日別アーカイブ: 2016/2/7 日曜日

大人はいろいろなことを失っていた

大人はいろいろなことを忘れていく。
忘れていったこと、失ったことすら気づかず、時にそれを成長とすら思っていることもある。

先日、毎年恒例の石打スキーへいった。

そして、いつもの石打ドライブインで焼き肉。

最初にキャベツの千切りがでてきて、むしゃむしゃ食べていた。うまいなーと。すると、ゴーサンとこのかすみちゃんが「辛い」と言って、泣き出したのだ。まだ、キムチとか辛いたれの肉も出てないのに、どうしたんだろうと。

すると、辛さの正体はキャベツのドレッシングだったのだ。おれは、そのからさを全く感じなかった。甘いとすら思っていた。その瞬間、これは鈍さだと思ったのだ。

子供は、繊細な辛さを感じ取っている。そんな能力があったのだ。どんな子供も小さな頃は、辛さとかに対して鋭い味覚を持っていた。大人より厳密に判断できる装置を持ち、それを的確に脳が判断して、辛さを見極めていたのだ。

が、大人になるとその能力は鈍っている。失っていく。子供はすごく精度の高いセンサーを持っている。そして、判別しているのだ。ただ、言葉が不自由で、大人にはうまく伝えれないだけ。

大人は、いろんな味を経験し、うまいだのまずいだの言う。さらに、子供にはこの味は分からないとか、そんな発言も聞く。でも、味覚は子供より劣っているかもしれない。そんな可能性があることは、常に頭の片隅に記憶しておきたい。そう思う。

食の経験を通して食事を楽しむ意味では大人のうんちくも価値を持つこともあるが、子供より味覚は鈍っているんじゃないか、少なくともかすみんより俺の舌は鈍感だと言うことはまちがいない笑

ついでに、大人がすぐスマホを使い出す。無意識のうちに。すると、スマホをこすってるね。大人は。こういわれた。確かに、スマホを使う自分を肯定するために、スマホを触るとか、使うというが、かさみんからしたら、擦ってるのと変わらない。

そんなことを学んだ石打スキー。