月別アーカイブ: 2014年5月

強い人になれた宮古島トライアスロン

なかなか当選しなかった宮古島トライアスロン。昨年当選して行く気満々だったのだが、直前になり都合で行けず。今年も運良く当選したので、なんとか行きたかった。この大会は別名ストロングマンと呼ばれていて、完走するとストロングマン強人の称号が与えられる。強靭とかけているのだろうか?

宮古島は青い海を楽しむ南の島でのロングトライアスロンレース。佐渡島と五島列島と並ぶ伝統の大会。大会受付が金曜でレースが日曜。レース後の飛行機はないので、金土日月と最低でも4日間の宮古島滞在となる。GW前になかなかの連休だ。いつもこの大会はクリスマス前後に当選が発表されるので、クリスマスプレゼントとも呼ばれている。さらに、大会はいつも四月の後半で僕の誕生日の前後にある。クリスマスプレゼントからの誕生日プレゼント。

送信者 宮古島トライアスロン2014

金曜の6時過ぎの飛行機で那覇へ、乗り継いで宮古島。11時過ぎぐらいに到着。いつものようにフルで旅先の時間を確保するフライト。自転車を入れるプラスティックのケースは昨年買っていたので、それに取り付けれる車輪を購入して、押して自転車を持って行った。意外と負担にはならず。飛行機は1フライと2000円で、乗り継ぎ含めて4000円、往復で8000円だったので、思っていたよりも安かった。

送信者 宮古島トライアスロン2014

実は宮古島は初めての島。今はスカイマークも飛んでいるのでかなりお得に訪れることができる。宮古島はいつかトライアスロンで来るだろうと思っていたのと、短期間の旅は物足りなく感じてしまって来ていなかった。沖縄本島の近くで、伊江島上空を通過。去年のゴールデンウィークに友達とキャンプした島田。空港に降り立つと東京とは異なり、南国の暖かさがあった。毎度のことだが、東京から宮古島が近づくにつれて、トライアスリートっぽい人が増えて行く感じが面白かった。

送信者 宮古島トライアスロン2014

今回の宿泊は宮古島ユースホステル。けっこう直前だったけどドミトリーを確保できた。さらに3泊と食事付きで12000円ぐらいと安くてラッキー。荷物があるのでタクシーで向かった。宮古島のタクシー初乗りは430円ぐらいと東京と比べるとかなり安いことに気づく。

宿に着くと、そこはトライアスリートしかいない。当たり前だが、宿の前にはバイクがあり、部屋にはウエットスーツが干してある。地味にトライアスロンは佐渡島以来な気がして、3年か4年ぶり。宿に併設している食堂で昼ご飯を食べて、バイクを組み立ててちょいとメンテナンスして、受付に。

送信者 宮古島トライアスロン2014
送信者 宮古島トライアスロン2014

その後も半日暇なので、バイクに乗って観光することに。自転車の練習にもなるし、ちょうどいい。マングローブがあるというので、ウプカーマングローブへ。が、すんごい地味だった。西表の網取で見たのはスゴかったなーと思い出す。本当は大神島に行きたかったが遠いのと少し不便なので、船で自転車をつれて伊良部島に。

送信者 宮古島トライアスロン2014
送信者 宮古島トライアスロン2014

宮古島は飛行機で降り立ったけれど、やはりフェリーとか船で島に渡るのが好きなのだ。船に乗らないと四万に来た気がしない。青空と青い海を眺めながらのフェリーは最高だ。伊良部島はしずかでのどかな島。大きな岩が海岸沿いにあったり、新しく橋が建設中だったり。工事のおじさんと仲良くなって、工事現場の中へ。誰もいない橋で青い海を満喫。

送信者 宮古島トライアスロン2014
送信者 宮古島トライアスロン2014

前々夜祭があるので、宮古島に戻る。宿にバイクを置いててくてく歩いて会場の体育館へ。すでに多くの人が来ており、すごい熱気。オリオンビールを飲んで、たくさん食べて大満足。何人かの方に声をかけていただいた。トレランとかトライアスロンをやっている友達の友達が多く、facebookとかで顔写真を見て知っていたらしい。

