2008/8/9 土曜日

幽霊たち ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

Filed under: diary, — teratown @ 3:01:00

「ムーン・パレス」ポール・オースターをしばらく前に読み、他のポール・オースター作品も読んでみたいと思っていた。そして、オースター2作目は「幽霊たち」だ。
本屋に行き、オースター作品が数冊あって、「l孤独の発明」か「幽霊たち」でどちらにしようか迷った。惹かれた度合いでいえば、「孤独の発明」だった。しかし、最後の最後で「幽霊たち」を買った。何の気の迷いかは知らないが、本が薄かったからかついつい選んだというのが大きい要素である気もする。

最近は小説も読むようになったが、もともと小説が苦手、さらに外国人作家といったら登場人物がこんがらかってしまう。いくら、先日読んだの「ムーン・パレス」が好きでも、他の作品は読み切れないかもしれない。。。と思い薄い本にしたんだと思う。

幽霊たちのあらすじはこんな感じ。「ブルーという探偵にホワイトという依頼人が、ブラックという男を見張ってくれと来た。ホワイトはブラックの部屋の向いのビルをブルーにあたえ、見張らせレポートさせた。ブラックは文章を書いたりちょっと町に出るだけで、特に何もしないし、事件なんて起きない。ブルーは1年以上たち、ついにブラックの部屋に乗り込む。すると、ホワイト宛のレポートが山のようにあった。ブラックとホワイトは同一人物だった。」という話。

それにしても、この本のあとがきが良い。うまいこと言うなーと感心しっぱなし。

訳者あとがきに出てくる「どこでもない場所」「誰でもない人間」という言葉は、実にこの本を的確に表現しているなと思う。まさに、「どこでもない場所」「誰でもない人間」について書かれている本だと思う。本の中では場所も明確に設定されているし、登場人物の設定もしっかりしている。だけど、ストーリとして「どこでもない場所」「誰でもない人間」が表現されていて、その何者でもない場所・人間の存在の「当たり前の不確かさ」に心地よさを感じる。

「書くことの不安という」あとがきも、おおっと思った。よくこんなこと考えてるなーと。

不意に奇妙な疑問に捉えられるのである。この文章を書いたのは、ほんとうに私だろうか。確かにひとつの想念に捉えられていたのは私だ。その想念がひとつの文章になったのだ。だが、想念と文章とは正確に一致しているのだろうか。いや、そもそもかつて捉えられていた想念というものは、つまりいまでは文章から逆に遡って思い描かれるほかない想念でしかないのだが、それははたしてかつて私が捉えられていたというあの想念なのだろうか。そもそもその想念を私のものという根拠はどこにあるのか。いや、この作品を私のものという根拠はどこにあるのか。P142

自分でない人を見て、自分を見つめるという感覚。
何とも不思議な感覚になる。ごにょごにょと色々考え始める。

やっぱり、オースターが好きだ。
また、ポール・オースターの別の作品を読んでみたいと思う。

気になった言葉メモ

現在は過去に劣らず暗く、その神秘は未来にひそむ何ものにも匹敵する。世の中とはそういうものだ。一度に一歩ずつしか進まない。一つの言葉、そして次の言葉、というふうに。P7-8

p20-22 ブルーが今まで表面的な行動ばかりを行ってきて、内面を見つめることがなかった。何もすることがなくなり、初めて自分を見つめた。自分が見ているブラックが自分に見えた。という部分。意訳

機会を逃すことも、機会をつかむことと同様、人生の一部である。起こりえたかもしれないことをめぐって、物語はいつまでも立ちどまってはならない。P58

その男には私が必要なんだ、と目をそらしたままブラックは言う。彼を見ている私の目が必要なんです。自分が生きているあかしとして、私を必要としているんです。P94

あらゆるものに色があることの不思議さにブルーは心を打たれる。我々が見るものすべて、触るものすべて、世界中のすべてのものには色があるのだ。P96

「何のために俺が必要だったんだ?」というブルーの問いに、ブラックは、「自分が何をしていることになっているか、私が忘れないために」と答える。「君は私にとって全世界だった。そして私は君を、私の死に仕立て上げた。君だけが、唯一変わらないものなんだ。すべてを裏返してしまうただ一つのものなんだ」と。あとがきP141


[湖面に山が映る@ボリビアとチリの国境]


[西表島付近の海@迷宮に吸い込まれる海面](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/30 sec 絞り: f/6.3 焦点距離: 45mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/8 金曜日

