日別アーカイブ: 2009/1/11 日曜日

世界の半分と呼ばれる町に着く

前回までの旅日記はこちら「目指すはイラン、テヘラン、エスファハン」

テヘランの南バスターミナルでバスに乗った。色とりどりの無数のバスが、ところ狭しと並んでいる活気のあるバスターミナルを、バスの中から眺めていた。7時30分出発という話しだったが、定刻になってもバスは出発しなかった。日本では時間には厳密な日々を送っているが、旅先では全く焦らない。ただ、イランについてまだ間もない。まず始めにイランと言う国を細かなことから知らなければならない。そういった些細な人間の行為には、人間の基本的な価値観や行動基準が詰まっている。バスの出発から、この国は時間に厳密かどうかを知り、これから始まる旅の参考にする。結果的には8時前にほぼ満席になり。バスは出発した。少し時間にはいい加減な面もあるが、旅をする人間に取って問題が生じるレベルではないと思った。

しばらく郊外を走り、荒野になった。イランは雨が少なく赤茶けた土がむき出しになった大地が続く。こういった土地に青い空は映えて爽快であるが、大地としては肥沃ではないんだろうなと思いながら、昔の旅を思い出した。ボリビアからチリに抜けた数日間も赤茶けた大地に青い空だった。光景としてはほとんど同じなのだが、土の色、空の青さ、大地の起伏という面で異なっていた。どちらかというと南米の方が色が全体的に濃く、荒々しい、大きな感覚があった。解釈が人によって異なる乱暴な表現をしてしまえば、南米というイメージで、イランは中東というイメージの荒野であった。そんな風に思った背景には学校で習ったような知識が影響していたこともあるだろう。この土地の下には石油が埋まっているのかと思うと、さらに中東の景色に見えてきた。

送信者 イラン

[バスターミナルを出ると、こんな風景]

そんなことが頭を巡りながら、窓の外を眺めていた。すると隣に座っていた若い兄ちゃんが声をかけてきた。23歳でペルシャ湾で石油関連エンジニアをしているという。ゴルガーンという町の出身ですでに結婚しているという。イランでは22,3歳で結婚するのが普通らしく子供もいるという。「お前は何歳か?」と聞かれて、25歳と伝え、さらにビジネスではなく旅行だと言ったら理解していない感じだった。この後のイランの旅でも感じたが、観光地以外で旅行で来ていると言っても理解されないようだった。旅行という習慣があまりないのだろうか。携帯電話を見せてくれと話してきたりしたが、携帯もイランでは持っていないので、持っていないというと、彼の携帯を見せてくれたが、やはりお互いの歯車が合わなかったようで、いつの間にか会話は少なくなっていた。そして、しばし眠りについた。うとうとして目を覚まし窓の外を眺め、また眠る。こんな状態を繰り返していた。そんな虚ろな状態でも気づいたことがある。イランのバスはトイレ休憩が多いということだ。今まで訪れた他の国よりも頻繁に止まったと思う。具体的に回数を他国と比較したわけではないが、イランではどの路線でもよくトイレ休憩があったと思う。

送信者 イラン

[エンジニアの兄ちゃん]

隣に座っていたエンジニアの彼が、エスファハンに着いたことを教えてくれて、エスファハンに到着したことを知った。出発した頃はまだ早朝だったが8時間ほど経ち、到着した頃には3時を過ぎていた。バスターミナルに着くと、このバスターミナルがどこなのかを確認した。いくつもバスターミナルがあるので、新しい土地に着いたらまずは現在地を知ることが何よりも大切だ。自分の位置が分かれば、次は安宿街を目指す。今日の寝床が決まっていることは、何よりも安心できる要素だ。僕は安全に寝ることができる場所が決まっていないと、落ち着かない。だから、何よりも先に寝床を確保する。
地図を見ながら歩いていこうと思い、歩きはじめる。国内であろうと海外であろうと、何でもない場所を歩くのが好きだ。人々のありのままの生活がそこにあるから。自転車の修理屋、商店、パン屋、などを横目にしばらく歩いた。

思っていたよりも遠かったことと、大通りになり交通量も多くなった上に歩道もなくなった、さらには日本から移動の連続で少し疲れたという言い訳を自分につけて、タクシーに乗ることにした。1万5千リアル(150円)で安宿まで行き、宿の受付で今日泊まることができるかを確認した。案の定、英語ができなく単語での会話だった。「ドミトリー ハウマッチ?」最初ドミトリーはフルでシングルしかないと言われたが、よくよく確認してみると、ドミトリーが空いていたのでドミに泊まった。5万リアル(500円)。この宿はエスファハンでも安いらしく、イランの他の都市から出稼ぎに来ている人も多く宿泊していた。パスポートを渡して、チェックイン。イランは他の国に比べて、しっかりとパスポートの情報を記入し、さらにチェックアウトまでパスポートをフロントに預ける仕組みだった。パスポートを預けることはあまり好きではない。自分の肌身から大切なものが離れた状態にあることが元来好きではない。フロントの人は悪い人ではないと思うが、他人をどこか信用できない性格のようだ。さらには、自分がパスポートを受け取るのを忘れてチェックアウトしてしまうリスクもある。こんな理由からパスポートは持っていたかったが、預けるというルールなら仕方ない。パスポートを預け、街へ出ることにした。

