攻撃的な感じだと思った。

人のブログにコメントを書くときはなんかもっと、引いているというか、まろやか。ふんわりと言葉が出てくる感じ。コメントを書くときは、買い手も2,3行だから気を張らずにかけるんだろうな。だからこそ生まれてくる柔らかな表現がある。

自分のブログを書くときは、書きたいことを書いているといっても肩に力が入ってしまっているのだなと、友達のブログに書いた自分のコメントを改めて読んで思った。

それと同時に思うのが、言葉って重要だよなってこと。

同じようなことを言っている文章でも、使われた言葉によって全く印象がかわってくる。ほとんど同じでも、感じ方が全く違うことがある。

Posted by takeshi at 01:17 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 27, 2005
トヨタの副社長
なんか、シリコンバレーに行きたい。何をしたいというわけではなく空気を感じに。そしてその周辺のスタンフォードやUCLAやcaltechにも行ってみたい。適当に授業にもぐって、学生と話してみたい。ふらっとグーグルなんかにも訪れても見たい。

トヨタの人事が変わったというニュースがあって、トヨタのウェブへ飛んでみていた。そこに人事のニュースがあったわけだが、それに驚いた。代表取締役副社長が8人、専務取締役が13人ぐらいいた。純粋に多いとおもった。まあ、大きな会社だからある程度必要なのかもしれないが、それにしても多い気がする。これじゃ、意思決定できないよなー。

そんなこといっても、業績がよければ問題ない。なんていっても結果出しているから、ああだこうだ言っても意味ないですね。トヨタ神伝説。とはいいつつ、利益が一兆円超えているというところだけ注目を浴びて、テクニカルな話で財務面が今後問題になるのではということもあるようですが。

でも、個人的にはgoogle的な会社が好きです。

Posted by takeshi at 09:41 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
100円シリーズ
100円シリーズ。かの有名な青色発光ダイオードやレーザーを発明した中村さんの本。

いやー、この本は表現が荒い。詰めが甘いというか、言葉の精度が低いというか。前後関係で明らかに矛盾していると思わせてしまう表現が数箇所あるように感じました。(まあ、自分のほうがもっと言葉が荒くて、前後矛盾ありまくりなのですが。。。)

でも、そんなこと本質的にはどうでもいい。この人の性格が伝わってくる本だった。と書くと、社会的に作られた中村さんの激しい、自分の道以外無視する性格を思わせるかもしれない。確かにひとつのことにのめりこむ、人を寄せ付けずに自分ひとりで没頭する部分も感じた。しかし、純粋に人間的なことを感じたり、キープするところはする人だなと感じた。

中村さんの発想というか考えは個人的に好き。というか自分と重なり合う部分も多少あった。

とりあえず、権威ある人が正しいといったから盲目的に従うな、やるなら徹底的に、工作機械つくりから改造から部品つくりから何から何まで全部やれ。それで身につく勘や職人技が身につく。そしてこれが役に立つ。失敗しても、またやれ。人と同じようなことしても、そいつらには勝てない。

コンチクショーの精神。これはすごいパワーの源となる。

あと、ダイオードの説明とかすごく分かりやすかった。たぶん、中村さんの専門分野でない(教育機関で体系的に習得していないという意味)からかもしれない。

まさに、タイトルどおり、自ら考え、やり抜く、それに尽きるのだろう。
考える力、やり抜く力 私の方法
 中村 修二

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内容はおもしろいが・・・
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June 25, 2005
なぜ肩の力が入りすぎるか
なんか、多くの人前で話したり、なにかを見せる時、さらには教習所の試験のようなときに肩に力が入りすぎることがある。話すだけのときよりも、体を動かす行動を伴う行為を人前で行うときや、一回しかないような試験のときに方に力が入りすぎる傾向にある。

肩に力が入っても、ほとんどの場合良い結果は生まれない。肩の力を抜いてリラックスすればなんてないことでも、方に力が入るとできない。では、なぜ人間は肩に力が入ってしまうのだろうか?何か理由があるから肩に力が入ると思うのだが、違うのだろうか?

気になるな。生物の本能として肩に力が入るには理由がありそうな気がするんだよな。

そもそも、肩に力が入るとはどのような状態なのだろうか?筋肉が硬直している、縮んでいる状態?筋肉が緊張している、このような状態は体が締まっている?ともいえる。肩に力が入ったときって、姿勢が良くなる気がする。背筋が伸びるというか。本来人前などに立つときは背筋が伸びたほうが見栄えがいい、だから肩に力が入るのだろうか。しかし、体を動かすときもこわばる。これはメリットなさそう。何でかさっぱりだなぁ。

肩に力が入るって他者を威嚇するポーズになるということなんだろうか。そもそも、後付の理由なんてどうでもよくって、肩に力が入るものは入ってしまうのだろう。

 
Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
現在の記憶と過去の記憶と思考
現在の記憶と過去の記憶と思考について思った。

過去の記憶は残っているが、現在の記憶は残らない人がいる。逆に過去の記憶は全部消えてしまったという人がいる。しかし、過去の記憶すべてを失ったら何もできないと思う。過去の記憶が亡くなったという人が会話を普通にしているのを見ると、会話に関する記憶は残っていると思う。さらに現在の記憶が残らない人は厳密には何もできないと思う。こういった人の思考もある意味において記憶の変形したものであると思うのです。ただ一瞬で忘れるということなのかもしれないが。まあ、ここではうまくかけなかったが、現在の記憶と過去の記憶の違いって何かなと不思議に思った。さらに、言語とか思考がかかわってくると思う。それらの厳密な血が言ってなんだろう。どれも複雑に重なり合っているから、はっきりと線は引けないかもしれないけど。

Posted by takeshi at 09:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
五感の中でも視覚
人間には五感というものがあるといわれている。

その中で、視覚、すなわち見ることを一番重要視する、信じる傾向にあると思う。自分の見たものを信じる。

何かひとつのものを読み取る、感じ取る場合に、嗅覚や味覚や触覚や聴覚からよりも視覚をもっとも信頼できる情報としている気がする。

順番で言ったら視覚、聴覚がもっとも重要視しているだろうな。あと3つはどれも大差ないかな。

それよりも、真実とされる情報を重要視する気もするんだけどね。

Posted by takeshi at 08:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
いつものよーぉーに100yenだ
なんで、読んだ本をエントリーするのか分からないが、最近この習慣がなんとなくついた気がする。まあ、ちょっとたてばエントリーしなくなりそうだが。

ブックオフで100円で買った本です。まあ、基本的に自分で買うときは100円本だ。やっぱり安いのが一番。それに、古い本とか正規の値段だと買わない本も買う。だからバラエティーに富んだ本を読めるという効用が。

この本、すごくかわいい感じの薄い本です。しかし、中身は意外と面白い。一つ一つのページが伝えたい哲学的概念は、そこまで高度なことではなく、日々感じる程度のもの。しかし、例として挙げられているのが秀逸。いや、ここにあげられている、かわいいアニメ風の例は鋭いです。驚き。

本が読み終わったのでまたカバーをかけよう。

プチ哲学
 佐藤 雅彦

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易しい内容ながらも奥が深いです
希代のCMプランナー&大学教授が語る「プチ哲学」
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Posted by takeshi at 08:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
記憶
記憶とか脳の番組が連続でやっていた。ビデオにとったわけだがイマイチピンとこなかった。なんか、ドラマチックな方向に持っていこうとしているように感じだ。もっとサイエンスよりのことを知りたかったのに。まあ、マスメディアだからしょうがないのだけど。。。

その点NHKスペシャルはいいよな。

Posted by takeshi at 01:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
千代の富士
松山千春さんの歌を聞いていたら思い出した。なんか分からないけど、千代の富士。この人は昔から好きだった。相撲をしている姿と顔を見て。この力士がどのような背景を持った人かも知らなかったけどなんとなく。

そして、千代の富士の自伝っぽいドラマを見て少し知った。そのときのエンディングを松山千春さんが歌っていたと思う。それで、千代の富士を思い出したのだ。

なんか、千代の富士には常に勝ってほしかった。なんか、最強であってほしかった。今でもそう思う。なんか魂というか、信念というか、おとこらしさを感じる。僕にとってのヒーローの一人だったんだと思う。

ビルゲイツとかアインシュタインもヒーローだった。

Posted by takeshi at 12:39 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 24, 2005
全部ひっくるめて考える
味噌もくそも一緒という言葉があるが、まさに僕の思考方法はそれだ。

考えるというか、感じる、判断するときに、その対象とするものをすべてのものにしてしまう。普通は自分のおかれた状況を踏まえて対象を狭めている。しかし、私にはその概念が小さいころからないようだ。

たとえば、日本での日常で飲食店が汚いという話になったとしよう。その時普通は日本を前提としている。しかし、僕はインドの田舎で食べたときのほうが汚いというラインを持ち込む。そうやって考えるから、みんなが汚いといっても特に感じない。

これは昔からそうだった。たとえば、肉を食べるときは生き物を殺すのだから残さず食べろといわれる。もちろん魚も言われる。しかし、野菜のときは言われない。米は一粒の越さず食べろといわれるかもしれないが、これは意味合いが違ってお百姓さんが一生懸命作ったからという理由付けだ。しかし、僕にはなぜ肉や魚と野菜を区別するのか分からなかった。本当に心のそこから思っていた。肉や魚を食べないなら野菜も食べるべきではない。そういうと、人間は食べないと生きていけないから、と説明されるがこれは説明になっていない。

人間は自分の普段の生活を思考範囲の対象にしがちである。しかし、それは自分が説明しやすかったり、そんなレベルではいいかもしれないが、突っ込んで考えれば何で除外して考えるのか分からない。

この考え方自体がいいとか悪いというのは知らないが、私はこう考えてしまう。この思考回路だから変わった発想といわれるのかも知れない。

Posted by takeshi at 11:13 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
抵抗感がなくなった
坊主に6月12日(日)にしたわけだ。それも特に理由もなく暑かったからという理由で。

昔は坊主にすることに抵抗があったが、今はほとんど何も感じずにできてしまった。

なぜだろう。考え方とか感じ方とかかわったのか?その考えの違いは他のものにも適用されているのだろうか。

坊主というより、スキンヘッドなんだな。剃刀でそったから。

Posted by takeshi at 07:24 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 23, 2005
たった一回の経験とたった一人
一回経験したことは何故ほとんど不安にならないか。何か始めてやるときは、いつも恐怖というか不安というかそんなものが付きまとう。どうなるか推測できないからだろう。頭の中である程度シュミレーションはできるが、やったことない事に関して詳細まで想像することは困難だ。その想像できない部分でどんなことが起こるかわからないから恐れるのだろう。これはひとりは不安二人だとほとんど不安じゃないというのとも似ているのかもしれない。普段の生活だったら、ひとりでも全く不安でもない。そういう状況ではなく、周りに人気のいない真っ暗なところとかの話だ。知り合いが一人いるだけで精神状態が全く違う。一人だろうが二人だろうが、得体の知れないものが襲ってきたら死んでしまうだろう。二人いるからといって格段に強くなるわけではないのだから。

何故二人だと平気なのか。それに追加して考えると、三人だと二人のときと不安度は変わらない。すなわち一人と二人の間にだけ差があって、二人と三人では差がない。一回も行ったことないところや、一回もやったことないことは不安だが、2回目のときは不安じゃない。3回目は2回目と精神状態が大して変わらない。と考えると、不安とはあるかないかなのか。1か0かというものなのだろうか?

一回やったからといって安全度がアップするわけでも、二人だからといって大して安全度がアップするわけでもない。この不安なる物は人間の意識によって生み出されるわけだが、なんと不確かなものなのだろうか。でも、自然にこのようになるのはなぜだろう。
 不安と恐怖の違いに関するエントリー
Posted by takeshi at 09:07 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
チンパンジーの絵が288万円
ロンドンで行われたオークションで、3点の落札価格が288万円(1万4400ポンド)だったらしい。チンパンジーの故コンゴ画伯の絵は、ピカソ好んでアトリエに飾ったらしい。落札価格は予想の8倍近かった模様。オークションに出た絵は1957年に描いた3点のテンペラ画
 テンペラとは油絵の具がなかった500年ほど前に確立されたもので、顔料を油の代わりに卵で溶くものらしい

 

なんか面白いニュースだった。どう考えるかは人それぞれ全く違うんだろうなー。

http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200506/sha2005062202.html

Posted by takeshi at 12:51 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 22, 2005
思想クローン
自分の遺伝子を残したいと生物は思っているというが、自分の考えのクローンを残したいという欲求もあるのではないかと話していた。

それは、子供であるとか教育者となり子供を育てるとかそういう行動で現れる。金持ちになった創業者とかが教育やりたがるのもこれかな?金がないと教育はできないが、金があると思想クローン製造に走る。

Posted by takeshi at 08:53 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ビル・ゲイツ 未来を語る
以前から良いと書いていた”>「ビル・ゲイツ 未来を語る」をやっと読み終えた。約10年前の95年に出版された本だ。450ページ近いけっこうタフな本である。

10年前、私が小学生6年ぐらいだったと思う。そのころから日経新聞を読んでいた。当時の日経の広告欄に、このビルゲイツ未来を語るが載っていた。この本の表紙が印象的だった。一本道にビルゲイツが立っている。そんな表装。あの時、未来を語るを読みたかった。しかし、金もなかったし、こんなレベルの長い本を読めるほどの能力もなかったのだろう。簡単に言えば、この本への憧れがあったんだと思う。

そして、10年近くたって、ブックオフで100円で買い、読んだ。この本の中で10年前にビルゲイツが書いた10年後の未来がまさに今である。そんな現在を暮らしている自分。はっきり言って驚いた。冷静な未来予測、そして具体性。彼自らが作り上げた(方向付けた)部分も多いかも知れないが、これだけの能力を持った人は世界中探してもめったにいないであろう。

確かにこの本の内容はすばらしい。しかし本がすばらしいという前に、ビルゲイツという人間の偉大さを知らされた。この本を読む前は、ビルゲイツはすごいと思っていたが、正直ちょっとなめていた部分もあった。

僕がどうのこうの言うよりも読んだほうがいいと思う。特に、これからの社会を生きる人間は。

この本を読み始めるとき、最後まで読めるとは思わなかった。確かにヘビーであった。その証拠に、この本を読んでいる途中なのに、何冊か他の本読了した。僕は普通、本を読み賭けで他の本に移ると読み続けることがない。しかし、今回だけは違った、また「ビル・ゲイツ 未来を語る」に戻ってきていたのだ。
ビル・ゲイツ未来を語る
 ビル・ゲイツ

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ビル・ゲイツの思考回路が伺える

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Posted by takeshi at 11:18 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
June 21, 2005
バーチャル
本物であろうと偽者であろうと関係なく、本物だと自分が納得することによって、自らが産み出す(自らが認める)価値がある。 実際とバーチャルが全く区別がつかなくても、本物思えば価値がある。 生放送である意味がスポーツにあるのと同じ。何故、生であることや本物だと思うと高揚できるのか?

自分がその場を生であると理解する、その文脈を理解して自分の立場を置き換える。脳がそう判断するからなのだろう。

だからいくらオーディオ機器が発達してもライブはなくならない。
人はたくさん集まることによってのみ感じる感情があるんだろうから。

Posted by takeshi at 11:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
貯められるものそうでないもの
ためられるものとそうでないものがあると思う。そりゃ当たり前。食いだめ、寝だめなる言葉はよく使う。しかし、実際は寝だめも食いだめもできないと聞くこともある。

厳密言えば食いだめはできそうだ。食べて脂肪として体についていれば、食べなくても生き延びれるとか。寝だめもしかり。しかし、それにも限度がありそうな気がする。

知識をためるということもためることの一種として考えてみる。知識もためることはできるが完全な形でためることは難しい。 

何故ためることができるものとできないものがあるか。厳密に言えば人間は何も完全な形ではためることができない。ああ、だから人間は変化を繰り返し、適応できたのだろうか。人間というか生き物含め社会もだけど。

となると、無常ってことか。すべて常にあらず。

Posted by takeshi at 11:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
脳と魂
脳と魂

やはり対談本は内容の深さにかける気がするが、それだからすらすら読める。そんなことは言いつつ、真ん中あたりは面白かった。

天職なんてないという件で、人間の生活に必要だから仕事がある、そして人間はその仕事をする。この順番なんだから、すべての人に天職なんてあるはずがない。社会的な必要性から仕事ができ、人間はそれを行うんだから、という当たり前だが、自分で気がつかなかった思考パターンが面白かった。

歴史的なことや、哲学史的なことなど、自分が一回読んでもすぐ忘れる系のことも結構書いてあった。

脳と魂
 養老 孟司 玄侑 宗久

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居酒屋トーク・・
期待はずれ
科学と宗教の融合をめざす「智」のトーク

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Posted by takeshi at 10:17 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
マクドナルド
マクドナルド価格変わりすぎ。最近出した100円と500円のセットもしかり。前は60円バーガーがあったり。ころころ価格が変わるから、いったい今どの商品があって、いくらなのかがさっぱり分からない。消費者のことを考えていないなー。まあ、値段を変えることによってニュースとして報道される宣伝効果も狙っているのかな。あと、今回のぽっきりの値段は、レジでのおつりのやり取りの時間短縮があったみたいだ。それと、安い製品を買ったついでに、もらおうという作戦。これは海外では成功しているみたいだけど、日本ではイマイチで、業績予想を下回ったとか。

そんでもって、ジュースを100円で出したのが分からない。たぶん、カフェが増えているからそれに対抗しているのだろうけど、相当利益率が高いドリンクを100円にしちゃうとね。

でも、売り上げ増減はありながらプレゼンスがあるのは世界企業である証拠であるのだろう。新商品の投入や新しいシステムの導入は絶対に必要だ。しかし、ころころ変わりすぎるのもややこしいだけだ。スイッチングコストがかかるだけになりかねない。どのような状況になったら、どのタイミングで、どのような頻度で、どのような改革を実施するのがベストなのかは難しい問題だ。

Posted by takeshi at 01:16 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
6月19日の日経
この前の日曜日、6月19日の日経には中途採用の広告ばかりだった。

何でだろうか。この時期に中途採用が活発になるのは。

不思議だったのでメモ。

Posted by takeshi at 01:15 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 20, 2005
続ける価値は久しぶりにある
続ける価値は久しぶりにあると思いました。

どんな些細なことでも、続けると価値が出てくることはよく言われることです。実際に私もおもしろいメリットがあると思います。

続けるということは、途切れのない線である感じです。その継続性は普段から価値があるのではなく、久しぶりである時だからこそ価値が出てくるのだなと思った。まあ、当たり前すぎることなんだけど。

あと、自分とはまったく違う人と話すのは面白い。新たな思考回路ができるというか。同じような人と一緒にいると思考回路も似てきて、同じ発想しかでてこない。と、実感した日々。

 

 

Posted by takeshi at 11:01 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
グレコ・トレド
テレビをつけたらNHKの5分世界遺産番組でスペインのトレドをやっていた。ここは2年生の夏に行った。2003年の9月ぐらいだ。

スペインをぐるっと一周して、マドリッドへ戻る一個前の都市だ。ポルトガルのリスボンから夜行バスでマドリッドへ戻り、朝一番のバスでトレドへ行った。トレドについてからは、宿を探した。ここのユースホステルみたいなところは昔のお城を改装したところで、とまってみたいと思ったがフルだった。それからこの町では安くてよい宿が見つからず、何時間も町をほっつき歩いた。けっこう疲れた記憶がある。それでも、安くてけっこうきれいな宿を見つけた。そして、この町をまた歩いた。なんか落ち着きのある町で、ゆっくりできた。公園でのんきに本を読んだりもした。

400年立っても町の姿は変わってないらしい。ああ、タホ川に囲まれた小さな町。かつての首都とは思えないほどこじんまりしている。この町ははっきりとした行動の記憶ではなく、なんか思い出があるんだよな。

 

Posted by takeshi at 10:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 19, 2005
砂浜に無数にあった鳥の足跡
無人島から帰って思い出す光景がある。

それは砂浜に無数にあった鳥の足跡だ。

無人島には黒くて大きな海鳥っぽいのが無数にいた。時には木にとまり、時には空を優雅に飛び、時には海にもぐり魚を取り、時には砂浜に並んでたっていた。

そして、砂浜に鳥の足跡が無数にあった。まるで砂の模様のように。
3本の指は何か恐竜の足跡の化石を思い起こさせた。

何か恐怖感のようなものを覚えた。

Posted by takeshi at 12:12 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
感動を行動に
人の話や人の行動、人の成果に感動しているだけでは意味がない。

その感動から、自ら何かを感じ取り行動に移さなければ意味がない。

ただ感動しているだけでは、何も生まれない。

感動するだけで終わらせるのではなく、その感動をばねに行動に移す。

Posted by takeshi at 12:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 18, 2005
怒りの感情がないのか?
みんなが言う、私の印象はけっこうバラバラだ。それも僕のことを分かってくれていると思っている人からの印象が。しかし、ばらばらだからといって外れているかといえば違う。それぞれが的を得ている。

でも、珍しく共通することがある。起こった事を見たことがない。ってこと。

確かに、怒らない。別に、怒りの感情もたいしてこみ上げてこない。

大学一年生のころ、自分がもっと感情的になりたいと思った。怒りたいと思った。なんかすごく人間的な気がして。しかし、怒りの感情はこみ上げてこない。

怒った時にうまれるパワーってのがすごいと思う。一方で負の力も大きいと思う。

どんな理由からなのだろうか

小さいころあまり怒る機会がなかった。そんな育てられ方をした。
平生の会話でも違うと思ったら批判することが他の人より多い。批判するという行為には、怒ったときと同じ精神的な作用がある。僕は徐々にそのストレスを解放しているから、たくさんたまることがなく怒りにならない。
僕の性格はビビリで常に殺されることを考える。で、自分が怒って相手が怒るとけんかになって収拾がつかなくなる。すると相手が何をするか予測不可能になるかもしれない。そうするとぼこぼこにされて殺されるかもと考える。そのリスクをはじめからなくしている。

まあ、怒っても仕方ないと思ってしまう考え方なのだろうか。
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俺の思考パターン
俺の思考パターンというか、ブログに書くときのパターン。

逆説的なことを論理的に正しいとする、新たな気づき系、
ある自分がした経験とか、知ったことをまったく関係なさそうなことに当てはめてみたりする一般化、
いたって当たり前のことを、再度自分の体験を通し気づく系。

Posted by takeshi at 10:30 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
天才が目立ちやすい事
なんか、サッカーという競技は天才が目立ちやすいのかと思った。

それは、野球と比べるとルールが少ないからだ。細かいルールが多いか少ないかではなく、自由度が高いという表現なのかもしれない。野球だと、ファースト、セカンド、サード、ホームという順番に走ると決まっている。守りと攻撃が時間によって完全に分けられている。などなど。サッカーは、同時に責め同時に守る。というように、自由度が高い気がする。

自由度が高いと、一人ひとりの裁量権が大きいというか、一人ひとりの動作が大きな影響を与える。だから、天才が目立ちやすい。

これは、組織とか他のものにも当てはまりそうだよなー。

Posted by takeshi at 10:26 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
海に浮かぶ船
エンジンを切った船が海の上に浮かんでいる

あのゆるやかな波の上に

まぶしい日差しを浴びながら。

故障したのか、漁をしているのか、ただ休んでいるのか。

この船はいつ動き始めるのだろう

Posted by takeshi at 09:23 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
感じ方が変わる
風の旅人という写真が多い雑誌がある。この創刊号を偶然渋谷のブックファーストで買った。偶然というのは、売れ残っており100円だったから。だから以前から読んでいた。といっても一回だけ。なんか、変わっている印象。なにか得体の知れない感じをこの本から得ていた。寂しさの中にある殺伐さといえばいいのか、現実の中の寂しさの中の現実離れした感じ。

しかし、編集長の話を直接聞く機械があった。すると印象が変わった。なんか、あいまいな点の印象が、線につながったというか、ああ、そうなんだと思えた。

言葉で明確にコンセプトを知ったから。
作っている人柄を知ったから。

なんでだろうか。まったく同じものを見るのにこれほどまでに印象が違う。

Posted by takeshi at 09:21 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
落胆のメカニズム
最近、期待と落胆について思った。それは子供のころの遠足のようなそわそわする感じがしたから。でも、実際に遊ぶとそのそわそわする期待以下だった。つまらないことを言ってしまえば、そわそわしているときから、期待以下なんだろうなとうすうす感じていた。それは、今までの経験上、事前にそわそわ期待した時は、実際に行動してみると落胆してきたから。

そこで思う、あの感情をコントロールできないのか。何かする前のそわそわ感をコントロールできないのであろうか。そわそわしないように。
落胆のメカニズム解明 脳の特定部分が活発化

 期待している大きな報酬ではなく、やむを得ずほかのものしか選べない場合には、脳の特定の部分が活発に活動していることを木村実京都府立医大教授(神経生理学)らがサルの実験で解明、米科学誌サイエンスに17日、発表した。
 木村教授は「この部分は葛藤(かっとう)や落胆などの感情や試行錯誤することと関係がある」としている。
 木村教授らは、ランプの色によって報酬となる水の量が多い場合と少ない場合の2種類が表示され、正しいボタン操作をすると水が得られるようにして実験した。
 すると水の量が多い表示の場合はサルは素早く行動しミスは少なく、自分の行動と得られる結果の関係を学習していた。
 サルの脳の視床にある正中中心核(せいちゅうちゅうしんかく )(CM核)という部分に電極を入れると、期待を裏切る少ない量の表示が出た時にだけ、CM核で活動電位が高まっていることが分かった。(共同通信) – 6月17日6時12分更新

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June 17, 2005
Stay hungry, stay foolish
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/grad-061505.html

スタンフォードの卒業式でアップルのジョブズが話したみたい。うけたのが、ガウンの下はジーンズとサンダルだったみたい。

‘Stay hungry, stay foolishが最後の言葉

Posted by takeshi at 06:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
今さらながら
微妙に古い新聞、本を読むのが好きなのですが、いまさらチーズはどこへ消えたを読んでみた。

世の中、どんなものでも常に変化がおこって、その変化をただ恐れるだけでなく、小さな変化を見極めて対処することが重要だと書いてあったのです。

で、この本、小学校の学級会みたい。なんか、登場人物の会話がよそよそしい。みんな一人の言うきれい事を支持しているし。なんか、こんな感じの本は気持ち悪いし。好きじゃないな。

Posted by takeshi at 04:06 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
何が起こるかわからない
何が起こるかわからない、それが世の中なんだなぁ。

時がたてばどうなるかわからない。

絶対ありえないと思うこと、絶対ありえないと思うことすらない想定外なこと。
そんなことも起こりえるのが世の中なんだなぁ。

明日は明日の風が吹く。
今日も楽しく、明日も楽しく。

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梅雨なのに朗らかな夕べ
昨日は本当に朗らかな気持ちになった。

梅雨の時期でジメジメしている。そんな夕暮れ。
普通だったら外に出るのが億劫になる。

しかし、昨日はそうではない日だったのだろう。

芸大の授業が終わってから、根津の車屋へ行った。
入り口のちいさいテーブルをあふれ出すように人が囲んでいた。
そして、いろいろ話しながら飲んでいた。

特に何を話したかは覚えていない。でも、授業後の教室、そして車屋へ行く道、飲んで話しているとき、先に店を出るときのあの空気感、それらも含めて何か幸せだった。

次の用事のために車屋を先に出た。そして、駅の入り口の前の信号で止まった。その時、

「今日という幸せな日」

という、フレーズが頭に浮かんだ。

今日という日は今日というだけで幸せなんだ。今日という日を送れているだけで幸せなんだ。と切実に思った。

その後、渋谷で飲みながら話した。はじめは二人で話していた。構えることなく、肩肘張らずに話せるってのは、心地よく落ち着く。いろいろ話した。今の仕事の話を聞いたり、驚愕の事実を聞いたり。なんか、そんな風に話しているのが、そんな風に話をできるのが、うれしい。朗らかな気持ちにさせてくれる。遅れて某氏が登場。その場の雰囲気は変わらない。この心地よい空間。話していて、三人のバックグラウンドが似ていて、お互いに理解できるのだろうって話になった。みんな、集まると自分の家みたいな気持ちになり落ち着ける。自然に集まってしまうって言ってたし、僕もそう思う。

ああ、前もこのメンバーで食べたときは沖縄料理だった。と思いつつ、いつの間にかすぎさっていった時間を惜しみながら、家路についた。

Posted by takeshi at 02:03 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ニーズ?
ニーズやマーケットの顔色伺いだけでは、自分のやりたいことでないし根強いファンはうまれない。ファンという固定客がつくと会社として安定する。
表面上の客だけでは、ちょっとしたことで他の商品に移っていってしまう客だ。これは、会社にとってはリスク名経営となってしまう。

自分たちの会社が、明確な理念を持って、ただ単に大衆の流れに迎合しない粋な商品を提供することによって熱狂的なファンがうまれる。自分たちの商品に魂がこもらなかったらファンはうまれない!

しかし全くマーケットニーズの方向と違ってもビジネスにならないのも事実。独自の道と社会性のエッジをいかに見極めるかということになるんだろう。

Posted by takeshi at 09:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
次の試合に勝つことだけ
野茂選手をいつも好きだと書いている。そんな彼が日米通産200勝した。その後のインタビューを見て、再度惚れ直した。

「次の試合に勝つことだけ」 長期的な戦略どうのこうのより目の前のことをがむしゃらにやることに意味があることもあるのだろう。特に野球の勝利数なんて皮算用してもあまり意味がないと思う。そんなんよりも目の前の一勝を積み重ねることの意義深さと難しさが伝わってくる。

長期的な戦略も必要だろう、しかしそればっかりでは泥臭いかっこよさ、魂のこもったものが伝わってこない。目の前のものだけに徹する、その向こう見ずなひたむきさからは何か強いものを感じる。

這上がる、そんなイメージがある。這い上がるという。野茂選手は常に良い結果を出し続けているわけではない。無理といわれたメジャーに日本での成果を捨て殴りこみ、手術をしたり、チームを追い出されたり、マイナーでプレーしたり、年俸なんて10分の一になったり。 みんなが失敗すると失笑するようなことを、反論などつべこべ言わずがメジャー成果を出してくつがえす。そんなところがかっこいい。さらに、基本は走ることだと考え、足腰強化のためにひたすら走る。一人の人間として尊敬します。

派手ではなくても、ちゃんとやれば認めてくれる環境があったのも事実なのかもしれない。
野茂という生き方

―今の気持ちは?

 「僕としては200勝は意識はしていなかった。だけど、情報を知ったチームメートやファンの存在で、少し意識し始めた」

 ―200勝は、どんな意味を持つ?

 「もともと、そういう目標を持っていなかった。区切りの目標ではないので、次の試合に勝つことだけ」

 ―印象に残る試合は?

 「一つ挙げるのは難しい。これまでずっと僕を見てきてくれたファンが『いい試合あったな』と思ってくれれば、それで十分。これからも、そういう試合をつくっていきたい」

 ―野茂投手のメジャー入りから、日本人選手が次々に海を渡った。パイオニアとしての思いは?

 「僕はまだ(日米)15年しかやってないし。僕よりずっと長く(現役で)プレーやっている人はいる。それこそ、僕が目指しているもの。(メジャー入りした日本人に)アドバイスできる立場では、まだないと思う」

(スポーツ報知) – 6月17日8時1分更新

Posted by takeshi at 09:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
実体験をともなう感情
実体験をともなう感情ともなわない感情がある。

人の話を聞いていると特に思う。

実体験をともなう感情しか、心動かされないのだ。人から聞いた話を受け売りしていたり、自分が心のそこから突き動かされていないのに、それっぽく話すのを聞いたとき。まったくわくわくしない。

自分の感情を伝えるときに、その感情が実際に生まれた実体験があると、魂がこもっていて伝わってくるものがある。表面的ではない。生の体験というのはそれほどの力があるのだろう。バーチャルの発展によりバーチャルの世界と現実の区別がつきにくくなっていくかもしれない。さらに、言えば想像と現実の究極の違いなんてわからない。しかし、想像では超えられない世界がある。実体験の持つ重み。

あの、人を突き動かす実体験に基づく感情とは、すさまじいパワーを持っている。それであるがゆえに、危険なときもあるのはわすれちゃならない。

Posted by takeshi at 09:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
今日という幸せな日
特別なんいうわけでもない。
ただ、根津の車屋でみんなと話し飲んでいた。
その後渋谷へ移動するために先に抜けて、根津駅へついたときにこのフレーズが頭にふと浮かんだ。

「今日という幸せな日」

今日は雨がしとしと降るような日だった。ゆっくりおきて、芸大へ歩いていった。
授業のあと久しぶりに車屋へ飲みに行った。

車屋での空間が心地よかった。なんだろう、授業を終わってからの20分ぐらい。
さらに、車屋での2時間弱。何が心地よかったのだろう。異様なほどうれしかった。
今日という日は今日というだけで幸せなのである。

たぶんいつの日も今日という幸せな日を送っております。

布施さんの雪だるま理論。自分の芯ができればあとは雪だるまのように能力とか環境とかが身についていく。 
茂木さん 空白があるから夢が産まれる 

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ワクワクする対象
自分が何に対してワクワクするのか。
本質的に何に対してワクワクするのかが、最近気になる。

ワクワクすることは結構ある。瞬間で、おお、これだと思うことがある。
そんなことを並べて共通点を見つけてもはっきりとは現れない。

何なんだろう。ワクワクするって。

サッカーの華麗なシュート、人の生き様、すばらしいテクノロジー、あっと驚くようなアイディア。いろんなものにわくわくする。共通点なんてあるのかな。

共通点があるとしたら、僕の心が反応したってことかな

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June 16, 2005
二郎大ダブル完食
三田二郎本店で大ダブルを食べた。
食べつくした。

ということで、記録として残しておきます。

次は鍋二郎をやりたいですな。鍋もって、いざ二郎。
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June 15, 2005
LOHASに対抗してJIROってどうですか
最近、ローハスってのがブームですがなんかだまされてる感じがする。エコとかさー、天然、健康、自然、あるがまま、人間本来の力とか、スローライフとか。

もうね、やってられるかって。
対抗してJIROって概念。漢字で書けば二郎。
油っぽくて、化学調味料、超機械チックな生活。うん、たまらない。科学的に人間の脳を分析しうまみを調べた上でのうまさだとか言い張って。

なんてね。笑。ネタだけど、こうやって本気で言い張る人がいてもおもろいよな。

Posted by takeshi at 05:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 14, 2005
自らを削る生き方と、自らに肉付けする生き方
人間はAな人と、Aでない人の2種類があるとかよく言われます。たとえば、物事を成し遂げる人と、物事を成し遂げない人。こんな感じで。

それと似ている感じなんですけど、自らを削る生き方と、自らに肉付けする生き方があると思いました。これは、仕事で分類できるとか、年齢で分類できるとかそんな感じじゃなくて、その人の性格というか人生・生き方そのものなんですけど。

その人が一言を発するとき、その発し方、その人の中で発するまでの過程、何か行動をとるときになぜとるかってのも関係あるし、そんなことから削る生き方と肉付けする生き方がわかると思う。

Posted by takeshi at 11:42 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
クールビズ
クールビズとか騒がれる今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
「チーム・マイナス6%」とかも騒がれていますが。

なんと、チーム・マイナス6%の参加を表明する名刺も作れるとか。。

クールビズとはそもそも何ぞや?エントリーの最後を参照。

まあ、それはどうでもいいですよ。クールビズとかいって政治家さんや官僚さんがネクタイはずしているのはうけました。かなりギコチナイ着こなし方。それに、クールビズといえばすべての官僚がノーネクタイ。さすが公務員さんだと思いました。すごいなーこの結束力というか、統率力というか、絶対服従というか。

さらにですね、環境省のチーム6%サイトではノーネクタイの着こなし方まで解説してくれてます。

いやはや、おもしろい国ですなー。

まあ、僕も完全なクールビズスタイルです。クールビズはCO2対策だけでしょ。地球温暖化対策だけ。私はそれと同時に化石燃料(特に石油)消費も抑え、大気汚染も抑える手法をとりました。究極のエコですよ。私の真似をすれば日本は世界一のエコ国家ですな。笑
クールビズとは
温室効果ガス削減のために、夏のエアコンの温度設定を28℃に。そんなオフィスで快適に過ごすために、環境省では夏のノーネクタイ・ノー上着ファッションを提唱しました。その名称を公募、決定したのが「COOL BIZ(クール ビズ)」です。「ビズ」はビジネスの意味で、夏を涼しく過ごすための、新しいビジネススタイルという意味が込められています。
ネクタイと上着を脱げば、体感温度でなんと2℃の差が出ると言います。環境にも優しく、エアコンで寒がる女性にも優しい。日本の夏の新しいビジネススタイルとして、その普及にご協力ください。
http://www.team-6.jp/action/coolbiz/index.htmlより

 
Posted by takeshi at 09:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
話していて面白い人
話していて面白い人、

実際の体験に基づいている。
実績を出している。
社会の多くの人に迎合しない考え方。
頭がいい。頭の回転が早い。
年齢や身分相応っぽさを持ちながら、子供っぽさがある。

なんだろう、頭のいい馬鹿といっていたりもしたが、面白いと思う人はどんな理由からなのだろう。
言葉で明示はできないが、なんかあるんだよな。

先日のSOHOしずおかの小出宗昭さんとか。
昨日の方々とか。
Posted by takeshi at 09:15 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 13, 2005
儲けの根幹を自らで持つということ
人の話や実体験から感じたこと。

広告代理店と飲料メーカーの例。

スーパーやコンビにで売っているペットボトルのお茶なんて全部同じようなもんだ。そりゃ、ウーロン茶と緑茶は違う。同じ種類のお茶でも多少味は違う。それは事実だ。でも、他の製品と比べると違いが少ない。絶対このお茶と決めている人も少ない。コンビニへ行きなんとなく決める人が多いのではなかろうか。そんなものがお茶である。

こんな他のお茶と違いの少ないお茶たちなんですが、ヒット商品とまったく売れずに消え去るお茶がある。この市場、毎年毎年大量のお茶が投入されほんの一部が残り、ほとんどがなくなる。この違いはなんだ?といえば商品のイメージといいますか、ブランド化といいますか、ようは広告とかパッケージ、商品名、そんなものによって売り上げが決定付けられると思うのです。

となると、飲料メーカーが売れるか売れないかの最大の決定要因を持っているのではなく、広告代理店が持っているということになる。飲料メーカーにしてみれば大きな問題です。自分の会社で儲けの根幹をコントローラぶる出ないのは経営のリスクが高すぎる。

あと、インターネット企業にも同じことが言える。インターネットのみで儲ける会社はグーグルやヤフーが儲けの根幹を握っている。ヤフーとグーグルが検索結果からあるインターネット企業を消してしまえばつぶれる会社だってたくさんある。アマゾンの結果をグーグルがのっけなかったら売り上げが下がるという話が典型だ。

儲けるための最大要因を自らの会社で持つということは安定した経営の基本であるのだなと思いました。まあ、自社以外の外部の組織や要因があるからこそ、お金を儲けることができるのも事実でありまして。これは自分の会社しかなえれば取引もできず儲けることができないということです。儲ける要因がいくつかあると思うのですが、それを分散したり、最大要因は自社でコントロール可能にしたりと。そんなことが大切なんだろうな。

ブランドとかインターネットとか金融の技術とか最先端のものはすごい売り上げに大きな影響を与えるが、何かあったら一気に崩れ去ってしまう気がします。実は昔から商売の基本といわれるようなもっと地味なことがいざとなったときに強いんだろうな。泥臭いことってやつね。たぶん、これは会社という組織にも個人にもいえるのだろう。

金融の専門家となりテクニカルな取引をしたとしよう。この業界は進化が早い。結果を出していたとしても、若くて頭の柔らかい人がどんどん頭角を表してくる。年を重ね若いときに結果を出していて、かつマネージする側にうまく移ることができればいいが、そうなれなかったら年をとり進化の激しい金融技術についていけなかったら、仕事を失ってしまうなんてこともなくなないと思う。

自らの会社で儲かるかどうかの決定要因を持つことが重要。それは他に依存(ネットワークに)しない独自のものなんだろうな。ネット意外なところにあるもの、とか。

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June 12, 2005
現代社会という文脈においてのみ価値ある「天然」
「天然」といったらどんなイメージを持つのだろうか。天然ボケとかもあるが、魚とかの天然を思い出す人もいると思う。

スーパーや料理屋さんへ行くと、天然の鯛とかそんなコピーで価値をあげている。一方で養殖物といえば無駄に油っぽくてあまり高い評価は受けない。天然>養殖、こんな構図だ。これは疑う余地はないだろう。だって、天然と養殖が同じ値段だったら天然を頼むだろうし、普通天然のほうが高価であるから。

しかし、本当に天然というものには価値があるのか。まあ、価値はあるのだがそれ現代一般社会という状況・文脈においてのみだ。少なくとも僕はそうでした。

無人島で網にアナゴが引っかかった。言ってみれば、究極の天然ものだ。しかし、食べるときに、工場排水で汚染されていないかとか、食べても問題ないかとかいろいろ考えた。食べるのに勇気がいった。しかし、魚屋へ行けば、その魚がどこで取れて安全かどうかの保証もないのに安心して買って食べる。それも人為的に作られた養殖よりも、天然を好む。不思議だ。究極の天然は食べるのが怖いのに、スーパーにある天然は無条件に安心し、好んで選択する。これは社会という文脈、社会という安心感によっているのだろう。

