月別アーカイブ: 2015年3月

9年間という期間を振り返れば一瞬であり、日々の生活の中では無限のように長かった。

まるまる社会人8年がたった。
まさか、同じ会社で、こんなにも働くとは。

なぜ、こんなにも働いたのか。

ポジティブな理由とネガティブな理由とが並存する。まあ、どんな物事でもだが。

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こんなことを書きかけて放置してあった。
もうすぐ9年目が終わる。
だから、だいたい1年前に書いたものだ。

そして、9年目も終わりに差し掛かろうとしている今、

ある決意をした。
きっかけは偶然。
辞めるという決意。

今日、実質的に最終出社日だった。

まあ、人生の決断には、そうした「きっかけ」や「いいわけ」が必要なんだと思う。

「偶然の重なり」というと、聞こえはいいかもしれない。

結局のところ、

僕は人に惚れやすい。
どんなことでも妥協したくない。
やるなら全身全霊をかけて勝負したい。
知らない世界を、自分で体験したい。
自分で創造すらできない未来を創りたい。
今しかないチャンスをいかしたい。
クソなルールとか社会制度とか破壊して、真っ当にしたい。

自分が興味を持ってしまうと、いつの間にか全力で走っている。
ワクワク、でもドキドキして、届きそうで届かないところにジャンプしてトライし続ける。

でも、大きい企業だと自分の意思とは関係無い他者の意思や組織の意思に従わないといけない。そして、なんだかんだ守られていて、マジでヒリヒリするぐらい背水の陣という状態でもない。
だから思い通りの全力には永遠になれない。だから、心が完全に満たされることはない。
逆説的に、趣味とかそっちにパワーを注げるのだが。

あと、性格的にも迎合するのとかクソだと思っているので、少人数とか自分でやる方が向いているんだろう。自分では、そこまで思ってないけど、周りは自分で起業したりするかフリーのほうが向いているよと言われる。まあ、周りの目の方が正しいことが多いから、そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

もちろん、大きな組織のほうが社会にインパクトある仕事がしやすいことも事実としてあるし、リクルートという奇跡のような会社(業績的にも風土とか制度的にも)で、本当に色々学ばせてもらったし、自由にやらせてもらって、感謝しかない。俺みたいな天の邪鬼でも、ほとんど不満すらないほどだ。

9年という時間は振り返るとあっという間だけど、
日々の仕事の中ではとても長く、永遠につづく気すらしたけど、
自分で決めて辞めていくんだから、なんだか不思議だし感慨深い。

ヒューリスティックスとバイアス

ヒューリスティック(heuristic)とは、必ず正しい答えを導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る簡略化された方法である。また、答えの精度は保証されないが、回答に至るまでの時間が少なくて済む。

こんな風にwikipediaに書かれていた。

人間の意思決定の多くは、ロジカルに積み上げてというよりは、ヒューリスティックな方が多いと思う。

で、ずっと昔にブログに書いたことがあるのだが、探しても出てこなかった。

って、どんなことかというと、年を重ねると、いろいろな経験をする。言葉の意味だったり、感情だったり、経験を通して言葉の本当の意味を知っていく。本当の意味といっても個人ごとに経験が違い、言葉の意味はその人それぞれの本当の意味が出来上がる。

ただ、これって、「決めつけ」にも似た意味合いもある。自分の中で固定観念ができてしまうこと。固定観念があるというか、経験を通してひとつ意味を深く知ることによって、抽象的な意味合いが薄れ、他の意味合いが薄れていく。もちろんメリットも大きくて、言葉の意味が特定される(決めつける)ことによって、脳の中での処理が早くできたりもする。これが経験値というやつで、ヒューリスティックというやつなんだろう。

認知バイアスとか、こういったことに非常に興味がある。人間には、このバイアスがあることを知った上で、できる限りフラットに意思決定をしていきたいと思う人間なのだ。

なんで、こんなことが昔から気になるかといえば、ディベートをやっていたからだろう。あるテーマに関して肯定でも否定でも自分の意見は置いておいて、論理的にどちらの主張もできるように調べてロジックを作るゲームをしてきたから。だからこそできる限り、自己客観視をしてみる、してみたい、それがより良いと思っている。

もちろん主観が大切だが、ある程度の自己客観視がない(自己客観視能力のない、その発想すらない)人の主観の主張は他者にとって迷惑でしかないと思っているからだ。

念のため、重要ことほど、人間は感情で決めるし、幸せというもの自体が感情であり、それを得るためには感情で決めるのが一番いいのだが、ここで書いているのはビジネス的な意思決定においてということです

偶然、ココナラの南さんがオックスフォードに留学されていた頃のブログを見ていて、そういった認知バイアスについてまとめられていたので、メモをかねて。

一文字目に影響をうけすぎてる
頭が硬くないほうがよいようで、ないとワクワクしない
仕事を速く的確にするコツ

送信者 鹿島槍ヶ岳から白馬鎗温泉5日間縦走

ココナラの南さんのブログより

☆attribution theory(帰属理論)
人が誰かの行動を観察した際、その行動が内的要因と外的要因のどちらによってなされたのかを無意識に判断しようとする。
(例:同僚が会社に遅刻した際、寝坊なのか、電車が遅れたのか、事実を確認することなく判断しようとする)

☆fundamental attribution error(根本的な帰属の誤り)
誰かの行動を判断する際、実際よりも外的要因を少なく見積もり、内的要因の影響を大きく見てしまう。
(例:事情がわからない場合、電車の遅れよりも寝坊が原因であると判断しがち)

