日別アーカイブ: 2009/12/23 水曜日

台湾にて沖縄とアラスカを想う

台湾にきております。

今朝は9時代の飛行機だったため、夜明け前に起き家を出ました。駅に着くと東の空が淡く赤色に染められ、手前には家々のシルエットが浮かび上がっていました。電車を乗り換え成田空港につくころにはすっかり日が昇り、天気のよい一日が始まっていました。年末が近いだけあって空港は少しばかり混雑していたので、荷物検査などで並んでいたらすぐに離陸の時間を迎えました。台湾行きの飛行機は小さな子供づれの親子が多く、台湾は子供をつれて旅行しやすい場所なんだろうなと、ふと想いました。人生の時期によって旅する場所は変化するもんだと、教えてくれたような気がします。

アラスカへ行くのにいったん南へ向うのは無駄な感じもしますが、台北からアラスカ(アンカレッジ→フェアバンクス)へと向かいます。アンカレッジからフェアバンクスへはALASKA AIRです。アラスカでは必ずといっていいほどお世話になるという噂の航空会社です。飛行機の尾翼にはエスキモーの顔が描かれているのが特徴らしいので、見てこようと思います。

今回はアラスカのために相当暖かい服を着ているため、台湾では汗ばむほどです。服を脱いでカバンにしまうこともできず、手で持っています。というのも、いつもなら機内へ持ち込める30リットルのバックパックが持ち込めず、手元にはカメラと財布と文庫本しかないからです。目の届く範囲に荷物がないのが落ち着かない性格なのでいつも手荷物にしていたのですが、チャイナエアラインが厳しいのか、カメラの三脚がバックパックの横につけてあったからなのでしょうか。アンカレッジで荷物がちゃんと出てくることを願っています。まあ、荷物が迷子になる確率のほうが低いし、荷物がない身軽な旅も楽しいと昨年のイランで知ったので、自分ではどうしようもできないことを気にすることはやめようと思います。

そうそう、3年ぶりぐらいの台湾ですが、やはり近いなと思いました。地理的にもそうですが、文化的にも沖縄に近しい感じがします。飛行機から台湾の町並みを眺めたとき、空から見る町が沖縄のような感じを受けたのです。それは建物のつくりであり、屋根であり、木々の様子です。やはり、鹿児島以南の島々と台湾はつながっていることを改めて気づきました。

外を眺めつつも機内では星野さんの「長い旅の途上」を読み返していました。日本では昨日まで「アラスカ光と風」を読んでいたので、近づくにつれアラスカを旅する気持ちが高まってきています。それでは、フェアバンクスまでしばらく飛行機に乗りこみます。

それでは。

冬のアラスカへ。いってきます。

明日の早朝からアラスカへ向けて出発します。

それで、実家に電話をして「いってきます」と伝えた。

どんなときでも「気をつけて」と心配してくれる家族がいるから旅に出られるのだろう。
逆に考えると、心配してくれる人がなければ旅に出ないのかもしれない。もしくは、糸の切れたタコのように、取り留めもない旅をするのかもしれない。

いずれにせよ、これはとてもありがたいことだ。こんなに好きに旅ができるのも、周囲のおかげだと思う。しみじみと感謝する。時間的にも金銭的にも、こんなにも好きなようにいつまで旅を出来るかも分からない。これで終わりかもしれないし、あと3年かも10年かも、もしかしたら死ぬまで出来るかもしれない。とは言っても、こういったコトに関して、最後というのは後から振り返ってしか分からない。いつの間にか「おわり」のない最後を迎えるものである。そう思うとかけがえのない時間なんだなと思う。

もちろん、今だけでこの旅が成り立っている訳ではない。今までずっと育ててくれた家族や、旅の楽しみに気づかせてくれた友達などがいて、今回の旅が存在する。そうした過去の日々を支えてくれた多くの人にもありがとう。

こんな感謝の気持を深く抱きつつ、かけがえのない時間を思う存分楽しんでこようと思う。これからアラスカでどんな旅が待っているか、想像するだけでワクワクする。まっ白な雪の大地、どっしりとしたマッキンレー山、空を舞うオーロラ、カリブーやムース、アラスカで生活する人々。ハッシャゲニア(永遠なるものの贈り物)に会いに、冬のアラスカへいってきます。

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《連絡》
まずはフェアバンクスと言うアラスカ内陸部の町に行き、そこから車で移動した牧場に併設したロッジに5日間ほど泊まります。ここは少し高台にあり見晴らしは最高のようですが、周りに家などは何もなく、連絡が取りづらいところです。

もし、なにかご連絡を頂くことがあれば、PCのメールアドレス(こちら)にお願いします。フェアバンクスやアンカレッジなどの都市に戻り、ネット環境を見つけたら返信できると思います。

アラスカへ行く理由はこちらに書きました。