とおもった。少なくとも僕はそういう思考回路の人間だ。

Posted by takeshi at 02:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
スリッパのビニル袋を開けたら
無人島ではいていたスリッパが入っているビニル袋を開けたら無人島のにおいがした。

なんか戻った感じがして、砂浜から見た海を思い出した。
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June 10, 2005
突き詰めればあいまいなのに、人間は瞬時に明確な選別ができる不思議
たとえばAとBについて突き詰めればその厳密な違いははっきりしないのに、人間は瞬時にその二つを明確に選別ができることがある。これが不思議でならない。

人間は何によって判断しているのだろうか。あいまいなものから無意識的にポイントとなる違いを抽出しているのだろう。そんでもって、そのあいまいなものの選別はほとんどの人で共通する。ああ、不思議。この人間の能力を分析すると大きな発見につながりそうですがな。

人間とは何かと突き詰めていけばロボットとの違いを明確に示せないが、人間は瞬時にロボットと人間を区別できる。それについていっている感じです。

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1901年の新聞に載った「予言」
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/info/yogen.htm

「20世紀の予言」は明治34年(1901年)1月2、3の両日にわたり報知新聞に掲載されたが、予言の「七日間世界一周」「東京神戸間二時間半」などがずばり的中。21世紀を間近にした平成になり、マスコミ界が注目。テレビなどで取り上げられ「百年もの昔の大スクープ」として話題を呼んだ。

●二十世紀の豫言(一)
   十九世紀は既に去り人も世も共に二十世紀の新舞臺に現はるゝことゝなりぬ、十九世紀に於ける世界の進歩は頗る驚くべきものあり、形而下に於ては『蒸汽力時代』『電氣力時代』の稱ありまた形而上に於ては『人道時代』『婦人時代』の名あることなるが更に歩を進めて二十世紀の社會は如何なる現象をか呈出するべき、既に此三四十年間には佛國の小説家ジュール・ベルヌの輩が二十世紀の豫言めきたる小説をものして讀者の喝采を博したることなるが若し十九世紀間進歩の勢力にして年と共に愈よ増加せんか、今日なほ不思議の惑問中に在るもの漸漸思議の領内に入り來ることなるべし、今や其大時期の冒頭に立ちて遙かに未來を豫望するも亦た快ならずとせず、世界列強形成の變動は先づさし措きて暫く物質上の進歩に就きて想像するに
   
  無線電信及電話 マルコニー氏發明の無線電信は一層進歩して只だに電信のみならず無線電話は世界諸國に聯絡して東京に在るものが倫敦紐育にある友人と自由に對話することを得べし
遠距離の寫眞 數十年の後歐洲の天に戰雲暗澹たることあらん時東京の新聞記者は編輯局にゐながら電氣力によりて其状況を早取寫眞となすことを得べく而して其寫眞は天然色を現象すべし
野獸の滅亡 亞弗利加の原野に到るも獅子虎鰐魚等の野獸を見ること能はず彼等は僅に大都會の博物館に餘命を繼ぐべし
サハラ砂漠 サハラの大砂漠は漸次沃野に化し東半球の文明は漸々支那日本及び亞弗利加に於て發達すべし
七日間世界一周 十九世紀の末年に於て尠くとも八十日間を要したりし世界一周は二十世紀末には七日を要すれば足ることなるべくまた世界文明國の人民は男女を問はず必ず一回以上世界漫遊をなすに至らむ
空中軍艦空中砲臺 チェッペリン式の空中船は大に發達して空中に軍艦漂ひ空中に修羅場を現出すべく從って空中に砲臺浮ぶの奇觀を呈するに至らん
蚊及蚤の滅亡 衛生事業進歩する結果、蚊及び蚤の類は漸次滅亡すべし
暑寒知らず 新器械發明せられ暑寒を調和する爲に適宜の空氣を送り出すことを得べし亞弗利加の進歩も此爲なるべし
植物と電氣 電氣力を以て野菜を成長することを得べく而して豌豆(注=そらまめ)は橙大となり菊牡丹薔薇は緑黒等の花を開くもあるべく北寒帶のグリーンランドに熱帶の植物生長するに至らん
人聲十里に達す 傳聲器の改良ありて十里の遠きを隔てたる男女互に婉婉たる情話をなすことを得べし
寫眞電話 電話口には對話者の肖像現出するの裝置あるべし
買物便法 寫眞電話によりて遠距離にある品物を鑑定し且つ賣買の契約を整へ其品物は地中鐵管の裝置によりて瞬時に落手することを得ん
電氣の世界 薪炭石炭共に竭き電氣之に代りて燃料となるべし

●二十世紀の豫言(二)
  鐵道の速力 十九世紀末に發明せられし葉巻煙草形の機關車は大成せられ列車は小家屋大にてあらゆる便利を備へ乘客をして旅中にあるの感無からしむべく啻(注=ただ)に冬期室内を暖むるのみならず暑中には之に冷氣を催すの裝置あるべく而して速力は通常一分時に二哩急行ならば一時間百五十哩以上を進行し東京神戸間は二時間半を要しまた今日四日半を要する紐育桑港間は一晝夜にて通ずべしまた動力は勿論石炭を使用せざるを以て煤煙の汚水無くまた給水の爲に停車すること無かるべし
市街鐵道 馬車鐵道及び鋼索鐵道の存在せしことは老人の昔話にのみ残り電氣車及び壓窄空氣車も大改良を加へられて車輪はゴム製となり且つ文明國の大都會にては街路上を去りて空中及び地中を走る
鐵道の聯絡 航海の便利至らざる無きと共に鐵道は五大洲を貫通して自由に通行するを得べし
暴風を防ぐ 氣象上の觀測術進歩して天災來らんとすることは一ヶ月以前に豫測するを得べく天災中の最も恐るべき暴風起らんとすれば大砲を空中に放ちて變じて雨となすを得べしされば二十世紀の後半期に至りては難船海嘯等の變無かるべしまた地震の動搖は免れざるも家屋道路の建築は能く其害を免るゝに適當なるべし
人の身幹 運動術及び外科手術の効によりて人の身体は六尺以上に達す
醫術の進歩 藥劑の飲用は止み電氣針を以て苦痛無く局部に藥液を注射しまた顯微鏡とエッキス光線の發達によりて病源を摘發して之に應急の治療を施すこと自由なるべしまた内科術の領分は十中八九まで外科術に移りて後には肺結核の如きも肺臟を剔出して腐敗を防ぎバチルスを殺すことを得べし而して切開術は電氣によるを以て毫も苦痛を與ふること無し
自動車の世 馬車は廢せられ之に代ふるに自動車は廉價に購うことを得べくまた軍用にも自轉車及び自動車を以て馬に代ふることとなるべし從って馬なるものは僅かに好奇者によりて飼養せらるゝに至るべし
人と獸との會話自在 獸語の研究進歩して小學校に獸語科あり人と犬猫猿とは自由に對話することを得るに至り從って下女下男の地位は多く犬によりて占められ犬が人の使に歩く世となるべし
幼稚園の廢止 人智は遺傳によりて大に發達し且つ家庭に無教育の人無きを以て幼稚園の用無く男女共に大學を卒業せざれば一人前と見做されざるにいたらむ
電氣の輸送 當本(注=にほん)は琵琶湖の水を用ひ米國はナイヤガラの瀑布によりて水力電氣を起して各々其全國内に輸送することとなる

   
   以上の如くに算へ來らば到底俄に盡し難きを以て先づ我豫言も之に止め餘は讀者の想像に任す兎に角二十世紀は奇異の時代なるべし
   【注】「報知新聞」明治34年(1901年)1月2日、3日付。
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June 09, 2005
バランスが悪いからバランスがいい
大道芸のおっさんを見て思った。そのおっさんは、円柱(筒)の上に板を置いて、その上に乗っかりバランスをとっていた。右に行ったり左に傾いたり。ぎこちないと言うか、プロなんだからぎこちないという表現は違うだろうが、なんか右に揺れたり左に揺れたり。でも、落っこちない。すなわちバランスが取れているのである。右に行ったり左に行ったりとバランスが悪いのに、落ちない=バランスが取れている。

もし、右に行ったり左に行ったりしていなくて、止まっていたら絶対に落っこちている。でも、とまっているということはバランスが取れていると考えることができる。このようなバランスがとれていると、結果としてバランスは取れない。

なんかそんな変な、当たり前なことを見て思った。一見するとバランスの悪いような状況のほうが安定している。バランスが取れすぎているほうが不安定だって感じで。
あと、一番じゃなくても社会的にというか自然界では生きていけるということをもう少しわかる必要があるのかもしれない。わかるというか、考え方が極端なので真ん中というか、中庸というか、そんな状態でも勝ち抜けるサバイブしていけるといことを。
おいらはなんでも一番、ベストという思考なので。

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論理と直感
最終的に意思決定をする時は直感が多い。

直感がもつ危険性というものがあることは知っている。でも、それ以上に直感の持つ意味合いも感じる。

私の意思決定方法は、一番はじめに感じたままをメモする。次に論理的に考える。データなんかも使ったりして定量的にも。そして最後に今までの2ステップを完全に忘れて(厳密には忘れることはできないが)直感で判断する。

一番初めに感じたままをメモするのは、論理的に考えた後、周囲からの余分な情報が入ってからでは絶対に感じることのできない貴重な思い、感情を書き残すため。

最後に直感なのは、その前に論理的に考えている。それで振り落とされたものがある。そして残ったものの中ならどれを選択しても大差ない。そこで、一番心にしっくりくるものを選択するため。
この会社の社名の由来に似たことが書いてあった。
http://www.outlogic.co.jp/
 「OutLogic」とは、論理的に徹底的に考え抜き、しかし、解は論理の積み重ねを超えたところにある、
という思考過程の在り方を意味しています。直感だけではなく、また、データの積み重ねだけでなく、
データに基づいた論理的思考を重ねたうえで、論理を飛躍する。そうしたイノベーティブなソリューション
の実現支援を、事業の中核目標としています。

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言葉の繰り返しは性格にしみいる
言葉の繰り返しは性格にしみいると思う。たぶん人間の性格というのは言葉によって作られると思う。たしかに、小さいころの実際の行動を伴ったことも性格を作り上げる要素だと思う。しかし、赤ちゃんのころはそんなにもいろいろな経験をするわけではない。(とはいっても、赤ちゃんにとってはすべてが実際の行動を伴う経験なのかもしれないが)まあ、それで、言葉というものが大きな要因だ。それも親の。なぜかって子供は、赤ちゃんはほとんど親としかいない。まあ、それ以外でも特定の人だ。少数の人といると、その少数の大人は同じ言葉を使う。同じとはいわなくても言葉に偏りができる。これが私の言うところの言葉の繰り返しであって、これが性格を形成する。

言葉によって人間は考える、意思決定の道具になる、判断のよりどころになる。ということは言葉によって行動が規定される。ということは性格そのものを作っている事なんだろう。

Posted by takeshi at 10:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
気になる人
気になる人がいる、それは下條信輔さんという方。茂木さんのブログに登場していた方。ほかにもよくいろいろな人が登場するが下條さんはなんか引っかかった。

それで調べると猛烈に興味を持つ。面白そう。「意識とはなんだろうか」という本も面白そう。早速読もう。神経経済学とか面白そうだよな

この企画むっちゃ面白そう「ルネッサンスジェネレーション」 今年のは9月に詳細は発表されるみたい。やっているのは金沢工業大学。やっぱやるなKIT。
http://www.kitnet.jp/rg2004/index.html

カリフォルニア工科大学の下條信輔さんのページhttp://neuro.caltech.edu/index.shtml
jstの戦略的創造研究推進事業 http://www.jst.go.jp/pr/info/info115/shiryo1-3.html

Posted by takeshi at 10:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
大黒選手は何か落ち着きがある
昨日、サッカーを一人で見とったわけです。すると、なぜか二郎が食べたくなる。深い理由は知りません。

それはいいとして、大黒という選手に何か感じる。あの選手は年齢の割りに落ち着きすぎている。ストイックといわれる種類の選手なのだろうか。サッカー選手ではあまりみないタイプのように感じる。

それか、人生経験豊富なんだろうか、器が大きいというんだろうかそんな感じがする。サッカーがうまいというよりも。もちろん、サッカーはうまいんだろうけど。そういうことはあまりわからないので。

Posted by takeshi at 09:53 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
周りへの影響
たぶん生まれてきてからずっと私に存在する問題?(まあ、問題ではないんだけど)は周囲への影響だ。

自分が他者からあまり影響を受けないので、他者も僕の言動に影響を受けないと無意識のうちに思ってしまっている。そして、そのことが無意識のうちに行動に現れる。相手への影響を考えない言動を取ってしまうことがある。気づかないうちに。自分が思っている以上に他社への影響が多いようだ。

それは辛辣なぼくの言葉遣いもかかわっていると思う。

このようなことは、口だけ人間として捉えられる。口だけの人間にはなりたくないから言葉には気をつけよう。それに何といっても、多くの人にいやな思いをさせることは僕も好きではないし。

小学校一年のときにも、周りへの影響を考えないで批判的な発言が多いといわれているし。そんな昔からだからすぐには直らないかもしれないが。日々の努力だな。

実は普段の会話ならそこまで問題ないと思うが、スイッチが入って興奮しだすと強い言葉を使ってしまうことがある。ここが問題だ。でも、この正直な強い言葉が僕っぽさでもあるんだけど。まあ、そのあたり人を見て状況を見てコントロールできるのが大人って奴なんだろうな。

Posted by takeshi at 09:45 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
そこに蜘蛛の巣はなかった
そこに蜘蛛の巣はなかった

ただそう思いました。これは無人島の感想です。

人がいない、無人ということは社会という文脈からは完全に切り離されているからです。なんの決まりも制約も常識も何もないんです。蜘蛛の巣のような網の目のような社会的制約はなにもない。たぶん一人で行ったらさらにそう思ったんだと思います。

こう書くと制約が悪く聞こえますが、一概にそうは思いません。蜘蛛の巣のような細かな制約があるからこそ、人間は生きていけるのです。制約と制約のハザマにそれぞれの存在の場を見出し生きていく。それだからこそ人間は生きてゆける。そんなんが現代社会だと思うからです。そんな恩恵を受けて生きている自分ですから。

Posted by takeshi at 09:35 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
僕はただあの青が見たいだけなんだ
僕はただあの青が見たいだけなんだ

特に深い考えとかあるわけじゃない。みんな勘違いしているが、本当に僕は何も考えていない。

僕はただあの青が見たいだけなんだから。

Posted by takeshi at 09:31 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
サッカーの得点シーンが不思議でたまらない
なんだろう、スポーツをテレビで見るといったら個人的に野球、サッカー、ゴルフ、水泳こんなもんだろうか。その中でサッカーが一番秩序だっていないというか、変化が早い。

野球は順番に塁を進める、ゴルフは一打づつ、水泳は単調、サッカーは攻撃と守備が一瞬に変わる。だから、サッカーは若者が見るのに適しているとかいわれることがある。

まあ、それとも関係するんだが、サッカーの得点シーンが不思議でしょうがない。あの「あっけなさ」ともいえるもの。

本当に得点が入ったのかその瞬間にはわからない。その不確かさ。永遠にサッカーのゴールは見れないような感覚。
Posted by takeshi at 09:16 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 07, 2005
言葉の背景の再認識
言葉というものには生まれてきた背景がある。しかし、その言葉が生まれ、広く使われると言葉が生まれた背景は忘れられ、失われていく。言葉だけが切り取られた存在となる。

そこで、今一度言葉が持っている背景を考える。そうすると面白い。それは辞典などで言葉が作られた背景を調べるのもいいが、自分でいろいろと思索するのもいい。その言葉に対する見方が変わる。

言葉の背景を含めれば、もともと含まれてしまっているような形容詞をある言葉に付加して使うことによって言葉に深みが増すことがある。これは厳密に言えば価値のないことかもしれないが、言葉が切り取られた現代では大きな意味を持つし、言葉の質感を再認識するいいきっかけになるんだろう。

この場合、言葉というよりも単語といったほうがいいのかもしれない。

Posted by takeshi at 07:41 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分の性格
ややこしい性格です。
相当ややこしい性格です。
自分勝手というのかもしれません。
自分中心主義過ぎるというのかもしれません。

性格というか、思考プロセスとそれによる判断、実行のこと。
特に他者に対する行動で、この性格なるものに気がつく。

極端に触れすぎた考え方をする。
天邪鬼。
表面上のコミュニケーションが苦手。

あと基本的に、僕は怒りの感情は少ない。多少あっても怒らない。
知識欲が強い。

楽しいと思ったら目の色が変わる。
つまらないと思ったこと、人はどーでもいいと思う。

そんな感じ。

Posted by takeshi at 07:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
天邪鬼の生き方
自分は天邪鬼かどうかはわからないが、天邪鬼っぽいところはあるのかもしれない。

で、やはり天邪鬼という人間は、結果を出すしかない。

公の場で逃げのような発言をするのは一番かっこ悪い。ただのウザイ人間だ。

天邪鬼として価値のある天邪鬼になるには、結果を出すこと。アウトプットをだすこと。

とりあえず、これだな。

目に見える結果をアウトプットを出したことない人間が、偉そうに目に見えない価値だけ語っても意味がない。

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June 06, 2005
一生忘れない経験と瞬間
人生には死ぬまで忘れないだろうという記憶がある。

長期記憶というものか。

基本的に一生に一回しかないもの、それは中学校の入学式であったり、海外旅行であったりそんな類のもの。こういったものは比較的覚えているはずである。海外旅行のような長いイベントは要約的なことだけ記憶に残ることもある。

これがなんか不思議である。死ぬときまで覚えている。この一瞬は死ぬまで覚えているんだろうなと思った瞬間があった。その瞬間が不思議だ。死ぬまで覚えているのだから。この瞬間がスパッと切り取られ保存されるような。よくわからない感情になった。

もちろん、何気ない日常の一こまをなぜかずっと覚えていることもあるだよね。
Posted by takeshi at 08:14 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ギリシャじゃねーよ、シギリヤだよ 笑
一回しかあったことない、それも長時間話したわけでもない。そんな人がいる。そいつは一本筋が通っている。かっこいい。

普通だったら、俺からは連絡を取らない。が、無人島に行ったと連絡してみた。予想通り食いついてきた。で、彼は今年の夏にシギリヤへ行く予定とメールが来た。

かってにギリシャだと思って、2回行ったことある。と返信したのだが、私の早合点だった。シギリヤとはスリランカの都市の名前らしい。。。夏休みにギリシャに行くほどリッチじゃねーよと突っ込まれた。ごもっとも。

こんな風にミスをしないようにしないといけないな。でも、ミスをするから新しいことが生まれるのと、人間はミスをしてしまう生き物なので、それを踏まえたうえで調整して認識をしようとするから誤認識するんだけど。といいわけ。

Posted by takeshi at 07:14 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夢を見すぎるということ
無人島では夢を見すぎた。
寝ると毎回毎回見た。

でこぼこの床、塩っぽい風、などなど普段にはない刺激が寝ているときにあり、夢を見たのだろうか。
熟睡できなくて、夜中に何度も起きた。だから、普通なら忘れる夜中に見た夢まで、夢を見たと記憶した。(普通でも毎晩何回も夢を見ているが、夜中に起きないので記憶していない)

まあ、こういった理由があるだろうが、何か無人島で夢を脳からこぼれるほどみたというのは他の理由があると考えてしまってもおかしくない。

Posted by takeshi at 07:12 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
永遠
ZARDという歌手がいます。

その人の歌で「永遠」というものがあります。その歌がここ何ヶ月か頭の中で流れます。

君と僕との間に永遠は見えるのかな。これは恋愛の文脈で書かれた歌詞かもしれません。しかし、なんかこの文章が気になるなる。永遠。永遠。永遠って何だ。あるものとあるものの間に関係性があって、その関係性の中に永遠は生まれるのか?

永遠を考えるとき時間的なものとしてとらえる。となると時間とは何かを考えないといけなくなる。しかし、この永遠なるもの時間的概念におけるものだけではない気がする。なんかもっとほかのものに横たわっているものの気がする。

Posted by takeshi at 01:43 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること
心臓と脳と心と、えもいえぬ感情が生まれてくること。

光村図書とかいう会社の教科書を使ったことある人はわかるかも。赤い実はじけたという作品。中学一年の初めだったかな。そんな記憶が。そこであらわされた心臓の鼓動と締め付けられる感じ。それが
心臓に心があるといわれるゆえんだと思う。

心脳問題+心臓が気になる。日本でも(日本語でも)心といえば心臓。英語文化でも心といえば心臓。これが言葉でも文化としても習慣となっていている。この理由は心臓と心が何か関係しているからではないか。

心が痛むというのは脳が、そう認識しているだけなんだろうか。なぜその時、心臓が締め付けられるように感じるのだろうか。心ってなんだ?心は存在するのか?存在するならどこに?

まあ、ある意味において、脳というものの働きも、痛さ、におい、味に反応することと同じなんだろうか。そんで心臓の周りから血液に混ざって興奮させるような物質が流れるといえばそれまでなのだろうか?その物質は心臓で作られる?

Posted by takeshi at 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
June 05, 2005
夢を見すぎた無人島
瀬戸内海の島へ行ってきました。そこの島は無人。

無人島という響きが呼び起こす感情は、なんとも表現しがたい未知へのワクワク感と不安。人間は群れて生活する傾向があります。群れるというか、人は一人で生活できないといいますが、それよりも人は集団で生活しやすいから群れるのだと思います。それがコミュニティであり、国であり。民族であり、言語である。人と人がいることによって、生まれる会話、またそこから生まれるアイディア。そしてアイディアが実行される。そんなことが繰り返されよりすみやすい町になってくる。

だから、無人になった場所に長期間住む人は少ない。人が住んでいないということは、生活をするのに必要な前提条件がすべてないということなんであって、、それを実感しました。

島へは東京から神戸までバスを使い、そこから電車に乗って、さらにバスに乗って船乗り場へ。まあ、船乗り場といっても、そんなたいそうなとこじゃなくて漁船が集まっているところ。こんな小さな船に乗るのは中学2年以来?小さな漁船にはいい思い出がなかった。この中二のときに思いっきり酔っ払った。だが、今回はまったくそんなことなかった。自分もいろいろな経験をして強くなったなあと、あのスペインのグエル公園で感じたときと同じ感情がふつふつと込みあがってきた。まあ、その漁船は風を切り水を切り走った。心地よかった。日差しを浴びながら、僕たちだけを乗せた漁船が走る。そして、人生何度目かの瀬戸大橋。一回目は四国へ行くときに渡り、二回目は大阪から九州でフェリーへ行くときに下をくぐり、今回は漁船でくぐる。なんか壮観であった。さらに、この渡船のおっちゃんもいい味だった。しゃべり方といい、焼けた肌といい。何日もおるんやってなぁー。って笑顔で。きいつけーや。と。なんか、こういう何気ない会話が非常にうれしく感じる。

まもなく、島に。これが島だ。という感じ。やっとついたよ。このときは晴れていたし、多くの人が想像するような無人島だった。船から一歩下りると、とうとうきたなという感じ。どんな生活が待っているんだろう。

それから、荷物を置き島を見て回ることにした。島全体を確認することと、寝る場所の確保が主な目的だ。砂浜はふかふかしており歩きにくかった。人が歩いていないので、砂が詰まっていないのだ。海岸からの距離、砂のきれいさ、周りにあるもの、風が直接当たらないかなどを踏まえ寝場所決めが行われた。そして、そこに簡易テントみたいな住居を作る。まあ、これも結構時間はかかったのだが、できて実際に寝てみると坂だった。でこぼこだった。たいして、でこぼこにも見えないのに、実際に横になるとでこぼこだ。そこで、砂を足らないところに増したり、坂で砂がありすぎるところからは砂を出した。スコップなんてないから手と流木で。これに時間がかかった。まあ、これだけやってもでこぼこで、寝づらく、おきると体の節々が痛く、間接・筋肉痛になった。衣食住というが、その住がある程度めどがついたので、次は食だ。魚を取る網を持参した。お魚キラー(スプリングアナゴかご)というもの。これを仕掛ける準備だ。正直つりの経験は皆無に近い。つりには何度か行ったが一回もつったことがない。。。まあ、それでもやりゃなきゃならない。紐とかごを結ぶ。そもそもどういう状態でかごを設置すれば魚が取れるかもわからない。考えるのみである。さらに、紐とかごをどれくらいの強さで結ぶかもわからない。波によって紐がほどけてしまうのかもわからない。紐をどれぐらいの木にくくりつければいいのかも。。。まあ、その辺は適当に。木に結びつけた。はじめはちょっと不安でかごに2箇所結んだ。そして、海にかごを設置。そろそろ暗くなり始め、人間は寝静まる時間だ。
しかし、それから、満潮干潮が気になる気になる。かごを設置しているときに潮が満ちてきたように感じた。迫ってくる。

夜寝転がりながら星を見ていると、波の音が島の森に反射してすごく近くに感じる。いったい満潮の時にはどこまで迫ってくるのか?自分たちの住処まで海水で覆われるのではないか?と本気で心配に。そこで、住処の周りを掘り出す。溝を作って、波の衝撃を抑え、溝の後ろに山を作ろうという作戦。真っ暗なんだけど、ひたすら流木で掘った。掘った。砂の濡れ具合と、物が打ち上げられているラインを確認してたぶん大丈夫だと自分たちを納得させた。

そのあと、寝ながら星を眺めた。一番星を見つけた。二番星も、三番星も、四番星も。星はいきいきと輝いていた。きれいな星を見るのも久しぶりだ。一番初めに星がこんなにもたくさんあるんだと、心のそこから衝撃を食らったのは、小学生のころフェリーで大阪から九州へ行くときだ。あの時、瀬戸大橋をくぐったのだ。星の思い出は以前のエントリー。そんなこんなで夜は過ぎた。

異様に夢を見た。体の節々が痛かった。波の音が迫ってくるように聞こえ何度もおきた。簡易テントの中はなぜか水滴でいっぱい。雨かと思ったがちがった。理由はわからず。まあ、横になればすぐ眠れたが、すぐおきてしまった。

次の日。朝は早く訪れた。

 
人が住んでいないということは、生活をするのに必要な前提条件がすべてないということなんだな、と実感しました。

強い雨と風、岩で足を怪我、ほとんど物を食べられない日々、海に浮かんでいるセロファンみたいな海藻?を食べ、一回だけアナゴが取れ喜び、満潮にビビリひたすら溝を堀り、夜は8時に暗くなり一番星を見つけた日々でした。

本州に戻り食事をしたときのうまさとありがたさ。
Posted by takeshi at 01:36 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2005-05

http://www.teratown.com/blog/archives/2005_05.html

 May 30, 2005
メールが不通になります
一週間ほど瀬戸内海の島へ行ってきます。
そのため、メールもブログも使えなくなります。

モブログはするかもしれません。

ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。
Posted by takeshi at 11:56 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
自分で話したことから気づきを得る
自分で意識的に今まで考えていなかったこと。自分の中にもともとあったものだが、ひとりではその考えや思いに気がつかない。自分ひとりでは生まれてこないものがある。

他者との会話(たとえほとんど自分が話していたとしても)で、生まれてくる、見つけることができる自分の考えがある。考えというか、点と点が線になるようなこと。

コミュニケーションって胡散臭いけど、偉大ですなぁ。

そんな自分の奥底にあるものを引き出すきっかけをくれる会話をできる人はいるものです。そんな人と話していると途轍もなく面白いです。そんなことを静岡の夜中に思いました。
あと、自分の基礎となる地道な地味な作業・行動・仕事は非常に重要でないがしろにしてはいけないな。そんな作業を有名になろうと、どうなろうとやり続けることが重要なんだな。
俗物化しちゃならんと自分に言い聞かせたいです。

Posted by takeshi at 12:36 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
May 28, 2005
野茂という生き方
以前にも書いたが、野茂英雄という男は本物だと思う。

彼の実績、大リーグで2度のノーヒットノーラン、大リーグで10年以上プレーし、日米通通算200勝まであと一勝。これらはいうまでもないが、それ以外の部分もすごい。

野茂という男を始めて知ったのは、彼が大リーグへ行ったときだったと思う。ロサンジェルスドジャースへ行ったときだ。その時、かっこいいと思った。なんか、金や日本での地位を投げ捨て自らの望む世界へ飛び込んだ。彼の一貫した自分の思いには脱帽する。有名になろうと、金をたくさんもらおうと、実績を残そうと、流されない感がある。まったく俗物化しない。そういえばあの時、野茂のファイルノートみたいなのを買って使った記憶があるなー。

そういえば、スポーツ雑誌を読んだことがなかったが、先月ぐらい大学の生協で立ち止まって読んだ。野茂が表紙だった。野茂の記事を一字一句読みこぼさず読んだ。細かいことに動じない。メジャーから落ちても淡々と自分のすべきことをする。軸がぶれずに、一歩一歩足を進める。

たぶん、本人も悩むことがあると思う、どうしようもなく答えが出ないこともあるんだろう。でも、彼は彼なりの答えを出して、周りの答えではない。そこが、野茂という生き方なんだろうと思う。

イチローの振り子打法、野茂のトルネード投法。両方とも野球の常識や科学的にはよくない手法なのかもしれない。でも、論理的だからとか科学的だからといって、その人個人にベストだとは限らない。論理的とか科学的は平均的なものに対して適していたりすることもあるし、個人には当てはまらないこともある。それに、論理的だからベストというわけではないと思う。その人個人が納得しなかったら、どんなに論理的に正しくても、その人個人にとってはなんの価値も持たないのだ。そんな両氏の独自の手法。二人にとっては自分にあっていたのだろう。周りの意見に流されず(周りの意見を聞かないということではない)、その自分なりのやり方を貫く。独立リーグの経営もこの顕著な例だろう。

こんな生き方はすごいと思う。俺みたいなちゃんちゃらな人間にはわからない部分もある、俺も自分の道を歩んで生きたいと思う。

このときも、野本イチローは特別と書いてるなぁー。
http://www.teratown.com/blog/archives/000923.html

Posted by takeshi at 12:50 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
May 27, 2005
耳で食べる
耳で食事すると言うと変に聞こえるかもしれない。

先日、特に何も考えずヘッドフォンをつけて食事をしようとした。というか、食べ始めた。すると、いつもの味と違う。何か違う。いつもより無味な感じがする。ふと思って、ヘッドフォンをとるといつもの味のような気がした。

食事のときの音といえば、そばを食べる音、油で揚げる音などいろいろあるが、これらはおいしさの大きな要素なんだと思う。食事は目で楽しむというが、食事は耳でも楽しんでいるのだな。

Posted by takeshi at 12:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
これはいいと思う瞬間
話をしていて、「それいいね」と猛烈に思うことがある。

もともと、「それ」相手が話した内容をいいと思っていたわけでなく、話相手が突発的に思いついたアイディアに対して、自分も瞬間で「いいな。」と思うことがある。

これはどういうことなのだろうか。なんで瞬間で良いと感じれるのか判断できるのか。判断する際のよりどころとなるものは何なんだろうか?

Posted by takeshi at 10:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
やるべきでないことをやるべきであるということ
じっくり考えるとやるべきではないこと、そうあるべきではない状況になったほうがいいこともあると思う。

われを失って、何かに没頭してしまう。周りが見えなくなって、周りに迷惑をかける。やるべきではないかも知れないが、一度こういったことを経験するのは意味があるんだろう。

Posted by takeshi at 10:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分とその他のもの
自分とその他のものに対する意識の違い。

なぜ自分のものは汚くなくて、自分以外のものは汚いと思うのか。
そういえば自分(身体的な意味で)は、小さいころはイマイチ明確でないようだ。成長する段階で、自分の意思で手が動くことや物に触れる過程を通して自分の腕を自分の一部であると認識するようになるらしい。
:後から追加:
脳と魂という本で玄侑宗久さんが「」自己っていうものを形成していくときに、自己と清潔ってどうかかわるかっていうと、清潔は自己なんですよね。不清潔って根拠は何かっていったら、自己外なんですよね」といっていて、ああ、俺の感覚と一緒だと思った。
Posted by takeshi at 02:21 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
May 25, 2005
製品サービスにあいまいさを持たせる
飽きないロボットが現在のロボット作りのコンセプトだと聞いた。すごく面白い発想だと感じた。

人間は鮮明に記憶できないから創造性が生まれる。ということは商品やサービスにもあいまいさを持たせると面白いのだろうなとふと思った。

これかなりのポイントだな。

Posted by takeshi at 04:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
口に出してしか読めなかったはず
今、ビル・ゲイツ未来を語るを読んでいる。結構長い本で時間がかかっている。しかし、読み続けられるのは面白いからだ。正直ビルゲイツという男のことをなめていた。もちろん、世界中の人がみんな使う商品・サービスを作り上げ、そしてあそこまでの企業を作り上げ、社会の変化を先導してきたのだからすごいとは思っていた。だが、「そうはいってもね」みたいな感情がどこかにあった。

約10年前に書かれたこの本を読んで、すいませんという感じになりました。そりゃ、ここまでの企業になるよと純粋に思った。抜群にすごい。情熱的であり冷静沈着である。すごい。

まあ、それはいいとして、本を読んでいてふと思った。小さいころは黙読なるものができなかった。目で読むことができなかった。目に字が入ってきて読もうとすると自然と文字を口で読み上げてしまっていた。これは黙読の練習をするうちに、口で話さなくなった。練習は文字を読むと口でも読み上げたくなるのを我慢して、口を無理やり閉じて本を読んだ記憶がある。あの、話したいのに「ぐっと」こらえるような感じで。

僕は完全に話しながら考えるタイプだと思う。だからかもしれないが、ちょっとなぜか考えてみた。そもそも、日本語というか言葉を身につける過程として、一番最初にやったことというか、まあ自然になんだけど、実際に大人が話している言葉を聴いて身に着けた。子供は文字なんか書けないけど、話せる。それは大人の話を聞いてなんとなく身につけていったからだ。ということは、もともと人間の脳には言葉というものが音声として記憶されている。音声があってその上で文字があるという記憶なんだろう。だから、小さいころ本を読むと(文字を見ると)、音声の記憶とリンクして、口からも発したくなってしまう。ということなのだろう。

しかし、大人になると口に出して本を読んでしまう人は少ない。ということは、脳の中で音声と文字のリンクが弱まったと考えられる。となると、人間にとっての言葉の意味合いも、捉え方も必然的に変わってくるのだろう。どのように変わるかとか、気になる。

あと、言葉なんてのは本当に話したり、文字になっているものよりも、抑揚とか顔の表情などの文脈から意味を理解しているのだな。だから、外国語を学ぶのも音声だけよりも映像、映像だけよりも生の現場のほうがよい。話している状況を感じ、顔の表情や抑揚、その場の空気から読み取って、現地の人の思考パターンを感覚的に理解したり、文脈と言葉の関係性を理解することによって言語を習得できるのだろう。そのトライアルアンドエラーの繰り返しによって言葉は習得できるのだと実感。

だから、古典とか苦手なんだろう。私が電話が苦手な理由(以前のエントリー)も文字からよりもその場の状況から意味を理解するタイプなので、古典のように完全に文字しかないものから理解することが難しいのだと思う。

Posted by takeshi at 03:17 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
窓越しの暖かさ
最近暖かくなってきた。そりゃ五月も下旬になれば暖かくなる。
部屋に光が差し込んでいた。青い空と真っ白な雲の隙間からまぶしすぎる太陽が降り注いでいた。窓を閉めていると風が入ってこないので、温室のように暖かさだけ部屋に伝わる。窓際でふと立ち止まると、太陽の暖かさを感じた。

ふと思い出した。岐阜の自分の部屋を。あの時も窓を閉めて太陽の暖かさを感じていた。この暖かさはほっとする。なんだろう、心が穏やかになる感じがする。

不思議に思った。まどぎわの暖かさを感じることなんてどこでもあるはずだ。普段の生活でも何度もあるなんでもないことだ。しかし、この感覚は一人でいるときにしか湧き上がってこない。

思い出すのは岐阜の感覚だけ。脳によみがえってくる感覚は岐阜の自分の部屋の窓際の暖かさだけだ。不思議な話だ。

思い出される記憶というのは、一番初めに味わったものなのだろうか、一番回数の多いものなのだろうか、一番印象に残っているものが正しいのかもしれない。が、違う気もする。そのとき求めている状態に一番近いものが呼び起こされるのだろうか。子供のころ一番記憶に残っているものなのだろうか。

まあ、人間が状況・状態などを抽象的に記憶する、その記憶の仕方やどのような分類わけをして記憶するかにかかわってくるんだろう。

それにしても夏というのは無邪気さがある。

Posted by takeshi at 01:26 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
バリンク
バリンクという言葉はさっき作られたばかりの言葉。

どんな意味かといえば、value drinkの略です。

valueといえばマクドナルドのバリューセットにもあるようにお得とか価値があるという感じの意味です。drinkといえば飲む、酒を飲むという意味です。

まさにこの二つの単語をあわせた意味です。お得に酒を飲もうということです。

バリンクの条件
・つまみと酒合わせて500円以内
・腹が満たされる
・集合するときはみんな500円玉を握り締めて

これです。面白そうじゃないですか?バリンク参加者募集中です。メールでもください。
Posted by takeshi at 02:04 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
セレンゲティーでヒヒ
テレビのメモ

ストレスが病気を起こすか否かはストレスホルモンを測ることによってわかる。 
人々の性格によってストレスが病気になるかが決定する。

人間で言うAタイプのヒヒはストレスによって病気になりやすい。
努力して、Aタイプの性格を変えると病気になりにくくなる。
って、当たり前ジャンとか思いました。でも、もっといろいろ考えると面白そうな内容。

アフリカのセレンゲティーでヒヒの行動をみて研究。
瞑想にはストレスによって起こる体への悪影響を除去する作用がある。ハーバード大学教授

戦うか逃げるかと反対の作用リラクゼーション

リラクゼーション
言葉、音、動きを繰り返す
反復に集中して頭の中から考えを排除

反復運動:脳の検査によりわかる
10分間脳から雑念を取り払う。呼吸に集中する。すると頭の心配事は消えリラックスできる。
脳の活動は低下、しかし一部だけ活発化。それは呼吸と覚醒、決断、感情をつかさどる部分。

BBC world

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現状維持を望み変化を望む
人間は現状維持を望む説きもあれば、変化を望む事もある。この割合は人によって違うだろうが、おそらくすべての人が両方の面を持っている。どのようなことに関しては現状維持を望み、またどのようなことに関しては変革を望むのかわからない、人には共通の傾向があるのだろうか。それともまったくばらばらなのだろうか。

なんで人間は相反することを望むのだろうか?!不思議である。人間は生き延びようと思っている。そのためには安全が安定的に保証されることが重要である。言ってしまえばぬくぬくした生活が一番いいのかもしれない。だから現状維持を求める。将来の変化のリスクは大体推測できると入っても不確定な要素が絶対に残るのである。もし、リスクが害が発生することもある。これを人は避けたいと思う。

しかし、人間はなぜか刺激を求める。なぜかといえば、安定していてもそれが一生安定しているとは限らない。周りの環境変化により安定していたものが安定していられなくなる。変化しなければ新しい環境では安定でいられなくなることもある。さらに、このようになることを先読みして大きなメリットを得ようと変化することもある。そこで、何か変化を起こす。

さらに、現状で満足している場合は現状維持だろう。少しの不満があるが、変化を起こすことによって起こる問題のリスクが大きいと思えば現状維持、現状に著しく不満があって変えればよくなると高確率で思えば変化だろう。そんなの当たり前だ。これは当たり前のことなんだろう。

キになるのは、このような意思決定はすべての物事に適用されるのか、もしくは一部のものに適用されるのか。人による現状維持と変化を望む思考は何によって起こるのかなどが気になる。

自分のことだけしかわからないので自分も考えてみることしかできないが。
自分に直接関係あること、もし変化を起こせば自分の生活に支障をきたす時などは現状維持になり、外部のものに関しては変化を望むのだろうか。これはなんとも安っぽい考えだ。でも、この考えをすると最終的に自分にとってマイナスなのではないか。それなのに、このような思考を行うのはなぜか。なぜなら、外部に対しては変化を働きかける。外部が変われば自分も変わることが求められるだろう。そうすると変化するリスクに自らがさらされることになるのだ。最終的に自分にもリスクが降りかかってくることをなぜするのか。さらに、外部のものを先に変化させ、後に自分が変化するということは、変化に遅れている。変化に遅れるということはメリットを享受できなくなる。問題が多いのではないか。まあ、後から自分が変化するということは、リスクヘッジにもなる。外部の変化を見届けてから変化することによって、誤った変化をするリスクがなくなるからだ。とか考えていたら眠たくなったので寝る。
話は変わるが、PCを再インストールした。PCというのは個人個人カスタマイズされていて、固有の使い方があると思う。そのカスタマイズされていたPCは再インストールによって標準に戻った。だいぶ自分色に染まってきたが、依然とは違う使い方を始めた部分もある。それによってライフスタイルの変化、というかパソコンライフは変化した。偶然起こった(自らやったかも)インストールがスタイルを変えた。

