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価値の相対性

価値とは相対的なものである。
当たり前である。

希少性、需給バランスといったもので定義づけられると思う。
ただ、2つの異なる世界でのそれぞれの需給バランスの関係性によって定義づけられる。

・世の中一般における希少性(開かれた世界での希少性)
・ある組織やコミュニティ(ある閉じられた世界)での需給バランス(希少性)

これら2つの相互関係によって成り立っている。
世の中的にすごく希少性が高くても、ある組織では余っていればある組織の中では価値が上がらない。
でも、ある組織からでて、世の中に出たらば、一気に価値が上がる。

この作用によって価値というものが決まっている。

人にしろ、ものにしろ、流動性はあるが、いつ何時も動いているわけではないので、社会一般と閉じられたある場における2つの関係によって、価値が決定される。世の中一般とある特定の組織での価値が同一に評価されるとは限らない。

さらに、価値とは、価値を認めるものと、価値を認められるものが常に存在する。自分が当事者となった時、どちらの立場にあって、その対象が社会一般と、ある特定の場でどのような、需給バランスになっているかを踏まえた上で行動するべきだろう。それによって、価値は高騰するし、価値は急落する。それが、価値を認めるものと認められる立場があるということ。

まあ、そもそも正しい価値というものが存在するわけではなく、永遠に定まらないものであるし、市場の原理、神の見えざる手でだいたいは収斂してくるのだが、情報の非対称性が世の中には常にあり、また、ある組織とかある特定の場というさらに限られた世界が無数に存在する。その組織ごとでは更に矛盾が存在する。というのは、特定の組織を横断するような流動性が働きづらいので、不自然な差は存在し続けるのだ。

株価もそうだし、人材もそうだし、ブランド物とか、特許とかテクノロジーもそうだし、マンションとか、車とかとか、なんでも。だから、これは何にでも通じる社会の基本原理であり、かつ重要な意思決定の際に価値定義をしなければならなかったり、価値定義をされるので、この価値の相対性原理を常に脳の意思決定の思考回路に組み込んでおいていいなと思った。

会社のM&Aのバリュエーションもそうだし、転職マーケットそうだし、高級車とかクラシックカーもそうだし、ツアー旅行もそうだし、もちろん不動産も。

で、テクニカルに価値を上げたい場合は、世の中一般における希少性をコントロールすることは通常は難しい。そうしたら、ある特定の組織や場を変更することによって価値を上げにいくという技がある。まあ、当たり前だけれども。

いつも思うけど、文章にするとなんの変哲もないアタリマエのことになってしまうが、自分が聞いたり直面したりした出来事から、この事象の原理ってこうなっていると考えているときは、何かすごいことを思いついたように感じてしまう錯覚は一体何だんだろう。

【色鮮やかな国へ11】キューバの時間を惜しむように

【色鮮やかな国へ11】場違いに誘われて一人でリゾートへ

朝起きると、眩しいくらいに輝く海と空。さわやかな風が部屋を抜けていく。こういったリゾートはいつも青い空と青い海がある、雨なんてほとんど降らないんだろうなと思いながら、今日この日も晴れてくれたことに感謝しつつ、せっかくだから昼のチェックアウトまでこのリゾートを満喫してやろうと、早速部屋を出る。

送信者 キューバ201503

まずは、朝ごはん。朝もビュッフェスタイル。とりあえず、いろいろな種類を食べまくる。昼ごはんがいらないぐらい食べておこうと笑それから、ビーチへ。カヤックをしたり、ビーチバレーをしたりいろいろと遊んでいる人を見ながら、本を読み音楽を聞く。のんびり読書をするには贅沢だが、2日もいたら十分な性格なのだ。せっかちが故に何かしていないといられない。

送信者 キューバ201503
送信者 キューバ201503

昼も近づき、チェックアウト。タクシーでバスのりばまで行こうと思ったが、時間もあるしこの街も見たいので歩いて行くことに。バラデロのメインストリートはおみやげ屋とホテル、レストラン、たまにレンタサイクルやダイビングショップってな感じ。特におもしろみもないが、ホテルの中と比べると人は少ない。やはり、大きなリゾートホテルで完結して遊ぶスタイルなんだろう。

