forget me not 2015 自ら終わりを決めること

3月、僕はハバナ行きの飛行機に乗っていた。

巷では、キューバとアメリカの国交正常化がニュースで噂されるようになっていた。カストロが生きている間に、アメリカとの国交正常化の前に。今しかない、そんなタイミングだった。陽気な人々と音楽と太陽を想像するだけで、僕の心は舞い上がっていた。

夏休みや年末年始でもないタイミングで旅に出るのは、実に9年ぶりだった。学生の頃は時期を気にせず旅していたのが懐かしい。この時期に旅をするのは9年働いた会社を辞めることにしたからだった。働き始めた頃は、こんなに長く働くなんて思ってもいなかった。けれど、振り返るといつのまにかこんなにも長く続けていた。想像したよりも、仕事が面白く充実していたのだろう。

9年という期間は、小学生になったばかりの子供が中学を卒業するほどの期間と同じで、その間に子供は大きく見違えるように成長する。そう考えると、とても長い時間を過ごしたことになるなと、振り返ってみて改めて思うのだ。日々仕事をして過ごしていると大きな変化はそんなにも感じず、この日々が永遠に長く続くように感じる人生も、時が過ぎてから振り返るとあっという間に感じてしまうのは不思議なものだ。

大人になると人生の区切りがなくなる。逆説的に言えば、自ら区切りを作っていくのが大人なのだと思う、そして区切りをつけることによって新たなステージに臨んでいく。久しぶりに自ら終わりを決めることに悩み考えあぐねる、今までゴールのある世界で生きてきた人生だったんだなと、決断するまでの間つくづく思う日々を過ごしたのだった。

マラソンのように、42キロ走った先にゴールがあれば簡単だ。明確な与えられたゴールに向かって走れば良いのだから。どこまで行ったら終わるのか、自ら終わりを決めることが一番難しい。未来は分からないから、答えが無いから、自ら終わりを決めることが難しい。

規模は違えど、キューバという国家も60年の時を経て、大きな方針転換をした、これも自ら終わりを決めるという覚悟だったのだろう。自ら終わりを決めた今、未来がどうなるかは分からない。ただ言えることは、自ら終わりを決めなければ、新しい世界は始まらない。それが正しいかどうかは、分からない。けれど、新しい世界は、自ら終わりを決めたものにしか与えられない。それがどうなろうとも、楽しんでいこうと思う。

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