☆self-serving bias(自己奉仕バイアス)
個人は、成功したときは内的要因による(自分のおかげ)と考え、失敗したときは外的要因(他人・環境のせい)によると考えがちである。

☆selective perception(選択的知覚)
その人の興味・経験・態度をベースに選択的に物事を知覚・判断する偏向。
(例:勉強嫌いの人は、「勉強は必要ない」という意見はそのまま正確に理解しようとし、「勉強は必要である」という意見は無視・過小評価・批判的解釈をしようとするような、何でも自分の都合のいいように捉えてしまう偏向)

☆halo effects(後光効果)
被評価者の著しい一つの特徴に対する評価のために、他の 部分への評価が影響を受けてしまいがちになる、という効果。
(例:難関大学出身で学力が高いのだろうから、企画力・営業力・コミュニケーション能力も高いに違いないと無意識に判断してしまう)

☆contrast effects (比較効果)
誰かを評価する際にその直前に会った人との比較で評価してしまう効果。
(例:話が面白い人と会った直後に別の人と会うと、実際以上につまらない話をする人に感じてしまう)

☆stereotyping(固定観念)
特定のグループに所属している人について、そのグループ全体の傾向・印象を個人にもあてはめてしまいがちな効果。
(例:この人は老人だから新しい知識や技術を身につけることができないに違いないと判断してしまう)

☆self-fulfilling prophecy(自己充足的予言)
他人に対する期待が、相手のやる気を引き出し、現実化する傾向。
(例:教師が生徒に期待することで、生徒の成績が向上する傾向。逆もあり。)

☆bounded rationality (限界のある合理性)
複雑な物事をすべて理解しないで特徴的な部分のみから判断する合理性。
(例:受験する大学を選ぶ際に、日本の大学すべてについてありとあらゆる詳細情報を調べようとはしないで主な項目だけ比較する)

☆availability heuristic (入手容易性による発見的理解法)
想起しやすい事項に基づいて判断をしてしまう偏向。
(例:自動車事故による死亡の方が飛行機事故の死亡よりもはるかに少ないにもかかわらず、飛行機事故の方が印象が強く想起しやすいため飛行機に乗ることの方をより怖がってしまう)

☆representative heuristic (代表的症例に基づく発見的理解法)
典型的だと思われる事項の確率を高めに判断してしまう偏向。
(例:NBAに黒人プレイヤーが多いため、実際にはNBAに入れる可能性は限りなく低いにもかかわらず多くの黒人の若者が自分たちは比較的NBAに入りやすいと思ってしまう偏向)

☆escalation of commitment (傾倒の深刻化)
現在の選択に否定的な情報を得ても、過去に費やした努力から現在の選択を正当化してしまう傾向。
(例:5年連続で弁護士試験に落ちても、こんなに頑張ったんだから今更止められないとそのまま何年も努力を続けてしまう)

共産主義と資本主義

走っている時はだいたい考え事をしている。
あるテーマについて考えようと思って走り始めるときもあれば、走っていてふと気になることが浮かぶ時もある。
ただし、トレイルは地面や垂れ下がっている木枝、動物などに意識を向けているので、あまり考え事はしない。

先日のナイトリレーマラソンを走りながらふと考えが浮かんだことがある。

それは「共産主義」と「資本主義」。
なぜまた?と言う感じだが、走りながら考えが浮かんだ。

今回参加した12時間リレーマラソンが共産主義で、普通のフルマラソンが資本主義に思えて来たのだ。
それは、対比としての比喩表現であるのはもちろんだが、構造が似ている気がした。

リレーマラソンは12時間という「時間制限」の大会を、ここでは指している。
マラソンは42キロと言う「距離制限」の大会を意味している。

「時間制限」
だらだらしても、一生懸命走っても、終了時間がくれば終わり。
今回の12時間リレーマラソンで俺はダラダラしてしまった。
実社会において、共有するということは、個人所有があった上で成り立っている気がする。リレーマラソンは個人所有の積み上げであり、共産主義的な感じがする。

「距離制限」
頑張って速く走れば、早く終わる。
自分の努力次第で、ゴールに近づける。
ゴールまでの時間は自分次第でどうにでもなる。
だから怠けない。
先日の、忍野トレイルレースでは、32キロと言う距離を精一杯走った。

そんなイメージで、このリレーマラソン大会は共産主義 マラソンは資本主義と例えたのだ。

時間制限の3時間走が人気にならず、フルマラソンがこれだけ普及して人気があるのも、そこにある気がする。そことは、人間の根源的な欲求。達成欲であり、時間を縮めたいと思う人の方が多数であると。

来週から、キューバに行ってくるので、昔に書きかけたこんな文章を掘り出してみた。

キューバは4月11日までに、アメリカとキューバ双方に大使館ができるという噂もある。その前に、キューバという国を見ておきたい。別に自分が資本主義だからとか共産主義者だからというわけではないが、今しかないその国の状態がある。

なんだかんだ、世界中を旅してみて、結局すべては性格に基づいている。まあ、政治とか制度で縛り上げて、性格を強制することはある程度可能であるが、やっぱり国民性と言うのだろうか、それで経済が発展するものんびりなのも決まる。もっと遡って、性格は気候とか地形とか地理的条件にも影響するなーって思うけど。キューバの陽気さは、そんなことにも起因しているし、だからアメリカと合わなかったんだろうかと想像している。

話があっちいったりこっちいったりしすぎた。