すべてはマシュハドへの序章だった

前回のイラン旅日記はコチラ「それでも荒野が見たくてチャクチャクへ」

マシュハドが目的地になった理由は簡単だ。イランに行った事のある友だちに何処が良かったかメールで尋ねた。すると、エスファハン、ペルセポリス、タブリーズ、バンダルアッパーズ、ゴム、バムなど色々と返事が返ってきた。彼らはそれらの街を訪れ、風景や街の雰囲気、そしてその街の人々に興味を持ったのだ。紹介された土地を調べ、ルートをざっくりと考えた。

さらに、友だちからの返事には、「行かなかったけど、マシュハドも良いって聞いたよ」と書かれていた。それは一人ではなく二、三人の返事にそう書かれていた。行った事ないのに勧めるということは珍しい。よっぽど良い街だと、旅の途中に他の旅人などから聞いたのだろう。そんなことを言われると自然と興味を持って調べる。すると、イランにおけるイスラム教の聖地だという。「富者はマッカへ、貧者はマシュハドへ」という言葉があるぐらい、ムスリムにとって重要な都市なのだ。今回の旅はイスラムに関わるところに行きたいということが大きな動機のひとつだったので、マシュハドを目的地に入れた。2週間程度の日程であったため、バムとマシュハドのどちらかを選択せざるをえなかったが、今回の旅ではマシュハドを優先することにした。





マシュハドの町中

昨夜バスの出発が2時間ほど遅れたせいもあって、マシュハドに着いたのは朝8時30ぐらいだった。すでに明るく、すぐに動き出せる都合の良い時間だ。夜行に乗ると翌朝の到着時間が非常に気になるが、今回はアタリだった。真新しいバスターミナルを出て安宿の地域を探しはじめる。しかし、どこがその場所にあたるかも分からない。そこでとりあえず街に出る。すると何人かが声をかけてきて、どこに行きたいか尋ねてくる。いつものパターンだ。マシュハドにはholy shrineとかハラムと呼ばれるイマームレザ廟がある。マシュハドと言えばholy shrineと言われるほど神聖なモスクだ。とりあえず、この辺りに行こうと決める。そして、バスの運転手をしながらソーシャルサイエンスを大学で勉強していると言う青年に声をかけられた。彼に着いていきバスに乗せてもらう。運転席の横に立ち彼と話しをしながら、holy shrineを目指した。彼は宿が見つからなかったら、仕事後に助けてあげるよと携帯番号を教えてくれた。そしてバス代はいらないよといって、holy shrineの前で降ろしてくれた。

holy shrineの近くにはバザールや安宿街も目についた。さっそく安そうな宿に入ろうとすると、もう運営されてないようだった。外観からはそんな事が分からなかったから、すこし驚いた。もう1軒へ行くと、またも同じ。なぜだ?!と不思議に思いながら、3軒目。ここはやっていたのだが、1泊20万リアル(2000円)と言われ、泊まる気をなくした。まだ、朝早いしもう少し街をぶらついてから探そうと思い、お茶を飲んだり、街をブラブラした。すると、町中で話しかけられる。宿を探しているのか?と。怪しいなーと思って、最初は断ったが、町中で色々な人も見ているし大丈夫かと思って、とりあえず話しを聞いてみた。すると、彼は誰かに電話して、その電話を僕にかわった。電話の向こうではおっちゃんが話していて、家に泊まるか?と聞いてきた。ホームステイしないかと言う。はぁ?という感じだったが、とりあえずそこで待っていろと言われるので、道端で待っていた。15分ぐらいして、おっちゃんがやってきた。

やはりホームステイしないかと言っている。夜飯も朝飯もつけるよと。その人に怪しさがなかったのと、今は台湾人も一人泊まっていると言われ、さらにバスでとりあえず見に来いよと言われたので、行ってみることにした。すると本当に普通の家で、奥さんと子供と暮らしているようだった。色々なことをふまえて、大丈夫そうだと判断し泊めてもらう事に。1泊5万リアル(500円)と夕食3万リアル、朝食1万リアル。


