日別アーカイブ: 2015/7/19 日曜日

介護が抱える課題

別に介護の専門家でもないが、自分の年令、仕事でちょっと介護のことに触れる、なによりもNHKスペシャルで2,3年前に放送された相田さんがお母さんを介護するのを録画し続けた番組を見たから。電子立国などを作った相田さんの番組で、一時期相田さんが大学でゼミを持っていた頃のゼミ生が友達に多いので、その友達と一緒に番組を見た。番組で流れる情報よりも、生々しい話を聞きながら。

そんなこんなで、素人目線ながら介護が抱える課題ってとてつもなく大きく、このまま改善していくレベルでは何も解決しないだろうなと思う。

認知症 × 介護とか本当に大変だ。1,2年じゃなく10年単位とか。それは病院や施設に入れるにしても金銭的に、自身の両親をという精神的な面も。

何が大変にしているかといえば、以下の様なこと。

・認知症 × 介護
・介護従事者の疲弊(労働時間も給料も)
・老々介護
・一部の人への負担集中
・お金がかかりすぎる(施設に入ると月に25万とか)

で、なんでこのような問題が起こったかを考えると、以下の様なことが考えられる。

・医療の発達(死ぬタイミングで死なず治療で復帰する。長生き出来てしまう社会)
・核家族化(地方と東京に別れて住む。日本と海外など)
・後期高齢者でも独身が増えている時代(その人って誰が見るの?)
・独身の人が増えると、一部結婚して子供がいるその子供に両親+両親の兄弟も
・独身の兄弟が早く介護が必要になるリスク(65歳で85の両親を介護しながら70歳の兄弟を介護とか)

自分が直接目にしていないし、正確なデータを取っていないので不確かなことが多いが。

さらに、自分ではどうしようもないことだ。大学入試にしろ個人の努力、独り立ちして食べていけるかどうかも個人の努力、健康でいるために適度な運動・禁煙も個人の努力。でも、介護は周りの人の問題で、自分が何をしても完全に回避はできない。

ただ、自分が努力して対応できることは3つ。

・すごく金を稼ぐ
 →関係者が全員施設に入ってもOKな資金を貯める
 →自分がずっと介護して、稼ぎがなくても介護できる余力を作る

・できるだけ介護がいらないように、関係者を啓蒙し続ける
 →認知症にならないように、頭をつかう習慣をつけるように促す
 →定期的な検診など

・自分が介護が必要にならないように努力
 →適度な運動、禁煙、脳を使うなど

もちろん、自分が努力したからって、絶対に介護が必要な状態にならないとはいないが、極力努力をする。日本中の人がこれをやると、少しは改善するはず。でも、根本解決にはいたらない。

じゃあ昔って、介護はどうなっていたのか。50年前、100年前、200年前は?海外の事例は?気になることばかりであるが、いったん今日は今までの自分の知識と論理建てて考えた範囲内で書いてみる。

おそらく、3,4人を長期間介護することは金銭的にも精神的にも、肉体的にもほぼ不可能。でも、そうなる可能性っていくらでもある。人生で自分の両親どちらか一人ぐらいなら介護ができても、それ以上はお手上げ。両親、両親の独身兄弟、配偶者の両親、配偶者の独身兄弟、長生きした祖母・祖父の世代、早く介護が必要になる自身の兄弟、早く介護が必要になる配偶者の兄弟、数えていけばきりがないし、全てが同時に起こることだってある。

施設に入ったとしよう25万円/月×12ヶ月=300万円 10年間施設に入ったとして、3000万円。それが4人だったとしたら、1.2億円。さて、日本中で誰が払えるのでしょう?逆に、家族で介護したとしても、同時に3人、4人の介護って不可能に近い。違うところに住んでいたら?自分の子供が小さくて、そっちも大変だったら?普通の人はお金がないし、自分でやるにもノイローゼになる人多数だろう。

考えれば考えるほどバッドシナリオが思い浮かぶ。そもそも、なんでこんなことになったか。改善とかいうレベルだけでは、何も解決しない。日本がかかえる相当な課題だ。が、解決のための施策が実施されているとは思えない。

今の正しいとされている倫理感がおかしいのかもしれない。根本的に変える必要がでてきていて、でも、すぐには変わらないだろう。なぜだ?介護に直面する人は65歳で85歳の両親の介護とか70歳で92歳の介護といった老々介護が多いのも事実。介護する側が不満を持っても、アクションを起こすエネルギーもなくなっているし、抜本的なアイディアが生まれて実行まではいたらない。介護従事者もとても忙しすぎるし、介護従事者になる方は、人間的にやさしくて、ビジネスゴリゴリで、制度まで変えてやろうって人が少なそう。

じゃあ、昔はこういった問題があまりなかったとしよう。もしかしたら、あったけれどネットもないし、公に話しもしないので表に出なかっただけかもしれないが。まあ、徐々にこういった介護の問題が発生した理由を考えてみる。

・医療が発達しすぎて、死ぬタイミングで死なず、なんとか生き延びることができる。
・死が遠いところに行った。身近での死が減ったので、死をタブー視する風潮が加速。(マスコミや)
 →死を迎えればいいのに、そういうことが悪いことのように捉えるようになった社会

もちろん、死は辛い。自分は死にたくないし、身近な人には死んでほしくない。人間がつらいものを遠ざけるのは普通で。そりゃそうだ。より快適に、心地よく暮らしたい。当たり前。でもそれは不自然なことで、本来は辛いことがあるのが当たり前で、死があるからこそ、子供を可愛がれる気がする。死があるからこそ、子供を生む機能が生き物に備わっている。強いものが残り、弱いものは淘汰される。こいった当たり前の自然の仕組みからそれてしまった。

じゃあ、これらの発生原因を取り除いて、解決するしかない。その方法は2つ。

完全なる不老不死を科学技術で実現する。その代わり次の世代は産まない。
もしくは、食料とか地球環境が何百億人でも耐えられる仕組みを作り上げる。

もしくは、何らかの線引をして死を受け入れる社会にする。死を促す社会にする。科学技術がそこまで発達していない国では、実質的に死を促すことが結果的に起こっていたりする。これは、死ぬべき時にしっかり死ぬという社会の価値観を作ること。

これって、すぐにはムリだろうけど、俺の思いつきで適当なアイディアじゃなくても、本当に抜本的に変えないとますます問題は大きくなり、日本という国家は本当に厳しくなる。介護にお金がかかりすぎ、国の負担が膨れ上がる。労働人口が少ないのにその労働力が介護にまわっていく。介護以外の生産的な経済活動が滞る。まあ、今が一番人口構成比的にも厳しい局面だし、過渡期なんだろうから、これからは良くなるしかないという心をもって、自分にできることをやって、社会の仕組みを変えることを働きかける。これしかないんだな。政治的に制度を変え、マスコミ含めて国民の意識を変えて、今の介護を変えると。