優しくされたエスファハン、優しくなれたエスファハン

前回までの旅日記はこちら「世界の半分と呼ばれる町に着く」

エスファハンでの日々で印象に残っているのはイマーム広場と人々の優しさ。優しさという表現だけでは適切でないと思う。親しみをもち、常に気兼ねなく接してくれる。これは意識的にやっていることではなく、彼らのありのままの姿なんだろう。人々に触れると一気に旅が楽しくなる。足取りが軽やかになる。さらに、街を見て風景を見ているだけでは見えてこない、この国の背景が見えてくる。すると、同じ風景なのに今までとは違ったように風景が見えてくる。僕の大好きな星野道夫さんも書いていたが、その土地で日々の何気ない営みをしている人々に触れ合うことで、その国に惹き付けられる。

どうして自分がアラスカに魅かれていったのかと思うと、アラスカという土地が持っている自然の壮大さはもちろんあるんですが、やっぱりそこに人がいたということが大きな理由だったと思います。
 人の暮らしがそこにあるというのはとても興味深くて、もちろんアラスカだけではなくて、日本にだっていろんな人の暮らしがあるけれども、アラスカはそれをすごくストレートに見せてくれたんですね。皆がが本当にそれぞれの生き方で生きていて、人の暮らしが持っているの多様性というか、それが原野で生活している白人であれ、エスキモーであれインディアンであれ、やっぱりそれぞれに問題を持っていて、そういう人の暮らしがアラスカに魅かれていった大きなきっかけだったような気がします。「魔法のことば」 第二章アラスカに魅かれて P46 スイッチ・パブリッシング  星野道夫

朝起きると、朝食を食べるために外に出た。日中の太陽が出ている時などは、暖かさを感じるほどなのだが、朝晩はとても冷え込む。こういった気候からも荒野の地形が想像できる。この寒さが理由なのか、朝食に羊か何かの頭を煮込んだ温かいスープを食べるイラン人も多いようだ。これは朝だけ売っているスープらしい。そこで、このスープを食べてイランの人々と同じように、温まろうと思い、店に入ったが、今はダメといったそぶりをされた。おそらくまだ仕込み中だったのだろう。仕方なく諦め、またテクテク歩く。こういった寒い国ではいつもジーパンの上から雨具のような風を通さないズボンを穿いている。コレがあるだけで、冷たい風でも太ももが冷えきらない。町を歩く気分にさせてくれる必需品だ。

辺りを見ても他にスープの店が見当たらなかった。その代わり、人が群がっている店があった。サンギャクと呼ばれるナンのようなパンを焼いているお店だ。(他にもバルバリーと呼ばれるナンのようなものもあった。インドでもナンがあり、薄いチャパティがある。こういった地域ではナンが主食となるため種類も多く、呼び名も多いのだ。)このサンギャク屋さんから良い香りがしてくる。多くのおじさんやおばさんがが焼きたてのサンギャクを買おうと並んでいる。僕も同じように並んでいると、イラン人が声をかけてきた。サンギャクを1枚だけ買う人は、列に並ばなくてもいいようだ。そこで前にすたすた行くと、今度は店の人が店内に入れと話してきた。大きな釜でナンを焼いている。写真を撮っていいよという感じだったので、写真を撮らせてもらった。日本のパン生地と比べると少しやわらかいような感じだった。そんな大きな生地の塊から、ひとつ分の生地を取り、釜にペタッと貼り付けて焼く。1分ぐらいで、おいしそうに焼き上がり、アツアツの湯気と共に、長い棒で釜から取り出される。大きなサンギャクを1枚、数十円ぐらいで買い、歩きながらアツアツを食べた。うまい。何も味はついていないのだが、うまい。ただ、歩きながら食べ終わる大きさでもないので、近くの商店でチーズを5000リアル(50円)で買い、宿に戻り、チーズをつけて食べた。

送信者 イラン

[サンギャク屋さん]

まだ街が動き出すには時間があったのと、日本からずっと風呂に入っていなかったのでシャワーを浴びることにした。どんな宿でも温かいお湯が出ると噂を聞いていたが、蛇口をひねると温かいお湯が出たときは心の底からほっとした。寒い地域での冷たいシャワーは本当に辛い。もともとシャワーなんかめんどくさいと思うのに、寒い場所での冷たいシャワーなんか浴びる気を完全になくす。最初は温かいお湯でもシャンプーの途中なんかに、水に変わるときがある。これもかなり辛いのだが、イランではそんなことはなかった。温かいシャワーはホッとできる瞬間だった。

いい時間になったので、街にでる。イマーム広場の先にある中央郵便局に行く。旅に出るとだいたい絵はがきを実家に送る。メールなどでも連絡は取れるし、リアルタイムにやり取りすれば繋がっている感じもする。ただそうではなく、実際のはがきというモノがイランの大地を駆け抜け、海を渡り、日本に到着する。時間はかかるが、実際にイランに存在したものが手元に届くと同時に、僕の旅が本当にイランにあったんだなと実感できるだろうと思う。そんな暖かみが好きなのだ。そんな理由から切手をわざわざ買いにいった。わざわざと言うのは、中央郵便局に行かなくても、はがきは出せる。ただ、その場合はハンコが押されるだけで、切手はない。どうせならイランの切手が貼ってある方が雰囲気が出ると思い、中央郵便局で切手を買ったのだ。

