月別アーカイブ: 2009年11月

虫食い休みの感覚(青空読書、ツールドモンブラン、ジョギング、ダイエット、本屋、銭湯)

休日が月曜日に移動するハッピーマンデーという制度ができてから、3連休が増え飛び石連休が少なくなった。ぽっかりと平日が1日だけ休みとなると連休とは違った感覚で、虫に食べられた葉っぱのような感覚だ。もしくは落とし穴に落ちたような。この感覚は久しぶりだった。昔は良くあったけど、最近はほとんどないから。ぽっかり穴があいた文化の日(11/3)は晴天であった。まずそれだけで幸せだ。

行ったことない山へ走りに行こうかと思ったが、15時から見たいテレビがあったので辞めにした。予約録画ができればいいのだが、リモコンをなくしてから予約録画が出来なくなってしまい、その時間にいなければならないのだ。まあ、それぐらい不便なのもいいもんだ。それで、行ったことのない無人駅で降りて、ぼーっと本を読むことにした。おにぎりとお茶を買い、電車に乗る。西へ。四方津駅で下車する。木々が色づき始めて、山が鮮やかだ。天気も最高だし、空気もきれいだし、深呼吸。あー、気持いい。おにぎりを食べながら読書。野茂英雄著「僕のトルネード戦記」を読み終えて、家路に着く。電車では池澤夏樹著「マリコ/マリキータ」を読む。

家に戻るとちょうど3時。NHKのwonder×wonderを見る。通称:ツールドモンブラン(略称UTMB)。正式には”The North Face Ultra Trail du Tour du Mont-Blanc 2009(ノースフェイス ウルトラトレイル ド ツアー ド モンブラン 2009)”に出場した鏑木毅さんを追いかけた番組。鏑木毅さんといえば、トレイルランニング界では知らない人がいないほどのトップ選手。昨年のハセツネでお見かけし、ミーハー心に火がついてしまった(笑)。この番組を見て、ツールドモンブランはやっぱりいいなーとつくづく思う。距離の長さ(166キロ)、観客の応援、景色、出場選手の多様さ。一度は出てみたい大会だ。ゴールシーンはやっぱりじーんとくる。鏑木さんもゴールの瞬間が全てだと話していた。

番組を見てテンションが上がりジョギングへ。いつもとは違ったコースをと思い善福寺川公園を走った。やはり走りやすい場所だけあって多くの人が走っていた。夕日に染められた空を見上げながら、気持よく走る。走りながら、2、3キロやせたいなーと思う。今までは瘦せたいと思ったことはなかったのだが、この1年ぐらい瘦せたいと思う。ダイエットというよりは、長距離を走るには、2、3キロ瘦せた方がいいと思うから瘦せたいのだ。週に2回はランかスイムをすることを徹底したい。結果的に日々の運動で瘦せるんだけど。そもそも太っているというのは、生命体としては不自然だ。こんな時はいつも野口健さんの飼い猫と野生のチーターの話しを思い出す。

生命体とか云々は置いといて、走り方を習いたいなーと思う。長距離を走ったり、歳を重ねても走り続けるためには足に負担のかからない走り方を身につける必要がある。平地の走り方と山の走り方それぞれを習いに行こうかなと考え中。

その後、本屋へ立ち寄る。雑誌や本を立ち読み。風の旅人の最新号に載っている動物の写真は良かった。「原始の記憶」というタイトルで北義昭さんが撮影された作品。そして、いつもの中華定食屋で食事をとり家に戻る。そして、ブログを書く。家にいる時間はブログを書いているか、写真を整理していることがほとんどだ。

11月になり急に寒くなったし、久しぶりに銭湯に行こうと思い、亀の湯へ。するとお客さんが誰もいない。銭湯独り占め。それはゆっくり出来ていいのだが、儲からなければ銭湯がなくなってしまう。これは問題だ。銭湯って、ゆっくり出来て気持よい空間なので末永く続いてほしい。みんなも銭湯にたまには行ってみるとゆっくり、ほっこりできますよ。ぜひ。風呂から上がって、新聞を読み、体重と血圧を測る。体重は7、8年変わっていないが、先述のように2、3キロ落としたい。そして、血圧が低いなーと、再認識。上が105ぐらいで、下が60ぐらい。そして、家に戻り、眠りにつく。

あんまり平凡な一日を書くことがないから、こんな日の過ごし方も記録しておこう。
平凡な休日を綴った日記でした。

奇跡のリンゴ—生産性のアップとは偏りである。

友達がオススメと話していた「奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
」石川拓治著。早速読んでみた。木村秋則さんが無農薬でリンゴを作るまでの軌跡を描いた本だ。

現代のリンゴは品種改良をしつづけた結果の産物としてのリンゴで、害虫や病気に非常に弱く農薬を使うことを前提とした品種である。その代わり大きな果実が実を付ける品種なのだ。だから、農薬を使うことなくリンゴを育てるなんて、誰も考えもしないようなことだった。

だが木村さんは、農薬を使わずに林檎を作ろうと考えたのだ。害虫は手で取り除き、酢を薄めて散布した。くる日もくる日もりんご畑に行き、りんごと向き合いつづけた。しかし、りんごの花が咲くこともなく、もちろん果実を実らせることもなかった。毎年毎年、工夫を繰り返して改善してりんごを育てたけれど、りんごが実を付けることはなかった。逆にりんごの木が力を失って、弱ってしまっていた。枯れる直前にまで。

家族の生活も苦しくなる一方で、周囲からもいぶかしげに見られる。それでも無農薬でりんごを作ることに挑みつづけた。8年間もの間、実らないりんごと共に戦いつづけた。そして9年目。もう死のうと思い、分け入った山で1本の木を見つけた。完全に人の手が入らない状態の中で実を付ける木があったのだ。農薬を使っていない自然の状態でも実はなるのだと気づく。そしてその土地はふかふかとして暖かく、匂いがしたのだ。