holy shrine(イマームレザ廟)の外壁

とりあえず、ホームステイ先のヴァリさんの家からholy shrineへ向かう。ただ、ヴァリ邸は中心地から少し離れたところにあり場所を忘れそうなので、周辺の町並みを写真で撮影した。それから、バスで来た道を思い出しながら、holy shrineへとテクテクとむかった。外から見ても大きなholy shrine(イマームレザ廟)であったが、外から見るだけでは中の雰囲気を伺い知る事ができず、その神聖さというものは伝わってこなかった。巡礼に来ている人を見ると、荷物を預かり所に置いて、金属探知器とボディチェックを受けて中に入るようであった。他のモスクとは比較にならないなと思った。後から分かったのだが、このモスクで数年前に爆発テロがあったそうだ。神聖なモスクというだけではなく、こういった背景がありチェックが厳しかったのであろう。


holy shrine(イマームレザ廟)の中を覗く

僕も巡礼者と同様に中に入ろうとしたら、外に出るように言われ、係員の人にムスリム以外はガイドと一緒でないと入ってはいけないと言われる。しかたなく、入り口でガイドを待つ。若い兄ちゃんガイドが登場し、英語で挨拶をかわした。すると、今は入れないと言う。礼拝の時間だからムスリム以外は入れないのだと。それはしかたない。礼拝が終わる3時に来いと言われ、腹も減ったので何かを食おうとする。しかし、相変わらずレストランがない。サンドイッチ屋しか見当たらない。。。でも他のものが食いたい、ということでとりあえずソフトクリームで腹を騙すが、すぐ腹は減り、諦めてサンドイッチ屋で食べる事にした。いつものようにレバーのサンドイッチかハムのサンドイッチぐらいだ。今回はZAM ZAMというイランのコーラを飲む事にした。イランでは、このZAM ZAMがコーラの代わりをしている。味と言えば、コーラよりも味が薄いかな。サンドイッチを食べたぐらいでは時間が過ぎない、こんな時は得意の街歩き。あっちをブラブラ、こっちをブラブラ。


サンドイッチとZAM ZAM

歩いていると、色々な事に気がつく。女性のチャドルにはいろいろな種類がある。体全身を黒い布ですっぽりと覆うものや頭にスカーフのように黒い布を巻くスタイル、都会の若い女性の中には黒以外のスカーフを巻いている人もいる。こんな色々な種類のチャドルがあるのだが、マシュハドでは黒い布をすっぽりかぶっている人が非常に多い。やはり、この街が聖地である事によるのだろう。そんなことを感じながら、歩いていたら15時になったので、急いでholy shrine(イマームレザ廟)へ戻る。すると、ガイドの兄ちゃんがすでに待っていた。


街行く女性

ガイドに従い、カメラをを預け、ボディーチェックを受けて中へ入った。中へ入った瞬間に呆然とした。モスクの中は一般の世界とは別世界であった。でかすぎる。イランで見てきたモスクとは規模が違いすぎる。トルコで見たモスクなんかも比較にならない。その広さと大きさに圧倒された。そして、礼拝の時間が終わったといっても、多くのムスリムが出入りしていた。年間2000万人ものムスリムがこの聖地holy shrine(イマームレザ廟)に来るというのだから、頷ける。


モスクの前を歩く女性

歴史的なことやこのモスクの作りの意味、イスラム教についての説明を受けながら見て回った。いろいろと解説をしてくれていたのだが、それを聞くよりもこのモスクに目が釘付けで、解説どころではなかった。ただ、ムスリムでないと入れない場所も多く、入り口から覗きこむだけの建物もあった。それでも、このモスクの凄さが伝わって来た。天井や壁はガラスの破片で敷き詰められ、それ以外の場所は金や宝石が敷き詰められ、目が痛くなるぐらいのきらびやかさであった。周囲を囲む高い外壁は鮮やかな青いタイル、そして鎮座するかのような門。圧迫されるようなチカラを感じた。

そしてモスクの中では溢れんばかりのムスリムがお祈りをしていた。お祈りの声と言葉にもならない嗚咽が重なりあって聞こえて来た。モスクから出てくる者の中には涙を流しているムスリムもいた。死ぬまでに一度しか来れないような聖地に来ることができ、そしてお祈りできた事への感謝が溢れ出たのであろうか。壁にしがみつくように祈る者やひたすらコーランを唱える者など、人それぞれの祈り方で何とか神へと届けと会話を繰り返していた。

個人の中にあるエネルギーが爆発し、それらが一カ所に集まっている。何か想像もつかないとんでもない事が起こるのではないかと言う、恐怖感すら覚えた。一通り回り、ここはとんでもないところだと思った。もっと見たい、ガイドなんかなしで、自分のペースで見たい。肌で感じたいと。旅の最後にマシュハドを訪れて本当に良かった。これだけの場所を最初に見てしまったら、他の場所に心動かされなかったかもしれない。逆に言えば、全てはマシュハドへの序章だったのだろう。