バスターミナルから再びハバナへ。何度この街に来たのだろう。それだけで無駄だなと思ってしまう性格。バスを降りて歩いていると、音楽が聞こえる。ボロボロの建物の中で地元の人達の演奏会がやっている。プロじゃないかもしれないけれど、こうした人達の歌や踊りは力強い。そして、ハバナの定宿である10クックの超激安宿へ行く。明日の朝の飛行機が早朝でタクシーだから、ここにこれば一緒に行く人に出会えるかもという理由で。偶然にもドミトリーに一人男性がいて、英語で話しかけてきた。彼も翌朝の便で帰るらしく、タクシーで行かないかと。俺はすでにタクシーを予約していたので、5時30分に宿の下だよというと、5時のほうが安全じゃないかと言われ、じゃあ5時に変更するね。20クックだよと話して、時間を変更しにいった。

送信者 キューバ201503

って、実は彼は地球の歩き方を持っており、日本人だと知っていたのだが流暢な英語だし、とりあえず英語でいいかと話したのだった。その後、日本語で旅の話をして、彼はカヨラルゴという島のリゾートに一人でいったらしい。キューバにこの時期来る人は変わっている。彼は医師で病院が変わるタイミングだったとか。その後もずっとキンドルで英語の論文を読んでいた。

送信者 キューバ201503

街にでて歩き、最後のハバナをふらつく。おっちゃんに話しかけられて、モヒートをおごったら1杯5クックと高くてビビったり。この国ではモヒートが高いということを忘れていたwとか、レストランもいまいちいいところがないし、露天のハンバーガーを食べ納め。部屋に戻って、明日も早いしシャワーを浴びて寝ることにした。

大きな変化を捉えること

google フォトの話を書いたが、あまりにもすごくて衝撃だった。それで、いろいろ検索して(もちろんこれもグーグルに頼っているわけだ)いたら、こんなデータを見つけた。

コンパクトデジカメの出荷台数が2010年には1億台、その後下降線をたどって2014年にはなんと3000万台になったのだという。(CIPAによる)コンパクトデジカメを産業というと言い過ぎかもしれないが、あるマーケットが5年で3分の1になるという衝撃。

一気に変化する時代だから、大きな流れだけは先読みが必要だ。正直なところ、ある程度流れができたら一気にそちらに変化する。モメンタムて、物理の世界じゃなくても、全てにおいてあるから。人の感情も世界の仕組みや流れも。早過ぎるとミスる可能性があるし、大きな方向性はあっていてもどのサービスや商品が当たるかはわからない。

だから、大きな資本があれば全てに投資するというのが一番正しいやり方で、もっともリスクが少ない。個人としたら、先取りしてビジネスをやるか、個人単位で投資という話しぐらいだろう。あらためて、こうした大きな変化の流れを踏まえて、自らの行動も考えるべきだなと思う。それに合わせて生きるかどうかは、また好き嫌いもあるしどう生きたいかだけど、考慮にはいれておく必要があると思う。

■デバイス

ポケベルから携帯電話からスマートフォン

フィルムカメラからデジカメ、そしてスマホ

ワープロからパソコン

ブラウン管テレビから液晶テレビ

フィロッピーからCDROM、USBメモリ、DropboxやEvernote

ビデオからDVD、ハードディスクそしてオンデマンド

手帳からgoogle calendar

ウォークマンからiPod、そしてiphoneアプリ

現金からクレジットカード、各社のポイント、ビットコイン

雑誌、新聞、本から電子書籍

■手段

HPから掲示板、ブログからSNS

携帯メールからLINE(メッセージングアプリ)

ローカルからクラウド

Emailからslackやchatwork

リアルの戦争から情報戦争

銀行融資から株などから、クラウドファンディング

街頭募金や署名からウェブでの署名や募金

大学とかで起こった思想的な氾濫も、アラブの春のようにネットで始まる

とまあ、デバイスと言っても究極を突き詰めれば情報なんだけれど、それを見たり触ったり操作したりする手段として物体があっただけというものが多いことがわかる。なにからなにまでインターネット以前と以後で変わったな。僕が生まれてから、社会の大きな変化の中心にはいつもインターネットがあったんだと改めて振り返ると気づく。

一方で、

食べる

住む

洋服

病気の治療

人と会う(人と人のつながり)

感情を伴う体験(スポーツ観戦など)

人間という物質が存在しそれを維持することに直接関わることは大きな変化がない。食べるという行為は人間が生まれた時から変わっていないし、洋服だってそう。変わらない世界は、そうしたものとか、嗜好品なのかもしれない。便利なスマートウォッチ(apple watchなど)ではなくスイスの100万とかする高級ブランド時計とか。それは手間がかかる(作る手間がかかるonly one)モノであって、ストーリーと体験する喜びが伴っている。

