東京を歩いていると、周りに見えるのはビルか車か人ぐらい。
ただ、空を見上げれば、ビルの隙間から空が見える。
ビルの隙間から見える夕焼け空が美しい。
隙間からじゃなくて、この美しい夕焼け空を全天で見たい。
でも、いきなり高い場所へは行けない。
何もない平原や海へは行けない。
そうだ。
人間は視界が遮られないことに喜びを感じる。
何処までも見える眺望。
広大無辺な自然が好きなのもその理由だろう。
遮られるというのは視界に限らず、自分の話しであってもそう。
遮られるということを人間はいやがる。
国会の答弁とか、テレビの討論番組を見ていてもそう。
なぜかと考えれば、自分の思い通りにしたいとか、自分がすべてを理解していたいと思うからなんじゃないかな。
遠くまで見る事ができれば、その遠くで起こっている出来事も把握できる(と思っている)。
しかし、ビルで遮られれば、ほんの10メートル先の出来事すら見る事ができない。
何が起こっているか分からなければ、そこにリスクが潜んでいるかもしれない。
そこには、人間の恐怖から来る、欲求が存在しているのではないか。
その恐怖の感情が、遮られないということを望んでいる気がする。
高層ビルの上から望む東京の町、何もない砂漠で永遠に続く砂、飛行機の窓からのぞく永遠の空。
そんな遮られない世界が僕も好きだ。
送信者 ドロップ ボックス |
teratownさん、こんにちは。
視界も心も遮られることが多いねー。
屋久島で以前、なあ~んにも見えない暗闇を明かりなしで歩くはめになって、
すべてを闇に遮られたぼくは恐怖から後ずさりしたけど、
遮られた時、人は思いどおりにいかない不快感と
何がしかの恐怖感を抱くものなんだろうね。
カヤックでぽつんと海に浮かんでいる時は最高だけど、
家並みやビルの向こうに何があるんだろうと思う瞬間も好きだなあ。
momomo さん
遮られた時の憤りと恐怖感はありますね。
とくに真っ暗で見えない時の恐怖感はすごい強いです。
カヤックでぽつんと海に浮かんでいるのはいいですね。
カヤックは3、4回しかやったことないのですが、あの水面と同じ視点で見る世界が好きです。