日別アーカイブ: 2016/7/20 水曜日

どうしてずっと情熱が続くのですか?

「何十年もどうして、情熱が続いているのですか?」

「情熱がずっと続いている、その源泉はなんですか?」

正確な表現は覚えていないのだが、switchの新井さんにタクジさんがいつか質問していたことが忘れられない。

人間の行動の源泉は、情熱だと思う。この情熱が大きなエネルギーとなり、人は行動する。

好きか嫌いかというものではなく、それを超える情熱というもの。

例えば、音楽が好きですかと聞かれたら大半の人が好きと応えるだろうけど、音楽を聞くことに情熱はあるかと聞かれたた一気に減るだろう。好きと情熱は全く別物だし、情熱の対象はより細かなものになると思う。音楽という拾い物より、◯◯というミュージシャンとか、音楽のジャンルとか、そういったものにたいして情熱は向けられる。

短期的に強い思いを持つこともある。一時的に熱を上げるというやつだ。あるミュージシャンを好きで5年ぐらいおっかけた、でも、いつの間にかその気持は冷めていく。これは、誰もが経験したことがあることで、永遠にあるミュージシャンを好きでいることは少ない。もし、そうあるのであれば、それこそが情熱に近いものなんだと思う。

人間にとって飽きるという感覚は元来そなわっているものだろうと思うし、それが否定されるものでもない。

好きでいたとしても、行動するかは別だ。行動には、常に時間がかかる、お金もかかる、睡眠時間とか他の何かを犠牲にする。好きという気持ちがあっても、行動しなくなる。これは明確に情熱を失ったという証拠なんだと思う。情熱がある時は、自分自身では情熱があるなんてことを考えることもなく、没入しているから時間がとかお金がなんてことはたいして問題ではないと気にも留めないのだろう。

そう、時間がかかる、お金がかかる、他にもやらなければならないことがある、体力がない、などなど、やらない理由は数多存在する。結果的にやらなくなったとしても、嫌いになったわけではない。ただ、情熱を失っただけ。情熱を失うと、そんな歯がゆい気持ちになるのだろう。

だからこそ、ひとつのことを思い続ける。ほとばしる、湧き上がる好奇心、情熱が続くということは、だからこそ偉大なことだと思うのだ。個人の感情によるものだから、情熱は無理やり続けるようなものではないかもしれない。ただ、情熱を失いかけた時に、もう一度その対象にしっかりと向き合う時間を作ることは、一時的な熱を上げたような情熱ではなく、その情熱をより熟成し深みのあるものに変えてくれる気もしている。

これこそが、人生をほんとうの意味でエンジョイし続ける秘訣なんだろうと思う。

深夜特急で沢木耕太郎さんが、旅に出るのに最適な年齢を26歳としていた。世の中を少し知っているけれど、知らないことも多い年齢。だからこそ、新しい発見の喜びと、その経験が過去の経験とリンクすると。年齢を重ねて行くと経験したことのほうが多くなり、新鮮味がなくなるという意味でも衝撃や興奮が少なくなる。これも、情熱の減退と似ているものだと思う。

とまあ、いろいろと書いたが、美味しいご飯を食べることに興味がほぼなかったが、最近は美味しいご飯を食べている時、ああ良いなと思うことがたまにある。言うなれば、ありふれた日常に。一方で、情熱、何かに対する思いが薄れていっている気がする。が、まあ、先のことはどうなるかわからないので、何かに情熱を燃やしている自分がいるかもしれない。