日別アーカイブ: 2011/4/11 月曜日

東日本大震災 石巻でのお手伝いと、目の当たりにして感じたこと

4月10日(日)東日本大震災から1ヶ月後の日に宮城県石巻市旭町のアパートで片付け作業を行った。
友達の友達の実家ということで、ヘドロの掻き出し、ゴミの片付けを手伝いに行った。

以下は時系列での見たりやったこと、そして感じたこと。

東北道の道は修理した場所が多く、凸凹し車が揺れた。

高速から見ると、田んぼには漂流して来たモノが散乱していた。

一方で、何事もなかったかのような地域もあった。

自衛隊の車と物資を運ぶ車、医療関係の車をたくさん見かけた。

空にはひっきりなしにヘリコプターが飛んでいた。

高速の矢本PAには、通行止めの道路情報と使えるトイレの場所が掲示されていた。

町中は、家の外にゴミとヘドロが堆く積まれていた。

土ぼこりが舞っていた。

すでに1ヶ月たったとは思えない。道は片付いてたが、家の中はまだまだのところが多い。

ヘドロの掻き出しをしたアパートは2メートルぐらいまで水没の跡があった。

部屋の中は油と水と土とヘドロとゴミが混ざったものが、10センチぐらい積もっていた。

油の匂いが少しツンとした。

作業は泥だらけになり、予想以上にヘドロがやっかいで時間がかかった。

お手伝いしたアパート周辺はまだ水がストップしており、作業に手こずった。

ゴミとして捨てて良いと言われても、土で汚れた子どものミニカーや手紙などを捨てるのは忍びなかった。

なにから何までゴミになるので、道にゴミの置き場がないぐらいだった。

町の人も協力しながら、コツコツ片付けをされていた。

重労働が多く、被災された方は片付ける気力を振り絞るのも大変。
さらに少人数だと進みも遅く、片付ける気持ちを持ち続けるのもたいへん。
金も必要だが何より明らかにマンパワー(頭数)が足りてないと感じた。

被災したら、片付けなんてする気になれないだろう。元気な奴がやりに行く意味は大きいと思った。
被災していない俺らが元気をなくしてどうするんだ。

ボランティアをした石巻市旭町のアパートのおばちゃんに見て行くように言われ日和山公園から海岸を眺めた。

建物の土台も何もかも流されていた。車は逆さま、家は崩れ、泥だらけ。様々なものが燃えて錆び付いていた。
全てが流され、引っ掻き回され。ぐちゃぐちゃだった。こんなことが起こりうるのか。。。茫然とした。

自分があの瞬間にあの場にい会わせたことを想像すると、迫り来る津波に物凄い恐怖がおそってくる。いろんな気持ちがご茶混ぜ。
こんな事態になったら、おれは錯乱するんじゃないかと思うが、みなさん辛さを押し殺しているのだろうけど、温かく迎え入れてくれた。

道を挟んで隣の家なのに、何もかも流されている区画と何事もなかったかのような家が残る区画との差が大きかった。
隣の家なのに電気が通っている所といないところ。水も同様。少し高台とかもあるが、あまりにも大きな差だった。
自分がすべてを失った立場だったら、辛すぎる。俺のような人間だったら失わなかった人を恨みたくなってしまうんじゃないかとも思った。

1ヶ月がたった今日でこの状態。
直後はいったいどんな世界だったんだろうか。

いったい、これからどうやって立ち上がって行けば良いんだ。
あまりにも先が見えない状態が目の前にあるが、一歩ずつ進むしかないのだろう。

避難所では、今日の元気メニューと幟を立てて、ぜんざいやおでんなども振る舞われていた。

公園では子どもたちが走り回って遊んでいた。

自衛隊の人は黙々と作業をし、警察官は町中で交通整理、そしてボランティアもお手伝いしていた。

自然は恐ろしく、美しい。
当日の朝日と夕日は真ん丸で淡く美しかったし、石巻でも梅の花は何事もなかったかの様に花を咲かせていた。
一方で、何もかもを消し去った跡が目の前にあった。

お手伝いボランティアに役立ちそうなことなど細かなことは、後日にまとめて書きたいと思います。
今回はまず目にした事実と感じたことを忘れない様に、最初の気持をとりあえずメモしました。

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