送信者 宮古島トライアスロン2014

まあ、こういった飲み会のある大会は友達と来た方が楽しいなと思いつつ、ほろ酔い気分で会場を後にして、海辺をてくてくと歩いて寝転がりながら音楽を聴く。ああ、こういった時間が自由で開放的で好きだ。宿に戻ってすぐに寝た。

送信者 宮古島トライアスロン2014

島の朝はさわやかでゆったりとしている。朝食を食べて、近くを朝ランしてみた。それから、バイクを預けに東急リゾートホテルへ。と、そのまえに来間島へ。青い海を渡る橋で有名で、とっても気持ちがいい。快晴だし、海は輝いているし、立ちこぎしながら、宮古島の風を浴びてサイコー。バイクを預けてバスで宿の近くまで帰った。

送信者 宮古島トライアスロン2014
送信者 宮古島トライアスロン2014
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なかなか仕事がたまっていたので、夕食までは仕事に集中。ありがたいことにこの日から1人部屋に変わったので、集中して数時間仕事ができて、なんとか完了してほっとした。荷物の準備をしていたら、夕食の時間。昨日のドミトリーの部屋で同じだった方3人と。毎年出ている方々で、大会のコースなんかについて聞いたけど、テキトーな人間なので、まあバイクのタイヤさえパンクしなければいいやぐらいだった笑

送信者 宮古島トライアスロン2014
送信者 宮古島トライアスロン2014
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朝は真っ暗なうちに起きて、朝食。デポバックを3つもって、トライスーツで宿をみんなと出た。近くまでバスがくるので歩いてバス乗り場に。会場に着くとすでに多くの人がおり、日が昇って明るくなってきた。ああ、トライアスロンの朝だ。当たり前だが山では早朝の時間を良く経験するが、海ではあまりない。海沿いで迎える朝日はトライアスロンの朝の象徴だ。

送信者 宮古島トライアスロン2014

肩に633とゼッケン番号を書かれ、計測のチップを足に巻いて受付完了。633はムーミンさんと語呂合わせで覚えたw

送信者 宮古島トライアスロン2014

みんなはなにやらゴソゴソやって準備していたが、俺は特にやることがなかった。タイヤの空気は昨日入れてあるし、チェーンとかも東京で掃除してあったし。ということで、ぶらぶらしてスマホをいじっていた。時間も近づいたので、荷物を預けてウェットを来てビーチに。

送信者 宮古島トライアスロン2014

スタートの号砲とともに海へと入って行く。あんまり急いでも仕方ないので、まあゆっくりとスタート。透明な海だけれど、多くの人が泳ぐのでさすがに視界は悪い。相変わらず蹴られたり蹴ったりだ。まあ、これがトライアスロン。少しそれて気楽に泳ぐことにした。でも、久しぶりのウェットスーツ。久しぶりの海。久しぶりの遠泳。ということで、ちょっと疲れを感じたので平泳ぎをまぜながら。そして、潮の流れに逆らうとやはり進まない。が、耐え忍びながら。1時間弱でなんとかスイムアップ。

海を出てすぐ走ると、いつものように不安定で違和感がある。この感覚は不思議な感覚だ。ウェットスーツを脱ぐときに脹ら脛をつることが多いので、慎重にゆっくりと脱いだ。そして、バイクシャツを来て、靴下をはいて、ジェルを飲んで、着替えた荷物を預けて出発。このトランジションも焦らずに、ゆっくりした。どうせ焦ってもチャリは遅いので意味がない。

チャリをこぎ始めると意外とスピードが出た。レースだから自然と力が入っているのだ。ゆっくりと思っても、無意識のうちに張り切っている。アップダウンも少ないし道路もいいので、スピードが出たようだ。天気もよくて、景色を楽しみながら、沿道の応援にこたえながら。バイクは155キロ。宮古島を1周半ぐらいするので、気合いが入っている。

海岸沿いを走ったり、畑の中を走ったり、橋を渡ったり。トライアスロンはやっぱり島でやるのがいいなーとつくづく思う。木更津かどっかで出たことあるが、あれは水も汚いし景色もつまんなかった。宮古島であれば、どこを走っていてもただそれだけで楽しめる。パーントゥーンの地域も通った。けど、パントゥーンを売りにして看板とかもあった。そんなに有名なお祭りになっていたとは初めて知った。ずっと行きたかったけど結局行けてないお祭りの一つ。

まあ、それはさておき、池間大橋を渡って池間島へ。この橋も気持ちがいい。青い海を見ながら風を浴びて進む。DHバーを握って走るのが風よけで当たり前だが、せっかくなので立ちこぎをして、全身で風を浴びながら、ちょっと高い視点で海と空を眺めて、叫びながら走った。ヤッホーイ!

