「本」カテゴリーアーカイブ

ソラへ、ワクワク。宇宙を撮りたい、風船で。

おとなになって、子供のようにはしゃぐこと。
主に社会の目によって、そんなことがなくなる。

あの人ちょっとおかしいという社会の目。(周りの人に変なふうに見られないようにしなければならないという社会の目)
もうひとつは、いろいろな困難を経験して、夢を実現することは難しいと知る、社会の目(社会の厳しさを知るという意味での社会の目)

まあ、ある程度は重要なのだが、それに振り回されすぎると人生を謳歌できない。自分の人生なのに、自分の人生じゃなくなってしまう。

俺の場合は、旅やアウトドアというものに出会って、社会の目の外に出るということを知った。海外に行けば知り合いもいないし、文化も違うからひとつめの社会の目は気にしなくていい。さらに、アウトドアは未経験だったし、困難もあるけれど、できないことを純粋にクリアして夢を追いかけることができた。もともと得意だったり仕事だったり、プライドがあることだとふたつ目の社会の目ってのがあってできなかったかもしれない。

そんなふうに思う。

岩谷圭介さんが情熱大陸で取り上げられていた。数年前に初日の出を宇宙から撮影した時も話題になっていた方だ。個人的にも宇宙には興味が非常にあり、なんどかウェブで拝見していた。そして、海外でもJP aero spaceなどのプロジェクトがあって、それもウォッチしたり。

今回、情熱大陸を見て、さっそく岩谷圭介さんの本、宇宙を撮りたい、風船で。を読んでみた。つくづく思うのが、まずはやってみること。そして、試行錯誤すること。諦めないこと。やりたいことは徹底的に周りに話すこと。すると、いろいろな人やアイディアがつながって、夢に近づくこと。いつも思っているし、当たり前だし、出来る限り俺もそんな風に動いているけど、その大切さを改めて思った。

それにしても、自分で作ったものが、自分の手から飛び立って宇宙に行って帰ってくる。ロマンだよな。そして、本当に美しい世界を見せてくれる。双眼鏡で見る行為と体験的には近い気がする。ちょっと便利なツールを使っているけれど、自分の目を通して宇宙を見ているような。自分の分身が宇宙に出かけてきてくれたような。いろいろノウハウものっているし、岩谷さんのサイトにも飛ばし方が載っているのでやってみたいなーと思う。

読み終えて強く思うこと。日々の生活で埋もれていることが、見えることに夢がある。見えない世界を見てみたい。この気持が全てのはじまりなんだな。

送信者 art

ふうせん宇宙撮影
岩谷圭介さん

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アメリカだとこんな風にやってる。
http://www.jpaerospace.com

記憶に残った言葉

P7
本当に些細なことでも、「やってみる」から、はじめてみる。すると、何かが変わっていくと思うのです。そうすれば、宇宙ですら、手を伸ばせば触れることができるかもしれないのです。
まずは、「やってみる」から、はじめよう。
これが夢を追いかける合言葉なのかもしれません。

P23

自分の手から放たれて飛んで行くというのも、風船の特徴です。自分と地上と雲と宇宙が連続的に体験できるのです。
宇宙と地球と自分とーーー。風船によって、宇宙という非現実の世界だと思っていたものが、実は自分のすぐそこにある場所であること。

P27
商品は買うことで、使うことができます。単にお金を出すだけでいいのです。そこに創意や工夫はいりません。そんなことにならされてしまっていると感じるのです。
たとえば、スキーがやりたい。けれど、スキー板がない、お金がない。中略 お金を稼ごう、バイトしよう、と発想してしまいます。中略 明治時代の開拓当時、中略 木を削って作られているのです。なんだはじめのスキー板はこんなものだったのか、これなら作れそうだ、と思うのです。

P28
僕達の身の回りにあるすべてのものは、もともとは商品ではありませんでした。誰かが考えて、ハリボテのような試作品から、改良されて進化して、便利な商品になっていったのです。生まれてからずっと、便利で進化した製品に囲まれていると、商品を与えられることに慣れてしまっていて、自分の力でなんとかやってみようという発想を忘れてしまっていることに、たびたび気づかされます。

