今もこうして山下達郎の曲を聴きながら書いている。
10年ぐらい前、大学生だった頃。
旅に行く前に、旅好きな年上の友達が一人旅に合う曲をといって、何曲か選曲してCDをくれた。
その中に山下達郎さんの蒼氓が入っていた。
旅をしているときに聞きながら、どんどんこの曲に魅了されていった。
そして、今でもよく聞く。そして、当時の旅を思い出す。
確か、去年か一昨年、15年ぶりぐらいにCDを買った。
そのCDは「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~」山下達郎さんのベストアルバムだった。
音楽番組を作る友達がすすめていて、僕も何かが気になったのだろう。
買っていた。
そして、またこのアルバムの曲に虜にされていった。
そんなことがあった。
しばらく前に、ベストアルバムを勧めてくれた友達から、山下達郎さんのライブに行かない?と誘いを受けた。
そして、昨日、NHKホールへ行ってきた。
6時半スタートだったが、さすがに間に合わず、少して遅れていったら既に始まっていた。
ホールに入ろうとしたら、演出上、歌っているときは中に入れず、MCの時だけ出入りできると言う。
これを聞いた時、山下達郎さんがどんなライブを作りたいのかが少し分かった気がした。
歌声、MC(トーク)、演出、観客、空間、すべてが緻密に考え尽くされ、完成されていた。
3時間半という長い時間を還暦を迎えて、ずっと歌い続ける。
そして、38年前のデビュー当時と同じ原曲のキーで歌えるという、日々の鍛錬と与えられた才能。
表現者としての山下達郎は、確固たる信念を持ち、それを守り続けていた。
本は書かない
テレビに出ない
ドームなど音の悪いところではやらない
拡大路線を選ばなかった
別に強がる訳でもなく、謙遜しすぎることもなく、自らが正しいと思う道を歩む。
若い頃に売れ始めたらテレビに出たいだろうし、ちやほやされたい。
ドームで何万人も集めたいというのが、若い頃の普通の考え。
でも、その当時から変わらないスタンス。
どうして、若くチヤホヤされたい時期からそんな風に考えて、貫けていたのか。
高校時代に安保に足を突っ込んだ。
そのときに、政治の裏側も見た。
そして、高校を辞めることになった。
それからは、政治に関して何かを発言することはしないと決めたし、右でも左でもないと。
多感な時期にこの経験をして、何かを考えたことはものすごく大きな影響を与えたのだろうか。
そんなことは全くなく、語られることのない個人的な経験からなのだろうか。
そこは、永遠に分かることのないことなのだけれど。
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「希望という名の光」を聞いていると、自然とこみ上げてくるものがあった。
ひとことでいうと、そんな時間だった。