月別アーカイブ: 2013年4月

衝動にかられ急展開なUTMF応援

たぶん日本で一番盛り上がるトレランのお祭りUTMF。
昨年は走ったが、今年は抽選にはずれ半分の距離のSTYを走ることになっていた。
しかし、直前にこちらには参加できないことになってしまった。

さらに、その前の週の宮古島トライアスロンも参加できず。
予定というものは、もろくも崩れ去っていく。
自分がいると決めていた、思い込んでいた場所にいないというのはとても不思議な感覚で、それは全て自分の意志によっているというのもなんだか分かったようで分からない。

http://teratown.com/blog/2012/11/01/aeaoaoayoi/

送信者 sports

まあ、それはさておき、UTMFが近づくとトレラン仲間はUTMFのことで大盛り上がり。でも、個人的には、あまり気にならなかった。興味が以前よりも薄れているのも事実。しかし、ついに大会当日を迎え、青空にそびえるMt. Fujiの写真を皆がアップしはじめ、沸き上がるスタートを見て、自分が仕事をしている間も走り続けている仲間がいることを思うと、なんで俺がUTMFの場にいないのだろうと不思議に思えてきた。おれも、あの場にいたいと。これは、理由を抜きにした感情、衝動だった。

しかし、金曜の夜9時を回っていた。水泳でもして家に帰ろうとおもっていた。夕方ぐらいに帰れればバスで山梨まで行こうと思ったが、この時間にはバスも電車もなかった。俺は車を運転できないので、車という選択肢もない。でも、いきたいという気持だけはある。そこで、UTMFの応援に今からいきたいけれど、どうにかならないか?とつぶやいてみたら、偶然にも夜23時に東京を車で出て、西富士中学(エイド)までいくと言う心折れ部仲間ケイティが!家に帰る途中の電車で急遽便乗させてもらうことを決めて、ダッシュで準備をして、家を出た。

こういう衝動に任せて、想定していないような急展開が嫌いじゃない。というか、大好きだ。これだと思ったら、意思決定は早いので、即決して便乗させてもらった。仲間がやってくるエイドに先回り。

送信者 sports
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真夜中の高速を抜け、西富士中へ。昨年もエイドだった場所。去年は走ってこの中学まで到着したと思うと、車で着たことが変な気持になる。到着すると、世界の増田さんが出て行くところだった。アキレス腱を痛めたようで、辛そうな走りだった。そして、エイドには岡野さん、エディさん、女王、ミックスさんなどなど続々と仲間が入ってきた。

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サポート組もIBUKIやパーク組などもおり、楽しい時間を過ごした。サポートといっても、特に何もできなかった。ただ、自分が走っている時もそうだけれど、何かものをもらうよりも、仲間の顔を見れることが何よりもパワーになる。大きな声で声をかけた。

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夜中の3時頃にこどもの国へ。ここも去年と同じエイド。到着とともに朝がやってきて、朝焼けが美しかった。去年のレースでも、朝をここで迎えた。ここでも、チャンプから始まり女王まで見送った。快調な仲間もいれば、胃がやられていたり、足に痛みがたったり、それぞれだった。でも、みんなこの状況が好きなんだろうなと感じた。
おれは青いダウンを着ていたので、ヒゲを書いて鼻を赤くしてドラえもんにw 選手のウケは良くなかったが、疲れたサポート隊のウケはよかったので、良しとしようw

送信者 sports

さらに、昼前に山中湖きららへ。ひとみさんや博子さんなど女子の優勝候補が出て行くところだった。ここでも、ブルーシートを敷き、テーブル、椅子を準備して、食べ物や飲み物を並べる。さらに、受け渡しの荷物も。チャンプ、増田さん、ジョリーさん、岡野さん、ミックスさんなどが続々とやってきた。ここは富士山が真ん前で、とても美しい場所。そして、天気も良く芝生で仮眠をとった。

送信者 sports
送信者 sports
送信者 sports
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仲間を送り出し、きららからすぐ近くの平野バス停から高速バスで新宿へ。爆睡していたら、いつの間にか到着。こうして今年のUTMFは終った。仲間が本当に精一杯の力で勝負しているところをみると、いいなと思う。心の底から応援したくなる。別に速い遅いなんてどうでもいい。今、それぞれがおかれている状況で、最大限の頭と体と精神を使って、なんとかして乗り越えていく。その姿がかっこいい。社会のしがらみとか、そんな無理矢理作り出された概念なんて取っ払って、本当にみんな生きてるって感じが伝わってきた。これだよな100マイルってのは。本当に現代の修行。

送信者 sports

そんな時間を過ごして、やっぱり俺はサポート側よりも、走る側の方が好きなんだと分かった。来年はUTMF100マイルを再び走りたい。強くそう願う。

本当に価値ある物と貨幣価値は反比例する

世の中で貨幣価値の高い物は兌換性が高い物だ。
要は、交換できなかったら社会的には価値がない。

ただ、個人が本当に価値を感じる物は、その人のみの思い出の詰まった物。
すなわち、他人からしたらどうでもいいものだったりする。

例えば、大切な家族からもらった手紙だったり、
苦楽を共にした仲間との写真だったり、
一人旅で着続けたぼろぼろになった愛着ある洋服かもしれない。
それは形のない部活や仕事の思い出かもしれないし、
100マイルの旅かもしれない。