P36
失敗には取り返すことのできるものと、できないものがあると思っています。
お金の損失は取り返すことができる失敗です。お金をかければ済むことです。しかし、命に関わる失敗や体が不自由になる失敗は取り返すことができない失敗です。

P49
自分のもやもやと持っていた夢らしきものを、どうにか形にすることで、将来、自分のものに落としこんだり、掴むことができるようになります。
その険しい段階を試行錯誤していくことの大切さを、知ってもらいたいのです。

P70
お金に縛られることから解放されるには、循環、つまり、消費のサイクルを管理することが大事だと思いました。
そこで僕は、大学を出てからも大学生の頃と同じ生活費でずっと生活を続ける努力をしてみました。社会人になっても生活のレベルを変えず生活すると、収入は増えますが出て行くお金は変わりません。そのためお金はそれほどなくても、お金のために働かなくては!という状況から脱することができ、結果として自分がしたいことをする時間を増やすことができたのです。

P76
風船が空に向かって飛んで行く速度は、僕らのこぐ自転車と同じくらいです。
中略
こののんびりした速度で、自分の手から離れた風船が、少しずつ宇宙に近づいていく。それを感じることで、身近な風船を通して、宇宙に行くということ、風船でも行けるくらい宇宙が近いのだということ、そして、”等身大の地球と宇宙と人間”が見えるのではないかと思うのです。
そこから何かを受け止め、考えるのはそれぞれ、いろいろです。

P83
自分がどんなにすごい夢を見ていて、それがいかに魅力的なものだと思っても、まずどんな形でもやってみないと、人の心には届かず、ついてきてくれないのです。
失敗してもチャレンジして、また失敗してもまたチャレンジしてを繰り返していると、人の子ことに響き、やがてついてきてくれるようになるのだということを、この活動を通して僕はほんとうによくわかりました。

P88
秘密にしているより、公開することでたくさんの人達とつながっていくことができ、結果的に新しいフィードバックがどんどん増えるからです。そして、自分だけの力でしか見えなかった世界がどんどん広がっていくんです。
広がっていく世界は、自分で秘密にして抱え込んでいる世界よりじっと魅力的です。

P117
失敗は、自分のダメだった部分と向き合わなくてはなりません。自分の足りなかった部分と、真摯に向き合うための機会をもらえます。ですから、まぐれの成功より、失敗のほうがいいものだと思うのです。

P148
文字がないので、どうしてその作業をしなくてはいけないのかを考えてもらうことができるのです。何を目的に作業するのか、その作業が何に繋がるのかを考えてもらうためには、言語は不要だったのです。

10年前の自分、10年後の自分、そして今

10年後って、どうなっているのだろう。

42歳

植村直己さんも星野道夫さんも、42,43ぐらいで亡くなっている。だからって話だが、男の厄年もこのくらいだった気がする。お二人は事故だが、気をつけないといけない年齢だなと思う。一方で、それぐらいの年齢の友達もたくさんいるけど、俺と同じぐらい元気だし、まあ年齢だけ無駄に気を使う必要はないとも思う。

この世界はどうなっているか。

と、2005年ちょうど10年ぐらい前に、2015年の自分と社会について書いたメモがあった。それにしても10年以上もブログを書き続けているのも面白いなと思うが、記録しているからこそこんなことができるのだ。当時は大学3年で芸大に通い始めたり、友達と会社を始めたりとしていた頃。スマホがこんなに普及するとは想像もしていなかったし、リクルートという会社に入り、やめているとも思っていもいなかった。東日本大震災が起こるってことも想像だにしなかったわけだし、世界は未来は未知だ。

まずは、10年前に書いた予測の振り返り

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
 →予想通り。
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
 →あんまりアーリーアダプターではなくなったが(ガジェットを買うという点では)、新しいことには常に興味あり
・結婚している
 →結婚はしていない