まあ、バイクは長い。ジェルやチョコやなんかを食べたり、暑いので水を飲みまくったり、足を氷で冷やしながら。スポンジをもらって首筋に置いた。それにしても暑い。スイムアップしてから、日焼け止めを塗りまくったがもう完全に落ちてしまっているだろう。長いので景色を見て気分転換。あとはスピードと距離、そして時計をにらめっこ。スイムで時間に余裕があったし、まあ気楽に走った。パンクだけしないことを祈りつつ。

1周終わって残り半周。同じところなので飽きてきたのとバイクはなれていないので太ももに疲労が。なんとかここをクリアしよう。ランになれば、トラブルのリスクは少ないので完走が見えてくる。のこり10キロぐらいになりホッとした。けれど、こういう時が事故のリスクが高いので、最後まで気を抜かないように言い聞かせた。

バイクが終わるとラン。靴を履き替えて、食料をたくさん持ってスタート。厚底のHOKAシューズ。トライアスロン向きではないが、翌週にUTMFが控えていたので。ランも一定ペースを保とうと前半は押さえて。急ぎすぎないように一定ペースかつ蹴り上げないようにすり足で。このすり足だと膝への負担がすごくすくなくいいことが分かった。これからはすり足にしよう。

ランは島のど真ん中を往復。正直つまらないコースだ。まあ、ただひたすら前に進むのみ。エイドがこまめにあるので、何も持たなくてもOKなぐらい。かなり暑くて暑くて、帽子の日よけかがあって良かった。それでも暑いのでスポンジを首筋にまたも入れて走った。半分を折り返して、足が重くなってきたので、足を冷やしたり氷をトライスーツの中に入れて太ももや脹ら脛を冷やした。

30キロ過ぎに佐渡島トライアスロンでは一気にスピードが落ちたので、今回も足が動かなくなるかと思ったら、特に問題なかった。やはり前半にペースを押さえることとすり足走法のおかげだろう。明るいうちにゴールしたいなと思っていたので、間に合いそうでよかった。そして、沿道の応援が「おかえり」に変わってきた。ああ、トータル200キロぐらいが終わったんだな。としみじみと感じた。宿が同じ人もすれ違った。

送信者 宮古島トライアスロン2014

沿道のおかえりに、手を振ったり、ありがとうと笑顔で答えると、自分の体が軽くなってくる。競技場まで戻って、最後はトラックを走ってゴール!今回はあまり追い込んでないので、喜びの感情は爆発しなかった。佐渡島の時はすごい歓喜だったなと思い返すと不思議なくらいだ。ロングのトライアスロンも2回目ということで、なれてしまったというのもあるだろう。こうして、30歳最後のレースは終わった。

送信者 宮古島トライアスロン2014

名前を呼ばれてゴール。すると、駆け寄ってきた人がいた。なんとじゃらんの編集をしていたときにお世話になったライターさん!こんなところで会うとはびっくりだ。取材できているが、五島列島のトライアスロン(バラモンキング)に出ると話していた。宮古島を完走して、晴れて俺もストロングマンという称号を手に入れた。佐渡島はアストロマンだったっけか。いつかアイアンマンもゲットするのかな?どうだろう。

送信者 宮古島トライアスロン2014

荷物を受け取って、歩いて宿まで戻って風呂に入って、洗濯をしていると、みんな帰ってきて夕食のカレー。なんだか、バイクでカフェインジェルを飲みまくったので、眠くならず部屋で本読んだりスマホしたり。あとは、筋肉疲労をためないために、風呂ではアイシングに勤しみ、部屋ではマッサージと湿布や塗り薬をぬりまくり。そして、足を上げて寝るという気の使いよう。

