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元から作ると分かること

元から作る。

さばの味噌煮とかブリの照焼、切り干し大根とか、炒め物、鍋、糀に一晩つけた焼き魚、なんかは作るが、休みの日に時間があるともう少しいろいろと作りこんでみたくなる。突き詰めるというか、こうしたらどうなるのだろうという興味が行動を促すのは、山も仕事も料理も一緒。いろいろと料理をしていると、より原理を突き詰めたくなる。回鍋肉のタレを甜麺醤とかを合わせて作るとか、だしの素じゃなくて昆布とか煮干しからとるってことから始まり、ピザって、どうやって生地が作られているんだろうとか、よくこねるとどんな食感に変わるのだろうとか、薄力粉と強力粉の配分とイーストの配分が出来上がりに与える影響とか。

と、いろいろとアイディアが湧いてきたり、疑問が湧いてくるのでそれを試してみる。まあ、理科の実験をしているようなもんだ。突き詰めていくと、調味料を作りたくなるとか、生地から作りたくなるとか、野菜とか魚も自分でとってきたいとか、料理をのせる皿も作りたいとか。まあ、どこまでやるかは個人の興味関心次第なのだが。まあ、どこまでやるかは別にして、ちょっと興味の赴くままにやってみている。

餃子
餃子の皮を強力粉と薄力粉を混ぜて、お湯でこねて作る。なかなか丸くするのは難しい、そしてサイズも歪になるがもっちりとした皮になっておいしい。具もたくさん包めるし見た目はいまいちだが美味しかった。しっかりこねて30分ぐらい生地を熟成させたからなのか。正直、皮は費用対効果、時間対効果を考えると買った方がいいが、もっちりした味わいは買った皮では味わえない。暇な時にたまに作るのはいい。

ピザ
2日連続で試した。最初は薄力粉と重曹だったが、2回めは強力粉とドライイースト&発酵30分。強力粉の方がうまかったが、ミックスしてしっかりこねて熟成させるとベストじゃないかと今は思っている。あとは、フライパンで片面焼いておくとオーブンで焼く時間が短くて、せっかちな俺にはいい。チーズたっぷりだと美味しいが、お店で食べるよりも油っぽくなく、野菜を多くできるところも良い。餃子より手間はかからないし、見た目も華やかだし、また作ってみたい。カットトマトを乗せたのだが、水気をしっかり切ってないと生地が水っぽくなるので要注意。

ほしいも
さつまいもを買って、スライスして天日干し。しっかりと蒸してあげると甘みがでて良さそうだ。晴れの日が3日ぐらい続かないと作れないので、天気予報をしっかりみて作る日を決めないといけない。まあ、簡単だ。もともとの芋のサイズが2日も干すと半分ぐらいになるのは驚きだ。

食べたとき、思ったより硬くなっていた。分厚く切るといいのか、干し時間の長さの問題か、芋の種類か。商品のは、何か塗ってたり、砂糖水に漬けたりとかしてるのかな?

味噌
味噌って、スーパーに売っているのしか見たことなかったが、家庭でも作れるということと冬の時期に仕込むとおいしいということで、大豆、米麹、塩のセットを楽天で買った。送料込みで2500円ぐらい。出来上がりが3キロになるのだ。まあ、できた味噌を買ったほうが安いのだが、これは遊びだし、ネットのクチコミを読むとどうやらうまいらしいので。

まずは、20時間ぐらい大豆を水につけておく。想像を超えるほど大豆が水を吸い体積が大きくなっていった。かなり大きめの鍋がないと作れない。それから、大豆を茹でる。これまた3時間ぐらいかかって、アクを取りながらゆっくり煮る。大豆が柔らかくなってきたら大豆を取り出して潰す。瓶を使って押しつぶす感じ。茹でた大豆を食べたが、うまかった。しっかりと潰れたら、塩と糀を混ぜておいたものと潰した大豆を混ぜあわせる。最後に樽に空気が入らないように詰め込んでいく。落し蓋と重しを乗せて、あとは6ヶ月から10ヶ月ほど待つと出来上がりらしい。

