『アニミズムという希望』

『アニミズムという希望』 山尾三省

実は2006年夏にこの本に出会っている。その時、屋久島に行くと言うことで、一緒に行く友達が勧めてくれたのだ。ただ、400ページにもなる本で、少しだけ読んで本を閉じてしまっていた。内容としては興味があり、それからもずっとこの本は気になっていたけれど、読むことはなかった。ゴールデンウィークの後半、再びこの本を開いた。すると無我夢中になって読みはじめ、この日は本を読む以外に何をしたかを覚えていないほど、一心不乱に読んだ。

以前は読みはじめても、今回のように惹き付けられることはなかった。その時と今の何が違うと考えれば、社会というものを知ったこと、長距離を走ることを知ったことの違いじゃないかと思う。社会と言うものを経験して、それをどこかに抱きながら自然の中を長い時間走りながら考える。考えると言うよりは、感じる。その後、何かを考える。この行程を繰り返すことによって、自分の考え、さらには自然をいかに捉えるかということを深化させていった、そんな3、4年を過ごしてきたのだろう。そして、再びこの本を手に取った。

送信者 ドロップ ボックス

この本は大雑把に言ってしまえば、「これからの世界を、何を拠り所にして、どう生きていくか。」について書かれた本だったと思う。そのベースとなるのが、「アミニズム」という考え方である。
そんなことが書かれた本だった。

大学での講義を元に作られているので、非常に分かりやすく、どんどんと読み進められた。自分が考えていることと同じようなことが、山尾三省の言葉で書かれている。さらに、僕が知らない、その周辺の内容や山尾三省の経験が記されている。そのひとつひとつが腑に落ちる。大学時代にこんな講義を受けれたらいいなと思う。僕も大学時代に芸大に通って美術解剖学の授業を受けたことは、かけがえのない時間だった。今思うと、本当に大切な時間だった。当時も大切な時間だと思っていたけど、時を経た今、その時間のありがたさを痛感している。

さて、この本について語る前に、この本の著者である山尾三省について。僕は山尾三省が部族を作っていた頃の時代を知らない。その当時、一般的な人々から彼がどのように見られていたのかは知らない。だからそれを踏まえた発言はできない。あくまで、この本を通して知った彼、そして彼の考えのみを元にした発言になる。こういうと、自分の発言から逃げているように感じるけれど、この本に書かれていたことは全面的に肯定する。それに関しては責任が持てる。

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「生きる土地の重要さ」「知識ではなく知恵」「カミの存在」「太陽、水、土の存在の大切さ」「回帰する時間」「生命と非生命」日本と言う国が誕生した頃から、大切にしてきたこと、それを現代の人に伝えているかのようだった。それを表している「アニミズム」とは何か。そもそも「アニミズム」の元になっている「アニマ」とは霊魂という意味らしい。その考え方アニミズムとは「生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。」らしい。wikipediaに聞いた。こうやって書くと、怪しさを感じるが、「日本の神」は八百万の神であり、すべてが神様だった。この考え方と変わらない。

この本を読んだり、色々と考えて僕の考え方はアミニズムに近いと思う。もっと厳密に言えば、自然信仰のようだと思う。簡単に言えば、何か物事を考える時に、自然の摂理に従って考えることだ。
人間も動物も植物も大地も空も海も自然なんだから、それを元に考えていれば大きな勘違いをすることはないと思う。自然好き、アウトドア好きな人はアミニズムが多いだろうし、そうでない人も突き詰めて考えれば、ここに至と思う。僕は高校時代、この考え方とは大きく異なる考え方をしていたと思う。それはディベートをしていた時に、価値を比較する際にほぼ経済的な指標のみに頼っていたからだ。

でも、考えて見れば用は人間は動物なんだし、自然の中の一部として生きている訳だから、自然の摂理に従って考えたり判断することは当たり前である気がする。我々は自分の意志とは関係なく自然によって作り出された有機物なんだし、自分の意志とは関係なく死に、土に還っていく。まさに自然の一部なのだ。自分達が自然のほんの一部でしかないことを忘れてしまい、人間が中心だと言う風に勘違いしだすと、おかしな思想に走っていく。アニミズムのような考えって、一般的には年をとると実感し始める考え方だと思う。自分の死というものがおぼろげながら見えてくると、考え始めることなんだろうな。

この本を読んで思い出した話しがある。屋久島を旅していた時、カヤックをやった。そのガイドさんが話していた言葉だ。「僕たちって先祖から決して途絶えることがなく続いているんだよ。自分、両親、じいちゃんばあちゃん、ひいじいちゃんばあちゃん、その先の祖先、そしてもっと先と。一人一人たどっていけば、人類の始まりに行き着く。一人でも駆けていたら、絶対に僕はここにいない。人類が生まれてから自分まで、ずっと繋がっているんだよ。」こんな話し。当たり前だけど、そんな視点で改まって考えたことがなかったから、そうかと深く頷いた記憶がある。

