日別アーカイブ: 2010/3/8 月曜日

アラスカ物語10 さて、帰るか。

前回までの旅日記はこちら「アラスカ物語9 ブルームーンを北極圏で、そんな2010年の始まり」

ここからは「戻る旅」。北極圏を後に、フェアバンクスそしてアンカレッジへと向かい、日本へ帰るからだ。とは言ってもあと3日程アラスカに滞在するのだけれど、これから新たに行きたい場所ができたとしても、予定を変更していく事はできない。予定が決まってしまった未来は過去だということ。ここから先の旅は定まっているという意味で、「戻る旅」なのだ。P.Fドラッカーが「すでに起こった未来」というタイトルの本を書いていたが、ひと言で表すのであれば、そんな表現だろう。なんだか旅に対してネガティブな気持になったように感じるかもしれないけれど、そんな事は全くなくて旅という行為のひとつの過程にすぎないと思っている。「戻る旅」の楽しみ方もちゃんとあるのだ。

送信者 ALASKA 2009

さて、目を覚ますと既に外は明るくなっていた。今日のフライトは午後と聞いていたので、のんびり起きた。食堂の様なカフェに行き、コーヒーを飲み食事をとる。すると、ビルというパイロットを紹介してもらった。今日はビルが操縦してくれるらしい。冗談が好きな渋いオヤジだ。まだ、出発まで時間があるから、好きにしていろと言われたので、絵はがきを書いて送る事にした。北極圏からの手紙。それから、外へ出てぶらぶらと歩く事にした。最後に北極圏を踏みしめておこうと思って。

送信者 ALASKA 2009

周りを眺めると、山肌が朝日を浴びて赤く染められている。極地では、自然の美しさがより際立つ。もちろん美しいということは、それだけ厳しいということなんだ。そんなことを感じながら、極地の景色を楽しんだ。昼飯を食べようと思って食堂へ。ハンバーガーとコーヒーをいただく。店員さんに、今日帰ることを伝えると日本語を教えてほしいと言う。店員さんとはいいつつ、食べる場所はここしかないので毎食お世話になって、気さくな仲になっていたのだ。客も数人しかいないので、顔もすぐに覚えられていた。そんなことから、紙に書かれた英語を日本語に訳した。たまに来る日本人に日本語で話すために。日本語の先生として、もっとここにいて欲しいと冗談も言われつつ。

送信者 ALASKA 2009

そうそう、聞いて驚いた事があった。冬眠しているはずの熊が2週間程前に出没したという。腹が減ったり、年をとって冬眠できなくなった熊が冬でも活動していると言う。こういった熊は危険なので注意した方がいいよなんて言われた。こんなことを聞くと、さっきまで気軽に出ていた場所も少し慎重になる。そして熊がいないかと外をキョロキョロと見ていたが、そんな頻繁にいるはずはなかった。

すると日本人っぽい淑女がいらっしゃった。珍しいなと思っていると、英語で話しかけられた。彼女は旦那さんとフロリダに住んでいると言う。お互い日本人だと分かると、日本語で話しをした。こんな場所まで来た理由だったり、森林限界を越えた場所がオススメですよとはなしたり、星野道夫さんや植村直己さんの話しをした。すると、こういうところに来る若い人はいいね。あなたもいつかアラスカに住んでそうね、と。

送信者 ALASKA 2009

話している間に、セスナの出発時間が来た。ビルが行くぞと言って、車に乗り込んだ。空港に到着し、荷物を載せる。左右のバランスが取れるようにと、両翼に荷物を詰め込む。そして、ビルがお前は助手席に乗りなよと言ってくれた。行きに続いて助手席だ。なんといっても、助手席からの眺めは最高だ。自分の前に空が広がっている。助手席からはほぼ180度の広い世界が見える。さらに、飛行機は自分が見ている方向に対して進んでいるから、空がどんどん迫ってくる。奥行きが感じられるのだ。飛行機の横の窓から眺める世界とは違った世界なのだ。横の窓からは視界が狭いし、空が迫ってくるような見え方はしない。

送信者 ALASKA 2009

これからやってくる空の世界に心躍らせながら、出発を待った。エンジンが発火し、エンジン音が体に伝わってくる。プロペラの回転数はどんどん早くなり、胸も高鳴っていく。トップスピードになりテイクオフ。北極圏よ、さよなら。こうして、北極圏を飛び立った。

送信者 ALASKA 2009

どうしてセスナから見る眺めはこれ程までに幻想的なんだろう。太陽が地平線から昇ってきた。そんな太陽に向かって飛行機は飛んでいく。それは黄金色に染め上げられている。それは息をのむ美しさ。そんな世界を見とれていると、ビルが話しかけてきた「ほら、あそこに月が見えるぞ」と。太陽と向き合うような位置に丸く白い月があった。太陽と比べれば存在のインパクトは無い。自ら光を発する明るい太陽と、それに照らされる月。注視しなければ見つけづらい月にも、太陽とは違った静寂の美しさが内包されていた。この世界の美しさはひとつだけじゃない、お前が気づいていないところにもたくさん美しさはあるんだ、と教えてくれたかのようだった。

送信者 ALASKA 2009
送信者 ALASKA 2009

その後も、ビルはいろいろと教えてくれた。飛行機が上を飛んでいくよ、あれは鉱物の採掘場跡だ、なんていう風に。そして、ついにこの時がきた。極めつけはデナリだ。黄金色に染められた空を背景に雲海の中から山の頂が顔を出していた。「あの山は高いから、雲を突き抜けているんだ。あれがデナリだよ」。あれが、デナリか、ついにデナリに出会う事が出来た。それにしても大きな山でどっしりとしている。惚れ惚れするほど威風堂々とした山だ。植村直己さんはこの山の天辺まで1人で登ったのかと思うと、改めて彼の偉大さと超人っぷりを感じた。そして、このどこかに眠っているんだと思うと、不思議な気持になった。

送信者 ALASKA 2009
送信者 ALASKA 2009

セスナはほどなくすると着陸態勢に入った。フェアバンクスの町並みを眺めながらランディング。ビルは飛行機を降りると一人、どこかへ消えていった。僕は先日も宿泊したビリーズバックパッカーという宿に連れて行ってもらうことにした。宿に着くと荷物を降ろして、夕食をとった。翌朝、フェアバンクスを飛行機で発つ、そのためにタクシーを電話で予約した。外国で自ら電話してタクシーを予約するなんて初めてだから、翌朝ちゃんと来てくれるか少し不安を感じた。

送信者 ALASKA 2009

宿には台湾、中国、日本人がいた。3人ともこの宿で偶然あったらしいのだが、3人ともアメリカに留学していると言う。この旅全体を通して気づいた事はアラスカに旅しにくる人は、アメリカ本土に留学している人が大半ということだった。そんな3人に今夜は花火を見にアラスカ大学へ行こうと誘われた。アラスカ大学は少し高台にあり、花火を見るにはベストな場所なのだ。一緒についていくと、ちょっと遅かった。花火はほとんど終わっていた。。。まあ、旅ではこんなことがよくある。帰りにワインとスナックを買って部屋で食べる事にした。留学先の話しやアラスカの旅の話しをしながら、遅くまで盛り上がった。

送信者 ALASKA 2009


アラスカ旅日記の続きはコチラ「アラスカ物語11(最終章) 旅の終わりは誰もいない町で霧に包まれた」