今週末にネパールへ行く友達がいる。
こんなことを話していた。
今日は東京で仕事を普通にしているのに、今週末はヒマラヤの山の中。
何て不思議で、何てエキサイティングなんだろう、と。
俺もつくづく思う。
不思議だ。
でも、その大きな変化にワクワクする。
送信者 Nepal |
@ポカラ
日本にしろ
海外にしろ
本当に
世界は美しい。
そして、面白い。
自然も
人も
文化も
そんな世界がすぐそこにあることを知っていながら、
それを自分の目で見ず、感じないのはもったいない。
でも、それを見に行くかどうかは、全てその人の意思次第なんだろう。
交通手段が発達して、多くの人がどこへでも行けるような状態だ。
ネパールに行くときも、
近くのコンビニに行くときも、
仕事に行くときも、
玄関を出る1歩は全て同じだ。
唯一違うのが、自分がどこに向かうかという意思だけ。
自分の意志。
これだけだ。
別に旅はひとつの例えであって、
どんなことにも言える。
自分の意志次第。
送信者 Nepal |
玄関のドアが、「どこでもドア」に変わっていた。
ベネズエラにいるかもしれない。
家を出る時の一歩の違い
心の移動時間。地理的な移動時間
植村直己さんの言葉
旅先三日目
想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。
町から離れた場末の港には人影もまばらで、
夕暮れが迫っていた。
知り合いも、今夜泊まる場所もなく、
何ひとつ予定をたてなかったぼくは、
これから北へ行こうと南へ行こうと、
サイコロを振るように今決めればよかった。今夜どこにも帰る必要がない、
して誰もぼくの居場所を知らない……
それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。不安などかけらもなく、
ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。
(『星野道夫著作集3』、一四二頁、「旅をする木」より)