日別アーカイブ: 2009/9/8 火曜日

満月の夜に八ヶ岳麓で焚き火を囲む。

満月の夜に八ヶ岳麓で焚き火を囲む。焚き火の炎を見つめたのはどれぐらいぶりだろう。重なり合った薪の下で地面をただよう柔らかい火の灯りは見続けてもあきない、揺らぎが存在している。そして、満月の光が縄文時代に人々が過ごした大地を照らしていた。


6月に那須で長屋和哉さんの演奏を聴いたのは偶然のきっかけだった。
エクアドルでお世話になった方が今は日本に住んでいて、その家でライブがあるというので尋ねたのが長屋和哉さんのライブだった。長屋さんが岐阜出身ということ、さらに僕が最近興味を持ち始めている日本の民俗文化に関して非常に知識があり、色々お話を伺ったり、旅の話しを聴いているうちに意気投合。(意気投合と言ったら失礼だと思うけど。)9月に八ヶ岳麓にある藤内遺跡で焚き火を囲いながら演奏をして、飲みながら話す場があるというので楽しみにして出かけた。小淵沢駅で下車して、スタッフの方の車で藤内遺跡へ。少し高い場所にあり、昔の人はいい場所に住居を構えたんだなとつくづく感じた。荷物を置いて、会場へ足を運ぶと長屋さんがいらして、握手。3ヶ月ぶりの再会。

野菜たっぷりのカレーを食べ、ライブが始まった。草っ原に置かれた楽器と沈みかけの太陽が非常に爽快な感情を呼び起こした。屋内で狭苦しい場よりも、大地に存在することが心地よい。お酒を飲みながら、演奏が始まった。ほろ酔い気分で、音が流れるのは柔らかな幸せを抱かせてくれる。野外だと音が発散するので、前回の屋内の様に音が反響して差し迫る衝撃はないが、発散することによる自由さ、開放感を味わいながら楽しむことができた。

その後、焚き火を囲みながら話しをした。長屋さんの話しで一回性の価値、それにしかないものがあるという内容に共感する。起こる出来事の一回性という、その時つかみ取らなければ永遠に失うものに価値、喜びを僕は感じて生きているので、とてもしっくり来る。だからこそ、偶然というものに価値を感じて旅をしている分けだし。さらに、現在の社会で騒がれるようなスピリチュアルは信じないがけれど、その根底にあるものは信じる、といった内容にも強く共感した。

そんな話しをしたり、日本の古代イスラという神の話し、ギリシャ時代のデュオニソス神の話しをする。大きな組織に属して頼らなくても10年勇気を持ってやれば何とかなるというアドバイスは自分でも考えていることなので非常にしっくりきつつ、色々と考える。二回しかお会いしていないのに、自分でギクリとすることを言われてドキッとする。茂木さんにしろ、そういった指摘をしてもらえて幸せだ。最終的には自分で考えて、決断して責任をとるんだけど。そんな話しをしつつ、9月になった八ヶ岳麓の寒さを感じつつ、夜中まで話しは続いた。

翌朝、起きるととても爽やかな風が通り抜ける朝がやってきた。井戸尻考古館で遺跡の出土品を見学して、東京に戻った。

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7月に行った石徹白の白山中居神社の創業祭とか東北の旅も書きたい。さらに5月に行ったトカラ列島の旅日記も途中だ。。。書きかけなので、早く書き残したいなー。