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伊豆の吉田へ

噂に聞いていた吉田集落
島に来たみたいに、隔離された場所で落ち着く

噂には聞いていたけど、噂通りの良い場所。良い場所と行っても、俺にとって良い場所で一般的には不便な場所だと思う。ドコモの携帯がつながらないところだし。

南伊豆町にあるんだが、行く道が分かりづらい。トンネルの直前に脇にそれる道があるのだが、そこからしか行けない。妻良(めら)方面へ行く136号のトンネルの直前で曲がるのだ。この道も細い山道。で、20分ぐらいこの山道を行くと、20人弱の集落が登場する。もちろん海沿いで、どん詰まり。そこに吉田亭というすばらしい宿があって、飯もうまいし、芝生でBBQできるし、お風呂も露天が気持ち良い。

だいたい、シュノーケリングとか釣りに来る人が多い。もちろん我々も海の中へ。透明度が高くて海の奥底まで見える。耳抜きがうまくできず、今回は潜れなかったが魚影が濃い。いろいろいるし、サイズもでかい。ただ、波が高かったので、ほとんど泳げず、庭でBBQをやって、伊勢海老2匹ついてくる夕食を楽しむ。これだけの料理が出るのに、本当にオトクなお宿。そして、夜までみんなでいろいろ話、翌日も5時に起きて、海へ。波はおさまったが濁っていて視界は悪かった。

道路が混むので、朝食を食べてから東京へと戻った。

上高地から前穂・奥穂・涸沢岳

最近テント泊の登山をしてないな~と思っていた。写真で振り返るとすごい久しぶり。遡るとベネズエラ依頼っぽい。日本だと15年だかに仙丈ヶ岳に行っているっぽいが、このときのテントは頂上付近じゃない。もっと遡ると14年。この年は雲ノ平とか農鳥とか尾瀬とか何度か行っている。サクッとトレランで行くのが荷物的にも時間的にも、まあ、いろいろと簡単なんでそれで済ませていた。が、やはりテント担いで3000m付近で泊まるのは楽しい。夕焼け、星空、朝焼け見れて、ゆっくりできるから。

いろんな条件が揃えば行きたいと思っていたが、アクセス考えると思いつきはなかなか難しいので、とりあえず夜行バスをとった。晴れたら行こうという感じで。運良く天気予報は晴れだったので、金曜の夜行バスで新宿から上高地へ。運良く、バスの隣の席に人がいなかったのでゆったりと。5時30分ぐらいに上高地につくとひんやり。やはり東京都は違う。今回は上高地から紀美子平、前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳へ行くことに。

久しぶりの重い荷物で、登りがつらい。まあ、でも景色が綺麗なので、そんなことも忘れる。森林限界を超えると、アルプスの山々が。南アルプスとはまた違った景色で見とれてしまう。まずは、前穂高岳へ。思ったよりも人も少なく、頂上からは360度青い空と、山。あー、気持ちいい。一人で登っていると自由だ。旅でも山でも一人でのんびりやっていると、自由だな、解き放たれているなという、心が体が軽くなるワクワクがこみ上げてくる。その後に、奥穂高岳へ。岩がゴツゴツしているのと、落石もあるというのでヘルメットを付けて。ただ、特に危ないところもなく、景色を楽しんで。ただ、テントサイトが小さいというので、少し早歩きで早めに到着して場所確保を意識しながら。

12:30ぐらいに穂高岳山荘に。そして、テントを張る。早めなので、平で良い場所が取れた。ここは、夕日も朝日も見れるテント場だから俺的に最高な場所。どちらかしか見えないところも多いので、高度が高くて西も東も見えるテント場が好みなのだ。電波が通じるので携帯触ったり、キンドルを持ってきたので本を読んだり、ビールを飲んで、音楽を聞いたり、昼寝したり。あっという間に5時ぐらいになり、夕食を準備。今回はちゃんぽん。そして、夕焼け空を楽しんだ。雲海に太陽が沈んでいき、空はオレンジやピンク色に。そして、山の上に月が輝く。

暗くなれば眠たくなる。3000m近い標高かつ、急に涼しくなったので夜はすこし寒かったが、ホッカイロがあったのでぐっすり寝れた。夜中の1時を過ぎた頃に目がさめ、外をのぞくと満天の星空。月も沈んでいるので、本当に星、星、星。天の川も。ただ、今回は一眼レフを持ってきてないので、目で見て終わろうかなと。しかし、スマホでマニュアルモードでとってみたら、撮れた。おどろくぐらいきれいに取れた。本当に一眼レフを持っていかなくてもいいなーと思ってしまう。

翌朝も、周りの音で起きると、日の出を楽しむ。温かい紅茶を入れて、テントを乾かしている間に、涸沢岳へピストン。テントを撤収して、涸沢ヒュッテ経由で下山。涸沢ヒュッテへ下るパノラマロードあたりから望む穂高連峰は美しい。本当に、息を呑むような美しさ。こりゃ紅葉はきれいだろうな、一度は来てみたいなーと。その後は、樹林帯と林道をひたすら歩く。距離が長くて、飽きた。上高地に下山後は日帰り温泉に入り、昼ごはんを食べた。時間があったので偶然ぶらっと上高地のビジターセンター行ったら、なんと山の友達が働いていてびっくり。昔北アルプスの下ノ廊下にも一緒に行ったことのある友達。山に来ると、どこかで友達に会うから面白い。また、晴れた山でゆっくりしにこよう。