想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。

Filed under: diary, , 思うこと, 人生 — teratown @ 0:33:50

2、3年前、チベットを旅した。
その前に、友達に送ったメールを偶然見返した。

そこには、「想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。」こんなことを書いていた。
自分で書いた文章であるが、こんなこと書いたことを全く覚えていなかった。

記憶にはなかったが、この文章に自分の純粋な気持ちがにじみ出ていると、今振り返ってみて感じる。

想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。

そんな友だちからは、「これが僕の持てるすべてです」と書かれた展示の案内が来て圧倒された。

PS
週末からしばらく旅に出ます。1ヶ月以上書き続けたブログもしばしストップ。さあ、どんな旅になるのかな。楽しみ。
帰ったら、アクアスロンに出て、高円寺で阿波踊りを楽しんで、富士山の麓で10キロ走って、9月の末から10月の頭に中野で写真などを展示して、奥多摩の山を24時間走ってといった日々です。

次は何が起こるのか。どんな出会いから、どんなつながりが生まれ、どんなことに興味を持つのか。そして、どんなことをするのだろう。
まさに、想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。


[路地の夜明け@ラサ(チベット)](OLYMPUS ISO: 80 露出: 1/200 sec 絞り: f/8.0
)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/7 木曜日

そうか!汗を拭けば良いのだ。

Filed under: diary, 運動 — teratown @ 0:31:01

走り終わると、滝のように汗が出る。
本当に、ダラダラだ。

走り終わってすぐ風呂に入れば良いのだが、走った直後に風呂に入るとさらに汗がでる。
だから、一回冷ましてから、風呂に入る。
その間、汗が出続ける。

ぽたぽた落ちるのが嫌だ。
そう、ずっと思っていた。けど、汗が落ちないように気を使ったり、ベランダに出るだけだった。

先日、外で遊んでいて、汗をかいた。すると、「汗拭きな」とタオルを貸してくれた。
そんなこと忘れて、今日もいつも通り走り終わって、また汗が出るな、あー、汗よ落ちるな。落ちるなと思っていた。
すると、ふと思い出した。ああ、そうか汗は拭けば良いのだ。

思い返してみると、暑い国を旅をしている時も汗を拭いた記憶がない。なぜならタオルを持って行っていないからだ。旅を始めた頃は持っていっていたのだが、使わないことを知ると、タオルをもって行かなくなった。持っていくのは水泳で使う、セームというスポンジタオルのようなもの。水の吸収が良く、かさばらないから便利なのだ。シャワーを浴びた後にはこれを使って体を拭いていた。そう、今になって振り返ると、旅の途中も汗を拭いたことがなかったのだ。

汗を拭くなんて当たり前のこと。常識というのもおかしなぐらいの行為。でも、僕の中では汗を拭くということが習慣として全くなかった。
だから、そんなこと思いもつかなかった。当たり前のことでも、自分の習慣となっていないと、見逃していることが多いんだろうなとつくづく思った。
自分の常識が、周りから見たらおかしいというのも納得できる。

走り終わって、そんなことを思いました。
次からは、汗を拭こう。なんか子供みたいだが、今になって汗を拭くことを知ったのだ。

とは言っても、汗を拭かなさそう。
まあ、思いついたら、拭こうっと。


[これぐらい汗が出る@川海苔山の小さな滝。](PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 400 露出: 1/30 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 28mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/6 水曜日

身近なこと、人の目線(street view)

Filed under: diary, テクノロジー — teratown @ 1:13:28

グーグルのストリートビューの日本版がリリースされた。
グーグルマップやグーグルアースは上空から取った写真が見れるサービスだった。
google street viewは町並みの写真が見れる。グーグルが車の屋根に360度カメラをつけて町を走り、そこら中を撮影したものが見れるようになっている。

既にアメリカではリリースされていて、アメリカの町並みはグーグルストリートビューで見たことがあった。たぶん、こういったものが好きな日本人の多くも一度は見たことがあったのだろう。でも、日本版がリリースされると、多くの人が反応した。確かに、俺もこれを使ってみて驚きを覚えた。すでに、アメリカのグーグルのストリートビューは使ったことがあったのにもかかわらず。

なんでかなと思えば、やはり身近ということが大きいと思う。自分が歩いた道、自分の家の近くなどを見ると生々しさがある。おお、これ俺の家だ。俺の家の前の道だ。毎日ここ歩いている。などなど。自分とはかけ離れた、接点のない組織が運営するサービスに、自分と関係あるものが映っている。そこに、驚きと親近感を覚えるのだろう。

