google フォトの話を書いたが、あまりにもすごくて衝撃だった。それで、いろいろ検索して(もちろんこれもグーグルに頼っているわけだ)いたら、こんなデータを見つけた。
コンパクトデジカメの出荷台数が2010年には1億台、その後下降線をたどって2014年にはなんと3000万台になったのだという。(CIPAによる)コンパクトデジカメを産業というと言い過ぎかもしれないが、あるマーケットが5年で3分の1になるという衝撃。
一気に変化する時代だから、大きな流れだけは先読みが必要だ。正直なところ、ある程度流れができたら一気にそちらに変化する。モメンタムて、物理の世界じゃなくても、全てにおいてあるから。人の感情も世界の仕組みや流れも。早過ぎるとミスる可能性があるし、大きな方向性はあっていてもどのサービスや商品が当たるかはわからない。
だから、大きな資本があれば全てに投資するというのが一番正しいやり方で、もっともリスクが少ない。個人としたら、先取りしてビジネスをやるか、個人単位で投資という話しぐらいだろう。あらためて、こうした大きな変化の流れを踏まえて、自らの行動も考えるべきだなと思う。それに合わせて生きるかどうかは、また好き嫌いもあるしどう生きたいかだけど、考慮にはいれておく必要があると思う。
■デバイス
ポケベルから携帯電話からスマートフォン
フィルムカメラからデジカメ、そしてスマホ
ワープロからパソコン
ブラウン管テレビから液晶テレビ
フィロッピーからCDROM、USBメモリ、DropboxやEvernote
ビデオからDVD、ハードディスクそしてオンデマンド
手帳からgoogle calendar
ウォークマンからiPod、そしてiphoneアプリ
現金からクレジットカード、各社のポイント、ビットコイン
雑誌、新聞、本から電子書籍
■手段
HPから掲示板、ブログからSNS
携帯メールからLINE(メッセージングアプリ)
ローカルからクラウド
Emailからslackやchatwork
リアルの戦争から情報戦争
銀行融資から株などから、クラウドファンディング
街頭募金や署名からウェブでの署名や募金
大学とかで起こった思想的な氾濫も、アラブの春のようにネットで始まる
とまあ、デバイスと言っても究極を突き詰めれば情報なんだけれど、それを見たり触ったり操作したりする手段として物体があっただけというものが多いことがわかる。なにからなにまでインターネット以前と以後で変わったな。僕が生まれてから、社会の大きな変化の中心にはいつもインターネットがあったんだと改めて振り返ると気づく。
一方で、
食べる
住む
洋服
病気の治療
人と会う(人と人のつながり)
感情を伴う体験(スポーツ観戦など)
人間という物質が存在しそれを維持することに直接関わることは大きな変化がない。食べるという行為は人間が生まれた時から変わっていないし、洋服だってそう。変わらない世界は、そうしたものとか、嗜好品なのかもしれない。便利なスマートウォッチ(apple watchなど)ではなくスイスの100万とかする高級ブランド時計とか。それは手間がかかる(作る手間がかかるonly one)モノであって、ストーリーと体験する喜びが伴っている。
とまあ、本当にベーシックな衣食住とか移動するとか、人と人のつながりとか、あとは嗜好品以外はどんどんインターネットに繋がり変化したり、デジタル化されていくということ。ただ、衣食住とかベーシックなものも変わる可能性だってある。大学時代に興味を持った意識の問題になれば。結局、人間が認知しているのは実際の世界というよりも脳が認知しているだけ。バーチャルリアリティのようなものでも、人の意識が本物って思ったらそれが本物になる。究極そうなるんだろうかな。俺の生きているうちはどうかわからないけど。
とまあ、こんなことは当たり前なんだが、数字でコンパクトデジカメの出荷台数の変化を目の当たりにして驚いたという話だけだったのだ。