日別アーカイブ: 2009/12/21 月曜日

そろそろアラスカに行ってもいいかな、なんて思ったんだ。

アラスカに行くことを話すと、ついに行くんだねと言ってくれた友達が何人かいた。自分では意識していなかったけど、それだけ僕がアラスカのことを話していたのだろう。そんなことに気づくと同時に、うれしかった。俺のことを分かってくれている友人がいることが。

アラスカを明確に意識し始めたのは大学時代に旅を始めてからだった。それまでアラスカと言えばアメリカの飛び地、寒くてオーロラが見れる場所ぐらいのありきたりな認識しかしていなかった。それが旅をして行く中で様々な旅人と話し旅に関する本を読み、自然と思いを抱き始めた大地がアラスカだった。アラスカに思いを馳せる多くの旅人がそうであるように、植村直己と星野道夫という二人の存在が大きかった。植村直己は自分では決して到達することが出来ない別世界の尊敬する人物で、星野道夫は価値観を分かち合えそうな憧れの人物だった。

もう少し詳しく植村直己に関して言えば、僕が最もリスペクとする冒険である北極圏1万2千キロのゴールがアラスカのコッツビューだったし、彼の誕生日に厳冬期の山に単独登頂し、遭難したのがアラスカのマッキンレーであった。コッツビューに到達したときの映像を何度も植村直己冒険館で見て涙した。北極圏一万二千キロとは比較にならないが、自分が東京から岐阜を目指して歩いた時の感情と重なり合う部分が多く、彼はその何百倍の感情と向き合ったかと思うと感極まるのだ。

星野道夫についても、シシュマレフという場所の写真に魅せられて手紙を送り訪れたのがアラスカであったし、その後写真家としてアラスカの写真を撮り、定住を始めた場所であった。植村直己は世界の様々なところを冒険したが、星野道夫はアラスカに根を下ろした人間だった。そんな星野道夫の自然観や死生観に強く共感した。こういった生きること死ぬことに対する考え方や、自然の優しさと厳しさの捉え方はアラスカの大地での生活を通して生まれたものだったのだろう。彼の価値観に大きく影響を与えたアラスカの自然やアラスカの人々に出会いたいと強く思った。

星野の言葉を借りれば、アラスカで彼が感じとったものはこんなものだった。


しぶきを上げ、海面から宙に舞うクジラが自然ならば、そのクジラに銛をうつエスキモーの人々の暮らしもまた自然なのだ。自然は人間の暮らしの外にあるのではなく、人間の営みさえ含めてのものだと思う。美しいものも、残酷なものも、そして小さなことから大きく傷ついて行くのも自然なのだ。自然は強くて脆い。

人は、なぜ自然に目を向けるのだろう。アラスカの原野を歩く一頭のグリズリーから、マイナス五十度の寒気の中でさえずる一羽のシジュウカラから、どうして僕たちは目を離せないのだろうか。それはきっと、その熊や小鳥を見つめながら、無意識のうちに彼らの生命を通して自分の生命を見ているからなのかもしれない。自然に対する興味の行き着く果ては、自分自身の生命、生きていることの不思議さに他ならないからだ。

僕たちが生きてゆくための環境には、人間をとりまく生物の多様性が大切なのだろう。オオカミの徘徊する世界がどこかに存在すると意識できること・・・・・。それは想像力という見えない豊かさをもたらし、僕たちが誰なのか、今何処にいるのかを教えつづけてくれるような気がするのだ。「Michio’s Northern Dreams 2 ラブ・ストーリー」P38

 
二人の人物だけではなく、アラスカの自然も魅力的に写った。星野道夫などのアラスカの写真を通して、雄大なアラスカの大地に興奮した。一面まっ白な雪原とそびえ立つマッキンレー、紅葉したデナリ国立公園、北極圏の白夜、そしてオーロラ。もともと、砂漠や塩湖(ウユニ)など、途轍もなく広く続く自然が好きだったこともあって、アラスカの大きな自然に心躍った。さらに湯口さんが撮影した飛行機から見るアラスカの大地もとても美しかった。