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May 24, 2005
インターネットでの検索自体が情報漏えい
インターネットでの検索自体が情報漏えいになってしまうかもしれないと思った。検索エンジンでキーワードを入力し、検索結果として表示されたウェブサイトへ飛ぶ。飛んできたウェブサイトがアクセス解析をしていて、細かくそのアクセス解析をチェックしていたら検索した人の情報漏えいが起こる。

もっと細かく例を言うと、ある企業(官公庁でも)がA社のB取締役をヘッドハンティングしようと思う。ヘッドハンティングまでいかなくても、候補の一人として考えたとする。するとある企業の社員はB取締役の名前で検索をする。そして結果としてでてきたページに飛ぶ。すると、とんできたページのアクセス解析にはどこのドメイン(会社名)から、どんな単語(B取締役の名前)で検索してきたかがわかる。

個人のページが検索で上位に来ることがよくあるこの時代、個人がアクセス解析していたら情報が漏えいしてしまう。企業の今後の戦略の情報が断片的にだが個人に漏洩してしまうリスクがある。さらに、断片的な情報が個人に入れば、ありえない噂だけ一人歩きしてしまうかもしれない。これは企業にとって大きなリスクとなりかねない。

企業は自分のところにストックしている個人情報やその発信だけ心配して対処しているかもしれないが、インターネットという性質をもっと理解して何気ない動作の情報漏洩にも気をつけるべきなんだろう。

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時報ストレッチ
昨日、話をしていて思いついた。時報ストレッチ。まったく価値はないかもしれないが、なんか面白い。

人間同じ姿勢で長い間いると疲れる。伸び(ストレッチ)をしたくなるものだ。で、定期的にストレッチをすると体にもよいキがする。ということで、たとえば九時になれば、時計の長針と短針が9時をさす方向に手を伸ばしてストレッチ。そうすれば、周りの人は時間がわかってしまうという優れもの。とかいいながら大体の時間だし。まあ、まあ。

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人類の進化とは
人間は昔と比べると苦味を感じなくなったらしい。この記事は非常に興味深かった。安全なものばかり食べるからこうなってきたのだろう。ということは、苦くても体に害のないものをさらに見つけて食べるようになるのかな。

人間の進化は不思議だ。先日読んだのだが、人間は環境を変えるようになったので人間自体の生物学的進化が止まった。というようなことを以前のエントリーで書いた。ある程度こても真実であり、やはり人間は生物学的な変化をしているというのも事実なんだろう。

で、人間の変化は面白い。たとえば、この苦味の話。かなり極端な例になっている。ひいじいちゃん世代は危険なものも多くあって、そのような状況で食べていた。しかし、じいちゃん世代は比較的安全なものを食べた。すると、おやじ世代からは苦味遺伝子が減りはじめる。そして自分の世代は著しく苦味遺伝子が減っている。実際に苦味遺伝子を食べなくなった世代の遺伝子は変わっていないのに、その次の世代の遺伝子は変わっている。なんか不思議だ。そんな経験による変化は遺伝子に刻み込まれ次の世代はそれに対応した遺伝子を持つようになっている。そうやって変化が遂げられる。たぶん、一歩進んで二歩下がる的な変化をしているのかもしれないが、全体として前の世代の習慣の変化が
遺伝子にのっかり、次の世代には遺伝子が変化する。

あと、全体の平均というのもすごく面白い。平均を取るとある傾向が見られるのは当たり前なのかもしれないが、ばらばらなものが集合することにより傾向が生まれてくるというのはなんか面白い感じがする。
苦味感じる遺伝子、人類進化で急速に退化
 苦味を感じる遺伝子は人類進化の道のりで急速に退化したことを、総合研究大学院大学(神奈川県葉山町)の郷康広研究員らが突き止めた。
 苦味への感受性は、毒を体内に取り入れないよう備えられたとされているが、人類は、発達した脳で毒を学習し、実際に食べなくても見分けられるようになったことが急な退化の原因らしい。この成果は米遺伝学会誌の今月号に発表された。
 苦味を感じるセンサーを作り出す遺伝子は人類では25個が働いている。ほかに機能を失った残がいのような遺伝子が11個ある。
 研究チームがチンパンジーやゴリラ、マカクザルなど12種の霊長類の苦味遺伝子を調べたところ、これらが持つ残がいの遺伝子は人類よりも少なかった。さらに、1個の苦味遺伝子が機能しなくなるのにこれらの霊長類では平均して約780万年かかっていたのに対し、人類は約200万年と退化が3・9倍も速かった。
(読売新聞) – 5月23日3時7分

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未来を語る
ここ二日ぐらい面白いことを考えていたんだけどなんか、メモするのも、記憶していることもできなくて忘れた。擬似旅を提供するサービスとか面白そう。

それはいいとして、未来を語る。ビルゲイツさんが10年ほど前に書いた本。去年ぐらいに100円で買った。新しさが命のカテゴリーの本で微妙に出版された時期が古い本を買うのが好きで、なんでかっていうとその本を今読むからこそ面白さが伝わることがあるから。

このビルゲイツ未来を語るは面白い。まだ50ページしかよんでいないけど、面白い。おもしろい。

先日のiモード事件簿。も面白かった。と思ったら、友達も同じ本を100円で買い読んでいた。それも時期はずれな本なのに同じ時期に。iモードも未来を語るも。

まあ、それもいいとして、まじめに未来を語る予測する会があったら面白い。少人数で定期的に。コアな人は5から8人ぐらい固定で3人から5人毎回ゲストが来る感じ。それで分野ごとにテーマを決めて毎回語る。アカデミーオリンピアみたいな感じ。ああ、こんなのやりたいなー。

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May 23, 2005
さすがなんだろう。
海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語を読んだ。

ディズニーランドには行ったことがないし、興味もあまりなかった。ただ、あれだけ人をひきつけるのはすごいと思っていた。相当な戦略また努力があってこそだろうと思っていた。

で、この本を読んだらやっぱりすごいな。徹底している。それはオリエンタルランドもそうだし、ディズニー社も。ここまでやると人はひきつけられるんだな。

こんど、ディズニーランドへ行っていかほどかこの目で確かめようと思う。

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今月なら携帯が3500円引きだから・・・
持ったものと持たざるものの心境の違いはすごいものだ。なんで、ここまで違うのだろうか。いったいその根本は何なのか。

「今月なら携帯が3500円引きだから・・・」
道を歩いていたら、携帯ショップの前で中学生か高校生ぐらいの少年が友達の携帯電話を借りて親に電話をしていた(と思う)

そのときの彼の顔からは切実さが伝わってきた。携帯持ったことがない彼にとってはとどうしても欲しい大きな問題なんだろう。一回持ったら解約しても、持ったことの無いときのような欲しいという感情はこみあげて来ない。不思議だ。一回持って解約したら携帯は所有していない。今までまったく所有したことがない状態と携帯を持っていないということでは同じだ。同じ状況であるが、以前に携帯を持っていたというだけで、そのときの気持ちはまったく違う。

持つ前は、夢だけ広がる。携帯があればこんな生活があるのではないか。そうしたらこんなに面白そう。それと、携帯を持ったことがないと周りから馬鹿にされる。しかし、一度もって解約したということは、持つという選択肢もとれるがあえて持っていないということを回りに知らしめることができる。自分の目で何でも確かめないと気がすまない。

こんな気持ちになるのは社会で生きている人間だからなのだろうか。しかし、このたいしたことないように思える感情が、そのときの本人にとっては最も大切なことだったりする。そんな人間の感情は不思議だ。何がそうさせているのか。人間の感情や、人間のしぐさから感じられる感情を明確な形で知りたい。

携帯だけではなく、何かほしいものを持つ前後、何かやりたいことをやる前と後でも基本的に同じかな。でも、ものに関してのほうがより近い感覚。

Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
イチローの言葉
何かをなりたい、したいだけでは子供と同じ。資格(しっかりとした準備)が必要。したいという

目標のための準備へのこだわり。

よい結果ならば満足すればいい。そうしないと終わっちゃう。その満足感があるからその次もがんばろうと思える。うれしさがわからなければ、次もうれしいことをやろうと思えない。

4月は見極めの時期である。5月に照準を合わせる。

Get sportsのイチローインタビュー

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再インストール
先日PCを再インストール。データをバックアップ取っておいて再インストールしました。いやー、想定外の問題が起こり予定より時間がかかってしまった。

でも、動作がかなり速くなったのと、ごちゃごちゃになっていたファイルもいっそうされた。しかし、ソフトを入れたり設定を変えたりといろいろやることがある。

でも、たまには再インストールもいいもんだ。

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May 20, 2005
建設費
アクアライン1兆4000億円
六本木ヒルズ2800億円
東京都庁1560億円
レインボーブリッジ1280億円
丸ビル580億円
東京ドーム350億円
大江戸温泉50億円
東京タワー28億円

TBSの企画工房なりあがり という番組から
まあ、どれほど正確か知りませんが、参考までにメモ。
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結局は権威とか組織とか
結局は権威とか巨大組織とか社会的評価そういうものなのかなぁ。個人的に、こういった類のものはあまり好きではない。なんかに群れて、群れることによって力を持ってそれで南下しようとしているのが好きじゃない。そういったものをぶっ潰すのが面白いという感覚がある。

しかし、この社会と言うものは多くの人が持たれ合いながら、支えあいながら成り立っている。その時点で、組織と言うものが力を持つのは当たり前で、どうしようもないことなのかもしれない。それはでかい組織だったり、強いつながりを持ったもの、権威を作り上げたものが力を持つのは必然なのであろう。

さらに、このようなエスタブリッシュされたものをつぶすのは面白いと自分で言ってみたが、もしつぶした時点で、つぶした側がエスタブリッシュされたものになってしまうのだろう。

まあ、それでもなんか権威とかに盲目的に寄り添ったりするのは全く好きになれない。

なんか、この中間のような状態はありえないのだろうか。ありえないのだろうかと自分で書いておきながら、これからの世の中はそんな、中間のような世の中になりそうな気がする。感覚的に。いろいろ考えていないし、他のものをからめて考えていないので、また考える必要があるな。今後の社会がどうなるかを含めて。

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ブログを書くときの2パターン
何か衝撃を感じ猛烈に文章を書くというか叩く時。

なんとなく書き始めて、いろいろ感じながら考えながら書いていくとき。

ブログを書くときは大きく分けて2パターンかな。

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距離と制御可能範囲
距離といってもいろいろな距離がある。物理的(地理的)な距離もあれば精神的な距離もある。自分が近いと思うか遠いと思うか。

また、その距離によって自分がコントローラブル(制御可能)かどうかが気になる。制御可能と思っているかどうかと言うことだ。では、なぜその距離を制御可能と思ったのだろうか。

Posted by takeshi at 12:40 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
何かを思いついてから、面白いと思うまで
なんか、いろいろやっていたり、いろいろ考えていると、こんなことどうだろうか、これをやってみたいとか思いつくことがある。それは、Aというものがきっかけで、Bという記憶が呼び起こされ、AとBの一部が偶然つながって新たなものが生まれるからだろう。これ以外にも、新たなアイデアが創造されることがあるが、今回はそれが問題ではない。

その思いついたアイデアを自分の脳が面白いと思う不思議なのだ。面白いと思うまでにタイムラグがあるときがある。それは、そのタイムラグの間に思いついたアイデアに肉をつけていき、さらによいアイデアになったから面白いと思ったとか言うのではない。思いついたアイデアそのままなのだが、ちょっと時間がたつとなんか面白そう。これをやってみたい、やろうと思うのである。このちょっとの時間と言うのは本当にちょっとの時間のことだ。10分とかそういう単位ではない。1秒もないかもしれない、それくらいのことを言っている。普通、何か考えるときはどんどん考えが進み、そのような空白の時間はあまりない。空白の時間があってもそれは考えている時間だ。このちょっとの時間(1秒ぐらい?)は、感覚的には空白の時間、宇宙が、世界の時間が止まった感じの時間のことを言っている。

このときは脳がどうなっているのだろう。このような感覚はあまり経験することがない。このような空白の時間を感じたときはだいたい良いことがおこる。このときの脳波とか見てみると何か新しい発見でもないのだろうか。ただ、この状態は意図的に作り出そうと思っても感嘆には作り出せないので、研究は難しそうであろう。こういう感覚はみんなするのだろうか?
Posted by takeshi at 12:34 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
読みやすい本の不思議
iモード事件簿という本をよんだ。確か岐阜のブックオフで100円で買った。

この本は読みやすかった。さらっと読めた。どんどん次へ次へと進んでいきあっという間だった。まあ、スグ読めるほうが、考えないからダメとかよいとか言う話はここでは関係ない。読みやすい本とはナンなのか。なぜなのか。角田光代さんとか重松清さん、茂木さんの本も読みやすい。さらさら読めてどんどん次のページへといきいつの間にか読み終わっている。自分の使っている文体だとか、自分がいつも考えていることについて書かれていると、脳が理解しやすいのであろうか。

あと、外へ出かけるときだいたい本をカバンに入れて出かける。そのとき本を選択する前にパラパラと見る。なんか、体に入ってきやすい本と入ってきにくい本がある。それは時と場合による。Aという本が昨日は読む気にならなかったけど、次の日になるとすんなり入ってきて、手にとって一気に読んでしまうことがある。これはその時の興味とかが関係するのかもしれない。でも、今これに興味があるからこの本というふうに選択するわけではない。感覚的に取捨選択する。自分の脳では意識的にどんな本を読みたいとかないけど、なんとなく感覚的にこれは読みたいとか読みたくないとかあるのだろう。それは、適当に本を手に取ってから、これ読みたいとか分かる。ある本を手に取るまでは顕在化しない感覚なのだ。それに、意識的に読みたいか読みたくないかは分からないのに、手がそれを分かっていて選んでいる。不思議なもんだ。

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日常会話で単語を気にしていない
ちょっと英語を聞く機会があった。で、まあ聞いていたんですけど意味が全て分からないのです。まあ、それは仕方がないとする。が、単語は大体分かる。単語は耳から入り、脳が認識している。が意味を持った言葉として理解できていない。

日本語は全ての単語を聞き分けているわけではない。文章としてざっくり耳に入り、抽象的な意味として理解している。

ということは、英語は単語で理解してしまっている。一連の文章として認識できていない。それは単語から勉強したからかもしれない。日本語は単語を勉強することなく文章で耳からなれた。この違いかも。

まあ、英語も聞きまくって文章として分かるようになることが大切なんだなと、改めて思いました。

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May 18, 2005
曖昧な記憶からしか産まれない感情や感覚
曖昧な記憶からしか産まれない感情や感覚はあるのか。曖昧な記憶と言うのは、ここでは脳にだけに保存された記憶ということにする。何かあったときに記録として文字にしたり、写真にしたりそのようにしていなくて、脳にだけに記憶されているものだ。

この場合に呼び起こされる感情と言うのは、文字として記録したものによって呼び起こされる感情と異なるのだろうか。言ってしまえば、文字を認識するときに使う脳の部位と、写真を見るときに使う脳の部位、脳にある情報を参照するときに使う脳の部位が違う。よって、生まれてくる感情も違うといえばそうなんだろう。

でも、電車の中でふと思ったことはそういうことじゃなくて、どちらのほうがリアリティを持つのか。どちらのほうがわくわくするのか。写真の記録、文字の記録、脳の記憶、絵の記録それぞれどんな感情を呼び覚ますのだろうか。なにか傾向はあるのだろうか。気になるところである。
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あっつ
今日、図書館に行って本を借りた。これはいつもの行動だ。で、一冊の本をとり、借りて家に帰った。その電車で本を開いた。「DATE DUE」という返却日のハンコが打ってあるところには、一つしか押されていない。それもだいたい一年前。ああ、一人しか借りていないんだと思った。

で、パラパラめくっていた。すると一枚の紙切れが入っていた。そこに書いてあったものが目に飛び込んできた。まさに、目に飛び込んできた。ハッとした。何でかって、自分の名前が書かれていたからだ。その紙はご利用控えというものだ。借りた人の名前や返却日が書いてある。まさに、一年前の日付が書かれていた。一年たって借りたのは私だけだったのだ。おどろいた。それもこの本を以前にも借りたことを知っていて今回借りたわけではない。このご利用控えを見て以前にも借りたことを思い出した。以前は読まずに返したのだった。

それにしても面白い。人間は同じ本を面白そうと思って借りたのだ。人間のなんとなくよいと思う感覚は変わらないし。同じような行動にいたるのだ。これは面白い人間の行動だ。

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May 16, 2005
失敗知識データベース
失敗知識データベースなるものがある。科学技術振興機構という硬い感じのところがやっているのに、意外と視点が面白い。失敗まんだらとかも。

失敗した場合はこのサイトを見て、自らの失敗を分析してみるのも面白いかも。事例ごとの失敗例があるのでそれを見るのも面白い。

失敗を教訓にしようということらしい。

http://shippai.jst.go.jp/fkd/Search 
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同じことを書かない、書けない
同じことを書かないし、書けない。同じ私という人間なのに、そのときによって出てくる言葉が違う。決して、同じ文章を書くことはないし、またかけないであろう。(極端に短い文章は別)

それって、当たり前のようでいて不思議なことである。なんか、一瞬ふっと思って不思議で仕方がない。当たり前すぎて、どこから考えればいいのか、考えるきっかけすら思いつかない。

一回性という言葉がある。厳密に言えば同じ状況というのはおとずれない。それは時間が過ぎ去っているということもそうだし、脳が同じ状態ということは絶対にないからであるのかもしれない。ということは、言葉というものでの表現では本当に思っていることを伝えることが出来ないと思うことも多々あるが、その表現はその時しか生まれなかった、そのときだからこそ生まれた言葉なのだろう。ということは、その自然に生まれてきた言葉がもっとも思いを表した適当な表現なのかも知れない。

なんで、こんなことを思ったかというと、昔の自分の文章を読んで「あ、同じようなことを思っている。でも、こうは書かないな」と思ったから。正確にはこのように考えたわけではないが、そんな感じがした。いきなりパッと思ったので、どのような思考回路をたどったのかがイマイチ分からない。こう、一瞬のひらめきを自分でたどることは出来ないのかなー。

で、同じことを書けないということは大変なことだと思うのです。同じ人間が、同じようなことを思っているのに、生まれてくる言葉が違う。当たり前なんだけど、なんか不思議で仕方がない。これは大変なことだと思うんだよなー。

Posted by takeshi at 09:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
空が逆さに見えた
家から歩いて2,30分のところに荒川がある。今日は天気が非常によかったので、ふと思いついて荒川の土手を歩いてみた。平日ということもあり人がいなくて心地よかった。で、野球ボールが落ちていたので、ネットに向かって投げていた。あんまり同じ事を続けることが苦手な性格なので、左手でも投げてみた。すると、予想通り投げにくい。右利きだからだ。しかし、なんで左の場合だと投げにくいのか。右の場合と手を変えただけなんだから、右と同じことを左で行えばイイだけである。しかし、人間の脳はそれに対応できていない。

両利きのメリットとデメリット<右利きのメリットデメリット なのであろうか。だから、人間は生まれもって右利きが多い。でも、左利きも相当いるしなー。よく分からない。でも、利き手というものはナンなのだろう。体の各部位に対して脳が働く場所は、生まれてから決まるらしい。利き手というのは脳の問題であると思う。ということは、利き手は生まれてから決まるのか?そもそも利き手と利き手じゃないのの違いってナンなんだ?

過去の関連エントリー

それと思ったのが、野球ボール一つあれば特に何も考えていなくても新しい遊び方をするもんだなーと思った。人間の脳は物を与えられるとそれを使っている無意識のうちに特性をつかみ、自ら勝手なルールを作って遊ぶものなんだなと思った。ものがあるということは人間の創造性のきっかけになるのだと改めて感じた。もしボールがなかったら生まれなかったものが、ボールがあったからこそ生まれるものがある。これは当たり前なんだけど、すごいことだよなー。

あと、芝生に寝転がって逆さに見たら、空というか地面もなんだけど楕円に見えた。何でだろう。普通に見るよりも明らかに丸かった。

Posted by takeshi at 09:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
結果としての実際の行動はどんな意味を持つのか
結果としての実際の行動はどんな意味を持つのかが気になります。この表現は遠回りで分かりにくいのですが、ようは、実際に行った行動は本人に対してどんな意味合いを持つのかということが気になるのです。このとき、前提条件として行動を行う場合に選択肢があることとします。やるかやらないか、AをとるかBをとるかなどの選択肢があることです。
それは、その本人の意思決定過程と、その意思決定を行ったことによる本人への影響、最終的にある行動をとったということは、本人の意識下における意思決定過程を通り越えた本人の本心が存在するのか。また、その行動をとったことによる本人への影響です。

一番気になるのは、「最終的にある行動をとったということは、本人の意識下における意思決定過程を通り越えた本人の本心が存在するのか。」ということです。これは人それぞれ、かつ状況によって変わるといってしまえばそれまでです。

でも考えて見ます。私がAとBという選択肢で意思決定できない状況であるとします。で、結局どちらかを選択できないとします。この場合における選択できないとは、項目を作りメリットデメリットを比較しても、論理的に考えても選択肢を決定できないということです。で、この場合に直感で、なんとなくBを選んだとします。こうした場合に、自らの意識による(論理的に)判断は出来なかったが、それを通り越した本心が選択肢を決定しているのかが気になるのです。

これは個人の主観であり、世の中に「たられば」というものがないために比較しようがないので答えが出ないのかもしれないんですけど、気になるところです。

Posted by takeshi at 01:43 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分の性格はややこしいと思うのです。
自分の性格はややこしいと思うのです。
たぶん、これは事実です。
天邪鬼だからかもしれないのですが、それだけではナイキがするのです。
難しい性格です。

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May 15, 2005
風呂ってすげー
確かあれは大学2年の夏だったと思う。北海道へ18きっぷで行った。そのとき、夜中の駅でいろいろな人と話をした。サークルで来ている人、18切符で来た人、フェリーで来た人、自転車で来た人、歩いてきた人、いろいろな旅人が来ていた。

そんな人たちと朝まで話していた。北海道は駅で泊まる人がたくさんいるのだ。で、自転車で来ていた人と歩いてきた人が言っていた。風呂に入った火と入らない日では足の疲れ具合が全く違うと。風呂はすごい大切だと。

今日実感した。先日の山登りによる筋肉痛。けっこうひどくてぎこちない歩き方だった。しかし、今日ゆっくり風呂に入ったらかなり筋肉痛が和らいだ。いやーすごい。これからも、風呂をしっかりと利用しよう。

筋肉痛って血流が悪くなることなのかな?だから、風呂に入ると暖かい湯によって血流がよくなって筋肉痛が解消されるのか?それとも、水圧によってマッサージされるからなのか?まあ、マッサージも血流をよくするんだよな?

Posted by takeshi at 12:53 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
繰り返すとよく感じるようになる?
なんとなくいいなと思った曲、これを聴き続ける傾向にある。

で、今日はLie Fu 「Life is like a boat」をざっと50回聞た。はじめからいい曲だとは思ったのだが、聞き続けて50回ぐらいになったら、極に対する印象が変わった。

語学でも何回も練習し、繰り返し繰り返しなれることが基本だ。そもそも、論理というものの基礎にのっとったもの以外は繰り返しによる慣れが重要なのかもしれない。芸術や言葉はそれに当たるだろう。繰り返しだ。繰り返すことによってなんとなく分かる。これが重要なのだ。これがこうだから、結果としてこうなるといったものは、あまり繰り返す必要はない。それは論理というものの支えによって理解できるからだ。しかし、そうでないものは慣れによって理解する。こうだっ、と分からなくても分かっているものが数多くあると思う。「インターネット」って何といわれても分からないかも知れないが、日々使っていればなんとなくこんなものとイメージが想像できる。論理というものの基礎となる言葉や芸術は感覚的に理解するしかない。そのためには、何回も何回もそのものに触れるしかない。触れるうちになんか分かってくる。それは明確に分かるのではないかもしれない。だが、このなんとなく分かるということが重要ナンだと思う。

聞きなれるということは、脳をあまり使わなくてもよいということなのだろうか?だから何かするときのBGMによいのかもしれない。

よく歩きなれた場所を歩きながら考え事をすると、なんか創造的になる感じがする。それはなぜか。そもそも、音楽を聴いたり、歩きながら考えるということは、考えるほかに音楽を聴くことや歩くことに脳を使わないといけない。もちろん、初めて聴く音楽や初めて歩く道と比べれば脳を使わなくていいと思う。がしかし、何かを考えるならば、BGMなしで、歩かないで考えたほうが脳をフルに使えるはずである。では、なぜBGMがあったほうが、歩いていたほうが考えが進むのであろうか。

まず、歩くことや音楽を聴くことに使う脳が一部分違うのかもしれない。もし脳の使う部分が完全に違っているなら、初めての音楽でも初めての道でも、聴きなれた音楽や歩きなれた道と同じ状態のはずである。聴きなれた音楽や歩きなれた道のほうが考えが進むということは、考えることに必要な脳の部分が一部かぶっていて、一部異なっているからだと思う。一方で、全く一緒ならば考える能力に影響を与えすぎてしまう。一部分脳の仕様部分がかぶることによって、考えていることに新たな情報(刺激)が与えられ、新たなものが創造されるということなのだろうか。

話が脱線した。繰り返し聞くとさらによい曲に聞こえるのはなぜだろうか?繰り返し聞くということは、脳に安心感を与えるのではなかろうか。初めてやることには恐怖感が伴う。くつろいだ状態ではないということだ。繰り返すことによって、そのものやことは安全という状態で安定していると高確率で考えられる。すなわち自分にとって害がないから、安心。ということになるんじゃないかな。安心ということはよいと思っていたものをプラスの方向に誘導する材料になると思う。

また、繰り返し過ぎると飽きるということもある。これは、同じもので安定しているが、安定失すぎると不安定になるということではないか。同じものの繰り返しでリスクはないが、リスクがないところに進歩はない。すなわち人間は環境変化に対して変化しなければ生存していけない。だから変化を求める。その安定と変化の瀬戸際で心地よさというものは存在しているのだと思う。厄介なものだ。まあ、恒常的に心地よいものはないということなのだろう。

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May 14, 2005
生きる喜び
最近どうもこの写真が気になる。
これは、インドのバラナシというところの細い路地で撮った写真だ。

 

このおっさんの顔が非常にいい。
確か、写真を撮ろうとしたら照れくさそうに笑ったんだと思う。
なんか、人間の本質に迫る、原点を感じる。

たぶん、生きる喜びなんだと思う。
世の中、カッコイイことはいくらでもある。人から注目されること、なんか大掛かりなこと。頭を使って必死に考えて答えを導くこと、ごちゃごちゃした数字を駆使したこと、大きなお金が関係すること、多くの人に影響を与えること、それはそれの面白さがあると思う。僕もそういうものに面白さを感じる。

その一方でこのおっさんの顔。なんか超越してる。何を超越してるかって何もかも超越している。
Posted by takeshi at 09:33 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
人の成長は止まったのか
生物は気候の変化で絶滅した。
疫病がはやり多くの生き物が死んだ。
飢饉があり多くの人が死んでいた。

生き物は環境の変化で死ぬものであった。
だからこそ、人はその環境変化に対応するように、進化していった。
完璧な仕組みは何かあったら弱い、だから曖昧な部分を残し変化する。
突然変異も生命が生き延びる基本だ。
このように生き物は生物学的に進歩成長(変化)してきた。

しかし、現代の人は医療の発達で生き延びることが出来る。
人間が環境を変えた、そのために人間自体の生物学的な成長は止まった。
このような考え方が本に書かれていた。
うなずいた。
けっこう面白い考え方だ。

これは地球が始まって以来の大きな出来事であったんだと思った。この人間の行為自体が単に悪いとは思わない。この人が環境を変えるということは多かれ少なかれ今後も続く。だから、このことを踏まえて物事を考える必要があるんだろうと思う。

まあ、疑問なのがな生物は生き延びようとするのか、子孫を残そうとするのか。だいたいの問題の終着点として、生物が生き延びるためにとか、自らの種のDNAをのこすためという答えにいたるのがつまらない。なんで、生き延びようと、DNAを残そうとするのかが不思議でたまらん。

Posted by takeshi at 08:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
旅と散歩と移動の違い
今日、散歩した。
ケイタイを家に置いて。
ケイタイなる物とは、高校一年生の頃からだから7年目の付き合いになる。
たぶん、眼鏡の次に長い付き合いであると思う。

たまに、家に忘れて出かけることはあった。
でも、ほぼ毎日一緒にいた。

初めて長期間離れたのはトルコへ行ったときであったであろうか。
あの時、少し違和感があった。物足りなさといったほうがよいのかもしれない。
ポケットにあるものがない。そんな感じだ。
この頃はケイタイへの依存度が高かったのだろう。
だからそんな気持ちになったんだと思う。

しかし、今日あえてケイタイを家に置いて散歩した。
雲取山の筋肉痛が続き、歩く姿がぎこちない。
だから、3時間ぐらいの散歩になった。
だいたいケイタイなんてものは家に置いて出たすぐの時だけ何か物足りなさを感じるもの。
今日は、その家を出てすぐも物足りなさを感じなかった。
ケイタイへの依存度が少なくなったからであろう。

ケイタイを持っていないということは時間も失う。
時計をもっていないからだ。
だからなんだという話だ。

ケイタイも時計もない生活。
食べられることがどれだけ素晴らしいことか、
安心して生活できるということがどれだけありがたいことかを感じたい。

で、散歩をしていて思ったこと。
旅と散歩と移動は何が違うのか。
旅と旅行の違いはなんか前に書いたことがあると思う。

たぶん、世界一周している人は旅をしていると第三者は思うはずである。しかし、その人の目的地がパリだとする。その人は日本を出発して陸路でパリまで行く。普通この人は旅をしている。しかし、目的地のパリにしか興味がなく、パリへ行く陸路の過程にも興味がないとする。するとこの人にとっては、パリまでの道のりは単なる移動なんだろう。

移動というのは、最終的な目的地以外に興味がなく、その目的地へ行く過程を移動というんじゃないのだろうか。だから、ツアーで旅行に行くときの交通手段を使った行為は移動であるのかもしれない。一方で、個人で旅をする人これは交通機関に乗っているときも旅なのであろう。

散歩、これと旅を区別するのは難しい。「世界一周の散歩」であっても問題ないと思う。散歩は日帰りとか、気軽に出かけるものであると思うのだが、世界一周するのにすごい少ない荷物で出かける人もいる。

僕も18きっぷがあれば、日本中どこへでも散歩気分でいける。

まあ、何が言いたいわけでもない。
なんとなく、旅ってことが頭から離れないだけである。

Lie Fu
「Life is like a boat」
という歌が非常にいいです。

旅はまだ続いてく 穏やかな日も
つきはまた新しい周期で 舟を照らし出す

中略

運命の船を漕ぎ 波は次から次へと私たちを襲うけど
それも素敵な旅ね どれも素敵な旅ね

まあ、人生という名の旅路を歩んでいるということだ。
まあ、このブログのタイトル通りであるわけだ。

Posted by takeshi at 08:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
脳で作り出されたイメージを残す
脳で作り出されたイメージを残す

文字にしても、言葉にして話しても、伝わらないことはたくさんある。

この脳で作り出されたイメージ、明確なアウトプットとして出しにくいもの。どう表現すればいいのであろうか。この再現不可能な一回性のものを普遍へとすることは意味のないことなのか、意味のあることなのか。

そもそも脳で作り出されたイメージって何なんだ?

Posted by takeshi at 06:24 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
May 13, 2005
何かを食べたくなるとき
ひらめいたように、何かを食べたくなるときがある。

それも、友達と数人いて全く同じものを猛烈に食べたくなるときがある。

足らない栄養素を補給するために食べたくなっているのだろうか?そうしたら、人間は勝手に足らない栄養分を認識し、それが入っている食べ物を脳のアーカイブ中から選び出し、食べたいという気持ちを作り出している。これが達成されるには、日々の食事のときに脳が無意識的にものを食べたときにこれはどんな栄養があるかを分析していることになる。

まあ、こんな理由で食べたくなるんじゃないかも知れないからなー。なんであるものを突如、食べたくなるんだろう。

純粋に、好きな食べ物だったり、最近テレビや友達の話で出てきた食べ物が頭をよぎっただけかもしれないのだけどね。

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検索の主流はgoogleからteratown.comへ?!
検索。インターネットの基本動作です。
多くの人がyahooかgoogleで検索すると思います。

いやー、ちょっと話が変わります。世の中より多くの人がハッピーなほうがいいですよね。でも、自分のメリットが低下してはいやですよね。

ということで、グーグルの検索品質を保ちながら、より多くの人がメリットを享受できる検索方法はこちらです。

http://teratown.com/これが検索のデファクトになれば僕はうれしいです。

まあ、半分ネタですから 笑

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「場」の記憶
私の記憶力の悪さは多くの人が存知でしょう。

語学が苦手、人の名前がおぼわらない。などなど記憶力に関して問題だらけ。

先日面白いことを読んだ、記憶力がいいほうが低俗動物であると。人間は脳の仕組みとして記憶力がよくないように出来ているらしい。

記憶力がよすぎると問題が多い。融通が利かない。新たなものを作り出すのに障害があるということらしい。

私は場の記憶に関しては強いと思う。イメージとして覚えている。そのとき話した要旨も大体分かる。その場の小物の色とか、本筋とはなれた細かいイメージ記憶が残っている。そこまで覚えていなくても、その時の雰囲気は思い出せる。どんな感じだったかを覚えている。それも、その場に居合わせたほとんどの人が記憶にない、ことをケッコウ鮮明に覚えている。

また、話が変わるが私の提唱する「曖昧記憶法」は脳の記憶力の悪さ。脳の仕組み自体が曖昧であることとつながっているのだろうか。

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絆創膏のサイズの不思議
絆創膏
ばんそうこうってこんな漢字書くんだ。難しいなー。初めて知った。普通商品名でバンドエイドって言ってしまう。ポータブルオーディオプレイヤーといわずにウォークマンといってしまう。宅急便といってしまう。そんな感じです。

で、話は変わる。最近連続で擦り傷をした。擦り傷といったら、水洗いをして消毒をして絆創膏。これが基本です。小学生のころはよく絆創膏にお世話になった気がする。しかし、いつの間にか絆創膏と出会う機会が少なくなった。擦り傷をするようなことをしなくなったのと、このような行動をとると怪我をすると分かり始めたからってのと、今が一番体力があり体のバランスがあるのでこけないからといった理由であろうか。近年、絆創膏と出会うのは海外へ旅するときの準備ぐらいだった。一応怪我をするといけないから、絆創膏を歯ブラシや薬を入れる袋に詰めて持っていっていた。

そんな絆創膏と縁がなくなっていた私だったが、最近連続でお世話になった。ちょっとした擦り傷をしたのだ。そうしたらふと気がついた。絆創膏の大きさに驚いたのだ。絆創膏にもたくさんの種類があるが、市場に普及しているほとんど全てといっていいと思う普通サイズの絆創膏に驚いた。もっと正確に言えば、普通サイズの絆創膏の布の部分の大きさに驚いた。

まあ、これは偶然なのかもしれないが、怪我した部分の大きさ調度ぐらいの大きさなのである。それも2回ともちょうどのサイズだった。これは、何かあるに違いないとかってに思って考えてみた。

・普通サイズの絆創膏以上の大きさの怪我はケッコウ大きな怪我で病院へ行くほどの場合がほとんど。だから、絆創膏の役割はあの普通サイズ絆創膏まで。
・擦り傷というのは皮膚と何かがすれることによっておこる。何かと擦れる場合、人間は本能的に回避しようとする。そうした場合の反射にかかる時間でこすれてしまう面積の大きさがだいたい普通サイズ絆創膏の大きさである。
・絆創膏といえば、指の怪我に巻いているイメージがある。(指の怪我が他人の目に付きやすいからかもしれないが。)指のサイズにあっているのが普通サイズ絆創膏である。
・なんなく、見た目がよいサイズにしたら、あの普通サイズになった。
・昔の製造機械で作れる小ささの限界が今の普通サイズで、それが標準になった。
ジョンソンアンドジョンソン社のホームページによると絆創膏が出来た経緯は、料理するときの怪我らしい。すなわち湯の野怪我であると思われる。やっぱ、普通サイズは指にあったサイズなのであろうか。

http://www.jnj.co.jp/entrance/history/story18.html

ちなみにジョンソンアンドジョンソンが出している普通サイズはスタンダードサイズといい、76mm×19mmの大きさみたい。

まあ、2000メートルの登山の後は、足が痛い、背中が痛い。となっています。

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May 12, 2005
いざ雲取山
三頭山、富士山、高尾山、に続く山。

昨年のちょうど今頃、本格的な登山靴を買い三頭山へ行った。このとき候補に挙がっていたのが雲取山。この雲取山は東京で一番高い山で、2017メートル。

昨年行った三頭山の新緑がとてもきれいだったので、今年も行くことに。そのターゲットが雲取山ということです。登山靴も買ったかいがあります。

ルートは奥多摩駅→鴨沢→堂所→ブナ坂→頂上→ブナ坂→堂所→鴨沢→奥多摩駅てな感じ。
朝の4時半ぐらいに起きた。そして、テレビとネットで天気予報チェック。2,3日前までは晴れる予定だったのに、今朝見ると雲行きが少し怪しい。しかし、たいしたことなさそうなので、行くことに。雨合羽とウィンドブレーカー、通称シャカパン、Tシャツのかえ、などを搭載し出発。5時48分の電車でいざ奥多摩駅。昨日パンとスポーツドリンク2リットルを買い、今朝おにぎりを2つ買った。

奥多摩駅についてから、バスで40分ぐらい揺られ鴨沢バス停へ。ここは標高500メートルぐらい。ここから上ります。9時30分に上り始めた。少しおくにはいると、新緑がすごくきれいだった。あの黄緑はこの時期しか見れない、さらに都心では見れないものだ。生き生きとした、一本一本の木が楽しそうに育っている感じがする。そんで、定期的に水分補給&休憩。スポーツドリンクが一番よい。体温調節も重要で、服を脱いだりきたりした。何気に、急な坂があったり、緩やかな坂が長く続いたりして、疲れることもあった。ってか、正直言って長い。高い。
途中雨が降り出してポンチョを着たり、昼食。それでも、上る。一泊する準備はしていないので、頂上について帰る時間を計算して、上る。そういえば、この山で人にほとんどあっていない。マイナーかつ平日、雨降りそうってことで人が少ないのだろう。

で、頂上に着くちょっと前から、ペースを速める。そしてずんずん歩いた。そうしたら、着いちゃったという感じで着いた。頂上だ。頂上から富士山も見えるらしいが、さすがに霧というか雨。5メートル先が見えないこともあったので、見えるはずがない。まあ、頂上は気持ちがよくて、写真を撮ったり叫んでみたり、山小屋を覗いたりして、下山。当初、行きとは別ルートで温泉には行って帰ろうとしていたが、時間が間に合わないということになり、粋と同じ道で下山。今までの傾向的に下山は早い。今回も早かった。帰りは雨がずーっと降りポンチョとウィンドブレーカーが役に立った。さらにチョコレートも重要なアイテムだ。滑らないように気をつけながら降りていった。そんでもって、帰り道でこんなに長い道を登ってきたのかと自分でも不思議なくらいだった。そうとうな距離だ。夕方の5時30分か6時ぐらいに地上に着いた。8時間近く山を歩き続けたことになる。タフだなー。

まあ、面白かった。地上に降りて服を着替えてすっきりしてバスを待った。バスに乗りそして電車で家に。今回の登山もよかったなー。なんといっても空気がきれい。新緑がきれい。これに尽きます。また、体を動かして気持ちがいい。自然と一体化できる感じ。

 

 

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May 11, 2005
頭が硬くないほうがよいようで、ないとワクワクしない
進化しすぎた脳を読み終わった。ケッコウ面白かった。後半は新目の研究について紹介されていた。科学的なアプローチが多かった気がする。

それとは、関係ないが、駅を歩いていた。すると前に同じ商品と思われる広告が並んであった。
グリコの野菜ジュースの広告か健康食品の広告だと思う。それを駅で見た。その広告は普通のポスターのようなものだった。しかし、ちょっと目に止まったものがあった。そのポスターの真ん中に、紙パックジュースの殻がつけられているようだった。ああ、いたずらされていると思った。これはいたずらかと思った。歩いて、近づいて確認してみると違った。ポスターの立体ディスプレイとして、殻の紙パックが貼り付けてあったのだ。やられた。一本とられた感じだった。

ちょっとへちゃけた紙パックを見た瞬間にいたずらと思ってしまった。これは自分の頭が堅くて固定概念でかためられているからなのかも知れない。そのことにショックをうけた。常識とか、凝り固まった考え方に染められてしまっている。

しかし考えてみればこの固定観念があるからこそ衝撃的な感情を感じることができるわけだ。今まで自分の中で常識だと思っていたことがある、それが何らかのきっかけで崩れ去っていく。今までの当たり前が通用しないものに出会う。このときの出会いは非常にガツーンとくるもので、心地よいものである。あの衝撃的なパラダイムシフトは私の楽しみでもある。この心地よい感覚は固定観念がないと生まれないものなのである。固定観念があるからこそ、それが崩れさる喜びも味わえる。

固定観念が嫌いといいながら、それがないと味わえない固定観念の崩壊を味わえない。なんというものであろう。

まあどこまで型にはまった見方をしてしまうかというのは、経験の豊富さや思考の深さなどに関係してくることである。いくら、固定観念が崩れようと、いくらでも固定観念は壊され続ける。頭の固い私の固定観念はいくらでもあって尽きることはないだろう。ということは、より視点を増やして固定観念をひたすら壊すことをしていけば、嫌いな固定観念も少なくなり、固定観念が崩れる楽しみも多く味わえるのかな。

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May 10, 2005
最近思うこと
数日前までは、旅行のことばかり考えていた。
この2日は脳のことや意識のことが気になる。
それは本をよんだのと、話を聞いたから。

そんなことは言いつつも、明後日雲取山へ大学の友達と3人で上ってくる。ちょうど一年前に三頭山に同じメンバーで登ったなと思い出した。あのときの新緑の美しさはたまらんかった。今回も新緑が楽しみだ。

そんんでもって、マイルがたまっているのでインドネシアにタダでいけることが判明した。それもネットでチケットが取れるので無茶苦茶簡単に。空港利用税などが1万1000円かかるが、期限が切れる前に使わないともったいない。

Posted by takeshi at 07:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
「脳と創造性」出版記念
「脳と創造性」出版記念の茂木健一郎さんのトークショーが神保町の三省堂で行われた。

そのログです。ログというか気になった言葉をピックアップ。

「モーツァルト問題」
モーツァルトの作品の素晴らしさと、モーツァルト本人のだらしなさに大きな乖離が存在する。小林秀雄も

エランビタール(生命の躍動)
・創造性によって生まれたものと生み出す主体のギャップが大きいほど本物である。

このような生理的な奇跡(モーツァルト問題)をどう理解するか?

