月別アーカイブ: 2009年11月

鏡をみない.そうしたら老けていた

電車の座席にだらっと座り考え事をしていた。電車がトンネルに入った瞬間、向かいの窓ガラスにおっさんが映る。誰だ、と思った瞬間に自分だと気付く。老けたなと思った。

普段の生活では鏡を全く見ない。だからこそ窓ガラスに映る自分を見て、老けたことに気付いたのだろう。毎日鏡を見ていれば、少しずつ変化していく自分の顔を見ている。日々の変化は小さいので、老けたことに気付かない。しかし、久しぶりに自分の顔を見ると、その間に少しの変化が積み重なり大きな変化になっている。だから、老けたことに気づくのだ。数年ぶりに会った友達に、老けたねと言われるのと同じ現象だ。

そんなことを自分で意識したからか、2,3年ぶりに会った友達にほぼ100%の確率で「老けた」or「瘦せた」と言われる。今までは「老けた」と言われても特に記憶に残っていなかったのだけれど、自分で「老けた」と意識してから友達に言われると「ああ、そうだよな」と実感する。瘦せたと言われるのは、この3年ぐらい走るようになったからだろう。

そんな友達からは「いろいろ大変なの?疲れてるの?」とついでに言われるが、そういった感じはしない。ハセツネを走ってもそこまで疲れていなく、翌日はいつもよりすっきりした目覚めで体が軽やかで驚いたぐらいだ。

自分が写っている写真は少ないのだが、時系列で確認してみると確かに老けた。この3年ぐらいで確かに老けた感じがする。単純にヒゲがはえているか否かの違いが、老けた印象を作り出しているのかもしれないと思った。が、旅先で数年前に撮った、ヒゲのはえた写真と比べても多少老けたことを感じる。

昔は旅先で自分の写真はほとんど撮らなかったが最近は少しばかり撮るようになった。老けていっているのと関係あるのだろうか。ただ写真が趣味になったからその延長線上なだけだろうか。

別に老けようと何しようと気にしないのだけれど、老けるって具体的に顔がどのように変化することなのだろう。多くの人が老けたと言うということは、一般的に人の顔が老けると同じような変化が起こっているはずなのだ。しわが多くなる、肌のつやがなくなる。。。どんな変化を人々は読み取っているのだろうか、分からない。

話しはずれたが、昨日のブログに書いたように、写真管理ソフトをPicasaというgoogleのソフトに変更した。このソフトには写真の中から顔だけを抽出し一覧表示する機能がある。そこで自分の顔が自動的に並べられ、それを見たら老けていた。それで、数ヶ月前に書きかけで放置してあった文章を追記して書き終えた。

送信者 ドロップ ボックス
送信者 ドロップ ボックス

乗り換え

PHSの調子が悪かったからiPhoneに乗り換えようと思ったが一応PHSは直った。さらにiPhoneを少しだけ使ってみたいという欲求は、iPhoneを2年契約で買わなくても、安いiPod touchで満たされるだろう。すぐに直ったおかげでiPhoneを買わずにすんでよかった。(と自分に言い聞かせているのかもしれない。)

乗り換えはiPhotoだ。iPhoneとスペルが似ていて勘違いしてしまいそうだが、こっちは写真の管理ソフト。「予期しない理由で終了しました。」と表示され起動しない。そこで色々試してみた。

・何度かiPhotoを立ち上げてみる
・パソコンを再起動して、iPhotoを立ち上げてみる
・問題の詳細を表示し、appleに送信してみる
・グーグルで検索して対処法を調べてみる
・開発元のappleのサイトに行って情報を探してみる
・iPhotoを一度リセットして、立ち上げてみる
・バージョンアップをしてから立ち上げてみる

結局ダメ。もう諦めた。次はiPhoto Library(iPhotoに入っている写真データ数百ギガ)をそのまま見れるソフトを探す。すると、googleのPicasaであった。うーん、グーグルか!またもグーグルかと思いながら、iPhotoよりも動作が軽いというネット上の口コミもありDLしてインストール。確かに軽い。快適だ。それに昔のPicasaと比べると機能も豊富でiPhotoよりも圧倒的に素晴らしい。

ついでに11月10日からPIcasa web albumの追加容量の料金が20Gで5ドルと安くなったので、容量を増やしてみた。違和感なくユーザーを導き、ビジネスモデルとしても囲い込みが上手くされているのに乗ってしまうのは悔しいが、便利で安いからしかたない。

iPhotoが壊れても最初はiPhotoを直して使おうと努力はするが、それが無理だとこうして乗り換えが行われる。おそらくiPhotoに戻ることはないだろう。iPhotoを何とか使おうと努力する人間の行為がスイッチングコストとなっているが、それが解決されないとユーザーは離れて行く。自分の行動をこうして冷静に文字に直すと、ユーザーの一般心理が掴めて、自分が作る立場になった時に役立ちそうだ。