これらを高いお金を出して買う人はいない。
でも、もっている本人からすると、何物にも代え難い。
いくらお金を積まれても交換しない、大切なもの。

こう考えると、本当に価値ある物は貨幣価値は低いんだろう。
本当に価値あるものを大切に生きるなら、お金に固執しなくてもいいんだと強く感じる。

以前、人間の関係性の濃さとお金の必要さは反比例するとブログを書いたのも似ているな。

送信者 岐阜

30年を振り返る。そして、これからの30年

未来は分からなくても、自分がやってきたことは分かる。
過去も未来もない、あるのは今、この瞬間だけ。

そんな風な考え方な自分ですが、ついに30になったらしいです。
その実感は全くなく、なんだかバタバタしているうちになっていたっぽいです。
正直、こんな風に迎えるとは思っていませんでしたが、まあ、これはこれでありなんだろうと思う今です。

で、せっかくなんで、これまでの30年とこれからの30年を記しておこうと思う。

◆小学校時代
 ゲームも漫画も読まない小学生。
 田んぼでサッカーをして遊んでいたけれど、運動は苦手だった。
 勉強はできる方で、困ることはなかった。
 けん玉をやった。けん玉は面白く、ハマった。没頭できる遊びだった。
 当時はたぶん優等生なのだが、自分の信念に反することは誰がなんと言おうとゆずらなかったと思う。

◆中学時代
 人生で最も記憶に残っていない時代。
 水泳部に入ったが幽霊だった。
 高校入試のために塾に通って勉強した。
 優秀な人に出会い、自分は馬鹿だと知った。
 自分がたいしたことないと気づけたのは、とても貴重で今にもいきている経験。
 インターネットを初めて、この世界は面白いと感じた。
 当時から日経新聞を読んでいて、世の中のことに興味があたし世界を作り上げることに興味があった。

◆高校時代
 ディベート部
 世界が広がった。
 視界がフラットになり、広がった。
 こんな見方があるのかと。
 プレッシャーに負け、胃潰瘍になった。
 こんなぐらいで胃潰瘍じゃまずいと、性格を変えた。
 死なないんだから大丈夫、気にすることはないと。
 ディベートの大会で何度も夜行列車で東京へ
 全国大会でも優勝したディベートの仲間は個性的だったが、強い絆。
 東京や海外への憧れがあった。たぶんそれはコンプレックスや夢を見ていたんだと思う。
 ITの次ぎにくるのは人工知能だと確信した。
 しかし、自分の能力の足りなさと、慶應SFCにオープンキャンパスに行き、ここを第1志望にした。
 AO入試で受かると思い込んでいたら、まさか落ちた。ショック。挫折だったと思う。

◆大学1、2年
 慶應の経済に受かり、一人暮らし。
 とにかく東京に行きたい気持が強かった。憧れだった。
 趣味もなく、物足りない日々。
 とりあえず色々なことに首を突っ込んでいった。
 ディベート組織の運営、サークルも少し、バイトも少し。
 そして、大学の親友のインド旅行に刺激を受け、旅に出会う。国内外を1人で。
 旅との出会いは大学で同じ暮らすになった親友2人の影響。
 1人で考え事ばかりしていた。自分の哲学、真理を求めていた。
 それを記録しておこうと、ブログを始めた。

◆大学3、4年
 旅をした。
 もっともっと広い世界を見て、自分で経験して、感じたかった。
 友達と会社をやった。
 東京芸大に通いはじめた
 地域活性のNPOをやった 
 会社をやった友達からは、商売の種を見つけ、どんなピンチでも何としてでも解決する方法を見つけることを学んだ。
 芸大の友達からは、たった1本の線だけれども精度を高く描くことの大変さ、美しさ、自分の沸き上がるものを表現するということを。
 そして、茂木さんと言う師匠と思える人にであえて、うれしかった。
 岐阜つながりの仲間からは地域を愛し、土地に根付いて生きていくことを、
 そして、旅で出会った多くの人からは、価値観の多様性、そしていろんな人生があって、それでいいということを教えてもらった。
 海外を1人で長旅をすると、日本語が恋しくなり本を読みはじめた。
 旅行のエッセイや冒険ものが多かった。中でも植村直巳さん、星野道夫さんは圧倒的な存在となった。

◆社会人1~3年
 大きな組織で働きはじめた。
 分からないことばかりだったので仕事メイン。
 仕事ばかりに捕われているつもりはなかったが、振り返るとそうだった。
 うまくいくことよりも、うまくいかないことの方が多かった。
 ただ、同期の仲間に恵まれた。
 もともと旅しか趣味がなかった。でも、旅をすることを忘れていた。余裕がなかったのかもしれない。
 趣味もない。
 何をやろうか。楽器がいいか、陶芸がいいか、鳥人間コンテストにも出たい、絵も描きたい。
 結局は写真を始めた。
 旅で撮った写真の個展をひらいた。
 素敵な文章も残したいと、大好きな旅雑誌のcoyote編集長のクリエイティブライティングの講座に通った。