個人差というものは科学にとって天敵である。なぜなら、個人差は科学的証明において例外となるから。これの最たるものは人間の感情など。

「脳はいかにして美を見るか」←本のタイトル

創造性について
ずっと遊んでいても飽きないロボットを作ることがソニーの(ロボットの最先端の)今の命題

飽きないということがいかにすごいことか!
人間はいくらコミュニケーションをとっても飽きない。創造的なことをしていても飽きない。
人間が飽きないもの・コミュニケーションと創造性

ラマヌジャン(天才数学者)→天才的な創造性とは?

創造性と文脈

文脈を理解することが創造性のカギ
AがBという文脈になるとAがA’に変化する。それが創造性のポイント。A’が出ることは普遍的なこと。

人間は文脈を判断して行動する
例)ライブとDVDの違いは文脈が違うのである。DVDもライブも音や映像などの人間に入ってくる情報は同じ。しかし、ライブは立ち上がって叫んでもよいという文脈に存在している。

携帯電話は複数の文脈を引き受けることが出来るものである

文脈はダイナミクスに関する

優れた作品こそ文脈やダイナミクスからかけ離れている。→わけが分からないことや生活臭の刷る作品はたいしたことがない。

心脳問題
なぜ人間は意識を持ってしまったのか。
進化心理学 →行動を問題にする。実際に目に見えることを。個体(生物)を通しての学問

では人が作った作品を扱う学問は?

科学的な意味において、芸術的な作品を評価できない。

例)夏目漱石にとって子供を残すことのみが目的だったら、あのように優れた文学作品を残す必要はなかったのではないか?

ミーム

脱抑制と自己組織化
創造性の本当のところ→(例)スイッチを押すとなぜか出来てしまう。

Feeling of Knowing
こういうものが欲しいなという感覚

こんなものが作りたいというイメージ
 ↓   ↓   ↓
メモリーのアーカイブと関連させる
 ↓   ↓   ↓
自己組織化
ゼロから物を作る人はいない
 
普通は自分の経験を基にしてしか作り出せないのだけれど、天才はFeeling of Knowingがぶっ飛んでいるから、優れたものを作り出せる。

これが本人と作品のギャップを生む。モーツアルト問題

Feeling of Knowingがぶっ飛んでいるといっても、ランダムな飛びかたではなく、意味のある飛び方をする

記憶のアーカイブにリクエストしよう

Feeling of Knowing

自己組織化

なんとなくイメージがあるだけで、会話がどんどん出来るのは上記の仕組みから

○○っぽいものを作りたい!と思うのは、その作品のクオリアをまねしているということ。
(クオリアは前頭葉で把握している)

メタ認知
ディーテールは無意識のところで覚えている。
意識が把握できるのはクオリア(抽象的な部分)だけ。抽象的な質感のみ記憶できる。

いろいろなクオリアを知っていることは創造性の前提条件。様々なクオリアを知らないのは罪。

創造性アップのポイント
☆記憶のクオリアアーカイブを増やす
☆感覚(喜怒哀楽のことではない)を研ぎすます。どれくらい細部を詰めるか。

創造性が経済価値を生む時代。
創造性が個人を評価し、社会全体を変えていく。

遇有性(コンティンジェンシー)=半ば規則があって、半ば規則がない。
この遇有性が非常に重要で、人間らしさを生む。

例)規則正しすぎる会話もつまらない
全くランダムな会話もつまらない。
人間だけがこの中間を操ることが出来る。この中間領域に創造性がある。

宗教的な天才はめったに出ない。→科学やアートの天才よりもまれ

クオリアは私秘的(プライベート)なもの
他人の気持ち(クオリア)は本質的には分からないのが前提
Posted by takeshi at 12:44 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
脳と創造性@三省堂
学校帰りに、神田で降りた。
そして、神保町三省堂本店へ。
雲取山の山岳地図と、旅の本をみる。エクアドル、ボリビアの歩き方もチェック。
そういえば、今日昼にHIS田町に行った。知らない情報をゲットした。

で、三省堂で茂木健一郎さんのトークショー。このまえ、脳と創造性を買ったんだけど、その本の出版記念で。

いつもの芸大同様面白い話で、アタマがぐるぐるしっぱなしだった。それから、知らない概念も知った。面白い。それから、なんとなく家まで歩いて帰った。歩いて考えたかったから。

帰り、谷中墓地を通ると、70ぐらいのおじいさんがシャツ一枚でひたすら走っていた。体力づくりだろう。どっか山でも登るのか?エベレストか?

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May 09, 2005
手相
言われて気がついた。

おいらの手相って、百握りっていわれるやつです。

真ん中の線がまっすぐ一本です。

なんか、運がいいといわれているらしいです。

なんとか線となんとか線がつながっているんだと思います。

Posted by takeshi at 10:14 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
グーグルで遊んでみた。
なんとなくグーグルで遊んでみた。

まず、「て」で検索。次に「てて」、「ててて」というふうに検索してみた。いつになったらゼロになるのだろう。

「あ」でもよかったが、「あ」は多すぎるので。「て」

「て」 検索結果 約 12,300,000 件
「てて」 検索結果 約 651,000 件
「ててて」 検索結果 約 20,700 件
「てててて」 検索結果 約 10,800 件
「ててててて」 検索結果 約 779 件
「てててててて」 検索結果 約 753 件
「ててててててて」 検索結果 約 7,360 件
「てててててててて」 検索結果 約 13,900 件
「ててててててててて」 検索結果 約 4,730 件
「てててててててててて」 検索結果 約 7,710 件
「ててててててててててて」 検索結果 約 2,670 件
「てててててててててててて」 検索結果 約 5,240 件
「ててててててててててててて」 検索結果 約 1,790 件
「てててててててててててててて」 索結果 約 215 件
「ててててててててててててててて」 検索結果 約 1,460 件
「てててててててててててててててて」 検索結果 約 2,430 件
「ててててててててててててててててて」 検索結果 約 1,020 件
「てててててててててててててててててて」 検索結果 約 2,260 件
「ててててててててててててててててててて」 検索結果 約 993 件
「てててててててててててててててててててて」 検索結果 約 2,110 件
「ててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 876 件
「てててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 2,070 件
「ててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 860 件
「てててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 1,460 件
「ててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 312 件
「てててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 1,430 件
「ててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 296 件
「てててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 1,220
「ててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 113 件
「てててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 681 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 105 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 518 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 88 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 385 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 71 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 217 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 61 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 122 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 54 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 96 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 35 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 90 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 35 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 65 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 32 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 58 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 31 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 57 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 30 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 56 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 30 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて
てて」 検索結果 約 53 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 30 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 53 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 29 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 49 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 29 件   
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 48 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 27 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 31 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 16 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 30 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 15 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 24 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 24 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 24 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 24 件
「てててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 24 件
「ててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててて」 検索結果 約 24 件

検索が32語までに制限されているので”てて”とその後の語句は検索には使用されていません。

こうなってしまって、ゼロにはならず。。。検索結果の増減はどうなっているのだろう。グラフとか作ってみようかな。
Posted by takeshi at 11:26 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
想定外
想定内Tシャツがはやるこの頃いかがお過ごしでしょうか。
私は元気です。

この書き出し方は想定内でしょうか?
はたまた、想定外でしょうか。

脈略のないこと、起こるとしても確率が低いと勝手に思い込んでしまっていること。
自分が経験したことなくて想像がつかないこと。

このようなときに、突拍子もないことが起こったとすると「想定外」なんだと思うのです。

じゃあ、想定内というのはその起こりうる可能性を全て予想し、対策を考えていたかというと、そうではないと思うのです。こんなこと起こるかもとちらっと考えた、思っただけで、人間の中では想定内なのだと思うのです。

で、想定内だと何だという話です。こんなこと起こるかもとちらっと考えた、思っていただけで、それが起こってもあせらないと思うのです。別にそれに対する対策があったわけでもないのに、あせらない。人間って不思議だと思うのです。本質的に、チラッと思っていただけのことが、実際に起こった時にどんなアドバンテージがあるかといえば、何もないと思う。しかし、それだけで実際に起こったときに余裕を持てる。

となると、ゆとりを持った状態からうまれる発想と、窮地に追い込まれたときにうまれる発想何が違うか。どちらが、よい発想(解決策)を導き出せるかは一概には言えないと思います。たぶん、その違いは脳が事前に考えたことだと、全く違うものととらえるとか?よく分からんとです。

なんか、feeling of knowingって話とか自己組織化とか気になる今日この頃です
Posted by takeshi at 11:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
素人が玄人に尋ねること
先日、某最高学府の人二人とおいらで飲みながら話していた。

二人とも理系で、現在の研究内容をチラッと聞いた。そうしたら、疑問が生まれるわけです。ああ、その仕組みってどうなってんだろう。と、で相変わらず、それなんでそうなってんの。具体的にイメージするとどんな感じなの。この原理と同じなの?と質問連発。

そんな稚拙な質問にも二人はしっかりと答えてくれたわけです。二人の学問を学んだことない私は脳の中でシュミレーション。そして、いろいろどうなっているんだろうと思って質問したわけです。

面白かったのが、大学で習ったときは何でこんなこと(原理の理由など)を教えられるのだろうかと思ったけど、今聞かれてそっかと思った。というような内容の話を聞いて、ふむふむと思ったわけです。

よく言われる話だけど、素人の人は玄人(プロ)の人に質問することを躊躇する。それは、こんな馬鹿な質問していいのだろうかとか、プロの人に馬鹿にされたり、簡単な質問することがはずかしかったり、機嫌を損ねるのではないかと思うからだろう。しかし、素人にしかない、純粋な疑問というのも存在して、それをプロは忘れてしまっているかもしれない。さらに、素人の質問をプロで知識があるので、素人の質問内容を発展して解釈したりして、新たな気づきを与えられるかもしれないんじゃないかなー。

Posted by takeshi at 11:08 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
脳の中で作られる想像と、それに伴って生まれる感情
脳の中で作られる想像と、それに伴って生まれる感情

Posted by takeshi at 11:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
May 08, 2005
自分はやっぱり見えない
今日、駅で待ち合わせをしていました。そして、おいらは改札のすぐ近くに立っていました。そして、横を見たら、隣の人がポケットから手を出すと同時に切符がヒラヒラと落ちていった。

しかし、その人は気がつかず。そんで、切符を探し始めた。カバンの中、ポケット、財布の中、さらには電話をして誰かにヘルプを求めようとしていた。ケッコウあせっていた。

ちょいと傍観していた。なぜなら、絶対に見つかるところにあったからだ。その人が目を斜め45度下に向ければ絶対見えるところに落ちていたのだ。それも、床は白で切符はオレンジ。無茶苦茶目立つ。でも、その人はあせっていて、そんな目立つものに目が行かない。不思議だなーと思い。傍観。人間の行動観察。

しかし、その人が気がつかなさそうだったし、おいらも時間になったのでそれとなく教えてあげました。

いつも思うけど、自分が当事者になると見えなくなるものってあるんだなー。つくづく感じる。これをいつも忘れないようにしないとな。

Posted by takeshi at 12:39 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
青空を投げ飛ばしてやりたい
ということで、青空と青い海を投げ飛ばしてやりたいぐらいです。

地面ごと持ち上げて、青空を投げ飛ばしてやりたい。

Posted by takeshi at 12:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
May 07, 2005
地図帳と歴史年表
地図帳と歴史年表は中学のときみんな持っていたはずです。

地理の副教材が地図帳。
歴史の副教材が年表。

地理の授業が始まる前に、机の上に地理の教科書、地図帳、ノートが出ていたはずです。
歴史の授業が始まる前に、机の上に歴史の教科書、年表、ノートが出ていたはずです。

歴史と地理、おんなじ社会科で習います。両方好きな人もいれば、地理だけの人、歴史だけの人、両方嫌いな人がいるんだと思います。

僕は、授業が始まる前に見ていた、地図帳が好きでした。特に、どこの国を見ようと思うわけでもなく、勉強しようという意識もなく、地図帳を眺めるのが好きでした。

年表はイマイチでした。歴史を好きという人は友達にたくさんいて、マニアックな人がたくさんいます。でも、僕はイマイチでした。テストは無難にこなす程度でした。

歴史は社会の動きがどのようになったか、人と人との関係、事件と事件の関係などを知っていくうちにつながっていって面白いのかもしれません。確かに面白そうで、現代と照らし合わせるともっと面白そう。

地理は自分の知らない世界を知ることが出来ます。もちろん歴史も知らないことを知れます。その間の大きな違いは、地理は自分の目で確かめることが出来るということです。(歴史も遺跡を見れるかも知れないが、過去のものなんです)未知の世界を知り、そして空想できる。ワクワクする。現在実際に存在している。空想したものを自分の目で確かめることが出来ると思うとワクワクしてきます。

地図帳を見ていると夢が膨らみます。
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青すぎて青々しい
どうも、エクアドルの空と海は青すぎて青すぎて青々しすぎて目が青くなりそうです。
正直、おいらは真っ青になりました。

友達がくれた写真。

 

一回目見たときは、すっげーと思ったけど、エクアドルに行くと確信しなかったが、2回目見たら確信した。その違いは何だろう。脳の中でどのようなことが起こったのだろう。

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May 06, 2005
片足バランス立ちする不思議
人が片足でバランスをとる時の脳の不思議 

バランスを意識的にとっているが論理的に重心を考えてバランスをとっているわけではない。しかしある意味において数学的というか論理的にバランスをとっているから片足で立っていられる。無意識的に論理的にバランスをとっているんですなぁ。そのとき脳は相当な処理を行っているはずである!しかしその処理を人間は感じれない。これはなぜか。不思議ですな。

片足で立とうと意識的に思う。そうすると、人間は立てるわけですけれども、こっちにどれぐらいの体重がかかっているから、もう少し足の右側で踏ん張ってとかやっているわけじゃない。もっと言えば、右に12キロ重さが偏っているから、左にそれだけの力をかけてとかやっているはず。しかし、それは気がついていない。意識的にやっていない。けど出来ている。

意識的に行動→無意識での動き(処理)→意識的な目的の状態を達成。

こうなっている。最終的な意識的な目的の状態を達成しようと思ったら、それを行うための途中過程を具体的にどうやるとか人間は分かっていなくても、出来てしまっているんですよね。これって、すごすぎないですか?

片足バランスの意識と無意識はどんな脳の状態なんだろう?

これは走っているスクーターを見ていて、止まったら倒れるなと思い、人は止まっても倒れないことから考え始めました。

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May 05, 2005
どうでもいいが、格安航空会社
アメリカの格安航空会社といえばジェットブルー
ヨーロッパのの格安航空会社といえばイージージェット
プライスラインなんかも安いかも。

最近はインドでも格安航空会社が発達しているらしい。その航空会社はキングフィッシャー航空。
キングフィッシャーといえばあのビール会社だ。インドでビールを飲んだ人ならみんな知っているはずである。キングフィッシャーだ。ストロングビールなんてのもあって、アルコール度数8%かなんか。キングフィッシャーはミネラルウォーターも販売していたはず。そんなキングフィッシャーが航空業界進出だ。ちょっと前にはじめ、今は国内2位とかなんとか。

http://www.flykingfisher.in/

キングフィッシャービール

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原色ってなんかきな臭いんだけど
原色ってなんか、きな臭い。胡散臭い。装った感じというか、無理やり作り出した感じがする。自然じゃない感じがするんです。原色は毒々しいんだなぁ。原色は偽物な感じがする。

これだけ書いたら、原色に対するおいらのイメージがなんとなく分かってもらえたかな。まあ、原色は人工的すぎるイメージがあるということです。

普段生活していても、原色は人工的に作られたもので良く見かける気がする。だから、知らないうちに、自分の中にそういうイメージが出来上がってるわけです。

たぶん、普段の生活で原色ではないもの、すなわち何色もの色が混ざり合ったような色に自然っぽさ、天然っぽさ、人間によってる作られていない感じをえるのは、町でみる自然に作られたと推測できるものが原色ではないからなのです。それはなぜかといえば、自然界のものは純粋な一色だけではなく、不純物が混ざっていたりして、原色ではなくなるからだと思うのです。人間が故意に不純物を排除して作り出さなければ原色は生まれない。このように思うのです。

しかしだしかし、エクアドルのガラパゴスへ行った友達からもらった写真をさっき見ていたのです。ガラパゴスといえば、世界中でも人間の手が入っていない数少ない地域だと思うのです。人間が入るときは靴の中敷の間に生態系を壊す虫がいないかまでチェックされると聞いたことがあります。それに、人間は勝手に入れず特定のツアーでしかいけないみたいです。そんなところで撮影された写真です。そこに映っていた鳥の色が鮮やかすぎた。天然とは思えないほどの水色をした鳥の足が映っていたのです。

ほとんどの人が見たことあると思うが、天然の鳥の鮮やかさといったら原色そのものなんです。オスの鳥は鮮やかだよ、そんなの当たり前と言われるかもしれない。繁殖期のアピールで鮮やかになるという理由だろう。しかし、それは羽とかの色が鮮やかになるだけだ。足が、足だけが水色なのである。しかし、私は本質的にそんなことが言いたいわけではない。

原色に対する人工的なイメージも結局は人の手によって作られた社会で作られた私の脳の中のことだけで、本当は原色≠人工的ってことだ。自然のきわみは原色を生み出すのだろう。

しかし、こんなことを言いたかったわけではないんだなぁ。なんだろう、まさに一枚の写真を見たときに湧き上がってきた感情は言葉では表現できない。そうやって逃げるようなことは嫌いだが、この私しか感じることが出来ない感情なのだ。世界じゅうのだれもかんじることのできない。たぶん、あれなんだろう。写真を見たときに感じたのは、自分の固定観念というか、常識が崩れた、何も知らなかったと抽象的な力強さをもって心に響いてきた感じ。テレビでは原色の動物を見ても今まで何も感じなかったのに、今回はなぜか不思議な感情、どうしようもない不安に駆られたのだ。以前のエントリーでも書いた「友達が取った写真は身近に感じる」も関係しているのかなー。

その、おいらを悩ませた一枚の写真(ここをクリックすると見れます)。

「抽象的な力強さ」だよな。たぶん。「抽象的な力強さ」
抽象的って、うまく伝わらないと全くもって弱いものなんだけど、なんかの影響を受けるか、抽象的は抽象的でも何か違うものを持っている、または抽象的なものを見る人の視点が少し変われば、具体例なんてたいしたことないってぐらいの力強さを持つ。

Posted by takeshi at 01:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
意識って
なんか、アメリカの消防士さんが消火活動で脳を損傷して意識を失っていたが、10年ぶりに意識を回復し言葉を発したらしい。

米ニューヨーク大学メディカル・センターのローズ・リン・シャー博士によると、脳に損傷を受けた患者が、こうした回復に至るのは、2-3年以内が普通とし、「10年というのは、ほとんど聞いたことがない。しかし、時にはこういうことが起きるのでしょう。理由はわからないですけどね」と驚いていた。

こんなことを書いてあった。おいらは10年たって意識が回復したことに驚いたのではなく、2,3年たって意識が回復すること自体にも驚いたのです。

その前に、意識がなくなるとはどういうことなのだろう?そのためには意識というものの定義をしっかりしないといけない。

となると、意識の定義。進化しすぎた脳によると、・表現の選択・ワーキングメモリ(短期記憶)・可塑性(過去の記憶)を満たすものが意識の定義とされている。ここでは「言葉」そのものが意識ということになっている。

今回のニュースの件でも意識を回復し言葉を発したとある。(言葉を話せても、黙っていたら意識がないことになるのか?という屁理屈は置いておくとして。)

で、なんで言葉を回復したのだろう?10年間言葉をつかさどる脳の働きが止まっていたから言葉を発していなかった、すなわち意識がなかったのだろう。だが、何らかのことが起こり、脳が動き始めた。そのため意識が復活した。ということは、脳の機能をストップして、何らかの刺激を与えることによって、脳の働きを復活させることが出来るのではないか。そうすれば、エネルギーを効率的に利用できるよなー。でも、それ以上に脳の働きがコントロール可能ってのが怖くもあり、面白そうでもある。

冬眠ってのは、意識がなくなるというものと何が違うんだろう。
特に、何も考えていないけど、ふと気になった記事だったのでエントリーしました。

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May 03, 2005
協調性のなさ
どうも私は昔から協調性がないらしい。
おそらく、幼稚園の頃からないことは明らかになった。

自分でもそう思うところがある。

しかしだ、自分の基本的考えは「十人十色」である。ということは、どんな人でも受け入れるということではないのかと、自分に対して疑問。で、考えてみると、十人十色といっているのは、あまり気に入らない人、もっといえばどうでもいいと思う人は完全に無視なのである。勝手にしてください。という感じで存在は認めるが完全無視している。そのような状態を十人十色として私は思っていた。

まあ、どんな人のどんな考え方でも受け入れるのは難しい。しかし、無視するのではなく理解したうえで、受け入れるということも必要なのかもしれない。自分の意見を言って強烈に相手の考えを跳ね返すのは社会では協調性がないといわれるらしい。

まあ、相手を受け入れるということも頭の片隅に入れておこう。まあ、こうなりすぎても私の良いところが薄まってしまう。まあ、大人な言葉ではバランスというらしい。

Posted by takeshi at 09:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
いつかのあの日
いつかのあの日

いつかのあの日は絶対にあった特定の日であるはずだ。
しかし、いつかのあの日は抽象的なある一日という感じがしてならない。

この言葉の不思議が頭から離れない。
進化しすぎた脳を電車でよんでいた。かなりつぼにはまった。面白い。ここの本を読んでいるとどんどん疑問が浮かんできて、本を閉じていろいろ考え出す。

それを繰り返していたら、いつの間にか東京についていた。電車で周りにいた人からすれば、ゴールデンウィークなのに何を猛烈に悩んでいるのかと思われていたのだろう。笑

たぶん、この本はつまらない人にとっては究極につまらないんだろうと思う。

Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
環境ってたいしたことないのか?
岐阜にいた。
そして、昔の通知表を見た。それも、成績ではなく、教師のコメントや生活面でのAとかBとかを。

幼稚園から中学までを全てよんでみた。すると、面白いことに気がつくのだ。
やっつけな、誰にでも通用するようなお褒めの言葉ではなく、ケッコウ厳しいことを書いてくれた先生もいた。それは正直驚きだった。

成績表をもらった当時は、厳しいコメントが書かれていると自分で認識していなかったと思う。

まあ、それは良いが、その当時のコメントがケッコウあたっている。あたっているというか、今と変わらない。性格検査なるものを最近受けたが、それと同じようなことが多く書かれていた。さらに、今時分で認識している、性格もそこには書かれていた。

結局、幼稚園や小学生の低学年から性格というものの本質は変わっていないのではないか。この事実は私の中でケッコウな衝撃だった。遺伝とか生まれ持った性格というものと環境要因によって人間の特性は決定付けられると思っていた。しかしだ、幼稚園や小学生のころから性格の本質は変化していないのだ。成長過程における環境要因はそれほど小さな影響しか与えないのか?それとも、幼稚園入学前の環境要因が非常に大きく作用しているのか?環境要因が大きいとしたら、双子の場合ほとんど同じ環境で育つはずである。すると、環境によって影響されるとしたら同じ影響のされ方。もし、生まれ持った性格も同じだったら、同じような性格になるはず。しかし、双子でも性格が違う人が多い木がする。すると、環境はほぼ同じだとすると、生まれ持ったものが大きな決定要因なのだろうか。

生まれ持った性格で全てが決まるとは言わないが、ほとんど決まってしまうのか?
だからといって、成長する過程において努力をやめたらいけないよな。

また、5年後と10年後ぐらいに成績表をすべて見直すときがあるだろうと思う。
その時は、何を思い、何を感じるのだろうか。
Posted by takeshi at 06:35 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
Modern Design Museum TV
Modern Design Museum TV

月曜日の13:30~13:55 BSフジでやっている番組。

かなり、おしゃれな感じの番組。ナレーションはなく、音楽が流れている。
プロダクツの映像は、使い方や特徴が分かる演出方法。

BGM=バックグラウンドムービーとしてかなり最強。

そんでもって、こんな優雅なテレビショッピングがあってもいい。みんな、ついつい買っちゃいそう。

http://www.bsfuji.tv/mdmtv/
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青い空への質問
そこには、あの頃からある青い空があった。

何も変わっていない。

岐阜へ帰ると、小学校へ行くことが多い。
散歩をかねて小学校へ行く。
見慣れたいつもの小学校がそこにはある。

何も変わっていない。

小学4年生のある昼休み、ボール置き場の横で寝転がって見た空。
雲が動いているのを感じた衝撃は今も新鮮なままそこに残っていた。

子供は砂場で遊び、ボールを追いかけていた。
何も変わっていない日常がそこにはあった。

私もあの頃となんら変わっていないのかもしれない。

Posted by takeshi at 06:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
 

2005-04

http://www.teratown.com/blog/archives/2005_04.html

April 24, 2005
PCメール一週間普通になります
PCメール一週間普通になります。

ちょっと、PCの調子が悪く修理に出します。
ということで、PCが一週間ほど使えません。
この時期でよかった。

ということで、メールなども使えません。
すいませんが、よろしくおねがいします。

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April 23, 2005
友達が取った写真は身近に感じる
友達が取った写真だと、身近に感じる。

友達が南米に行ってきた。先日南米の話をいろいろ聞いて面白そうだなと思ったのです。そして、写真をCDRでもらった。エクアドルとペルーの写真が200枚ぐらいだろうか。その写真を見ていた。ガラパゴスやマチュピチュ、ナスカなどの写真がたくさんあった。その写真はとてつもなく美しかった。特に空がきれいだった。あの空の青はめったに見ることが出来ない青色だと思う。嘘のない青とでも言えばいいのか、なんかこれ以上の青はないというほどの美しさ。濃い青もあれば淡い青もあるのだが、澄み切っている。空気がきれいなところはあんなにも空の青が美しくなるのだろうか。

で、そんな写真をいろいろ見ていた。食事の写真も写っていた。はっきり言ってうまそうだった。日本人の口に合うといっていた理由がわかる。街の写真も写っていたし、なんか南米という国が少し分かった気がした。その中でも、マチュピチュの写真を見たときにふと不思議な親近感を感じた。

マチュピチュの写真や映像はテレビや雑誌、インターネットなどでよく見る。あれだけ有名なので、もう見慣れたといってもいいほどであるだろう。しかしだ、友達が取ったマチュピチュの写真を見たときに、いつも見るマチュピチュの写真とは明らかに違う感情を持った。何か、マチュピチュが自分に近く感じた。手に取れる感情とでも言おうか。友達が取った写真はなぜ身近に感じるのか。

つい先日その写真を撮った彼と直接会っていた。だから、そんな身近な友達、実際に自分のそばにいた人がペルーまで行ったというのが身近に感じている理由だろう。その友達がペルーと日本を行き来した。そして、実際に行った人が自分のそばにいる。友達という物体は実際にペルーと日本を行き来して俺のそばにもいる。というのでリアリティが沸いたのだろう。それと、その友達からマチュピチュの話を聞いていたので、話と写真がシンクロしたからかもしれない。さらに、その友達がどんな気持ちでマチュピチュに行き、何を感じたかをだいたい推測できる。写真を取った気持ちが分かるから身近に感じたのだろうか。

まあ、人間の感情というものは不思議なものだ。

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信頼と喜び
世の中、本当に信頼できる奴は少ない。
この人なら信じれるって思う人は数えるほどしかいない。

信頼って言うのは、お互い約束をして守ることによって生まれるものだと依然誰かが言っていた。しかし、これだけじゃないと思う。日々の会話で嘘をつかないってのが重要じゃないかな。まあ嘘だけじゃなくて、話していて信頼できるって何か感じるものがある。無駄な隠し事はしない。率直に話しているように感じる。まあ、その人の顔を見れば分かるんだとおもう。本物の人間の顔は本物の顔をしている。

なんか、分からんがこの人は信じれるという人がいる。お互いの心を分かっているなという人がいる。毎日あっているからとか、なんかのプロジェクトをやって成功したとかだけじゃない。よくわからんが、信頼できると感じている人がいる。その人の考え方や行動も信頼できるというか、尊敬できる。その考えや行動を自分もその人がなぜとるのか分かる。また、その逆もしかりなんだろう。

そうやって、信頼できる人の行動や成果は自分のことのようにうれしい。別に自分が何かを成し遂げたわけでもないのに、うれしい。その人の考えや行動がある程度自分でも分かっているからうれしいのだろうか。こんな友達がいてうれしいと思いました。

本当におめでとう。今の気持ちを忘れないで、やって欲しい。そして、そこがどんなところであろうと、俺がどんな忙しかろうと、実際に行き、またその成果を目で見て喜びあいたい。

もちろん、俺も今の気持ちは忘れないし、精一杯やって日本を日本の一人一人を面白くしていたいと思う。

たぶん、十年後とかに話しをしてお互いのことを面白いと思える状態がベストな将来像なんじゃないかな。そんな日を楽しみにして。

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April 22, 2005
カルロスゴーン
そういえば、この本も猛烈に良かった。なんだかんだ言っても、一流と呼ばれる人は違うな。

かなり前に書いた文章より

有名人には何かがある。これは有名人だからすごいといっているわけではありません。有名人だから偉いとも思っていません。しかし有名になるためには、何か理由があったはずです。その人の能力なのか外的な要因なのかはいろいろだと思いますが。これもなんとなく書いてみただけ。2002/12/4

カルロスゴーンさんがたいしたことないといっている訳ではまったくないです。有名になるにはそれなりの理由がある。と再びただ思っただけ。

それにしても、この本も良かったな。

ルネッサンス ― 再生への挑戦
 カルロス・ゴーン 中川 治子

ダイヤモンド社 2001-10-25
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a great vantage point
a great vantage pointとはどこだろうか?

今一度考えてみたい。

生ぬるい性格なので、一回根性を入れられるのもいいと思うんだよね。

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iichiko design
iichiko design展に行ってきた。
これに行く予定で行ったのではなく、アクシデントな感じで。

企業のデザイン展ということで「いいちこ」の広告やボトルデザインなどが展示されていた。正直「いいちこ」がこんなにデザインとかにこだわっているとはしりませんでした。地方の酒造メーカーがこの商品のブランド戦略で成功して全国的に有名になったみたい。

なんか、広告は写真と短いフレーズが書かれたものが多かった。なんか、ゆったりとあいたゆとりのある広告が多くて落ち着いた。

いいちこの広告ギャラリー

いいちこパーソンのボトルが欲しくなった。このボトルいいんだよなー。たまらんくらいいいはー。本当に欲しい。値段も441円と安くていいねえ。
いいちこスーパーのボトルもいいかんじだ。でも、パーソンのほうがいいな。

スーパーはいいというか、こんなボトルの焼酎が合ったんだと驚いたというのが正しいだろうか。いいちこパーソンは普通のスーパーとか酒屋さんに売っているのだろうか?

iichiko design project なるものがある。

 
関係ないが、スペイン語を話せるようになりたい。
スペイン語勉強しよう。

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April 21, 2005
で、どうしたいんだ?
で、どうしたいんだ?
って自分に言ってみました。
あのですね、もうすぐ一年に一度人生について考える日ですよ。

そう、だからいろいろ考えたこと、もとい思うことをつらつら書こうと思う。
今まであったことはいくらでも書いてきた、だから未来について書こうと思う。己が将来に対して何を考え、何を思い、どうしていきたいのか。また、それはなぜか?将来のためになにをするべきか?それを書いていきたい。

ある種、吾人の任務のようなものだ。

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甘いと思っていると甘さは増幅する
(無意識に)甘いと思っていると甘さは増幅するのかな。

何かを食べるとき、その何かを食べたことあったら事前にある程度の味を推測する。意識的にではなくても、食べたという経験があれば、無意識的に味が脳の中で想像される。食べたことなくても、テレビで見たり、似たような食べ物から味を想像している。

そうすると、実際の甘さよりも甘く感じる。のではないかと思ったのです。ただ、意識的に過剰に甘いだろうと意識しすぎると、その期待が大きすぎて実際の甘さよりもあまり甘く感じられないかもしれないです。

これは、ところてんをはじめて食べたとき、くずきりと思って食べたらものすごくすっぱかったという話を聞いて思った。

このエピソードから分かることは、脳が事前に甘いものが口に入ると認識していて、甘いという状態が脳で作られているからこそ、想像以上にすっぱいと感じる。こう思ったのです。となると、甘いという状態が脳で作られているプラス実際の甘さで、甘さが増幅しているのではないかと思ったのです。

Posted by takeshi at 09:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
アランブラ
あ、今NHKの世界遺産の番組でアランブラ宮殿をやっている。

アランブラ、アルハンブラ宮殿といえば、スペインの南にあるグラナダだ。まさに、あの町だ。
あの、スペインで最も安い宿に泊まったグラナダだ。

夜中まで知り合った日本人とアランブラ宮殿を見ながら語ったグラナダだ。
バルサやマドリッドとは違って夜店がすぐに閉まってしまったグラナダだ。
グラナダビールがうまかった。

夕食は、デパートで買い物をしてみんなで食べたグラナダだ。
このとき生ハムにはまってしまったグラナダだ。
みんなで夜中まで飲みながら話していたグラナダだ。

あ、そうだ。
あそこの町を離れるときは笑った。

パスポートがないって一人の奴が騒いで、バスに乗り遅れそうになった。
が、そもそも、乗るバスなんて確定しているわけじゃないので困らない。
そこで、みんなばらばらに散っていった。
一人はグラナダに残り、後にモロッコへ行ったらしい。
一人はマドリッドに行き、
一人はマラガへ行き、
俺はあるへシラスへ行った。

そんな町だ。
この町で食べた最後のものは、トルティーヤだった。
一番最初に食べたのはバーガーっぽいやつ。
なんか、おばちゃんが変な花を売りつけてきた町だ。

熱かったなー。

でも、一番思い出に残っているのは、夜ライトアップされたアランブラ宮殿だ。
きれいだった。美しかった。光によって浮かび上がっていた。
そんな、アランブラを見ながらみんなで話していた。

あ、いい町だった。グラナダ。

Posted by takeshi at 08:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
なぜ感じる心は共通するか
CRM

アマゾンのこれを買った人は、こっちも買ってますみたいなの。
これは、イマイチなこともある。

しかし、ブログなんかをよんでいると、この人の感性とあうなーって人がいる。
さらに、なにかをしたときに感じること、何を良いと思うか、世の中的にはレアなものをいきなり持ちだしたり、レアな同じ行動をとる。

まあ、何個か重なっただけで、過剰に重なっていると感じてしまっているだけかもしれない。

Posted by takeshi at 12:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
みかん
みかん。
みかんといえば、愛媛。
手軽に食べられて、ビタミンCもたっぷり摂取できる優れもの。

そのみかんの愛媛。愛媛のみかんが一意転落。
和歌山さんに一位をとられたみたい。

小学校でテストを作っていた先生、順位変わりましたよ。
テストの採点のときは、和歌山で正解ですよ。
気をつけてくださいねー。
と、まったく意味のないアドバイス。

みかんには1年ごとに収穫量が多い年と少ない年を繰り返すという傾向があるみたい。初めて知った。

朝日新聞 2005年04月20日20時08分
「ミカン王国」愛媛県が、1970年から守り続けてきた収穫量日本一の座から滑り落ちた。農水省が20日発表した04年産ミカンの収穫量調査で1位になったのは18万300トンの和歌山県。愛媛は17万200トンで69年以来の2位。両県の台風被害の違いが影響した。

 ミカンは1年ごとに収穫量が多い年と少ない年を繰り返す。04年産は収穫量が少ない「裏年」。

Posted by takeshi at 01:28 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
なんか昨日、飛行機でインディアのマックから新宿へ飛んだ気分
なんか昨日、飛行機でインディアのマックから新宿へ飛んだ気分。

でした。

えっと、昨日インドで会った友達に新宿であった。
彼はなんかいい味を出している。
ネパールで話して、インドのマックで会う約束をして会って話して以来だった。

なんで、あったかというと彼が今年の春に南米に行ってきたので話を聞いたのだ。基本的に、年下の人と少人数でいることすらままならない私なんですけど、彼とはかなり楽しく話せるのです。

まあ、一人旅している人なら年下でも年上でも、どんな人でも話したら面白いと思います。

で、南米はやはり面白いみたい。あと、一人旅をしていて気をつけなければならないところを知っていれば危険はないみたい。そんでもって、ペリーのナスカとかマチュピチュは観光地化していてテンション下がるみたい。

で、彼はエクアドルとペルーに行ったんだけど、エクアドルで行ったガラパゴスの船ツアーは最高に良かったらしい。しかし、2泊3日で10万。星が無茶苦茶きれいらしい。そりゃそうだろう。船しかなくて、周りはジャングルの中の川だから。周りは真っ暗らしい。そこから見る星は抜群みたいだ。もちろん日本人は一人だったから寂しいみたい。

あ、スペイン語を話せると南米旅行は楽しめるみたいだ。やっぱり、言葉は出来たほうがいい。それと物価はインドより少し高いくらいみたい。食事は100円で食えるみたいだし、宿も500円ぐらいみたいだ。一日1000円でいけるみたい。さらに、食事も日本人の口に合うみたいだ。

南米はやっぱりいいところなんだなー。

あと、エクアドルであった韓国人が日本語を一つだけ知っているといって、話しかけてきたらしい。その日本語は「スゲー、スゲー」。なんとウユニ塩湖で日本人が一緒だったらしく、そこで覚えたみたい。韓国人が覚えるほど日本人はウユニでスゲーと連呼していたのだろう。まあ、それだけウユニはすごいのだろうな。

あ、ナスカの地上絵を飛行機で見るのは30ドルぐらいみたい。

写真をCDRに焼いてもらうので楽しみだ。

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 19, 2005
感覚が変わる
人間は感覚が変わる。当たり前といえば当たり前だが不思議だ。

たとえば、小さい頃はテレビでやっているアニメにかぶりついてみていた人も、それから10年20年たてば見ていないだろう。ニュースを見たくなったりするものだ。

小さい頃、お菓子や甘いものを好きで好きで、それしか食べたくないと思っていた人が、年をとると塩辛とかいわゆる大人の味を好きになる。味覚が変化しているのだ。

これって、当たり前かもしれないが不思議だ。例えば食べ物で考えると人間の舌は昔も今も一緒だ。(正確には細胞は日々変わっているから違うのだろうけど。)なのに、人間が感じ取るうまさというものは変わる。舌も食べ物も基本的に変わっていない。すると、それをおいしいと感じる脳だけが変化していることになる。

さあて、ではなぜ脳が変化するのか?