切手を買ったと言ってもすんなりは買えない。郵便局には窓口がたくさんあり、どの窓口で切手を買えるか分からない。うーん、誰に聞こうかなと考えていたら、すぐに声をかけてくれた。どんなところでもやさしいイラン人。スタンプが欲しいというと、職員の人にペルシャ語で聞いてくれて、窓口を教えてくれたおかげですぐに買うことができた。日本までたった10円で送れてしまう。手伝ってくれた人としばし話した。何の話しかといえば、日本の漫画の話し。ナルトという漫画?アニメ?が日本にあるが、それが好きでネットで見ているという。それで日本語にも興味があって勉強しているという。そこで日本語を覚えるコツを教えてくれと言われた。そんなこと言われても母国語が日本語の俺としてはどう答えていいものやら。さらに英語で説明しないと行けない。。。とりあえず、ひらがなを覚えれば何とかなると説明した。あとは、日本で日本語を勉強するにはいくらかかるか聞かれたり、勉強するのに安い地域などを聞かれたので、東京は高いから辞めた方がよいよとアドバイスをした。そんなやさしい笑顔の兄ちゃんと別れ、イマーム広場へ。

送信者 イラン

[バザール]

イマームモスクへ行く。青い柄は本当に鮮やかで細やかで圧倒された。イマームモスクの印象は前回の旅日記「世界の半分と呼ばれる町に着く」に書いた通り。それから、暖かくなってきたイマーム広場を歩いていた。すると店から「こんにちは」という声が。絨毯屋さんが声をかけてきた。ああ、絨毯屋さんかぁ、と思いまた来るね。と言って通り過ぎようとした。けど、良さそうな人だなと思って、寄ることにした。彼は日本で働いていたことがあり、日本語が話せるという。最近は日本人が減って、日本語を話す機会が減ったらしく、日本語が話したかったと言い、ビジネスじゃないと。これだけ聞くと結局ビジネスでしょ。って思うが、本当に日本語が話したかっただけの人だった。チャイを出してくれて、彼の日本での話しや最近のイランの話しをした。最後まで絨毯売買の話しはなく、お店を後にした。

イマーム広場から繋がっているバザールを歩きながらマスジェデジャーメというモスクへ向かう。しかし、地図も見ないで歩いているので、色々なところに彷徨い込む。いつの間にかバザールを抜けて住宅地に行ったりと。そんな時、メインのバザールからはかなり外れの場所で、声をかけられた。彼はマスウッドと言った。マスウッドさんはトレーナーなどを売っている3畳ほどの卸問屋さんだった。中に入れてくれて、またチャイを飲みながら話しをした。旅先でよく話すような、旅の期間や日本の話しなどを30分ぐらい。すると、夕食を食べにこないかと誘われた。危険かなとも思った。初めて来た国で、あったばかりの人の家に行くのは。しかし、観光客相手のバザールではないこと、家族がいると言うこと、近所のお店の人も多く出入りして色々な人と顔を合わせて話したこと、一度この店を出て再度夕方に来るという約束だったこと。こんな理由から、夕食に伺いますと、再度この店に6時に来ると約束した。

送信者 イラン

[マスジェデジャーメ]

そしてマスジェデジャーメの場所を人に聞くとみんな教えてくれるので、道草を食いながらもちゃんと到着した。イマームモスクとは違い華やかさはないが、落ち着いた良いモスクだった。ここでも元教師というじいちゃんがモスクの色々な場所を説明しながら回ってくれた。一人では知ることがない壁の柄の意味や、天井の作りのこと、メッカの方を向いている重要な壁について教えてくれた。モスクを出て、バザールを一緒に歩き、少し遅めの昼食をとった。羊肉のペースト、オニオンをナンで包みスープにつけて食べる料理。何と言う名前か忘れたが、タマネギがアクセントとなっておいしかった。いかにも中東の料理という感じがして、雰囲気も味わえた。それから、バザールをチラチラと見ながら、再度イマーム広場に戻った。


[夕暮れのイマーム広場]

