日別アーカイブ: 2016/7/6 水曜日

疲れの違い

ずーっと前に書いた文章。

最近、顕著に体力落ちたな、筋肉落ちたなと思う。運動量が減って2年ほど。2年運動しないとダメになるなー。
ということで、2週間前から少し運動を始めた。継続して週に1,2回は運動しようと思う。近くの砧公園には50mプールがあることだし。

===

仕事で疲れるのに、休みの日に走ったり山に行って、なぜあえて疲れることをするのか?
よく、こんなことを言われる。

そんなことを始めて言われたときは、そういった考えってあるんだと驚いた。

もともと、仕事にしろ遊びにしろ疲れることは少ない。
疲れは肉体的なものと精神的なものがあると思うけれど、影響が大きいのは精神的な物だと思う。

肉体的なものは休めばだいたい解消される。
精神的なものは、そのストレスフルな時間が過ぎれば解消する場合と、その後もモヤモヤと残り続けてしまう場合がある。まあ、肉体と精神は互いに影響しあう関係だから、どっちか崩れると、もう片方もダメになることは仕組み上あるのだが。

で、先日事故渋滞で疲れた。車に乗っている、ただ助手席に座っていただけなのに。10時間とか、山を自分の足で走った後の疲れのほうが軽いのは不思議。疲れの種類が違う。これはたぶん精神的な疲れかな。

車(エンジンおよびスピード)の動力による人間の身体(能力)性を越えた恐怖、そこからくる精神的な死への負担。もちろん、自分が運転していないからコントロール出来ないという不安。まあ、その行為に慣れているかどうかによって疲れる度合いも違うんだろう。

そういえば、二十歳ぐらいまで疲れるという概念とか意味が自分で分からなかったな。年を重ねて疲れを知ってしまったな。

癒やしはマイナスをゼロにするだけで嫌い

僕が「癒し」を嫌う理由

新しい場所、アウェイ感の大阪

アジアの裏路地を好んで歩いた。汚いと言われるような国や場所をよく旅した。別に何も気にならなかったし、むしろインドに行った時に、ホッとした。この国では、細かいことを気にしなくていいので、気楽に過ごせていいなと。未だにドミトリーとかゲストハウスに泊まるし、全然気にならない方だと思っていた。

しかし、仕事で大阪に行った。京都や神戸は何度か行っているが、大阪は小さいころを除くと殆ど行ったたことがない。多分25年ぶりとかそういうレベル。と、アウェイ感を感じたのだ。なんだか、洗練さというか品というかそういった観点での違いを感じた。偶然行ったエリアがそうだったのかもしれないが。

ふと、以前北千住に住んだ時も同じようにアウェイ感を感じた。学生の頃に似たようなエリアに住んだ時は全く感じなかったのに、そんなことを感じるようになっていた。いつの間にか。最近は世田谷に住んでいて、ちょっと感覚が変わってしまったのかもしれない。自分の中の水準が変わったのかもしれない。発展途上国と呼ばれる国に行く頻度もへり、ヨーロッパなど先進国のきれいな国に行くことも多くなった。そうしている間に、感覚が変わったのだろうか。

いつの間にか、新しい場所に対応しなくなっていた。もっと、いろいろな街に行こう。そう思った。品があるとかないとかにかかわらず、雑多な世界を見よう。多様な世界を見よう。どちらも世の中には存在し続けて、その両方を行き来するのというのが自分のポリシーなので。

でも、若いうちにいろいろなヘビーな海外などに行っておいてよかった。そういった地域はどんどん世界から減っていく。そういう意味と、やはり自分のマインドや体力ともに落ちるという現実はあるから。その後からでも行けるアメリカやニュージーランドなどを取っておいてよかったなーとつくづく思ったりもする。