月別アーカイブ: 2006年7月

音のない世界の怖さ

日本の現代社会は騒がしい。

いろいろな音がするのが当たり前になっているけれど、音のない世界もある。
実際にこの世に存在する。風の音すらしない。音がないと時間が止まっているように感じる。

もちろん、音のない世界には周囲に人が全くいない。
だから、自分だけがこの地球に取り残された感じにもなる。
それも、外国だと何か自分だけが異質なものとして存在している。そんな気になる。

よく、うるさくて集中できないとか聞くが、全く音のない世界も不気味で集中できない。
雑音の中で生きてるわれわれは雑音の中が一番集中できるのだと思う。

 

人生で、2,3度しか音のない体験をしたことがない。
が、あの時の衝撃、ハッとした驚き。
音のないことに気がついたときの感情は忘れることがない。

植村直己という存在と自分

ということで、板橋区にある植村直己冒険館に行った。

2回目だ。

自分の歩いた経験、その時に感じたことと、植村さんが北極圏1万2000キロ犬ぞりで旅したときの気持ちが似ていた。レベルは違いすぎるけど。
正直、普通の生活をしていてあの時ほどにつらいことはない。さらに、植村さんのことを思えば普段の生活の辛さなんてないに等しい。

それを考えるとどんな時でも乗り越えられる。

「何が何でもマッキンレーに登るぞ。」

これが、死ぬ前に書き残した最後の言葉。

コッツビューに着いたぞ。って言う時の彼がもうたまらない。
そりゃそうだよな、犬と共に何年も氷の上をタダひたすら一人で移動して、ゴールに着いたんだから。
正直、あのDVD何回見ても涙がこぼれ出てしまう。

誇りを持て

先日、某先生に「誇りを持て」といわれた。確かに、誇りってものがなかったかもしれないと。
誇りを持てば、責任を持ってより良いものを作り出そうとすると。

無駄なプライドはいらないけど、誇りはあったほうがいいと思う。

誇り。誇り。

ちょっと、中田英寿の日記を読んでいたら「誇り」について書いてあった。

ともかく、守らなければならないものは唯一“誇り”

これまでの自分の人生の為に、これまでの自分に関わってきてくれた全ての人の為に、そして最後の最後まで、自分を信じ続けてくれているみんなの為に、すべてを尽くして戦ってきたいと思う!! この試合が最後にならないことを信じ続けて……。
中田英寿 2006.06.21

努力して美しきものを生み出せる人々

努力して美しきものを生み出せる人々というか、ビジネスとしてのカテゴリーにおいても美しいものを作り出せる人がいると思う。

美しいものを作る人は努力していないのかといえば違うと思う。
様々なものと戦い、生み出していると思う。
それは、努力と言うよりも好きだから、体のそこから湧き上がってくる感情だからできていると感じる。

そうではなくって、完全にビジネスの世界におかれていて、次々に作ることを迫られている。
そんな状況でも、美しいものを作っている人がいると思う。

そういう状況だと、脳が自由に働かないからあまり美しいものが生み出せないのではないかと思う。
が、そんな状況でも美しいものを作り出す人がいる。
どんな余裕があるのだろうか。それとも、そういった状況のほうが純粋に良いものが作れる人種なんだろうか。