翌朝もすっきりとした目覚め。今日はバイクをとりに行って、片付け。部屋でダラダラしていたらけっこう時間は過ぎて行った。乾いた洗濯物とバイクをケースにしまい、3時ぐらいから表彰式とパーティーへ。夕方の飛行機だったので、パーティーでビールを飲んでから、空港へと向かった。那覇経由で東京に。のんびりした宮古島だった。さて、来年もエントリーするのだろうか。どうだろう。そして、気になることは中4日で訪れるUTMFが完走できるかどうかだけだった。

送信者 宮古島トライアスロン2014
送信者 宮古島トライアスロン2014

ゼッケン633
寺町 健
30歳

東京都
スタート07:00:00
スイムF07:56:34
バイクS08:13:42
池間島1 30km09:11:13
東平安名崎 70km 10:38:05
池間島2130km12:47:30
バイクF13:53:43
ラン折り返し20km ラン16:05:52
30km ラン17:09:04
35km 17:40:35
ランF 18:27:25

アコンカグア下山直後のメモ

病院でメモったこと、退院後のホテルでメモったこと、そのまま。

===

準備をどれだけしたかで、登頂できるか決まる

チャレンジしても、成功しないでばかりでは意味ない

ただのお騒がせマン

ただ仲間に迷惑かけた。そして、感謝

困ったこと

おかね、現金がない
言葉が通じない
身寄りの人がいない、1人だと心配で、退院させてくれない。
誰かと生きていくことの大切さ
ネットができない、友達とのコミュニケーション、荷物など

いったい自分はどこにいるのか?

どこの病院なのか?

足りないと感じたものは、結局全て人ど人を、つなぐもの。

せいては事を仕損じる

調子に乗りやすい

もっと冷静に。

調子がよい時こそ冷静に

休息日など、基本はぜった守る

目立つとか、自分は人よりできるとか、おごりとか、優越感とか捨てる

病院で、ザックを開けた時、スリッパや水、ありがたかった

人生何があるかわからない

お金ないと不便
スペイン語だけでは不安
そんな病院生活

すらむの病院、
衛生面の不安

俺は結局何がしたいのか?
目立ちたいだけ?

肺水腫、Spo2 32で、ヘリ、救急車で、入院

マイラバ、自分の限界が、の歌詞

悔しさ
最初の段階で、いかに冷静に 、着実にクリアしていくか。最初ダメだと成し遂げれない。チャンスは、そんなにない。PTLも同じ

失敗の年だった。どっちもしんけんにとりくんだ。

仕事の忙しさ、チームでの挑戦。当事者意識が低かった。下調べ、準備不足。他人任せ。

一人旅だった頃は徹底的にしらべた。そして、慣れてきていい加減になっていたのも事実

チームでの挑戦の楽しさを知ったからこそ、責任感をもち、チームで勝てるように準備をできるようになりたい。

水を飲み、トイレに行く

めんどくさがらない。

基本大事。しっこボトルもケチらない。

突然の終わり。
あれだけ元気いっぱいだったのに。

咳が止まらず、眠れず、
翌朝、ふらふらで、医者に。
咳止めだけ欲しかったが、ヘリで降ろされ。

ふらふらしながら歩いていると、ズボン下げられ注射

ヘリからのアコンカグアは勇ましかった

いつかあの頂きに立てるのだろうか。

悔しくて、もどかしい

あんなに素敵な仲間と共に頂上を踏めなくて、そしてしゅくはいをあげれなくて、

悔しい悔しい悔しい。

病院で、結婚したくなった

一人はもういい、

そして、大切な人たちの写真を見たくなった。初めての気持ち。

寝れない。
退院して、1人さみしくホテル。

金ない、どこにいるかわからない。荷物ない。

みんなのコメントに救われる。
誰かに連絡したくなる。孤独の辛さ。一人では生きていけない。

同じ仲間が、見ている景色はどんなだろう。それは青いか?空気は薄いか?つらいか?美しく、喜びに溢れているか?星は綺麗か?仲違いしてないか?みんなで、頂上踏めるのか?