◆社会人3~5年
 仕事にも慣れた。
 阿佐ヶ谷という町に引っ越した。
 旅の仲間が多く住む町で、平日の夜もご飯を食べたり飲んだり、語り合った。
 まるで、昔の苦学生のような生活。
 走りはじめた。
 水泳を始めた。
 山を登りはじめた。
 山を走りはじめた。
 トライアスロンも始めた。
 そして、旅を再び。
 日本の島を中心に、海外一人旅も。
 自分の価値観や人生観など、核となるものが定まってきた。
 アミニズムと言うか、自然であること。それがベースとなった。

◆社会人6~7年
 山を走ることがメインになった。
 はまった。
 徹底的にやった。
 山を走る仲間が増えて、遠くまで遠征した。
 ついに、モンブランまで走りに行った。
 素敵な仲間と最高に楽しい時間を過ごした。
 そして、今年はPTLという大きなチャレンジを控えている。
 山を走るのは好きだが、更なる高見に挑戦するトレランはPTLが最後になるだろう。
 そして、また仕事が盛り上がってきた。
 
過去を振り返るとこんな感じ。
こんな人生を歩んできて、これから30年をどうやって生きるか。

◆30代前半
 今の仕事で全力を出し切って勝負したい。
 仕事に感情をすこし持ち込みたい。
 もっと自然から知恵を得たい。
 ちょと長めに海外を旅したい。
 多様な価値観、人々に合い、自分目線を捨てて向き合いたい。
 

◆30代後半
 自分の意志と行動で飯を食っていけるようになりたい。
 本当に尊敬し、信じ合える仲間と仕事をし、周りの人々に意味あるものを提供したい。
 子育てをしてみたい。

◆40代
 より自然に近い場所で生活していたい。
 20代と変わらない好奇心をもっていたい。
 そして、新しいことにチャレンジし続けていたい。
 自分で家を建てたい。

◆50代
 自分の今までの経験や考えなどを体系化して、伝えられるようになりたい。それは概念、学問、テラマチ版人類学っぽいもの。
 自然学校をやりたい。
 実践者、挑戦者であり続けたい。
 次の世代に残したいものがある。

◆60代
悟りというものがあるか分からないが、その境地に達したい。
仏教について深く知り、その教えを心と行動で実践したい。
 悟りとはまた別で、お坊さんになっている気がする。
 

◆70代
 お寺なのか自然学校なのか分からないが、子どもや大人が気軽に出入りできる場を作りたい。
 図書館やカフェのように人が気軽に出入りできて、そこに集う老若男女が自然と会話し、何かがうまれてくるような場。

◆80代
 自然な時の流れとともに、安らかに眠りたい。

送信者 ALASKA 2009

自分が追い込まれた状態でも、自分の私利私欲を排除して判断できるか

人間の徳の高さは、自分が追い込まれた状態でも、自分の私利私欲を排除して判断できるか。こう思う。

言うは易し、行うは難し。

俺もできない。
長期視点で本質的なことと、短期視点の目先のメリットのこと。

でも、上に立つものはこうでないといけない。
「自分が追い込まれた状態でも、自分の私利私欲を排除して判断できるか。」

自分が追い込まれたり、劣勢になると、
もともと決めていたルールやあるべき理想の姿を忘れてしまい、
自分に、自分たちにメリットが有るようなことのみを支持したりする。

追い込まれた状態でも、私利私欲に左右されず客観的に、冷静に判断し行動できるようになりたい。
追い込まれた時こそ、あるべき姿、物事の本質を見て判断する。
これが、上に立つ人間。

もし、それがデキない場合は、こんな背景があって、客観的な意思決定ができない。
でも、自分たちにメリットがある選択肢を取らざるをえないと、明確に説明を行うべきなんだろう。

まあ、そんなオプションを残しておくと、結局逃げるので、そんな例外を排除しなければ、結局意味がない。

自戒の念。

送信者 クリエイティブライティング

負け戦をするという経験

負け戦をするという経験。
ホームだけではなく、アウェイに行くということの意味。

ホームでいつもぬくぬくしていては、何の面白みもなく、よどんでいく。

自分の今までの蓄積が直接は活かされないようなアウェイ。
ゼロリセットで始めると言う場のアウェイ。

アウェイでも勝つかもしれないし、負けるかもしれない。
でも、サッカーのホームとアウェイの勝率を見ても分かるように、アウェイは圧倒的に不利だ。

そんな負け戦にも思えるアウェイでの戦い。
難しすぎる事に挑むから楽しい。
ガムシャラの中に夢を見れる。

人生なんて予定調和なことをしてることに意味はない。
そして、そんな悠長なことを言っている時間はない。
困難すぎる、答えの見えないことに挑むから楽しい。

と、数年前に茂木さんに言われたことを思い出す日々。
クオリアのように。

送信者 パプアニューギニア2011