過去の感覚経験で成長した?いろいろな経験をしていくうちに、感覚が成長していった。スポーツ選手が練習してスポーツがうまくなり、グローブの良し悪しが分かるようになったりするのと同じだ。毎日の食事は練習で、鍛えられていった。

体が欲している栄養分などを無意識のうちに脳が判断し、それが含まれる食べ物をおいしいと感じている。

周りの趣向が変化して、大人っぽいと言われるものを好きになっているのに自分だけ子供の頃と一緒だと恥ずかしいから、大人っぽいことを真似るうちに感覚が変わっていった。

よー分からん。

関係ないが、
なんかCMで人間は輝くために生まれてきたといっていた。なんか、うれしかった。

Posted by takeshi at 10:29 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
素朴な疑問
日々生活をしていると疑問だらけである。

本当に、当たり前の光景が不思議で仕方がなくなるときがある。

昨日もカラスがビルの上に止まった時に、不思議で仕方がなくなった。カラスは頭がいいと聞く。それを踏まえてよんで欲しい。カラスはビルの上の看板に止まったのだ。その看板は正方形のような形。だったら、一番安全な奥に止まればいい。なのに、一番角で一番落ちそうなところに止まった。人間なら、一番怖いと思おうところだ。なんで、頭のいいカラスがそんな危険なところにあえて止まるのか。

で、思ったのはカラスは空が飛べるから、上から落ちるという怖さがないのかもしれない。上から落ちても飛ばば良くて死なないから、高い危険なところに止まることはまったく怖くない。これは、海に入ると死んでしまう動物は海が怖いが、海へ入っても死なない動物は怖くないのと同じなのだろう。

それと、角に止まったほうが地上を見やすい。地上にはえさがたくさんある。だから、地上のえさを監視してすぐにとりにいける。こんな理由じゃないかな。

まあ、カラスの低空飛行は怖いです。って関係ないな 笑

Posted by takeshi at 10:19 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
変な感じ
BBC worldを見ていました。
といっても、多重音声で日本語同時通訳で。

そこで、小泉首相のインタビューが流れて声が聞こえてきた。
すると、英語を話す人用のテレビなので小泉さんのインタビューを英語にしてイギリス人通訳の人が話しているわけです。それをまた、日本人の通訳が日本語にしている。

という不思議な現象でした。

日本語→英語→日本語
小泉さん→イギリス人通訳→日本人通訳
こんな感じです

Posted by takeshi at 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 16, 2005
で、何だ?→デナーダ
で、何だ?と言葉を発したら、デナーダという言葉を思い出した。
思い出したのだと思う。

たぶん、どっかの国で良くつかったっきがする。
スペイン?ポルトガル?そのあたりかなと思った。

ネットで調べたら、「De Nada デナーダ (どういたしまして)」だった。
じゃあ、ありがとうってナンだっただろう?

オーラは良く使った。Hi!のような感じだ。どこでもかしこでもオーラと言っていた。
うーん、思い出せなかった。
で、調べた。グラシアスだ。

ああ、そういえばそうだ。
思い出せないと、えもいえぬ気持ちになるが、分かってしまうとあっそうかぁ。という感じ。
たいした喜びもない。
マジックの謎解きもそう。
どうしても分からなくて、いろいろ考える。あのときの感情はなんともいえないくらいもどかしい。意地でも謎解きをしてやると思う。
しかし、どうしても解けず答えを聞く。あっそうか。という気持ちになる。謎解きをして考えている最中はあれだけ、脳に負荷をかけ、真剣に考えているんだから、答えが分かったらもっと喜んでもいい気がする。

なんでだろう。自分で解いたとしても、答えを聞いたときよりも少し喜びは大きいが、そこまでの感動はないと思う。なぜだろう。
あれだけ脳に負荷がかかっていることをして、その負荷がとかれるはずなのになんであんなにも喜びが少ないんだろう。不思議だ。

Posted by takeshi at 05:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 15, 2005
one-shot learning
one-shot learningが気になりすぎです。aha体験とも言うらしい。0.1秒の同期発火

まあ、科学的にはACC→DLPFCということらしいのですが、科学的にも気になるが、何か引っかかる。

たぶん、人間は脳が全てといっても良くて、さらに言えば脳の動きが全てといってもいいと思うのですが、その中で、重要なのは記憶と考えるということだと思うのです。で、パッと思いつくのがone-shot learningのような感じがするのですが。

でね、脳って不思議すぎるのです。自分の脳の思考過程を自分の脳で見る、メタ認知といいますかホムンクルスといいますか。

自分の脳のことで、昔から俺が言っている。2003年12月17日にこんなことを私は書いている。

思いつきでも、何か頭の中でスイッチが入るとそれを実現に向けて行動する。
同じように頭の中でポカーンと思っていただけなのに、何が違うのか?
自分の中でのプライオリティーが上がった?
そんなもんじゃないよな。
これは、スイッチとしか言いようがない。

たとえば、あと24時間後には行こうと思えばタンザニアにもいければイグアスの滝にもマチュピチュにも、しかし私は日吉にいるだろう。
なんなのかねー。

October 30, 2003にも同様のことを書いている。

で、言いたいことは
たとえば、私が24時間後ぐらいにはにベネズエラに行こうとしたら飛行機を乗り継ぎいくことができる。
しかし、実際は私は行かないだろう。ベネズエラにはいないだろう。なぜだろう?

私が意識の中でそう思っていないから。
そう、意思決定しなかったから。
このように、私にとってこの問題は気になることだったのだ。なんというか、こんなことを書いているとは覚えていなかったというか、one-shot learningを聞いたときに、過去に書いてことを思い出さなかった。でも、なんかすごく気になった。何でかしらないけど、気になった。で、家に帰って少し考えてみると、昔も同じようなことを考えたぞと思い出した。そして、過去のブログを検索したら、あった。それも2回もエントリーしている。ということは、やはり気になることなのだ。どんな思考回路をたどって気になっているのかは分からない。しかし、この問題を気になるという事実は変わらない。私の脳の中にはこのような問題を気になる思考回路が備わっているのだろうか。それにしてもなんで、このような類の問題が気になるのだろうか?無意識的にこの問題に反応する自分の脳の仕組みが気になる。これもone-shot learning
的でなんか一瞬気になると思ったのだ。

もっといえば、2個目(October 30, 2003)は偶然見つかった。なんとなく、大学にあった昔のブログを新しいブログに移行しようとした。そのときに、前以降作業の途中で終わったと思い出し、どこまで移行したかを確認しようとした。そして、 October 2003をクリックしてみた、そうしたら一番上に2個目(October 30, 2003)があったのだ。まさに、セレンディピティですか?幸運が偶然起こる。たぶん、このone-shot learningについて考えていなかったら、そのまま気にしずにながすだろう。しかし、one-shot learningについて考えていたので、このエントリーが気になった。それで、すごくいろいろ頭の中で考えた。ワクワクしてきた。セレンディピティを感じるにはある物事について事前に考えている必要があるのだろう。これは、一生懸命に研究者が数学の難問をといていてちょっと一休みしたときに良い開放が思いついたという話や、夢で見てそれが開放につながったという話に似ている。では、なぜ、そのようなときに良い開放が思いついたのだろう?その時の脳の動きはどうなんだろう?
意思決定の瞬間とかもそうなのだと思う。ここで書いているスイッチがone-shot learningナンだと思う。で、なぜこのようになるかというと、なんか面白そうと思っていて、それを一押しする情報が入ったり、脳の思考回路が何かを感じ取ったのだ。そう思うのはセレンディピティも関連してくると思ってみたり。

aha 体験 でググッテ思い出した。私のaha!体験は不等号の計算だな。なんか、あれがぜんぜん分からなかったんだけど、一瞬でぴカーンときて概念を理解できた。たぶん、ウユニもイイと思ったのはaha!体験だと思うのです。どーのこーのという理由はないけど、なんか感じた。

aha!体験による記憶や自分への影響は非常に大きい気がする。それは何でだろうと考えてみたり。

Posted by takeshi at 03:06 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人生を二回生きたいわけで
人生を二回生きたいわけで、でもそれは無理なわけで。

いろいろな意味からして無理ですね。

本質的に「人生を二回生きたいわけで」に含んでいる意味は、一回この世の中で生きてみて、一回目は実験、そして二回目はそれを踏まえて人生を生きてみたい。この時点で、脳のデータが受け継がれているので人生を二回生きたことにはなりません。

さらに、現実的な意味としては二回いきることは不可能です。一回死んでしまったら、再び生まれてくることは出来ない。

しかし、二回いきてみたい。とてつもなく面白そう。面白そうというのは絶対出来ないと脳が認識しているから、道のものに対するワクワク感と、希少性のようなものにワクワクしているのだと思う。

某先生が、生きている理由は死んだら生き返れないからといいますが、これは究極を言えば正しいと思うのです。

なんで、こんなこと思ったかというと、いけてる人って本当にいけてる。おもろい。最近の私の言葉で言いますとファンキーなのです。痛快なのです。そんな人生を送っている人はたくさんいるわけです。その人たちの年齢は私と変わらないぐらい。で、この人たちは年をとってからも痛快な人生を送るのだろうなと思った。で、現実に目を向けると痛快な人生を送っている大人はほとんどいないと思う。じゃあ、私の周りにいる痛快な人も年を取れば痛快じゃなくなるのか?気になる。で、痛快な人が痛快なままならば、それはすごく希少性をもった人たち。その人たちを小さいところから見てみたい。まあ、これだとタイムスリップしたいのかとも捉えられますが、まあ、それでもいいです。

Posted by takeshi at 02:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
歌のタイトルも歌手名も知らない
歌のタイトルも歌手名も知らない。

私は、歌をけっこう聞くほうだと思う。雅楽から邦楽から洋楽からCM曲からなにからなんまで。

それは、小学生の終わりからだったと思う。
昔は、なんちゃらという歌手のなんちゃらという曲という認識を持って、そして実際に歌手名もタイトルも覚えていた。知った上で歌を聞いていた。

しかし、最近といえば、歌手名もタイトルも知らない。いいなと思った曲でタイトルおよび歌手名を知っている歌なんてほとんどないのではないか。だから、人に○○○って歌いいねとか○○って歌手いいねといわれても分からない。歌を聴いて初めてああ、この歌好きと分かる。

でも、連続で100回くらい聞いてしまうくらい好きな曲もたくさんある。しかし、タイトルも歌手名も知らない。別にどうでもいい。歌手が誰であろうと、タイトルがナンであろうと、チャートでトップ10だろうと、売れていようと、売れていまいと、関係ない。ただ、聞いて心地よければいい。それ以外に私は興味がなくなったのだ。

これは大学に入ってからだろう。昔はタイトルや歌手名というものに価値を感じていたから覚えていたのだろう。しかし、今は歌そのものにしか興味がない。

たぶん、これは歌だけじゃなくて、社会の見方とか様々なものに対する考え方も変化したのだろう。昔から、権威とかそういった類のものは嫌いだった。それは嫌いだったのだ。しかし、権威というものにすがるというか、知名度のあるものやみんなが良いとするものに頼っていた部分があった。しかし、自分は自分、良いものは良いという性格、それだけ自分に自信を持ったというか、ずうずうしくなったというか。まあ、社会不適合度が上がっているとも言う。名前を覚えなければコミュニケーションもとりづらくなるのだから。

Posted by takeshi at 01:28 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
新橋のど真ん中でタイムスリップした
先日、新橋を歩いておりました。
すると、信号が赤になり交差点で待っていました。
すると、後ろから声が聞こえてきた。

年は70ぐらいのおじいさん二人がなにやらしゃべっている。

A:ライブドアフェニックスはどうなったんかなぁ?
B:ああ、ライブドアフェニックスはダメで、楽天が入ったはぁ。
A:そうか、じゃあ、6チームと7チームやな
B:近鉄がなくなったがな

って話だった。おじいさんの口からライブドアフェニックスというなんとも不釣合いな言葉が出てきて驚いたのもつかの間、おいらの脳は昔へ戻っていた。

そのおじいさんたちと俺だけ少し前にタイムスリップしているようだった。ライブドアと楽天どちらが新規参入するかのニュースが毎日のように報道されていたまさに、あの頃に。

なぜだろう、自分の頭からほかのことが抜け、目から入ってくる周りのものからの情報もなくなっていた。なんか、そのおじいさんの話しかアタマに入ってきていない感じ。

その当時の他の記憶も思い出し、現在というものが存在しているのかもあやふやになった。まさに、今がライブドアと楽天が参入を争っている、まさにそのときであるかのような感覚。

そして、ふとカトマンズを思い出した。カトマンズの町を夕方歩いた。完全に、あれはタイムスリップだった。今回のおじいさん現象が町中で起きていた。町中が過去だった。なんか、ドラえもんのタイムスリップみたいな感じ。
Posted by takeshi at 12:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 12, 2005
ドラえもんが
ドラえもんがドラえもんじゃなくなっていた。

ドラえもんの番組宣伝を見た。

なんか、違和感を覚えるな。声とキャラクター(見た目)が共通のものとして認識しているからなんだろう。

まあ、時は流れ、生きている物(人)も流れるが、情報(コンテンツ)は生き延びていくのだな。
ある意味情報(コンテンツ)は常に死に続けているということなんだろう。

Posted by takeshi at 09:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人間の気持ちと行動
いやー、人間のなんとなく感じる気持ちと、論理的というか客観的な数値による分析がずれたとする。
例えばAとBの選択肢があったとする。感覚的にはAがいいとする。しかし、客観的データなどをもとに評価するとBがいいとする。

すると、私はなんとなく感じる気持ちを重要視して客観的に出てきた優位な数字をいじりたくなる。
すなわちBの評価を何とかして下げようとして、BよりもAを客観的にも勝っているようにしたくなる。というか、そのような行動に出る。

すなわち、自分のなんとなく感じる気持ち、感性のようなものを一番重視している、重視したい、気持ちに客観的裏づけを無理やり合わせる。

このような行動を私が取るということは、数字を信じるというよりも自分の感覚を重視する人間というものなのだろう。そういう性格と分かったなら感覚を重視するべきなんだろう。そうしたほうが、自分にあっているのだから。

選択肢があって、自ら納得して決めていれば後悔はないはず。あとから、ああしとけばと思わないくらいやれるだけのことをやればいいのだ。
Posted by takeshi at 06:10 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
噛めば味の出る奴らしい
最後になって、第一印象は軟弱な奴だと思ったといわれた。
しかし、時間がたって話をして噛めば味の出る奴だといわれた。

うん、そうなのかもしれない。

なんか、ややこしい性格だし。
一言であらわせといわれても、あらわせない。
何か一つの経験であらわせといっても表せない。
なんかいろいろ話しているうちに私というものが見えてくるのだと思う。
さらに、私の考えをまったく理解できない人がいる。
そのような人には、

でも、噛めば味が出る奴っておっさんになって言われることだよなと思いつつ。

まあ、見た目の性格や考えやってきたことが違うんだろう。

軟弱に見えるらしいけれど、いわゆるスマートな人間でも洗練された人間でもない。
泥臭くて一気にやるときはやる、意地とか根性とか気合とか、そんなキャラだったりするのです。

あと、このブログだけを見て私の性格を想像している人は、いろいろ考えてマイナスのスパイラルに陥る無口で暗いキャラだと創造している人がいるんですけど、まったく違いますから。うるさすぎて、運と勢いと乗りでいきていて死ななきゃなんとかなると思っている楽観主義者ですから。
身の回りの出来事をコントロールする要素

自己65%
運命21%
他者14%

基本的に自分が全ての性格なんです。笑

Posted by takeshi at 04:45 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
もし世の中に、
もし世の中に、偶然があるとするならば全ては偶然なのかもしれない。
もし世の中に、必然があるとするならば全ては必然なのかもしれない。

もし世の中に、「もし」があったなら。

だが、世の中に「もし」はない。
Posted by takeshi at 12:21 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 11, 2005
他人が気になる?!
私は、あんまり他人のことは気にならない。他人は他人俺は俺と思っているから。

でも、世の中の多くの人はそうではないらしい。
特に他人の学歴とか職業、年収、とか社会的な評価などが気になるらしい。

一方で他人の夢とかそんなもんは気にならないらしい。

数字で現れたり、目で見てすぐ分かるもの。それらが気になるらしい。それらは比較的どっちが上でどっちが下かというものが現れやすいもののようだ。

他人の夢とか、評価しづらかったり、優劣のつけにくいものにたいする興味はないみたいだ。

なんでなのだろうか?

私は、比較的他人の目に見える学歴とかどーでもいい。正確にはどうでもよくはないときもある。しかし、どんなところにもすごい奴はいて、学歴がどうのこうのとは思わない。それよりも、キャラが面白かったり、その人の夢とか哲学とかを重視する。

だって、他人がどんな学歴もってようと俺には関係ない。おれの人生を左右しない。けれど、夢とかなら共感できたり、刺激されたり、その人の考えを利用して自分の考えを発展できる。

他人の学歴とかを知りたい人ってのは、なんでそうなったんだろう。自分に自信がないのかな。あんたはあんたでいいじゃん。その境地に達するには、そうとう考え抜いたり、経験したりして自分を持った人か、いわゆる学歴を一度持った人でそれに興味がなくなった人なのかもしれない。

私についてあれこれ詮索する人がいるが、私はそういう人には教えたくない。そういう類の人が嫌いだからだ。一方で、詮索しない人にはオープンに話す。表面上の私で評価しない姿勢が感じられるからだ。そんな人には好感を持つ。詮索したい人はもう少し考えたほうがいいよ。

Posted by takeshi at 11:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
不確定要素
不確定要素、まあそうだ。
未来のことは神のみぞ知る。という。

だから、最も不確定要素の強いものを選ぶ。
周りの視線を無視する。
自分が納得したり、感覚的にあったものを選ぶ。
未来のことだからこそ、過去を見る。

ということで、毎年一回書いている、読みにくいたらたら思いついたことを書いた文章を書く日が近づいてきた。

なんか、厳しい世界で働いてきて、能力をつけ、かつ金に流されない人は自分の信念を持っているんだな。

Posted by takeshi at 10:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
モヤイ像
今日はなんとなくモヤイ像。
渋谷に突っ立ているモヤイ像。
行ったわけでもないが、モヤイ像。

なんかワクワクすること、
今しか出来ないこと、
やったことないこと、
ちょっと変なこと、
新しいこと、

Posted by takeshi at 10:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 09, 2005
一年に一度の  1/22
1/42

っていうミスチルのアルバムがあった。ライブのアルバムだ。
42回のツアーの1回分をアルバムにしたものだった。

1/22

22年分の1年間。
ああ、去年から一年たった。早いのか遅いのかそれは分からない。
昨年は22年間の1年間をアルバムにしたものだった。

相変わらず思う。去年もいろいろなことがありすぎた。
昨年の今頃、今回のような長ったらしい文章を書いているときにはまったく、想像しなかったこと。そんなことがいくつも起こった。やはり、今年も、そして来年も想像もつかないことが起こるのだろう。想像がつかないことが起こるというよりは、去年このような文章を書いているときは自分で想像もしなかったことを、自分の意思で決定して行っている。すなわち、今まで知らなかったさまざまな情報や経験を偶発的に行ってきた事によって、さらに私の思考回路が変化し、想像もつかなかった意思決定を当たり前のように行ってきた。なんとも、不思議な話だ。やはり、「経験から生まれる志」とはまさにこのことだ。まあ、来年の今頃はまた、今では想像もつかないことをしているのだろう。想像もつかないような意思決定をしているのだろう。それが、楽しいのだ。大体人生がどうなるか分かるとつまらなく感じる性格で、まったくどうなるか分からないから楽しめる。1年後の将来が大体予想できる世の中はいやだ。だから、独占的な職業とかが嫌いだ。だって、将来どうなるか決まっている。決まらない人もいるが、人間はだいたい、資格をもつと守りに入って、それにすがっていきていこうとする。あえて、リスクをとらなくても普通の生活が出来るからだ。こんなことを言っている私も、来年はどんなことを言っているか分からないし、年齢を重ねるうちに、このような考え方で生活していくのはつらくなるかもしれない。しかし、そんなこと今の私のしったこっちゃない。で、答えのないことをまた考えるわけだが、私は何をベースに生きているのか。ベースにいきている表現が正しいかどうかはしらないが、他の表現方法を知らない。で、何がいい対価というと、ベースとなるものそれが考えであれば宗教である場合もある。熱心なイスラム教徒とかはそうなんだろう。自分の最もベースとなる重要な価値基準が宗教の考えとなる。私もインドに行ってから自分は文化的な意味を含めた文化的仏教徒であるといっている。ただ、仏教というものを私は自分勝手にとらえていて、何か唯一絶対の規範がないものが仏教だと思っている。その人その人が持っている考え、それを大枠で認めるものが仏教だと思っている。だから、仏教というものが私の中で絶対的なベースとならない。
私は瞬発的な脳の力は多少ある。何か言われたり、何かあったらそれに対してある程度的確に考え、答えを導き出せる。しかし、私はその答えを意識的に脳にストックし、考えを発展させるという能力が欠けていると私は思っている。

感覚、すなわち何か感じるときのほうが考えているときよりも脳が働いているという研究成果を聞いたことがある。たぶん、そんな感じがあると思う。

私は完全なプラス思考だと思う。自分のいいように解釈する。自分が好きだし、自分を信じている。確か、中学のときの国語の授業で私が先生に当てられて、漢字を黒板に書いた。私はあっていると思っていた。しかし、周りの友達がみんな違うといった。先生に、あってる?間違っている?今なら書き直してもいいよと言われた。そのとき私は、「己を信ずること」だ。と先生に言った。しかし、周りの意見に流され漢字を書き換えた。そうしたら、実は書き直したほうが間違っていたのだ。そうしたら、先生に己を信ずることって言ったじゃない。見たいなことを言われた。その時は、よくありそうな授業の一こまだが、今もその状況は鮮明に覚えている。黒板のどの位置に書いたかも覚えている。それ以来私は己を信ずることをいきる基本とし始めた。なんでもない授業だったのだ、そのときに絶対この経験を忘れないとか、そのときに己を信ずることを座右の銘のようにしようとも思わなかった。しかし、その場面を今でも覚えている。人間の記憶や感じ方というものはなんと不思議なのであろうか。

まあ、小学生のときから物の見方がひねくれていたようだ。それも小学1年生のときから。君は批判的なものの見方をするといわれたらしい。そんなときから、批判的な見方をする奴って憎たらしい。教師から見たら、ウザイ奴だ。たぶん、自分で認識しているよりもウザイ奴なんだろう。まあ、それはいいとして、私が何かを見るときの視点や何かを面白いとか心躍る、ワクワクすることといえば、「今しか出来ないこと、新しいこと、今後さらに変化・発展していき大きなインパクトをあたえそうなもの、常識とは違った考えだけど、論理的に証明されているもの、みんなはやりたいけど出来ないような馬鹿なこと、無邪気なこと」、こんなことを面白いと感じるんじゃないかな。じゃあ、なんでこれらを面白いと感じるのだろう。

で、それはいいとして21歳という一年間はどんなことがあったのか、なぜそのような行動にいたったのか、を今一度振り返ってみたいと思う。自分が行った意思決定を、その時の脳を自らの脳で再現してみたい。実はブログにいろいろ書いているために、その時の心境というものは分かる。まあ、皆さんが読んで感じた印象、イメージとはまったく違う、もっとリアルなものが私だけにはよみがえってくる。そうなのだ。大学の校舎が変わった。それは、いいとして私は人生における選択に関して非常に重要な教訓を得た。それは、私が選択においてミスをしたから分かった教訓だ。昨日、芸大の授業で「布施さんが養老孟司先生の一言を引用されていた。「人生の分岐点で、先が見える選択肢と、どうなるか判らない選択肢の二つがあったら、不確実な方を選びなさい」と。まさにこれに近いことを昨年の春に実感したのだ。なんだかんだ理由をつけて、楽な選択肢を取る。その時はイイと思っていた。最善の選択だと思っていた。最善というか選択肢があるという時点で人間は選ぶということができ、豊かなのである。選択が迫られたときに、どの選択肢をとっても良い悪いはないと思う。なぜなら、たらればというものは世の中にないからだ。だから、選択したらその選択肢を選んだということしか実際に起こらない。だから、どんな選択をしようとそれはそれで正しいのだ。でも、その選択をする際の基準がある。私はまず、冷静になって選択する必要があると考える。というのは選択肢が実際に選択できるようになる前に、選択肢となりうるものを全て並べ、いくつかの観点から選択肢となりうるものを評価するのである。それで、様々な観点から、指標を元にするとどれを選択すべきかをあらかじめ決めておく。そのあと、実際に選択できるものが出揃ったらまた、同じことをする。観点ごとに選択肢を評価するのである。それで、どれを選択するかを決める。その後に、自分のことを知っている人にたずねてみる。選択肢に関することと自分の過程を知っている人と、選択肢が出てきた過程はまったく知らないが私のことをよく知っている人に尋ねて、どの選択肢が私にあっているかを聞く。今まであげてきたものはただ参考にするだけだ。そして、次、選択肢の中で一番つらい物を選ぶ。困難なものを選ぶ。一番やさしいものを何だかんだと理由をつけて選択すると、後から絶対に後悔する。で、一番困難なものを選んだ。選ぶというか、どれが一番困難かを認識したのだ。この部分が養老先生の不確実なほうを選べというものに似ていると思う。それで最後に、これで選択肢を選ぶ。直感だ。これだと思ったものを選ぶのだ。ただそれだけ。そうすれば、納得いく決断が出来るはずだ。これが、春に学んだこと。

なんか、いろいろあった。春は山にも登った。山というものがこんなにも美しいものかと知った。大学ではレポートが多かったが何とかみんなの助けもあって乗り切った。いろいろな人に出会った。そして、いろいろなことを話した、今まで考えなかったこともいろいろ考えた。いい写真にもたくさんであった。面白い話もたくさん聞いた。なんか、自分というものは寝たら死んでいて、朝起きると新しい自分になっているかのようにも感じた。そんな話をしみったれた居酒屋に行き、某氏と良く語り合った。たぶん、多くの学生が話していることを僕は話したことがないと思う。多くの人がどんなことを話しているのか知らない。たぶん、私の周りの人は私と話すときは政治や経済の話や人間の意識の問題と普通の人と話さないことを話していたのだと思う。まあ、そんなこんなで夏が来た。この夏は人間というものが何たるかを考えた。それは、夏休みに入る直前の出来事も含め、永遠はないことを知った。し、時は流れ、しかし時は止まることを知った。もちろんインドに行き、人々を見て人間について考えたし、ネパールのがけ崩れでは本当に死にそうになり自ら生きるということも考えた。思い出したがインドという地。1年生の頃から友達が行ったという理由で気になっていた。気になっていたというか大学生の間に絶対行くと決めていた。行かなきゃ分からない。

で、ナンなんだ。何が言いたいのかまったく分からない。多分、それでもイイから今脳にあることをただただ出しておく。書き残しておくことが重要なのだと思う。

まあ、私の生きるベースというものが一番問題で、あと何年いきるか分からないがそれを出来るだけ明確にしたい。明確に一生ならないものなのかもしれないし、常に変化し続けるものなのかもしれない。しかし、多分年を重ねるごとに人間は体の衰えなどを脳が自然に感じ何かにすがりたくなる、しっかりとした、動かないもの、それがいきるベースだと思うのだが、それを欲しくなるのだと思う。今の私がそれを欲しいかといえば分からない。

多分、来年という年、もっと言えば、今の私は、私の人生を右にも左にも後ろにも、前にも、上にも、下にも、斜めにも、違う次元の世界にも導ける。しかし、それで人生が固定されるとは思わない。この私の人生はミガルであることをモットーとしているので、固定はない。しかし、人生が大きな局面に来ているのも確かだ。

絶対に、予想通り行かないのだが、人生設計をしてみるのもいいかもしれない。10年後何をしている、何をしているのではなく、何をしていたいか、20年後、30年後・・・も同様に、もっと短いスパンで、5年後3年後、1年後も何をしたいのか。そしてそれをするためには今何をするべきなのか。多分、究極の目的があって、それがないと難しいのかもしれない。だんだん逆算をするだろうから。

で、私は禅問答のような答えのない話が好きだ。まあ、結果的に答えが出るのも好きだ。そして、日本の教育を変えたいとも思う、さらに、雄大な自然の田舎で暮らしたいし、世界中の雄大な自然の場所に行きたいし、僧侶や料理人やゲージツかというものになるんじゃないかなとも思う。じゃあ、それらが夢なのか?それらを達成するためにいきるのか?何をするのか?たぶん、有名になりたいとか、みんなにすごいと言われたいとか、すごいお金が欲しいとかはない。

結局は何をしても満足しない性格で、新たなものを求める。多分そんな性格、自分の能力の可能性を無限であると思っている性格。だから、頑張ったことは?ときかれてもないという。あえて言えば、ネパールのがけ崩れぐらいだ。なんで頑張ってないかというと、力を入れたことはある。しかし、頑張ったと自分で認めると、それが限界のように感じる。私はガンバリズムがどうのこうので、自分らしい生き方をといいたいわけではない。頑張ったと自分で認めると、それ以上頑張れないのかということになると思う。私の考える頑張ったは一つだけ。過労死だ。死ぬまで頑張ってこそ、頑張ったといえると思う。そう簡単に、やすやすと頑張ったということは出来ない。
今年22のテーマを一つ決めよう。
「日々続けること」
「継続して体系的に学ぶ、行動する。」
「休むことはさび付くことだ」byエジソン
Posted by takeshi at 11:53 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
24
24って数字をみてどう思いますか?
この数字に何か深い意味があるのか?

とあるものの誕生日の例は24日ばかりなのだ。

それは私が24日生まれだから気がつくのかもしれない。

年、月はときによって違うときもあるが24日だけは変わらない。

どうしてだ24日。

響きがいいのか?

Posted by takeshi at 11:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
さくら
さくらってきれいだな。

きれいっていうよりも。

心がやさしさでつつまれる。

なんか、そんな感じ。

見渡す限りさくらが咲いているところにいれたらな。
もちろん、そこに人がいなければいいんだけど。

ゆっくりさくらを見ながらねっころがりたい。

さくらさく

Posted by takeshi at 11:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 08, 2005
空港ランキング
空港のランキング 

関空が5位らしい。ケッコウ驚き。そういえば、前も書いたけど松下を再建した人が関空に移っていろいろやっているらしいしね。

2位のチャンギ(シンガポール)は何度か行ったことあって、広いしきれいだと思っていたんだけどやっぱり世界的に見てもそうなんだなぁ。

The World’s Top 10 Airports – 2005

1 Hong Kong International Airport
2 Singapore Changi Airpor
3 Seoul Incheon Airport
4 Munich Airport
5 Kansai International Airport
6 Dubai International Airport
7 KLIA Kuala Lumpur
8 Amsterdam Schiphol Airport
9 Copenhagen Airport
10 Sydney Airport

In Japan, Osaka’s Kansai International was named 5th Best airport in the world – being specifically praised for high standards of cleanliness, and quality of airport staff service across all front-line functions.

だって。きれいでスタッフがいいみたいねぇ。

http://www.airlinequality.com/2005/airport-05-press.htm

Posted by takeshi at 11:02 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
脳年齢
http://homepage2.nifty.com/shimicha/brain/brain3.html

あなたの脳は現在34 歳です。
あなたの脳は全盛期とはいえませんが、かなり活発に働いています。

でも、油断をすると急速に脳は衰えるので、今の状態を維持するよう心がけましょう。

実際の年齢とは13 歳差があります。

ということは、実際の年齢と比べてあなたの脳は少し老けています。

もっともっと脳を刺激して、脳を使わないといけません。

もしかしたら、部分的に使えない脳がいくつかあるかもしれません。

ちょっとリハビリを考えてみてはいかがでしょうか。

あなたの脳機能が停止するまでの年数: 46 年です。

Posted by takeshi at 08:54 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
作り笑顔から考える
ちょっと、状況を説明するのが難しい。
まあ、以下のような状況を見てふと思いました。

ある人がトイレへ入るために、ドアを開けた。すると場所が狭く、トイレのドアが座っている人のいすにゴツンとあたった。すると、トイレに行く人がすいません、という。それに対して座っていた人が笑顔で頭を下げた。

と、これを見ていたのです。いつでもどこでもありそうな光景。でも、これを見たときなんか変な感じを覚えた。人間は面白いと思っていないのに笑顔が作れるんだと。そんなもん当たり前だ。多くの人がいる社会では作り笑顔も必要で、心の底から面白いとおもっていなくても笑顔がでるのだ。作れるのだ。

動物もこの能力を持っているのか。動物も作り笑顔をつくれるのか?もし動物がこの能力を持っていなかったら、人間はいつこの能力をつけたのか?それに、どんな理由から作り笑顔の能力をつけたのだろう?

人はしらない間に心の底からの笑顔の時に、どの筋肉を使うかを脳が判断しストックして作り笑いをする。 笑顔が他人にどんな影響を与えるか人は本能的に分かっているからこそ、作り笑いをする。しかし感情そのままの顔をするときと作り笑いをする時、人は戦略的な判断してる 。作り笑いがうまい人は繊細で敏感な人なんだろう、したたかでいやらしい人でもあるかもしれないが。他人の笑顔の要素を分析し、自分の笑顔造りに意識的・無意識的に応用している。 

人は人の顔の表情からウソかどうかを判断できる。話を聞かなくても顔だけでもなんとなく嘘と感じることもある。 無意識のうちに嘘の顔の要素をしり判断しする能力をもっているようだ。数値化されないし、脳がどう処理しているかもかなり不思議だ。

書き途中、考え途中、何もまとまってないけど、いいや。

Posted by takeshi at 08:50 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 06, 2005
春がきーたー
春がきーたー、春がきーたーと電車で子供が叫んでいた。

たぶん、3歳と4歳ぐらいの兄弟だった。あの子供の高い特徴的な声で春がき~た~春がき~た~と連呼。

まじ、のりのりだった。母親は、電車だからやめなさい。と、何度も何度も怒っていた。

で、ふと思った。春がきーたーという言葉は本質的に美しい響きを持っているのだろうか?言葉というものは、人それぞれの経験によってとらえ方がかなり違う。それを超えた美しさはあるのだろうか。たぶん、3歳の子供はほとんど経験がない、さらに春という意味や、桜が春に咲く、とか分かっていないんじゃないかな?

でも、すでに記憶があるからこそ、春がきたと叫べるわけであるから、春が来たという言葉に何かしらの意味を感じているのだろうか。それとも「音」だけを真似して連呼しているのだろうか?音だけ真似して連呼しているのなら、他の言葉ではなくなぜ春が来たという言葉をその子供は選択し連呼したのか。気になるな。

まあ、桜っていいですね。あの淡いいろがいいです。まさに春。私の生まれた春です。
Posted by takeshi at 06:39 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 05, 2005
理想は理想であるからこそ理想である
理想は理想であるからこそ理想である。
と当たり前のことを言ってみました。

何かを得れば、さらに今までは知らなかったもの欲しくなる。
それと一緒で、理想という完璧なものはない。

青い鳥を追い続けることもいいが、それは本質的には存在しない。
心の中にのみ存在するのである。

Posted by takeshi at 10:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 04, 2005
雨のち晴れの日は脳が疲れる
雨のち晴れの日は脳が疲れる。

私は意外とタフであまり疲れたとか感じない。鈍くて感じないのかもしれない。大学に入るまで疲れるという感覚とか分からなかったし。。。まあ、海外行ったときでもケッコウタフだし、長時間頭使っていてもあんまり疲れない。まあ、めったに使うことがないからかも知れないが。

疲れると感じるのは、何が起こると脳がそう認識して、疲れるという言葉が脳に浮かぶかは知らないが、その一連の流れのどこかが故障しているのかもしれない。まあ、こんなことを考えてしまう時点で、故障していると言われればそれまでだ。

で、なんで雨のち晴れの日は脳が疲れるのかってこと。

雨のち晴れという前提を説明する必要がある。まず雨が降っている。これは、家を出ているとき雨が降っていると考えてもらいたい。すなわち、家を出るときに傘を持って出ると。しかし、のち晴れだ。用事がすむと雨がやんでいる。ということは、傘はいらない。しかし、持ち帰る必要がある。(金があって、物を大切にしない人は、放置するのかも。そういう人だったら脳は疲れない)そのためには、傘を常にもって移動しなければならない。家に帰るまでには、用事のあった場所から出て、歩き、信号で止まり、切符を買い、電車に乗りとまあ、たくさんのことをする。その間に傘を置き忘れてはいけない。だから、傘を持っていないとと常に考えておかなければならない。それを記憶しておくために脳を使わないといけない。普通の人なら、ほとんど脳を活動させずに、傘を持ち帰るということを記憶出来るのかもしれないが、私はこのような記憶に人以上に脳を使わないといけないように感じる。だから、常に脳を活動させていないといけない。だから疲れるし、周りの変化だとかにも気がつきにくくなる。ってことだ。前にも書いたが、私は小学生のころに、体育の服装の袋を落としてきた。家に帰って、親に言われるまで気がつかなかった。道を戻ると、何の変哲もない、何か止まる要素など何もない道のど真ん中に落としていた。というように、物を持っているということが苦手である。カバンも手提げを嫌っていた。その理由は忘れるから。そういうと、何度か馬鹿にされ子供じゃないからといわれたが、忘れてしまう。このような能力が著しく欠如しているようだ。いつも同じものをもって習慣化すれば、忘れない。だから、同じカバンをいつも持つ。みんなハイカラな人は良くカバンを服に合わせて変えるが、私はそんなことしたらカバンを忘れてしまう可能性が高い。まあ、カバンはファッションとか気にしないから変えないって理由でもあるな。
あと、足らない能力は演劇や映画(特に外国の)を見ること。正確には見ることは出来るが、理解するのが厳しい。演劇や映画は出てくる人が多い。名前が一気におぼわらないから、ついていけなくなる。さらに、場面がころころ変わるともう記憶していられない。そうなのだ、多分小学生とか幼稚園のころに漫画も読まなければ物語もまったく読まなかったためだと考えられる。そのような思考回路というか、脳の働きが活性化されていないのだ。こういうと、人の気持ちが分からないとか思われるのだが、人の気持ちはある程度分かると思います。物語とかはよんでいないけど、人の心を読むという行動は小さい頃からずっとしていたから。まあ、子供は漫画も物語りも読む必要があるな。事実が書いてないから読む必要はないと言う小学生はよくなかったな。でも生活で支障があるかというと特にない。演劇や映画、漫画、ゲームという娯楽を楽しむことが出来ないと言うぐらいかな。まあ、それなりの楽しみ方はあるんだけどね。あと、ひとつ。テレビドラマや小説は何とかいけます。ドラマは1週間置きなので、みんな前の回をケッコウ忘れているので、それを踏まえて作ってあるから。私でもついていけるレベル。小説も自分の速度で読めるからなんとかいける。しかし、場面が変わりすぎるややこしいのは無理。
転寝(うたたね)という、現実と夢のハザマのような脳の働きが不思議で興味がある。ノンレムとレムなんだろうか。なんか、転寝の状態は不思議だ。非常に興味深い。

Posted by takeshi at 09:12 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
あの青い空を飛ぶ日まで
それは、小学生のころからのあこがれ。
家族でよくテレビで見ていた。
なんか、大学生がばっかみたいに、魂込めて、マジになってやっていた。
でも、ものすごく楽しそうだった。

そう、人間が生まれてからずっとあこがれ続けている、飛ぶということ。

鳥人間コンテストだ。

去年、インドへ行った。そのとき、ドミトリーで会った彼は東北大学工学部、鳥人間のサークルに入り、パイロットとして2度出場し上位に入っていた。

彼は、大学院に入学が決まり、入学式に出ないで休学届けを出して、初めての海外旅行で、世界一周に飛び出した男だった。

そんな彼と、あの、暑苦しく、寝づらいインドで朝まで語り明かした。今でも、あの状況を思い出すと心が躍る。

東北は試験飛行の場所を借りることもままならない。もちろんスポンサーもつかない。メンバーで積み立てたかねで部品を買い、みんなで朝から晩までつくり、みんなの思いとともにそらへ飛び立つ。

そんな、鳥人間コンテスト、今年の締め切りが3月10日だった。もう今年でることはない。

空が好きです。

パリダカ、鳥人間、ロボコン、男の夢。

彼の世界一周は無事に終わり、今春はれて大学院入学となったのだろうか。

旅人は群れない。

旅人はひと時の身分なんだから。

それは、彼自身しか知らないのだ。

Posted by takeshi at 01:18 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
April 02, 2005
脳とか
立ち読みで、池谷 裕二の進化しすぎた脳をよんだ。海馬も面白かった

おもしろそう。茂木さんの脳と創造性も売っていた。暇になったら読もう。

暗記メモリー
経験メモリー
whatの記憶
howの記憶

脳 心 ゲノム 意識 芸術 経済 記憶

Posted by takeshi at 05:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
子供の時間は大人の数倍
今日、松屋へ行った。
あの、ガッツリ系ファーストフードな松屋だ。
あの、メニューがたくさんある松屋だ。

ここは、ボリュームあるを食事を、安く、短時間で食べたいという人向けの店だ。
このような人は基本的に、若くて金のない男、ガテン系の仕事をしている人だと思う。
基本的に、腹にものを入れることを主目的としているため、殺伐と食事をする。
そんな店だ。

そんな店に今日行った。まあ、良く行くのだが。
で、偶然、私が食べ始めようとしたら、子供の声が。
子供3人と両親という家族が松屋に来た。
持ち帰りかなと思ったが、ところがどっこい、席について店で食うみたいだ。
子供は、「僕が選ぶぅ」とか、「やっぱこれがいい」とか「えーん」と泣き出したり。
店の殺伐と雰囲気とは程遠い。
ここに普通、来ている人はそんな幸せな家族を見たいとは思わない。
ここに普通来る人はそんな幸せな人が多くないのだから。
だから、ある意味殺伐というか、冷たい視線が家族にとんだ。

まあ、私もはじめは冷たい視線を送ったわけだが、そんな気分で飯を食べても面白くない。
天邪鬼な俺は、ふと気がつく。そして、面白くなった。
子供って、時間感覚が大人の数倍だなと感じたのだ。
それは、姉と弟の会話だった。
弟「えーん、えーん。食べたくない。あれが食べたい」
姉→弟「●●、うるさい。静かにしてよ」
弟「だって、だって、えーん。」
姉「早く食べなよ」
弟「食べ始める。(静かになる)」

2分後ぐらい。親と姉が何か会話

姉「いやだぁ。いやだぁ。(だだをこね始める)」

弟も姉も切り替え早すぎ。感情の変化が激しいな。
といっても、精神の状態が不安定とかではないように感じる。
この、感情(気持ち)の切り替えと精神の不安定って何が違うんだろう?