一緒にその全てを噛み締めたかった。

時間の不可逆性。
巻き戻しはできない、もしああしていればとか、たらればはない。

人生は、巻き戻せない。一方方向の時間。

だから、悔しい、もどかしい。やるせない。

でも、肺は限界だった。
退院して、街を歩く。変な兄ちゃんに襲われかけて走ったら、10mも走れず息が上がった。タクシーに飛び乗った。

本の少しの判断の違いが、その後の全てを決定づける。

時間は不可逆であり、最初の段階で、その判断ミスをするとその時点で全てが終わる。

少しの判断の違いだけれど、その精度をいかに高めるか、これが大きなテーマだ。

失わないと、気づけない。。。
情けない。

涙は突然溢れ出すもの。
自分でも予期しないタイミングで、積もった気持ちが込み上げる。

サポーターへの感謝

ロングレースだと、サポーターがいる。
エイドステーションでサポーターが食事や装備などを。

でも、僕は物理的な意味でのサポートは受けないと決めている。
できる限り、自分で必要な装備をすべて持って、問題が起これば自分ができる範囲のことで対応する。
それが、自然と自分の向き合い方として個人的に好きだから。

自分の中では、山小屋でビールを買って飲むのと同じ。
飲むなら自力で担ぎ上げて飲むと。
こんなこといいながら、少しの罪悪感を感じ、買ってしまうこともあるw

でも、まあ精神的な意味合いでのサポートは非常に大きい。
むちゃくちゃ助けてもらっている。

エイドステーションで仲間の顔を見れること。
会話できること。
エイドに仲間がいるという希望を持てるから、走れること。

走っている仲間もサポーターだ。
同じトレイル上のどこかにいる。
同じようにつらさを感じながら、それをなんとか乗り越えようとしている仲間がいる。
そして、偶然すれ違えば、話をする。
体の疲れがスーッと抜けてゆく。

遠く離れて見守ってくれている人がいる。
ランナーズアップデートやFBやメールやラインなどそういったツールを通して、イメージを膨らませながら応援してくれている。
気遣ってくれている人がいる。
この瞬間に、つらいと思っている自分がいて、それをどこかで気にしてく手ている人がいる。
なんと幸せなことか。そして、力の源泉だ。

トレランという遊びは個人競技だ。
でも、一人じゃない。
ALONE TOGETHER
この塩梅が僕にはちょうど心地よい。

トレランも知名度が上がり、競技人口が増えると、いろいろな人が出てくる。
サポートの細かなルール違反を細かく指摘する人。
まあ、それはルールに従っていていいのだが、あくまで趣味じゃん。
プロでやっている人は別にして、趣味じゃん。
自己満足じゃん。

自分がサポートを欲しければつければいいし、つけたくなければナシでいい。
それで完走なり目標をクリアすることで十分じゃないかなと。
自己満足の遊びなんだから、他人をああだこうだ言う必要はないのにな。

まあ、あと文字に書き残すことは、リスクでもあるし、大きな価値でもあるなと思う今日この頃。

送信者 UTMF2014

社会的に評価されないけれども、身近にある本当に大切なものを大切にして生きる人たち

大学4年生の時に無人島で身を持って知ったのは一日が食に関することだけで過ぎていくこと。

朝起きて飯作って昼飯を探して作って食べる。
昼からは夜飯探して作って食べて、朝飯の準備したら夜になってる。

文明といわれるものは食に掛ける時間が少なくなったからうまれた。そんなことに気付いた。
これが10年前。

それから食べるということについて、ちょくちょく考えていた。
ブログにも何度か、そんなたぐいのことを書いている。
カテゴリーで「食」なんてのも作っていたりする笑

弁当を作っていたこともある。
しかし、めんどくささが勝ってしまい、なかなか食生活は改善しない。
自分を作り上げる上で非常に大切なはずなのに、毎日それも3回も訪れるありふれた行為になってしまい、ないがしろにされている。

これって、非常にイケてないなーとつくづく思う。
前からずっと思っているし、今回の徳島でもそう感じた。

偶然にも、6年ぐらい前から運動を始めて、食べることの大切さを別の側面から痛感し、大切だと考えるようにもなった。
いろいろな国を旅して、いろいろな土地でできたものを、いろいろな調理方法で食べた。それらによって作り上げられる肉体は地域によって異なっていた。旅では、その他にも、旅の途中に一人で食べるよりも、誰かと食べるとおいしく感じた。

