「音楽」カテゴリーアーカイブ

【場を作る新しい旅3】新しいことを始める思い

意思をもって行動した後についてくる偶然の副産物。

そんなものが好きだ。

大人になると、いろんなモノが自分についてくる。まるで、お腹の周りの贅肉ように。過去の成功体験、肩書き、お金、周りからの目。

そして、エネルギーがなくなる。肉体も精神も。すると、いつの間にか、大人になるとゼロから新しいことをしなくなる。

地味で、すぐに評価もされない、そんな新しい世界にえいやっと飛び込まなくなる。それは別に悪いことでもないと思う。

今までとは全く違うことをやり始めることが楽しい。どうなるか分からない不安もありつつ、けど色々考え試行錯誤して未来にワクワクする感じ。

これは、昔からで芸大も、会社をやったのも、旅も、トレランも。

たぶん、俺はひとつのことを極めれない。けど、何か面白いと感じることに出会い、何にも分からない状態でも1人で始めてみる。

想像もつかない、これから起こりくる未来に、心がザワザワしながら、手探りで。

この根底にあるのは、やっぱり、1秒後に死ぬかもしれないこの人生、美しく楽しく、まあ、納得と覚悟を持って生きたい。

もろもろの自分の考えや価値観、生きる軸は、理解されないことも多い。また突拍子もないことをやりはじめたと。

そうとも思うけど、それらをすべて無視して、自分のやりたいこと、信念に沿ったことだけやって生きたらどうなるんだろう。

たぶん、そうすると全くうまくいかない。そうわかりつつ、なんでも実験してみたい性格なので、やってみたくなる。

図書室のような新しくはじめる場に対して、いろんな方から、いろんな意見をいただく。

自分が考えてもいなかった理由でやろうとしてると思われたり。

山のトラウマなのと聞かれたり、相変わらずだねと言われたり。

この場所と連動するメディア作ったらと言われたり。

そんな僕は幸せだ。

送信者 場を作る@北千住

心拍数の速さと音の速さ、そして世界の早さ。

音楽聞きながら山を走る。

心臓の鼓動は早い

新しい曲が流れ始める

リズムの良いテンポの早い曲が流れる

だが、その曲はいつも感じているテンポより遅かった。

今までそのように感じたことはなかった。

心臓が早く打つと時間も早く流れているから同じテンポのはずの音楽が遅く感じた。

興味深い人間の感覚。

ライブとかサッカーの応援も同様。鼓動がはやくなれば早い音楽をしないとさらにワクワクしない。走っていても時間が短く感じるのはこのせいだろうか。

鼓動が早くなればなるほど、時間も感覚も早くなるのかな。

鼓動が早い人の人生はすごいスピードで進んでいる。
だから、世の中の動きが遅く感じられたりするのだろう。

心拍数と感じる時間の流れは連動してるんだから、ハートレートモニターとiPodが連動して、心拍が上がればテンポの良い曲とか、同じ曲でもリズム速くするって機能があればいいのに。自然と音楽のリズムと自分の身体感覚のテンポがあえば、より気持よく走れるに決まってるんだから。

http://www.teratown.com/blog/archives/001876.html

送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2

固有周波数

人間には固有周波数というものが有ります。まあ、これはその人が何たるかをたらしめるかする物でもあるという言い方も出来る。なんかその人なりのリズムみたいなものがあって、それにちょうど合う芸術作品を人は好きというのだろう。まあ、自分の固有周波数は自分で見つけましょう。
2003/06/21

【場を作る新しい旅2】場を作って実現したい世界

アミニズムという希望で、山尾三省はこのように書いている。

「住むということはとても大事なことですね。中略人間というものは、植物と同じように基本的にはその住む場所に属していますから、望むと望まざるとにかかわらず、住む場所に属しますから、好きな場所に住むというのは、とっても大事なことですね。中略 自分の生涯住む場所というものを探していくといいますか、求めていくといいますか、それを意識化して、意識して探していくということがとても大事なことのように思います。中略 ひとつの離島にすぎない場所を「ついの栖」として見つけたことによって、生きるということが本格的になったし、それからずいぶん豊かになりました。中略 特に死から考えることが大切だと思います。この場所で自分が充分に死ねるかと言うことを尺度にして住む、生きる場所を選んでいくと間違いがない感じがしますよね」P132

