「村上春樹」を知らない人はいないだろう。
さらに、彼の著作を読んだことがない人も少ないであろう。
現代日本に生きる作家の中で、
これほどまで評価を受け読まれている作家も珍しい。
そう、そう思う。
実は彼の本を読んだことがないので、こう言うしかない。
本の善し悪し、好き嫌いではなく、社会的なそれも一般的な評価を用いて。
僕の周りの人、それも価値観や物事に対する心の動きが似た友達が彼のことを好きな場合が多い。
気になる存在でいた。読みたいと思っていた。
実際、彼の本を何冊かもていた。ノルウェイの森、アフターダーク、辺境・近境など。
しかし、それらは本棚の飾りにすぎなかった。
友達が家に来たときに、村上春樹を読むんだね。
俺も私も、そう言ってもらうためのようなものにすぎなかった。
そんな届きそうで、手が届かない存在が村上春樹だった。
僕の好きな人と本屋に行ったとき、その本を見た瞬間にレジにいた。
その本が、「走ることについて語るときに僕の語ること」だった。
このときも興味があったが、買うまでにはいたらなかった。
さらに、実際に僕がこの本を手に取ったときも買ってはいない。
とはいっても最近はよく本を買う。そして本をよく読む。
インターネットにつながっていなかったこともあるし、
本の世界にいたいという気持ちもあった。
それに、走ること。脳の中を広げ白くする時間。
そんな時が欲しくなっていた。
そう、その時間を作るために6月にフルマラソン、
7月にトライアスロンに出ようと決めていた。
(7月のトライアスロンは、トライアスロンと言うのも恥ずかしいぐらいの大会だが。)
そんな時ちょうど友達の家に、「走ることについて語るときに僕の語ること」はあった。
強く思った、読みたいと。
そして、借りて帰ったのだった。
前書きと1章を読んだ。引き込まれるように。
村上春樹は感じ取ったものを、肉体の状況を、冷静にそして克明に書いてあった。
僕も経験を通して何かしら感じてはいるが、自分の中で言語化できていない感覚。
そんな感覚を、「ああ、そう言うことなんだ」「俺の感じたことが言葉になっている!」と思わせてくれる。
自分の根源的な感情にもかかわらず、言語化できずにいたモヤモヤ感を払拭してくれた。
走った時に感じた彼の感覚や、それをもとにした考えは、
僕が旅をし、マラソンを走り、東京から岐阜まで歩いたときに得た感情などと重なった。
もう、虜になった。
自分で買って読む。読み込みたい。
翌日には買っていた。
そして、数日後には折り曲げられ、線が引かれ読み終わった本があった。
こうして僕は村上春樹と出会った。
どんな作家とでも、出会いの一冊があると思う。
知っていたが、なんか読むには至らなかった。
読んだけど、ハマるまではいたらなかった作家。
そんな作家との出会いの一冊。
きっかけの1冊とでもいおうか。
作家と読者の間にはそんな出会いの1冊があることを身をもって知った。
僕は村上春樹とついに出会ったのだった。
2008/03/02