そして、人の目線で町並みが見れるのも大きな理由だと思う。上空からの写真(グーグルマップの航空写真など)も驚いたが、上空の画像(主に屋根と道)は普段見慣れていない。どこか場所は分かっても、想像がわきにくい。それよりも普段見ている視線の画像が見れた方が、想像がわきやすい。自分が毎日見て記憶しているものと、ストリートビューの画像がそのまま一致する。ここにワクワク感が生じるのだろう。

最後に、自分が見慣れているある一点の場所が見れるのなら、様々なサイトの1枚の写真でも見れることがある。グーグルイメージ検索をして、自分が毎日通る道が写真であってもそこまで驚かない。でも、ストリートビューはそうではなくて、町全体を記録していて、google street viewを使えば様々な場所や町の風景が見れる。このことにインパクトがあるのだろう。一覧性があるということは、集めるにも大変だろうし、そこにおお凄いと感じるんじゃないかな。

まあ、一般の人がたくさん映っていたり、色々な意見をお持ちの方もいると思うが、結構な数の人がおお!と思うには理由があるんだろうな。


[阿佐ヶ谷ストリートビュー@ゆうやけ市](PENTAX K10D ISO: 100 露出: 1/125 sec 絞り: f/8.0 DA18-55mm焦点距離: 55mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/5 火曜日

モノは人を変える

Filed under: diary, 思うこと, 人生, , , 音楽 — teratown @ 0:33:53

モノは人を変える。
金を持つようになって、いろいろな物を手に入れると、人は変わるとよく言われる。
僕の場合は、金もないし、モノもそんなにない。
家にきた友達は口を合わせて、何かが足りないと言う。
モノがないという。
だから、そういった意味で僕は変わらないのだろう。

でも、阿佐ヶ谷に引っ越して、モノによって自分がかわることを知った。
みんなはそんなことずっと前から知っているから、モノ(家具であり、文房具であり、服であり)に対して、こだわりを持っているのだろう。
そうだと言葉では知っていたが、自分の中で実際のこととして捉えていなかった。
だから、身の回りのモノに無頓着だった。

僕は何かと気づくのが遅い。極端な出来事によってしか気づかない。
それはお風呂に入ることによるリラックス効果であり、音楽の大切さであり、食べることの意味など。
これらは、東京から名古屋まで歩いたときや無人島に行ったことによって気づいたのだった。
ただ、気づくと、体で感じる実感として理解するので、本当に大切にするようになる。

そう、そして阿佐ヶ谷に引っ越して気がついたのだ。
モノは人を変えるということを。

僕はそれまでの一人暮らしで、デスクを持っていなかった。
ずっとちゃぶ台だった。阿佐ヶ谷に引っ越してデスクを友達から譲り受けた。
デスクで本を読むようになった。

そして、家というモノ。
これも大きく人を変える。
自炊なんてしなかったのに、家がかわり自炊を進んでするようになった。
以前の家と比べると、台所は比較にならないほどショボクなったのにもかかわらずだ。
自炊が楽しい。毎回違うものを作りたくなる。

もっと言えば、町も僕を変えた。
銭湯に通うようになったのだから。

巣鴨に住んでいたときにご近所さんだった友達が2人いる。
その友達が阿佐ヶ谷の家にも来て、前と生活が全く変わったねと。
その言葉を聞いて、改めて自分の変化を感じた。

ある機能を持ったモノのその機能によって、自分が変えられるというのではない。
例えば、一眼レフカメラを買ったから写真を撮るようになった。
そういうことではない。
モノがもつ直接的な機能によって自分が変えられるのではなく、機能による変化とは違う、想像し得ない変化を自分に巻き起こす。

僕は、自分が世の中を決定づけると考える傾向にあって、モノには影響されず、僕という人間が、感じ考えたことによって、自分ができあがっていると思い込んでいた。
もちろん周りの全てのモノに影響を受けているとは分かっているのだが、無意識的にモノからの影響を軽視していた。
それはそれで正しいとしても、僕の周りにはいろいろなモノがあり、日々それらに触れ生きている。

そんなモノに影響を受けないはずがない。
そう、僕はモノに影響され、自分自身が築き上げられている。
そんな風に思うと、自分の周りのモノを選ぶときに自分に与える影響まで考えて買うようになりそうだ。
そして、モノを大切にするのかなとも思う。

[suicaじゃnなくて、スイカでジュースを買う](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/200 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 45mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵
« 前のページ次のページ »

HTML convert time: 1.248 sec. Powered by WordPress ME