って、この本についてあまり書いていないけれど、何かに迷ったときは、この本を読み返そうと思うような、非常に大切な一冊になった。そして、山尾三省が選んだ土地である屋久島をゆっくり旅したくなった。今は屋久島ブームらしいので、人が少なくなった時にじっくりと巡りたい。

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以下は特に気になった部分。

「住むということはとても大事なことですね。中略人間というものは、植物と同じように基本的にはその住む場所に属していますから、望むと望まざるとにかかわらず、住む場所に属しますから、好きな場所に住むというのは、とっても大事なことですね。中略 自分の生涯住む場所というものを探していくといいますか、求めていくといいますか、それを意識化して、意識して探していくということがとても大事なことのように思います。中略 ひとつの離島にすぎない場所を「ついの栖」として見つけたことによって、生きるということが本格的になったし、それからずいぶん豊かになりました。中略 特に死から考えることが大切だと思います。この場所で自分が充分に死ねるかと言うことを尺度にして住む、生きる場所を選んでいくと間違いがない感じがしますよね」P132

「何かに感動する、何かに心を奪われていわゆる自我がなくなってしまう時に、本来の私が現れてくるんだと思います」P157

「存在が残した言葉というのは、自分の体でゼロから体得していく以外にないんですよね。存在の知恵というのは一世代しか持たないものです。そして世代ごとに循環してもう一回ゼロから学び直さなければならないものなんです。それだからこそ、千年前、二千年前の知慧が、現在の知慧として光を放ちつづけているのです。 中略 鍬を手にするという体を動かす世界に入っていったわけですね。そしたら、頭脳で学んできた世界の喜びどころではない、ものすごく奥深い喜びの世界がそこにあるんだということが分からされたんです。」P166

「こういう話しをしますと、どうしても直線的に進歩する文明の時間を悪者にせざるをえないように聞こえるかもしれません。事実として二十年前には、ぼくにはこの進歩する文明の時間というのは悪であるという気持がつよくありました。正直に言ってです。けれどもこの十五年ないし二十年の間にいろいろなことを体験していくうちに、特に宮沢賢治という人と出会い、サイエンスというものが持っている力、美しい力というものを知ることができました。決してそれは悪だけではない、文明というものもまた善、深い善のひとつであるということは、繰り返し申し上げておきたいと思います。」P368

「私達はありあまる自由の前に立ち往生しているのかもしれませんが、それでもなおかつ自由であることは、基本的にもっとも大事なことだと思います。」P391

「ヒトという生物の特徴はさまざまにあるが、その中で欠かすことのできないことのひとつは、それがカミ(神)という意識を持つ生物である、ということにあるだろう。中略カミ(神)ないし仏という意識は、意識のひとつの究極として訪れるものであるから、それを受け入れるにせよ、否定するにせよ、もしヒトが十分に生きたいと願うならば、避けて通ることのできない主題であると言うことができる。

カミ(神)ないし仏に関わる文化、つまり宗教というものは、ある時は狂信性を生み出し、ある時は排他性そのものとなり、ある時は偽?のシステムともなり得るゆえに、現代はその価値が地に落ち、ひととおりの理性の持ち主であるならば、そのような道に踏み込むことは愚かなことだとする通年が形成されている。

そのことは、二十世紀をかけて私達が獲得してきた良識であり、宗教があいもかわらず戦争や社会的悲惨や束縛の原因となっている事実は、もとより容認されるべきことではない。

しかしながら、一方では、私達というヒト科の生物が、意識の究極を自覚化したいと願う生物である特徴を喪失して、ただ享楽や情報を含む物資のみの獲得で満足できる種にこの百年をかけて変質してしまったわけではないという事実もよくよく見ておかなくてはならない。」P393

送信者 八重山2008

2 thoughts on “『アニミズムという希望』

  1. teratownさん、こんばんは。

    いやあ、勉強になりました。
    ブログで書いてしまうのがもったいないような内容だね。

    山尾三省の住んだ白川集落には行ってみた?
    アニミズムというものが少しは理解できそうな雰囲気の集落だよね。

    いまの都会は、人と経済だけで地域が形成できるようになったけど、
    古来の地域集落はもともと、そこに自然と霊魂(≒祖先や神も)があって
    はじめて成り立つものだろうから、
    人間的な暮らしを再確認するのなら、
    そのあたりも把握しておかないといけないんだろうね。
    哲学書でも読まなきゃだめかなあ(すぐに飽きそうだけど…)。

  2. momomo さん

    この本は本当にいろいろと考えさせられる本でした。
    とても興味深くて勉強になって、いっきに読みました。

    たしかに都会は人と経済だけで成り立つように人が作り出した構造になっていますね。でも、人間はそれだけじゃない生き物だから、どこかに綻びが生まれてくるんでしょうね。

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