なんと土の中に多種多様な菌や生物が存在して、その結果として暖かく柔らかい土になっていたのだ。これが自然の生態系の普通の姿だった。そのことに気づいた木村さんは、毎日山に通いその土を観察し、土を食べ、土を持ち帰り調べあげた。その土から学んだことをリンゴ畑にも応用したのだ。多種多様な菌、昆虫、植物がいるからこそ、バランスをたもち共存して行ける。その考えにたどり着き、雑草もはやしたままにし、色々な虫も飛び放題の畑にした。そして、理想の土になるとリンゴに花が咲いたのだ。研究熱心な木村さんはその後も、観察し、考え、自然の本来ある姿をベースにし、試行錯誤を繰り返した。そして、リンゴの木に果実がなった。

この本を読んで感じたのは生産性のアップとは偏りなんだということ。人類が生み出した工業も農業も人が作るという行為である。動物はそこにあるものを食べ、そこにあるものを使い生きてゆくが
、人間は原材料から大きく性質の異なるものを作り出したり、自然にはならないくらい集中的に大量に作り出す。そうすることによって、自然の恩恵をそのまま授かるだけでは増えないレベルにまで、人類は増殖していった。生産性を上げることは、偏りを作り出すということなんだな。ちょっと考えれば当たり前のことなんだけれども、改めて概念として気づくと面白い。

偏りが起これば、効率的に作業が出来るようになる。一カ所にリンゴの木が集中すれば、害虫駆除も収穫も効率化する。工業だって同じこと。ただ、自然状態ではありえない偏りだから、生態系のバランスは崩れる。それを何とか解決するための手段として、農薬が使われたり化学的に作り出した物質を使う。もちろん、それは自然の流れとは逆のこと。だから、農園というもの自体に無理があるのだろう。しかし、ある程度の偏りを作り出し、効率化しなければ現代社会で生活する程度のお金を稼ぐことは出来ない。

木村さんはその全ての状況を踏まえた上で、最も自然のありのままの状態に近い形でリンゴを作り出したのだろう。バッタ、鳥、ミミズ、蜂、菌類も雑草も。それぞれの為すことが異なり、それぞれが生きている。結果的にそれぞれが別々の役割を果たし、自然と言う総体として調和がとれている。それが地球なんだ。当たり前すぎることだけど、ついつい忘れてしまいそうになる。

自然のありのままの状態と人間が生きることは何かを考えるのに非常に良い本だった。そして木村さんの取り組む姿に惚れた。自らやると決めたひとつのことに対して挑み続ける、その姿勢に。木村さんの奇跡のリンゴを食べてみたいのと同時に、木村さんの畑に行ってみたいと思った。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
著 石川 拓治


野に実る果実

自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生活している。

相変わらず、自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生活している様でなにより。

大学時代の大親友がちょうど1年前にコメントしてくれたこと。
このコメントに偶然再会した。それもちょうど1年後の今日に。

僕はブログの内容を書きかけで下書き保存している。その数は550件ほど。そんな下書きをちょこちょこ肉付けしてアップ(公開)することが多々ある。下書きのタイトルだけを見て、クリックして内容を確認して、その内容で書くかどうか決めるのだが、今日はなんとなく「自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生活している。」というタイトルの下書きをクリックした。

するとこの記事はちょうど1年前、それも時間も同じぐらいに友達がコメントしてくれたことを元に書いた文章だった。昨日藤原新也さんのお話を聞いて、話して考えたことと非常に近かった。藤原さんの人生を伺っていても、自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生活している。」感じがした。40年前の印度放浪から始まり、東京漂流を経て、現代の若者など含めミニマルな生き方についてなどを考えている。旅と言う肉体的、地理的な行為から始まり、思考してきた方だ。昨日は最近の流行である「つぶやくコミュニケーションツール」twitterにも言及していた。60歳半ばになっても常に最新の事柄に興味を持って調べ、触れ、考えている。凄いなと思った。

僕も全ては旅から始まった。旅をきっかかに山に登るようになり、本を読むようになり、文章を書くようになり、写真を撮るようになり、走るようになり、文化や風習に興味を持つようになった。興味が繋がり、広がり常に新しい何かを求め、追いかけている。目の前に人参がぶら下がって、それを追いかけてないと生きていけない性格なんだろう。

さらに、俺の中でシンクロしたことがある。去年のこの日に友達がコメントしたことを偶然見つけただけではない。僕が旅するきっかけになったのが、コメントをしてくれた親友なのだ。彼は大学1年生の時にインドへ一人で行った。俺は正直うらやましかったし、すげーなーと思った。俺も行こうと思ったけど、一人で行くまで踏ん切りが着かずにいた。そうしたら偶然大学の親友2人と俺でトルコに旅しようと言うことになった。このトルコの旅があったおかげで、海外一人旅の感覚が掴め自信がつき一人旅をするようになった。だから、この親友にはとてもありがたいと思っている。俺が旅するきっかけを後押ししただけでなく、旅から派生した様々な興味のきっかけにもなっているんだから。

そう、シンクロとはインドの旅。藤原さんが最初に書いた本は「印度放浪」。親友が初めて一人で旅したのもインド。そして彼が当時持っていた本が「印度放浪」だった。そして、俺は昨日藤原さんの話しを聞き、ちょうど一年前の今日親友がコメントしてくれた内容を読んだ。

「自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生活している。」
死ぬまでこんな風に生きてゆきたい。

そう、俺はどうしても出来るだけ若いうちにインドに行かねばならないと思って学生時代にインドへ行った。