夕暮れ時のイマームモスクは夕陽で昼間とは違った青に見えた。それから歩いて30分ほどのスィーオセ橋へ行った。川とアーチ型の橋、そして夕陽は絵になる風景だった。川沿いの道でもいろいろな人が笑顔で声をかけてくれた。一度ネットをしようと思い、昼間に見つけておいたネットカフェ(イランではカフェネット)へ行きメールなどのチェックをした後、マスウッドさんのお店に行った。マスウッドさんは笑顔で迎え入れてくれた。7時前に店を閉めて、バイクの後ろに乗りマスウッドさんの家へ向かった。途中、商店で卵や洗濯洗剤、ナンなど買った。奥さんに頼まれたんだなぁという生活感が溢れ出していて、安心した。お店から10分弱の住宅街にマスウッドさん宅はあった。門があり、その中には車もあるお金持ちという感じだった。家に入ると赤く大きな絨毯がひかれていた。おお、すごい。そして奥さんはお祈りの時間だったようで、メッカの方を向いてお祈りをしていた。家の中でもチャドルを身につけていた。息子と娘がいて、彼らと話したり、パソコンを使わせてもらった。パソコンにはWindows Vistaが入っており、自慢げだった。それから、夕食までテレビを見ながら談笑した。マスウッドさんがジャパニースTVと言って、NHKワールドにチャンネンルを変えてくれた。CNNもBBCもアルジャジーラも何でも見れるよと話しているのを聞いて、情報統制などは厳しくないんだなと知った。


[マスウッドさん宅]

夕食は男だけで食べるようだった。絨毯の上にビニールのシートを敷いて、その上に食べ物をおいて食べるというスタイルだった。夕食のメニューはトマトのオムレツとタルヒーと呼ばれる様々な野菜のピクルス、そしてナン。豪華と言うわけではないが、暖かい部屋で暖かい家族と食事ができて幸せだった。食後にはデザートでリンゴをいただいた。同じ釜の飯を食べるというのは、いいもんだなと、それにこうしてイランの普通の家庭におじゃまして、いろいろなことを話しながら食事をするなんて滅多にないことだ。それだけではなく、こうして身も知らぬ俺を呼んでくれて、食事も出してくれたマスウッドさん家族に感謝した。楽しかったし、いろいろな話しができた貴重な経験となった。リンゴを食べながら話していると、マスウッドさんの弟が現れた。すごい体格の良い、人の良さそうな人だった。彼は聖職者であり、頭には白いターバンのようなものをして、黒いマントのような服を着ていた。

彼とは宗教について話した。イスラム教や仏教について。お祈りの仕方について聞いたり、日本のお祈りについて話したり、コーランについて教えてくれたり、日本にコーランを送ると言ってくれた。そしてムスリムにならないかと誘われたが、「ブッディストでいるよ」というとそうかとすぐ納得してくれた。イスラム教は一神教であまり他の神を認めたくないのかと思ったけど、当たり前のことのように受け入れてくれた。聖職者の弟はもう少し俺と話したいし、友だちが集まっているチャイハネがあるので行こうと誘ってくれた。帰ろうかどうか迷ったが、せっかくだし行くことにした。車でチャイハネに向かう途中、フレッシュジュース屋によった。この店は友だちだといって、人参ジュースをおごってくれた。僕には寒い夜に冷たい人参ジュースを飲みほすのが大変だったが、何とか飲みチャイハネへ。体格の良い聖職者は一瞬で飲み干したのは言うまでもない。


[マスウッドさん弟の聖職者]

広い店内では何人かが水タバコを吸っていた。彼の友だちもすでにいるようで、ココに来いと言う感じで呼ばれ、靴を脱ぎ絨毯に座る。チャイが出され、どんな香りの水タバコがいいか尋ねられ、オレンジを頼んだ。トルコ以来の水タバコだから、7年ぶりということになる。チャイハネでは宗教の話し、日本の文化の話し、日本の経済の話し、日本の技術の話し、イランの大統領の話しなどをした。途中からイランのサッカー選手が来たり、学生が来たり、モハメッドの血を受け継いでいる黒いターバンの聖職者が来たりとお祭り騒ぎとなった。くだらない話しもしながら、コーランについて知っていることを聞かせてくれと言う難問を出されたり、神は1つだと彼らのベーシックな価値観を聞いたりした。マスウッドさんの弟がコーランを歌ってくれて、お返しとしてお経を唱えてみた。ただ、少しばかりテキトウに。オマケとして、日本の歌ということで「海は広いな~、大きいな~」と歌った。

マスウッドさんの弟のおかげで様々なイランの人々と話すことができた。チャイハネは男しか来ないので、男に限られるけれど、多くの人の価値観や考えを聞くことができた。日本にいただけで想像していたイランの人とはかなり異なる実際のイラン人がいた。やさしくて、好奇心が強くて、多様性は認めつつ自分たちの宗教に熱心で、バカな話しが好きな若いイラン人。イラン人のやさしさにふれたくて、そして日本のマスコミで知るイランではないイランに住む実際の人々の考えを知りたくてイランにやってきた。それがこうした経験で知ることができて、本当に幸せだった。夜の12時も過ぎたので帰ることにした。この店でもゲストだからとおごってもらった。


[マスウッドさんの弟の聖職者と共に]

帰りの車ではイランの音楽が流れマスウッドさんの弟の聖職者は楽しそうに踊り、ノリノリだった。真面目そうに見える聖職者もこうやって楽しむこともあるんだと思って、心が近づいた感じがした。宿まで送ってもらい、エスファハン二日目の夜を眠ることにした。

旅日記の続きはコチラ「旅先三日目に、旅は始まる」

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