こんな風に作っているのかと、味噌のできるまでが勉強になった。さて、半年後どんな味噌になるのだろうか。楽しみだ。

それにしても、普段何気なく食べているものがどんなふうに出来上がっているかが分かる。面白い。外食するときに、これってどうやって作られているか考えるようになった。



未来を経験した人たちからのアドバイス

最も未来を的確に予測するのは、その未来を自分で作ることだと、ビルゲイツかアンチグローブか誰かが話してた。95年ぐらいにビル・ゲイツが書いた、未来を語るという本を読むと、本当に彼は予測していたとも感じるし、そういった世界を彼が作ってきたとも思えてくる。

これから二十年後は、誰も正確に予測できない。テクノロジー、自然環境、国債政治、宗教、戦争、病気などなど要素が多岐にわたる。

一方、個人の二十年後は、比較的予測できるかもしれない。いや、こちらも正確には予測できないのだが、経験した人たちがすでに存在するという点で。複数の自分より年齢の上の人からの、経験を踏まえた上でのアドバイス。当たり前のことしか、書かれてないが、あらためて年をとると大切と感じるようになるんだな、肝に銘じて生きようと思う。

結局、年を重ねないと分からないことがある。どんな天才でも分からない。体の衰え、脳の衰え、子供を育てる経験、年下が多くなる、お金を持つ、同世代が死んでいくなどなど。だから、未来の自分の年齢を生きた人たちの意見は参考になる。1人ではなく、多くの人が口を揃えて言うことは、自分も直面する可能性がたかいのだから。

そして、近現代史を国内も世界史も勉強したいと思う今日このごろ。引っ越してまだ本を荷解きしていないので、早く荷解きして本でも読もうと思う。

 inc magazineより

1. Start saving money for retirement now, not later
2. Start taking care of your health now, not later
3. Don’t spend time with people who don’t treat you well
4. Be good to the people you care about
5. You can’t have everything; focus on doing a few things really well
6. Don’t be afraid of taking risks, you can still change
7. You must continue to grow and develop yourself
8. Nobody (still) knows what they’re doing, get used to it
9. Invest in your family, it’s worth it
10. Be kind to yourself, respect yourself

見えないものを見えると思い込んでいた。

ダイアログ・イン・ザ・ダークに以前行った。本当に、真っ暗で何も見えなかった。
改めて新しい家で真っ暗な風呂に入ると、結局見えていないのに、脳が勝手に見えると思い込んでいたんだなと気づく。

よく暗い場所に入るが、真っ暗でも見える気がしていた。

で、その理由は2つ。

・真っ暗じゃなかった
 →特に野外だと真っ暗と思っても、うっすらと何らかの明かりがあり、その明かりがあるとものの輪郭ぐらいは見えるから。

・真っ暗だが、その空間を認知しており、脳が見えると勘違いしていた
 →これは真っ暗なお風呂。明るい時にも見ているし、毎日入っているのでどこに何があるかわかっている。だから、真っ暗で何も見えないはずなのに、脳が勝手に風呂のバスタブとかシャワーを脳に映し出していた。

で、なんで、この風呂は真っ暗なのに見えるのかと、考えて風呂に入っていた。よーく見ると、何も見えない。そっか!と気づいた。いつもは、なんとなく暗い風呂に入っていた。その時は、勝手に脳が空間の記憶から映像に変換していたっぽいとわかったのだ。

面白いな、人間の脳って。

場所の意味が変わっていく、人間の関係の質が変わっていく

Forget me not2015に行ってきた。
アコンカグアの時を除いて毎回参加している。7年ぐらい前だろうかクリエイティブライティングに参加したのがきっかけで、その仲間が年末に集う。