実際の行動を見ると同じように感じるんですけど。まあ、専門家に言わせるとぜんぜん違うといわれそう。知っている人教えてください。

で、どうして子供は気持ちの切り替えが早いのか?
記憶力が極端に悪いから、前のことを記憶していないのか?
大人よりも時間の進むスピード感が早いから、もう、すっかり前のことのように感じるのか?
経験が少ないから、新たらしいことが子供に与える衝撃が強すぎて、前のことなんか吹っ飛んでしまうのか?
実は、大人も同じくらい感情(気持ち)の変化は起こっているが、社会性(社会的な立場)のために押さえているだけ?それが、習慣化し気持ちの変化を感じなくなった?

どうなんだろうな?

まあ、親が子供を育てるって大変だなと思ったけど、人間が人間の脳が進化していく過程を見れることと、実験できることが楽しそうと、無責任な発言してみたり。

Posted by takeshi at 05:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ニュートラル
neutralって本を見ました。
この本いいです。

月がテーマだったんですけど、いい月うつってました。

毎度毎度のウユニ塩湖&満月とか最高でした。

なんか、ウユニ塩湖に少し水が張っていると空に浮いている感じらしい。

この本に載っていた、角田光代さんの文章やっぱ良かったです。角田さんは、情熱大陸見てエントリーした人ね。やっぱ、本読もう。
まあ、ウェブは微妙ですけどね。。
http://www.neutralmag.com/index.html

Posted by takeshi at 12:45 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2005-03

http://www.teratown.com/blog/archives/2005_03.html

March 29, 2005
花粉症で発見、鼻たれ小僧は天才だった!!
昔よくいたとされる鼻たれ小僧は天才だったと思います。
鼻たれ小僧って、鼻水が出てくると洋服の袖で拭くじゃないですか。
そんなイメージ。

彼らは経験からすごいことを学んでいたんです。彼らは鼻水を服でふき取るだけで、鼻をかんでいないのです。ここが大きなポイント。

鼻をかむと、連鎖的に鼻水が出てきて、永遠に鼻水が止まらないような状況に陥ることがほとんどです。鼻の奥を刺激して、鼻水がどんどん出てくるのでしょうか?まあ、鼻をかむと連続的に鼻水が出てくるというのは、この私の体で実証済みです。

で、鼻をかまずにがまんしたり、ふき取る程度にすると、鼻水がだらだら出て困るということはありません。鼻たれ小僧はこれを経験的に知っていて、鼻を拭いていたのかも。

花粉症が気合で治る理論はこれと通じるものがある。外に出ていると、常に鼻をかんでばかりいるわけにはいかない。だから、鼻をあまりかめない。音を立てて鼻をかめない状況だと鼻を拭く程度。すると、鼻水がだらだらはあまりない。しかし、家に帰ると、鼻をかみ放題だから、悪循環で鼻水だらだら。で、気合がどう絡んでくるかというと、外部にいるときは気が引き締まっている、すなわち気合が入っている状況にある。で、外にいるときは花粉が多いはずなのに、家にいるときに比べ鼻水だらだら度が低いから気合で止まっているのかなと思っていた。しかし、まあ、これは鼻たれ小僧理論だったわけだ。やはり気合ではなかったのか。

Posted by takeshi at 11:24 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
やっぱり空はきれいだった
やっぱり空はきれいだった。

あの青と、雲の透明感。

ヤフーのトップページからとんだら、こんなページがあった。くもの種類とか書いてあると小学生のときに理科の授業で覚えたことを思い出す。まあ、ほとんど記憶に残っていないのだが、今改めてみるのもいいもんだ。
http://event.yahoo.co.jp/eco2005/sky/index.html

ここに私が取った、日本や世界の「いろんな顔した空」があります。
P8270038
Originally uploaded by teratown.

栗田工業なる会社はやっぱりいい。
以前にもこの会社のCMに関してエントリーしたことがあるが、今回のウェブもいい。aqualoginって言うらしい。

こうやって、会社名を入れるとその会社の広報部の人は未来検索とかで見ているのかな?

Posted by takeshi at 08:54 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
小学生時の学びスタイルが人生決める(曖昧記憶法)
ふと思った。思い出した。

俺って、何かを良く記憶するときは曖昧記憶法を利用していた。記憶したいと思って熱心に繰り返し書いたりしても意外と忘れてしまう。しかし、なんとなく読むと覚えていることが多い。なんとなく記憶法ともいう。昔の勉強を思い出しても、公式とかを暗記した記憶がない。はじめは、その公式の意味をおおざっぱに理解する。そのあと、公式をさらっと眺めて終わり。公式を語呂合わせとかして覚えたことはほとんどない。なんとなーく、さらっとよんだほうが覚えている。明確に覚えているとはいえないのだが、ぼんやりと覚えている。ぼんやりとしぶとく覚えているのだ。なぜだろう。でも、これは事実でこっちのほうが記憶しやすかったから、なんとなく記憶法をよく利用していた。昔から、なんとなく記憶法をやっていたので感覚で物事をとらえるようになったのだろうか。

って、考えていたら、これの起源は小学生にさかのぼると思う。それも、学ぶスタイルに起因している気がするのだ。特に小学校の学びスタイル。教育ママとか小学生のときから塾に言っている人は除くが、普通の小学生は学校での学びスタイルによって人生変わる。人生変わるってのは、その時の学びスタイルが、その人の思考方法そのものになってきて人生が定義付けられるようになるのだ。今思い出せば、私は自分勝手な勉強していた。自由ノートなるものがあって、何を学んでも良かった。鳥のことを学んだと思えば、飛行機のこと、魚のこと、農業のこと、算数、自分でやりたいと思ったことをやっていた。この勉強方法はそうとう影響ある。今のなんでも興味がある正確はここから来ているのだろう。あと、制約をあまり踏まえない自分勝手なくらい自由な発想は。それに、日経とか小学生のころから読んでいたから、ニュースとかは今でも好きだし、そんなこと話すの好きなんだろう。前も、小学生のときに人生の大半が決まって、小学生までの生活を見ればその人の将来の大枠は分かると書いた記憶があるが、そんな気がする。

 
Posted by takeshi at 01:00 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
あるようでないもの、ないようであるもの
世の中には「あるようでないもの、ないようであるもの」が多い気がします。

あると思い込んでいただけで、実はなかった。
ないだろうとなんとなく思っていたのに、よーく考えると実際はあるもの。

じゃあ、具体的に何かって、前者は「意識」に関するものが多そう。すなわち、夢とか、何かの理由、とか。

後者は、物質的なもので日常に使わないもの。

まあ、それ以外にもあるんだけど。それ以外のものの方が重要なわけで。何で重要かって、何か今思い浮かばないから重要なんです。「あるようでないもの、ないようであるもの」なんだから、どっちにしろ自分では明確に認識していないんですからね。

思うとか、感じるの中間の意味を表すような言葉ってないですか?
これでは現せない領域があるんですけど。

Posted by takeshi at 12:19 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 28, 2005
国内16頭目のBSE、北海道で!!
国内16頭目のBSE、北海道で見つかったらしい!!
大変なニュースだ、みんな危険だ牛を食うのを控えよう。
国産牛はとりあえずヤバイ、外国の牛肉がいいんじゃないのか!!

って、お前いまさら何を言ってるんだ。といわれそう。
そんなニュース、まったく大きく取り扱われてないぞ。そんなもの知らないぞといわれるかもしれない。

一頭目が見つかったときの危険性と、16頭目本質的なリスクは変わっていないんじゃないのか?
ただ、ニュース性がなくなっただけだろ。それに、同じニュースで前に聴いたことあるから何も感じないだけだろ。

一頭目が見つかったときは大変なニュースにもなったし、国民も危険だとかどうのこうの騒いでいたのに。本質的な意味において、危険なんだったら今でも騒ぐべきであるのだ。

一頭目であんなにも騒ぐべきではないのだ。一頭目に見つかったときにもっと冷静に分析して判断するべきなんだろう。たぶん、16頭目が見つかったときのことを考えても、本当に騒ぐほど大変な事態だったら騒いで見るとか、そういう思考過程があっていいんだろうな。

まあ、それだけじゃ、だめなときがあるけどね。直感のリスク判断能力ってのもすごいもんだから。

Posted by takeshi at 12:28 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
March 27, 2005
なぜ、のっぺらぼうを望むのか
世界遺産を見ていた。
ベルリンをやっていて、空中から都市を撮影している映像の裏でソングオブライフが流れていた。

これを見て、実にいいな。いい。と思っていたのだが、ふと思う。いつものように、ふと思う。一人のときにしかこの感覚はない。人といるとこの、ふと思うことはほとんどないと思う。これもなぜだろう、書いていて不思議になった。これも今度考えるか。

純粋に、私は一人の時間が重要だとかよく言っているし、人に自分の生活を詮索されるのは嫌いだ、俺は俺ほかっとけ、俺がお前に何もしないから、お前も何もするなという考え方だ。まあ、一人が好きで、落ち着く。完全な精神的自由がそこにある。そのような脳がリラックスしている状態でしか、ふと思う脳の部分は働かないのだろうか。

まあ、それはいいとして、なぜ、のっぺらぼうを望むのか?といことだ。上空からベルリンを見た映像は、人間の目線から撮影した町と比べれば、平面だ。で、この前、グライダーからの眺めがいいなと思った。これも、比較的平面というかのっぺらぼうなかんじ。まあ、これだけだと、普段見ない高い始点から見るという珍しさを良いと感じているともいえる。しかし、普段見ない高いところからの視点だけではないと思った。なぜならウユニ塩湖がいいと思ったのだ。ここも、何もない一面塩だ。あと、モンゴルの草原も、海を見るのも好きだ。モロッコのカスバから見た大西洋とか、ロカ岬からみた海とか、ただ単に空を見上げるのも大好きだ。星とか見るのも好きだし。

なんか、平面が好きな気がする。平面等言うかあまりごてごてしていない、なんか、一面さあっーとなっている感じだな。

で、問題はなんでそれを見るといいと感じるのか。いつから感じるようになったのか。

まあ、いいものは言いと感じるんだから、それ以上の理由をああだこうだ言っても意味がない。いいとおもうもの説明するってのは、ただ単にみんなに理解してもらうためだけに後付の理由がおおい。いいと思った本質とは違う。でも、なんでだろう。

一面平面であるということ、特に私が良いと感じるのはかなりスケールがでかい。一面さあっーと同じようなものが続いている状態だ。だから、でかいもの永遠に続くようなものが好き、かつでこぼこしていないものが好きといえるのかもしれない。

で、なんでだ。なんでだ。普段見ていないもの、珍しいものを見たいというのがあるんだろう。それは、いろいろなものにいえる。だから、平面がすきという固有な理由にはならない。

なんだ、なんだ、わからんな。

Posted by takeshi at 11:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
見えない。聞こえない。世界
福島智
東京大学先端科学研究センター助教授

目も見えなくて、耳も聞こえないらしい(盲ろう者)。世界でも盲ろう者で大学の先生はいないらしい。

目も耳も聞こえない人の世界とはどうなんだろう?
言葉とかってどんな感じを持っているんだろう。というか、言葉の位置づけってどんなんだろう?

自分がしゃべっている実感はあまりないらしい。のどが震えるのと体が震えるのでなんとなく分かるらしい。

やれば出来るといっていたが、まさにそうなんだろうな。

私は障害者である、
普通の人間と同じ人間である。
しかし、両社を異なると思う意識を貫く何かを、
見抜かねばならない。

明るくないと生きていけない
面白くないと生きる意味がない

自分の経験とか体験だけで決め付けるんじゃなくて、
教科書の中だけで決め付けるんじゃなくて、
世の中にはいろんな人がいるよって言うことを伝えたい。
ただそれだけ。

純粋にこの人すげぇ。
細かいことなんかどうでもよくって、純粋に盲ろう者が自立できるようにしたいってのと、世の中にはいろいろなことがいることをみんなに理解して欲しいって思ってるんだろうな。

なんか、それがいいこととか悪いこととか、必要とされてるとかされてないとか、そんなことじゃないんだろうな。この人の見ている世界は、生き抜いている世界は。

Posted by takeshi at 11:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 26, 2005
走りながら見上げた空
少し走った。
すると、いつの間にか顔は空を見ていた。
そこにあった空は、あの空だった。
青かった。
そして雲は空を飲み込むような勢いと白さを持っていた。

気分がよろしくないと言うか、少しテンション下がったときにDesperadoを聞くとじっくりいっちょやってみるかと思います。
Posted by takeshi at 02:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
どうでもいい奴をあしらうことの私にとっての大きな意義
タイトルからして、非常に危険ですが、実際にそう思ったので。。。

結論からいうと、一見どうでもいい奴はどうでもよくなくて、私にとって非常に重要な人ということです。

どーでもいいヤツをてきとうにあしらうということは自分にとって大きな価値があると思うのです。特に、私の場合はそうだと思うのです。私はしゃべりながら考えるタイプだから。とかそんなような理由があります。

 どうでもいい人にたいして話すときは、自分が情熱的にならない。自分が興奮して話すことがないのです。だから、冷静に話しています。情熱的に話すと周りが見えなくなってしまうと思うのです。

 で、てきとうにあしらうんだけど、間違っていたり隙があると突っ込まれるから客観的な事実を並べて常識をもとに論理的に話す。すると、突っ込まれないしさっさと話を終えることが出来る。

これが大きな意味を持っている。 自分では真剣にそう思っていなかったり、てきとーにしか思っていないこと、今まで考えてもいなかったこと、そういう発言だ。だが、客観的な事実を元に論理的に冷静に脳を働かせて発言しているので、普段自分が行わない作業である。だから、自分にとって価値があるし、けっこうあたることが多い。将来予測とかあたる。

 心の底から思っていない発言だが冷静だけあってあたるのだ。 こういう発言をするときはボイスレコーダーでとるといいんだろうな。 
Posted by takeshi at 01:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 24, 2005
範囲指定→メール
文字を範囲指定して、そこで右クリックして特定のアドレスにメール送れたら便利なのになぁ。

と思った。

どうですかね?そんなソフトウェアないですか?

Posted by takeshi at 02:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
もし、このブログを。。。
もし、このブログを今日やめたらどうなるだろう?
もし、このブログを売却できないだろうか?
もし、このブログをデザイン変更したらどうだろう?
もし、このブログをアラビア語で書いたらどうだろう?
もし、このブログを私以外の人が書いているとしたらどうだろうか?

「もし、このブログを私以外の人が書いているとしたらどうだろうか?」
読んでいる人はどんな反応をするのだろう。

このブログを書いている奴が”この私”だと思ってよんでいる人、それは実際に”この私”に会ったことがある人だと思おう。そして、その会ったことある人は”この私”が書いていると思って読んでいる。私にあったときの印象や人間性などを踏まえた読んでいる。そして、再びあったときはこのブログの情報が”この私”と言う人間に付加されたという前提で話をする。その繰り返しで、私という人間像が造られていっていると思う。

それは、ブログと実際にあって話すことに整合性があったりするから、ブログを書いている”この私”と実際の私を同じ人物として疑うことなく思っているのだろう。実際の私もこのブログを読んで話をあわせているだけかもしれない。

実際の私とブログを書いている”この私”が違ったとしたらどうだろう?どのような印象を受けるのだろう?

とか、思ってみました。まあ、実際は同一人物だからどうでもいいんだけど。

Posted by takeshi at 12:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
心のそこからインターネットをスゴイと感じるとき。
心のそこからインターネットをスゴイと感じる時というのは、何の変哲もない(有名でない)一般人がインターネットの先っぽにいると感じたときです。

私が、インターネットをすごいと感じるときはもちろん新しく面白いサービスがリリースされたり、この技術がこうやって使われるとすごい面白くなるんじゃないかと考えたりするときもあります。

でも、心のそこからネットってすげーと思うのは、インターネットを介して、何らかの共通することを通じて普通の人とつながったときではないのかと思いました。そいで、なんか助けてくれたり、同じ感動を共有できたりするといいんだよね。

旅先三日目
http://www.teratown.com/blog/archives/001466.html
http://www.teratown.com/blog/archives/001457.html

W31K
http://www.teratown.com/blog/archives/001449.html

これらを通して思ったわけです。はい。

先日某氏と「私」とはどこまでか、極限的に何を指しているのか、って話しているのは面白かったです。私は、哲学史の知識がないんですけど、それだから自分の考えが自分にも面白くうつりました。
Posted by takeshi at 12:58 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 23, 2005
旅先三日目
先日、かいた角田光代さんの記事。

旅先三日目という作品が究極に良かった。のですが、メモり切れなかった。それで、日曜日からネットにつなぐたびに探していた。すると、見つかりました。さすがネット。

角田さんのオーラと私というテーマの作品です。結局自分にはオーラがないのが当たり前だと思った層です。
以下引用。

旅先三日目

旅に出る。見知らぬ町に着く。
幾度も迷いながら歩き回り、
だいたい三日目に、自分が、まるごと
その町に溶け込んでしまったような
錯覚を抱く。
体が急に軽くなる。
仕事も名前も年齢も
私は、なんにも、持ち得ない
持っていたとしてもここでは
まったくの無用だと気づく
それはちっともさみしいことではなくて、
むしろすがすがしい気分である。

旅から帰ってくると、つい、
何かもっているような気になってしまう。
仕事、家、友、約束、銀行口座、名前、年齢。
実際私たちはそうしたものを背負って
日々よろよろと暮らしていて、
ひとつでも失うとなんとはなしに不安になる。
けれど実際のところ、本当には、
私はなんにも持っていないんじゃないか。
持っている気になっているものはすべては、
思いこみとか、一時的に預かっている
何かなんじゃないか。
そのことを忘れそうになると、
私はいつもあわてて旅に出る。
旅先三日目のあの
空っぽな気分を思い出すために。

角田光代
Posted by takeshi at 09:20 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 21, 2005
アドセンスを偶発的検索ツールとして使う
前も書いたと思うけど、なんとなく気になることをエントリーして、アドセンスの広告もそのページにはっつけておくとなかなか面白い広告が張られることがある。広告を貼り付ける側も、キーワードとか考えているからね、マッチングするんだろう。面白いな。

で、docksonというサービス。写真を撮った人が写真を登録して、写真を買いたい人が変えるという仕組み。そんでもって、写真をとった人にはお金が落ちるシステム。

ネットでは良くあるビジネスモデルだが、知らなかったし、直感的に写真を登録したいと思った。なんか、いいんじゃない。もちろんただで探せばいくらでもあるのだが、安い金で、ある程度の質のものが、どんなジャンルでも大量にあるという状態、かつ宣伝がうまくいってデファクトをとれば、みんな使うようになるんだろうな。がんばって写真を探してただで引っ張ってくるほうが、時間もかかるしめんどくさいということになって。

まあ、こういうサービスががんばってくれることによってネット上の著作権問題なんかは自然に改善されていくのだろう。

ネット時代は個対多が容易に可能な時代だから、副業が本当に多くなるんだろうな。

http://www.dockson.com/

Posted by takeshi at 11:34 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
良く分からんこと
新しいとか、
普通じゃないとか、
極限とか、
馬鹿とか、
不思議とか、
答えがないとか。
想定外とか、
常識を逸脱しているとか、

なんか、中心から離れたものが好きな人間なようです。
Posted by takeshi at 10:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
超天邪鬼最大活用法
忙しいとき、しなければならないことがある時って、ほかの事をしたくなったりする。それに、ほかの事の良いアイディアが大量に思いついたりする。

熱中していること意外の頭が無茶苦茶さえる。しかし、普通はこれは邪魔者扱いされる。そして、いかにこの邪念を排除して、mustなことに熱中するかを考える。

勉強を例に取れば分かる。試験の前になると、他のことがやりたくて仕方がなくなる。試験が終わったら、あれをやりたいこれをやりたいと。でも、テストをクリアしないといけないので、部屋の遊び道具を片付けたり、ファミレスで勉強する。

しかしだ、せっかくさえた発想をしたなら、それを活かさないのはもったいない。だって、あれやりたい、これやりたいってテスト中に思っても、テスト後に忘れて時間をもてあますことが多い。じゃあ、メモすりゃいいじゃん。メモ。

俺もそうしよう。これだめだ、ともったり。やりたいけれども、今はやる時期じゃないとか思ったら、メモしたり、せっかくなんだからそれについて考えちゃおう。

イメージ(≒シュミレーション)とメモ(文字でも絵でも書き残す)これがポイントですな。

Posted by takeshi at 09:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
体で覚える
先日、ジュニアNHKスペシャルで体で覚えると言うことをやっていた。

小脳と脳のどっかが関係しているらしい。そんで、失敗したら電気信号を拒否するから記憶に残らず、成功したときだけ、電気信号を受け入れ記憶に残るとか言っていた。

で、体で覚えると、長期間立っても忘れないジャン。なんでだ?と思っていたら、今日、テレビ東京のサイエンスロマンSP最新科学が解き明かす“天才の脳”の真実!!~人類の果てなき夢が生んだ…奇跡の物語~ でやっていた。

小脳は一度記憶したことをほとんど忘れることがないらしい。

これが、答えみたいです。

でも、何でだ?体で覚える、ってのは手とか体とかなんかそういうものを使ったときに、小脳が働くみたいなことをいっていたんだけど、じゃあ、手を動かしたことでも忘れることがあるんだけどな。なんでだろう。その小脳が働くか働かないかの違いは何だろう。それとも小脳は働くけど忘れるのか忘れないのかの違いは何なのだろう?

それにしても、脳って不思議でたまらんよな。

Posted by takeshi at 09:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
PCと手書き
私たちの世代までは、手で書くということを通して学んできた。しかし、最近育っている子供は小さい頃から、PCで入力しているから、PCでも不便なく算数できるようになるみたいな話を聞く。

まあ、手書きのほうが書く自由度があるとかいう話は置いておく。

大人にもこれが当てはまるのかなと思ってみる。まあ、慣れている人は、慣れているのだから当てはまる。

手書きをした時間をPCで打つ時間が超えたぐらいで、PCのほうが打ちやすくなるとか?まあ、子供の頃のほうが影響が大きいから一概にはいえないなぁ。

Posted by takeshi at 12:17 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 20, 2005
自分が自分じゃなくなる
人間の細胞はどんどん変わる。私は数年前の私とまったく違う細胞だと聞く。すなわち私は私でない。のだが、私は私なはずである。脳の記憶などから勘案すると。

まあ、寝たら新しい人間に毎回変わっているかもしれないがそれを肯定することも否定することも出来ない。出来ないと言うか、わからない。

で、さっきエントリーした情熱大陸での角田光代さんの行動をみてふと不思議に思った。

彼女は最近の直木賞をとった作品のアイディアノートを見せるのは恥ずかしいと言った。しかし、幼稚園の頃の作文は躊躇することなく見せた。別に、どってことないことかもしれないが、不思議におもってしまったのだ。

過去の自分は自分じゃなくなっているのだろうか。と思ったのだ。

作文と言う完成品と、アイデアノートという未完成品という大きな違いがあって、そこが躊躇したかしないかの最大のポイントである可能性は、ちょっと横に置いておいて考える。

どちらも自分が生み出したものである。大きく異なるのは書いた時期なのである。30年ぐらい前のものは躊躇せず見せた。しかし、この1年ぐらいに書いたアイデアノートは躊躇した。

アイデアノートは自分なのである。だから、自分が見られるのは恥ずかしいから躊躇した。しかし、30年前の作文は自分じゃないのである。自分が生み出したものであるが、自分の中に明確な記憶がないので、連続した自分ではない。明確に今の自分と30年前の自分は断絶されている。さらに、記憶にあるないという次元を超えて、過去の自分は今の自分とは関連性がない(非常に薄い)ものだという意識を持っている。いつの間にか持ってしまった。それが、どのくらいの期間で、そういう意識を持つかはその時々だろう。まあ、いずれにしろ、意識の中で過去の自分は自分ではなくなったので恥ずかしくないのではないかな。と思った。

何らかの理由でリアリティがなくなった時点で、自分じゃなくなっている。大雑把に言えば時間がそうさせたんですよ。理由は記憶かもしれないし、その時の脳細胞が全て変わったのかもしれないし、なんかは知らないが。
Posted by takeshi at 11:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分の思い出写真集
ヤフーのトップページにある、バイク特集みたいなとこから飛んでいったら国井律子さんって人のページへ行った。この人のページを見ていたら、なんか人生をむっちゃ楽しんでそうだった。やっていることか、考えていることがかなりいい感じで、かなり気に入った。
http://kuniritsu.com/index.htm

で、そこからまたジャンプして、photobackなるページへ行った。これは、自分の撮った写真を写真集というか写真冊子に出来るページだ。多少編集できたりもする。それもウェブ上で出来る。けっこうおもしろい。さらに、1冊から作れて、送料込みで2500円ぐらいから作れる。

作りたくなった。大学時代にいろいろなところへ行ったときにとりためた写真を編集して世界で一冊だけの写真集でも作ろうかな。大学時代が一冊に閉じ込める。みたいな。

脳内っていう何でも書きまくっているノート
ブログ
いろいろなところでとった写真
旅行先で書いた日記

自分の宝ものです。その中に写真冊子も入るかな。

http://www1.photoback.jp/open.aspx

Posted by takeshi at 11:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
角田光代さん-情熱大陸-
角田光代さん。
直木賞をとった人らしい。
彼女が、今週の情熱大陸。
見る前は、正直つまらないんだろうと勝手に想像していた。

番組を見てパンチ食らった。マジで食らった。
彼女の作品はよんだことがないから、私が好きかどうかは分からない。

だが、番組で話していたことや旅先3日目という、自分とオーラについて書いたエッセイはたまらなく良かった。本当に、マジで、いいよ。旅先3日目とかほんとにいいは。彼女のエッセイでも読んでみよう。
一人で旅に出たり、旅じゃなくても、ふらっと出て行く人。
ツアーとか群れて行くこともあるけど、メインはひとり。
そんな人。なんか好きだ。だいたい、あてはまるな。

「書き続けるために、書かない生活を守る。」って重要ですね。
自分でコントロールできる人はすごいなぁ。

旅では一期一会、二度と会わないから気持ちよく別かれたりする。日常生活でも旅のような印象を持っている。だったら、日々も気持ちよく通り過ぎたほうがいい。

彼女が通っているボクシングジムの輪島さんが「同じことを繰り返す事をやる人間と嫌う人間では、大きな差が出てくる」といっていた。確かにそう思います。肝に銘じておきます。

旅先三日目
大体三日目に、その町に溶け込んでしまった印象をもつ。体が軽くなる。仕事も名前も何も持っていない。無用だと気づく。それは寂しいことではなく、すがすがしいこと。
旅から帰ってくると何か持っているような気がする。名前や、年齢、地位、そうしたものを背負っていて、一つでも失うと不安になる。けれども、それらは自分で思っているだけで、実は何も持っていないんじゃないか。そのことを忘れそうになると旅に出ようとする。

こんなような内容だった。でも、もっと良かった。数段と良かった。どっかのブログに全文ないかなー。

毎日一人、旅人になる。

Posted by takeshi at 11:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
すぐ眠れるときと眠れないときの違い
すぐ眠れるときと眠れないときの違いってなんだろうか?

いろいろな要素があるんだろうけど、不思議だ。暇なときに考えてみよう。

Posted by takeshi at 06:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
素人が素人でなくなる時代
素人が素人でなくなる時代という表現が良いのか、素人が一瞬で有名になっちゃったり、プロっぽいこと出来る時代と言うのか。

まあ、ネットの時代、個から社会にインパクトを与えられる時代だなと再び思ってみたり。

Posted by takeshi at 11:36 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 18, 2005
含蓄のある考え・言葉
ワトソン・ワイアット 淡輪 敬三社長

・日本に一番インパクトを与えるの人は経営者
・強い現場×強い経営
・ボトムアップの経営者では次の世界を作り出せない。
・未経験也のリスクを持って、怪我をして成長する。未経験だからイノベーションを起こせる
・日本のビジネススタイルは法律に起因する。判例法のためグレーゾーンが多い。
・ソニーの経営が一般的ビジネスエリートのアメリカ人で経営して成功したら、日本企業をアメリカ人が経営できると認識され、外資が株価が安い企業をTOBしてアメリカ人の経営者を送り込むだろう。そうすると、株高くなる。
・自問自答の経営(経営をまじめに考える、行動の裏にある考えやビジョンを考える)
・将来なりたい姿がビビッドに描かれていて、それを心のそこからやりたいと思うこと。→その中には挑戦があり、成功したら一気に成功できる
・組織には「火」がないとだめ。→活気、エネルギーのある会社。火をつけるのが経営者の仕事
・枠組みの変更を行うには、ボトムアップ経営者では無理
・アメリカではトップが仕切って決めて、リスクをとる。だから、給料が高いし、監視としての社外取締役がいる。
・「なんのために」を深く深く考える
・「誉(存在意義そのもの)」があれば人が集まる。
・「志」が高ければ、顧客を感動させられる
・問題解決の思考p路背巣は基本的にどんな仕事でも同じ。
  1現状を率直に、深く構造的に捉える。
2ヘリコプター型タイムマシーンで未来を考える(仮説) 俯瞰する&5年後をリアルにイメージする
3今と未来をつなぐ経路の分岐点(成功するか田舎の最大のボトルネック、ターニングポイント)を定め、そこに集中して行動する。
・ディテールを知り、背景を見て考え、未来を構想する
・具象と抽象を行ったりきたりする訓練を積み重ね、思考の生産性を高める
・プロ=プロ根性 誰が顧客なのかと言う意識を持つ
→顧客には決して言い訳をしない。期限内に最高のものを提供する。
  →自律、みずかわをモティベーと出来る
・一流の条件 経営視点、場数=修羅場、課題解決 市場価値がつく
ポテンシャル=地アタマ×素直さ(素直に学ぶ)×価値観(こだわり、自分なりの軸)
メンタルセット ROAのASEET思考 自分のアセットをどう増やすか

・What’s your Value?(組織で、行動で常に自分に問いかける)
・自信の変革シナリオを常に検証し、修正する
・組織と個人のwin-winの状態を作り出す。ゴール(利益)の方向性を同じにする
・周りの仲間に徹底的に自分をディスクローズ
・フラットなネットワークを活かす
・「おごり」が成長を止める。謙虚たれ
・「みきる」soul searchを続けても理想はない。理想はないからこそ理想なのである。納得したら、理想を追い続けるのをやめて、こうだと決めて行動する。
・客観視して、自分が何者かを見極める。自我の確立
・「経験から生まれる志」

レーサムリサーチ 田中剛社長

金の奴隷・・・借金を踏み倒してでもベンツに乗る人
金の支配者・・・・連帯保証人になってしまい、それでも必死でお金を返す人(自分のプライドが金に勝っている)

リスクマネジメント大嫌い。ある業務を一人でやっていると、その人に何かあったら、業務が回らなくなる。だから、リスクヘッジとして、その業務にもう一人あてがう。しかし、こんなことされたら、やる気や当事者意識がなくなる。だから、リスクマネジメントは嫌い。

ハーバード卒と中卒の人が一緒に働ける環境を作りたい。機会は平等にあり、それぞれの能力を発揮できる会社。

誰よりも先に、誰もやったことないものに投資をする。

社長になれば自分の思っていることを一番自由に出来ると思っていたが、周囲からの規制や制度など一番制約があるやりたいことができない仕事だ。

出来る出来ないではなく、やりたいかやりたくないか

価値が見出されていない資産の流動化(価値向上)

自分がホンキでよいと思ったものしか、人に薦められない。自分がマジになれないと、客にも伝わらない。

知らなきゃ、やってみなきゃビジネスチャンスは見えてこない。(経験から生まれるもの)

Posted by takeshi at 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 17, 2005
何かを始める前にやっておくこと
どんなことでもいいから、何か始める前にやっておくこと。

・やり始めることに対する自分のイメージや、考えている問題点、なんでもいいからメモしておく
・感性豊かでかつ分析能力のあると自分が信頼できる人をおく。それは、何か物事を始める前の自分を知っている人に限る。かつ、その物事(プロジェクトなど)に直接および間接的にかかわらない人に限る
そして、一番忙しくなって周りが見えないときに見る。それと、その信頼できる人にコメントをもらう。
Posted by takeshi at 10:02 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
天邪鬼道か不器用なまっすぐな人間か
タイトルとまったく違うことを書きます。

コメントスパム。相変わらず嵐のようにやってくるコメントスパム。ある程度たまったら、消しているけど、消す気がなくなるほど多い。それに、コメント書く気がなくなるであろうとも思う。まあ、仕方ない。

まあ、それはいい。コメントスパムなんですけど、意外といいんですよ。何がいいってね。コメントスパムの意味を考えてくださいよ。コメントを打ちまくって、RECENT COMMENTSのところに表示させて、本文のページへ飛んで、コメントのところから自分のサイトへクリック誘導することでしょ。そうそう、RECENT COMMENTSのところに表示させて、本文のページへ飛ぶ。ここで終わるとすごいメリットがある。私はエントリーしまくっているので、昔の記事を読もうと思っても、はじめから読むのも面倒だし、あえてランダムに読むに気もならないけど、コメントスパムがあればそのエントリーを読むきっかけになる。そして昔に書いた文章を読めるのです。ああ、やっぱり俺ってこうやって思っているんだなと納得したり。けっこう面白いです。

物事はとらえようだなぁ。本当につくづく思う。
天邪鬼道か不器用なまっすぐな人間か。
この両者は違うキャラクターのように感じるかもしれないけど、持っている要素は似ている感じがする。
あと、価値観が同じと言うか、物事の捉え方およびそれに伴う単語(言葉)の意味が共有できる人はいいねぇ。マジで。

私の物事に対する感じ方は人とはちょっと違うみたいで、理解されない場合がある。それを共有できる人はいいね。まあ、そういう人は社会からちょっと外れた、でも自分に正直すぎる人なんだよな。

やっぱり、ブランドとか金とかだけには興味がいかない。もっとワクワクすることやワクワクする人のほうが断然プライオリティ高い。じゃあ、何にワクワクして、そのワクワクさせる源は何かと考えると難しい。そこのところ考えてみるか。

Posted by takeshi at 09:45 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
京セラのCM
また、CMの音楽かよって。

そうです。

京セラのW31K とW21KのBGMが良い。そして、どんな曲なのかを探していたら、分かりました。

W31KのCMは「COME BABY」という曲で 「Q ft.アマドリ&SCLL (キューフィーチャリング.アマドリ&エスシーエルエル)」が歌っているらしいです。

W21KもQ ft. アマドリみたいです。

この曲って売ってないし、ネットからもゲットできない。。。何とかして欲しいものです。

方法はないですかね。

Posted by takeshi at 09:18 PM | コメント (1) | トラックバック (1)|
原理主義的で、感覚的
原理主義的で、感覚的にこれだと思うときと、

批判的なときがある。

これだとおもうと、いつの間にか、行動している。本当にやりたいことはいいわけとかしなくて、やっちゃう正確なんだな。

私は、けっこう温厚なほうだと思う。でも、嫌いなものは嫌いだ。絶対に嫌いだ。それを聞くだけでも、自分の近くにあるだけでも嫌いだ。

理想はないからこそ理想なのである。ある程度でみきることも重要

Posted by takeshi at 05:46 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 16, 2005
心地よさの不思議
初めて聞いたからこそ感じる心地よさ、
何度も聞いているから感じる心地よさ、

音楽に限らず、そう感じることがある。

心地よいといっても、違うものに、違う心の反応が起こっているのだろう。
同じ音楽と言うものでも、心地よいと感じる理由は違うのだろう。

それに、音楽って何度も聴いたことある曲だとさびを聴くだけで全部を聞いたぐらいの効用があるときがある。それは、脳がイメージしているからで、それが心地よいのだろう。

あと、2倍速で聞いたら心地よさは少なくなるんだけど、倍速で心地よさを感じれないのは、そのリズムだからこそ感じるからなんだろうな。

Posted by takeshi at 02:39 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 13, 2005
2001年2月25日
高校2年の頃だろうか。4年ぐらい前かな。

この日、情熱大陸で、松井 龍哉 さんをみて一人でワクワクしていた記憶がある。そして、メールを送って返信をいただいた。

そして、ROBODEXでは、直接お会いすることも出来た。PINOとかデザインした方です。

そんな松井 龍哉さん、何気なく情熱大陸の過去データを見ていたら、思い出した。そして、ググッタら、いろいろインタビュー記事が出てきた。それをよんでいると、すげー共感すると言うか、しっくり来る。やっぱり、おれが、これだと思う核は変わっていないのだろう。

ああ、なんか今日はワクワクすることが多い。
こんなことが書かれていた。

今も僕、バックは肩から下げるやつ。要するに両方の手は、物を創るために空けてある。

物を創る人は、本質を知っている
それに、デザイナーの基本というのは、現場に足を踏み入れた瞬間、平行・垂直・水平をわからないといけないんですよね。ものが曲がっているかどうかを一発で指摘できないと職人さんになめられるんですね。

平行・垂直・水平を瞬時に判断するためには、常にその訓練をやっておかないといけないんです。だから机の上にものを置くときは、90度で置く。自分のやりたいことというのは、生活のバックグラウンドがないとできないんですよね。ほんとにすべてが生活ですものね。

 
Posted by takeshi at 10:57 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
まんま
長い間の知り合いには、俺という人間はある固定的な見方をされる。
俺は、こういう奴だとか。
それが、生きるうえで制約になりかねない。その期待にこたえるように。行動を期待されると言うことだ。まあ、っそれが、社会一般で言う世渡り上手の人が出来ることなんだろう。みんなからの人気者なんだろう。

ま、そう生きるか、そんな相手の見る、想像する俺なんか無視して、生きるか。それは個人の自由なわけである。

おれは、そんな他人の見方はどうでもいいと思っているが、完全にそうとはいかない。まんま。まんまをあらわせれるようになったら、個人的に一番楽(らく)で楽しいだろうな。

で、ジミー大西先生がすげーいいこと言ってる。

期待へのプレッシャーは?と言う質問に対して。

そんなことはどうでもいいんですよ。
僕にしてみたら
新しいものが出来ていくほど
僕はうれしいことはない

ジミー大西

Posted by takeshi at 10:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 12, 2005
地に足付け 頭雲抜け 進む前に前に前に
テレビつけてたら、何か耳に心地よく入ってきたCMがあった。以前も少し気になっていたCM。

横浜タイヤのCMだ。
http://www.yokohamatire.jp/yrc/japan/library/tvcm/

これは、デンマークの海洋風力発電の映像が出ているのと、砂漠の一本道が出ている。この映像もなかなかいいもんだ。そんで、BGMもなかなかよかった。

「地に足付け 頭雲抜け 進む前に前に前に」
歌詞の一部。なかなかうまいこと言った歌詞ですなぁ。
ので、早速聞いています。もちろん一極連続リピート。
Def Tech / My Way

Posted by takeshi at 10:13 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
往生際の悪い奴
僕は、しぶとい。

そう思う。

スポーツをやっていたわけではないが、小学校の文集のクラスのページのランキングでは長生きする人で常にランクインしていた。それくらいしぶとい、ウザイ奴と小学生の頃も周りから見られていたのだろう。笑

そういえば、小学校6年生の文集のクラスページを何にするかの学級会で、先生が子供に質問した。
先生「クラスのページ何にしたいですか?」
僕「白紙、メモ帳がいいです。」
先生「てらまち君の意見は置いといて、他の意見ないですか。」
僕「(心の中で:ふざけんなボケ)メモ帳にして、みんなお互いに好きなこと書いたほうが思い出になると思います」
って、それっぽい理由を付け焼刃で言った。そんな思い出がある。

文集で思い出したけど、こんなこともあったな。今思っても、すごい案だと思うんですけど。面白いと思うんだけどな。なんで、先生は考慮もせずに切り捨てたのだろう。切り捨てるから、こんなひねくれた子が育つんだよと言いたいね。笑、逆にそういう発言をしたときに、先生が全て真剣に受け止めていたら、どういう風に育っていたのだろうか?さらにひねくれた可能性があるな。ということは、それを踏まえたうえで、先生は対応していたのだろうかと考えてみる。

で、しぶとさは、ずっと昔からこんなことを思っていたことでも、分かるかもしれない。

一対一で綱引きをしたとする。そうしたら、僕は体力では負けるかもしれないから、綱引きのゲームでは線を割って負けるかもしれない。でも、僕は、綱に必死で捕まって、皮膚がすりむけて血が出ても、ついていく自信がある。

人に言わないと決めたことは、殺されても意地でも口をあかない。とか。頑固だな。頑固爺だ。

で、そんなことが言いたかったわけではない。しぶとさ。
ちょいと違うが、往生際の悪さを言いたかったのだ。

僕は花粉症だ。今週からすごい。鼻が詰まるし、目は痒い。マスクはしているし、薬も飲んでるし、のど飴も。

僕は、周りの人には花粉症でつらいといってきた。だが、心の中で認めてきたかというと、断じて認めていなかった。認めてやるかという感じだ。俺は花粉症じゃない。とか思って、気持ちだけでも花粉症になりたくなかった。某氏が花粉症にならないのは、気合が入っているからとぶっ飛んだことを言っていたが、それと基本的に同じだ。