「ちくわ」と「かまぼこ」から物事の理解の過程を考える

もともと「ちくわ」という存在しか知らなかった。

以前に、ちくわが好きで、よく食べてたからだ。

そして、ちくわを食べながら、ちくわちくわと話していたので、名前も色も形も記憶しているとは思っていた。

そうしたら、色も形も違う「かまぼこ」を先日始めて食べたら、「ちくわ?」と聞いてくる。

かまぼこだよと、教えた瞬間に、ハッと思った。

モノは色や形が似ているかどうかで判断していたと思い込んでいた。

それが、味でも判断していたのだ。

味が同じだから、色も形も違うけど、ちくわ?と聞いてきた。

かなり、鋭い味覚があって、そこから類推できるようになったんだなー。

論理的な思考ができるようになったのも、単語の数が増えたのも、この、ちくわと、かまぼこがベースかもしれない。

要は、頭のなかで、物事をとらえる軸ができた。最初は聞いた言葉を真似して繰り返し話していただけ。

それを繰り返すなかで、ある程度のワード数を覚えた。(100ワードぐらい)

すると、ジャンル分けできることに気づく。そのジャンルには、何かしらの統一性があり、これとあれはここが共通だとわかる。

色が同じ、形が同じ、味が同じなどなどの軸で分類していったのだろう。

そうすると、ランダムに記憶するよりも、効率的に単語を覚えられるようになった。こんな推測。

論理展開も、これとあれは、形が同じだから同じ分類とか、そういった思考がベースになってる。

時を同じくして、色という概念も持ち始めた。モノの種類ではなく、違うものでも色で、分けられる。

ズボンの色とおもちゃの色が一緒とか言える。同じ形のもので色違いである代表のようなクレパスで、色を学んだのが一番しっくりきてた様子。同じものなのに、大人が違う呼び方してる。なぜだ??違いは色だ。これが色ってやつか。みたいな。

そういって軸で分類していっているのは、言葉の意味とか固有名詞とか動詞ってのも含まれてそう。だから、文章でいっきに話せるようになっている。この分類ができ始めているから、文章をどんどん話せるようになっているっぽいなと。

「ママいないね」を応用して「パパいないね」
「ニンジンいやだ」→「ピーマンいやだ」
とかとか。

まあ、話せるようになるということは、すごい大きな変化で、脳の中でも何かすごい変化が起こっているはず。これに関しては、ずっと興味があるので、ついつい日々の変化を見ながらいろいろと考えを巡らせていている。先日、MITで研究してた友達に話したら、当時自分の子供の言語習得過程を研究するために、ずっと動画で撮ってる教授がいたよと。そうだよなー。理想的にはそれで記録して、子供の声の部分だけ自動抽出したら、より細かく分析できそうだし、面白いことがわかりそう。

まあ、ダラダラ書いたが、この1歳8-9ヶ月ぐらいのコミュニケーション能力向上っぷりがすごい。記憶していく単語のスピードはいっきにあがり、どんどん単語を覚えていく。そして、文章で話せるようになり、コミュニケーションが取れるようになってきた。驚くばかり。そして、「ぞうさん」「きらきら星」「カエルの歌」「ABCの歌」「ちょうちょ」などの歌もどんどん覚えて歌えるようになっている。次はなにが起こるのか、楽しみ。

論理的な思考が可能に

肌着を嫌いになってはや数ヶ月

何をしても嫌がる

歌を歌いながら、話しながら、大好きなアンパンマンぬいぐるみをエサにして

一方、動物のシャツはずっとお気に入り
てんとう虫、クジラ、パンダなど

昨日から、肌着を着たらてんとう虫シャツ着れるよと言うと、すんなり肌着を着た

今日も同じ方法でトライ

今日も肌着をただ着せようとすると泣き叫んだが、肌着を着たらクジラ着れるよと。すると肌着をすんなり着た

論理的な展開を解釈できている。

単語を覚えて、2語や3語ではなし、意思表示を始め、会話のキャッチボールが少しできるようになって、ついには論理的な思考まで可能に。

もしくは報酬にたいして耐えることを知ったのか。これも論理と未来推測し、今の行動を変えることだからより高度な気がする。

そして、話せなくても、聞いて理解することはできるんだなという、当たり前のことも学ぶ。大人の言語習得もひたすら失敗しても自分で話し、失敗して教えてもらい、聞けるようになり、それを使って話せるようになるこれだな。

明るい未来のために

平日の晴れた朝、少し子供が早起きをした。
ママが早く仕事に出掛け、二人で朝食を食べる。

野菜がたっぷり入ったホットケーキと、牛乳。親子一緒の食事。食べながら、いっしょ、いっしょ、と話しかけてくる。

あまりにも天気がよく、日差しがリビングまで差し込んでいる。俺の方が先に食べ終わり、子供の食べる姿をみていたら、ふと思ったのだ。この子のために、未来が明るい世界であってほしいなと。

未来のためにって言うと、なんか大げさだけど、この子が生きる世の中が、心地よく暮らせる世界であってほしいな、そしてこの子の子供もそんな世界で暮らせるといいなと思った。

自然が好きだし、大切だし、いろいろな地域を旅していろいろな人に出会い、世界中がより良くなればいいなと思ってはいたが、それとは少し違う感覚。

もう少し自分事としての未来がその感覚にはあったのだ。明るい未来であってほしいかそうでないかという問いがあれば、誰でも明るい未来を選ぶが、もう少し積極的な意思をもった明るい未来にしたいという気持ち。

今目の前で無邪気にご飯を食べ、おーいしと笑顔でいるこの子が生きる世界がよりよくあってほしい。そうしたい。そうなるように自分も行動したい。そういう気持ち。
 
子供ができて初めて感じることができた感情だな。

ひとりひとりがエゴのために動くのではなく、発言するとき、行動するとき、意思決定するとき、そんな瞬間に明るい未来に向かって一歩でも近づけるように動けれたらいいな。