アミニズムという希望 山尾三省

人間の物語には必ず場が必要であると僕は思っていた。その場と人との関わりが、僕にとって一番の関心なんだということにミクロネシアで気が付いた。

by池澤夏樹さん
1993 7月号 SWITCH

SWITCH池澤夏樹さん

人は物質である。体積がある。場所が必要である。
それ故に、人は場からは切り離せない。
人間が存在する以上、場とは関わり続けねばならない。

箱根の山の中で安心できる場所。

東京から岐阜を目指して歩いたときに、安心して寝れる場所。

山小屋、芸大、クリエイティブライティング、会社、ベンチャー、NPOも、インターネットのコミュニティもSNSも、ブログも、常連客が集う居酒屋やカフェも、そうそうスペインのバルも。

人の集まる場所。
そこから生まれるもの。

そんな場を通して、いろいろなことを感じ考え、自分という人間が作られていった。そうした想像もしない世界が生まれてくるきっかけが場なのだ。

家を開いてみる。
そうしてみたかった。
なにか自分が想像もしないことが生まれて、それはすごく楽しい世界のきっかけじゃないのかと。

自分が意志を持って行動した後に着いてくる偶然

身分も、趣味も、年齢も、性別も、職業も、何もかも捨てて、その状態の人と人が偶然巡り会う。
そこで、楽しい会話がうまれる。無言のまま本を読んで過ごす。なんでもいい。
そんな時間の積み重ねから、偶発的に何かが重なり合い、シンクロして、生まれるかもしれない。
起こるか、起こらないか分からない未来を見てみたい。

それが、すべてのきっかけだ。
多様な人が集い、ああ、こんな人がいるんだと知って、それぞれの人生という辞書に新たな言葉が追加される。そういったきっかけの場。

そういったことができたら面白いだろうな、世界はそういう小さな偶発的経験の積み重ねで面白くなるんだろうと思う。

それは、まるで一冊の本と異国を一人旅するように。
本と人がクロスする。
人と人がクロスする。
偶然に出会える場。

まあ、能書きを足れたけれど、気楽に、気まぐれな場所。
そう、言葉では分かりやすくまとまってないけれど、この文章全体として、やりたかったこととか、こんな世界になればというものが伝わったらうれしいなと思う。それが伝わらなくても、この場にきてくれたら、その感覚を少し感じれるような場になったらなと思う。

【場を作る新しい旅1】場を作るきっかけと家との出会い

新しい家のすばらしさと阿佐ヶ谷と続く糸

6年半ほど住んだ阿佐ヶ谷を今日引っ越した。
夜中まで荷造りをして、朝の8時に引っ越し業者がきて、1時間ちょいでトラックに詰め込み完了。

と、言いたいところだが、荷物の積み残しが発生。。。
段ボールに入っていない荷物は運べないと。
さらに、荷物が多くてトラックに入らないと。
確かに規約にそう書いてあったが・・・
ちょいまって、まだ入るので、重い荷物だけ入れてほしい。
と、交渉して、1往復すれば持てる荷物だけを残して、阿佐ヶ谷を後にした。

1時間ほどで、北千住に移動して、30分ぐらいで荷物を下ろした。
洗濯機を設置してもらい完了。
荷造りは大変だが、引越はあっという間だ。

締めて、テレビとPCディスプレイの処分、作業員2人で土曜日午前中の引越し。
税込みで3.4万円だから安いよなー。
もうちょっと値切れただろうけど。

で、ある程度、荷物を段ボールから出していった。
収納が少ないと思っていたが、家自体が広いので、けっこう片付けることができる。
広々と使えそうで、よかった。
自転車のハードケースとスーツケースも、うまく片付いて、かなり満足。

めんどくさいなと思ったけど、阿佐ヶ谷まで荷物をとりに行った。
仕方ない。そんな風に思って阿佐ヶ谷に到着して、駅を出た。
すると、ゆうすけさんに偶然、会った。

先月に飲んだ時に、引っ越すとは話していたが。
本当の最後のタイミングで偶然にも。
ああ、本当に引っ越しちゃうんだねと、ちょっと寂しげな顔で。
これで、つよしも引っ越したし、テラマチ君も。あとは、剛君だけか。と。

僕が阿佐ヶ谷に引っ越したのは、つよしさん、ゆうすけさん、剛さんが居たからだ。
みんな旅人で、2人はチャリで世界を旅し、ゆうすけさんは旅の作家だ。
そんな人が住む町に住んだら楽しいだろうと、住んだ。
すると、思っていた以上に楽しく、本当にいい日々が送れた。

そんなゆうすけさんに、最後の挨拶ができて、よかった。
荷物の積み残しがなければ、こんな風にはなせなかった。
そう思うと、人生万事塞翁が馬、まあ、人生ほどではないけど、本当に、つくづく思う。