しかし、ついに、自分の中でも、花粉症と言うのを認めることも仕方がないのかなという気持ちになってきた。。。

Posted by takeshi at 09:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
まんま
まんま、そのまんま。
僕と同じキャラの人が、世の中にはいる。
それは、まったくではなく、核が同じ人。

あっているかどうかは知らないが一方的に、そういう人を感じる、分かる。

その人の細かい行動。しぐさ。
一呼吸おいた一言。

それらに、ふむ、とうなずける。
せこいことはしたくない。
Posted by takeshi at 09:36 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
せこいことはしたくない
今日は、久しぶりに東横線に乗った。
1年ちょっと前まで日吉に住んでいた。そのころは使う電車といったらイコール東横線。

みなとみらい線が開通する直前ぐらいに東横線にはサヨウナラをした。

乗っていて懐かしかった。懐かしいと言うか、なんだろうか。うーん、東横線だと思った。ってそのままじゃん。

で、チングの初個展に行き少し話した。少ししか話していないんだけど、なんかよかった。

失敗したからこそ、分かったという話はふむふむと思った。

で、一番しっくり来た言葉。
せこいことはしたくない。

僕もそうだと思った、たいしたない言葉ですが、なんかそうだと思った。俺の人生を振り返ると自分がせこいと思ったことは許せなかった。

そっか、せこいことはしたくない。

Posted by takeshi at 09:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 11, 2005
ソニーに関して、私の予想は外れましたね
そーいえば、ちょいと前、ソニーのトップ人事があった。

私は、久夛良木健さんが次のトップになると予想していましたが、外れました。この方は、もともと相当自分の道を貫く人で、プレス手で成功しました。その後本社の副社長になって、バランス感覚もつけてきたように感じた。それになんといっても、頭が良くてファンキー。こういう人がトップになればさらにソニーも面白くなると思っていた。

あと、個人的に徳中暉久さんがソニーのブレーンだと思っていた。と言うのも、2003年株主総会での言動を見ていたらそう感じた。言動と言うのは徳中暉久さんだけでなく、出井さんの言動を含め、徳中暉久さんが前に出ないが重要なポジションだと思っていた。出井さんが分からないと、徳中暉久さんに聞いている感じだった。出井さんと徳中さん以外が話しているときに、こっそり耳打ちしたり。それは徳中暉久さんの専門でないことでも。CFOの方はイマイチだったし。、しかし、徳中暉久さんが話すことはなかった。だから、この方はもう少し続けるのかと思ったら、取締役を退任されるらしい。

まあ、ハワード・ストリンガーさんという、外国の方がトップになったわけだが、どうなるか面白いと言うのはある。大賀さんが、裏で操ったとかマスコミの報道はありますが、面白い人事ですね。ソニーどうなるんでしょう。設立趣意書の精神は貫いて欲しい。
そういえば「正義」というなまえや「正」「義」さらに「健」という文字が入っている人が好きだ。好きと言うよりも、いろいろな尊敬する人を考えてみたら、このような文字が入っていた。「孫正義」「柳井正」「堀義人」「久夛良木健」「茂木健一郎」などなどね。いっておくと、私は正義(せいぎ)なるものがあるかどうか知りません。いわゆる社会一般の正義は、ない可能性が高いです。ただ、個人にとっての正義はあるのかもしれません。

WBSでゴーンさんが出ていた。日産で6年やっていたらしい。そんなにもかぁ。と感じた。はじめはたたかれていたけど、今はたたく人なんていない。国民の大半なんて、そんなもんだ。まあ、批判されると言うのは、すごい人、能力のある人の証拠であるのも事実。

一番はマインドセット、行動、基本的ものの見方を変えられた。らしいです。

Posted by takeshi at 11:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
南米というワクワク感
友達が、南米から帰ってきたというメールと写真を送ってくれた。

たまらんで、本当にたまらん。何気ない短いメールなのに伝わってくる。もともと、僕が南米に対してワクワク感を持っているから、そう読み取るのであろうけれど。

いやー、すげー。南米行きたい。

治安も悪くなく、飯もうまく、物価もそこそこ安く、いいらしい。送られてきた写真の青がいいです。空と海の青。そして白い雲。たまらんです。

もう一度行きたいと書いてあった。いや、いい。たまらんです。

やっぱり、一人で貧乏旅行しないと分からない地域と言うものはあるのだ。
まさに、そのひとつが南米であろう。

Posted by takeshi at 09:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
作りたいもの
学校(学校じゃなくてもそれに類似するもの)
美術館(有名人のを置くのではなく、自分が好きな売れる前のアーティストの作品とか友達の作品とか、自分の撮った写真や作品を展示する、家とは分離されてて、美術館はそんなに大きくない、カフェが一回にあって芝生に面したオープンカフェ、図書館も併設してる。友達がいつでも集まってこれたり、食事できるスペースがあるといい。世界中のビールとかが置いてあったりするといい感じ。毎月一回ぐらい特定の日に集まる日なんか作りたい。サックスとかオーボエとか篳篥とかピアノとかバイオリンとかの音色が好きだからそれらの演奏する部屋も欲しい。アトリエ的な工作できたり汚したりしてもOKな部屋も欲しい)
すっごい古風な家(中身も外見も)
すっごくさい先端技術をすべて取り入れたような家(中身も外見も)研究所のような未来の生活を先取りした部屋
山とか海とか(無邪気に遊べるところ)。それの近くに家があるといい。ログハウスっぽいの。
秘密基地っぽいものを作りたい
みんなが心踊る仕事が出来る場
アートしたい、なんか作品作りたい。
みんなで遊びっぽくなんかしたい。

って、国が作りたいのか?ええって。
宗教かって話になっちゃう。

まあ、そのところ、踏み外さないように自己満足と社会性のエッジで生きるのがポイントだな。
Posted by takeshi at 08:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
洗剤のにおいのまやかし
今日、洗濯をした。

洗剤のいつもの”あの”においを感じた。
ふと思った、洗濯物がきれいになった(きれいになる)と。

あのにおいをかぐと人間は洗濯がきれいになると言う情報が脳に浮かぶ。においと情報(結果の情報)が結びついている。

いままで何回も洗濯したけど、今頃気がついた。

思ったけど、洗剤のにおいのしない洗剤を発売したら売れないだろうな。一回は買っても、何かきれいにならないイメージを知らず知らずのうちに消費者が持って、リピータにはならないだろうな。超長期スパンで見たら違うだろうけど。

Posted by takeshi at 07:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
無意識下での情報処理量が決定付けるもの
無意識かにおける情報処理 能力が頭の良さを決める 意識的に同時に複数考えるのは限界がある いつもいうように人間は無意識かにおいて情報処理する その量によってさがでる 意識かにおける処理量は変わらない 無意識かにおける処理は習慣や日々の細かいところへの配慮の積み重ね ワーキングメモリかな
Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 10, 2005
妄想するとき
入浴
就寝前
電車の中
[歩いている時(特にリラックスして歩ける場合、よく歩く道とか安全な場所とか)]

この三つが、妄想をするベスト3らしい。特に入浴中はNo1
私がいつも入浴中に考えていると、ブログに書いているがまさにそのとおりだったんだなぁ。

人間とは何気ない行動や、さっと頭をよぎったことが本質であることがある。
それをいかに、文字にしたり記憶したり出来るかって難しいけど、毎回出来たら面白そう。

感じただけで、そのままにしていくことにも意味がありそうだけど。

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 09, 2005
たけし先生の番組
たけしの地球極限SP人類20万年!奇跡の旅

TBS放送でCBC制作の「たけしの地球極限SP人類20万年!奇跡の旅 」をやっていた。

たけし先生はこういう特別番組によくでる。世界の4箇所の極限の地としてやっていた。アフリカ・ナミビア、フィリピン・スールー海、ボリビア・ポトシ、グリーンランドらしい。

愛知万博がらみの特番らしい。

なんと、ボリビアのウユニをやっていた。この前世界不思議発見でもやっていた。今回もマジで興奮。いいね、ボリビアのウユニ。行きたい。

そんでもって、東京農業大学の小泉武夫先生。この人もかなりいい感じの先生です。相当のツワモノ。むかし、情熱大陸で見てからファンでした。

そんでもって、行きたいと思っていけていない、国立科学博物館からたけし大先生が放送していた。

ウユニはダラス、マイアミ、ボリビアラパス経由でつく。日本から40時間かかる。標高なんと3700m ウユニ塩湖。サボテン最高。マジ、いい。知らない星に迷い込んだ気分。

石田ゆり子先生が、ボリビアの最終日の日記でこんなことを書いている。写真もいいので、リンク富んでみてください。以下引用

セスナ。
セスナは怖い。
あの、まるで葉っぱに乗ってるような感じが怖い。
紙ひこうきに乗ってるような感じも怖い。
昔は怖くなかった。10代、20代のころは。
最近になっていろいろ怖くなった。
情けないけれど。

さて。今日は、くだんのセスナに乗ってウユニ塩湖へ。
ボリビアには海が無い。
しかし数万年前、そこは海だったということを証明するもの。それが
塩の結晶がえんえんと・・四国ほどの大きさもある(信じられない!)ウユニ塩湖。
まぶしい。
白い。白すぎる。そこは・・・・・・・・
すごい・・すごすぎる・・・ここはどこ?
まるで「星の王子さま」だ・・。そんな感じなのだ・・
地の果て。そんな感じでもある。

帰りのセスナは揺れた。酔った。参った。
セスナにはもう乗りたくない。
怖くて酸欠のことも忘れた。

しかし。この旅は。なにか、修行のような旅でもあった。
貴重な体験だらけだったけど正直辛かった。
だけど
わかったことはたくさんあった。
人間の強さ。そしてちっぽけさ。
大自然の偉大さ。
酸素のありがたさ・・
一生忘れられない旅だった。

みんなありがとう。いろいろ弱くてごめんなさい・・・。

日本に帰ったら私は、最初に何を思うのだろう。
今は何も考えられない。

引用終了

なんか、いいね。まさに南米、ボリビア、ウユニな感じ。
うみつばめを2年間放置したものを生で皮をむしって食べていた。さすがに、あれはきついな。生臭いとか言っていた。でも、食う機会なんてめったにないから食うかもなぁ。

小泉先生とたけし先生いわく食べると言うことから全てが生まれた。宗教も数学も道具も。

人は生きることが究極の目的

生きがいは?
アフリカ:牛を育てること
グリーンランド:猟をすること
フィリピン:漁をすること
ボリビア:ジャガイモを育てること

生きがいは全て、食うものをえる手段。

まあ、どこまで正確に訳しているかはしらないし、テレビの相当ひん曲げられた報道を考慮に入れたとしても、やはり人間生き抜くということが根底にあるのだろう。人間は動物と違って、発達した生き物で、食べることだけじゃないという。しかしだしかし、食べることの重要性を忘れるなといいたいね。実は今後の世界は食べることが相当重要になってくるんじゃないかな。それは、人口問題と食糧不足を含めてね。

未来社会を考え、語り、作る会みたいなのを作って、世界の現状を把握し、今後どうなっていくかを定期的に話したいね。毎回、切り口を決めてやっていく感じ。人口だったり、政治だったり、科学技術、情報技術(コンテンツ、インフラ)とか、量子論とか、宗教とか、食料とか、気候とか、宇宙とか、エネルギーとか小型薄型とか、ネットワークとか、光とか組織とかね。

Posted by takeshi at 09:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夏の鍋
冬には鍋があるが、夏には鍋がない。

ああやって、みんなで飲みながら話しながら食べられるものが夏にもあれば。

なべをやるといえば、友達を誘える。久しくあってない人でもなべをやるからといえば会える。

そんな夏のなべあったらな。
作ればいいのか。
Posted by takeshi at 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
メディア芸術祭
メディア芸術祭なるものが東京都写真美術館でやっていた。ここにくるのは、ロバートキャパ戦争写真家の写真展以来だと思う。

アートなるものが私には分からない。たまに、考えるが答えなんか出るはずはない。まあ、答えが出ないからこそ、考えるのである。

それはいいとして、今回展示されていたものがアートとしてすごいかといえば、それはどうか分からない。僕の感覚で言えば、すごくはないと思う。じゃあ、つまらなかったのかといえば、すごく面白かった。特に、2階にあった何点かは心がひかれた。

なぜかといえば、発想が面白い作品であったり、作者が本当にワクワクしながら作ったのが伝わってきたり、自分が触って試してみて面白かったりしたからだ。

何個もの風船をつなぎ合わせ、その風船の中に携帯と電波に反応するLEDかなんかを入れて、空へ飛ばし、みんなで風船の中にある携帯に電話をかけると、風船が色とりどりに光る。夜だったから非常に風船が映える。みんなで作っているのも面白そうだった。

水が流れ落ちて、文字がライトアップされるのは、なんとなくすきだった。それとか、カラフルな丸い点々が書いてあるセロファンが2枚あって、それが微妙に動いている奴とか。

作品には作者の思いとか、どんな気持ちで作ったか、本当に作りたくてしょうがなくて作ったかってのはなんとなーく伝わるんだよなー。

おれが好きか嫌いか、いいと思うか思わないかは賞のランクなんか関係ないなーと思った。たして好きじゃないのがいい賞だったりするんだよねー。まあ、どうでもいいんだけど。

なんか、無性に何か作りたくなった。おもしろそう。ワクワクするなー。自分の可能性に制限を持たせず、何でも本当に自由にやってみよう。

Posted by takeshi at 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 08, 2005
人間の意思決定の曖昧さと行動
まあ、思うのだが、私が思っていることを分かってくれる人は少ないと思う。それも表面的なことや業務的なことではなく、根底にあるものを。文章が下手だし、抽象的なことを言うから。
別にひねくれているわけではなく、それは、それでいいと思っている。分かってくれる人だけ分かればいい
。だって、みんなはみんなで、俺ではないのだから。

分かってくれる人は、無駄なことを日々考えている人なんだろうと思う。金にもならないし、知ったから何だってことを、趣味で考えている人。

さらに、伝わりにくい理由は、私の価値観が常識的なものとは少し異なる空みたいだ。それは感情的な面で楽しいと思ったり、ワクワクする元が違うみたいだ。

まあ、それはいいとして、気になることを。
人間の意思決定の曖昧さと行動は不思議で不思議で仕方がない。

2003年12月にこんなことを書いている

思いつきでも、何か頭の中でスイッチが入るとそれを実現に向けて行動する。
同じように頭の中でポカーンと思っていただけなのに、何が違うのか?
自分の中でのプライオリティーが上がった?
そんなもんじゃないよな。
これは、スイッチとしか言いようがない。

たとえば、あと24時間後には行こうと思えばタンザニアにもいければイグアスの滝にもマチュピチュにも、しかし私は日吉にいるだろう。
なんなのかねー。

簡単に言えば今回言いたいことも、これと同じなのです。
この状況になる条件

・習慣的な行動でない時
・絶対やらなければならないことではない時
・一瞬でとてつもなく簡単に出来ることでない時

すなわち、やってもやらなくてもいいこと。そして一瞬ではできないこと。
このようなことをする時の意思決定と行動がイマイチ不思議でならない。

してもいいし、しなくてもいい。
やろうと思えば出来る。

やるという選択肢も、やらないという選択肢も可能なわけだ。

こういう場合の意思決定、私の場合はフィーリング。なんとなくまあいっかと思えばやらない。なんかそう思わなかった場合はやる。

で、問題はフィーリング。なんで、そのようなフィーリングになるのか。その過程が良く分からない。特に論理的な理由付けがあるわけではない。
そう簡単に答えが出ない。
しかし実は答えが出てしまっているのかもしれない。

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March 06, 2005
地方の人から見た東京の範囲
地方の人から見た東京の範囲ってどこですかね?

というのは、岐阜に住んでいたとき、東京と言えば、東京都および神奈川県だった。
もっと正確に言えば、横浜は東京と同義だった。
東京に八王子が入るのかとか難しい。

地方の人が言う東京とは東京都だけではない場合が多いと思う。

いったい、どこまでを東京という単語で表しているのか。

Posted by takeshi at 08:00 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
March 03, 2005
木曜日の夜に食事番組が多い理由
今日、家に帰ってテレビをつけるとどっちの料理ショーなる番組がやっていた。

知っている人は意外と少ないが、私は料理番組を見るのが大好きだ。料理を作る番組でも、紹介する番組でも、まあ、うまそうなものを見るのが好きだ。理想は食べれたらいいが、まあ食べれなくても見るだけでもうまそうな料理を見るのは好きだ。

料理の鉄人とかケッコウ好きでした。何でかと思うと、知らない食材や、知らない調味料を一流の料理人が使って、まったく見たことも聞いたこともない料理を作る。原材料からは想像できない料理を作る過程を見るのが面白かったのだろうか。

で、ふと思う。木曜日の夜は料理番組が多い。どっちの料理ショー、食わず嫌い王、今日の料理もやっている、渡る世間は鬼ばかりでも幸楽なる料理屋がメインのドラマ。

金曜日の夜は一週間の仕事が終わりで、外で食事の人が多いと思う。それを促しているのだろうか?でもそうしたら視聴率下がるよなぁー。なんでだろう。

Posted by takeshi at 09:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
手は手の位置にあるからこそ意味がある
手は手の位置にあるからこそ意味がある。

って言っときながら、手はどこにあっても関係ないのです。というのも、手がある場所に長期間あったから、自分の脳は手がそこにあると認識する。そうすることによって、感度が高まるわけです。そこにあることを前提に他の体の部分も動くし、脳も反応する。

風呂場で目を隠して入った。もちろん何も見えない。真っ暗の状態と同じだ。しかし、なんか違った。何が違うって手の位置だ。そのせいでバランス感覚が悪かったし、周囲を感じる感じ方も違った。

Posted by takeshi at 12:51 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 02, 2005
良い訳ではないが、知らず知らずのうちに
先日、電車でかっこいいおっさんを見た。
年は60歳ぐらい、白髪短髪で、スーツ、農家出身を思わせるような少し黒くがっちりとした体格。目は輝いていて、夢と信念を持ってそうな感じ。それで、そんなおっさんが、ipod シャッフルを首からぶら下げて音楽を聴いていた。それで、おおって思ったわけですよ。さらに、ipodのイヤホンははじめから着いていたのではなく、よさげなイヤホンだった。クオリアのイヤホンだったら最強だな。

なんか、これだけでは表せないけど、そのおっさんから出ているもの全てがいい味出してた。ああいう、おっさんになりたいと思った。が、なりたいといいながら、別に何の努力もしていないわけである。と言うことは、本心ではなりたいと思っていないのかな。それか、なりたいと思っているけど、その気持ちは大して強くなく、その努力のめんどくささのほうが勝っているのだろう。

で、話は変わる。音楽の話。別に音楽に限ったことではないのだが。分かりやすく音楽の例で。
良いと思った訳ではないが、知らず知らずのうちに聞いてしまう曲がある。この曲聴きたいと思って、繰り返し聞く曲、初めて聞いて猛烈に良いと感じる曲。そういう曲を繰り返し聴くのは分かる。

しかし、別に何にも気にしないような曲、特に良いとも思わなかった曲を気がつくと何度も聴いているときがある。はたしてなぜだろう。自分が意識的に良いとは思っていない。しかし、自分にはあっているから、心地よいから聞き返すはずである。じゃあ、なんで自分では気がつかないのか。気がつかないのに心地よいのは何がそう、判断しているのか?

人間は皮膚や目、口、鼻、耳などから常に大量の情報(影響)をえている。しかし人間はそれを全て処理しきれない。処理しているのかもしれないが、自分の意識化で処理しているのはほんの少し。無意識下で処理しているものたくさんあるわけです。(まあ、処理し切れていない情報もありそう)で、これは、すごい腹が減っていたのに、そのとき怪我して血がだらだら出たら、腹が減っていることに気がつかないことに似ていると思うのです。このように、処理していないものの中にも、処理したらよいと思う可能性を秘めているものがたくさんあって、何かしらのきっかけで処理する余裕が出ると気がつくのかな。

ああ、変だ。上で疑問に思ったことの答えとしてまったく見当はずれなことを言っている。まあ、良くわかんないけど不思議ってことです。

なんとも不思議な存在があるものだな。

Posted by takeshi at 10:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
大人力診断
大人力診断なるものがあったので、やってみた。相変わらず、結果はたいして気にしない。

意外と大人だったらしいです。殺伐とした正確だからなのでしょうか。
殺伐とか言っときながら、小学生並みの無邪気さなんだけどな。まあ、いいや。

https://www.sourcenext.com/mail/action/shindan_entry_form

teratown様の診察結果 最終受診日:2005年3月2日

上司力検定:横綱級 (20点)
2005年3月2日受診□□

ベンチャー力検定:カリスマ級 (20点)
2005年3月2日受診□□

宴会力検定:ほろ酔い級 (16点)
2005年3月2日受診□□

モテ力検定:十人並み級 (16点)
2005年3月2日受診□□

旦那力検定:夫婦茶碗級 (15点)
2005年3月2日受診□□

貯金力検定:きな粉モチ級 (17点)
2005年3月2日受診□□
ログアウト (他のユーザーで診断する)
石原壮一郎院長の診断コメント

上司力検定:横綱級 (20点)□□2005年3月2日受診
あなたほどの上司力があれば、どんなにやりづらい会社でも、どんなに面倒な部下を持っても大丈夫。その実力を遺憾なく発揮して、出世街道をまい進してください。ま、仕事力とかもあわせ持ってないと宝の持ち腐れですけど。
ベンチャー力検定:カリスマ級 (20点)□□2005年3月2日受診
あなたは、カリスマ起業家でも何でもなれる(かもしれない)強力なベンチャー力の持ち主。いつ会社を飛び出しても、ベンチャーな人生をたくましく歩んでいけるでしょう。それが幸せな人生かどうかは、また別の話ですが。
宴会力検定:ほろ酔い級 (16点)□□2005年3月2日受診
あなたは、ほとんどの宴会は無難に楽しめる宴会力は身につけています。ただ、時には、宴会の落とし穴にはまり込んでしまうことがあるかも。まあ、さっさと酔っ払ってしまえば、たいていのことはどうでもよくなりますが。
モテ力検定:十人並み級 (16点)□□2005年3月2日受診
あなたは、そこそこのモテ力の持ち主。本人の努力や心がけに応じて、出会いに恵まれたり、男女交際の醍醐味を味わえたりするでしょう。「自分はモテるタイプ」とカン違いすることだって、けっして不可能ではありません。
旦那力検定:夫婦茶碗級 (15点)□□2005年3月2日受診
あなたの旦那力は、邪魔にはならないけど役にも立たない程度の大人っぷり。男性の場合も女性の場合も、それなりに山あり谷ありの結婚生活になるでしょうが、パートナーと力を合わせて乗り越える喜びは味わえそうです。
貯金力検定:きな粉モチ級 (17点)□□2005年3月2日受診
あなたの貯金力は、まるできな粉モチのように、せっせと努力すれば少しは増えてくれる程度の強さ。しかし、貯金の喜びと手ごたえは、誰よりもふんだんに感じられそうです。ヘンに欲を出さず、着実に歩んでいきましょう。
総合大人力判定
総合大人力:黒帯級 (104点)
グッド・ジョブ! あなたほどの強烈な大人力なら、たいていの試練はクリアできるはずです。しかし、くれぐれも油断は禁物。大人力の道にゴールはありません。弱点分野を克服して師範級をめざしましょう。
★あなたの武器になる大人力
 ・上司力 : あらゆるものをなぎ倒す無敵の上司力で、グイグイ部下を引っ張っていきましょう。
 ・ベンチャー力 : たくましすぎる起業家体質のあなたは、いますぐ独立開業するっきゃありません!

★もっと強化したい大人力
 ・特になし : すべての分野に、それなりの大人力が備わっています。たまには大人げなさを発揮してみるのもいいかもしれません。
Posted by takeshi at 10:27 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
唐招提寺展に
唐招提寺展に行って来たわけだが。

人が多すぎた。月曜日は休館日なのだが、人がたくさん来るからオープンにしたらしい。それなのに、すごい人。どこで情報聞きつけてきたんだ?

あと、1年ちょっと前に唐招提寺にいったことがある。もちろん鑑真さんを見れると思っていったわけだが普段は見れないらしく、しょぼーんとして帰った記憶がある。まあ、それくらい鑑真さんを見たかったわけである。何でか知らないが、中学か小学校の資料集にのっていた鑑真さんの顔がなんともいえぬ、もう、声が出そうで、口でぐぅと言葉が止まる感じ。だったから、気になっていたわけです。

興福寺の阿修羅さんはきれいだなと思って見に行ったわけです。まあ、その時の説明の文章にインドインドと書いてあったので、インドへ行きたいなという気持ちが確信に変わった気がします。

話がそれたが、人が多すぎた。むさかった。まあ、私もその環境を作り出している一人なのであるが。みんな、何の変哲もないかわらを列に並んで見ていた。もっと正確に言えば、入り口からすべての陳列物を見ていた。説明文もすべて読みながら。まあ、それもいいんですよ。専門家の人ばかりかもしれないし。でも、普通の人って説明よんでも分からないでしょ。(まあ、知りたいという欲求がすごい人かもしれないしね。)別に、全部をくまなく均等に見る必要はないと思うのです。自分の見たいものを見たいようにみればいいと思うのです。それが、すべて均等に見るだったら、問題ないのですが、なんか、何も考えず、周りに流されるように見ている気がする。すべて満遍なく、見ないと損をした感じなのかな?なんでも、満遍なくそつなくやるという精神なのか?これも、教育の弊害ですか?それとも、日本人の性質ですか?もっと、美術館や博物館を好き勝手に見てもいいんじゃないかなと思いました。
P1010016
Originally uploaded by teratown. 唐招提寺

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March 01, 2005
小学校の帰り道、石を蹴ってどこかへ転がっていってしまった
小学校の帰り道、石を蹴ってどこかへ転がっていってしまった経験ないですか?
赤信号で止まっていて、なんでもない車が記憶に残っていませんか?
小学校の水道で、水を飲んでいる一瞬の思いでありませんか?
中学の部活で疲れてふっと一息ついたその瞬間の雰囲気を覚えていませんか?
高校時代勉強が終わって寝る前、ふとみた星空を覚えていませんか?

すごい時間をかけて覚えた数学の公式覚えていますか?
必死で時間をかけて覚えた、歴史の年号覚えていますか?

毎日使っているけど、イマイチな似た単語ありませんか?
エレベーターとエスカレーター。
「に」「へ」五十音順でどちらが先か一瞬で分かりますか?

まあ、最後の五十音順は記憶のレイヤーが違うかもしれないが、人間の記憶とは不思議なものだ。

どんなことを記憶し続け、どんなことを忘れるのだろう。
絶対覚えておかないといけないこと、どうでもいいこと。
絶対覚えておかなければならないのは復唱して覚えようとする、しかし忘れてしまうことも。一方で、どうでもいい一回だけの出来事をずっと覚えていたりする。

人間の脳はどのようにして記憶するかしないかを選別しているのか。

記憶ってなんでしょう
脳ってなんでしょう
人間ってなんでしょう
Posted by takeshi at 12:46 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|

2005-02

http://www.teratown.com/blog/archives/2005_02.html

February 28, 2005
やっぱロケットの発射をこの目で見たい
先日も書いたのだが、ロケットの発射を見たい。

H2Aロケット@種子島

なんか、すげーだろうなと思った。純粋に。いやー、見ないとだめだ。見たい。あの音と振動を体で感じたい。自分が作ったわけではないけど、心の中がぐうぉーーってなりそう。

今年中に見に行きたいな。時間が出来たら、いこう。

なんか、想像するだけでワクワクする。すっげーんだろうなぁ。候補は種子島か、アメリカかロシアだな。ロシアは広大な自然の中に簡素な発射台だけあって、近寄れなさそうだし、イマイチ盛り上がれそうにないので、可能性は低い。となると種子島かアメリカ。種子島は回数が少なそう。アメリカはいろいろな場所がありそうだけど、アメリカに行かないといけないからな。まあ、アメリカはチケット安いしいいかなー。
以前、私の好きなビートたけし、北野武(飛行機大嫌い)がテレビ朝日か大阪の系列局の50周年番組かなんかでスペイン(サグラダファミリア)とかフランス?遺伝子関係の研究所やアフリカの大地の裂け目を訪問した番組で、ケネディー宇宙センターかどっかでスペースシャトルの発射を見ている映像が頭によぎった。

ロケットの発射は以下のサイトで予定が見れる。
http://www.jaxa.jp/missions/in_progress/index_j.html

以下引用
ロケットの打ち上げ当日は、種子島宇宙センター全域と、射点を中心として半径3キロ以内は立ち入り禁止となりますが、センターの外で3km以上離れた場所であれば自由に見ることができます。下記のロケット見学場は特によく見えるところで、カウントダウンの拡大音声も聞こえます。
 ロケット打ち上げの日時は、JAXAウェブサイトまたは、サイト内の打ち上げ予定でご確認ください。
 ロケット見学場の詳しい場所は、展望所マップをご覧ください。

・宇宙ヶ丘公園
・前ノ峯グランド
Posted by takeshi at 01:28 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
これ薬物だからな~
今日も情熱大陸を見た。

この番組はいいね。なんですきなんだろうね。出てくる人がかっこいいんだよね。
子供みたいに、自分のやりたいこと、好きなことを真剣におっている。その姿がすきなんだろうね。
人として、泥臭いけど、青臭いけど、きれいだよ。
スキーで遊ぶのがすき。これ薬物だからな~。

スキーレーサーの佐々木明さんがいっていた。

中毒なんだろうな、楽しくて楽しくて仕方がない。
人間って顔の表情見れば分かるよな~。心躍っているかどうかって。

別に常に心踊っている必要はないけど、がむしゃらになって、楽しんで、やっている人はいいよ。

そういえば、今日行動クローンにあった。思考クローンとかはいるんだけど。
行動クローンは初めてだった。行動が同じと言うことは、その行動にいたる思考プロセスも一緒なんだろうか。知りたいね。

大学の学部も同じだった、学部を変わったらしい。その行動も僕は考えていてびっくり。行った外国もスペイン、モロッコ、ポルトガル、インドなどなどかぶってる。共通の知り合いもいたり。

Posted by takeshi at 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
February 27, 2005
大食い選手権応募
テレビ東京で大食い選手権が復活するらしい。

おお、すんばらしい。

だって、これに出るの夢だったんですよ。

どうでるかって、大食い選手権なのにゆっくり味わいながら食っちゃう。もちろん予選敗退の予定。ただ、遊びに行くだけとも言う。

腹いっぱいただ飯を食えるならいくしかないし、大食い選手権でまったり食うのはネタ的にも面白いし。

私はもちろん応募しました。当選を願うのみ。
http://www.tv-tokyo.co.jp/oogui_bosyu.html

Posted by takeshi at 12:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
冬の洗濯物の不確かさ
冬の洗濯は不確かだ。不確かという表現は適していないかもしれない。
ようは乾いた乾いていないのか分からない。 なぜか?

じゃあ、人間は乾いたかどうかをなにで判断している?
湿度 温度 触ったざらざら感?

とにかく乾いたかどうかをが一瞬で判断できない。
昔おやに洗濯を取り入れるように頼まれて乾いていないから取り入れるかどうか迷ったことを思い出す。

それと、洗ったものが乾いた乾き方と、洗っていないものが乾いた乾き方はなぜか違う。洗ったほうがカラットなっている。特にバスタオルだと顕著に分かる。なぜだ?
関係ないが、東京駅から西日暮里の値段は間違いのはず。

Posted by takeshi at 12:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
H2Aロケット@種子島
H2Aロケット成功したらしいですね。
良かった良かった。
他国と比較すればあれぐらい(って何も知らない俺が言うべきじゃないかもしれないけど)成功させて欲しいもんだ。

種子島、行きたかったなー。

って、ロケットとかスペースシャトルが発射するのを見てみたい。
日本だと種子島か、アメリカだとヒューストンとか?かな。

日程合わせないといけないし、打ち上げられるかどうかは確実じゃないのが問題だ。
でも、ロケット打ち上げを見たい。あの音や振動、ついでに成功したときの喜びを感じてみたい。

誰か一緒に行く人いないかなぁ。
一人よりも何人かいたほうが盛り上がれるでしょう。

種子島といったら、野口里佳さんの個展「飛ぶ夢を見た」かな。
http://www.fujifilm.co.jp/photomore/interview/noguchi_200404.html

飛ぶ夢を見た

Posted by takeshi at 12:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
February 26, 2005
久しぶりに佐藤琢磨
F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」

佐藤琢磨のエントリーが久しぶりではなく、かっこいい日本人のエントリーが久しぶり。

F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」って番組がやっていた。

前から、佐藤琢磨が男の中の男だとは知っていたが、改めてかっこいい。

早稲田に入ったときは、昔からやっていた自転車部かなんかだったらしい。しかし、10歳のときに鈴鹿で抱いた夢があって、早稲田をやめて鈴鹿レーシングスクールに入ったみたい。主席卒業で、F3へ。

うん、かっこいいいね。
さらに、ホンダってのがいいね。ホンダですよ。ホンダ。私の好きな夢がある日本企業。

「トップを目指すのは変わらない、今は楽しみですよ」by佐藤琢磨

F1よりもパリダカの方がすきなんだけど、まあそれはおいといて。
来年で大学生最後だから、F1も見に行きたいな。
PB030087
Originally uploaded by teratown. Tokyo Motor show 2003
The Power of Dreams HONDA

Posted by takeshi at 02:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
久しぶりに上野な日。
朝から、どこかへいった。
もう記憶なんてない。

で、その後東京駅にいた。そうしたらモリゾーがいた。
別にどってことはない。

その後、上野へ。前から楽しみにしていました。で、上野公園をするりするりと抜けていこうとすると、なにやら機動隊かなんかのバス等が10台も。えっ、テロ予告でもあったんですか?とか思った。それに、片耳にイヤホンを着た私服警官たくさんいたし。

まあ、知らね、と思って。通り過ぎる。

都美術館につく。で、芸大の卒展はどこかなと思っていたら、間違って、東京五大美術大学連合卒業制作展へいってしまう。ふつーに、間違えて、芸大はここじゃなかったっけと思い、入り口の表示を確認して、芸大の卒展ブースへ。

いろいろな作品があった。(それぞれの人の学科にそった作品じゃないものも含め)
経済学部とかいう、自分との戦いから逃げような学部にいる者から見ると、一人一人の人間ってすっげーなと思う。

でもなんか、思ったのは作品とそこにいる人たちが不釣合いな感じがしたのと、作品のおき方がつまらなかったかも。卒展でいろいろ制約があるのかも。

それから、友達のパフォーマンスをみた。初めてだったんだけど、いや、初めてだけど初めてじゃなかった気がした。デジャビューじゃないけど、彼の日常の延長にパフォーマンスが存在している気がして、パフォーマンスとあえて切り離すのが変な気がした。

パフォーマンス自体は卒展初じゃないかと思うぐらいのもの。自分の作品を破壊し、通路を抜け玄関の外まで。警備員もびっくりするほど。

周りの人の作品を壊すことはいけないんだろうけど、周りも巻き込みさまざま檻をぶっ壊すことになるのかなと思ってみたり。

鳩の絵がうまい友達に油絵科の作品集をいただきました。ありがとうございます。家に帰って作品集を今日は見てました。全ての人は2ページをもらっていて、2ページに納まっているわけで。しかし、納まっている人と収まっていない人がいたのも事実。

なんか、知らない間に、自分が気がつかない自分が作った、周りの環境によって作られたつまらない檻の中で生きているんだなと思った。ああ、俺もあのくらいの勢いで、ぶっ潰してやりたいものだ。

それから、デザインとか工芸とかの場所も見に行った。すると時間らしく追い出された。

上野公園をくぐり抜け、なぜか博物館のほうへふらっと向かう。すると、少し人がたまっていた。おばちゃんに尋ねると、秘密にしよっかなと笑ってお茶目に答えられた。そのあと、教えてくれて天皇皇后両陛下が唐招提寺展にお見えになるそうだ。だから、機動隊ね。警備員に聞いたら、あと3分というので、待っていて、手を振ってみた。終わり。

Posted by takeshi at 12:16 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
February 24, 2005
秋田・静岡・岡山・愛媛・宮崎
空っぽなところで、ころころ転がってみたいと思った。

って、もう少し一般的な日本語で言うと、人がいない広大な自然へいきたいと思った。

で、話は一気に飛ぶ。面白そうなところないかなと考えていた。それも具体的な県の名前を。あの県いいなとか。

で、ふと思う。これはまったく根拠のないことだ。でも、大都市と地方ブランドを確立した県を除いた、根拠なき上品なイメージ県がある。ぜんぜん知らないのに上品なイメージがある県。

根拠がないので、自分の県が上品なイメージでないからといって怒らいでください。上品なイメージが下だからといって、ただ、僕の中で比較すると、というだけの話ですので。

まずは、東北からここは「秋田」。(宮城は大都市なので除く)
青森<秋田だろう。秋田美人というイメージからか?良く分からない。なにがどうだからという理由は特にないので、今後理由は書かない。 岩手、福島も秋田にはかなわない。

関東は放置。

中部は「岐阜」と言いたいところだが「静岡」であろう。

関西は大都市が多く、ここも放置

中国は「岡山」かな。しかし、岡山はちょいと都市が大きいかな。鳥取と島根を比較すると、島根が上品だ。

四国は「愛媛」かな。ここの県も難しい、高知もけっこうランク高い。香川と徳島は下位を争う。

九州は「宮崎」かな。大分も熊本も鹿児島も佐賀も及ばない。

こんな感じだ、大都市っぽいところと地方でブランド力がありすぎる都市は抜いてある。北海道とか沖縄とかね。

Posted by takeshi at 01:52 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
February 23, 2005
雲という一枚の層
今日外を歩いていると 太陽が陰った。 
太陽の光が、流れる雲によってさえぎられたのだ。たまに、こういうことはある。

いつもなら、何も感じないのだが、ふと思う。すっげーーーーと。
みんなに言わせれば、どう考えてもこれがおかしいみたいです。感覚で生きているので、こういうことは普通なんだけどな。

僕がキャンプファイヤーの火だとしたら、火の中には入りたくないけど、火の粉が少しだけ降ってくるところにはいたい。見たいな事を言われます。まあ、意味不明な例えは置いておくとしよう。

で、太陽の光が陰ったことを歩きながらぐるぐる考える。

太陽は地球からずっと離れた宇宙にある。 太陽の光が地球に届くまでに約8分19秒もかかってしまう距離だ。想像がつかない。そんな遠くから地球まで降り注ぐ。よくもそんな遠くから光は来るもんだな。それも、基本的に何かしらによって遮断されていないのだ。そんなにも長い距離にわたって遮断するものがない。しかしだ、しかし地球からすぐそこにある雲、山に登っても下に見ることが出来る、飛行機にのってももちろん下に見える雲は太陽の光をさえぎる。あれだけの距離をつき進んできた太陽光が一枚の層である雲に遮られる。これって、すごくないですか。当たり前で、国民の99%は分かっていると思うんですけど、あらためてスゴイとおもった。たった一枚の層はこんなにも影響がある。太陽はあんなにもエネルギーを出して光は地球目前まできたのに、一枚の層おそるべし。

 ネットワークもこの雲とおなじでコストをたいしてかけず大きな影響をあたえた。Webはくもの巣だしそのまんまなんだけど。

 この層の発想で世の中面白くできないかな。太陽のひかりから思いついたのが面白いのと太陽の光と雲がさえぎることを要因分解すればネットワークになにかいかせないかなとか妄想してみたり。
P4040392
Originally uploaded by teratown.
Posted by takeshi at 09:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
将来何しているか、見てみたい。
将来何しているか、定期的に見てみたい。

よく、みんなに言われる言葉、

特に良くしゃべったことのある女の人。

確かに、何でもやるし、なんでも興味がある。

それも、勢い、なんか感じると、もうはまる。

将来自分でも何をやっているかわからない。

年をとったら、料理人か僧侶といっているが分からない。

しかし、ただひとついえることがある、未来のいつかを楽しんでいる、と。

Posted by takeshi at 02:48 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
納得
なんか、人生で一番重要なのは「納得しているか否か」だと思うわけです。

別に何が良い悪いもないし、成功も失敗も、安定も不安定も

ようは、自分が納得して入れればOKではないかと。失敗しても自分が納得いっていたら、納得いかずに成功したよりいいのではないはないかと思う。

納得っていったい何者か分からないけれど、「心のそこから嘘偽りなしにこれだ」と言うことじゃないのかな。

Posted by takeshi at 02:47 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ルールは失敗からうまれる
ルールは失敗からうまれるって、今日会話の中で聞いた。

ちょっと、過去を振り返ると自分が属したいくつもの組織ではそうだったなと、妙にリアルに感じた。そして、その規則(ルール)なるものは意味があったのに時代の変化や、ルールの積み重ねにより価値がなくなったり、制約になるのだなと感じていました。

別にたいした話じゃないのに、なんか妙にしっくりした。
Posted by takeshi at 02:28 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
February 21, 2005
たまごっち再び?
最近、電車に乗っているてたまごっちみたいなもので遊んでいる人を見る。あれは何なんですかね。たまごっちなんですか?
それとも違う似たものがブーム?知ってる人いたら教えて下さい。

 

 

Posted by takeshi at 09:41 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
文字から声が聞こえる
文字から声が聞こえる、はずはないのだが、聞こえる。