とまあ、本当にベーシックな衣食住とか移動するとか、人と人のつながりとか、あとは嗜好品以外はどんどんインターネットに繋がり変化したり、デジタル化されていくということ。ただ、衣食住とかベーシックなものも変わる可能性だってある。大学時代に興味を持った意識の問題になれば。結局、人間が認知しているのは実際の世界というよりも脳が認知しているだけ。バーチャルリアリティのようなものでも、人の意識が本物って思ったらそれが本物になる。究極そうなるんだろうかな。俺の生きているうちはどうかわからないけど。

とまあ、こんなことは当たり前なんだが、数字でコンパクトデジカメの出荷台数の変化を目の当たりにして驚いたという話だけだったのだ。

圧倒的な存在が世界を便利にする

google

その圧倒的な存在

少なくとも10年ぐらい前でもgoogle先生と言っていたし、google検索が出た時も、Gmailが出た時も、google street viewが出た時も、なくなってしまったorkutが出た時ですら、僕らは熱狂した。androidのように、デビューは地味でもいつの間にか世界のほとんどのスマホを支配する存在だっている。youtubeなんて買収してから、成長し続けいつの間にか動画や音楽を聞くのにはなくてはならない存在だ。

いまさらだけど、やはりすごい存在だ。僕らの世代の生活をこれほど便利にしたのは、グーグルが一番だろう。

iPhoneからgoogleのNEXSUSに変え2ヶ月でスマホを落として割ってしまい、最新のzenfone2に乗り換えた。

昔は携帯電話を変えると面倒臭かった。データの移行、電話帳、設定などなど。

でも。今はデバイスの中にはほとんどデータがない。ほぼグーグルに存在していて、アドレス帳もgoogleに全部あるし、メールもほとんどしない、LINE、Facebookを入れればコミュニケーションも困らない。本当に便利な世の中だ。一番容量が多い写真も最近リリースされ話題になっているgoogle フォトががいかしている。一眼レフで撮影しPCに保存した写真もgoogle picasaにアップしているから、携帯の写真とともにgoogleフォトにあり、いつでもどこからでも見れる。まさか、複数の写真を勝手にパノラマに加工してくれているのには驚いた。検索もできるし、GPSデータがないデータも画像解析とかGPSや場所を特定している類似の写真から類推していそう。

そんなことを思いながら、走っていた。そして、こんなことを考えていた。

1社に独裁されるのはなんか嫌だ。悔しい。

でも、優秀な人やお金が中途半端に分散するよりも、一箇所に集まったほうがより良いサービスとか革新的な発明が生まれやすいのは確かなのだろう。great vantage pointの話もそうだし、優秀な人同士が切磋琢磨するし、お受験で優秀な学校に入れたがるのと同じ発想で、当たり前基準がどんどん高くなっていく組織。

まあ、グーグルも永遠じゃないし、特殊な株でラリーとセルゲイという一部の人間が大きな力を持っているから変な方向に走る可能性もゼロではない。

ただ、これも資本主義のすごいところで、その時は上場企業だから、株主とか株式市場が主張したりとか、それなりの対応を取る。万が一会社が潰れかけたとしても、株価とか安くなったら別の会社が人も技術も買うわけだろうし、一度社会に出たサービスであればある程度はそのサービスの価値が認知されているので、同様のものを他の会社が提供する可能性が高い。

ということで、一社が独占することにより心理的には嫌だけど、シームレスにサービスがつながって使いやすいし、テクノロジーやサービスのレベルも上がるんだろうな。もちろん競合がいて切磋琢磨したほうが良くなる可能性もあるので、ちょっと比較は難しいんだけど、google以前と以後だと圧倒的に以後のほうが便利なことを考えると、googleのような文化や人の会社の場合は競合によるメリットは限定的なのかなとも思う。

送信者 サンフランシスコ&シリコンバレー

同じポスト、同じ思い出、違う旅

阿佐ヶ谷のスーパースター石田ゆうすけさんwがアルゼンチンの片田舎で絵はがきを投函して、届かないー。と書いていて、ついに届いたというエントリーを見た。

あれ、このポスト見たことあるぞ。

エル・チャルテンの雑貨屋のポストだ!

まさか同じポストから絵葉書を送っていたとは。ちょうど1年ぐらいの時間差で、同じポストに絵葉書を投函しているという不思議。

そして、似たようなブログを書いている。

面白いなー。

送信者 Aconcagua&Patagonia

http://yusukeishida.jugem.jp/?day=20150407
http://yusukeishida.jugem.jp/?eid=1886

http://teratown.com/blog/2014/02/15/aethooeooe/