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
 →うーん、道半ば。ただ、世界の捉え方、自分の信念というものはしっかり基礎が固まってきた感じ
・英語はぺらぺら
 →ペラペラではないが、毎日30分オンライン英会話で勉強中。
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。
 →気にはなっているが、特に活動はしていない

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
 →現金の利用は減った。電子マネーとクレカがほとんど
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
 →確かに進んでいて、今後もこれは続く
・マスコミがインド、インドと叫んでいる
 →中国の勢いに陰りが見えて、インド投資が盛んに。

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?
→これは10年前も今も変わらず。

続いて、2015年の今、10年後の2025年を予測してみる。10年前と同じ切り口で。

<<プライベート>>
・今までの経験と思考をもとに、世界をどう捉えるかを体系的にまとめ始めている(本でも、HPでも)
・定期的に旅と運動は続けている
・子育てに奮闘中

<<社会人として>>
・1,2年ぐらい海外で働いている(10年の間に1回ぐらい)
・心地よい場所に安住するのではなく、常に挑戦者としてチャレンジしている
・互いに尊敬し合える仲間と仕事をし、社会に新しい風を届けている

<<未来社会予想>>
・ビットコインが普及(ビットコインでなくても、政府が発行する貨幣以外が一般化)
・自動運転カーが走り始めている
・遠隔医療、オンライン診療などが一般化
・さらに所有しない社会になって、スマホから電子ペーパーに変わり、ほとんどそれだけで完結している
・個人移動用ドローン(タケコプターみたいなやつ)が技術的に可能になっている(利用の是非が議論)

<<一言>>

日本は圧倒的に元気を失っているかもしれないが、未来は自分たちで作るものであり、その瞬間を徹底的に味わいつくしていたらいいな。味わいつくすのは、単純に楽しいだけでもつらいだけでもなく、そうした全てを受け入れながら人生を自分のものとして生きているってこと。まあ、笑っていられたら最高だ。

BGM:Katy Perry – Roar (Alex G Cover)
BGM:OneRepublic – Counting Stars

January 16, 2005

タイムカプセル ブログ版~10年後の自分~

先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。

また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。

トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。

あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。

・プライベートで3つ
 10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。

・社会人・ビジネスマンとして3つ
 こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、

・10年後の未来社会予想で3つ
 現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか

・最後に、10年後の自分へ一言
 そのままです。

まあ、僕の場合

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?

BGM 空の下で MY LITTLE LOVER

http://www.teratown.com/blog/archives/001321.html

職業としての小説家ではないが、趣味としての小説家になってみたい

村上春樹『職業としての小説家』

村上春樹さんとの出会いは、走り始めた頃に、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで感銘を受けたことだ。普通は小説から入ることが多いかもしれないが、僕は走ることについて語ったエッセイが出会いの一冊だった。走ることにハマり始めたタイミングということもあって、村上さんが走ることに対する思いや理由、そして走っている時に感じる感情の機微を、細かに表現されていて、強く共感したことを覚えている。その後、いくつかの小説やエッセイを続けて読んだ。が、僕の中で「走ることについて語るときに僕の語ること」を超える作品はなかった。

数年、村上さんの作品を読んでいなかったが、ずっと気になる存在であることは変わりなく、新作が出ると気になっていた。

2,3ヶ月ほど前、クリエイティブライティングでお世話になった新井さんと食事をしていると、社運をかけて村上春樹さんの「職業としての小説家」という本を作り上げた。と話してくれた。本や雑誌不況の中、新井さんはSWITCH、coyoteの編集長をし、MONKEYという雑誌もSWITCH PUBLISHINGから出している。単行本も毎年いくつか。20年前のように雑誌が売れる時代でもないし、広告もつきにくい。coyoteも一回休刊している。しかし、新井さんの思いが復刊へと導いたほど。