SWITCHの新井さんを囲んで、師走の時期に集う。みんなが1年の近況を話、それから作品を発表する。食事をしながら、話して最後に文庫の交換。基本的に毎回同じフォーマットで時間が流れる。でも、会を重ねるごとに、場所の意味合いが変わってきている気がする。それは、参加者互いの関係性の質が変化してきているからな気がする。関係の質というのは、互いの心の開き具合が変わったことによって質が高まったため、お互いを受け入れながら会話をするようになった気がする。

でも、20人ぐらいの参加だったが、毎年参加者は異なる。昔は毎年参加していたが、今年は来ない人。クリエイティブライティング講座依頼7年ぶりの人。いろいろな人がここで繋がる。だから、会っている回数は多くても5回ぐらい。それも1年にたった1回だけ。1年に1回だから、お互いのことを詳しく知っているかというとそうでもないと思う。でも、なんだかこうした定期的に会うという行為が、自分の内なるものを発表するという行為が、自分をさらけ出し互いの人間関係の質を近づかせる働きをしているのだと思う。

継続して、同じ時期に同じ場所で会を続けることの意義は、久しぶりにも来れるというのもあるが、関係の質が高まりやすいというのがあるんだろう。

あとは、大人になればなるほど、といっても高校生や大学生、社会人1,2年目の頃よりも、少ない回数で少ない時間ではじめて会った人と分かり合えるようになっていると思う。多くの種類の人と会って、新しく会った人も過去の出会った人の分類に当てはめてキャラを推測できるように精度が上がっているからなのだろうか。

送信者 いろいろ

新井さんが作ってくれた動画のBGMの 小島ケイタニーさんの曲が頭のなかでぐるぐるとループしている。

forget me not 2015 自ら終わりを決めること

3月、僕はハバナ行きの飛行機に乗っていた。

巷では、キューバとアメリカの国交正常化がニュースで噂されるようになっていた。カストロが生きている間に、アメリカとの国交正常化の前に。今しかない、そんなタイミングだった。陽気な人々と音楽と太陽を想像するだけで、僕の心は舞い上がっていた。

夏休みや年末年始でもないタイミングで旅に出るのは、実に9年ぶりだった。学生の頃は時期を気にせず旅していたのが懐かしい。この時期に旅をするのは9年働いた会社を辞めることにしたからだった。働き始めた頃は、こんなに長く働くなんて思ってもいなかった。けれど、振り返るといつのまにかこんなにも長く続けていた。想像したよりも、仕事が面白く充実していたのだろう。

9年という期間は、小学生になったばかりの子供が中学を卒業するほどの期間と同じで、その間に子供は大きく見違えるように成長する。そう考えると、とても長い時間を過ごしたことになるなと、振り返ってみて改めて思うのだ。日々仕事をして過ごしていると大きな変化はそんなにも感じず、この日々が永遠に長く続くように感じる人生も、時が過ぎてから振り返るとあっという間に感じてしまうのは不思議なものだ。

大人になると人生の区切りがなくなる。逆説的に言えば、自ら区切りを作っていくのが大人なのだと思う、そして区切りをつけることによって新たなステージに臨んでいく。久しぶりに自ら終わりを決めることに悩み考えあぐねる、今までゴールのある世界で生きてきた人生だったんだなと、決断するまでの間つくづく思う日々を過ごしたのだった。

マラソンのように、42キロ走った先にゴールがあれば簡単だ。明確な与えられたゴールに向かって走れば良いのだから。どこまで行ったら終わるのか、自ら終わりを決めることが一番難しい。未来は分からないから、答えが無いから、自ら終わりを決めることが難しい。

規模は違えど、キューバという国家も60年の時を経て、大きな方針転換をした、これも自ら終わりを決めるという覚悟だったのだろう。自ら終わりを決めた今、未来がどうなるかは分からない。ただ言えることは、自ら終わりを決めなければ、新しい世界は始まらない。それが正しいかどうかは、分からない。けれど、新しい世界は、自ら終わりを決めたものにしか与えられない。それがどうなろうとも、楽しんでいこうと思う。