そして動物。サケを食べる熊、グリズリーの親子、ムース、シロクマなど。犬や猫といったペットは苦手だが、自然の中にほのぼのとしたシロクマ親子がいる一方で、食って食われる動物の関係があることが、生きる物として違和感なく受け入れられた。アラスカの動物の中でもクジラとカリブーの大移動に興味がある。あの大きなクジラが、頭を出し水しぶきを上げる様。何万頭と言うカリブーの群れがアラスカの大地を移動する様。それらに大いなる時間の流れを感じるのだ。

最後にアラスカの神話。星野道夫もアラスカの神話に興味を持っており、その中でも特に好きだったのが、「ずっと ずっと 大昔 人と動物がともにこの世に住んでいたとき なりたいと思えば 人が動物になれたし 動物が人にもなれた・・・・」(「魔法としての言葉」金関寿夫)というエスキモーの歌だ。神話とは自然と人間との関わり合いを凝縮したようなものだと思う。アラスカを知る上で神話というものが重要な意味を持つ。

こうして自分の中でアラスカがただの場所ではなく、自分の価値観の原点があるような意味を持っていった。いままで生きてきて、その延長線上にアラスカがあって星野さんの自然観と死生観があった。それはアラスカが教えてくれたこと。今回のアラスカで実際に大地から少しだけ感じとりたい。

このようなことをアラスカの大地で感じ考えるには良いタイミングだと思う。26歳は藤原新也さんや沢木耕太郎さんが旅を始めた年齢だ。深夜特急の文庫版あとがき(?だったかな)に26歳が旅をするには適切な年齢だと書かれている。その理由としては、ある程度のコトを知り、ある程度のコトを知らないこ年齢だからだ。若すぎて世の中のことを知らなさすぎたり、自分の考えがなさすぎると異国の環境の違いが消化しきれない。一方で経験を重ねすぎていると、新たな衝撃がなさすぎてしまい糧とならないからだ。

これまで旅をして、人に出会い、仕事をして、山に登り、走り、本を読み、文章を書き、写真を撮り、そんなことをしてきた。そして僕はまさに今その26歳という年齢にある。僕が彼らのような旅を始めるということではなく、経験値が適量で旅をしたり、自分自身のこれからの生き方を考えるには適切だと思うのだ。自分の趣向もある程度分かってきたし、苦手なことも、妥協したくないことも。ただ、それがまだ定まってはいない。もちろん、アラスカに行ったから答えが見つかるとも思わないけれど、良いきっかけにしたいと思っている。

星野道夫は「大切なことは 出発することだった」と言った。
そして、「 これからの自分の生き方、人間の一生ーー親友の死から、何か結論を見いださないと前に進めない状態だった。ある日、本当に突然、それが見つかった。何でもないことだった。それは、好きなことをやってゆこうという強い思いだった。と同時に十九歳のときに行ったアラスカが心の中で大きく膨らんできた。なぜなのか、もう一度アラスカに戻ろうと思った。とてつもなく大きな自然にかかわってゆきたいと思った。アラスカが本当に自分を呼んでいるような気がしたのである。 coyote 2004 november(ペンギン/1993年冬号 「アラスカからのメッセージ」)」このようにも語った。

今回のアラスカは自分自身をおさらいし、次へのきっかけになるような旅になるだろう。

オーロラはもちろん見たいけど、今年はあまりオーロラが見えないようだ。ついでに冬の時期にデナリ国立公園へ入るのは難しいらしい。冬というのは何かと行動が制限されるけれど、アンカレッジからフェアバンクスへの飛行機では左側の窓際の席にした。もちろん、マッキンレーを見るために。どれも見れるか見れないかは分からないけど、長々と書いてきたようにそれ以外の理由が大きいのだ。

アラスカの空を飛ぶパイロットの湯口さんやcoyote編集長で星野道夫とも親交のあった新井さんにお話を伺った。到着した日の宿をいつもは予約することはしないけれど、ご紹介していただいて今回は予約した。冬のアラスカという厳しい環境ということもあるが、あまり移動するよりも腰を据えてその拠点から近くを巡ろうと思っている。到着してから5日間はフェアバンクス近郊にある牧場横にあるロッジに泊めまる。周りには何もない高台で眺めがいいようだ。星野道夫がフェアバンクスに建てたロッジのようだったらいいなと、思いを膨らませている。




(星野道夫写真展@市川市2008)