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野菜のにおい、生きるにおい

野菜のにおいをかいだことがあるか。
東京に住んでいたら、いつの間にか野菜のにおいをかいでいなかった。力強い野菜が少なくなって、野菜のにおいも薄まっているのかもしれない。それに、野菜を取ってから時間がたっているから、野菜のにおいがしなくなっているのかもしれない。

岐阜に戻り、畑に行った。野菜を取っていた。ふと手が鼻へ野菜を持っていった。すると、野菜の強いにおいがした。そのにおいをかいだ瞬間、久しぶりに野菜のにおいをかいだなと感じた。

 なんか俺も野菜の力強さをもらった気がした。 

野菜のにおい、生きるにおい

僕の夏休み

今年の夏は感じ、考え、こころ動いた。

休み初日の始発で岐阜へ向かい、
林業の実態を習い聴く。
こんな状態になってしまっているのかと衝撃をうける一方で、
何とかしなければと強く思う。

そして午後からは間伐をするためのチェーンソーの使い方やロープの使い方を習う。

翌日は実際にチェーンソーを使い間伐。
あの緊張感は久しぶりだった。
足場の悪いところで、高速で回転するチェーンソー。
そして、10メートル以上ある木が、
バキバキという音を鳴らし倒れていく。
体の中から魂が抜けたような、
体の中身が空っぽになったような感じ。

林業を教えていただいた方のビジョン、考え、
実際の行動などかなり刺激を受けた。
こんなのは久しぶりだった。

それから、エマルジョン燃料の施設を見て話を聞いたり、
豆腐工場のマイクロ水力発電を視察したり、
マイクロ水力の実験候補地であるいとしろの水量などを見に行ったりと。

まあ、これらもすごい興味深かったし、
文字だけではなく実感できてよかった。

さらに良かったのは、実際にこういった田舎で生活している人の話が聞けたこと。言葉の端々に実際の生活の苦労や自分たちがこうしていきたいという思いが伝わってきた。
そして、やさしさも。

それと採れたてのおいしいトウモロコシやナス、トマト。
うまいんだな。体が欲している食べ物そのもの。
まさに田舎のおばあちゃんちにも泊まらせていただいて、
本当に幸せ。どっしりとした木の柱に支えられた日本家屋。
目の前には鮮やかな緑色の田んぼ、そして山。
しずかな夜には川のせせらぎが聞こえてくる。

あ、本当に生きている感じ。
体の細胞ひとつひとつが喜びを感じている。

自然児としては、こんな自然に包まれて暮らしたい

何代も前からそこに

何代も前からそこにいたことが、土地への思いを強くする。
自分だけではない、その前の世代、先代、先々代の思いも僕たちの

体には息づいているのだ。 

東京に住む人が東京への愛着がないのは、親の世代から東京に住み始めたからではないか。
ずっと、岐阜に住み続ける一族は、岐阜への愛着が強い。
自分が岐阜に18年しかいなくても、岐阜への愛着は強い。
もっと言うと、岐阜に18年いて東京に20年住んでいたとしても岐阜への愛着が強い。
それは、先祖代々すんでいたという重み、そしてその土地が会ったから僕は生きているという実感がそういった気持ちにさせる。

東京だけではなく、地方の町で生まれ育った人と話していた。その親はまた違った県の出身である。
彼は、自分が生まれ育った地域にそれほど愛着はないようだ。
自分の一族がその地域で生き続けてきたという実感がないからだろう。

一族が行き続けてきたということが、地域への愛を決める気がする。

永遠だと思っていたものがある

永遠だと思っていたものがある。ときがある。

小さい頃は永遠だと思っていたものがある。有形な無形の自らの感情や意思。

来年の今も同じあいつと毎年恒例の祭りを見る。それだって終わる。

永遠がない寂しさと、だからこそ感じられる心の喜び 。

永遠なんて存在しないのかもしれない。 

でも、永遠であって欲しいものがある。
永遠であって欲しいという人の感情。