日別アーカイブ: 2015/11/15 日曜日

そして再び集まる場

僕が阿佐ヶ谷に住むと決めたきっかけは、GOさんが連絡をくれて、シンガポールに転勤するから俺の家に住まないと言ってくれたからだ。でも理由はそれだけじゃなくて、阿佐ヶ谷には本郷さんとゆうすけさんが住んでいた。それまでも2人には何度か会ったことがあったが、もっといろいろ話したら本当に仲良くなれそうだし、面白そうな2人だなと思っていた。だから、すぐに阿佐ヶ谷に住むと決めた。

本郷さんは大学のかなり先輩。でも、そんなことは知らず、関係なく、俺が大学時代に旅にはまり、いろいろ調べていたら、慶応SFCで南アフリカの喜望峰か日本までチャリで旅した人のホームページを見つけた。そこにあった紀行文がとても、自分の心に刺さったのだ。それが、本郷さんだった、出会う前から知っていた。

ゆうすけさんも同様で、大学時代に旅の本を読みあさっていた。その時に世界を7年以上かけてチャリで旅した本「行かずに死ねるか」に出会い、おお、面白いと思っていたのだった。

そんな、すべての出会いのきっかけは、ボリビア・ラパスの宿だ。その宿で、チャリダーが3人いた。その一人がアキさんだった。そこで、夜な夜な話し、2年後ぐらい。アキさんはアルゼンチンのメンドーサで襲われて、身ぐるみはがされて日本に戻ってきていた。当時、mixiの日記で高円寺阿波踊りがあるので、誰か来ないと書かれていた。僕は、ボリビア以来だったけれど、行くことにしたのだ。なぜなら、アキさんもかっこいい人だと一方的に思っていたから。旅の夜に、なぜチャリで旅に出たかを聞いた。自分は怒りっぽくて、すぐに喧嘩ばかりする、ワルだったと。でも、今回の旅に出る時に1つだけ決めたことがある。それは、旅の途中でどんなことが起ころうと、それは嫌なことでも、むかつくことでも、うれしいことでも、価値観の違いでも、強盗でも、「すべてを受け入れる」そう決めたのだと。こう話したのを聞いた時から、とてもすごい人だなと思っていたから、高円寺阿波踊りに行くことにした。

その、阿波踊りに行くと、本郷さん、剛さん、ゆうすけさんなどがいたのだ。ここから、僕の阿佐ヶ谷ライフが始まった。みんな自分の旅をしてきた人たちだった。

そうして、阿佐ヶ谷に住み始めたのが6年半前。まるで何十年前の苦学生のような生活が始まった。仕事から帰ると、本郷さんの家に行き、ご飯をごちそうになって、それから旅の話や本の話、哲学のことなどを語り合った。いろいろと語り合った。人数が増えることもよくあって、3人、4人とどんどんと増えていく。

芸大の時に仲良くなった杉さんが偶然阿佐ヶ谷に住んでいた。本郷さんに杉さんを紹介したら、意気投合した。どんどん人がつながっていき、あの当時は当たり前のように、夜な夜な、いろいろなことを語り合い、飲んでいた。これがいつまでも続くと思って。でも、こうして阿佐ヶ谷の仲間が集まってみると、もう結婚式ぐらいでしか一同に会することはないのかと思うと、この瞬間が本当に愛おしく、そして物悲しく感じられた。本当に素敵な仲間だなと。

それぞれの旅をした人が好きだ。そうした、一人の旅をした人の世界を見る目が好きなのかもしれない。世界を知りたいという好奇心、その行動力。世界の多様な楽しさも、やりきれなさも自分で体感した人が。彼らには弱さに寄り添える強さがある、そんな風に感じる。

送信者 ドロップ ボックス

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6、7年ほど前、阿佐ヶ谷は旅人のたまり場だった。
その出会いは、バラバラだったが、いつの間にか気の合う仲間が住み始めていた。
何年もチャリで世界を旅した人間が何人もいて、旅の作家がいて、写真を撮るものがいて。
平日休日問わず夜になると、飯を食い、旅について語ったり、答えのない禅問答を繰り返した。
夜中になり、2時に閉まる銭湯に行き、解散する。そんな日々。
でも、旅人はまた新たなものに出会い、町を去って行く。一人、また一人と。
長野の信濃大町に移り住んだ仲間が、森の家で結婚式を上げた。日本中から、旅人が集まってきた。
二人の結婚式は、参加者がすぐに飽きてしまうような既製品の会ではなく、二人のことが大好きな人達が、楽しみながら作り上げた場だった。
音楽、食事、踊り、自然、飾り、笑い、言葉、巣のままの姿が心地よかった。
ただ、あの時の仲間が一緒に集まることも、もうないのかなと思うと、それだけが物悲しかった。
本郷さん、おめでとう。
また、夏に遊びに行きます。

2014/06/07