金曜日のエスファハン。日本や欧米諸国ならばみんなが活動する平日だ。ただ、ここイスラム国家のイランにとっては休日。街を歩いても多くの店が閉まっていた。まあ、仕方ないと思いながらイマーム広場を目指す。キョロキョロとしながら、道路を小走りでわたる。こういった国に来ると信号もほとんどないし、車のスキを狙って渡るしかない。この国に慣れてこれば、道路を渡るのもすんなり行くのだが、まだ着いたばかりで慣れていない。そこでイラン人が渡る時に一緒にスタスタとキョロキョロしながら渡った。

送信者 イラン

[イマーム広場全景]

しばらくして、エマーム広場に。角を曲がり、イマームモスクが目に入った瞬間「おおっ」思わず声が漏れた。俺が求めていた青さが飛び込んできた。イランに来た理由のひとつがこの青きモスクが見たかったということ。「大きいな。実に大きな広場だ。」芝生があり、その奥に青いイマームモスクが見える。金曜日ということと夕方が近かったためか、人も少なく、広場を歩きながら楽しむことができた。ウズベキスタンのサマルカンドも青きモスクで有名だが、イマームモスクも勝るとも劣らないだろう。一人で「いやぁー、すんげー」「よくも作ったな。」「この青が好きだ。いい色をしている」なんてぶつくさ言いながら、イマームモスクに近づいた。中に入ろうとしたが、金曜日で今日は入れないと言われ、明日来いと。仕方なく、入り口から中を覗く。本当に細かく描かれた壁と天井。細かなモノが集まり、大きなひとつのモノを作り上げている。そんなモノは、見る者に圧倒的な衝撃と創造性を与える。まずは「すんげー、なー」と思い、いったいどんな風に作ったのだろう、誰がどんな目的で?と考えはじめる。そして、いつも宗教の持つ力、昔の人の技術にただただ感心し、いつの間にか現代との比較をしている。高度資本主義社会でこういった建造物が造れるのかと疑問に思い、作るとしたら敬虔な宗教の信者の集まりか、大富豪なんだろうなと。そして、現代の技術が凄いだけではなく、昔もすばらしい知恵と技術があったんだと当たり前のことを再認識し、自分や自分の価値観を戒める。

送信者 イラン

[イマームモスク]

イマーム広場は池もあり、ベンチもあり、芝生もあり、美しい青きモスクがある。周辺にはバザールやチャイハネと呼ばれる気兼ねなく入れる喫茶店兼寄り合い所もある。何もせずぼーっとするには最高の場所だ。歩きながら、夕陽に色付けられた広場を眺め、安らぎを感じた。写真を撮りながら歩いていると、イラン人の家族に話しかけられた。家族でイマーム広場を見物に来ているようだ。イマームモスクを背景に家族の写真を撮り、少しばかり話しをする。こうして、少しずつイランの人々と話すと自分の心も解きほぐされてきて、イランに慣れてくる。肩肘張った状態から、警戒心が少なくなり心を開いていく。こうすることによって、その国を感じられるようになり、旅の醍醐味を味わうことができる。

送信者 イラン

[池に映るイマームモスク]

寒くなったので、イマームモスクを後にする。てくてくと宿へ向かう途中に2、3人の若者が立って話していた。何かなと思って、覗きこむ。何やらコーンをマヨネーズやスパイスで和えたものを売っていた。夕食をしっかり食べようと思っていたので食べないでおこうと思ったが、話しが弾んだし、たいした量でもないので食べることにした。紙コップに入ったコーンのマヨネーズ和えは1万リアル(100円)だった。たいして美味いとも思わなかったが、楽しく話しができたから、それでいいかなぁと思った。

送信者 イラン

[コーン屋の兄ちゃん]

宿に戻り、少し横になり夜の街へ出た。理由はひとつで夕食だ。フロントの人に聞いたが、たいしてレストランがないという。レストランと呼ばれるコジャレタものではなく、食堂も少なくサンドイッチショップかチャイハネしかない。どちらも軽食と言った感じ。実際に街を歩いてみたが、手頃なレストランは見つからなかった。高級そうなホテルの一階にレストランがあったが、自分の服装と持ち金では入ることなんてできない。あきらめてサンドイッチ屋に入り、固いコッペパンにレバーを詰めたサンドイッチ、ソーセージを詰めたサンドイッチ、そして羊の脳を詰めたサンドイッチとバランスを考えサラダをつけた。締めて3万リアル(300円)。宿に戻ってベッドの上で、簡単な夕食にした。同じ部屋にはスイス人とオーストラリア人がいて、話しをした。スイス人は仕事の休暇を使って自転車で旅をしているようだった。そんなにも休みが取れるんだと驚いた。オーストラリア人は学生だった。話していたのだが、おなかも満たされ、日本からの移動続きで疲れていたらしく、すぐに眠りについた。

送信者 イラン

[寂しいサンドイッチの夕食]

そして、イスファハン(エスファハン)二日目へと続く。

イラン旅日記の続きはコチラ「優しくされたエスファハン、優しくなれたエスファハン」

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旅行記の内容が細かすぎて、長すぎて、完全に自分への行動記録になっています。すいませぬ。