ガイドに彼の事務所へと連れて行かれて、このモスクの聖職者の人と話した。彼は英語が話せないらしく、ガイドが英語に訳して会話した。一人の地球人として答えてほしいという前置きがあって、質問がされた。

Qあなたはどのように泳ぐ事を覚えた?
A親か先生に習った。
Q親や先生がいなかったら?
A自分で何度もトライして覚えただろう。
Qじゃあ、あなたの手がなくなったらどうする?
A医者に行く。
Q医者は手を再び付けてくれない。創造者がすべてをくれたのだ。創造者こそ神であり、アラーだ。これがイスラムの考えだ。

彼らは、イスラムの考えは論理的だ。論理的な考えをすればイスラムの考えになるのだと説いた。論理的かどうかは置いておくとして、こういった論法は良くあるのだが、こんな風にイスラム教を説明し、理解させるのかと驚いた。できるだけ多くに人に理解してもらい、信じてもらうには論理だという認識を聖職者が持っていたのか、イスラムの元々の考え方なのだろうか?


ブレブレだけど夕食の写真

そんなことをしていたら、良い時間になったので、ホームステイ先のヴァリの家に歩いて帰る事にした。暗くなってしまい、地図もないために迷ったがなんとか着く事ができた。ヴァリはパソコンを使えないらしく、息子は出かけているのでスキャナの取り込みとかを手伝ってあげた。それから夕食。やはり食事は絨毯の上にビニールを敷いて食べる。もちろん男だけ。ヴァリと台湾人と俺。夕食はピラフとピクルスとヨーグルトサラダ。これらは全て○○のようなものがつく。ピラフのようなもの。ピクルスのようなもの。なぜなら、何か分からないからしかたない。


ライトアップされたholy shrine(イマームレザ廟)

腹も満たされ、ライトアップしたholy shrine(イマームレザ廟)を見に行こうと、台湾人のデイブと盛り上がり行く事に。マシュハドはイランの中でもかなり北でトルクメニスタンに近い。この街は寒い。夜となればなおさらだ。寒いので体を不必要に動かし温めながら歩いた。夜のholy shrine(イマームレザ廟)はライトアップがされていて綺麗だった。こんな時間でも礼拝に来る人が耐えなかった。信仰ということが持つチカラに驚く。


男たちの祭り?

離れたところから何かが聞こえてくる。デモか?事件か?いやいや祭りか?よく分からなかったのでとりあえずデイブと行く事にした。このholy shrine(イマームレザ廟)は大きいので、音が聞こえてくる場所に行くのも一苦労だ。バザールを抜け、音の場所に辿り着いた。何やらお祭り?儀式?のようだ。2,300人の男が、刀(ソード)を持ち、肩を組み、歌いながら踊っていた。最終的に何か分からなかったが、刀を振りながらこれだけの男がいるのは、少し怖い。旗を振る者、太鼓を叩くもの、マイクを持ち歌を歌う者。結局祭りの意味は分からなかった。

この儀式を見終えると、とぼとぼと歩いて帰る事にした。デイブと帰り道にジュースを飲み、話しをしながら。彼は学生でトルクメニスタンからイランに入国し、そのままマシュハドに来たようだった。それで、彼も俺が行った場所と同じようなところに行く予定とのことだったので、俺が旅したイランの地について話した。そして、彼も写真が好きらしく写真について話していたら、あっという間にヴァリの家についた。

今日は良く歩いたし、holy shrine(イマームレザ廟)と信仰するムスリムとの出会いのインパクトが大きすぎてヘトヘトだ。すぐ寝る事にした。

旅日記の続きはコチラ「そして中へ」

「Iranian Blue」~寺町 健 写真展~
期間:2009年2月15日(日)~28日(土)
   月曜は定休日です
   12:00~15:30 18:00~21:30
   (15:30~18:00の間は店が閉まっていますので、ご注意ください)
   店内は禁煙となっております。
場所:カルカッタカフェ
   〒166-0004
   東京都杉並区阿佐谷南3-43-1 NKハイツ101
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   最寄り駅は阿佐ヶ谷駅になります。
   お食事の方は事前に予約をして頂けると幸いです。(tel:03-3392-7042)

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