バイトをほとんどしたことないが、まかないを狭い事務所で壁を目の前に食べたときに、息が詰まると思った。死ぬまで壁を目の前に見ながら食べないと決めた。

今回の徳島では、いろいろな方とご一緒させていただいて、いろいろな食とその場を楽しんだ。同じ釜の飯を食うというが、まさにそうだと思うし、食べるという行為は個人の肉体と精神を作り上げるし、人と人との関係も作り上げる。

世の中、本当に大切なことって実はすごく身近にあって、ありふれたものなんだろう。
それは、食べることだけじゃなく、衣食住のすべてだし、家族だし、普通の日々が送れる健康だし。
しかし、身近にありすぎて、大切さに気づけない。
大切だと知っていても、頻度多く接触したり、当たり前になりすぎて、ありがたさ、大切さの気持ちを注げない。

なんでかなって考える。
こうした本当に大切なものを大切にしても、社会的に評価されたりするわけでもないからだろう。そんな場合が多い。
しっかりした食生活を送っても、誰も評価してくれないし、自分が健康でいられるのがメリットぐらい。
副次的には、健康でいられるから家族が幸せになる。
ただ、テキトーな食生活をしてもすぐに不健康になるわけでもない。

こうしたことは、刺激的ではないし、細く長い自分自身だったり、本当に身内の幸せだったりする。
ここがポイントで、この部分に対して本当に想いを込めれるかどうかだ。

そういったことに大切さを感じれるには、なかなか精神の成熟が必要な気もする。
特に、僕みたいに効率的になってしまったり、刺激のあるものに喜びを感じてしまう人間は。

そんなことを感じた。

こんな偉そうなこといいながら、なかなか食の改善は難しい。まずは、よく噛んで食べることぐらいから始めよう。

送信者 徳島の旅・神山と祖谷
送信者 徳島の旅・神山と祖谷

記憶を辿り、人と場に巡り会い、未来を紡ぐ旅

久しぶりにのんびり旅を楽しんだ。
最近と言えば、山に行くためにどこかに出かける。
そんな日々だった。

まあ、それもいいのだが宮古島トライアスロンもUTMFも無事に完走した。
そして、PTLに出ないことも決めた。

ゆっくりと豊な時間を味わいたかった。

御蔵島に行き、イルカと泳ごうと思ったが宿が取れず。。。
結果として徳島に。

以前から行きたかった場所。

Uターンした友達に会い、
神山に古民家カフェをオープンした友達の友達に会い、
そしてその仲間うちと飲み、
集落のお内でじいちゃんと夕食をいただいた。

人との巡り会い。
場との巡り会い。

美しき日本の残像や情熱大陸でアレックスカーさんを知り、ずっと行きたかった祖谷地区にある茅葺き屋根の古民家宿に宿泊。
浮生という、祖谷地区の落合集落の一番高いところにある、集落が見渡せる宿。

民家に隣接していたり、集落のおばちゃんが掃除していたり、アクセス悪かったり。
でも、内装はリノベーションされきれい、設備も高級。

その共存が非常に興味深かったし、心地よくもあった。

神山という町では、友達の友達がオープンしたビストロに。
若い人が集まり、ベンチャーのサテライトが集まり、面白いことが起こり始めていた。
東京からGWで神山に来ていた方、そして地元の方とも飲みながら話してなんだかワクワクした。

ずっと使ってみたかったAirBnBで予約した阿波市のシェアハウスにも泊まった。
オーナーの方と話すと予約がバンバン入ってくるし、外国の方もいるという。
ああ、時代はより手段が多様化、個別化して、面白くなっていくと感じた。

お遍路さんじゃないけど、88カ所巡りのお寺もいくつか巡った。
年配の方が、黙々と歩きながら巡礼していた。
そして般若心経を唱えていた。
原点のようなものを垣間見た気がした。

なんだか、体が軽やかになった旅。
楽しくて、笑顔が絶えなかった旅。

ありがとう。
付笑。

送信者 徳島の旅・神山と祖谷
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