月別アーカイブ: 2013年4月

外食がお出かけとして成立する文脈

駅に降り立つ。
家に向かって歩き始める。
家まではたった数分だが、牛丼屋がある。
居酒屋がある。焼き肉屋がある。定食屋がある。カフェがある。コンビニがある。
夕食はどこかで食べる。
そして、家に辿り着く。
この時は、何でも良いからエネルギーを補給することが目的になる。

誰かに会う、理由は「飲もう」。
どこかの居酒屋で酒を飲み交わす。
飲み、食べながら、話す。
別に飲む必要なんてないとしても、きっかけとして「飲む」という理由付けが存在する。
この時は、話すことが目的になる。

上記の2パターンは外食が「お出かけ」という意味合いを持っていない。

一方で、外食が「お出かけ」の意味を持つのはこんな場合だろう。

大前提として家族で暮らしていることが必要になる。
学校や職場から家に辿り着くまでに、飲食店がほとんどない。
もしくは、車で通勤している場合、飲食店に寄るためにはわざわざ車を降りて立ち寄る必要がある。
こうした場合は、まっすぐ家に帰ることが多い。

このような生活パターンをしている場合、外食はわざわざ出かけてする行為になる。
だから、外食がおでかけの意味を持つ。
「お出かけ」において、食事するメンバーは家族だ。
かろうじて許容範囲に入る余地があるのは家族同然と言えるぐらいの親しい友人ぐらいだろう。
すなわち「お出かけ」の外食は、いつも一緒に家で食事をとっているメンバーで、わざわざ外に食べにいくことを言う。
これが「お出かけ外食」の定義なのだ。

送信者 北岳と間ノ岳

外食ばかりなので、それが当たり前となっている。
すると、外食=おでかけって感覚がないなと思って、考えてみた。

ギアに頼りすぎない

昔の道具でも、エベレストににいけた、今のちょっと古いギアでもいけないはずがない。ギアに頼りすぎるから知恵を出さなくなる、肉体が適応しなくなる。

ギアというか、道具というか、洋服も含めて、そういった物を発達させて活用するようになってから、人間と言う生き物自体の進化は遅れたんだと思う。まあ、暖房、冷房とかも俺の中では同じ。

新しいのが欲しい欲求があるのは分かるが、そればかりな人たちを見ると違和感ばかり感じる。

俺はギアとか別にどうでもいいと思っている。もちろん命を預けるものだから重要ではあるし、必要な機能を得るために俺も買う。が、些細な違いのギアについてああだこうだ言うのはどうでもいい。30年前のギアでもエベレスト登れてるし、今のは普通のでもそれより圧倒的にいいはずだ。だから、ギアを言い訳にして出来ないとか、ああだこうだ小さいことを言っているのはイケテない。

裸足ランニング(ベアフット)とか言っている人が、最新のギアがどうとか、どうだたらと話しているのを聞くと正直違和感を感じる。裸足なのであれば、ギアとかすべて捨て去って、そんなものに捕われずに勝負すればいいんじゃないのかと。

送信者 パプアニューギニア2011

全ての装備を知恵に置き換えること。
http://teratown.com/blog/2010/06/03/idheozaeue/

現代社会は何かと理由が必要だ

何かをするのに、現代社会は何かと理由が必要だ。

一人で生きていないし、価値観が違う人とたくさん触れ合う時代だから仕方ない。
でも一方で行為に対して、全て明確な理由があるわけではない。
何かをやりたい、これが好きだ、これがどうしても生理的に受け付けない。
人間を動かす最も核となる動機は、沸き上がる理由なき感情だ。
だから、すべてに理由があると考えるのは勘違いだと思う
そうおもうからこそ、全てに理由を求めるのはナンセンスだ。

とはいえ、説明すれば新たな考えに気付くこともあり楽しいのも事実。

伝わらなさそうな人にはオーロラをみにいくと言うし、
価値観を共有出来る人にはそれを。

大きな組織でやるビジネスなどは理由がいる。
基本的にはそれに基づいて、みんなが納得して、動くのだから。

カリスマ経営者の一部は、理屈がなくてもみんながついてくる。
一般的には、多くの人がついてくるために必要なのが「理由」なんだから、それがなくても人々がついてこれば理由なんていらない。

そこのさじ加減ってのが、面倒くさくもあり、楽しくもある。

ミヒャエルエンデはこう言った。

「どんなことでも、意図をもちすぎてやるべきではないと思いますね・・・。ものごとには、その価値が、まさに意図のないところにある、というケースもあるわけですから。なぜなら価値がそのものごと自身の中にあるからです。・・・経験というものは、何かほかのことに役立つから重要なのではなくて、単に存在しているというだけで重要なんです。・・木をうえるのは、リンゴが欲しいからと言うだけではない。ただ美しいからと言う理由だけで植えることもある」
自分の仕事を作る P229

結局のところ人間は論理だけで生きていないし、組織は感情だけでは成り立たない。論理と感情のうまい使い分け、バランスがいちばんポイントなんだろう。その塩梅だけど、基本は論理的で、要所要所で感情を挟むというバランスがいい気がする。

送信者 モンブラン登山とUTMB2012