僕は、何でも食べる。残さず食べる。
何でもおいしいといって食べる。
海外に行ってもそうだ。
出されたものは、インドの民家に御呼ばれして出てきた食事も、水道もガスも電気もない音すらしない島の家に泊めてもらったときに出してもらった食事も、無人島で捕まえたアナゴみたいなのも。
何でもおいしく食べる。海外でほとんどの人がまずいといった食べ物でもおいしいといって、食べる。僕のある種のポリシーのようなものだ。
だからかもしれない。海外に行っても、本当にやさしくしてもらえるし、内藤礼さんにも悪いことをしなさそうな顔だねと言っていただいたり。
食べることは、相手を認めること。
食べるという行為によって人は生かされている。
無人島に行ったときも、東京から岐阜を目指して9日間歩き続けたときも、旅をしている時でも、食べることによって生き延びている。食べることによって僕が成り立っている。食べ物によって生きている。そう、食べるということは生きること。出された食べ物を食べないということは、相手の生きることを拒むこと。そうなんだと、星野さんの文章を読んで気づかされた。
『音楽の趣味が違ってもこだわらないんですけど、自分たちが食べているものを拒否されるのはすごく辛い。だから食生活というのは他の人たち、他の
民族と向き合うすごく大切な一歩だという気がします。』
魔法のことば―星野道夫講演集