そんな時代背景の中、村上春樹さんの本を出すという。出版業界の中では、村上春樹さんは大御所で前払い制というのはよく知られているし、普通の作家よりも取り分が多いというのは周知の事実。ただ、そんな目先のお金のことよりも、新井さんは村上春樹さんの「職業としての小説家」を世に出したかったのだろう。もっと私的な視点で言えば、新井さんが小説家としての村上さんの考えを聞いてみたかった、知りたかったということなのかもしれない。

新井さんと話しながら、新井さんの編集者、インタビュアーとしての強い思いを感じたのだった。出た際には、すぐに買って読もうと思っていた。

しばらくして、茂木さんが、職業としての小説家を献本されて、非常に良いとFacebookに書いていた。あまり、この本が良いと書く人でもないので、本当にいい本だと思ったのだろう。茂木さんもしばらく前から、小説を書きたいと話していたから、ちょうどこの本が刺さったのかもしれない。

販売初日に本屋へ買いに行ったら、帯に柴田元幸さんのコメントが。ムーンパレスなど大好きな小説の翻訳者だ。ああ、揃った。これだけ、好きな人が揃う本ってないなと。

さっそく、楽しく読ませてもらった。

改めて思うのが、村上春樹さんの世界の捉え方が好きだ。この世界をどのように見ているか、どのように解釈しているか、そしてどのようなスタンスをとるか。自分の価値観、考えに基づいて独立しており、でも世界の強い部分も弱い部分も含めて、等しく捉えてやさしく包み込む。いがみ合うのではなく、妬み合うのではなく、正々堂々と前を向いて生きていこうじゃないか。そのためにも、そして口だけじゃなく、自らを律している姿勢がなんとも清々しい。

だいたいにおいて、人をの好き嫌いは世界の捉え方、そしてそれを踏まえてどう行動しているか。これが、素敵な人や共感できる人を好きになるんだなと、この本を読んでいて思った。

そして、僕は小説家ではないが、小説を書いてみたいと思い始めた。本を3分の2ほど読んだ頃、ふと小説というスタイルで表現してみたいと突然ふってきたのだ。

どんなことであろうと、なかなか考えていることが伝わらない。仕事でも趣味でも、プライベートでも、これは、誰しもそうで、永遠に自分の思いは伝わらないものだ。そんなことは、分かっている。具体的な例や喩え話をつかって伝わりやすくする。手段としては正しいが、これでも伝わらない。何をしても伝わらないのは分かっているが、僕の表現のような説明的な文章だけではなく、ストーリーや世界観を醸成したうえで、メッセージを伝える小説的なアプローチも試してみたいな。そう思ったのだ。

もちろん、絵やスポーツ、音楽も同様にアプローチのひとつではあるが、この本を読んで小説というものを書きたくなった。

ドッグイヤーを無数につけたので、気になった文章を引用しきれない。。。ということで、ぱっと開いたページの言葉

P42

しかし、理由はともあれ、とにかくそれが起こったのです。それは、なんといえばいいのか、ひとつの啓示のような出来事でした。英語にエピファニー(epiphany)という言葉があります。日本語に訳せば「本質の突然の顕現「直感的な真実把握」というようなむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによって物事の様相がいっぺんしてしまう」という感じです。

P98

これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあなたが何かを自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、かたっぱしから放り出していかなくてはなりません。

P141

長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。かけるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません、だからタイムカードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。

P187

僕は生きて成長していく過程の中で、試行錯誤を重ねつつ、僕自身のやり方をなんとか見つけていきました。

P238

だからこそ僕は、いろんなサイズの自分のものではない靴に自分の足を入れ、それによって、今個々にある自分を総合的に検証していることになるのかもしれません。

P285

現実社会のリアリティーと物語のリアリティーは、人の魂の中で(あるいは無意識の中で)避けがたく通底しているものなのです。どのような時代に会っても、大きな事件が起こって社会のリアリティーが大きくシフトするとき、それは物語のリアリティーのシフトを、いわば裏打ちのように要求します。
物語というのはもともと現実のメタファーとして存在するものですし、人々は変動する周囲の現実のシステムに追いつくために、あるいはそこから振り落とされないために、自らの内なる場所に据えるべき新たな物語=新たなメタファー・システムを必要とします。その2つのシステムを上手く連結させることによって、言い換えるなら主観世界と客観世界を行き来させ、相互にアジャストさせることによって、人々は不確かな現実をなんとか受容し、正気を保っていくことができるのです。