重い荷物は辛かった。
修行のように重い荷物を背負い、手に荷物を持ち。

そして、再び北千住に。
さっそく、ガスも水道も電気も開通、ネットもWImaxなんで何もしなくてOK。

荷を解きながら、新しい北千住の家はいい。
本当にいい。そう感じる。

日本国憲法の定める健康で文化的な生活が送れるようになったのはもちろんw
家がギャラリーのようだ。
自分が旅した時の写真を飾ってみたり、新城島で拾った大きな貝を玄関においてみたり。
ベランダに椅子を出して、風に当たる。
キッチンも大きく、結婚式の引き出物のグラスを並べてみたり。
2階もあるし、ベランダもあるし、気分転換に最高だ。

そして、お風呂が真っ暗になる。
風呂に窓がついていないので、本当にまっくら。
これが安らげるのだ。
中学の頃からお風呂は暗くして入る習慣なのだ。

風も通るし、露がさって、晴れてくれたら。
ああ、今から楽しみだ。

その頃には、本も並べて、棚も買って荷物も整理されていて。
居心地のいい空間ができそうなイメージを、未来を思い描いているだけで、ワクワクが止まらない。

2014/06/28

送信者 場を作る@北千住

【場を作る新しい旅1】場を作るきっかけと家との出会い

場を作りたい。
ずっとそう思っていた。

阿佐ヶ谷の商店街沿いの場所が空かないかなとか、ちょくちょく見ていて、2年ぐらい前に空き物件を見つけて問い合わせたこともあった。
そんな想いとは裏腹に、なんといっても金銭的な面と時間的なネックがあった。しかし、今年の夏はモンブランのレースPTLに出ることを辞めた。そんなこともあって、時間ができた。

阿佐ヶ谷の家も長くて6年半もたち、荷物がたまり続け、一度整理しないと大変なことになるというのもあった。もちろん、この阿佐ヶ谷という町は大好きで、初めて人間的に住むということを実感した町で、仲間も町も大好きだ。好きすぎるぐらい、好きな町だ。初めての一人暮らしの日吉も、続く西日暮里も巣鴨も自分で選んでいなかったり、交通の便だけで決めた家だった。阿佐ヶ谷はそうではなく、住みたい町に住んだ初めての場所。そんな思い入れも強く、居心地が良かったことの証拠に長く住んだ。

今回の引越&場作りは、町よりも、この家に住みたいと思った。町というよりも、家に惚れたのだろう。阿佐ヶ谷時代は、家には住んでいるというよりも、荷物置き場。家にいること自体は快適ではなかった。そんなことも重なり、引っ越して、ついでに場を作ろうと思ったのだ。

なんで、そんなにも場を作ることにこだわるかと言えば、自分が場に出会い、育ててもらったという気持ちが強いからだろう。そして、その場をきっかけに世界は広がっていった。

そんな場とは、世界中を旅していた時に泊まった宿のオープンスペースであり、東京芸大に潜っていた教室や上野公園の砂場での飲み会、岐阜の活性化NPOをやっていた時の六本木のNPOハウスや岐阜のORGANの事務所、ベンチャーをやっていた時のオフィス、山に泊まった時の山小屋、クリエイティブライティングで学んだRainy day cafe、阿佐ヶ谷の友達の家、写真展を何度かしたあの場作りといろいろな人が集ってくれる感じ、などなどあげればきりがない。金を稼ぐとか、やらないといけないから、そんなことで集まったのではなく、個人のやりたいことや好きなことで集まる場。それも集まった人たちの出会いは偶然性が高い場所。

こういった経験が非常に大きいし、その場は心地よく、いろいろな偶然の出会いがあり、そこでアイディアが生まれ、新たなモノやプロジェクトが生まれていった。その過程はとても躍動的で、面白い瞬間の連続だった。

また、家を自分の手で作りたいというのもある。建設会社じゃなくて、自分の手で。ただ、空間を作り出すのは、そんな簡単ではない。イメージを立体的にしても、出来上がったものとの差は大きい。だから、小さな空間を作るということが練習になると思っている。

さらには、だいぶ先の将来には学校というか自然から学べる場を作りたいという気持ちもある。そういった学びの場を作るためにも、どうやってコンセプトを設計し、それが実現する場をどうやって作り、演出し、それが実現するコンテンツをどう入れこむか。もちろん、対外的にどう伝えるかも重要だ。そうしたことの参考にもなると思っている。

まあ、なんだかんだ理由を後付けで書いてみたが、すべてはやってみたら面白そうだと直感的に思ったのだ。具体的な未来像が描けているわけでもなく、見切り発車なのは違いないが、場を作ることを考えている時はワクワクする。そして、できた未来は楽しいだろう思うし、そんな想像を超えることが起こると心の底から思えるので、やってみた。それだけなんだ。

送信者 場を作る@北千住