怒りは時に大きなエネルギーになる。
屈辱も時に大きなエネルギーになる。
好きなことや夢とか、使命といったものも強い動機だが、それらと同様に。
俺はあまり怒らない性格だと思う。
でも、怒ることがある。
最近は怒ることがおおくて、客観的に見ている自分がよくないなと思うときがちょくちょくある。
で、自分が怒るときはどんなときか。
そう考えると、理不尽なときだ。
相手が私利私欲とか、エゴに基づいて判断して、周りに迷惑をかけても平気でいる。
私利私欲という表現には、めんどくさいから放置とか、そういった怠慢も含んでいる。
それなのに、自分のこととして捉えず、他人の責任にしたりする。
さらに、自分が権力を持っている人、立場を利用してそんな我田引水なことをすると許せない。
しっかりやれよ。
そんなら、ぶっつぶしてやる。
まっとうな意思決定をして、まっとうなことをやっていく。
別に、ルールが好きなわけでも、お固いことが好きなわけじゃない。
どちらかというと、人なんて多様だし、なにをしてもいいと思っているし、秩序なんてないカオスの方が面白い考える。
でも、大きな組織だったり、そういった規律のもとになりたっている組織、またそういったルールで運営がなされると決まっているなら別だ。そのルールに従わないと、組織は動かない。そのルールがおかしいと持ったら、ルールを変えてから、好き勝手にやるべきだ。
まあ、正義感が強いのか、そういった不公平が許せない。
こそこそして、抜けがけして、評価だけされようとか言語道断。
私利私欲を捨て、周囲を含めた全体としてベストな意思決定をしていく。
そういう思想を持たずに動いていると、許せない。
それで人に迷惑をかけても意に関せずとか。
そんなときに怒ってしまう。
ただ、怒ってばかりいるとよくない。
幸せが遠のいていく、楽しいことが近づいてこない。
怒っている人に、人は近づいてこないからだ。
笑っている人には引き寄せられても、怒っている人にどんどん近づきたい人なんていない。
自分一人では何もできないし、自分一人では生きていけない。
だから、協力してくれる人がたくさん必要だ。
そう、怒っていると人が離れていく、すなわち物事がうまくいかなくなる。
笑っていれば、うまくいく理由はここにある。こんな風に思っている。
まあ、怒らないといけないときもあるけれど、怒ることが続くと、怒るのが習慣になり、怒りっぽくなる。
周りの人にも、そういう風に見られ、認知されてしまうとろくなことがない。
徳を積んで、すべてを受け入れる。
どんな時も笑っていられるような人間になりたいと思うし、そう慣れるように日々精進したいと思う。
送信者 イラン |