P304

ちなみに僕の場合の「悪魔祓い」は走ることです。かれこれ三十年ほど走り続けているんですが、毎日外に出て走ることで、僕は小説を書くことで絡みついてくる「負の気配」をふるい落としているような気がします。

P304

僕らが会って話をして、でも何を話したかほとんど覚えてないと、さっき申し上げたわけですが、実を言えば、それは本当はどうでもいいことなんじゃないかと思っているんです。そこにあったいちばん大事なものは、話の内容よりはむしろ、我々がそこで何かを共有していたという「物理的な実感」だったという気がするからです。我々は何を共有していたか?ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。

文字が文字である必要がなくなる日

TOEICで鉛筆かシャープペン、そして消しゴムが必要になり、探してみた。
すると、見つからない。

やっとこさ見つかったのは、10年以上前にスタンフォード大学で買ったシャープペン。グリップのゴムがネチョネチョするぐらい、使っていなかったようだ。

そうか、文字を書いて消すということがなくなった。おそらく10年以上は書いて消してという作業をほぼしていない。

あるとすれば、ホワイトボードぐらい。あとは、旅に出た時はボールペンで日記をつけるが、それ以外はすべてキーボードによるタイピングだ。

タイピング95%、ボールペン2%、ホワイトボード2%、その他(鉛筆・筆ペンなど)1%ぐらいか。直感的で、エビデンスがあるわけではない。

そっか、あたりまえだけど鉛筆で字を書かなくなったなと思う。それをきっかけにいろいろ考えていたら、文字が文字である必要がないのではないかと思えてきた。

本→新聞→雑誌→テレビ→漫画→アニメ
ホームページ→ブログ→2ch→SNS→twitter→LINEのスタンプ→vineなどの動画

テキストコミュニケーションはなくなりはしないが、よりテキスト量は減り、絵や動画のような非文字情報が増えていっている。それは、主に雰囲気や感情を伝える場合に多用される気もする。多分この流れは継続するはず。そう考えると面白いもんで、人間が文字を発明する前は、壁に絵を書いて記録していた。それが再び複雑な文字を経て、絵に回帰しようとしているのだろうか。もともと、絵だと直感的に言葉がなくても伝わるから、古代の人は絵を描き、記録した。しかし、人間が絵を描くのに時間がかかるし効率が悪い、人によって絵の上手い下手もあるだろうから誤解の可能性もある。ということで、簡易的な文字が生まれたと推測される。文字は、上手い下手はあるが、指し示すものは特定のものに限るので、誤認のリスクも減ると。

ただ、再び文字から絵に回帰しているのは、デジタルの世界が発展し、絵を人が描かなくてもキリンと入れれば動物のキリンの絵が変換されて出る時代だから。で、なんで、同じキリンを示すのに、絵が使われるか。より多くの情報を絵が持っているからだろう。キリンにしても、大人のキリンか子供のキリンかは「キリン」だけでは分からないが、絵なら1発で分かる。走っているキリン、何かを食べているキリン、それも1つの絵で完結する。さらに、キリンは1つの動物をさすが、イメージするものがずれるリスクが有る。絵を示せば、イメージがずれるリスクが減る。こんな理由ぐらいか?あとは、絵の方がかわいいとか、絵の方が言いづらいことでも言いやすいとかかな。

まあ、白川静先生の本を読むと、この辺りも書いてあるのかな。買って読んでない本でも読んでみよう。

で、話を本題に戻す。手で文字を書かなくなったということは、今のような文字でなくてもいいと思うのだ。あれは、手で鉛筆や筆で書くのに適している文字。筆で書く文字のスタイルと鉛筆で書く文字は、同じ漢字などの文字でもスタイルが違う。行書体とか楷書体とか。英語もブロック体と筆記体とか。