送信者 雲取山08

PHSのメールが使えません

そういえば、PHSのメールが使えません。
Willcomの障害情報も出ていないようなので、個別の機種の問題だと思うけれど、電源を切っても直らない。
ああ、修理に出す必要があるのかな。めんどくさい。

御用のある方は、PCのメールにご連絡ください。

さらに、iPhotoが突然起動しなくなった。
予期しないエラーが発生したとかで。こちらもネットで調べてもイマイチ分からないし、パソコンの電源を落としてもダメ。さあ、どうしたものか。

行政刷新会議と外務省大臣記者会見に行ってみたい

しばらく前に、外務省の大臣記者会見が記者クラブ以外にも解放されたというニュースを見て、行ってみたいなと思い色々と調べていた。会見は事前にメールで問い合わせて参加するみたいだ。

そして、最近は行政刷新会議が公開で行われている。こっちも行ってみたい。場所は市ヶ谷で行っているらしい。こちらは、申し込み無しでふらっといってもいいようだ。

こういったコトは普段の生活から切り離された場所で行われているように感じるけれど、間接的には多いに関係していることだし、単純にどんな風に行われているのか興味があるので、行って見てみたいなーと。昔だったらこんな場所に行く機会もなかったんだし、せっかく自分の意志で行動すれば参加できるのだから時間を作って行ってみたくなる。

外務大臣の会見
行政刷新会議

こうやって行き先は変わってゆく。

前回までの旅日記はコチラ「流れ着いた島は日本中で最もやさしさが残る場所」

朝起きて朝食をとる。今日はどこに行こうか決めていない。非常に良い宿だったのでもう一泊して、周辺を回ろうかと思ったが、荷物を置いて旅するのが苦手な性格だ。だから行ったん荷物を持って出かけることにした。

荷物をどこかに預けて旅をするのが苦手な理由は2つある。荷物をどこかに置いて旅をしている最中に、面白い情報を知って予定と違う場所に行きたくなったとする。そうした場合、荷物をわざわざ取りに帰らないと行けない。それがめんどくさすぎるのだ。その場の状況に合わせてミガルにベストな行動をしたい。もう1つの理由は、荷物が自分の手元にないと荷物のことが心配になって、荷物に気分がいってしまい十分に楽しめない。そんな理由だ。ただ、荷物が重いと気軽に足を伸ばす気分が削がれるのも事実。そのために荷物は出来るだけ軽くするようになった。こんな話しはさておき。

下甑島を旅行する人は本当に少ない。上甑ならもう少し旅人がいるようだが、下甑島は皆無と言っていいほどだった。時間はあるので、下甑島を今日も回ろうと思っていた。候補として上がったのは瀬々野浦集落か片野浦集落だ。宿の主人に相談すると、どちらも人がほとんど歩いていないところだよと、言われあまりオススメではないようだったが、どちらかと言えば瀬々野浦がオススメとのコトだったので、瀬々野浦へ行くことにした。ただ、ここへ行くにも交通手段が非常に乏しい。バスが1日に4、5本しかないのだ。3時間に1本程度。さらに、直行のバスがないので、一度長浜港までバスで行き、そこから瀬々野浦を目指す。


右手にバス停

宿を出て、すぐ前にあるバス停でバスに乗る。お客さんが他に乗っているはずもなく、俺一人。まずは長浜港を目指す。すると、バスの運転手さんが話しかけてきた。「旅行ですか?」「そうです。」「甑島は初めて?何しにきたの?」「初めてなんですけど、特に理由はなくて。硫黄島で八朔踊りを見ようとしたんですけど、波が高くて船が出なかったので、甑島に来ました。この島のことは何も知らなくて。。。」それから、島の話しを色々と伺う。さらに、バスの運転手さんが「実は今年の2月に島に戻ってきて、バスの運転手はじめたんだよ」と。「それまでどこにいたんですか?」「岐阜に」「おお、マジですか!!」「岐阜出身なんですよー」なぜだか分からないが、住んでいた場所が一緒だと急激に心の距離が近づくのはどうしてだろう。長浜港で高速船が到着するのを待って、バスはまた走り始めた。でも客は一人だ。


漁をする

バスに乗った時は瀬々野浦でゆっくりして、泊まろうと考えていたがバスの運転手さんから聞いた話しで気持が変わった。瀬々野浦へ行ったあと午後は片野浦へ行こうと決めた。「片野浦はね、家の塀がとても高いんだよ。人の身長よりも高い塀で囲われた家ばかりなんだよ。不思議なところだよ。」その瞬間、あることを思い出した。昔本で読んだ記事だ。高い塀にかこまれた家ばかりの集落があると。その島はK島と書かれていた。K島=甑島(こしきじま)。この島だ!「そうなんですか、その話しを本で読んだことがあります」「ウソか本当か分からないんだけどね、昔、人の肉を食べたって噂がある集落で、周りから見られないように塀を高くしたとか。」「本にもそんなこと書いてありましたよ。本当のところはどうなんですかねー。」


