日別アーカイブ: 2013/7/6 土曜日

正しさは正解ではない

正しさは正解ではない
正しさはベストアンサー(best way)ではない

世の中が難しいのは、正しいことが正解じゃないことかもしれない。
そもそも、正しいことなんて存在しないのだが、ある程度存在しているんだと思う。

ただ、その正しさは自然の世界と現代社会で、それぞれの正しさをもっている気がする。

自然の世界では、生き延びて、生命を繋いでいくことが正解かもしれない。
現代社会では、法律、経済合理性、倫理あたりが、正しさの基準なんだろう。

自然の世界の正しさは、人という動物が元来もっている正しさに近いだろう。
一方で、現代社会の正しさは人間が作り上げた概念の正しさだ。

どちらの正しさに軸足を置いているかは人に寄って異なる。
さらに、現代社会の正しさは、法律、経済、倫理のどれを根底にもつかは人によって異なる。

とすると、ある軸の正しさを元に語っても、相手には全く伝わらないこともある。
それは、軸が異なるから。

もっといえば、現代社会の正しさは人間が作ったものであり、論理的なストーリーで成り立っている。
一方で、自然の世界の正しさは感覚で成り立っている。

例えば、感覚で捉える人に対して、論理で話しても何も伝わらない。
すべての人は感覚も論理も兼ね備えているが、その比重は人によって大きく異なる。

感情で考える人に、正論を論理的に話すと言うことは一番ムカつかせる。
反論できなく、感情で表すしかなくない状態に追い込むからだ。

まあ、いろいろ書いてみたが、人それぞれで正しさは正解ではないということなんだろう。

論理的に正しくても、相手が理解して、納得して、ハラオチして動かなければ意味が無い。

ゴールは論理的に正しいことではなく、成し遂げたいことを成し遂げれるか否か。
その過程は論理的に正しくないことが、ベストウェイかもしれない。

例えば話しの筋としては破綻していても、感情に訴えかけて相手が動いてくれれば、感情に訴えかけた方が正解だろう。

どんな手段であろうと、最終的な果実を得るためにやっているのだから。
自分みたいな、冷静に淡々と物事を捉えて解決していく人間には、馴染まないけれど世の中は人で動いていて、人は感情で動いているのだから、あたりまえっちゃ当たり前だ。

それを忘れないでおこう。

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