ということは、これだけキーボードでタイピングする時代になったのであれば、今の文字というものがぜんぜん違うスタイル(形)になってもいいのではないか。

すでに、ビールと入れれば、LINEなどはジョッキビールのイラストやスタンプが出るが、これがもっともっと進化すれば、文字コミュニケーション(聞くのではなく、見るコミュニケーション)における、文字の形は変わってもいい。

あくまで、手で書くのに適したスタイル(形)が今の文字であっただけなので。それは、絵文字かもしれないし、もっと情報量の多い新しい文字かもしれない。新しい文字(現在の文字に取って代わるサイン)が発明される日も、実はそう遠くないのかなと思う。

あれから何年目かの911

911という、365分の1。

2003年のこの日、911を意識したことを鮮明に覚えている。あの日から2年後のこと。僕は一人で旅をしていて、船でモロッコに入国した日だった。それは、あからさまに不自然な入国審査を目の当たりにしたからだった。

それ以降は、9月11日だなと思い、こんな風にどこで何をしていたかを毎年メモをして十数年の時を経た。そして今日、10年ぶりに911を再び考える日になった。

タクジさんに誘ってもらって、「百年愚行」の展示記念のトークイベント。
池澤夏樹さん。

かれこれ、池澤夏樹さんは10年ぐらい本を読ませてもらっている。星野道夫さんに興味を持ち、池澤夏樹さんに流れ着いた。そして、新井敏記さんに。巡り巡っている。

池澤夏樹さんの思想の拠り所というか、何をもっとも考えの根底の軸としているか、思想の偏りがどうかという話は、好き嫌いが人によってあるのだろう。ただ、どんな考え方をしているにせよ、歴史や文学などを知り、それを元にした深い洞察があるということには変わらないと思う。どんな思想であろうとも、その軸、スタンスをぶらさない姿、そして自己否定を含めて自問自答し続ける姿勢。

直接、話を聞くのは2回めだったが、やはりその思考の広さと深さ、そしてそれがあるからこその視点が僕には、とても新鮮で、考える切っ掛けをあたえてもらったし、なんだかすぐには消化しきれないモヤモヤが残っている。

知識を得、行動をし、考え尽くす。それを繰り返し、繰り返し、自己の中で反芻した結果、生み出された言葉。決して、難しい言葉ではないが、そこには繰り返された結晶としての言葉だったような気がする。

国公立大学の人文系を廃止するという話しから。

人文、理工について。
人文は全体観を捉える人&ちょっと突飛な発想をする人。理工は論理で考える人。どちらか一方では物足りない。アンバランス。両者がいるからこそ、世界はうまく成り立つということ。どんどん日本の人々は組織やエスタブリッシュメントに飼い慣らされていく。そして、大学もその流れに侵される。でも本来大学とは、いかに突飛な発想を提供できるかが価値だと。その発想をする人文はやっぱり必要だと。

メディアが抑圧される。それは、政治という面もあるかもしれないが、内部の人たちの妄想による自己抑制も。

SNSなどのソーシャルメディアは感情を発するメディアで、新聞などはすぐに発言できないからこそ理性や思考を伴うメディアになりやすい。

イラクに行った。現地の人が本当に優しかった、いい人だったから、一人反戦運動をした。

人間は愚かだし、知性がある。両方を兼ね備えているが、愚かな部分も永遠につづく。それが人間で、愚かさを含めて世界を考えなければならない。愚かであるのが当たり前だし、歴史を見ても人間は永遠に愚かなのだ。単純に徳を積むことがいいことなのか。それは、本当の姿なのか。

人間の知性は総和では変わらないかもしれない。サイエンスは、積み上げられる。が、人の感情や行動は積み上がらないということ。
ただ、絶対犯してはならない、重大なミスはやらない程度の知性は必要。そこまで愚かになってはいけない。

世界がより良く慣ればと考える。なってほしいが、現実は何もできない。それでもなお、考え続ける、悩み続けることが唯一の道だと思う・

いろいろな地域に住んで、そこから見た日本。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