ナポレオン岩

そんな話しをしていると瀬々野浦に到着した。確かに瀬々野浦は小さな集落で歩いて10分あれば回れるほどだった。この集落で有名なのはナポレオン岩だ。海に突き刺さるように巨大な岩がある。その岩の形がナポレオンが帽子をかぶっている姿に似ているとか。実際に見てみると、まあ人の顔に見えなくもない程度。やることもないので、海岸でボーッとしながら漁師さんが網を海から引き上げる作業を眺めていた。12時ぐらいになり腹も減った。この集落に1軒だけある飲食店「浦島」へ。刺身定食1000円を頂く。あと1時間弱時間があったので、橋から海に流れる川を覗きこむと一人のおっちゃんがいた。何をしているのかなと思って、声をかけて下に降りる。すると何やら木か草のツルの様なものを川の水に浸している。「何をしてるんですか?」「かずらを水につけとるんや。」「何に使うんですか?」「かずらで作った綱で十五夜の夜に海岸で綱引きをするんや」かずらが乾燥してブチッと切れないように水につけているらしい。昔はかずらで綱を作っていたが、このかずら(葛)の綱が切れて子供が怪我をしてからは、普通の綱引きの綱を使っていたらしいが、今年何十年ぶりにかずら(葛)で綱を作って綱引きをするらしい。十五夜の夜にかずらの綱で綱引きをするという風習があるなんて面白い、見たいと思ったが日程がすこしだけ合わなかった。残念。


かずらで綱引きの綱を作る

13時10分のバスが来てしまうので、おっちゃんに別れを告げバス停へ。するとさっきと同じ運転手の兄ちゃんがいた。また長浜まで戻り、そして手打まで戻る。同じ道を何度バスで通過したか。バスに人が乗ってきたのは、数名の老人だけ。それも坂の下から上までちょい乗りする程度。ほとんど乗客は俺だけだった。手打港に戻るまでまた、バスの運転手さんと話しをした。今日は片野浦で泊まる予定だが、宿がないので手打港ちかくの商店で夕食を購入。それからまたバスに乗り、片野浦を目指す。片野浦にはキャンプ場があり、そこにテント泊することにした。キャンプ場は港の真ん前にある芝生なのだが、かなり好立地で居心地は良かった。他に1組だけ地元の家族連れがロッジに宿泊していた。

テントを張り終わると、バスの運転手さんが仕事を終えマイカーで来てくれた。車でないと行けない景色の良い場所に連れて行ってくれると言う。車に乗り込みしばらく行くと、しんきろうの丘に到着した。非常に眺めのいい場所で瀬々野浦のナポレオン岩を上から見下ろすことが出来た。しんきろうの丘からの眺望を堪能し、キャンプ場まで送ってもらう。さてと。片野浦の集落を歩くと、確かに塀が高い家が多かったが、全てという訳ではなかった。塀の高い家が多い地域もあり、そこはちょっと異様な雰囲気もあった。歩いていたおばあちゃんに、「この辺りはなんで家の塀が高いのですか?」と尋ねると「海からの風が強いから、風よけのためだよ」と教えてくれた。ただ、海風がこないであろう場所の家も塀が高かったので、納得するまでには至らなかった。もう一人のおばあさんに聞いてみると、「上に住んでいる人から覗かれないようにするためだよ」と話していた。結局良く分からないままであった。それから神社などを見て回る。


しんきろうの丘から

ただ、昔この島にはキリスト教が入ってきていたが、弾圧されこの地域にキリスト教徒が集まったのかもしれない。隠れて信仰するために塀を高くしたのだろうか。この地域の土着の宗教をクロ宗というらしいことからも、こんな推測ができる。もちろん海風をよけるという理由もあっただろう。人の肉を食べると言う噂はキリスト教に批判的だった人たちがキリスト教を非難するために噂を流したのかもしれない。あくまで全て推測であり、どうかは分からない。さらに今となっては、このような習慣はないだろうから遠い昔の話しだ。

その後、キャンプ場のシャワーを浴び港の防波堤に。防波堤は西に面していて夕日が美しいのだ。そこに座り夕日を眺め晩餐とした。スーパーで買った冷えたお惣菜だが、空の下で夕日を眺めながら食べていると、美味しく感じた。昨日に続き今日も夕日を堪能し、テントに潜り込んだ。

旅日記の続きはコチラ「下甑島探検隊。出動!」