野生的でありたいか、人間的でありたいか。

「野生的でありたいか、人間的でありたいか。」

単語のレベルを「人間的」そろえるのであれば、「野生」という言葉を「動物」に替えた方が良いだろう。

「動物的でありたいか、人間的でありたいか。」

逆に、単語のレベルを「野生的」そろえるのであれば、「人間」という言葉を「文化」に替えた方が良いだろう。

「野生的でありたいか、文化的でありたいか。」

世の中には色々な考え方の人が60億人程いるけれど、この人々の思想の分岐は「野生的でありたいか、文化的でありたいか」ここにあると思った。

動物的でありたい人は、管理されることが嫌いで、自分の思いに従う人が多い。逆に人間的でありたい人は、そんなのいやだ動物的に野性的になるくらいなら死んだほうがまし。人間的なまま死にたいと。

そうかこの考え方が違ってたのか。最近まわりとの根本的な考え方の違いはここなのかと思う。

比較的、いろいろな国をぶらぶら旅して異なる文化や価値観を知った人や山や海など自然が好きな人は野性的で、同じような人間しかいない世界で生きてきてブランドバッグとか好きな人は文化的でありたい人が多いと思う。

人間的すなわち文化的すなわち論理的、資本主義的、ブランド志向、科学技術への絶対的信頼、社会のモノサシ。
動物的すなわち野性的すなわち感覚感情的、自然主義的、アミニズム、自分の価値観のモノサシ。

僕が、ここでいう「人間的」になりたいとはもう思うことはないと思う。しかし、大半の人は人間的でありたいのだ。ということは、なぜ多くの人が人間的でありたいと考えるのかを理解したい。そうすることによってお互いの理解が深まると思うから。

送信者 沖縄最北端と久高島

旅先三日目

野性的であること、ストイックであること
アニミズムと言う希望

1 thought on “野生的でありたいか、人間的でありたいか。

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