日別アーカイブ: 2016/6/19 日曜日

自分ではないなにか

胎動を感じた。

その時に感じたことは、ああ、自分じゃない何かがいる。

もちろん、全ての人は、独立した存在であって、当たり前だ。別に大人が偉いわけでも、子供が偉いわけでもなく、どちらもいち人間である。けれど、そこにいる存在は目視することができないからこそ、なんだか自分のものだというような気持ちになりがちだ。自分の子供だから、自分の目下な存在というか、目下とは言わなくても対等ではなく、親が上で子供が下といった感覚が少なからずあったりする。でも、胎動を手で感じた時に、ああ、別の人間が別の意志で生きていると実感したのだ。

自分自身の肉体は自分自身の意志によって動くことが大半だが、母体の意志とは関係なく動いている。そうなのだ、あ、動いたと、その動きによって後から気づくということなのだから、動いた本人の意志ながあるということなのだ。

双子の人を見ていても、全然性格が違ったり、兄弟でも能力の方向性が大きく違ったりしているのを見るたびに、人間という生き物は生まれつきの個体が持ったその人らしさがあるんだなとつくづく思う。そして、その、その人らしさというものを尊重して、子供であろうと、大人であろうと、家族であろうと、友達であろうと、初めて会ったどこかの国の人であろうと、その人らしさを尊重して、向き合っていきたいなと思う。

SWITCH 1997年 1月号 星野道夫、FORGET ME NOT
クリエイティブライティングでもお世話になった新井さんが編集長として作られた雑誌。

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星野道夫さんが引用したカリール・ギブランの詩

「あなたの子供は、あなたの子供ではない/彼らは、人生そのものの息子であり、娘である。

彼らはあなたを通じてくるが、あなたからくるものではない。

彼らはあなたとともにいるが、あなたに屈しない。

あなたは彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。

何となれば、彼らは彼ら自身の考えをもっているからだ。

あなたは彼らのからだを家に入れてもいいが、彼らの心をあなたの家に入れてはいけない。

何故なら、彼らの心は、あなたが訪ねてみることはできない。

夢の中で訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ/あなたは彼らのようになろうとしてもいいが、彼らはあなたのようにしようとしてはいけない。

何故なら人生はあともどりもしなければ、昨日とともにためらいもしないからだ」