「ビジネス」カテゴリーアーカイブ

リスクがない世界は死んだ世界だと思う

リスクがゼロであることを証明しろ。
ギャグかと思う。

生きているということは、リスクを共にすること。
そんなことあたりまえだと思う。

リスクをゼロにした世界は、止まった世界。
死後の世界だけだと思う。

だから、リスクと共に生きていく。
そのリスクを最小限に抑えたり、
何かを享受するメリットとリスクを天秤にかけたり、
リスクを楽しんでみたり。

そういうもんだと思う。

現代都市社会および、ビジネスの世界
いや、もっといえば、強欲的な人間という生き物は、
かもしれないが、自分たちが世界をコントロール出来ていると思っている。

コントロールしたいと思っている。

予想外のことは出来る限り起こらないようにして、
計画通りに世界が進んでいけばいいと思っている。
こんなの、ただのおごりだ。

だが、そうすることによって、世界が安心して、平和に暮らせるのかもしれない。
その要素も多分にある。

でも、そんな世界に違和感を感じる。
もっと世界ってワカラナイでしょ。

何にもわからないでしょ。
わかったつもりになっている場合じゃないでしょ。と。
想像もしないことが起こるのが世の中でしょ。
偶然が楽しいと思う。
あくまで、個人の偏った主観だけれど。

昔も書いたけど、本当にそう思う。

未来は分からないから、未来なんだ、と。

送信者 西穂高岳20140323-24

Free from つながれていないことの心地よさ

Free

ワイヤレス

コードがない

独立していること

それだけで成立する

「何かにつながれていない」

何かというと、ネットはWimaxでずっとやっている。
引っ越してもWimaxだからネットの契約も新たにする必要がない。
Wimaxのwifiテザリングだから、契約もなければケーブルでもつながってない。
便利だ。気持ちが軽やかになる。

ただそれだけなのだが、やっぱり引越に伴うめんどくさい手続きと比較すると、このありがたさ、便利さを痛感する。

旅に出て、あるぜんちん丸で星野道夫さんがサンフランシスコに着いた時に、僕の居場所を誰も知らない心地よさを語っていたが、それと同じなのかもしれない。

町から離れた場末の港には人影もまばらで、
夕暮れが迫っていた。
知り合いも、今夜泊まる場所もなく、
何ひとつ予定をたてなかったぼくは、
これから北へ行こうと南へ行こうと、
サイコロを振るように今決めればよかった。

今夜どこにも帰る必要がない、
して誰もぼくの居場所を知らない……
それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。

不安などかけらもなく、
ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。
(『星野道夫著作集3』、P142、「旅をする木」より)

それだけで成立していることの安心感

送信者 ドロップ ボックス

約10年ぶりの中国

大学4年の時に中国を1周した。
確か、北京から入って西安とかシーニンとか、ウイグルにまわり、チベットへ、そして成都から上海へ。そんな旅をした。

旅が好きで、いつも旅が終わりに近づくと、もっとこの旅の続きをしたいと思う。
でも、この時は働きたくて仕方なくて、旅を早く終えて仕事をしたい気持ちが強かった。
その時に、自分という人間は、本当に旅が好きというよりは、何か新しいものを常に求める欲求の方が強いんだと思った。もちろん、旅は大好きな上での話だけれど。

そのとき、中国人って、マスコミで聞いたり、いろいろな人から聞いて刷り込まれているイメージよりもいい人ばかりじゃん。

チベットへのヒッチハイク
満天の星空
広大な大地
ウイグルも行き、様々な人種や文化
上海なんかは発展していく感じ

そんな記憶がよみがえる。

今回は、初めての大連に。
日本語を話せる人も多いし、日本企業もたくさん進出していたり、委託している町。
600万人だか、それぐらいの人口で、かなり大きな都市だ。

高層ビルがガンガン建ち、建設中のビルやマンションも。
億を越える物件も多数。

一方で、町を歩けば、昔の中国を思い出すような雑多な町並みも。
そんな世界が混在している。

でも、確実に経済という面では成長していくんだろう。
なぜなら、余地、余白があるから。

一方で、現地の若い世代と話していると、ハングリー精神が少ない人たちもけっこう増えてきているそうだ。一人っ子政策で、子供が1人の過程は裕福で、甘やかされて育ってきたからと。

まあ、それだとしても日本のそれとは比較にならないエネルギーだ。

あとは、気温が暖かい、そしてやっぱり空気は汚い、でもオフィスはきれい、日本と同じレベル、そしてみんな日本語堪能。そんなことを感じた。

送信者 記録

情熱すなわち、しぶとさなり

情熱すなわちしぶとさなり。

思いが強ければ何でも出来る。
結局それはしぶとさが出るから。
無意識のうちにしぶとくなる。

なんとしても成し遂げたければ、本気で考える。
ありとあらゆる手段を調べて、考えて、実行し、掴みたい物に少しでも近づく。

情熱に突き動かせられ、無我夢中で行動しているとしぶといとか考えることもなく、自然といろいろとやっている。

まあ、当たり前だけど、俺もしぶとい人間だなーと思う。
しぶとい奴って、うざかったりもすることもある笑

まあ、そのへんのさじ加減とコミュニケーション。

真剣に考えると意志が生まれる
http://teratown.com/blog/2010/04/02/oeieeooathie/

送信者 鹿島槍ヶ岳から白馬鎗温泉5日間縦走

マスメディアが弱くなり、社会が小さな集団に分かれる

今日は朝昇龍が勝ったかなと、知り合いが話した。
ああ、今相撲やっているんだと知った。

テレビや新聞などをみんなが読んでいた時代は、みんなが知っている情報というがある程度はあった。誰でも共有できる情報があった。しかし、どんどんマスメディアを見なくなると、自分の好きな情報しか見なくなる。すると、マスメディアが発達していたころは普通だった情報を興味がない人は全く知らなくなる。

みんなで共有できる情報が少なくなる。すると、自分の興味と会う人としか話が合わなくなり、そういった人だけで話をするようになる。するとどんどん個別化していき、少人数の集団でしか話があわなくなる。それぞれの興味を持った無数の集団が存在し、その中で個別性を強めていく。結果として、それぞれの集団が分かり合えることが難しくなっていく。

そんな社会が出来上がる。

マスメディアが弱くなり、社会が小さな集団に分かれる。

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ずっと前、に書きかけて放置してあった。

今、中国の大連にしばらく滞在して、フェイスブックが使えない、グーグルがつかえないとか不便な日々。
そんな生活の中で、そういったメディアから、僕は自分の好きな情報だけを得ていたんだなと、身をもって気づいた。

そして、中国の人たちと話して、ワールドカップの話し、日本のテレビドラマの話、アニメの話、アイドルの話をされる。
日本にいてもテレビがないし、そういった情報は何も知らない俺は、中国のみんなよりも遥かに疎い。
これも、個別集団化、ソーシャルメディアなどのパーソナライズ化、受動的メディアは使わず、能動的メディア(自分で検索するとか)を使うようになった結果なんだろうなと。

そんなことを大連にて思う。