特に人生を勢いで生きている人はね。
そういう人は文章も勢いで書いている人である可能性が高い。

文章を推敲して、美しく、的確にかいてある文章もいいのだが、魚で言うと脂がのってない。勢い良く書いた文章は脂がのっていて、なんとなく伝わってくる。

こう、脂ののった文章は危険を持っていると思う。書いた本人と面識があり、何度も話したことがあったり、その人の感情の出し方や話し方を知っている人にはある程度正確に伝わるが、書いた本人を知らない人には少し言葉足らずだったり、言葉が乱暴に使われているようにうつるかもしれない。

ああ、脂ののった文章は好きです。こっちまで元気になったり、ワクワクしてくる。

以前友達からこのブログを読んでいると私がしゃべっているみたいと言われたことや、先日某氏の日記の文章を読んで声が聞こえる感じがしたので書きました。

Posted by takeshi at 08:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
February 19, 2005
専業主婦が増えているらしい
専業主婦が増えているらしい。それもアメリカエリート女性の。

CBSドキュメント ▽家庭に入るキャリア・ウーマン
ストール記者、子育ても経験したいと思えば、それをすればいいだけだ。

カーシマンさんの調査

ハーバード、イェール、スタンフォード大学、大学院などを卒業してプロフェッショナルとして働いていた女性。
85%(?聞く間違えか?)がフルタイムの仕事をやめて専業主婦。
裕福で高収入の夫に頼っている。
傾向は50年代に逆戻りしているらしい。
精神的には50年代とは違う。「働きたければ働ける。(能力を隠す)」

会社側の対策
パートタイムにしたり、そのとき助手をつけて子育ての初期段階をサポートして、フルタイムに復帰してもらうなど。

うんうん、面白い。最近少子化対策で、保育施設をたくさん作ってそこに子供を預けて両親が働けばよいといっている人がいる。女性の社会進出や男女平等とかいって、保育施設を増やせとか言っている。しかし、違うと思う。子供は親が育てるべきであると思う。それは、男とか女とか関係なく。

まあ、それはいいとして、面白かったのでメモ。

Posted by takeshi at 03:01 AM | コメント (217) | トラックバック (0)|
壁を隔てた完璧なる物
離れた存在、中身や過程が見えない、清潔で、無菌で完璧と感じさせられたもの。

非常に分かりにくいので、例を挙げます。

小さいころ思っていた、冷凍食品は滅菌され完璧なる物。きれいなものであると。それは、誤解に決まっている、僕が馬鹿で、その冷凍食品が作られる過程を想像できなかったからだ。しかし、それもあるが、製造過程がブラックボックスで見えない。だからこそ、そのような虚の世界を見たのだろう。

冷凍食品コーンととうもろこしはまったく違うようなものに感じた。同じもののはずなのに、何か違う感じ。冷凍食品は滅菌された工場で作られ、それも機械から製造されるイメージ。土とかなんか自然っぽいものから作られるのではなく、無味乾燥な機械から作られるイメージを持っていた。

冷凍食品に限らず、なんか買ってきたものの多くはそんなイメージを持っていた。
幼稚園の給食袋も、親が作ってくれたのと買ったものでは、まったく違うもののように感じていた。作り方も違って、もとの素材や材料も違って、出来上がったものも似ているがまったく異なるもの。同じ次元に存在していない感じ。

僕の生きている世界とは違う、別世界で作られ、あたかもすごいもののように感じていた。なんか偉いものと言うのがいいのか、そんな感じがあった。

だからなんだと言われれば、なんでもないが昔そんなことを考えていたなと思っていた。

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February 17, 2005
感性フィルターの種類と順序
電車に乗りながら、考える。

なにをって、好きなことしかやらない人ってなんだろうとか、そう言われるのは何でだろうとか、どういう人からそう言われるのだろうとか、なんでこの人は常につまらなさそうなんだろうとか。この人って堅苦しいよなとか、そう思われたり、そう感じるのはなぜか、とか考えてた。

もっと言えば、私に対して「本当にやりたいと思ったことなら、どんな理由があろうとやっている奴だからな。」といわれたことがきっかけだ。やりたいと思ったことに関しては、それをやることによる障壁を考えていないようなのだ。やりたくないことに障壁があったら、その障壁を理由にやめたりする。しかし、その同じ障壁がやりたいことに存在したなら、障壁とも感じていないようなのだ。

やりたいと思うことに対して、相手に説明するような論理的理由付けよりも、もっと深いところに何かしらあるような気がした。

で、ふと思った。人間には感性フィルターなるものがあって、それによって無意識に人間は判断し行動している。感性フィルターによって行動が定義付けられている。とか、思ったわけです。

で、この感性フィルターというものは楽しいフィルターとか、つまらないフィルター、嫌いフィルター、ワクワクする、理性フィルター、対人関係フィルター、安定志向フィルター、見栄はりフィルター、お金フィルター、時間制約フィルター、群れるの大好きフィルターとかあるのかなと思います。厳密に言えばレイヤーの違うフィルターを書いているので、僕の中では違うんだけど言葉でうまく説明できないのでこう書いておきます。まあ、どんな感性フィルターがあるか知らないし、数も種類も順番も人それぞれで、感度もそれぞれだと思います。

で、フィルターには順番があります。例えば、一番目に楽しいフィルターがあって、次にお金フィルターがあって、三番目に時間制約フィルターがあるとしましょう。この場合、何かをしたときや、話を聞いたときに、このフィルターの順にしたがって、人間は感じて生きます。

例えばこの場合だと、今度鳥人間コンテストに出るけど一緒に出ないといわれたとする。まず、人間の中で一番先に起動するというか、その言葉を聴いて一番先に反応するのが楽しいフィルター。とり人間に出ることが楽しいかどうかを感じるわけです。ここで、楽しいフィルターが反応して楽しいと思ったら、その後のお金フィルターと時間制約フィルターは感度が鈍くなる。楽しいフィルターが強く反応すればするほど、後から続くフィルターの感度は鈍くなると思うのです。

あるものやイベント、話が放つ絶対的なパワーは一定で(仮に100とする)、そのパワーがフィルターに分配される。楽しいフィルターが100だったら、後のフィルターは反応しないので、判断基準は楽しいということだけになる。逆に、楽しいフィルターは10だけで、お金フィルターが60、時間制約フィルターが20となれば、お金のことが気になって、気になってこれがボトルネックになり行動には移せないか、躊躇する気がする。

物事を判断するプライオリティの話でしょと言ってしまえば、当たり前のこと。(まあ本当に、言いたい事はそんなことじゃなくって、自分の意識下におけるプライオリティなんかよりも感性フィルターが無意識下において存在して、それが意思決定に大きな影響を与えている。しかし、無意識下のことなので自分では気がついていない。合理的に考えればこう結論を出して行動するんだけど、土壇場で180度違うような決断をすることもあると思います。理性フィルターによって論理的な答えを出していたが、楽しいフィルターの方が強くて、大逆転してしまったパターンなのかも)

少し切り口が違ったり、言葉の表現が違うだけ。しかし、何かしら新鮮さを感じずにはいられない。そこから、何かが生まれてくるような。

なんか、言いたいことがまとまってないな。まあ、また今度続きから考えるためのメモだな。

以下:携帯から送ったメモ
人間の脳というか感性感じるフィルターがあって人それぞれ起動する順番が違う 楽しいフィルター、理性フィルター、対人関係フィルターのように。楽しいフィルターが感知するとその後のフィルターは感度が鈍くなる。自分では我慢してやっているつもりのことが多く感じとも他人から見れば好きなかとしかやってなかったり、本当にやりたいことだったら飛び付いていると言われるのは楽しいフィルターが一番感度が高いから。人それぞれ持っているフィルターが違うかもしれないし順番もしかり。何番目のどのフィルターが一番に起動するかがその人の行動を無意識に規定する

Posted by takeshi at 12:57 AM | コメント (223) | トラックバック (0)|
February 16, 2005
宗教銀行
リバーヒュー・コミュニティ銀行

顧客のカウンセリングも同時に行ったり、銀行に来た人にお祈りしたりしている。
キリスト教の布教も同時にやってしまおう、ということらしい。

神への信仰をビジネスにしているらしいです。

敬謙なプロテスタントが職員みたいですよ。

今年中に130億円。支店も2つ増えるになるみたい。

WBSでやってました。言いか悪いかという話でもないし、そんなことは気にしないのだが、純粋に面白いね。切り口が。でも、まあ、社会の流れ自体がこうなってきている感じはしますね。

この流れのまま、予想通り社会は動いていくのか、一発ドカンと方向性が変わるのか楽しみでもあります。

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February 15, 2005
僕の目には発着する飛行機が見えていますよ
いやー、この言葉。
ガイアの夜明けなる番組があります。

中部国際空港(?)セントレアと関西国際空港についてあーだコーダとやっていた。セントレアはトヨタのマネジメント層の人が社長で、関空は松下の改革を中村さんとやった人が社長らしい。セントレアはオープンだし、関空は第二滑走路建設でいろいろあるみたいだ。

まあ、第二滑走路の話は関空側から報道するか、国民側から放送するか、政府側から放送するかで、見ている人のイメージはだいぶ違うだろうなと思った。まあ、こんなことはどうでも良いことである。

で、関空の社長が言っていた。

「僕の目には発着する飛行機が見えていますよ」

とね。これだよな。一歩間違えば宗教です。しかし、この論理的思考力に基づいたイメージや想像力非常に重要だと思うのです。シュミレーションって奴ですか?先をイメージすることは、その後の行動に大きなメリットがあります。

ちょいとまてよ、ここでいう「僕の目には発着する飛行機が見えていますよ」はそんなシュミレーションとかいう次元じゃないのです。本当に見えるんだと思います。見えないものが見えるんです。こうでなくっちゃ、新しい社会を創造する人にはなれないと思う。世の中をがらっと変える、面白くする、まさにアップルの広告でいうクレージーな人だと思う。

まあ、この社長さんがこれに当てはまるかどうかは知りませんが。

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トータス松本と人間
先日、某先生の家に行ったときにウルフルズの昔の曲をもらいました。

ウルフルズと言えば、ガッツだぜ、バンザイなどのテンションの高い曲を歌っている人たちです。で、そのメジャーどころをもらったのです。そして、今日道路を歩きながらMP3プレイヤーで聞いたいました。するとふと思うことが。

ガッツだぜなる曲が売れたときは、確実に一発屋だと思いました。いかにも、一発屋のにおいのする曲調、メンバーのキャラ、そして衣装。あの勢いだけの安っぽさを感じ、すぐ飽きられる感じがした。すごい失礼なことを書いたが、そう感じた。

しかしだ、しかし、ウルフルズって存在が薄くなったなと思うと「明日があるさ」が売れたり、なんだかんだと、売れに売れているわけではないが、それなりにメディア露出がある。

その中でも特に、トータス松本なる男。この男には不思議な魅力がある。別に、何がいいというわけではないと思う。でも、なんか魅力を感じる。何が人をひきつけているのかは知らないが、全身から染み出てくる雰囲気といってしまえばそれまで。その雰囲気とはなにをもとにしているのであろうか。

彼は実にいいポジションをとっている気がする。

まあ、第一印象とは変わるものであり、これは人を短時間で見極めれないことを意味するのである。しかし、人間はパッと見て何らかの他人のイメージを自分の中に作り上げる。それは外れていることがおおいにある。とは言うものの、一瞬でイメージが作り上げられるとなると大事なのはパット見たときの感じなのである。まあ、つまらんが第一印象は大きな影響与えるんだよなー。

人間なんて常に変化しているのだから、第一印象と変わったといっても、その人自体が変わっているからかもしれないし。猫かぶっていただけかもしれないし。なんともいえない。結局は常にそのときが第一印象なのであり、その第一印象の積み重ねなのである。

長期間知り合いになり、何度も会うということは毎回変化するその人の第一の積み重ねであって、その人の本心を知れたと言うよりも、その人の変化の過程を見れたと言うことなのである。その人の変化の過程を知ったから、良く知ったと思ったり、本心を知ったと思うのである。たぶんね。
Posted by takeshi at 11:12 PM | コメント (215) | トラックバック (0)|
使い勝手なるもの
どんなものにも使い勝手なるものがある。

使い勝手が良い、悪い。
アフォーダンスどうのこうの、という話もあります。
ユニバーサルデザインは人が物に合わせるのではなく、物が人に合わせるとか聞いたことがあります。

いまさら、はまったflickrは、感覚的にこう出来たらいいなという操作性抜群。
今までの経験則的に、出来ないだろうなと思っていた操作が、flickrでは出来たりするのです。今までの経験から、あきらめてはじめから操作しないのではなく、常に新しいものとであったときは試してみるといいのかも。でも、今までの経験を考慮して操作するから、効率的になると言う話もあるわけで。。

まあ、そんなことはどうでも良くて、使い勝手。とはいっても、使い慣れたと言うことは神業と言うことが分かりました。

何でかって、パソコンですよ。私のパソコンは熱暴走します。IEはウィルスかなんか知らんが、変な検索バーが出て消しても出てくる。などなど、問題だらけ。しかし、私はこのパソコンをそこまで苦にせずつかっている。何でかって、知らない間に、このパソコンの特性を理解して、問題が発生しないように使っているのだ。これは、ほとんど無意識のうちにフリーズしないようにやっている。(それか、私のPCの使い方の特徴をPCが理解し、パターン化して処理が簡略化・高速化しているから、私が使うと問題がおきないとか!?だったらすごい。)まあ、ということで、私が使うと問題は少ないわけです。というか、問題が起こることすらほとんど気がつきません。

しかし、ですね。パソコンを他人に貸して、作業する場合がある。その人は使い勝手が分からない。このパソコンの特徴をすぐに感じ取ることが出来ない。よって、フリーズしたり、電源切れたり、するわけです。でも、その使っている人は、いつも自分のパソコンを使うように普通に使っているだけなんです。でも、他人のパソコンだとフリーズしてしまう。うーん、なんとも不思議なことです。誰が使っても、ある特定の操作に対して同じ結果をだすパソコンがこんなにも違う結果に陥るのです。

使い勝手、使い慣れる、ってことはすごいことなんだなと再認識。人間は無意識にやる行動が一番洗練されていて高度であるのではないかと感じました。
Posted by takeshi at 03:05 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
February 14, 2005
とうとう名古屋の時代
名古屋。愛知。

別に県の名前か、県庁所在地か。それだけの違い。
名古屋市出身の人は名古屋といい、愛知とは言わないぁ。
名古屋市以外の人は、話の流れで名古屋と出てきたら、さらりと愛知とかわす。

そんなのどうでもいいのだが、愛知県なんか元気だな。

トヨタにしろ、万博、セントレア国際空港、手羽先、味噌煮込みうどん、スガキヤ、味噌カツ、えびふりゃー、愛知の企業は調子がいいというし、千葉国の次は愛知国ですかね。毎日新聞さん?

名古屋がすきかといわれれば、分からないが、岐阜は名古屋に近いので食文化が似ている。言葉が似ている。距離も近すぎる。ということで、親近感はあります。この、名古屋の勢いに岐阜県もひょこっと乗って、いろいろ得を出来ないのかな?
天才クイズが東海ローカルだと知らない、東海県民が多かったり、天才クイズに出たことがある人がちらほらいたり。って、まったく関係ない。

名古屋のフラッシュもブーム再来か。

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February 13, 2005
みんな合理的を望んでいるようで、いないよう
みんな合理的を望んでいるようで、いないようで。

まあ、人間完全に合理的じゃないのはそうなんですが。

ちょっと頭を使って行動すれば、かなり環境がよくなったり、効用が大きそうなことでも、それを実行しない人が多い。それを考えられない人もいるかもしれないが、考えられる人でも、合理的な行動をとらない人がいる。まあ、常に合理的な行動をとらないのは分かる。私もその一人だ。ああ、こうしたらいいだろうなと分かるけど、その行動に移すのがめんどくさい。めんどくさいと言う表現とは違うのだが、なんというか行動に移す気にならない。

なぜだろう。明らかに少しの労力で大きな効果が生まれることが分かりきっているのにしない。人間とは現状維持がすきなのだろうか。何ですきなのだろう。

うーん、絶対的に 「合理的な行動をする労力<合理的な行動による効果」
の場合でも、合理的な行動をしないと言うことは、
「合理的な行動をする”気分”>合理的な行動による効果」
気分が勝っているのだろう。

気分ね。気分と言えば気分。しかし、何か違う。私と言う人間の中にある、中から生成される何かによって決まるんだけど、気分とは違う感じだな。そもそも気分って定義が分からないし、気分ってことすら分からない。

私は、本とかから学べない人なので、かっこいい理論の名前とか、あんまり知らない。
日々の生活から感じたことを、自分で考えると言うことをしないと身につかない効率の悪い人間なのである。

Posted by takeshi at 02:58 AM | コメント (214) | トラックバック (0)|
なんちゅうか
書きたいことがあったような、ないような。

記憶していたような、記憶しているような。

ぼんやり何か浮かんだような、浮かんでいないような。

時が流れているような、時が止まっているような。

驚いたような、驚いていないような。

世の中ではいろいろなことが起きているのだろうか?

日曜日は今日も明日もやってくる。

「路上で寝るくらいぶったおれたい」

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February 10, 2005
米が食いたいんだよ
松野頼三元衆議院議員が週刊アサ(秘)ジャーナル という番組に出ていた。

戦後、うまかったもので、1位銀シャリ 2位すき焼き 3位バナナ っていってた。

米が食いたかった、米だけで何倍も食えたと、感情こもっていっていた。戦後の時の銀シャリへの気持ちはすごかったんだろうと思う。僕も海外であまり食っていなくて、うまい物食うとたいしたものでもおいしく感じるから、それの究極バージョンなんだろう。

で、これを見て、今日ワールドカップドイツ大会の最終予選、日本vs北朝鮮を思い出した。日本はケッコウ苦戦していた。というか、ぎりぎりまで同点で、ロスタイムに点を入れ勝った。勝てば、最後に点をいれようとなんであろうと、勝ちは勝ちだ。

ただ、苦戦していたのも事実。で、それを見ながら思った。日本は先進的な科学的トレーニングを行い、栄養バランスの取れた食事をし、海外のトップチームで戦っている人もいる。北朝鮮チームはテレビなどで伝え聞くところによると、そうではないかもしれない。このような環境や条件の違いはあっても、互角だった。

良い、トレーニング機械、トレーナー、食事、すべて良いものを使ったからといって、勝つわけではない。それがないからこそ生まれるハングリー精神のようなものは、トレーニング機械や食事を超えるものになる可能性がある。このことは、絶対に心にとめておかないといけないと思う。

銀シャリもそうだ。銀シャリは決して高いものではないかもしれない。しかし、その状況や自分の気持ちによって価値というものは無限にも大きくなる。逆に極限まで下がることもある。高級だから良いというわけではないんだよなぁと実感。

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February 09, 2005
100円と1万円の
私の手帳を見たことがある人は分かると思うが、無印良品の線が引いてあるだけの手帳だ。それに、自ら日付を入れたものを使っている。100円だったので買ったというだけの理由だ。

で、今日手帳なるものをもらった。またまた、線の枠だけ入っていて日付が入っていない。うん、なんとも不便。しかし、そろそろ手帳がなくあるのでうれしいのである。おっと、手帳っていっていいのか?って何のこと言っているかというと、その手帳1万円也。一万円の手帳って。。。100円と機能は変わりません。さらに、日付は手書きの手帳です。が、本皮です。箱をあけてびっくりです。

まあ、僕にしたら100円でも1万円でも機能は一緒だから、どっちでもいいのです。さらに、両方とも日付は手書きと言う落ち着き。ものの価値を考えさせられます。はい。価値とは何なのか?機能って何か?ってありきたりのことを考えますね。

まあ、これはオークションで売って新しいのを買ってもいいんですけど、一生使えそうだし、たまには高級なものを持つのもいいかなと思っている次第です。

http://www.raymay.co.jp/bungu/products/davinci/davinci_products01b.html■聖書サイズシステム手帳 ¥10.000
KRAUSEゴールドリングを使用し、表、ポケット、中戸に至るまで惜しげもなく本革を使用した高級タイプ。

Davinci
DB102C (ブラウン)
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●本体重量:394g
●素材:イタリア牛革(植物なめし) 
●リング:リング内径20mm
●高級ギフトパッケージ使用
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地方企業はビジョナリーカンパニー
地方企業はビジョナリーカンパニーであると言うことです。

今日思ったんですけど、まあ、当たり前です。特に一代目の地方企業はビジョナリーカンパニーが多いのではないかと考えたわけです。

そもそも、ビジョナリーカンパニーとは何か?
まあ、私はかの有名なビジョナリー・カンパニーの2冊を読んだことがないので、この本に沿った定義は知らない。

しかし、この本に書いてあるビジョナリーカンパニーとは以下の条件を満たしているものらしい。
(1)業界で卓越した企業である。
(2)見識ある経営者や企業幹部たちの間で広く尊敬されている。
(3)社会に消えることのない足跡を残している。
(4)CEOが世代交代している。
(5)当初の主力製品やサービスのライフサイクルを超えて繁栄している。
(6)1950年以前に設立されている。

まあ、僕がいっているビジョナリーカンパニーはこのようなものではない。俺に言わせれば、上記の6点を満たしている企業をなぜビジョナリーカンパニーというか分からない。6つの条件を満たす企業がすべてビジョナリーカンパニーではないといっているのでもない。さらに、6つの条件が満たされている企業を批判しているわけでもない。こんな条件を満たしている企業は世界中探してもめったにないような素晴らしい企業であると思う。

まあ、これらの細かいことは本を読まないとなんともいえないので、特に触れないでおこう。今度、ビジョナリー・カンパニー1・2を出来るだけ早く読む必要があると思う次第です。また、読んだことがある人はいろいろ教えてほしいです。素晴らしい本らしいので。

で、僕がタイトルに書いたビジョナリーカンパニーは明確なビジョン・理念を持った企業のことで、まさに「読んで字のごとく」ってやつです。

話はそれるが僕の好きな会社は僕の言うビジョナリーカンパニーであったりします。まあ、なんで、地方に僕の言うビジョナリーカンパニーが多いか。

それはですね、東京で会社を作る人は安っぽい人が多い可能性がある。安っぽいというのは、周りに会社を作った人がいるから作ったとか、なんかカッコイイからとか、お金儲かりそうだからとか、そういう理由で作る。そんでもって、東京は地方と比べて会社設立の障壁が低いように感じます。さまざまなサポート体制があり、会社を作った仲間もたくさんいる。お金の面でも投資・融資を受けやすい。環境が恵まれています。このような環境による相乗効果で、コラボレーションが起こったり、相互補完ができるなどメリットも多いんですけど、ハングリー精神はなくなりやすいと思います。

逆に、地方で会社を作る人はかなり異端児です。環境やサポート体制も整っていません。自分が、このような社会にするために、これをやりたいとかなり強く思わないと会社を作らないと思うのです。会社を設立する障壁が高いからこそ、設立する人は強い思い・ビジョン・理念があると思うわけです。

そのような強い思いがあると、必然的にビジョンのある企業になると思うのです。会社のファウンダーがそのような理念をアピールすることにより、その理念に共感した人が集まり、組織としてビジョンオリエンティッドな会社になると思うのです。

まあ、なんとなく思っただけ。

別にビジョンがはっきりしているからすべて良いというわけでも、ビジョンがあるから儲けることが出来るとも思ってません。なんとなく会社を作ることも面白くて良いと思います。僕の言うビジョナリーカンパニーは、逆にビジョンに傾斜しすぎて、冷静な目で見えなくなると言う大きな問題があるかもしれません。
個人的に好きかどうかの話をしているだけですから、どっちが良い悪いではないですよと、最後に付け加えておきます。

Posted by takeshi at 01:37 AM | コメント (192) | トラックバック (0)|
February 05, 2005
脳とアウトプットとその評価
脳とアウトプットとその評価という、なんか意味の不明なタイトル。こんなことを言っていると、いつも君は文型か?と問われる。うん、くだらない。どうでもいい。高校から無理やりカリキュラムを文系と理系に分けているから、みんなそんな分け方をするのだ。

で、私は気になるから、どうしても気になるから書くだけ。いくつか思うこと感じることが重なったから書きます。

・ワーキングメモリとIQ
・話下手だけど仕事が出来る人
・本当にすごい人はすごいと認めれない

前書いた、脳の常駐ソフト理論もそれだな。

・ワーキングメモリとIQ
ワーキングメモリが優れている人とIQが高い人はイコールではないみたいなことが書いてあった。けっこう遅いのだが、このワーキングメモリと言う言葉が引っかかった。なんか興味深くて僕の中でキーワードになった。ワーキングメモリとは「情報を一時的に保持する、操作・統合して答えを導き出す、という一連の過程を含み、言語理解や推論など高次の認知機能のベースとなる重要な機能」とか書かれたりしています。短期記憶の拡張だとか。良く調べていないからなんともいえないけど、かなりおくが深そうです。なんか、ワーキングメモリの容量が大きい人はいわゆる(普段接していて)賢い人なのかなと思う。IQは知能指数であり、違うものなのであろう。そもそも、頭の良いとは何なのか?どう定義するのが一番話を進めやすいのだろうか。疑問だらけ。脳自体の問題。

・話下手だけど仕事が出来る人
すごい話が下手な人がいた。でも、その人の実績を見るとすごすぎる。まあ、実力勝負の世界で生きてきて、相当な外資企業の経営者としてヘッドハンティングされている。若いのにこうだから、実際に仕事は出来るのだろう。でも、話は下手。話がうまいからといって仕事が出来るわけではないが、うん、でも見極めるのって難しいですよね。ファーストコンタクトは話すぐらいですから。それと、あまり多くを話さなくても、どもっていても、立て板に水に話さなくても、ズシーンと心に伝わってきたり、感動したり、この人考えていると感じることがある。流暢に話すということには、そこまで価値がないのかも。まあ、大統領スピーチとかは、流暢なほうがいいような気がします。でも、原稿を用意していないときは除く。言葉としてのアウトプットと、仕事のアウトプットの違いの問題。
・本当にすごい人はすごいと認めれない
本当に凄い人は凄いと感じない。アウトプット(話し、文章など)は考えたり悩んだ何分の一しか現れないのは、良く分かる。それに、考えたことや、知ったこと、身に着けたことをすべて盛り込むと安っぽくなったりする。まあ、それはいいとして、本当に凄い人は相手のレベルを理解し、何の違和感もないように論理立ててはなす。それも難しいこと説明していると感じさせない。それでもって相手が心踊るポイントをついてくる。 だから聞き手は話し手(すごい人)のことを凄いとすら感じる隙がないのだ。ということで、僕が感じることの出来ないレベルのすごい人は、本当にすごいはずであるが、僕はそれに気づくことが出来ない。。。これはアウトプットの評価の問題である。

とまあ、難しい。それに、話がそれている。

これらを考えていると、頭がいいとか、仕事が出来る、と、その評価とは難しい問題である。ベースとしては脳のどの部分のどのような動きが関係しているのか。うーん、頭がぐるぐるする。

Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
僕の脳は文字ベース
今日は大学から家まで歩いたわけである。普段歩かないところを歩くからと思って、MP3プレイヤーで音楽などを聞かずに、町の音を聞こうと思った。

しかし、家に近づいていつもと同じところなどでは聞いた。そのときふと思う。

僕のMP3プレイヤーにはいろいろな曲が入っている。どんな曲かも知らないのも入っている。なぜなら、適当にダウンロードしたり、友達の家に行って適当にパソコンから音楽データをもらうからである。さらに、僕はシャッフルで音楽を聴いている。順番はばらばらで流れる。

で、新しく音楽が始まった。うん?!とおもった。音が流れてくるのを聞いて、なんだこの曲と思った?聞いたことはある感じだったが、ピンとこなかった。

で、僕がとった行動は、プレイヤー本体に表示されるタイトルを見たのだ。自然にそのような行動になった。聞いて分からなかったら、分からないはずである。さらに、見たからといって、なんか意味があるのか?音楽と言うのは聞くことに意味がある、効用があるように感じる。(まあ、ジャニーズとかアイドルの音楽は文脈を楽しんでいるのだが。)しかし、僕はタイトルを見た。なにを感じてみたかは知らないが。

その行動を通して思ったのは、僕は音よりも文字をベースに理解しようとしている。文字で理解することに最も慣れている。僕のiTunesやMP3プレイヤーに入っているほとんどの曲のタイトルや歌手名を知らないが、タイトルを見るという行動をとった。文字を見ることに落ち着きや安心を感じるのだろう。そして、文字で見ることによってさらに、音を理解しようと思ったのだろうか。

僕は文字で理解するのだろうが、音で理解する人、絵やイメージで理解する人、においや色などなど、人それぞれ理解するベースが違うのだろう。
Posted by takeshi at 09:42 PM | コメント (203) | トラックバック (0)|
一秒の世界
一秒の世界とかいって番組をやっていた。

山本良一東大教授と言う人が、一秒にすると何でも分かりやすいからといって、一秒に単位をそろえているらしい。

ビルゲイツは2000億円資産が増えて、一秒にすると、みたいなことは好きだ

チーターは1秒で、28メートル(訂正しました)
世界で一秒間、532人マクドナルド  
炭酸飲料1秒で1万6000カン 3分の1 アメリカ アメリカ人一人600缶年間
440メートル、A4用紙 一秒間
一秒間に天然林 テニスコート20面
一秒間に植林は5面
グリーンランド、氷河 一秒間に 25メートルプール4杯分

1秒0.3人餓死
1秒で軍事費 320万円

どこまで、本当か知らないし、言葉のあやっぽく、トリックを使って軍事費とか試算しているかもしれないが、ゲイツとかマクドナルドは好きだな。

Posted by takeshi at 08:49 PM | コメント (237) | トラックバック (0)|
なんとなく大学から家まで歩いてみた
タイトルどおり、なんとなく大学から家まで歩いてみた。
遠かった、以上終わりでも、良いのだが、自分のためにメモメモ。

・定期が明日で切れる。→使っておこう。
・土曜日で快晴。→どっかいこう
・時間があった。→どっかいこう。

二郎納めをしたかった。
大学で新聞を読みたかった。

上のような条件から、大学へ行くことにした。それで、二郎へ。
最近また、味が戻ってよくなった気がする。ぜひ、皆さんも行ってみてください。まあ、40ぐらいの夫婦が来ていたのですが、奥さんがラーメンに対してちょいとご立腹みたいだったんですけど、二郎を知った上で来いよボケと言ってやリたかったです。

まあ、それから大学の図書館で日経を2週間分ぐらい読んだ。小学生から読んでいて読み慣れているので、読み飛ばしをしまくり。今月から私の履歴書がドラッカーみたいだ。長生きだな。まだ、講義をしているらしい。あと、そこまでやるか 新エリート主義っていう夕刊の連載特集みたいなのが面白かった。

大学で、中等部の入試がやっていたのだが、子供が入試の間親がキャンパス内で待っていた。だから、おばちゃんおじちゃんばかり。はっきり言って、いかがなものかと。子供もかわいそうだし、親も子離れできていない。過保護すぎる。こんなんじゃ、日本人は本当の意味で強くならない。

心も頭も体も強くなければ、意味がない。かわいい子には旅をさせよといったものだ。
で、家に帰るか上野博物館へ行くか、古本屋へ行こうと思って駅へ。でも、なんとなく、家まで歩いてみようと思う。もちろん地図も何もないわけだ。北へ行けば着くだろうと思って歩き始めました。

とりあえず、田町駅前から歩き始める。いつも見ている、NEC本社。さあて、何時間歩けば家に着くのだろう。はたして、つけるのかと思いながら歩く。天気も良いし気持ちがいい。
02:34 PM

線路沿いを歩こうと思った。が、線路から離れたり、また線路に近づいたりの繰り返し。
地図とかないので、そうなります。第一京浜らしい。
02:42 PM

大門駅は浜松町とニヤリーイコールです。
田町の隣駅。
02:51 PM

ロープひとつでガラス掃除。
水が下に落ちてきた。今日はガラス掃除をいくつものビルで見た。
こういう仕事は土曜日に多いんだなー。そりゃそうだけど、初めて実感した。
02:53 PM

新橋(若い人が汐留というところ)の新しいいるです。
松下、電通、共同通信などなど
03:02 PM

ポルシェのお店。汐留シオサイトにあった。
03:07 PM

下水管ですか?大量に道路においてあった。
気になったパシャリ
03:08 PM
歌舞伎座らしい。聞いたことはあったが、はじめてみた。
東銀座駅からすぐなので、一度着てみるのも面白そう。
03:17 PM
フェデックスとキンコーズがあわさった店。
日本橋だったかな。うーん、いかにもな会社がコラボしてますね。
03:45 PM

日本橋にあった、五街道の起点かなんか。へーー。
歩かないと見つからないものだな。
03:47 PM

おお、神田まで来た。
けっこう、遠かった
03:59 PM

上野。いつもくる上野。
土曜日はにぎやかでした。
あと、秋葉原もすごい人だった。
04:23 PM

はい、千円でぇいいよ~。千円。
the AMEYOKO。
04:28 PM

国立博物館で唐招提寺展がやっています。
早く行こう。でも、すごい人だろうな~
04:39 PM

千駄木です。昔は(旧)駒込坂下町といったらしい。
家まですぐそこ。
だが、ブックオフとスパーに寄り道。
で、家に帰り着きました。
05:19 PM

Posted by takeshi at 07:38 PM | コメント (198) | トラックバック (0)|
若き国際的指導者
あまり、ニュースにならなかったが、世界経済フォーラム(ダボス会議)が「若き国際的指導者」237人を選出したらしい。日本人は10人みたいだ。

まあ、個人的に選出された人すべてがどうかって話はあるんだけど、まあ頭の片隅に入れておこう。
年齢を見ると、国際的ビジネスマンとして「若き」ってのは40歳までということなのかな。

これとは関係ないけど、日経の「そこまでやるか 新エリート主義」っていう夕刊の連載特集にも、いろいろな人がのっていた。
理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター上田泰己チームリーダーは、すごかった。27ぐらいでチームリーダになったらしい。大学で行ったら教授みたいだ。東大医学部5年のときに山之内との共同プロジェクトでリーダーしたり、バイオと言語をそれぞれ一年でマスターしたり、ソニーCSLの北野宏明さんに1年師事したとか。それで、東大博士課程を修了して理研のチームリーダー。すごいね。理研もそんなことする時代なのだな。

矢野 祥君もすごい。14歳で大学はいって、今はシカゴ大学医学部とか。ピアノも出来て空手かなんか武道もやっているらしい。

http://www.weforum.org/pdf/YGL/list05.pdf

楽天 三木谷浩史社長(39)、
中古車輸出会社アガスタ 松崎みさ社長(34)
伊藤忠商事法務部 社内弁護士 茅野みつるさん(38)
参院議員 浅尾慶一郎(40)
ファーストリテイリング 堂前宣夫副社長(35)
衆院議員 古川元久(39)
サイバード 堀主知ロバート社長(39)
東大 近藤正晃ジェームス助教授(37)
横浜市長 中田宏(40)
参院議員 鶴保庸介(37)。

Posted by takeshi at 07:24 PM | コメント (198) | トラックバック (0)|
BRICs
BRICsっていうじゃないですか。

前から、sはどっかの可能性があるのではと思っていたんですけど、South Africa
(南アフリカ)かもね。

G7にブラジル、中国、インド、南アフリカが呼ばれたらしい。
確かに、資源豊富だし、けっこう都市化していて、アフリカの重要な都市であるのは事実だ。

まあ、注目ということですな。

Posted by takeshi at 07:17 PM | コメント (232) | トラックバック (0)|
February 02, 2005
一本の意味のない線から始まる
暇なときになると、落書きを始める。暇といっても何もやることがなくて、と言うのではなく、時間とか場所が拘束されていて、そこから離れられないけど、退屈なときのことだ。

まあ、高校で言えば、授業中だったり、ディベートの好評だったり、するわけです。なんとなくイメージがわくかな?まあ、そんなような時が最近ありまして、いつものように紙にボールペンで落書きを始めるわけです。

べつに、特に落書きが好きとか、絵が好きかと言われれば怪しい。その場で話を聞くことと、落書きすることどちらが価値が高いかと言えば、話を利くことのような気もするが、落書きをする。人間の意思決定というものは、それほど矛盾を抱えたものなのです。そもそも、価値が高いものを選択することが、当たり前だと言う考えがあるけれど、それの本質的な優位性は証明不能なわけで。どんな説明を繰り返しても、どんどん、それはなぜかを問い続けられるわけで。

まあ、それはいいとして、落書きをするわけです。特に何を書くと言う計画もなしに。てきとうに線を引く。すると、自分が書いたその線から、勝手に線を延ばしたり、円を書いたり、人を書いたり、付け加えられてなにやら分からないが、何かしらの絵が出来上がる。

不思議なもんですよ。一本の意味のない線からなんかが出来あがる。その出来上がったものは、一本の線が、まさにその線であったからこそ生まれたものなのです。はじめから、何かを書こうとして書く場合は、一番初めの線が全体に与える影響は比較的小さい。でも、計画性のない落書きは一本目の線が命なわけです。まさに、その線であったからこそということなんだよな。恐るべし、落書きの一筆。

Posted by takeshi at 11:13 PM | コメント (225) | トラックバック (0)|
利き手、利き足、利きからだ傾き
利き手、利き足、利きからだ傾き

利き手があるのは皆さん知っているだろう。私は利き手を右から左手に変えようとした。中学のときは字も左手だかいていたが、今は書いていない。しかし、中学から左手で食事をするようになり、今でも左手だ。左手で食事をした年月のほうが長くなりそうだ。

聞き足があることも前のエントリーで書いた。

利きからだ傾きがどうもありそうだ。傾けやすい体の向きがある。僕は昔から洗面所で水を飲む癖がある。なぜかと言えば、冷たいと感じるからうまいのだ。で、コップを使う習慣がないから、手ですくうか顔を横に向けて水を飲む。そのときに、体の向きを変えて飲んでみると飲みにくかった。いつも自然と傾けていたのが、利き体傾きだったんだろう。

なんでも、「利き○○」があるんだろうな。

Posted by takeshi at 10:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
デースケドガー
デースケドガーらしい。

そろそろ、飽きたな。SEO コンテストキーワードらしい。

またひとひねりいれないと、面白みがないです。

世の中全てがどうでもいいわけで、世の中全てが気になるわけです。
まあ、そん時の気分次第と言うことです。

気分屋は批判されますけど、まあ社会で生きていくには他人に迷惑ですけど、その人は一番楽で楽しいと言う、大きなギャップがあるわけで、

難しい問題であるわけです。

Posted by takeshi at 10:17 PM | コメント (233) | トラックバック (0)|
February 01, 2005
受験シーズンらしい。
どうも受験シーズンらしい。

中学・高校・大学と。いろいろな受験があるわけです。

地方にいれば、高校選びまでは校風なんてあんまり意識しないと思う。学力レベルによって自然に決まる。しかし、都会の人は違うみたい。校風なる、本当か嘘か分からないもの、みんなのイメージと言うものが結構重要らしい。

大学選びも気にするらしい。この校風なる怪しいものを。

特にKとWの校風の話を良く聞く。僕は岐阜にいたからそんなもの知らなかったし、気にせず受けた。でも、最近なんとなく思う。ちょいと違うなと。それは入る段階ではあまり違いはなかったと思う。(まあ、イメージを持っていて、それを踏まえて受験するから、入ってくる人のキャラから違うのですが。たぶん)しかし、環境による相乗効果によって人は変わっていくのだと思う。それで、なんとなくWっぽいとかKっぽいとか。

僕は自分の大学の中ではKっぽくないと言われる。しかし、某大の関係者からみるとKらしい。うーん、知らない間に染まってしまったのか。怖い怖い。

しかし、結局その人次第だし、なんとも良く分からない校風なるもの。入ってその校風なるものに染まってしまえば、校風というものに自分では気がつかないし、入る前だと、実態を知らずたった一人から聞いた印象などで校風を想像してしまう。

結局校風と言うものは分からないのであろう。この、なんとも摩訶不思議な校風。

10年ぐらい前のマルチメディアという言葉のまやかしや、近年のユビキタスと言う実体のない、商業戦略だけの言葉に似ている。なんともあやしい。これらの言葉が死ぬのは早い。なぜならその技術が先進的でなくなったりするからだ。

しかし、学歴というものは人が死ぬまで、校風なるものはなくならないだろう。すなわち人がいる限り永遠に校風なるものはなくならない。校風がなくなるときは学歴がなくなるとき、すなわち人類が滅亡するときであろう。

なんか、地頭だとかコミュニケーション能力だとか起業家精神なることばも実態を持たないなんとなくそれっぽい言葉である。

なんとも怪しい。実体のないものである。

たしかに本質的に重要なのであることも多いのであるが、それは感覚的にしかわからないものであるから、一歩間違うと怪しい世界へと言ってしまいそうである。

Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (208) | トラックバック (0)|
うーん。
日々書きたいことがあるのだが、なんか書く気分じゃない。

まあ、気分次第なので。

昨日の夢はなんか夢の中で夢を見た気が。そんでもって英語で夢を見た。
英語にうなされていました。

ネパールで非常事態宣言らしい。国王が政治家に任せとれんといったらしい。
ネパールには400人の日本人がいるらしいですが、NHKのニュースでも動画じゃなくて写真なのはいかがなものかと。

Posted by takeshi at 07:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|