月別アーカイブ: 2006年12月

写真とカメラしかない日

今日は写真展に3つぐらい行き、電気屋さんとカメラメーカーのギャラリー回り。
電気屋ではカメラ雑誌を立ち読みしたり、相場を見たり、カメラのもち具合を試したり。
ああ、三脚もレンズもカメラバッグも欲しくなるなと。
さらには、天体望遠鏡も欲しいなと。カメラと望遠鏡をつなげて撮影とか。
昔から宇宙とか星が好きだったから。
とか思っていたら、水中写真もいいなと思い始める。
ハウジングもいるだろうなと思う。

それから、家に帰りひたすらもらってきたパンフレット20部弱を読み漁る。
さらにネットでカメラの入門ページでいろいろと勉強。

ついでに、いろいろな写真サイトやカメラマンのページの写真に見入る。

ほんでもって、価格とか一般人の口コミ情報も調べる。
疲れたら、自分が持っている写真集見たり自分の写真を見たり。
やりたいけどできていない、再び自分の写真のアルバムを作ろうと、構成をしてみたり。

写真以外のことを何もしていなかった。
かなり幸せな日。 

 

基本的な不潔を忘れた現代日本社会

現代日本社会は清潔すぎる枠組みだから、上下が区別つかない
じべたに座る
カウンターに子供座らせる

昔は基本的なきれいきたないをしっかりしてた。
上のものと下のものを混ぜない。
下のものは汚い、上のものは清潔。上下を区別しているから汚さは混ざらない。

今は何やっても枠組みとして清潔と認識していて麻痺している。
何をやってもきれいなはずだ、清潔なはずだと思い込んで安心している。

だから、当たり前の上下の区別もつかなくなっているんだろう。

意識の外部化

マラソンまで毎日走っていたわけですが、やはりつらい、しんどいものである。
しかし、しんどいと思うとさらにしんどくなる。

まだかなまだかなと、終わりを待つとすごく長く感じる。

これは東京から岐阜を目指して歩いた時もだった。いくら歩いても終わらない。
ただただつらい、それが永遠のようだった。

外国を旅していて、50時間とか電車にのっているときも考えると長い。
意識があるとさらに長く感じる。

そこで、意識をなくす。
意図的に意識をなくす。
すると時間の流れに対する感覚がなくなり、まだかなっていう感情はなくなる。
時が流れるのを待たなくても、いつの間にか時がたっている。

マラソンでもそんな技は役に立つ。

まだまだいける

先週日曜日フルマラソンを走った。
タイムは4時間19分14秒。

疲労骨折とかにおびえていたのが嘘のようだ。
正確がビビリだからなんだろうけど。

でも、もう少し筋肉痛とかくると思った。
まあ、月曜日はひどかったが火曜日はほぼ問題なくなった。

筋肉痛も間接も。
まだまだいけるなと正直思った。

まあ油断は禁物だ。年を取ってからガタがくるかもしれんし。
気をつけよう。
勝ったかぶとの緒を締めよというしな。